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江戸山乱理
江戸山乱理

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『宮田家の別荘暮らしの春秋』(9)完

十五章 掛け替えのない一夜(100ー108) 100 「じゃあ寝ようか。もう、これ、着なさい」  お父さんはそう言って、弥生にパジャマを手渡した。 「うん……」  弥生はそれを受け取ったが、目が冴えて眠れそうになかった。むしろ、もっとお父さんとふざけ合っていたかった。 「どうした?パンツのまま寝るの?」 「お父さん。私、まだ眠れそうにないんだけどなぁ」  弥生はへつらうような微笑を見せた。 「眠れない?。んー、じゃあ、お酒でも飲もうか?」 「えっ、お酒?」 「寝酒だよ」  お父さんは布団から起き上がって、ゴチャゴチャと散らかっている机の上から、一本の酒瓶を手に取った。それは黒っぽい小さいガラス瓶で、よく見えなかったが、ウイスキーという英文字のラベルが読めた。 「それ、ウイスキーだよね」 「ああ、そうだよ」  お父さんは瓶のフタをキュルキュル回して開けると、「ほら」と言って、その先端を弥生に向けた。弥生は自分で受け取ろうとしたら、押し留められて、 「匂ってごらん」  と言われた。弥生は上体を屈めて、お父さんの差し出す瓶の先端に鼻先を近付けて、クンクンと匂いを嗅いだ。芳しい香りが鼻孔を打った。 「おお、とっても良い匂い」 「そうだろう。飲ませてあげるよ」 (ウイスキーなんて、飲んでいいのかな。まあ、お父さんが飲めっていうんだから、いいか……。えーと、何か容器が必要だな。コップとかあるかな?)  弥生はそう思っていた。  しかし、お父さんは、いきなり瓶に口をつけて、そのまま傾けて、グビリと飲んだ。 (あれ?お父さんも飲むの?それにしても、大胆に飲むもんだなぁ)  弥生は感心しつつも、怪訝に思った。  そこからのお父さんの様子はさらに奇妙だった。瓶を机に戻すと、変に無表情で、しかも何も言わず黙ったきり、弥生の方へにじり寄ってきた。 「お、お父さん?」  弥生は言ったが、お父さんは唇を結んだまま、返事をしなかった。弥生はいよいよ怪訝に思った。 「ねえ、お父さん、どうしたのよ?」  しかし、お父さんはさらに近付いて、弥生の背中に腕を回した。  二人の顔は目と鼻の距離にまで近付いた。弥生は不審に思いながらも、しばらく、お父さんと見つめ合っていたが、その時、ある一つのことに気付いた。お父さんは口の中に何かを含んでいるようだった。そのため、口をずっと閉じていたのだろう。どうやら、さっきウイスキーを飲んだ時、飲み込まずに、口の中に溜めていただけのようだった。 (なんでそんなことを……?)  弥生は理解できずに首をひねっていると、次の瞬間、ある考えに思い当って、「あっ」と叫んだ。 (お、お父さん、私にウイスキーを口移しで飲ませようとしている!?)  弥生はようやく、お父さんの本意に気付いた。お父さんは、「ああ、その通りだよ」とでも言うように、口を閉じたままニコリとした。  お父さんはさらに顔を近付けてきた。その距離は最早、後五センチにも満たなかった。弥生は反射的に逃れようとして、顔を反らした。しかし、それよりも早く、お父さんは弥生のうなじに腕を回して、後頭部をすごい力で引き寄せられた。  二人の唇は接触した。 101 「ふぐぅっ」  弥生は声にならない叫びを上げた。  お父さんは、弥生の背中と後頭部に回した腕にさらに力を込めた。弥生の唇はお父さんの唇の上に、潰れそうな程にギュッと押しつけられた。弥生は目を白黒させて、手足を無意味にジタバタと舞わせた。  お父さんの唇からはウイスキーの芳潤な香りが漂ったが、今の弥生にそんなものを堪能する余裕はなく、 「んああっ」  とうめいた。  ただ、不用意にうめいたのが悪かったようで、その唇の隙間へ、お父さんの口から出てきた舌がねじ込まれた。