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あの夏の悶絶は思い出の中に(4日目#1)

1. 長き戦いの始まり ──伊勢ヶ野町で起きた"資産家殺害事件"から今日で十五年経ちます。この事件は、資産家 陽堂 義一さんとその妻 幸恵さん、陽堂さんの友人の三名を殺害し、金品を奪った強盗殺人事件です。 犯人が奪った物の中には、文化的価値の高い品も多く含まれているとのことです。また四人目の被害者とされる少女の行方はいまだに不明です。この事件の犯人は未だ行方をくらませています 「この事件から、もうそんなに経ったのかあ」 文治おじさんが唸るように言って味噌汁を啜った。 テレビには、事件当時の現場の様子が映し出されている。家の周りはブルーシートで覆われ、あちこちに黄色いテープが貼られていた。 ハク「こんな事件あったんだ」 ハクは普段からニュースを見なかったから、その事件のことはほとんど知らなかった。 レイナ「かなりの事件なのにまだ犯人が捕まってないなんてねえ」 レイナ姉ちゃんはニュースに興味があるんだかないんだか分からないような顔つきでテレビを見ながら納豆をかき混ぜていた。 部活動が休みのレイナ姉ちゃんは今日えらくゆったりしている。 奈水「レイナ。あとでお昼の買い出し行ってきてもらえる?」 奈水がテキパキと食器を片付けながら言った。 レイナ「うげー。せっかくの休日なのに隣町まで行かないといけないんですか母上」 レイナ姉ちゃんは舌を出して露骨に嫌そうな顔をした。 奈水「ほら、つべこべ言わない。しばらく休みなんだから。あとでメモ渡すから行ってきてよ?」 奈水にピシャッと言われ、さすがのレイナ姉ちゃんも黙って頷いた。 文治おじさんはそれを見てハハハと穏やかに笑っていた。ユウはまだムスッとしていた。 この日は少し曇っていていつもの灼熱の日差しは地面にまで届いていないため、ちょうど良い涼しさだった。 ハクは二階の玄関から外に出た。 裏の林からまだほんの少し、朝の虫の声がする。 ハクは今日、予定を立てていた。"開かずの屋敷"を調べてやろうと思っていたのだ。 あそこには何かがある。どうやらその真相をシンたちも知らなそうだ。ならば、自分が解き明かしてやろう。そう意気込んでいた。 だが、計画は阻まれた。 ハクがフォーク道までやってきて屋敷の方へ行こうとした時、ちょうど、空野家から見て1番左手の分かれ道の奥の橋にしずかがいたのだ。 「あ!ハク!いいところにいた!」 しずかはハクを見つけるとにこやかな笑顔を見せた。ハクにはその笑顔がなんだか邪悪なものに見えた。 その予想は当たっていた。 ハク「い、いや俺これから開かずの屋敷を…」 しずか「そんなのいいからこっち来て」 しずかはハクの首を掴むと、そのまま無理やり端の方へ引っ張って自分の家に連れて行ってしまった。ハクは首を掴まれていることで発生するくすぐったさに耐えられず抵抗できなかった。 しずかの家のスイカ畑にはシンがいた。 「お!お前も捕まったか!」 シンはハクを見るなりニカニカ笑っていた。 どうやらシンもしずかに捕まったようだった。 ハク「なに?なにすんのこれから」 しずか「ちょっと手伝ってほしくて」 シン「スイカの収穫の手伝いだよ。まったく」 しずか「その通り」 しずかは腰に手を当てて頷いた。 「悪いね二人とも」 家の裏から現れたのは、優しそうな顔つきをした細身の中年男性だった。それはしずかの父親の友作おじさんで、しずかとは似ても似つかないくらい大人しい人だった。 シン「全然いいけどよ。お礼ははずんでくれよ?」 シンはそう言って鼻息を立てた。 「もちろんだよ」 友作おじさんは気さくに笑った。 ハクとシンはしずかから軍手を渡された。