XaiJu
Kara
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あの夏の悶絶は思い出の中に(3日目#1)

1. 生き残れ超鬼ごっこ! ハクが波都の町に来てから三日目の朝は、午前中から気温が30度を超えており、当時としてはかなり暑い日だった。 時計が午前9時を回った頃、二階和室の縁側の前では、奈水がガーデニングに勤しんでいた。 縁側を出てすぐのところは、後からつけたというちょっとした屋根のおかげで日陰になっていて涼しい場所になっていた。 ハク「これ全然野菜?食べれるヤツ?」 ハクは縁側に座って足をぷらぷらさせながら、奈美に聞いた。 今朝もユウと一緒に川の岩場に行くつもりだったのだが、どういうわけかユウは朝食と歯磨きを済ませるなりどこかへ出かけてしまった。ユウを探そうと思ったが、知らない場所でそれも大変そうなので諦めていたところ、通りがかった和室から奈水の姿が見えてここへ立ち寄ったのだった。 奈水「全部野菜じゃないよ。そこのトマトとキュウリと…そしてこのゴーヤだけ。あとは違う」 奈水はスラリとした細い身体を伸ばしつま先立ちになりながら、ハサミをチョキチョキ鳴らしてゴーヤを収穫していた。 細い木材を組んで造られた網目状のフェンスに蔓を絡みつかせてたっぷり実っているゴーヤはスーパーで売っているのを見るよりずっと美味しそうだった。 奈水「ハクくんはゴーヤ食べられる?」 ハク「俺、好き嫌いないよ」 奈水「そいつは良かった。ユウは苦手なんだよねぇ。レイナはなんでも食べるんだけど」 奈水は変わらずチョキチョキやっている。 ハク「おばさんは好き嫌いないの?」 ハクが何気なく質問した瞬間、奈水のハサミを持つ手が止まった。 奈水は細い眉をピクッと吊り上げ、ため息をつく。 ハク「どうかした?」 奈水「いや、実際"おばさん"って呼ばれるのってやっぱり意外とショックなんだなって思っただけ」 奈水がハクを見る。本当にがっかりしているのか、冗談なのかよくわからない顔だった。 ハク「それってそんなに嫌なものなの?」 奈水「人間ってねぇ、自分が歳とったかどうかって意外と自分では分からないものなのよ」 「知らない間に子供時代は終わってるし、青春時代も過ぎ去って、気づいたら中年になってるわけ」 奈水は日陰から踏み出して空を見上げた。 奈水「だから、今みたいに自分以外の人から"おばさん"って言われると、あぁ自分もそういう年齢なんだなぁってそう思えるわけよ。年取ったことに気付かされるって感じかな」 「気付かされたらね、うっ、って胸が痛くなるんだよ」 ハク「年取るのって、そんなに嫌なことなのか…」 奈水「まあ、色々だよ。子供より自由だったり、そうじゃなかったりね。いつかはハクくんも"おじさん"とかって呼ばれる日が来るだろうから、そしたらわかると思う」 「まぁその前に、"お兄さん"って呼ばれる時期を挟むんだけど」 奈水はそう言ってハクに優しく微笑んだ。 奈水に頼まれて収穫したゴーヤを台所に運び終えたハクは、再び二階に上がって二階玄関から外に出てみんながいるであろう川の岩場に向かおうとした。 その時、公園の方からシンが自転車を漕いでやってきた。 シン「よっ!」 ハクは右手を挙げてこたえた。 シンの自転車は、カゴがなく、変速機みたいなのがハンドルとサドルの間に取り付けられている凄く速そうな自転車だった。 ハク「みんなは川にいんの?」 シン「たぶんな。へへっ。今日はすげー面白い遊びをみんなでやるぞ!」 シンは、歩きのハクに合わせて自転車をゆっくりと漕ぎながら楽しそうに笑っていた。 