弥生の唇は割られて、口の中へ温かい液体が注ぎ込まれた。 (ウ、ウイスキーが……、お父さんの唾液混じりのウイスキーが……)  次の瞬間、弥生は舌の表面に焼けるような刺激を覚えた。ウイスキーの甘ったるい香りから判断して、甘くておいしいのだろうと思っていたのに、案に反して、それは劇薬のような辛さだった。思わずのどの奥から、「げえっ」という叫びがもれた。  唇の端からウイスキーは零れて、あごから胸へボトボト垂れた。それはパンツの上にも落ちて染みを作った。  口移しで液体を飲むなど、ただでさえ難しいのに、弥生の方が嫌がったものだから、大半は零れ落ちた。しかし、それでも少量は弥生の口の中に移された。 (これ、どうしよう……)  弥生はお父さんと唇を重ねたまま、舌の上の辛い液体を口の中で持て余したが、吐き出すわけにもいかず、思い切ってゴクンと嚥下した。のどが熱く焼けるような感触に襲われて、また「ぐええ」とうめいた。  弥生がウイスキーを飲み干したのを見て取ると、お父さんは腕の力を緩めた。ようやく二人の唇は離れた。それは長い時間のように思えたが、実際は十秒程度だっただろう。 「ふふっ」  お父さんは口元を袖で拭いながら、悪戯っぽくニヤッとした。  弥生はそれを見て、色んな思いが一気に込み上げてきたが、ゴホゴホとむせて、また涙も溢れてきて、言葉にならなかった。何から言っていいのか分からなかったが、ともかく、 「お父さん、急にこんなことしないでよっ」  と涙をぬぐいながら、怒って見せた。  しかし、そう怒鳴っている弥生自身でも、辛いウイスキーを飲まされたことに怒っているのか、いきなりキスされたことに怒っているのか、あるいはその両方なのか、いまいち心の整理ができなかった。 「どんな味だった?」  お父さんは訊いた。悪びれた様子はなく、相変わらずニヤニヤしていた。弥生は、 (味っていうのは、ウイスキーのこと?それともキスのことだろか?)  と判断がつきかねて黙ってしまった。 「どうだった?嫌だった?」  お父さんは重ねて訊いた。弥生はやむなく、 「ビックリした」  とだけ答えておいた。 「すぐに慣れるよ」  お父さんはつぶやくように言って、やはり微笑を浮かべていた。 102  お父さんは、零れたウイスキーに塗れた弥生の体を布巾で拭き始めた。  やがて弥生の方は、口とのどの熱さも引いて、ゲホゲホせきこむのも収まって、少し落ち着くと、さっきの出来事を振り返る余裕ができた。 (口移しで飲ませたってことは、要するにキスと同じじゃんか……。うう、私、お父さんとキスしちゃったよ……)  弥生は、その相手が自分の好きなお父さんとはいえ、やはり、複雑な気持ちになった。それが物心ついて以来初めてのキスだったという事情もあって、平常心ではいられなかった。より分かりやすく露骨に言えば、お父さんにファーストキスを奪われたということだった。弥生は少し恨めしい面持ちになって、目の前のお父さんを見据えて、 (お父さん、お父さんは娘のファーストキスを奪ったんだよ。その自覚あるの?)  と頬を膨らませて、ふて腐れてみせた。  しかし、お父さんは悪びれている様子はなかった。むしろ、ヘラヘラと愉快そう顔で、弥生の体をキュッキュッと拭いていた。 (なんでそんな平気な顔をしていられるのよ)  と弥生は責め立てたい気持ちになった。しかし、一旦は冷静になった。 (うーむ、私自身はよく覚えていないけど、幼少期にお父さんとキスしたことぐらい、何度もあったかも。お父さん、今もその感覚で口移しで飲ませたのだろうか?そんな風に考えたら、あれはファーストキスではないということになるかな……)  弥生は、納得こそしなかったが、 (そう取り立てて怒ることでもないか……。私って、我ながら寛容だな)  などと思った。 「こんなもんでいいかな」  お父さんは、弥生の体を拭き終わって、言った。 