それから、しずかに注意点を教えられたがあまりに多すぎてハクには理解できなかった。たぶんシンもほとんど聞いていなかった。 見たことないハサミでチョキチョキとつるを切って、スイカを収穫していく。一つ一つが見た目よりずっと重たい。 スイカは夏になるとよく食べるが、スイカの収穫なんてやったことがなかったハクにとって、この収穫作業は思っているよりも大変だった。スーパーに並んでいるスイカもこうして収穫されたものなのだと思うと、なんだかとてもありがたい気持ちになった。 汗だくになりながらスイカを収穫していたハクは、今日が曇りで助かった、と心底そう思った。 シン「あっちぃ。こんな時に限ってダイチのやつは勉強でこもってるし、ユウはどっか行ってるし」 シンは文句を垂れながら重いスイカを運んでいた。 ダイチは今日、午前中は勉強に集中するとかで外には出ていないらしい。 ハク「あ、そうだ。ユウのことなんだけどさ」 ハクが思い出したように切り出した。真っ先に反応したのはしずかだった。 しずか「どうしたの?」 ハク「ん、いや…なんか昨日の夜くらいから機嫌悪いみたいでさ。レイナ姉ちゃんもそう言ってて…確かにムスッとしてるからなんかあったのかなって」 シン「超鬼ごっこで負けたから悔しがってんじゃねーの?あいつ負けず嫌いだし」 シンは無関心そうに答えた。彼は今、軍手についた葉っぱやら泥をはらうのに集中している。 ハク「俺もそう思ったんだけど、今日もなんかムスッとしてたからさ。悔しがってるってより、なんかに怒ってるみたいな」 いくら負けず嫌いでも、チーム戦の争いで負けたことを翌日まで引きずるなんて考えられなかったし、ユウのあのムスッとした様子からはどちらかというと怒りに近い感情が醸し出されていたように思えた。 シン「それはハクに怒ってんのか?」 シンは少し興味を示した。 ハク「いや…そんなことないと思うんだけどな。なんの心当たりもないし」 ユウを怒らせた覚えなどない。あるとすれば、超鬼ごっこでユウのパチンコを落としたことくらいだが、何でもありのルールの範疇で行ったことだし、怒られる筋合いなどない。 そもそも仮に、鬼ごっこの悔しさから怒っているなら、怒りの矛先は逃げチーム全員に向いているはずなのだ。 ハクとシンは二人でああでもないこうでもないと意見を出し合って推理したが、納得のいく答えは出なかった。 しずか「ちょっといい?」 ハクとシンの会話を聴きながらテキパキと作業していたしずかが割って入ってきた。 しずか「それは多分ね、そんなガキっぽい理由じゃなくてもっと"大人"の事情でそうなってるんだよきっと」 しずかは落ち着いて言った。 ハク「おとなのじじょう?」 「なんだよそれ」 ハクもシンもキョトンとしたまま首をかしげた。 しずか「多分、あんたらに言っても分かんないよ」 しずかは呆れたように言った。 シン「なんだそれ?お前までダイチみたいな手を使うようになっちまったのか」 シンは悔しそうに言った。ハクも同様だった。 その後もハクたちはスイカを収穫したり、散らかった畑を掃除したりした。 「ねえ、シン」 作業も終盤に差し掛かり、おじさんが農具を家の裏の物置に運ぶために畑から離れたとき、しずかがボソリと言った。 土をイジっていたシンは顔を上げた。 しずか「いま、楽しい?」 しずかにしては小さくて自信なさげな声だった。 シン「うん?なんだって?」 しずかの小さな声がちょうど近くの気で鳴き始めた蝉の声と重なってシンにはよく聞こえていないようだった。 しずか「いや、なんでもない」 しずかは首を小さく横に振った。 シン「なんだよ」 しずか「なんでもないってば」 しずかはシンの頭をぱしぱし叩いた。 作業を手伝い終えたハクたちは、畑が見える久代家の縁側に座って、おじさんの切り分けてくれたスイカを食べていた。 