ハク「面白い遊び?また泳ぐのか?それとも何か別の?」 シン「泳ぐのは昨日やったからな。今日のはもっとすごいことさ。チーム戦だぜ?」 「今日"イチコ"が帰って来たからやっとそれで遊べるんだ」 シンは、イチコちゃんが帰ってきたのが嬉しいのか、"それ"で遊べるのが嬉しいのかよく分からない言い方をした。 ハク「ああ。そうらしいな」 「その、イチコちゃんってどんな人?」 シン「そりゃあもう、この地球でいちばんの負けず嫌いだな!」 ハク「へえ…」 ハクはなんだか嫌な予感がした。 川の岩場にはもう全員が揃っていた。そこには、ハクが見たことのない女の子が一人混じっていた。その子は、サラサラした髪質のショートヘアの女の子で、透明感のある色の白い肌をしていた。その子がイチコちゃんだった。 イチコちゃんは、なぜかしずかに頭をなでられていたが、ハクとシンが来たことに気づくとハクに近づいていた。 「あなたがハクくんですか?」 イチコちゃんは二重瞼の大きな目でハクを覗き込むように見た。まつ毛が長くて瞳はすごく美しかった。 ハク「そう…だけど…」 また自己紹介をさせられるのではないか、と思ったハクはちょっと構えたように返事をした。 「私、イチコです。島波 壱子(しまなみ いちこ)といいます。よろしくお願いします」 イチコちゃんは凄く丁寧な口調でぺこりと頭を下げた。 想像もしていなかった礼儀正しさにハクはちょっと面食らった。 ユウ「イチコはここからすごく遠いところに住んでるんだよ。でも、去年の夏までは公園の向こうのシンの家の近くに住んでたんだ。いまはそこにイチコのおばあちゃんだけが住んでるんだよね」 なぜかユウが代わりに説明してくれた。 しずか「なんであんたが説明してんの」 しずかに突っ込まれると、ユウは恥ずかしそうにした。 シン「久しぶりだなイチコ」 シンとイチコちゃんはお互いにハイタッチしていた。 しずか「それで、今日はどうすんの?シン」 しずかは相変わらずイチコちゃんの頭をなでなでと撫でながらリーダーのシンに聞いた。 シン「そりゃあ全員揃ったんだからアレをやるに決まってるだろ!」 シンが得意げに言った。 ダイチ「やっぱりアレか…」 未悠「そうくると思ってた」 ヒカリ「今日は大変な一日になるね!」 みんな、口々に反応していたがハクにはなんのことかさっぱりだった。 ハク「アレってなんだ?」 シン「"超鬼ごっこ"だよ」 シンはニヤリと笑った。 ハクはぽかんと口を開けていた。 ◯ ハク「ちょ、ちょうおにごっこ?」 それは、聞いたことのない名前の遊びだった。 シン「波都のまち全体を使った本気の鬼ごっこさ!」 シンが説明しながらニヤニヤしている。どうやら彼は超鬼ごっことやらが相当好きらしい。 ダイチ「チーム戦の鬼ごっこだ。波都の町の中なら、山の中でも海の中でも川の中でも家の中でもどこへ逃げても良いんだぜ」 「ルールはなんでもあり。自転車に乗ってもいいしな!走って追いつけそうにないならボールを使うのもアリだ!例えば、鬼がボールを投げてそれが当たったらそいつはアウトになるけど、逃げる側がそれをキャッチしたらセーフになる」 ヒカリ「それで、アウトになった人は、檻の中で助けを待つんだよ!誰かに助けてもらえるまで檻から出ちゃダメ」 「この鬼ごっこは、逃げる側が全滅したら逃げる側の負け!時間まで一人でも逃げ切ったら勝ち!」 ハク「へぇ…なんかすごいな…」 波都の町全体を使うというだけでもとんでもない規模なのに、それに加えてなんでもありのルールでしかも逃げる側が全滅しない限りは時間まで続くなんて本当にすごい鬼ごっこだ。 