「う、うん……」 「パンツもちょっと濡れたけど、これぐらい、すぐに乾くよ」 「そうだね」  丁寧に体を拭いてくれたお父さんの顔を見ていると、弥生はもう怒る気が削がれてしまった。また、それだけではなく、変に頭がポーとなっていた。 (私、酔っているのかな?いや、でも、そんなに早く酔いは回らないか……)  ふと、弥生は、お父さんが自分を見つめていることに気付いた。それは正面から刺すような視線だった。 (何?あっ、もしかして、いきなりキスしたことを謝るつもり?)  弥生は、お父さんが何を言い出すのだろうかと注目した。しかし、お父さんが吐いた言葉は、予想外のことだった。 「もう一回いく?」  とお父さんは言った。 「……?」  弥生は首をひねった。内心では、(もう一回キスをするってこと?)とつい思ってしまって、我ながら慌てた。 「これだよ」  お父さんは、机の上のウイスキー瓶を持ち上げて、揺らしてチャプチャプ鳴らした。 「もう一回、ウイスキーを飲むかってこと?」 「そう。どうする?」  弥生としては、ウイスキーを飲む飲まないはどうでもよかった。どちらかというと、辛いだけのウイスキーなどあまり飲みたくはなかった。それよりも、飲む手段として、口移しをするかしないかの点に関心があった。 (お父さんはどうするつもりなのだろう?)  と考えていると、弥生の口の中に唾が溢れてきた。 103  お父さんは、弥生に見せるように、ゆっくりとした手付きでウイスキー瓶のフタを開けた。そして、瓶を傾けて、口にくわえて、グイッとあおった。しかし、飲み込まずに、口の中に含んだだけのようだった。その状態で、 (どうするね?)  というような目で弥生を見た。それは弥生は誘惑しているような、あるいは、挑発しているような表情だった。  弥生は決断した。それを受けて立とう思った。 「飲む」  という一声が口をついて出た。  口を閉じたままのお父さんは、 「よし」  と言うように小さくうなずくと、両手を伸ばして、弥生の体を抱き寄せた。  弥生の顔へお父さんの顔が近付いてきた。そこまでは先程の口移しの時と同じだが、今回の弥生は避けようとはしなかった。それ以上に、自分の方からもお父さんの肩辺りのパジャマを鷲掴みにして、口移しを甘んじて受け入れるという意思を明瞭にした。  一回目の口移しは、驚愕と混乱の中で、訳の分からないうちに終わってしまい、半分以上も口から零してしまったが、今回はしっかり全部飲もうと意気込む余裕があった。  二つの唇は触れ合った。触れただけではなく、ブチュッと強く押し合った。早速、お父さんの舌先は弥生の唇を割ろうとして、侵入を試みた。弥生はそれに応えるように、少し口を開いて、お父さんの唇をチュッと軽く吸い込んだ。二人の口腔は隙間なく接合された。  唇同士はピタリと密着したままだったので、生温かいウイスキーは一滴も零れることなく、お父さんの口から弥生の口へ流し込まれた。お父さんはそれを確認すると、そっと唇を離した。  弥生も口を閉じて、お父さんに注がれた液体を舌の上で転がした。やはりそれは焼けるような辛さだった。ゴクリとのどを鳴らして飲み込むと、食道の中でむせ返るようで、「ぐうっ」と声が出た。そして、「ふぅー」と甘い香りの溜息を吐いた。 「ほぅ。いい飲みっぷりだね」  とお父さんは褒めた。 「ふふ」  と弥生も微笑した。二人は、口移しが成功したことをお互いに讃えるように見つめ合った。 104  弥生の頭はクラクラしてきた。 (酔いが回ってきた)  と自分でも思った。  上半身はフラフラと揺れ始めて、胸はドキンドキンと高鳴った。おかしくなったのはそれだけでなく、気持ちも妙に大らかになって、弥生は照れることもなく、自分の大胆な本音をお父さんにぶつけたくなった。 「ねえ、お父さん、もう一回して」 「また飲むのか?もう、ほどほどにしておきなさい。また二日酔いになるぞ」 「違うよ。お酒は無しで、もう一回して」 「どういうこと?」 「して」  弥生は可愛らしく小首を傾げて言った。お父さんはすぐに理解した。 「ふーん、そうか。