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江戸山乱理
江戸山乱理

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『宮田家の別荘暮らしの春秋』(8)

十三章 布団の中の抱擁(89ー94) 89  最近、うれしい知らせがあった。  お母さんの病状に回復の兆しが見え始めたという。そのままいけば、二、三ヶ月以内にも療養所を退所できる可能性は十分あるらしい。 (じゃあ、もうすぐ、元の家に戻れるんだ)  弥生は期待に胸を膨らませた。  今通っている学校を去ることに未練はなく、元の家に戻って、前の学校に戻れるのは歓迎だった。この田舎の学校を毛嫌いしているわけではないが、弥生は一人だけ都会からの転校生ということで、クラスの中では、どことなく浮いた存在だった。  都会っ子だからといって、変に排斥されることはなかったし、また、母親が療養所に入っているということで、皆は同情してくれた。しかし、高学年の女子ともなれば、お互いに社交辞令的な表面だけの付き合いというものをできるので、よそよそしい付き合いに止まっていた。  おそらく、遅くても晩秋か初冬までには元の学校に戻れるという公算が高いと聞かされて、 (昔の仲の良い友人たちと一緒に、卒業式を迎えることができるかも)  と弥生は考えた。そういう楽天的な展望が見えてきたので、 (別荘での生活も残り少ないみたい。せっかくだから、それも楽しんで過ごそうか)  と思う余裕さえ出てきた。 90  ただ、最近、ひどく寒くなってきた。今年だけが特別なのか、山奥だからそうなのかは分からないが、秋が始まったかと思うと、気温は急激に下がった。早くも冬物のセーターを出して着たり、夜には布団を三枚も重ねて寝た。 「この頃、やけに寒いね」 「そうだね。でも、もうすぐ元の家に戻れるよ、きっと」 「いつになるかなぁ」 「本格的に寒くなる前に、戻れたらいいね」  近頃、弥生と万智は顔を合わせれば、そのことばかり話していた。  その夜も、寝る前に寝床でそんな会話を交わした後、二人は眠りについた。  その日は特に風も強く、別荘の作りもボロいので、ギシギシと家がきしむのが不気味だった。部屋の中にも、どことなく隙間風が吹いているようだった。  夜中、弥生は目を覚ました。横からは、モゴモゴと万智の寝言が聞こえてきた。どうやらそれで起こされたようだった。闇を透かして見ると、万智は苦しそうにうなされていた。弥生は見兼ねて、万智の肩を揺すった。 「万智、万智、どうしたの?うなされてたよ」 「……ん、ああ、夢か。私、なんか怖い夢見てたよ」 「そうなの」 「はぁ、怖かった……」 「単なる夢だよ。もう大丈夫だから、寝なさい。それ、布団が重すぎんじゃない?」  弥生はそう言って、万智を宥めた。万智は一旦、目をつぶったが、枕から頭をもたげて、 「ねぇ、お姉ちゃん」  と言った。 「どうしたの?」 「私、こわいよ」  万智は弱々しい声を出して、腕を伸ばして、弥生の手を握った。弥生はもう眠たかったのだが、邪険にするのも可哀そうかと思って、自分も万智の手を握り返してやった。  二人はしばらくそうしていた。 (もう、これぐらいで満足したかな?)  と弥生は思っていると、万智は、 「ねぇ、そっちに移ってもいい?」  と訊いた。 「私の布団に?」 「そう。ダメかな……」 「うーん、まあ、いいよ」 「ありがとう」  万智は早速自分の布団から這い出して、弥生の布団をめくった。仔犬が親犬の懐に潜り込むように、万智は顔を弥生の胸にピタリと寄せてきた。弥生は内心、やや戸惑いながらも、 (まあ、しょうがないか)  と諦めて、「おいで」と言って、万智の小柄な肩を抱いて、自分の方へ引き寄せた。万智の小さな頭をナデナデしながら、 (まあ、たまにはこういうお姉さんらしいことを妹にしてやるのもいいかな)  とちょっと得意な気持ちになった。  