イチコ「ハクくん、泳ぐの速いって聞きましたけど、走るのも速いんですか?」 ハク「どっちかっていうと、走る方が得意なんだよ、俺」 ハクは、イチコちゃんの丁寧な口調にちょっと答えにくそうに答えた。 イチコ「そうなんですね。私も走るの速いんです」 イチコちゃんは、睨むようにハクを見た。 イチコ「もし、私が鬼になってハクくんが逃げる側になったら、ぜったいに捕まえますからね」 ハクは思う。さっきシンに「イチコは地球でいちばん負けず嫌いな性格だ」と言われなくても、一目見ればイチコちゃんが負けず嫌いなことなんてすぐに分かっただろうと。 ◯ くじ引きの結果、 鬼: シン、イチコ、ヒカリ、ユウ 逃げ: ハク、しずか、ダイチ、未悠 となった。 くしくもイチコちゃんの言った通りにハクが逃げる側、イチコちゃんが追う側となってしまった。 シン「お昼ご飯を食べ終わってすぐ昼の一時から作戦会議でその三十分後にスタートだ!」 「制限時間は夕方六時までな!」 シンはこの中で一番やる気に満ちていた。イチコちゃんも負けず劣らず闘志を燃やしているのが明らかであり、この鬼チームから逃げ切るのはなかなか骨が折れそうだとハクは思った。 とは言え、ハクたち逃げチームも負けてはいない。ダイチはシンのチームというよりシンに負けたくないからか「お前のチームにはぜったい負けないからな」と啖呵を切っていたし、しずかは「私を見つけても追いかけんなよ。追いかけたらどうなるか分かってるよね」とユウにおどしていた。ハクからすればこれはどう見ても脅迫だが、ルールはなんでもありなのでこれもアリなんだと思うことにした。 お昼ご飯を食べた後、空野家の門を出たところの三つの分かれ道があるフォーク道で味方チームのみんなと集合した。 ダイチ「お昼なに食べた?おれうどん。あったかいやつ」 しずか「は?夏に熱いの食べたの?」 ダイチ「"太一"が作ってたからついでだよ。兄貴は熱いのが好きだから」 しずか「さすが変人の太一兄だね」 「うちは白ご飯と目玉焼きと梅干しとお味噌汁」 未悠「私は焼きそばだったよ」 大きな戦いを前にしても未悠はリラックスしていてグレープ味ガムを噛んでいた。 ハク「俺は………あ、そばだったな…」 ハクは一瞬、さっき自分が何を食べたのか忘れそうになってあわてて言葉を続けた。 もし、忘れてしまったらしずかにいじられる気がしたのだ。 ハクたちのチームが作戦会議の場所に選んだのは、ダイチの家だった。ダイチの家はけっこう遠かった。 ダイチの家は、登美の川の岩場をずっと上がっていって川にかかった小さな橋を渡った先の湖の前にあるまた別の小さな橋を渡って小川を超えた先の広い崖の上にあるのだった。 ダイチの家のそばの小川を追ってゆくと滝がある。その遥か下には登美の川が流れていた。 たしかにこれだけ川の岩場から離れていれば敵チームに作戦を聞かれることもない。 しずか「ちなみにさっき通った湖の向こうに未悠の家があるんだよ。それから─」 しずかがハクの肩をとんとんと叩いてこっちへ来いと言わんばかりに崖のふちのほうへ歩いた。柵もないし、もし落ちたら下に木々があるいえどいっかんの終わりであることに間違いなかった。 しずか「下に見えるあそこが私の家ね」 しずかは崖の下の木々の生い茂る林の向こうを指さした。そこには、真っ青な海と大きな家が見えた。畑のようなものも見える。 ハク「へぇ。遠いようで近いんだな」 しずか「まあね。ここは崖だから、近いようで遠いのかもしれないけど」 しずかはそう言って笑った。 ダイチ「おいおい。