9月もありがとうございました!
先日ラフを載せておりました、抱き枕カバー・ロングタペストリーの販売ページができました。
「等身大の私を愛して!!フェスティバル」と言うメロンブックスさん主導の企画にお声がけいただきました。
1枚売れるごとに自分には約1000円入る仕組みなので、たくさん売れてくれると嬉しいです。
綾奈は作中でいっぱい中出しされまくってるので、もはや局部丸出しでも恥ずかしがる事はないんですが、グッズ製造上局部のボカシが厳しいのでパンツはつけっぱなしになってます。
パンツの上からなら多少スジを描いても修正に引っかかりにくいので着衣の上から食い込ませてます。くぅ。
自分からはまず作れる額のグッズではないので、期間が短いのですがこの機会にお求め頂けますと幸いです。
・出雲へ行って来ました
親に誘われて9月末に3日間出雲に行ってきました。
旅費は親に甘えています。なんというダメ息子。。
未婚41歳の自分に縁結びをさせたい親心なのかしら・・
寂しい話なんですけど、最近70代の親の姿がかつて小学生の頃に見た祖父母に重なるんです。
もうおじいちゃん、おばあちゃんの年齢。
自分が20代で結婚していたら、今もう小学生の子供が居たかもしれず、親を祖父母として会わせることができたわけで。
時間が過ぎていく残酷さを感じます。
あと何回家族旅行が出来るかわからないので、向こうから誘われた時にだけ出来るだけ同行するようにしています。
41歳にもなって親と旅行は恥ずかしいなと思う所もまだあるんですが、他人の目なんざ知った事かと銀英伝のアッテンボローの精神で図太く生きる精神。
親的には「サンライズ出雲」に乗れるツアーが取れた!お前も来い!と言うノリだったみたい。
病気から回復し、今は自分よりも元気です。
なんか最近全然取れないらしいです。サンライズ出雲。
2段になってる個室寝台車。
運行開始からそろそろ30年近くになるのに綺麗にしています。
自分の席は壁に補修の跡があり、歴史を感じさせます。
寝返り打って膝でメキッと行ったんだなと想像がつきます( ^ω^ )
運行開始が1998年7月。この当時はまだスマホが無かった時代。
深夜の大阪駅。寝台列車は誰も居ないホームに乗り入れるのが醍醐味の1つ。
小学生の頃、故郷に帰る時に数回乗った「ブルートレイン」をイメージして作った曲を流しながらサンライズの車窓を見ていたんですが、「ブルートレイン」の「あの非日常感」は厳密にはもう2度とこの国で体験できないものなんだなぁと感じました。
昔つくった曲を聴くと不協和音ギリギリって感じで恥ずかしくなりますが、あの時感じた心情を思い出せるので、作って残しておくのは大事だなって思います。
人口減少と飛行機の低価格化により、今では高級志向のカテゴリーになっちゃった寝台列車。
90年代は飛行機よりやや安いのが寝台列車と言う位置付けだったように記憶しています。
90年代前半に乗ったブルートレイン・ B寝台の、あの素っ気ない内装。カーテン一枚で夜通し走る車両の中で寝る事・・
今風の言葉で言うと列車版のバックパッカー用ゲストハウス。
見ず知らずの人と相席2段で列車の中で眠る非日常感。
それと比べるとサンライズ出雲は大幅に進化して、90年代特有の丸みのある優しげな内装がイイ感じでした。
非日常感はブルートレインと比較すると残念ながら薄まっちゃうのは否めないけど、末長く運行してほしい所。
かつてのB寝台。
日本が面白いのは宿泊する場所には必ず浴衣がついてくる事。
浴衣があるだけでそこはどんな場所でも旅館的宿泊地になります。
形から入る日本人特有の感じ。
きっと宇宙時代になっても浴衣の伝統は残るのでしょう。
サンライズにも浴衣は一応あるんですが、何故か襟がついた浴衣とバスローブが合体したヘンテコな服。スーパー銭湯にあるような感じというか。
ここはド直球に従来の浴衣であってほしかった。
・ロビーカーがない!