ただ、万智の方は、他人に甘えるのはいつものことなので、そのやり方も堂に入っていて、横になりながら、上目づかいで、 「ね、お姉ちゃん、しばらくこうしていさせてね?」  と少し舌足らずな声を出した。弥生は母性本能をくすぐられて、不覚にも胸がキュンとときめいて、思わず万智をギュッと抱きしめた。 「うっ。お、お姉ちゃん、苦しいよ……」  と万智が言ったので、弥生は慌てて腕の力を緩めた。 (万智って、赤ちゃんがえりしているみたい。お母さんがいないと、万智ぐらいに小さい年だと、そうなるのかな)  と弥生は、万智の乳臭い匂いを嗅ぎながら思った。もっとも、弥生自身、お風呂でお父さんに同じように甘えて抱いてもらっていたので、人の事をあまりとやかく言えなかったが。  ともかく、この一時は、弥生は優しいお姉ちゃん振りを発揮して、一つの布団で二人身を寄せ合って寝た。少し窮屈だったが、お互いの体温でヌクヌクと温かく、たまにはこんな風にして寝るのもいいと思った。弥生はいつの間にか寝入った。 91  朝食の時、万智は昨夜の話をお父さんにした。 「昨日ね、私、怖い夢を見ちゃったよ」 「へぇ」 「それでね、怖かったから、お姉ちゃんの布団に入って、一緒に寝たの」 「そうか。弥生は優しいね」 「うん、ギュって抱きしめてくれたよ」  弥生はその会話を横で聞きながら、 (それほど良いお姉ちゃん振りをしたわけではないけどね……)  と思ったが、特に否定する必要もないので、聞き流しておいた。別に悪いことをしたわけではないが、秘密をバレされたようで、くすぐったい気持ちになった。  お父さんは万智に、 「今度、怖い夢を見たら、その時はお父さんの所に来てもいいよ。一緒に寝てやるよ」  と言った。 「本当?じゃあ、次はそうする」  と万智は身を乗り出すように言った。万智はその言葉を本気にしたようだったが、弥生には、 (それって、万智を安心させるために言ってるだけだよね……)  というように思えた。  その日の夜、万智は、 「お姉ちゃん。今夜は、私、お父さんと一緒に寝るね」  と言って、部屋を出て行こうとした。弥生をそれを聞いて、 「本当にそんなことするつもり?お父さんに、『いいよ』って言われたの?」  と一旦は制止した。お父さんの迷惑になるのではないかと思った。 「言われたよ。今日の朝」 「本気で言ったんじゃないんじゃないの?」 「ん……、どうかな。まあ、行って頼んでみる」 「せっかく、布団敷いてあげたのに」 「ダメって言われたら、戻ってくるから」  万智はそう言って、自分の枕を持って、本当に部屋から出て行ってしまった。一人残された弥生は、 (お父さん、どうするつもりかな?)  と、その対応が非常に気になった。照明も消さず、布団の中で目をパチパチさせていた。  万智の戻ってくる足音が聞こえてくるのを期待して、弥生は耳を済ませていたが、いつまでたっても、部屋の外の廊下はシーンと静まりかえったままだった。 (これだけ待っても、戻ってこないってことは、万智は本当にお父さんの部屋で寝てるってことだよな。じゃあ、もう待っていてもしょうがないし、私も寝るか……)  弥生は、自分でも説明できなかったが、なぜか少し不機嫌な気持ちになった。照明を消して、暗い部屋で一人横たわっていると、急に心細い気持ちになった。万智の存在が恋しくなった。 (私、こんなに寂しがり屋だったのか……)  と自分でも意外に思った。目をつぶって、無理をしてでも寝ようとしたが、なかなか寝付けなかった。 92  翌朝、弥生は目を覚ますと、すぐに隣の布団に目をやった。その布団は無人で、乱れた様子もなかった。 (万智は一晩中、お父さんの部屋にいたのか……)  弥生は寝不足気味で、頭が重かったが、食卓からは話し声が聞こえて来たので、目をこすって起きた。  食卓ではお父さんと万智はすでに席についていた。 「おはよう」 「おはよう」  あいさつをした後、弥生は朝食を摂りながら、さりげなく二人を観察した。