スイカの水分で、喉の渇きが一気に潤わされた。 暑くてたまらなかった畑とその向こうにある海が重なって、あれだけ暑苦しかった畑も涼しく見えた。 スイカを平らげたハクは、広い和室をごろごろ転がっていた。転がるたびに香る井草の匂いが心地よかった。 広い和室の奥に六畳ほどの和室があった。その和室からは線香の匂いがする。 そこは仏間のようで、仏壇には大人の女性の写真が立てられていた。写真の中の女性微笑んでいた。 その女性はどことなく、しずかに似ていた。 シン「今年はまだ一回も"奥の森"に入ってないな」 和室にかけられているカレンダーを見たシンが腕組みをして言った。 奥の森とは、海を隔てた島の東側にある深い森のことだ。ハクは昨日その存在を未悠から教えてもらった。 しずか「橋が流されちゃったからね。今年はもう無理じゃない?」 シン「奥の森に入らない夏なんてありえないぜ」 ハク「そんなに良いところなのか?」 シン「そりゃあすごいぜ?でっかい滝もあるし、虫もいっぱいいるし!」 シンは目を輝かせて言った。よほど奥の森が好きらしい。 しずか「でも、"ベンケイ山"があるでしょ。私あそこ嫌い」 熱く語っているシンに対してしずか冷たくバッサリとそう言い切った。 ハク「なんだそれ?」 ハクは、未悠が言っていた"怖い山"のことを思い出した。 シン「奥の森にある山なんだけどな、そこには"オバケ"が出るって言われてんだ」 シンがニヤニヤ笑いながら言った。 しずか「その話はもうそこまでね」 しずかが無理やり、シンの話を切った。 ハク「えーっなんで?もっと聞きたいんだけど…」 しずか「じゃあ、その話を聞かないか、こちょこちょされるかを選んで?」 しずかは両手をハクの方に向けて脅すと、ハクは瞬時にしずかから距離をとった。 ハク「なんでそうなるんだよ…」 くすぐりを脅しに出されてはさすがに引くしかない。ハクはしぶしぶ引き下がった。 シン「まあとにかく、なんとかこの夏の間に奥の森に行けるようにしてみせるぜ」 ハク「まじ?」 シン「まじだ。俺に任せろ!」 しずか「そんなこと言って大丈夫なの?」 シン「俺が男として人肌脱いでやる」 シンはふんっと鼻息を立てた。 ちりんと風鈴が鳴ったあと、その余韻をかき消すようにザクザクと紙面を踏む足音が門の方から聞こえてきた。 「あ、やっぱりここにいた!」 イチコちゃんが、ハクたちを見て明るい顔をした。 途端にハクは、妙な緊張感に襲われた。 シン「なんだ?イチコ。スイカたかりに来たならやんねーぞ」 シンが意地悪に言ってわざとらしくスイカをうまそうに頬張った。 イチコ「いらないよ。さっきアイスクリーム食べてきたから。メロン味の」 イチコに軽くあしらわれると、シンはつまらなそうな顔をして口から器用にタネを出した。 イチコ「ハクくん。昨日言ってた勝負のこと覚えてますよね?」 ハク「そりゃあ、昨日のことだから覚えてるけど」 ハクは言いにくそうに言った。あまりその話題は口にしたくなかったのだ。できれば、イチコちゃんには忘れていて欲しかった。 イチコ「今日からその勝負をしましょう。記念すべき第一戦目です!」 ハク「えっ。今日から?」 イチコ「勝負を受けるって言いましたよね?逃げるつもりですか?」 イチコちゃんは綺麗な声の丁寧な口調で詰めてきた。 ハク「いや、逃げはしないけど…」 目の前の負けず嫌いマシーンと勝負が始まるのはやっぱり緊張した。 シン「どんな勝負するんだ?」 勝負と関係ないシンは能天気にスイカを食いながら言った。 イチコ「…さっき思いついたんですけど、ここに来る途中で忘れちゃいました」 イチコちゃんは恥ずかしげもなくハキハキと答えた。 ハク「なんだそれ…意味ないな」 ハクが突っ込むも、イチコちゃんはなんのことやらと目をぱちくりさせている。 