作戦会議するぞー」 ダイチが縁側に腰掛けてハクとしずかを呼んだ。未悠も家の日陰に入って二人を待っていた。 ダイチ「まず、相手チームで一番に警戒すべきなのはやっぱりシンだ。あいつは頭がキレる上に走るのも超速ぇ。木の上だろうがのぼってくるから注意しろ」 「次にイチコだな。イチコも走るのはかなり速い。おまけにシンよりもスタミナがあるから注意だ。ただ、ずる賢さがそこまでないからもしもの時はどこかに隠れたりしてまけるかもしれない」 ダイチは縁側にあぐらをかいて座り、難しい顔をしながら分析をしていた。 しずか「ユウは?」 ダイチ「アイツは得意のパチンコを使ってくるはずだ。命中率は高いからこれも要注意だな。走るのは遅いけど、たぶん…シンの"改造自転車"を使って追いかけてくるんじゃないかな」 ハク「改造自転車?なんだそれ」 しずか「アイツが改造したお手製の自転車だよ。あれめっちゃ速いんだ」 しずかにそう言われてハクは、今朝見たあのシンの自転車を思い出した。あれは確かに速そうだ。 未悠「ヒカリはああ見えて肩が強いから、ボールを使ってくると思うよ。ただ、ボールの悪いところは外したあとに拾いにいかないといけないと言うことだから、隙は大きいね」 みんなの熱意は凄まじかった。たかが遊びの鬼ごっこなのに、まるで命がかかっているかのような熱意だった。 ハク「なるほど…。シンとイチコちゃんが速いなら、二人が一緒に行動する可能性は低いよな?」 ダイチたちの熱意がハクにも伝染した。ハクは、ダイチからの情報を元にシンとイチコの二人を分析し始めた。 ダイチ「確かにそうだな。あの二人は単独か、ユウかヒカリを連れているかのどっちかかも知れない」 未悠「ねえ、最初にそれぞれどこに逃げるか決めておかない?かたまって一網打尽にならないように」 ハク「そうだな!それ賛成」 未悠の案が名案だと思ったハクがやけに明るい声で言うと、隣にいたしずかがハクを見てクスッと笑った。 ハク「なんだよ?」 しずか「いや別に」 しずかはそう言いながらも口角を少しあげてニコニコしていた。 ハクたちが作戦会議を終えて岩場に戻ろうとした時、家の前で背の高い男の人が空に向かって手を広げて立っていた。 しずか「うわ。また変なことやってる」 しずかが目を細めて男の人を軽蔑するように見た。 ダイチ「おい太一。何やってんだよもう」 ダイチが呆れたように言った。 「なにって日光浴だよ。これで夏休みの間に狂った自律神経を整えてるんだ」 ハク「じりつしんけー?」 ダイチ「夜更かしとかしたらそれが乱れて不健康になるってやつだよ。俺もよく分かんないんだけど」 「あ、ちなみにこれ、俺の兄貴の太一だよ」 太一「よお少年。うわさには聞いてるぜ」 太一兄ちゃんはダイチと同じように背が高いが、ダイチと違って色が白い。 ハク「背…高いんだな…」 ハクは太一兄ちゃんを見上げてぼそりと言った。 太一「まあな。183センチもあるから、俺」 太一兄ちゃんはニカッと笑って自分を指さした。 しずか「ほんと無駄だよねえ。バスケもやめちゃったし」 太一「やめたってか休んでんだよ」 しずか「こころ姉はやめたって言ってたよ」 太一「それは嘘っぱちさ」 「それよりガキンチョたちはこれから超鬼ごっこでもやんのか?」 太一兄ちゃんは相変わらず日光浴で自律神経を整えながら興味なさそうに聞いた。 ダイチ「そうだよ。邪魔すんなよな」 太一「しねえって。まあせいぜいがんばれ」 太一兄ちゃんはなぜかハクの方を見てそう言った。 登美の川の岩場には、シンたち鬼チームが円になって作戦会議をしていた。