サンライズ出雲はロビーカーがないんです。
シャワールームのある車両にミニサロンというのがあるんですけど、小さ過ぎてサロンと言うよりも腰掛け空間という感じ。
基本的に全席個室なのでロビーは必要ないと言えば必要ないんですが、ロビーカーまであればだいぶ雰囲気変わるだけに惜しい。
サンライズは瀬戸と出雲が岡山で分離するので、その際ロビーカーを瀬戸用と出雲用に2台用意しないと不公平感が出てしまう問題が、申し訳程度のミニサロンに置き換わった原因なのかも。
・シャワー室はチケット買って、かならず利用しよう!
サンライズ出雲に乗ったら、すぐにシャワー券を買ってシャワールームは絶対使うべきです。
サンライズ出雲のシャワールームは2つあって(3・10号車)、シャワールームがついてる車両から乗るとミニサロンを経由するためシャワー券発行場所までが遠くなり、それぞれその隣の号車(4・11号車)から乗るのが最短ローカルルールらしく、実際それに従うとちゃんと4・11号車の入り口にシャワー券待機列が形成されていました(書いてあるわけじゃないけど、みんな同じ情報をググってきて目的は同じ面構えをしているので雰囲気で分かる
うーん、郷にいれば郷に従えですなぁ。先人の知恵!
ガタンゴトンと揺れる車内、深夜のシャワー室
「今、俺、大阪過ぎたあたりの線路上を移動しながら素っ裸になってシャワー浴びてる、日本で唯一の人間なのだ・・」
と言う謎の特別感に浸れます(サンライズは1日1本だけ)
シャワー後にロビーカーがあればゆったりもできるだけに、重ねてロビーカーが無いのが残念。
ある意味これが数年後にブルートレインと同じ「旅情」として認定されるようになるのかな。
結局自分は思い出として熟成されて美化された時間を「旅情」と言ってるだけなのかもしれない・・
自分にとってトップ3の絵本を上げるなら、まちがいなくその1つに入る「はしれ、きたかぜ号」
子供の時にこれを読んだ時、祖父母の待つ故郷への郷愁と、一人旅の不安さが見事に描かれていて物凄くリアルに感じられた思い出があります。
それから色使い。緑色をここまで印象的に使った絵は初めてで今でも凄いなと思います。
この色合いが子供心に良かった。
サンライズ瀬戸を切り離すと、サンライズ出雲は岡山から出雲まで縦断していきます。
道中は里山が多くなり、稲穂が黄金色になり始めた田んぼが一面に見られるようになるので「桃太郎」の話が生まれてくるのも納得の雰囲気。
平野に住んでると、連なる里山があってそこから雲がモクモクと立ち込める風景を拝む事がないので、この風景をいつも見れるだけでもこの地の人々が羨ましい。
今年初めにやはり親に誘われて行った弾丸ツアーの「妻籠」でも、山から霞のように雲がモクモク出てくる風景に「これを見た昔の人は、山が生きてて湯気出してるように見えたろうなぁ」と思ったので、神話が作られる過程を追体験する気持ち。
日本では山や川、大地は生き物であり、古来からずっと親しみやすく擬人化して付き合ってきたのであろう事は、今日のキャラクター文化を見るとよく分かります。
あらゆるものを「ひと(キャラ)」に置き換えて付き合う、これが日本人の感覚。
道端のお地蔵さんも無意識に「ひと」だと思ってしまうから、「見られてる」と思って思いとどまったりして一定の犯罪抑止に繋がってると思う。
ただ、最近は「推し」というアイドル用語が日本のキャラクター文化に悪い影響を与えていて、SNSで推しキャラクターに熱狂するあまり全体的にやや宗教化している危険性を感じます。
「非実在のキャラクター」で諍いを起こす事ほど危険で人生に無益な事はないので、自分はその辺めちゃくちゃブレーキ踏んでSNSやってます。
どこまで他人と共有するか、ハマり方と楽しみ方のバランスが大事。

確定申告も終わって一息つきました。 skebリクエスト、pixivリクエストも本当にありがとうございます。 メッセージもありがたく拝読させて頂いております。 ・タートルズカワバンガコレクション終売 今月29日で販売終了との事。 もうカワバンガできなくなる・・買っとかなきゃ!! ・飛騨高山 下呂温泉 先日、親に連れら...