しずか「大丈夫。私が考えておいたから」 イチコ「さすが!」 ハクは、しずかが一体どんな勝負内容を考えてきたのか、気になって仕方がなかった。 ハク「じゃあ今からやんのか?」 ハクは無理やりやる気を出して立ち上がった。井草の香りがふわりと舞った。 イチコ「お腹もぺこぺこなのでお昼ご飯食べてからにしましょう」 イチコちゃんがあまりに大真面目な顔でそう言ったので、ハクはズッコケそうになった。 ハク「さっきアイス食べたんじゃないのかよ」 イチコ「あれは別腹です。アイスクリームでお腹はいっぱいになりませんから」 イチコちゃんの言っていることはもっともなのだが、だからといってアイスでお腹が全く満たされないわけでもないから、ハクはイチコちゃんの言い分には同意しかねた。 だが、ちょうどお昼ご飯の時間だったので勝負開始の時刻に関してはイチコちゃんの提案に従うことにした。 相変わらず玄関戸が開けっぱなしの一階リビングにはレイナ姉ちゃんがいた。レイナ姉ちゃんはテレビを見ながらぞぼぞぼとラーメンを啜っていた。 この時間にレイナ姉ちゃんがいるのはなんだか新鮮だった。レイナ姉ちゃんはいま、お盆で部活が休みなのだ。 レイナ「おかえりガキンチョ"たち"」 レイナ姉ちゃんは口をもぐもぐさせて言った。 レイナ姉ちゃんが"ガキンチョたち"と複数人いるような言い方で言ったのが気になったハクが後ろを向くと、そこにユウがいた。 なぜかユウは膝のあたりが泥で汚れていた。 ハク「お、どこいってたの?」 ユウ「まぁちょっと、"修行"だよ」 ユウはそっけなく答えた。 ハク「なあ、昨日の負けを気にしてんなら…」 ユウ「いや、それは別に気にしてないよ。怒ってもない。もちろん悔しいけどさ」 ユウは靴を脱いでリビングに上がるとそのままレイナ姉ちゃんの横を通り過ぎて洗面所の方に向かった。 ハクがその小さい背中を見ていると、ユウはツルツルの廊下で立ち止まって振り返った。 ユウ「そ、そういえばさあ、イチコとの勝負っていつからやるの?」 ユウは口をモゴモゴさせながら聞いた。 ハク「ああ、今日だよ。昼ごはん食べてからってことになった」 ハクはちょっと気だるげに答えた。 勝負のことを口にするだけで緊張感が走った。 ユウ「ふーん。どこでやんの?」 興味があるんだか無いんだか分からない声色だった。 ハク「いったん、ヒノトリ公園に来いってしずかが」 ユウ「そっか。頑張って」 ユウはそれだけ言うと洗面所に消えた。 レイナ「なにあんた。イチコと勝負すんの?」 しばらく、不思議そうに目を点にしてユウの様子を見ていたレイナ姉ちゃんがぐいっと首をハクの方に向けて興味津々な様子で聞いてきた。 ハク「うん。なんかそういうことになっちゃたんだよ。先に三勝した方が勝ちなんだってさ」 レイナ「へぇ。なんか良いねえ」 ハク「良くないよ。負けたら悔しいし。特に──」 ──特に自分よりも負けず嫌いなイチコちゃんに負けるのは。 そう言おうとしてハクはその言葉を飲み込んだ。 それを口に出して、その気持ちが他の人たちに知れ渡ってしまったら、イチコちゃんに負けた時にその悔しさが何倍にも膨れ上がる気がしたのだ。 レイナ「そら負けたら悔しいわな」 「負けられないからって緊張してるんでしょ?」 レイナ姉ちゃんが目を細めてニヤニヤと意地悪に笑った。 ハク「まぁ、そこそこな」 ハクがボソッと返事すると、レイナ姉ちゃんはゲラゲラ笑った。 レイナ「いいか少年。負けてたまるかって緊張感と、負けた時に感じる悔しさってのは、パワーになるんだよ。どんなもんでもプラスに使いな」 「1番ダメなのは、負けることを恐れて全力で行かんことだ。それは戦う相手にも失礼になるんだ」 レイナ姉ちゃんは、椅子の上であぐらをかきながら持っていた箸でハクを指しながら言った。