ハクたちが来たことに気がつくとシンたちは円になるのをやめた。 シン「準備はいいかよ?」 シンが腕組みをして得意げにニヤリと笑う。 ダイチ「当たり前だ。負けて悔しがるなよ?」 ダイチがシンを睨み返した。 シン「バカ言うな。よし。いまから五分後にスタートだ。それまで自由に逃げ回れ。五分経ったら俺たちが追いかけ始めるからな」 シンは手首につけた黒くてカッコいいゴツゴツした腕時計をトントンと指で叩いた。 いよいよ超鬼ごっこが始まるのだ。 ダイチ「いくぞ!」 ダイチの掛け声と同時に、シンがタイマーをセットした音が響いた。 ハクたち逃げチームはいったん、まとまって林道の方へ走った。そして林道を抜けてからは作戦通りに散り散りになった。 一人になった途端、突然ハクは緊張感に襲われた。 自分一人のミスがチームに影響すること、自分が足を引っ張るわけにはいかないという決意、そして負けず嫌いからくる絶対に敵に負けたくない、負けられないという闘志。全て緊張につながっていた。 ハクが最初に逃げることになっていたのは、ヒノトリ公園だった。 もうそろそろ五分は経っただろう。シンたち鬼チームが動き出しているはずだ。ハクはまたドクンと心臓が大きく鳴るのを感じ、あたりを注意深く見渡した。 足音がしないか。話し声がしないか。耳を澄ますが、聞こえるのは油蝉の鳴き声と、波の音、防波堤の船の音だけだ。 よく耳を澄ませ。自分を狙う者の音がきっと聞こえるはずだ。 ハクがさらに集中して身を済ませていると、山の向こうからトンビの声が聞こえた。トンビの声は遠く高く空に響いている。 ハクがその声に聞き入っていると、近くでシャーッと軽快な音がした。 ハクは、物音の主も確認せずに咄嗟に土管の中に飛び込むようにして隠れた。 土管の中で身を潜め、ハクはちらりと外の様子を伺った。 シンの改造自転車に乗ったユウが颯爽と公園の外の坂を降りて港の方へ向かっていくのが見えた。 ユウは前を向いており、公園にいたハクには気づいていないようだった。 ハクはほっとため息をついた。 それから、もう一度土管から頭を出して公園の時計を見た。時間は13時16分。作戦では、生存確認のために14時になったらこの島で一番高い山である"イチバン山"の登山口の門の前に集合することになっていた。 ハクはポケットに突っ込んでいた未悠お手製の地図を取り出し広げて、集合場所を再確認した。 イチバン山は島のほぼ真ん中にある。港側のヒノトリ公園からいくには、公園を出てすぐ右に曲がって進み、小川が見えたらそこを渡って、さらに階段を駆け上がると出てくる十字路を右に進めば 良いようだ。 ハクが、まだ行ったことのないイチバン山への最短ルートを頭の中で整理していると、じゃり。と誰かが公園の土を踏む音が聞こえた。 ハクは土管の中からひっそりと外を見た。 公園の入り口に、ユウとそしてイチコちゃんが立っていた。二人とも、得意げな笑みを見せて土管の方を見つめている。 ハクは、さっきのユウが偵察隊であり、ハクに気づいていたが確実に捕えるため、走力のあるイチコちゃんを呼んで来たのだと悟った。 既に見つかっているなら、隠れても仕方がない。 ハクは土管の中から出た。 イチコ「あ、バレちゃってた」 ユウ「うん。でも、逃げられないよ」 ユウは改造自転車に跨ったまま、得意だというパチンコをハクに向けていた。 イチコ「この公園からは逃げられませんからね」 ハク「もう勝った気でいるのかよ」 ハクは、とくにイチコちゃんの方を見て言った。まだ勝負はついてないのにまるでハクがもう負けたような言い方をされて負けず嫌いが発動したのだ。 