平地に住んでると、雲はどこからか流れてくるものですけど、
山から海から雲が生まれ出るような風景はまさに「出雲」という感じでした。
稲佐の浜
出雲の10月は「神在月」と言われ、日本全国から八百万の神様が海経由でこの浜から出雲大社へとやってきます。いわばここは玄関口。
出雲大社の本殿内の御神体は、この稲佐の浜の方を向いて納められているそうです。
一度見てみたかった出雲大社の巨大しめ縄。
これを人力で編むと言うのが凄い!
「しんかい6500」がもう作れない理由の1つに、チタン耐圧殻をもう作れない(技術者の引退・企業にももう設備が無い)と言うのがあるそうですが、世の中には技術が途絶えると物理的にもう作れないものがいっぱいあります。
このしめ縄もおそらくそうでしょう。
出雲大社にはかつて高層神殿が存在したらしく、それを支えていた柱がここに埋まっていたという目印がつけられています。
何も知らずにこれを見ると、マンホールか床のデザインかと特に気に留めずに居てしまうんですが、由来を知ると古代から現代に続く歴史にキュンキュンしてしまいます。
今の姿が過去からずっと続いてきたと思いがちですけど、いろんな改修を経ての今の姿であり、その過程で無くなったものもあり、それが後に発見される・・と言うのはキャラクターモノにも通じる「歴史が持つ魅力」です。
玉造温泉
玉造温泉内にある有形文化財「幽泉亭」
ここはとてもよかったです。玉造温泉に行かれた際は是非♡
・
この旅行に出る直前に「ブルーシード」を全26話一気見したので、勾玉を見ると若干恐怖心が出ちゃうんですが、勾玉の発祥地との事で温泉街あちこちに勾玉が散りばめられていました。
ブルーシード内では勾玉によって「アラガミ」と言う化け物に変わっちゃうんです。
勾玉って、山菜の「ぜんまい・こごみ の形」に見えるなって思えた灯籠。
ブルーシードにもこの形の植物が出てくるんですけど、勾玉の形を模したものだったのかも。
・ブルーシードにちょっと脇道
ブルーシード、90年代当時リアタイで見てたんですけど、1話でも見逃すとその後が繋がらなくなる作りだったので、当時飛び飛びで見てた自分は途中でよく分からなくなってそのままだったんですが、41歳にして見直してようやく分かりました。
正直当時は萌え系のもっとユルいものと甘く見ていたんですが、日本神話をベースにおき、そこにパトレイバーの特車2課・七人の侍・巨大怪獣モノ・戦隊モノ・Gガンダムのマスターアジアとデビルガンダム・AKIRA的能力バトル要素を入れ、科学とミニスカ、たまにあるご褒美パンチラで彩った、実に良いバランスの硬派な名作でした。
「特務戦隊国土管理室 アラガミバスターズ 〜奇稲田姫と七人のサムライたち〜(パンチラもあるよ!」だと分かりやすいかな。
90年代前半までは一定数あったものの近年ほぼ絶滅した、大友克洋先生的な流れを汲む「魍魎戦記マダラ」や「ロトの紋章」などのトゲトゲ頭の少年主人公異国オリエンタル感をうまく残しつつ、美少女萌え方向でアレンジした、ありそうでなかった方向性の作品。
設定の作り方が非常に上手く、話の風呂敷の広げ方を全世界規模ではなく、あくまで国内にとどめ、日本古来の「妖怪」と言う存在に植物を絡めた独自の解釈で日本神話を重ねて、現代問題を組み込んでドラマを作っていく面白さ。
科学技術を交えながら、でもどこか愛嬌のあるシリアスになり過ぎない設定バランス。
物語の柱になっているのが、日本に対する危機感。
日本に残る昔話では、若い女性が生贄になるのはよくあります。
生贄になって犠牲になって災厄は落ち着きました。めでたしめでたし・・
でもそれって多数を生かすためにもっともか弱い存在の女性1人の犠牲をヨシとする非常に怖い概念。
しかし日本ではそれが昔から当たり前のように語られてきていて、そこに異を唱えるのはあまり無かった。
それってどうなの?誰か1人に何かを押し付けて犠牲にするのではなく、災厄に対して皆で苦しみ一丸となればなんとかなったんじゃない?