こんな振る舞いを母の奈水に見られていたらきっと怒られているだろうな、とハクは思った。 しかし、レイナ姉ちゃんの言うことは、イチコちゃんとの勝負を避けようとしていたハクの心に火をつけた。 そうだ。負けることを怖がって真剣勝負から逃げてはいけない。イチコちゃんは誰よりも悔しさに苦しめられているのだ。そんなイチコちゃんの気持ちを全力で受け止め、なぎ倒してやろう。ハクは決意した。 レイナ「それから、今日のお昼ご飯は私が任されてるから」 ハク「え、レイナ姉ちゃんなんか作れるの?」 レイナ「当たり前よ。ラーメンとかうどんとかそばとかな」 レイナ姉ちゃんはふんっと鼻息を立てて、机の上に積んであるインスタント食品を指さした。 ハク「インスタントばっかりじゃんか」 ハクは呆れてため息をついた。 ◯ レイナ姉ちゃんお手製の"うどんそば"という意味不明のお昼ご飯を食べさせられたハクは急いでヒノトリ公園に向かった。 公園前の舗装されたゆるやかな坂道は、ほんの少しでこぼこしていて、地面を踏むたびになんだか登りにくさを感じる。せっかくやる気が出ていたのに、そのやる気が吸い取られてしまいそうに感じた。 公園には、イチコちゃんとしずかが待っていた。 しずかはハクが公園に入ってくるなり、右手を挙げて挨拶してきたのでハクも右手を挙げた。 ハク「あれ?けっこう人いるな」 てっきりイチコちゃんとしずかだけだと思っていたが、未悠とヒカリもいた。 それなら、少し離れた土管にはユウがなぜか腕を組んで難しい顔をしながらこちらを見ていた。 ヒカリ「二人の勝負をやるって聞いて飛んできたんだよ」 ヒカリはまつ毛の長い猫のような目を細めて「うしし」といたずらっぽく笑った。 未悠「シンとダイチは奥の森に行けるようにするとかなんとかって言って奥の方いっちゃった」 未悠は、ほとんど使われていない診療所のある方を親指でくいっと指さした。 ヒカリ「橋が流されちゃってるのにどうするつもりなんだろう?」 未悠「分かんないけど、なんとかするんじゃない?なんか嫌な予感するけどね」 未悠はそう言ってフフッと笑った。 イチコ「ハクくん。覚悟はいいですか?」 イチコちゃんは妙に張り切っている。 思わぬギャラリーがたくさんいることでやる気がさらに倍増しているのだろう。だが、ハクにとってこのギャラリーの多さはマイナスだ。より負けられない気持ちが強くなってしまう。 ハクはそんなことを感じながら、さっきレイナ姉ちゃんに言われたことをもう一度思い出して、負けを恐れる気持ちを吹き飛ばした。 ハク「覚悟はできてる。で、なにやんの?」 しずか「えっと、とりあえず一回戦はこの鉄棒にどっちが長くぶら下がってられるか!ってやつ」 しずかが鉄棒を指差した。 イチコ「なるほど。それでこの公園だったんだね」 ハク「へえ。シンプルだな」 しずか「"しんぷるいずべすと"ってやつだよ」 「シンプルなほうが分かりやすいでしょ?」 ハク「まあな」 「勝負の内容かえたら?」 突然、土管の方からユウの声が飛んできた。 ハクとイチコちゃんは同時にユウの方を見た。 ユウ「その勝負じゃイチコに勝ち目がないよ」 ユウはわざとらしいくらいの険しい顔つきで言い放った。 イチコ「どうして?」 ユウ「だって、男の方が力が強いって決まってるんだから。女子のイチコは不利だ」 ユウの言い方はやや冷たい言い方だった。 イチコ「…ふん。そんなの、関係ないよ」 イチコちゃんはちょっとムッとした顔でぷいっと再び鉄棒の方を向いた。その顔は、超鬼ごっこでハクに負け時に見せたものとはちょっと違っていた。 ユウ「そう?まあ、結果を見れば分かるけどね」 ユウがまた一言付け加えてたが、イチコちゃんはユウを無視した。 するとまたユウが何か言おうとしたので、今度はしずかがユウを睨んで黙らせた。 