気のせいかも知れないが、お父さんと万智は、お皿のおかずを一緒に食べたりして、変にベタベタしているようだった。  そんな光景を見せられて、弥生は少し躊躇したが、質問したい気持ちを我慢し兼ねた。 「ねえ、万智。昨日は一晩中、お父さんの部屋で寝たんだよね」 「そうだよ。一緒に寝たよ」 「一緒に?」 「そう。お父さんの布団の中で」  万智はそう言って、「ねっ?」という表情をお父さんに向けた。それを見て、弥生は、 (うらやましい……)  ともどかしい程に思った。それが正直な感想だった。そんなことで妹を嫉妬するのはあさましいと自分でも分かっていたが、そういう感情がフツフツと湧いてくるのは、どうしようもなかった。  ただ、弥生は嫉妬の気持ちを顔には出さず、辛うじて真顔ではいたが、その能面のような顔の裏では、 (昨晩から感じているこの不愉快な気持ちの正体は、万智への嫉妬だったのか……)  とようやく自分の心理の機微を理解できた。  もっとも、理解できたとはいえ、それが氷解するわけではなかった。むしろ、明瞭になった分だけ、その嫉妬は心の中でより強く膨らんだだけだった。  もし、年齢が近ければ、たとえ姉でも、「万智だけずるいよ。次は私の番だからね」などと言い立てることも許されただろう。しかし、四歳年上という弥生の立場では、そんな子供っぽい我儘は、グッと我慢せざるを得なかった。「寂しい」などという本音をもらすわけにはいかないのは、お姉ちゃんの辛い所だった。  その夜も、万智はお父さんの部屋で寝るつもりらしかった。  万智は弥生に、 「今日は、私の分の布団、敷かなくていいよ」  とさえ言った。弥生の耳には、それが自慢のように聞こえた。弥生は、嫉妬しているなどと思われないように、さりげなく、 「二日連続はお父さんに迷惑じゃない?」  と遠回しに訊いてみた。しかし、万智は、 「そんなことないと思うとよ」  と自信たっぷりで、そんな心配は全然してないようだった。  本人にそのつもりはないのだろうが、弥生には、万智が「私、お父さんにたくさん可愛がられているんだよ」と言わんばかりに、お父さんの寵愛を誇っているようにも感じられた。弥生は複雑な気分で、 「そっか……」  と弱気につぶやいて、見送った。  昨晩に引き続いて、弥生は一人ぼっちで寝ることになった。 (今、万智はお父さんと一緒に寝ているんだよな)  そう思うと、寂しさと嫉妬の感情で眠れず、転々と寝返りをうった。 (私も、そうして欲しい……)  弥生は眠れないまま、その願望が現実化する可能性について考えた。  まず明らかに言えることとして、元の家に戻ってしまえば、それはもう絶対に無理だろう。お母さんが子供達にそんな甘えた振る舞いを許すとは到底思えなかった。つまり、それが可能なのは、この別荘にいる間だけだった。弥生は、それぐらいのことはすぐに理解できた。 (じゃあ、もう時間は限られているってことか。機会を見つけるなら、できるだけ早くしなきゃ……。でも、どうやって……)  ふと、万智の存在が邪魔に思えてきた。自分一人だけだったら、それは簡単に実現するだろう。 (私、ひどいこと、考えているな……)  と弥生は独り布団の中で苦笑した。 (いっそ、思い切って、正面から、『私に交代して』と万智に頼んでみようか?万智は気軽に『いいよ』と言ってくれるのではないだろうか……)  暗い部屋の中で、色々と想像を巡らしているうちに、いつの間にか、寝入ったようだった。 93  数日が経過した。  もう万智はお父さんと一緒に寝るのが習慣のようになった。一方の弥生の状況は、依然として何の変化もないままだった。毎夜毎夜、一人寂しく寝る弥生だったが、それはそれでもう慣れてきた。  ある日の夜中、弥生はおしっこをしたくなって、目が覚めた。 (どうしよう。お手洗いに行こうかな。でも、面倒だな)  少し迷ったが、朝まで我慢できそうにないので、やむなく布団から出た。夜気は肌寒いぐらいで、身を縮めて、早足でお手洗いに向かった。  