してほしいのか」  と言って、弥生のおとがいを指先でコチョコチョ撫でた。弥生は「お願い」というように、表情だけでお父さんからの情けを乞うた。  お父さんは無言で弥生を抱き寄せて、ゆっくりと唇を近付けた。弥生は目を閉じた。  二人の唇は重なった。 「んふぅ」  と弥生は切なそうな鼻息をもらした。  お父さんは唇を押しつけ、舌を突き出してきた。弥生も同じようにして、それを迎えた。舌と舌が絡み合って、お互いの粘膜を舐めた。 (うわぁ、他人のベロの感触って、ちょっと気持ち悪いな……)  弥生はそう思いつつも、チュウチュウ音を立てながら、お父さんの舌を吸ったり、あるいは吸われたりした。口の中から溢れたヨダレはあごに垂れた。キスの最中だが、弥生は何となく愉快になって、腹の底からクックッと笑いが込み上げてきた。唇を合わせ、舌を絡ませながら、 「うふふっ」  という吐息を口の端からもらした。  弥生とお父さんは、お互いの口回りが二人の唾液でベトベトに塗れるまで、たっぷりキスを堪能してから、ようやく唇を離した。その両者の間をヨダレがネットリと糸を引いた。  その後も、弥生とお父さんは、犬同士がするみたいに、しばらく鼻先を擦りつけ合って、微笑しながら、見つめ合った。  弥生の胸は幸福感で満たされた。 (ああ、私の今のこの気持ち、お父さんに伝えたい……)  足腰の力が抜けて、弥生は「んん」と甘えた声を出しながら、お父さんに寄りかかった。しかし、抱きつくつもりだったが、腕に力が入らず、腰砕けになって、そのままズルズルと崩れて、布団の上にドサッと横倒しになってしまった。  それだけのことだが、酔っている弥生には変におかしく感じられて、「倒れちゃった。あはは」と一人、大声で笑った。さらに、酔いの勢いに任せて、 「お父さん、私、お父さんのこと好きだよ」  と、仰向けのまま、下からお父さんを見上げて言った。 「そうか。お父さんも、弥生のこと好きだぞ」 「本当?うれしい。じゃあ、もう一回チューして」  弥生は寝そべったまま両腕を伸ばして、唇をひょっとこのように突き出した。  お父さんは覆いかぶさって、ブチュッと唇を当てた。  弥生の口の中にはお父さんの唾がトロトロと流れ込んできた。弥生は、それが口の中に溜まる都度、コクンコクンと飲み込んだ。  一分程して、お父さんは顔を離した。 「これで満足した?」 「もっとして」  と弥生はねだった。しかし、お父さんは、 「もう寝ようね」  と宥めて、弥生を布団に上で真っ直ぐに寝させて、後頭部に枕を当てがった。お父さんも、その横に寝そべった。 105  弥生は酔いと眠さとキスのせいで、恍惚とした状態になっていた。腹の底から無意味な笑いがムクムクと込み上げてきた。  さらに酔いがひどくなって、弥生の心臓は早鐘を打つように鼓動した。体は熱くなって、パジャマなどを着る気にはならず、パンツ一枚の姿のまま、お父さんにヒシと抱きついた。 「ちょっと飲みすぎたかな。顔が真っ赤じゃないか」  とお父さんは弥生の頭を撫でながら言った。 「たまには、いいじゃん。うふふ」  と弥生はまた無意味な含み笑いをした。 「弥生は笑い上戸だね」 「なんだか、愉快になってきちゃった。ところで、お父さん。お父さんは万智にこういうことをするの?」 「こういうことって?」 「お酒を飲ませて、キスするようなことをだよ」 「しないよ。だって、万智には、お酒はまだまだ早いからね」 「そうなの」  弥生はそれを聞いて、 (私、万智に勝った)  と思った。自分の方がお父さんに愛されていると思った。妹にそんな対抗意識を持っていたことに、弥生は我ながら驚いたが、やはりうれしさは禁じ得なかった。しかし、それと同時に、 (お父さんとこんなことをする機会は、もう来ないだろうな)  とも思った。そのことは、酔いの回った頭でも十分理解できて、弥生は一抹の寂しさを覚えた。  そもそも、弥生ぐらいの年齢でお父さんと一緒に寝るという話自体、無理があるのだ。今晩だって、お父さんが気を利かせてくれたからこそ実現したのだった。 (お父さんと一緒に寝るのは、人生で今日で最後なんだろうな。その掛け替えのない一時を心ゆくまで堪能しなければ……)  弥生は酔っているようで、心のどこかでは醒めていて、そのように冷静に考えることができた。弥生はお父さんに胸にギュッと密着した。 106  翌朝、弥生は頭痛と共に目が覚めた。  お父さんはすでに起きていて、部屋には弥生一人が寝かされていた。 (頭が重い……)  時計を見るために、頭を持ち上げるのも億劫だった。それは飲酒という悪行を犯した罰のように感じた。ただ、幸い今日は日曜日なので、もう少し布団の中でゴロゴロしておこうと思った。  いつの間にか、ちゃんとパジャマを身にまとっていた。記憶にはないが、寝ている間に、お父さんに着せてもらったらしい。 (全然気付かなかった……)  ふと腰回りが気になって、ズボンを下ろして調べてみた。すると自分が穿いているパンツは昨晩とは違うものだった。ウイスキーとヨダレでひどく濡れたので、お父さんが気を利かして、穿き替えさせてくれたのだろう。昨晩、弥生は余程グッスリ眠っていたのか、そんなことをされた記憶は、やはり全くなかった。  机の上にはウイスキーの瓶が乗っていた。弥生はそれを見ると、自然と昨晩のことが思い出された。酒のせいとはいえ、自分の無様な醜態が脳裏に蘇って、しらふになった今それを思い出すと、穴があったら入りたい気分だった。弥生は顔を布団に埋めた。 (よくまあ、あんなことをできたもんだな。酒乱って言葉あるけど、私もその傾向があるのだろうか?)  弥生は自分で自分が恐ろしくなった。 (それとも、お酒の効果で、本来の性格が現れただけなのかも。ということは、私って、素性はあんなに甘ったれの性格なのかなぁ……)  それはそれで困ると思った。 107  それらの出来事とは別に、昨晩見た夢の情景はさらに常軌を逸していた。 (あれは夢だよな。まさか、現実ではないはず……)  その情景というのは、思い出すのも憚れるような痴態だった。  弥生は夜中に布団の中で目を覚ました。横にお父さんがいることを確認するために、手を伸ばすと、すぐそばでお父さんは寝ていた。真っ暗闇の中で、自分だけが目を覚ましているのが心細くなって、弥生はお父さんの腕を引き寄せて、その手の指を弄んだ。  お父さんは目を覚まして、 「なんだい、弥生」  と眠そうな声で言った。 「ん……」  弥生はまともに答えず、お父さんの指を自分の口に持って行って、軽く歯で挟んだ。さらに舌で舐めまわしたり、クチュクチュとしゃぶったりした。そんなことをされても、お父さんは手を引かず、少しばかり、 「ふふっ」  と笑っただけで、弥生のされるがままになっていた。 「ねえ、お父さん。もっと、チュッチュしよ?」  弥生は上目遣いをして、お父さんにキスをねだった。 「したいの?」 「うん」 「しょうがないやつだなぁ」  お父さんは弥生のあごの下を指先でコチョコチョくすぐって、するともしないとも言わなかった。弥生はもどかしくなって、 「ねぇ?」  と拗ねたような、媚びたような声色を出して、急かした。お父さんは、 「よし」  一言言って、弥生の体を両腕で抱き寄せた。そして、顔を近付けると、弥生の唇に自分の唇をくっつけた。弥生も抱かれながら、お父さんの唇を吸った。  しばらくの間、暗い部屋の中に、チュパチュパとキスの音が喧しく響いた。  弥生は幸せな気分に浸って、忘我の境地で、穏やかな微笑を浮かべていた。  しかし、そうしながらも、この幸福な時間はもうすぐ終わってしまうのだと気付いて、もうこれが最後なのだと思うと、どうしようもない物悲しさに襲われた。一旦悲しくなったら、その悲しみはひどくなるばかりで、とうとう泣けてきた。弥生はキスしながら、 「うぐっ」  と嗚咽を上げた。 「弥生、どうした?泣いているのか」  とお父さんは一旦、口離して、心配そうに訊いた。  しかし、弥生は、自分のそんな複雑な心理を言葉で説明するのは億劫だったし、そんなことはできそうにもなかった。