そもそもそこまでして救うべき価値が、残される者にはあるの?
と言うのを、「祭り」と言う概念を軸に考えてみましょうよと一石を投じたのがブルーシード。
結構書き方が難しくて、後半やや新興宗教っぽく見えてしまう所もありますが(日本神話自体が神道という宗教なのでしょうがないんだけど、改めて描かれるとまぁ宗教だよなと言う気持ちにはなる)
SFとしても文学的にも、総じてかなりうまいバランスでまとまってると思います。
何より日本の行く末を憂う作品が90年代のこの時期に萌え路線で出来ていたのが驚きでした。
チェルノブイリ原発事故があったりで、「ドラえもん 雲の王国」等、地球規模の環境問題に対して問題提起する作品はあの時代多くあったんですが(環境エコロジー問題。今ではそれが持続可能性問題、サスティナビリティに名称が変わった)
「乱開発による日本の国土荒廃と、日本人の民族意識の低下に対する警鐘」という「国土・人的側面からの日本の形が失われていく危機感」をアニメ作品で描いたのはブルーシードくらいなものじゃないでしょうか(「沈黙の艦隊」等は除きます。あくまで美少女を前面に押したSF作品において)
80年後半〜90年代前半、日本においてイケイケ開発ムードがバブルと共に弾け、今に至るまで出口の見えない不況に陥ります。
この30年あまりの間に失ったものは余りにも大き過ぎた。
80後半〜90年代前半に作られた作品や建築には、今の時代にはない独特の豊かな特徴があります。
実際バイクなども当時まだまだ国産が多く、あれから30〜40年経つのにいまだに動く個体がある程、高い精度技術力と質の高い素材で製造されていた。
先の話でちょっと触れた「しんかい6500」も1989年に製造され、2024年の今もう作れないかもしれないロストテクノロジーにカウントされています。
アニメのセル画技術も同じです。
時は未来に進んでいるのに、今の技術力でももう作れないものがたくさん出てきてしまっているんです。
豊かな特徴、アニメ作品においてはキャラのファッションや室内美術にそれが見られます。
まだユニクロや無印良品が席巻していないのでキャラのファッションに画一感がない。
今で言うと「多様性」があったんですね。
サンライズの勇者シリーズ(ダ・ガーンまで。マイトガインあたりからは大きなお姉様ウケを狙い過ぎて道を外れていくという、あの当時のサンライズの悪い所が出ちゃうので・・)
は分かりやすくて、主人公のファッションや住む家は小学生男児がカッコイイと思えるものや夢見る秘密基地のそれです。
日本に子供がまだ多く、バブルは弾けたけどまだお金と余裕があった頃。
消費税もまだ3%の時代ですからね。
しかし95年を境に急速に色んなものが衰退していくというのが自分の個人感です。
アニメは95年にEVAが流行って、「暗い作りが売れる」と言う間違った流れができてしまい、悩みつつも明るくて文学的なバランスの取れたものが激減してしまった。
自分が評価する90年代の良い部分は主に95年までが大半を占める感じです。
・
ブルーシードは当初OVAを予定していたそうで、とにかく背景美術・作画が凄い。
設定もうまく、第一話でアラガミが登場するのが「松の木(神が天降るのを待つ意味があるらしい)」だったり、
紅葉が友達から渡されて飲むのがカルピスウォーターの90年代ラベルだったり
(大正時代のカルピスのキャッチフレーズは「初恋の味」だったそう。劇中での起用は単純に90年代初頭に流行っていたからだと思うけど、結果的にこれからの物語展開を示唆するグッドチョイスに)
色々小物に物語的な意味が含まれていそうなチョイスで丁寧でうまいなって思います。
90年代当時はスマホもSNSもなく、バズり狙いも無ければSNSだけで通用するようなネタもないので、キャラクターの受け答えが明快で物語が非常に見やすい。
最近の作り方の重大な欠陥は、作中にスマホとSNSがあり、作る側がバズりを狙い過ぎてネットを意識し過ぎちゃってる所。