用を足し終わって、お手洗いから部屋に戻る途中で、お父さんの部屋の前を通りかかった。そこで足を止めた。 (この襖の向こうでは、お父さんと万智が一緒に寝ているんだよな。どうやって寝ているんだろう?抱いてもらっているんだろうか?)  弥生は急にその様子を知りたくなった。しばらく、廊下で佇んで、部屋の内部の気配をうかがっていたが、物音一つしなかった。 (二人とも寝ているな。部屋の中をのぞいてみようか……)  そんなことをしてはいけないと知りつつも、好奇心に負けて、弥生は襖をソロソロと音がたたないように、五センチ程開いた。  その隙間に顔を近付けてのぞき見ると、暗い部屋の中に白い布団が浮かんで見えた。そして、そこにはこんもりとした一塊の膨らみがあった。その輪郭から、掛け布団の下の様子は、だいたい想像がついた。お父さんと万智は胸をくっ付けるようにして、身を寄せ合って寝ているらしかった。 (万智は毎晩、こんな風にしてもらっているのか。いいなぁ……)  弥生は自分もそうして欲しいと改めて感じた。それと同時に、自分だけが仲間外れにされているような寂びしさを覚えた。  しばらく、そのまま物欲しそうに眺めていたが、布団の下でお父さんが体を少し動かした。弥生はそれを見て、慌てて襖を閉めて、その場を立ち去った。 94  最近、寒くなってきたということもあって、弥生にとっても、入浴は毎日の中での幸せな時間だった。湯船の中でお父さんに抱っこされながら、その腕に中に身を委ねて、ウツラウツラするのはなんとも言えない風情だった。  そのような体験も、元の家に戻ればもうできなくなるだろうから、今のうちにタップリ堪能しておこうと思った。弥生は名残りを惜しむ気持ちで、熱いお湯の中、体が火照っても、我慢してゆったりつかっていた。  ただ、ゆったりと言っても、ニ十分程度だった。万智は毎晩、何時間もお父さんに抱かれているので、それに比べると、ほんのわずかな時間だった。そういう事情もあって、弥生にはそれが掛け替えのない一時に思えた。  弥生とお父さんは、特に会話もすることもなく、ただボンヤリと湯船につかっていた。  その時、何の前置きもなく、お父さんは、 「弥生。今夜は一緒に寝ようか」  と言った。しかし、とっさのことで、弥生は意味をとらえかねて、 「えっ」  と振り返って、訊き返した。 「今夜は一緒に寝ようか」  お父さんは繰り返した。弥生は言葉に詰まった。お父さんの言っている意味は理解できたが、何と答えたら良いのか分からなかった。弥生は自分でも驚いたが、 「ううん、一緒には寝ない」  と、本心とは真逆なことを言ってしまった。そう言った直後に、 (ああっ。私、なんで断ったんだよ?)  と心の中で叫んだ。 「あれ、そうなの?本当に?」  とお父さんは、拒絶されたことが意外のようだった。 「そう。本当に」  弥生は一度断った手前、今更「実は、私、お父さんと一緒に寝たいの」などとは言えなくなってしまった。しかし、内心では、 (せっかくお父さんから誘ってくれたのに。もう、こんな機会なんてないぞ……)  と後悔し始めた。 「ふぅん、そうかい。なんか、一緒に寝てほしいって顔をしていたからね……」 「そうかな。私、そんな顔、したことはないよ」  弥生はどうしても素直になれなかった。  また、心の片隅には、お父さんはからかっているだけなのではないかという疑念もあって、そういう理由でも、弥生は無難に答えておこうと思ったのだった。 「本当にしなくていいのか?」 「しなくていい」  弥生は前を向いたまま、低い声で言った。 「そうか」  お父さんは、それ以上の無理強いはしなかった。結局、弥生は本音を言えないまま、その話は終わってしまった。  せっかくの機会をこんな形で自らフイにしてしまったことに、弥生は我ながら忸怩たる思いだった。しかし、それと同時に、 (でも、しょうがないか。私ぐらいの年齢でお父さんと一緒の寝たいなんて望むのが、そもそも無茶な話なんだよ……)  という諦めの気持ちでもあった。 