公園にピリッと不穏な空気が流れた。 しずか「じゃあはじめよっか」 「スタート前に二人とも鉄棒を握っておいてね。それで私がスタートって言ったら、二人とも一斉に足を地面から浮かして。先に落ちた方が負け」 「ちなみにズルしたら負けだから」 イチコ「分かった!」 ハク「オッケー」 二人は、お互いに横に並んで鉄棒を見上げた。 ハクは自分の細い腕を見た。特別、力に自信はないが、我慢対決と思えば勝ち目がないわけがない。それに、ユウの言う通り力としては男子であるハクが有利なのだ。 ハクとイチコちゃんはほとんど同じタイミングで鉄棒を握った。薄い手のひらに鉄棒の無骨な熱さが伝わってくる。 しずか「それじゃあ用意はいい?」 ハクとイチコちゃんはコクリと頷いた。 一気に緊張感が込み上げてきた。 周りにいるヒカリ、未悠、ユウの気配が消えた。 ハクは自分だけの世界にのめり込んだ。 しずか「よーい…スタート!」 しずかがクリアレッドの腕時計の文字盤に目を落としながら始まりの合図を告げた。 ハクとイチコちゃんは合図と共に地面を蹴って足を浮かした。 全体重が細い腕にかかり、下に引っ張られるような感覚に襲われる。 自分の体はこんなに重いのか。とハクは思い知った。 「がんばれー!」 「ねばって!ねばって!」 あまりに勝負に集中していて、周りで応援してくれているヒカリや未悠、しずかにユウの声が今になってようやくハクの耳に届いた。 「ハクがんばれー」 なぜかユウはハクの方だけ応援していた。 真夏の日差しに熱された鉄棒のアツアツが容赦なくハクのうすい手のひらを焼いていく。 握力が徐々に弱まってきた。同時に、足を浮かせておくために使う腹筋がビクビクと痙攣を始める。 ちらりと隣を見ると、思った以上にイチコちゃんは粘っている。その顔色は伺えないが、おそらく自分と同様にかなり必死な顔をしているに違いなかった。 手強い。イチコちゃんは手強い。 ハクは思う。 ユウの言っていたことなど嘘っぱちじゃないか!と。 腕がちぎれそうだった。もうダメかもしれない。 ハクがそう思った時、どさっと隣で音がした。それを確認しようと頭を横に向けたのと同時にハクは地面に落下した。 隣にはすでに力尽きているイチコちゃんの姿があった。 イチコちゃんはへとへとになって鉄棒の下で伸びている。 しずか「そこまで!ハクの勝ち!」 しずかはハクの手首を握って、ハクの右手を高々と挙げた。 「うぅっ」 イチコちゃんはぐしゃっと砂を握りしめて、悔しさいっぱいに砂をぶん投げた。 ヒカリ「イチコ惜しかった〜もう少しだったのに!」 たぶんイチコちゃんを応援していたヒカリが残念そうな顔をした。 ハク「あぁほんと──」 ハクがよろめきらながら立ち上がって、イチコちゃんに労いの言葉をかけようとしたその時、 「ほら!ボクの言った通りだ。こういう勝負で女子が男子に勝てるわけないよ」 土管からユウがやってきて、わざわざイチコちゃんの目の前で余計なことを言った。 その時、ピリッとしていた空気が完全にはち切れる音がした。 視線を落として地面を見つめていたイチコちゃんが突然、顔を上げると、その大きな目でギロっとユウを睨みつけた。 ユウは怯んだ。 イチコちゃんはユウを睨みつけたまま、 「うるさい!そういうの大っ嫌いなの!!」 と、大声で怒鳴った。 ユウ「う、うるさいのそっちだ!ボクは当たり前のこと言ったんだよ!」 ユウもイチコちゃんを睨みつけて怒鳴った。 その声はほとんど泣きそうだった。 イチコちゃんの真隣にいたハクは顔を引き攣らせて、おそるおそるしずかの顔を見た。しずかもハクと同じような顔をしてハクの方を見ていた。 イチコ「そんなのただの決めつけだよ!そんなふうに決めつけてるからいつまでたってもユウは弱虫なの!ばか!」 