雀荘オーナーのスズメハーピー(Boltzmann constant)
Added 2021-08-08 22:00:00 +0000 UTC鷹丸は牌を打つ。手牌を明らかにした。
「ツモ、チートイドラドラ、四千二千です」
南四局のオーラスで彼はついに全員をまくった。僅差でリーチをして流局でもすればリーチ棒で三着に転落する恐れによりダマテンを選んでいた。
「強くなったね。トップ初めてじゃない? おめでと」
「ありがとうございます」
彼としては初めてトップ終了になった。だから客と交代の際に同卓から祝儀チップを受け取った。
ミサはテレビを見て、鷹丸は充電器に繋いだスマートフォンを眺める。アプリを起動させると音が鳴った。
「麻雀ゲームもやってるの」
鷹丸が見ているのは麻雀ネット対戦できるスマホゲームだった。実物とは感覚が違ってよく彼は裏切られるが、低い放銃率とほどほどになってきた和了率は反映されていた。
「役候補が出るので参考にしてます。こないだ言われたので覚えるようにしました」
「あのアドバイス効いたんだ」
彼はミサをジト目で見た。
「いまのうちに相手に合わせた打ち方を覚えた方がいいかもね。今の人たちは激辛党だからいいけど、そうじゃない人もままいるから。さっきの東三局みたいなモロ引っ掛けしたら怒って帰っちゃう」
「程々に負けないちょい浮きって難しいですね」
「そうそう。どんな風に打ってるか見せてよ」
ミサが身を乗り出して画面を覗き込む。
「親だし断ヤオ向けてさっさと和了った方がいいんじゃないの。🀏来たら大爆笑だよ」
そう言ったそばから🀏が彼の手に転がり込んできた。
「言霊だ……」
「アタシのせいにしないでよ」
彼としては平和、一盃口、断么九の複合役を狙っていた。一盃口のためには🀎が必要で、🀏を持ってきてしまうと切るに切れず迷いが生まれる。
「染め手かな」
今度は意見が一致した。しかし捨て牌が露骨で、中盤以降は他家から萬子が出てくることがなくなった。それどころか萬子の他は出放題なところを見とがめられて放銃した。
「これアタシ見てない方がいいね」
「いや、そんなことは」
不満げにミサが離れる。黙々と彼はバーチャル空間で麻雀を打ち続けた。
そのまま客が打ち終わるまでお互いに暇を潰し、卓割れするとそのまま店じまいになった。ドアに掛かったプレートを裏返すと準備中になる。鷹丸が雑貨店で買ってきたものだ。
「この後は? なにかある?」
いつもより早い閉めだから彼の予定が空いてしまった。
「いや、特には……」
「ならさ、ご飯食べない?」
「そうですね」
煮え切らない返事だった。意外で、彼はその背後を汲み取ろうとして脳のリソースを割り振る。著しい深読みは真意を捉えられなかった。
「嫌なら、別にいいんだけど――」
「えっ? いや、もちろん、ご一緒します」
ミサから身を引いたのを見てついに鷹丸の思考は狂った。数ヶ月で彼は彼女がどんなハルピュイア族なのかを観察していた。彼の中のミサなら押し切っていた。
雀荘を閉めたら街に繰り出して、飲食店に向かう。外でミサの姿を見るのは彼にとって初めてだった。
「鷹丸はここら辺の飯屋行った?」
「いや、あまり。自炊するので」
「えらいね」
「まあ加熱するだけなので」
表通りには様々な店が連なり、チェーンの居酒屋が乱立する。だけど彼女はそんなところに目もくれずに枝道に入って奥に進む。
戦後から時が止まったような所だった。生臭さをベースに糞尿の臭い、吐瀉物の臭いが香ってくる。生理的に彼は居心地の悪さを感じた。
「モツは好き?」
「あんまり、食べたことがないのでなんとも」
「ここら辺は多いんだよね。ちょっと、試してみない?」