正直スマホ・ネット・SNSを話の中に持ってくると物語を作るのが非常に難しくなる。
というか、作れるジャンルや内容が物凄く限られてしまう。
物語は局地的に起こっているのに、そこにSNSの概念が入ってくると安全圏にいる外野と繋がってしまい緊張感が薄れるし、文章によるやり取りができてしまうためキャラの口頭の芝居が削られちゃうんですね。
結果的に映像でキャラが無言の時間が長くなっちゃう。
現実世界でもみんな無言でスマホを見つめてフリック入力してます。
それを側から見ていて楽しいかなぁ、と言う話。
その上最近はスマホでも画像加工がAIで簡単にできちゃうので、いよいよスマホが作中に出てくると面白みが薄れて何も書けなくなってくる。
キャラがおもしろく芝居しないし、無言長いし、見る方にストレス与える感情的なやり取りになりがちになったり。
間を埋める軽妙な軽口の応酬が無いんですね。
嫌味言ったら「は?」即ブチ切れみたいな、キリキリとした余裕の無さ。
これって娯楽としてはいかがなものか?と常々思っているんですが、ブルーシード見ていてやっぱスマホもSNSも映像娯楽にはいらない要素だよなぁ、相性悪いなぁ、現にブルーシードの世界はそれらが無いけど面白いし。
娯楽として見たいのはその世界の局地的事件と、キャラクターの芝居と掛け合い(あと紅葉のパンツ)だし・・と改めて思いました。
ギリギリ小道具として大丈夫なのはポケベルくらいかな。
名優ばかり集まっているので、声優さんの声の芝居が素晴らしいです。
・
現実の世界でも、特に最近は海外絡みのよくないニュースが国内でも増えているので、ここいらで一度日本をちゃんと考えた方がいいように感じます。
日本は不用意に土地を海外に売り過ぎ。
日本が観光的価値があるのは、水が綺麗で昔の歴史や景勝地、風景がまだ残ってるからです。
それを維持できるのは地元で生活する人だけ。
我々日本人にとって、この地球上で日本以外に居場所ってないので・・
鳥取砂丘
砂漠って普段体験する機会なんてないんですが、実際に来てみると一面の砂にキュンキュンきます。
ガンダムZZでも砂漠編ありましたね。
砂避けのマントを頭から被ったり、ターバン巻いたりして異国情緒な衣装が使えて、かつ描きやすい。砂漠を舞台に使いたくなる気持ちがわかります。
松江城
敷地内が広大で、城の大きさと、石垣の土台からそのまま木造建築に繋がる面の美しさにため息。
子供の頃は城って当たり前のモチーフ過ぎて「見飽きたよ〜」と言う気持ちが強かったんですが、最近はまともな和風の作品が少なくなってしまい、自分でやれるなら城ってめちゃくちゃときめくモチーフだよな・・と感じます。
姫様もいいし、くノ一もいいし・・
がんばれゴエモンのヤエちゃんで自分おそらくしぬまでドキドキできる自信あります。
天守閣
当時の人は基本的に胡座で座ってるはずなので、ちょっと座って周囲を見まわしてみたんですが、目の前に大パノラマが広がって、昔の人は凄いなと思うばかり。
吹き抜ける風の心地良さも相まって、この世にこんな場所があるんかぁという気持ちに。
城を外から見て、天守閣に居る人を描くのは簡単なんですが、天守閣の中から見た外の風景ってこんなに面白いのかと。
昔は建物がいまよりずっと少なく、空気も汚れていないし光害もないので夜はもっと暗く、星が明るく輝いて、城自体も新しく木材の良い匂いがしたのでしょう。
実際に行くと親近感が湧き、空気感が分かるので勉強になります。
・お宿のゲームセンター
ついついチェックしてしまうゲームコーナー。
今回泊まった所にゲームコーナーがありまして、ぷよぷよ、3Dゼビウス、VSスーパーマリオの3筐体を発見。
もうゲームコーナー自体が寂れていて、時代の役目を終えてしまった感は強かったんですが、それでも稼働していると「ビジネスホテルではなく、旅館に来たな〜」と言う気持ちになります。
この空間が宿泊地にある事が旅に求める「余裕」と言うか。
やや寂しい状況のアーケードゲームに対して、時代を問わずやってる人が居るのが「卓球」