イチコちゃんにもう一度怒鳴られたユウは今度こそ泣きそうになって「うるさい!」と言い返してそのまま公園から走って出て行った。 イチコちゃんは目に涙を浮かべながら悔しげな顔で足早に、開けっぱなしの金網扉の向こうの橋の方へ歩いて行ってしまった。 しずか「アイツほんと…」 しずかは遠くなっていくユウの後ろ姿を睨んでぼそりと言った。 しばらく、沈黙が流れた。蝉の声がやけに大きく聞こえる。 ハク「ど、どうすんの?これ」 異様な空気の中、ハクが口を開いた。 未悠「ユウがイチコを怒らせることはよくあったんだけど、今回のはちょっとやばいかも」 ヒカリ「だよね。私もそう思った」 ヒカリがさっきまでのにこやかな顔を消して、真面目な顔でそう言った。 どうやら事態はそうとう深刻らしい。ハクは、気まずさを覚えてどうすれば良いか分からず、つま先で砂をぐりぐりと掘っていた。 未悠「仲直りさせないとね。とりあえず…私ユウのとこ行ってくる」 ヒカリ「私も!」 ヒカリは未悠のあとをついて行って公園から出て行った。 しずか「そんじゃあ…私たちはイチコのとこいこっか」 しずかは当然のようにハクにそう言って橋の方へ目をやった。 ハク「えっ。俺も?」 しずか「当たり前じゃん。嫌とは言わせないから ハク「はあ…」 正直、気が進まなかった。イチコちゃんを怒らせたのはユウだが、そのきっかけを作ってしまったのは自分である気がしていたのだ。 自分が勝負を受けたから、自分が勝ってしまったから、こうなった。と思ってしまっていた。 とはいえしずかには逆らえない。ハクは、すごく重い足取りで金網の扉をくぐって橋を渡った。 橋は海の上を跨っているだけあって短さの割に意外と立派だ。この海をずっと上にあがっていくと、昨日見た、奥の森へ続く流された橋の残骸があるのだ。ということは、今頃シンとダイチの二人がそこで何か作業しているのだろう。 二人にはいますぐ海を泳いでここまで来て欲しかった。 ハク「ユウはイチコちゃんが嫌いなのか?」 しずか「は?なんでそうなんの」 しずかは心底呆れたような声を出した。 ハク「いや、だってあんなに怒らせること言うか?ふつう」 「それに、ユウがムスッとし始めたのもイチコちゃんがこっちに帰ってきてからの気がするし」 ハクは自分の推理が100%的中していると思っていた。 だが、しずかは目を細めてハクを馬鹿にしたように見つめていた。 しずか「あのねえ坊や。ユウのあれは、イチコが嫌いだからやってんじゃないのよ。わかるかな?」 しずかはわざとらしいくらい優しい声でまるで赤ん坊に言い聞かせるような話し方をした。 しずか「まだお子様のハクくんには分からないよねえ。よしよし」 しずかは哀れみを込めてハクの頭をよしよしと撫でた。 ハク「お前なあ」 ハクはゆっくりとしずかの手をはらいのけた。 橋を渡ると、短いあぜ道が続いていた。両側に小さな畑があって色鮮やかなトマトやナスが実っている。 ハクはこっち側にくるのは初めてだったので、もっとあたりを観察したかったが、そんな心の余裕はない。 せいぜい、畑のそばの大きな木の木陰が涼しそうで気持ちよさそうだなあ、とそれくらいの感想しか抱けなかった。 短いあぜ道を抜けると、ちょうど畑の正面に位置する家が一軒見えてきた。イチコちゃんの家だ。昨年、イチコちゃん一家が引っ越してからは祖父母だけが住んでいるという。 家の玄関前の階段に女の子がちょこんと小さくなって座っている。イチコちゃんだ。 しずか「イチコ。大丈夫?」 しずかがイチコちゃんの前にしゃがみ込んだ。 「…ごめん」 イチコちゃんは俯いたまま消え入りそうなくらい小さな声で言った。 しずか「いま未悠とヒカリがユウのとこいってる。きっとアイツも反省してると思うよ。いつもみたいに」 「アイツも、イチコに構ってほしいんだよ。