引かれるままに立ち飲みの店に入る。彼女の来店を見てその場の誰もがタバコを消した。
「あれ、久し振りじゃん」
とても料理人とは思えない風貌の店主が挨拶する。幅の狭い木製のテーブルのすぐ奥に鍋があって部位不明の肉が煮えている。味噌ベースに香辛料で野性味のある臭いをかき消そうと試みている。
「氷残ってる?」
「おう、氷屋のな」
「ならモツ二つにハイボールふた……鷹丸は呑む?」
「いただきます」
ミサの確認はその場の全員に衝撃を与える。
「随分ご丁重に扱われてるオヒキだ。もう止めたと思ったがな」
「オヒキ?」
鷹丸が聞き返した。
「ありゃ? コンビだよ。最近の子は知らんのか」
「鷹丸は違う。ウチでアルバイトしてもらってるだけ」
「それはオヒキだろ」
「だから、そもそも、もうしてないってば」
何の話をしているのか鷹丸には分からなかった。会話はハイコンテクストで、いちいち尋ねるのも憚られた。居心地悪そうにしているとミサが説明した。
「はあ……昔の話だけど、東風戦半荘で二十万くらい動くとこでやってて」
「半荘で?」
「勝ったり負けたりあるから一日だと百万くらいの損益にはなるんだけど」
容認されているレートだと酷く負け込んでもゲーム代込みで一日で五万に届くかどうかだ。
「それは負けられないですね」
「そ、勝ちたいから客と内通してみたりするんだよ。バレると怒られちゃうけど」
「イカサマでは?」
「証拠があればね」
目の前にモツ煮とハイボールが並ぶ。ハイボールと言いながらも、使ったのは甲類焼酎とシロップだった。
ミサにはストローとスプーンが添えられて、鷹丸は自分で割り箸を取る必要があった。
「チューハイでは?」
「焼酎ハイボール、な。ウイスキーなんて小洒落たもんあると思うかい」
「確かに」
「って納得すんのかーい! あるわ、ウィスキーも!」
そう言って店主はウイスキーのラベルが貼られたペットボトルを置く。茶色の液体が入っている。
「邪魔」
ミサが咎める。四リットルの容器は店主の足下に戻っていく。
「おう……あのな、いわゆるチューハイの起源だ、ここ。だから、普通にハイボール言っても出てくるのは皆まで言うチューハイってこと。ウイスキーハイボールまで言わんと」
「知りませんでした。そんな経緯があるとは」
彼はまずハイボールから飲んだ。荒々しい酸味とアルコールが喉を突く。モツ煮も味が濃く、辛さとうま味で彼は脳血管が破裂しそうな思いをした。それを流し込むために酒が進む算段だった。
シンプルな店だった。食事はモツ煮だけであとは酒だけだ。この時点で一人ワンコインで済んでしまっている。
「白米が欲しくなる味ですね」
「確かにね。酒売りたいから無いんだけど」
ミサは焼酎ハイボールのお代わりを頼む。鷹丸はノンアルコールを頼みたかったが、ソフトドリンクは用意されていない。
飲めなくなったら退店を求められる。酔いすぎても退店を求められる。仕方がないから彼もお代わりを注文した。
「このモツは豚ですか?」
「今は。前は牛だったが、モツ鍋流行で持ってかれて戻ってこない」
「ここは牛が元だ。そっちが本物、これは偽物」
客だった一人が話に混ざってくる。その中年男性は酒のグラスから手を離すことがなかった。客と客の間隔は狭くて肩が触れ合うくらいで、どれが自分の皿か気を配る必要がある。
それぞれ酒二杯とモツ一杯で二人は店を出る。
「どうだった?」
「美味しかったです」
お酒の効果か、食べる前の臭いも気にならなくなっていた。
「本当のところは?」
「お腹壊しそうですね」
「煮込みだから大丈夫。たぶん。氷も氷屋のだったし」
ミサが言うには商店街の共用スペースに製氷機が置いてある。ただ洗浄されている瞬間を誰も見たことがなく、水の由来も入り組んだ配管だから不明点が多い。そもそも、かつて多くあった鮮魚店のためのものだ。