ここはアナログの強さが出ている感じ。
旅館の娯楽施設の生き残り方法はアナログ遊具8に対してアーケード筐体2くらいの割合なのかも。
末長く残っていって欲しい。
・老朽化と情報公害
今回まざまざと感じたのが自分の加齢と各地の「老朽化」でした。
自分の親は昭和のテレビ世代で、基本的に1日中テレビを見ています。
その間に庭いじり。人間って高齢になると本当に畑と庭いじりを始めます。
身近に日々自然の変化を感じる事が一定の痴呆抑止に繋がるのかも。
テレビから流れるニュースにすべての信頼をおき、娯楽はスポーツ観戦とドラマ。
最近だとメジャーの大谷選手に夢中です。
ただ、問題はそれが若干依存症になってる節がある事。
自分がスマホでSNSをついつい見ちゃうのと同じで、情報更新をしないと物足りなくなってしまい、一度見るとついつい30分・・1時間・・みたいな。
旅行中も宿につくとまずテレビ。
そして流れてくるニュースに対して不機嫌になる。
ドラマが始まるとヒステリックな演者の声。
あれよあれよと旅先の貴重な1時間が過ぎる・・
普段テレビを見ない自分からすると、その情報を入れなければこっちが不愉快になる事なく、旅先で動けたのにって思うんですね。
人間って行動するのに必要なのは体力より精神力なので、やる気を削がれる情報をいれちゃダメ。
お金払ってここまで来て、テレビの電源さえ入れなければ入ってこないニュースに怒ったり、ドラマのヒステリックな演技にいちいち気分悪くなって、それでなんか得あるの?
って思うんですけど、加齢して、毎日テレビを見るのが習慣になってしまっていると、それが本人にとっては正しいルーチンであり、日々受け取らないといけない情報であり、それに耐えるのが「義務」になってしまうんですね。
「旅行中は情報から離れる」というシンプルな事ができないんです。
そこが無自覚情報摂取依存の怖い所。
情報公害というか、年中情報花粉症というか、自分に入れなくていい情報をわざわざいれて不機嫌になるのは精神衛生管理が自分でできない証拠だと思うので、自分は情報化現代病の1つだと思っています。
今、日本の高齢者で怒りっぽい人が多いのは、テレビを必ず観る事が日々のルーチン化していて流れてくる情報に感情を常に掻き乱されて、その苛立ちを周囲に撒き散らしてるんだと思う。
もちろんスマホをついつい見ちゃう自分も同じ依存の気はもってるので、旅行しててやっぱり親子だな〜と思いながら、注意しないとイカンなと。
サンライズ出雲も運行開始からそろそろ30年の車体で、内装はまだまだ綺麗だけど外装は結構ボコボコ。
宿泊施設も元気が無く、築年数なりのダメージが見て取れる。
ウィルス禍が相当なダメージをいまだに与え続けている感じです。
温泉地には潰れた旅館がそのまま残っていたり・・
80〜90年代、とにかく作れ、作れば人が来る、バリバリ働いて稼げばいい。
その後の事はその時だ・・と言う思考が、この30年の未曾有の事態と人口減少によって2024年の今「老朽化」という現実を突きつけられている感じ。
自分も体が動くうちに頑張らないと。
・
なんか暗い話になりましたが、出雲は大変良い所でした。
「天外魔境Ⅱ 卍丸」のフィールドのテーマが実によくあう雰囲気。
寒暖差激しいですが、みなさんもお体にお気をつけて!
10月も頑張ります♡
rondo bell
2024-10-06 01:21:16 +0000 UTCG2
2024-10-06 00:58:54 +0000 UTCrondo bell
2024-10-06 00:57:25 +0000 UTCrondo bell
2024-10-05 23:41:55 +0000 UTCG2
2024-10-05 15:34:18 +0000 UTCクジーラ
2024-10-05 10:11:30 +0000 UTCrondo bell
2024-10-05 05:17:34 +0000 UTCG2
2024-10-04 12:23:23 +0000 UTC