ただその方法がわかってないってだけ」 イチコ「それはわかってるのに。わかってるのに我慢できなかった」 「本当に負けちゃって悔しかったから」 イチコちゃんはさっきの敗北の悔しさがまた込み上げてきたのか、グッと拳を握りしめた。 ハク「い、イチコちゃん。ユウは女子だからどうとかって言ってたけどさ、俺は正直…かなりキツかったぜ?」 イチコちゃんはハッと顔を上げ、目の前にハクがいることに今更気づいたのかびっくりして「うわあ!」と声を上げた。 イチコ「ハクくん!?いたんですか!?」 ハク「いや最初からいたけど…」 イチコ「いるなら言ってください!」 イチコちゃんはプイッとハクから目を逸らして言った。 ハク「とにかく、勝負は俺が勝ったけどけっこうキツかったってそう言う話」 それ本心だった。別に、イチコちゃんを励まそうとするつもりはなかった。 ハク「つまり、手強かったってことだ」 ハクが何気なく本心を漏らすと、イチコちゃんは思いのほか明るい顔をした。 イチコ「手強い…ですか。良いです…その言葉!」 イチコちゃんはニッコリ笑って立ち上がって階段を降りた。 しずか「どこいくの?」 イチコ「私も言い過ぎちゃったので、ユウに謝ってきます」 イチコちゃんは振り向かないままそう言った。 イチコちゃんはびっくりするくらいの負けず嫌いだが、自分も悪かったところはすぐに謝ろうと思える大人びたところもあった。ハクはそこだけは見習おうと思った。 イチコちゃんが歩き出すと、ちょうど、ユウが未悠とヒカリと一緒にやってきた。 ユウは気まずそうに視線をあっちこっちに泳がせながら近づいてくる。足取りはとても重そうだ。 イチコちゃんの家の玄関前にいたハクとしずかから離れたところでイチコちゃんとユウハクなにやらお互いに話し合って最後には握手を交わしていた。 どうやらピリッとした空気は完全に無くなったようなのでハクとしずかも二人のいる海辺の方へ近づいた。 しずか「次の勝負がどんなものか、ヒント出しておこうか?」 ハク「え?もう決まってんの?」 しずか「まぁね」 イチコ「どんなの?」 しずか「えっとね、とりあえず…"走る"種目だってことだけ教えておいてあげる」 ハク「走りか…今日のよりは得意だな」 ハクがぼそっと言うと、しずかはなぜか意地悪そうにニヤニヤ笑ってた。 イチコ「今度は負けませんからね」 イチコちゃんはまだ勝負が始まってもいないのに、闘志の炎を燃やしていた。 ユウ「ね、ねえ。イチコはどうしてそこまでしてハクに勝ちたいの?」 ユウが言いにくそうに聞いた。 イチコ「どうしてって…?」 イチコちゃんが不思議そうに小首を傾げる。 負け嫌いにとって、負けたくない意外に理由なんてないのだろう、とハクも思ったのでユウの質問の意味が分からなかった。 ユウ「やっぱり、超鬼ごっこで負けたから?理由はそれだけ?」 イチコ「うーん」 「ハクくんは、私にって"手強い"からです」 「だから、勝ちたいっ!ってなる…のかな」 イチコちゃんは必死にそれらしき理由を探したのか、やや確信を持っていないような言い方をした。 ユウ「そっか、手強い…か」 ユウは呟くように言うと、少し肩を落とした。

Comments

しずかはどうしてそんなことをわざわざ聞いたのでしょうね…? わざわざ確かめないと、不安になるような出来事があったのかもしれません。 それとも、(´・ω・`)さんの仰るように、満足していないのか…うーん…難しいです🤔笑

Kara

しきりに今楽しいかどうか、楽しいことはないのかを気にしているしずかさんは、何か現状に満足していなさそうで怖いですね…。

(´・ω・`)


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