氷が終わるとあの店主は、その製氷機の氷を飲み物に使う。だから遅くに行くのは推奨されない。
「胃薬でも飲んで。まだイケる?」
彼は頷いた。
「次はちゃんとご飯を出してくれる所に行こっか」
しかし彼女が彼を連れ立ったのはスナックバーだった。
「スナック?」
「軽食って言うけどね」
彼が重たい扉を開けて彼女をエスコートする。中には客もママも居た。
「アレ? ミサちゃん?」
「ちゃんで呼ぶな」
「失敬失敬。そちらの殿方は? これ?」
ママは小指を立てて見せる。
「違いますよ。雇ってもらってます」
鷹丸が否定する。
「えー!? アルバイト取ったの!! ってことは相当な打ち手?」
「……まあ」
ミサが会話のペースを取られていた。
二人は席に通される。カウンターからワンテンポ離れたボックス席だった。
「メニュー分厚くないですか?」
「客に言われて作ったらメニューに載せてるの! 今日作れるかは別にしてね!」
地獄耳のようでママは豪快に笑う。連れてきた本人がいやに疲弊していた。
「ご飯は美味しいんだよ」
「ご飯も! 旦那がキッチン担当でね! ホテルシェフだったの!」
「ラブホのだろ」
「ミサちゃん!」
メニューの物量で詳細な注文は諦めオススメを頼んだ。ミサは白ワインを頼んだが、鷹丸はミネラルウォーターを頼もうとしてラム酒の水割りに置き換えられた。
「水道普及率って百パーセントだと思ってました」
「九十九パーセントね。乾杯」
反射的に鷹丸はグラスを差し出す。乾いた音が響く。ライムの欠片が揺れた。
やがてボーイが持ってきたのはヒラマサのなめろうだった。白米、味噌汁、お新香、温玉も一緒だった。
「ヒラマサ?」
「アジの仲間の最大種だっけねー。今くらいから旬よ。言っちゃえば初物」
アツアツの白米に乗せて温玉をトッピングする。冷やして固くなった脂を溶かしながら混ぜて口に運ぶ。
生姜と大葉の爽快感と、ヒラマサの甘味、味噌のコクのある塩味だけで十分だから醤油は要らなかった。なめろうとして全く潰す訳ではなく、ぶつ切りにした弾力のある身を混ぜて食感を補強してある。
「意外とラム酒も合う――」
「古の船乗りの飲み方だから! 漁師メシなとこあるし~」
あっという間に二人とも食べてしまった。次は天ぷらがやって来る。
「あ! 悪いんだけど、いまちょっとタバコやめてね~」
ママがカウンター席の客に言う。いくらか不満げにサラリーマン風の男性はタバコを灰皿に押し付けた。
「すごい店ですね」
ママはカウンターの客にまくし立てる様に話し続ける。言葉が尽きることはない。
「でしょ。ねえ、日本酒持ってきて」
徳利ではなく四合瓶がテーブルに置かれる。グラスは二つ用意された。
「呑みますね」
「仕事中じゃないから。鷹丸だって、呑まないタイプかと」
「まあ……付き合いくらいには」
ミサが二つに注いで、流し込むように飲み干した。対して鷹丸はゆっくりとペースを崩さないように味を確かめる。
「辛め、といいますか」
「淡麗辛口。いい酒のはず」
すぐさまミサは次の一杯を注ぎ、鷹丸にも減った分を補充する。
「人間、限界が」
「ハーピーだって体重軽いから回りやすいけど」
酔っ払いの相手は鷹丸の得意とするところだ。しかし人外種の酔っ払いとなると経験がない。
「ほどほどにしてくださいね」
「若造に気にされるほどヤワじゃない」
とは言うものの、瓶が空になる頃にはミサは顔をテーブルに突っ伏していた。
「店内で寝ないでよー」
ママが言う。ミサの反応は悪い。
「あの、お会計」
「はいはい! 二人合わせて一万円ポッキリ」