イチコ「この状況から逃げられるわけないですからね」 ユウ「そうだよハク。ここまでだ!」 ユウがパチンコを発射した。 ハクは右にステップを踏んでそれをかわした。 だが、それを見透かしていたかのようにイチコちゃんがハクの方へ走ってきた。イチコちゃんの走り方は普通の女子とは違う、走りが速いヤツの走り方だった。 ハク「捕まるかよ!」 ハクはイチコちゃんを睨むと、そのまま公園内をぐるりと全速力で大回りし、公園入り口側のフェンスに足をかけ、飛び越えた。 タンッとハクは公園の外の坂道に着地すると、イチコちゃんも負けじとフェンスを飛び越えてきた。 ハク「うわ、まじ?」 ハクは驚いた。まさかそこまでしてくるとは思ってもいなかったのだ。 それでも捕まるわけにはいかない。ハクは予定していたルートとは反対の港側に向かって走り出した。 後ろからはイチコちゃんと自転車に乗ったユウの二人が追いかけてくる。 防波堤の方ではなく、空野家のある方へ曲がったハクは、そのまま高い石垣の上から飛び降りて、空野家一階がある石垣の下のコンクリートの陸地に着地した。 両足がビリビリしびれた。 ハクを追うイチコちゃんは一瞬、戸惑った顔をしたがすぐにムッとした顔で石垣からジャンプしてハクを追いかけてきた。 さすがにユウは飛び降りては来なかった。 ハク「しつこいな!」 こうなったら最後の手段だ。 ハクは空野家のある方向に向かって走りながら、シャツを脱ぎ捨て、そのまま海に飛び込んだ。 さすがのイチコちゃんもこれには驚いており、びっくりした顔のまま固まっていた。 でも、またすぐにその顔はムッとしたものに変わる。 イチコ「次は絶対…逃しませんからね!!」 イチコちゃんが悔しさを滲ませた大きな声でそう言った。 ハクはその悔しい叫びを背に、しずかの家がある方へ泳いだ。 ◯ イチコちゃんとユウの二人からなんとか逃れたハクは、空野家を超え、登美の川の河口を超え、島の端っこにあるしずかの家の敷地に到着した。 陸地から海へコンクリート製の階段が伸びていて、ハクはヘトヘトになりながらその階段を上がった。 静かな場所だった。 蝉の鳴き声もそれほどうるさくなく、静かな虫の声が聞こえる。 広い庭にはスイカ畑があり、その奥には崖の上のダイチの家から見たの同じしずかの家がある。 しずかの家は庭の方に長い縁側があり、その奥には和室が広がっていた。障子も戸も開けっぱなしで、外からでもどこに台所があるのかとか窓があるのかとかほとんど丸見えだった。 しばらくここで体力を回復させようか。 ハクがそう思ってしずかの家の日陰に入ろうとした時、登美の川の上に架かっている橋の方から誰かが走ってくるのが見えた。 鬼が来た! ハクは逃げようとして咄嗟に踏みとどまり、もう一度、橋の方を見た。 橋を走っている女子がしずかの家の門柱まで近づいてきた時、それがしずかだということが分かった。 しずかはポニーテールを揺らし、息を切らしてずいぶん必死に走っている。しずかの走り方もまたイチコちゃんと同様速いヤツの走り方だった。 ハク「なんだしずかか…」 ハクはホッとしていたがしずかはそうではない。しずかは止まることなくハクのいる方へ走ってくる。 しずか「やっぱりここにいた!」 ハク「やっぱり?どういうことだ?」 しずか「話はあと!イチコとユウがおってきてる!こっちきて!」 ハク「えっ!?」 しずかはハクの手首を掴んで走り出し、家の裏の勝手口側に回り込んで身を潜めた。 しずか「はぁ。はぁ。はぁ。あんたが海に飛び込むのが防波堤から見えてたんだ」 そう言えばしずかは作戦会議で最初に防波堤の方へ逃げることになっていた。 