十四章 お父さんの胸の中で(95ー99) 95  夕食の後、弥生と万智は自室でパジャマ姿でくつろいでいた。  もう夜も更けてきたので、弥生は布団を敷こうと思って、押し入れの襖を開けた。すると、万智が、「あれっ」と声を上げて、 「お姉ちゃん、今日はお父さんの部屋で寝るんじゃないの?」  と訊いた。 「どういうこと?」  と弥生は逆に訊いた。 「さっき、お父さんがそう言ってたよ」 「うそっ」  弥生は自分の耳を疑った。 「そう言ってたけどね」 「ねえ、万智。その話、本当なの?」 「本当だよ」 「お父さん、なんて言ってた?もっと詳しく教えて」 「詳しくって……。私はそれ以上は知らないよ」  弥生と万智でそんな会話をしていると、ちょうど部屋の襖が開いて、お父さん本人が入ってきた。 「あっ、お父さん、ちょうど良かった。今日はお父さん、お姉ちゃんと一緒に寝るんだよね?」  と万智は率直に訊いた。 「ああ、そうだよ。だから、今日は万智はこの部屋で一人で寝るんだぞ」 「う、うん……」 「いいね?」 「分かったよ。大丈夫。それにしても、お姉ちゃんもお父さんと寝たいと思っていたんだね」  万智は意味ありげにニヤニヤした。それは、「お姉ちゃん、本当はまだ一人で寝るのが寂しいんだね」といわんばかりの表情だった。弥生は図星を突かれて、ちょっとムカッときて、何か言い返してやろうかと思った。しかし、それより早く、お父さんが口を開いて、 「万智、それは違うよ」  と言った。 「違うってどういうこと?」 「お父さんが弥生と一緒に寝たいと思っていたんだよ」  とお父さんは言って、弥生の顔を立てた。万智はそれを真に受けたのか、 「へぇー、そうなの」  と、ちょっと解せないという様子だった。 (お父さん、ありがとう)  弥生は自分の本心を理解してくれたお父さんに感謝した。 「じゃ、弥生。おいで」  お父さんは弥生の手を握った。弥生は「うん」とか細く返事をしたが、いざとなると、 (本当に良いのかな?)  と思って、胸はドキドキして、のどはカラカラに乾いた。 「枕は自分のを持ってきなさい」 「あ、そうだった」  弥生は自分の枕を胸に抱えた。 「行ってらっしゃい」  万智は手を振って、変なあいさつをして、二人が部屋から出て行くのを見送った。 「うん、行ってくるね」  弥生は左手で枕を持っていて、右手はお父さんにつかまれていたので、手を振る代わりに、軽くうなずいた。 96  弥生はお父さんの後について、廊下を歩いていった。ここ最近は、図面を描く手伝いをしていなかったので、お父さんの部屋に入るのは久しぶりだった。  敷居を跨いでまず目に入ったのは、すでに敷かれていた一組の布団だった。 (この布団の中で、二人一緒に抱き合って寝るのか……。しかも、一晩中……)  弥生はそう思うと、躊躇したが、今更後には引けなかった。  お父さんは、そんな弥生の気持ちにかかずらうことはなく、 「じゃあ、寝ようか」  と普段と同じ調子で言った。早速、その場にしゃがんで、掛け布団の端をめくって、「さあ、寝なさい」と言うように、弥生を見た。弥生は促されて、オズオズと遠慮がちに、布団の端の方にそっと身を横たえた。  お父さんは天井の照明の紐を引っぱって、消そうとした。 「豆電球は点けておいてよ」  弥生は叫ぶように言った。いきなり真っ暗闇にするのは抵抗があった。 「これでいい?」 「うん」  部屋は暗くなったが、お互いの表情ぐらいは見分けがついた。  お父さんも布団にゴロリと身を横たえた。二人は仰向けに横並びになったが、両者の間には微妙な隙間があった。弥生はチラリと横を見ると、お父さんと目が合った。 「何だい?」 「何でもないよ……」  弥生はちょっと気まずくなって、また向き直って、天井を見上げた。 (お風呂では毎日、抱っこされているんだから、こんなことで照れる必要はなんだけど、なんか照れちゃうな……)  その心理は弥生自身でも不思議だった。 「遠慮しなくていいよ。もっとこっちにおいで」  お父さんは弥生をグイッと引き寄せた。