彼としては拍子抜けする値段だった。ただ、それでも学生の懐事情からしてみればわりあい痛い出費だ。
会計を済ませると彼はミサを抱え上げた。最初はお姫様抱っこを試みるも、骨がスカスカで軽いとはいえ、重心に体重が乗らないから彼の筋力程度では長距離の移動は難しかった。
「近くにホテルがあるからさ、そこで休憩したら?」
「いえ。失礼します」
ママの提案を無下にすると鷹丸はミサの両脇を抱えて持ち上げる。片翼を上げると脇に頭を置いて身を屈める。前傾姿勢になって彼女の股間に左手を差し込む。
翼と脚をくっつけて輪をつくると立ち上がり、消防士が行うような搬送になった。
「ありがとうございました」
「うん……また来てね」
重心に体重が乗るから比較的楽に長く移動できる。スナックバーを出ると近く確かにホテルがあった。だけど必要なかった。
しかし彼女の家を知っている訳でもない。現在地からは彼の自宅の方が近かったが、家に上げようとは思わなかった。
周囲の目を気にせず。雀荘に戻ってくると、そっと彼女をソファに下ろそうとする。その途端にミサが身を翻して、逆に鷹丸がソファに体をぶつけた。
そのまま彼女は彼に覆い被さる。息と息がぶつかる。
「演技派ですね」
「これくらいじゃ潰れないから」
「手持ちなかったんですか?」
ミサは彼に頭突きした。
「スナックのママが言ってたろ。近くにホテルがあるって」
「六千円も払って休憩を?」
彼はできるだけおどけたつもりだった。笑い話で済むように、彼女らしい、魔物らしい、悪ふざけであるように。
「分かってるだろ。嫌だったか?」
「いや、嫌って意味でなく――」
そんな間柄じゃない。言いかけて彼は口を噤んだ。
「そっか」
彼は解放された。安心したのも束の間で彼女は服を脱ぎ始める。元から露出の多い服装ではあったが、脱いでしまうと秘所が丸見えになる。その前に鷹丸は目を瞑った。
「服着てください」
「……分かったよ」
頃合いだと思って彼は目を開いたが、彼女は相変わらずだった。しかし目線が囚われる。
ピアスはへそだけではなかった。乳首と陰核にも金属が貫いて、チェーンが垂れている。
体を締めているタトゥーの全容も明らかになる。下腹部から伸びる黒蛇は左の乳首に牙を立てようとしていた。
「あ、えっと……」
「引いたかな」
「ちょっぴり。すごいタトゥーですね」
「鷹丸も入れたら?」
ミサが誘う。ふと彼は自分の手を見た。
「手首の内側にボルツマン定数でも入れますか」
「なにそれ」
「僕らが知る温度とエネルギーを結びつける定数です。この数字は既知の宇宙なら、どこでも同じです」
分子個々の動きはサイコロの出目のように予測は困難だ。しかし大量の分子をひとまとめに観察すると一定の挙動を取る。サイコロを何度も振れば出目の確率が分かるのと同じだ。ボルツマン定数はその象徴になる。
「へえ……いいんじゃない?」
「冗談ですよ。普通にカンニングですし、必要なら定数は与えられるので」
そもそも最初の数ケタは彼の記憶に刻まれている。
「なんだ。好きでもないなら入れない方がいいよ。アタシだって、入れられていい気分しなかったし」
「それは……」
「昔の話。ピアスも、この舌も同じ。好きでやった訳ないでしょ」
彼女は裂かれた舌を見せた。独立に動かせるのか、すり合わせて舐めずる。
「ピアスの穴は塞がるって」
「それはそうなんだけどね。また開けるとき痛い思いするし、その、今は、受け入れたから。普段はこんなのじゃなくプラスチックのやつにしてるけど」
「やっぱり痛いもんですか」
「今となってはいい思い出かな」
ミサは鷹丸の隣に座った。お互いによそよそしく、距離が開いている。
「プラトニックなのかな。好きな子とかいたら、悪いことしたね」
「それは、大丈夫ですけど」