しずか「あそこから飛び込んで西側に泳いだら、陸に上がれるのはユウの家の前か私の家の前くらいだからね」 「ユウの家から上がるのはさすがに無いだろうし、絶対こっちにいると思ってた」 しずかは息を切らし、ハクの方をチラリと見てホッとしたように微笑んだ。 ハク「それでそのあとお前があの二人に見つかったのか…なんか悪いな」 しずか「別に?ここまで逃げてこられたし」 「あ、来たよ」 家陰から様子を伺っていたしずかがいきなり小声になってそう言うと、人差し指を唇に当てた。 ハクもおそるおそる顔を出して外を確認すると、ちょうどイチコちゃんとユウの二人が橋を渡ってきて門柱のあたりを歩いているところだった。 ユウ「絶対こっちだと思うんだけどなあ」 ユウが改造自転車をゆっくり漕ぎながらあたりを注意深く見渡している。 イチコ「やっぱり、川の方へ行った可能性はない?」 イチコちゃんとユウの二人が、家の縁側あたりまでやってきた。このままだとハクたちのいる勝手口の方へ来てしまう。 ハクは息を殺してしずかと目を合わせていた。 しずかはその切長の目ですぐ近くの裏の勝手口を見た。 「ここから中に入るよ」という意味だと言うことはハクにも分かった。 しずかは普段の凶暴な性格からは想像できないくらい繊細な手つきで静かに勝手口を開けると、戸を開けたまま靴を脱ぎ、脱いだ靴を手に持って家に上がった。ハクもそれにならった。 しずかの家のにおいは井草の良い香りがした。 空野家やさいちの家もそうであるが、昔ながらの日本家屋だ。 ハクとしずかは忍び足でゆっくりと廊下を歩く。廊下の向こうには玄関があるが、そこに辿り着くまでが大変だ。 外から見た通り、家の中は解放感に溢れている。障子も襖も開いたままのため、外からいくらでも中の様子を確認できるのだ。 ハクとしずかは襖の陰から陰へ飛び移るようにして身を隠し、ゆっくりとではあるが確実に玄関へ近づいていた。 焦茶色の板がはられた床を踏むたび、ギシギシと音が鳴る。ここでは蝉の鳴き声も味方してくれないため、床を踏む音が命の取りに思えた。 台所のあるリビングの前を通り過ぎ、まっすぐ進んで玄関にたどり着いたハクとしずかは靴に足を突っ込むようにして素早く靴をはいて玄関から出た。 玄関戸を開ける時、しずかはハクを見た。 「走るよ」 しずかはそう囁き、目の前の門柱の向こうの橋に向かって走り出した。ハクもそれに続いた。 極力、足音を立てずに走ったつもりだったが、土を踏む音はかき消せず、家の勝手口側に回り込もうとしていたイチコちゃんがハクたちに気づいた。 イチコ「あっ!」 イチコちゃんが橋に向かって走っているのを指さすと、自転車に乗っているユウがあわてて方向転換してハクたちの方に向かってきた。 ユウ「大丈夫!僕が捕まえるから!」 ユウは自信たっぷりに言うと、改造自転車のハンドルとサドルの間に取り付けられた装置のレバーを何やらガチャガチャといじくり、全速力でハクの方へ向かってきた。 ハク「うわっ!?速いな!?」 改造自転車の速度は想像以上に速い。さっきまでかなり離れていたはずのユウがもう目の前まで迫ってきている。 しずか「こうなったら…!」 しずかは走るのをやめて立ち止まり、ユウの方を向いた。 ハク「おい!なにやってんだ!」 しずか「いいから見てて!」 しずかは首をひねると、そのままユウの前に立ち塞がった。 ユウ「うわああ!危ないっ!」 迫り来る自転車を前に微動だにしないしずかに流石のユウもブレーキをかけ、緊急停止した。そしてバランスを崩し、自転車から転げ落ちる。 