二人の体は密着した。弥生はお父さんの腕の中でギュッと圧迫されて、「あうっ」と声が出た。少しだじろいだが、お父さんに横抱きにされたまま、ジッとしていると、そのうちほのぼのとした気持ちが湧いてきた。 (ああ、そうだ、私が望んでいたのは、これだ。私、お父さんにたった一度でもいいから、こうして欲しかったんだ。そして、それが今、叶ったんだ……)  弥生は感動を覚えた。しかし、それを言葉でどう表現していいのか分からなかったので、態度で示そうとした。弥生はお父さんの胸に自分の顔を擦り付けた。それによって、お父さんへの愛情を伝えたつもりだった。  お父さんはそれに応えるように、弥生の頭を優しく撫でた。その動作は自分が可憐だと思う相手への愛情表現だった。弥生も万智にそうしてやったことがあるので、その意味は十二分に理解できた。 「弥生は大人しいね。万智は万智で可愛いけど、あいつは寝入るまで、布団の中でソワソワして、落ち着きがないからね」 「そうなの。ふふ」  二人の間にはもう言葉は不要だった。黙って見つめ合うだけで、お互いの思いはそれぞれの心に響いた。 97  弥生は目をつぶって静かにしていたが、妙に頭が冴えて、眠れなかった。 「まだ、起きてるの?」  とお父さんは小声で訊いた。 「うん」 「眠れない?」 「うん」 「じゃあ、一つ頼んでいいかな」 「いいけど、何?」 「パジャマを脱いで」 「……。なんで?」  弥生は顔を上げて、お父さんを見上げた。お父さんは極真面目な顔をしていて、ふざけているようには見えなかった。 「弥生の裸を見たいからだよ」  とお父さんはその真面目な表情のまま言った。 「私の裸を?でも、お風呂でこれまで何度も見たことあるじゃん。今日だって」 「いいじゃないか。じっくり見たいんだよ」 「はあ、そうなの」  弥生は、なぜお父さんがいきなりそんな突拍子もないことを言い出したのか、腑に落ちない所もあったが、面と向かって頼まれたので、(まあ、いいか……)と思って、上体を起こして、自らパジャマを脱ぎ始めた。  まずは上着のボタンを外し始めた。すると、お父さんも手を出してきて、結局、脱がせてもらった形になった。 「下も?」  と弥生が訊くと、お父さんは「うん」とうなずいた。弥生はお尻を浮かして、パジャマのズボンも脱いだ。  さらに、パンツに手をかけて、一応はお父さんの方を見ると、 「パンツまではいいよ」  と、それは押し止められた。  お父さんは、脱ぎ捨てられたパジャマの上下を器用にクルクルと畳んで、布団の横に置いた。  弥生はパンツ一枚の下着姿で、布団の上で膝を崩して座った。お父さんの意図が分からず、若干不安な気持ちに襲われた。 「寒くないよね」 「大丈夫」 「もっと、楽にしなさい」  とお父さんは、弥生の縮こまった手足を伸ばそうとした。弥生は、 「じゃあ、こんな感じでどうかしら?」  と冗談めかしく言って、布団の上に横たわって、片膝を立てて、片肘をついて頭を支えた。それはどこかで見知った艶めかしいポーズだった。しかし、お父さんは、 「普通にしてて」  と言って、弥生を仰向けに寝させた。 98  お父さんはズイッと身を寄せた。そして、右手を伸ばした。弥生の痩せた胸の上に、お父さんの大きな手の平が乗った。それはのど元から、肋骨の上を進み、みぞおち方へ移動していった。  弥生は、自分のお腹の上を動き回るその手を他人事のように眺めながら、 (お父さん、なんでこんな風に、私の体をベタベタ触るのだろう?)  と少し訝し気な心境になった。 (私が犬や猫を見かけたら、何となく撫でたくなるのと同じで、大した意味はなく、単に撫でているだけなのかな?)  横目でお父さんの様子をうかがうと、表情は平穏で、ふざけて嫌がらせをしているという様子ではなかった。そのため、「お父さん、私のお腹をそんな触りたい?」などと言って茶化すのは憚られた。 (まあ、させておこうか……)  ただ、皮膚を這うその手指の感触はくすぐったくてしょうがなかった。