その代り、弥生は単に、 「いいの。もっとして」  とだけ言って、自分からお父さんの口に吸いついた。  お父さんは内心では戸惑っていたのかも知れないが、そこは二人の娘の親なので、朧気ながらも、弥生の心中を察したようで、それ以上泣いている理由は訊かず、弥生の華奢な体を引き寄せて、胸の中にギュッと潰れる程に抱きしめた。お父さんからも、弥生に負けないぐらいの勢いでチュッチュッと唇を吸った。 「お父さん、お父さん」  弥生はメソメソ泣きながら、お父さんの口に武者振りついた。お父さんは、 「よし、よし」  と言って、優しく頭を撫でた。弥生は、 (お父さんは私のことを理解してくれている……)  と思った。  二人は抱きしめ合い、唇を合わせて、何度も何度もキスをした。弥生は恍惚とした精神状態の中で、いつの間にか寝入ったようで、そこから先の記憶は途絶えていた。  朝の光の中でその夢のような情景を頭に思い浮かべて、弥生は布団の中で寝そべりながら、一人顔を赤くした。その出来事が夢だったとしても、あまりに恥ずかしい夢だった。 (もし、それが現実だったなら……)  弥生はそう考えただけで、羞恥に身を悶えて、ギャッと叫んでしまいそうな気持ちになった。  それが夢だったのか、現実だったのか、それを知っているのはお父さん一人である。お父さんに訊けば、真実を教えてくれるだろう。弥生は、それを知りたいと思いつつ、確認するのは恐ろしかった。  そう思って、弥生はいつまでも布団の中でゴロゴロしていた。しかし、いつまでも寝ているわけにはいかず、二日酔いのだるい体を持ち上げた。  弥生は着替えを済ませて、居間に入った。  お父さんは食卓で万智に朝食を食べさせていた。弥生に気付くと、「おはよう」と言って、それ以上は何も言わなかった。しかし、意味ありげにニヤッとしたようだった。  そのお父さんの表情を見て、弥生は、 (ああ、あれは夢じゃなかったんだな)  と確信した。 108  一ヶ月後、お母さんの病状は改善し、療養所から退所することができた。  別荘に滞在する理由はなくなり、弥生たちは早々に元の家へ引っ越して、住み慣れた都会の生活が再開した。  家にはいつでもお母さんはいるし、お父さんは毎日出社し始めて、弥生と万智はまた転校して旧友と再会できた。  再びその生活に慣れてしまうと、別荘での数ヶ月の出来事が夢のように思えてきた。弥生は一人でお風呂の入っている時や、自分の部屋で一人で寝ている時などに、その当時の様々な記憶が蘇った。 (湯船でお父さんに抱っこされて入ったり、書斎で毛を剃ってもらったり、庭でおしっこしたり、お父さんと一緒に寝てチューしたり……。よくまあ、そんなことをできたもんだな)  弥生とお父さんの関係も、自然に昔のような状態に戻った。それは年頃の娘と父親にありがちな、お互いに不関心で不干渉な関係だった。  お父さんは、演技なのかどうかは不明だが、かつての無口で無愛想なお父さんに早変わりして、二人の間には何事も存在しなかったというような澄ました顔をしていた。お互いの暗黙の了解で、どちらからも、当時の話題には全くといっていい程に触れなかった。  ただ、弥生は内心、そういうよそよそしさが物足りなくなく感じることがないではなかった。  別荘で色々されて、泣きそうなぐらいに恥ずかしい思いをしたことも何度もあったが、もう、そういう機会はないのだと思うと、懐かしくもあり、寂しくもあった。しかし、その一方で、 (私も大人になるのだから、そういう甘えた精神は卒業しなければならない)  という意識も持っていた。  弥生は自分の膨らみかけの乳房に手を当てながら、それは可能だろうかと自問した。そして、「できるはずだし、できなければならない」という答えを返すことできた。弥生は、自分でも、少しは成長したと思った。(完)


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