弥生はお腹に力を入れて、笑うのは我慢したので、薄い腹筋はヒクヒクと波打った。  お父さんは依然として、弥生の体を撫でていた。そうしながら、唐突に、 「弥生の肌はきれいだね」  と言った。いくら弥生が年若いとはいえ、それはお世辞だというぐらいの分別はついた。歯の浮くようなセリフに、逆に弥生の方が気恥ずかしくなったが、内心、褒められて悪い気はしなかった。 「こんなに暗い中で、きれいって分かるの?」 「手触りで分かるよ」 「ふーん……」  弥生は薄暗い密室の中で、父親とはいえ、異性と二人きりで長時間過ごしていたせいで、あたかも、恋人といるような気分になった。表情は無心な風を装っていたが、自分でも持て余す程に気分はウキウキと弾んでいた。もっとも、弥生は今まで恋人などいたことはなかったが、 (もしいれば、こういう気分になるんだろうな)  と思った。  万智とお父さんの仲が良いと言っても、所詮それは親と子の関係でしかない。しかし、弥生は、今の自分とお父さんの関係は恋人同士のように思えて、万智に対して優越感を覚えた。 (お父さんは今、どんな気持ちなんだろう。私と同じことを思っているんだろうか?)  そんな取り留めのないことを考えていると、いつの間にか、お父さんの右手は下方へ移動して、弥生のパンツの中へ潜り込んで行った。 (あれ……。恋人同士ならこんなことしないよな。いや、むしろ、恋人同士だからこそ、こんなことをするのだろうか……)  弥生には何とも判断はつき兼ねた。  いずれにせよ、お父さんの右手は、弥生が無抵抗でいるのをいいことに、パンツの内側のさらに奥へ進んで、股間の丘の表面をなぞり始めた。 99  数日に一回、お父さんは弥生の股間の発毛の具合を調べる検査を行っていた。それは多くの場合で、お風呂の中で行われたが、書斎での手伝いの時にされることもあった。場所がどこであれ、そうされる時には、弥生はジッと身を横たえて、お父さんにされるがままに任せるという習慣だった。そのため、今も股間をまさぐられながら、そのくすぐったさを無抵抗の状態で耐えていた。  しかし、今回に限って、いつもより長い時間をかけて、しかも、手付きも念入りだった。その執拗な刺激に、弥生は不覚にも、「んっ」と声をもらしてしまった。とうとう、「こないだ、剃ってもらったばかりだから、まだしなくていいでしょ?」と言いたくもなった。  しかし、少し考え直して、元の家に戻ったら、そもそも剃る必要もなくなるだろうから、お父さんにこんなことをされるのも、今のうちだけだろうと気付いた。後、何回そんな機会があるだろうかと思うと、名残り惜しい気もして、弥生は自ら股を大き目に開いた。 「お父さん、どんな感じ?」 「うーん、そうだね……」 「……」 「うん、まだ、剃らなくいいかな」  お父さんはそう言って、手をパンツの中から引き抜いた。その時、何かが指先に付着したらしく、お父さんは自分のパジャマの裾で指を拭った。弥生は視線をそらして、それを見なかった振りをした。 「お父さん、万智にもこんなことをしたの?」  と弥生は照れ隠しのように訊いた。それは、股間を触るという意味と、体をなでるという意味の両方を含ませて、曖昧に訊いたつもりだった。 「するけど、でも万智はすぐにくすぐったがって、いやがるんだよ。万智はまだ乳臭いね」  とお父さんは言った。弥生はそれを聞いて、体臭のことを言っているのかと思って、 「じゃあ、私はどんな匂い?」  と訊いた。 「匂い?そうだね、じゃあ、嗅いでみようか」  お父さんは顔を弥生の胸に接触するぐらいに近付けて、鼻をクンクン鳴らした。 「……どうかな?」  弥生は、くさいとか言われたらどうしようかと少し心配になった。  お父さんは、しばらく嗅いでいたが、やがて顔を上げて、 「健康そうな匂いだね」  と言った。その無難な答えに、弥生ははぐらされた気分だった。


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