起き上がって自転車を起こそうとしたユウ。 だが、しずかは瞬時にユウの背後に回り込み、両腋の下に手を突っ込んでこちょこちょこちょこちょこちょこちょっ!!っとユウをくすぐり回した。 その素早さはもはや神の領域であり、ユウは情けない笑い声をあげて崩れ落ち、橋の上で笑い転げ、あっというまに伸びてしまった。 しずか「これでオッケー!いくよ!」 一瞬で鬼を制圧したしずかは急いでハクの方へ戻ってきてすれ違いざまに肩をぱんっと叩いた。 後ろからはイチコちゃんが全速力で追ってきている。 ひと足先に橋を渡り終えたハクとしずかは、三つの分かれ道に出た。林道を抜けて川の岩場方面へ逃げるか、それとも空野家の門をくぐって港側に戻るか。それとも… ハクとしずかが選んだのは、"開かずの屋敷"方面だった。 ハクが開かずの屋敷の前に来るのは初めてだった。 近くで見ると、そのオンボロさは別格だ。瓦がいくつも落ちてしまっている瓦屋根、割れた窓、シミだらけで元が何色だったのかさえ分からない壁などが揃ったその外見はまるでお化け屋敷だ。 ハクとしずかは、急いで開かずの屋敷の前の茂みに身を潜めた。 二人はしばらく黙ったまま息を潜めた。 たったったったっ。とイチコちゃんのものと思われる足音が近くを通り過ぎていったのを聞いて、ハクはようやくホッと息をついた。 しずか「なんとかまいたね」 ハク「だな」 しずか「集合時間まであと20分ないくらいだよ」 しずかは左手首のクリアレッドの腕時計を見た。 ハク「じゃああと10分くらいしたら行くか」 しずか「それでいいと思う。ていうか、あんた服どこやったの」 しずかは上裸のハクを指さした。 ハク「脱ぎ捨てたままだから、家の近くに落っこちてると思う。未悠からもらった地図も一緒にしておいたんだよ。慣れたらまずいから」 しずか「へえ。ほんと思い切ったことしたよね。じゃあ、あとで山に向かうついでに一緒に取りに行こっか」 しずかはやけに優しい口調で言った。 ハク「え?」 ハクは、まさかしずかが一緒に来てくれるなんて思ってもいなかったので思わず声に出して驚いてしまった。 しずか「どうしたの?」 しずかは心底不思議そうな顔でハクを見た。 ハク「いや、別に」 しずか「あ、そう」 ハクが首を横に振ると,さっきとは違ってしずかはそっけなく返事した。 しばらく、二人は黙っていた。しずかはちらちらと茂みから様子を伺っていて、ハクは後ろの開かずの屋敷を見ていた。 しずか「ねえ。そっちは楽しいの?」 ハク「けっこう楽しいよ。なんかお化け屋敷みたいじゃんこれ」 ハクは、開かずの屋敷を見ていることに対しての質問だと思ったのだがそうではなかった。 しずか「いやそうじゃなくて。あんたが住んでるところ。楽しいの?」 ハク「あ、そっち?」 「まぁ、楽しい…かな」 ちょうどこの頃、仲良しだった友人たちと離れ離れになって、夏休みに入っても去年までのように毎日友達みんなでそろって遊べなくなっていたハクはハッキリと"楽しい"と答えられなかった。 しずか「なにそのビミョーな感じ」 ハク「なんかさ、進級してから"ピリピリ"してるっていうかさ」 しずか「それは、あんたが?」 ハク「いや、違うよ。いや…俺もそうなのかもしれないけど、周りがピリピリしてて」 しずか「みんな仲悪いの?やっぱり都会は人数多いから?」 ハク「そんなことないけど…っていうかそんなに都会でもないし。とにかく、今年になってから急にピリピリした感じなんだよ」 頭の中に浮かんでいる"ピリピリ"をうまく言葉にできなかった。 ハク「ちょっと前まではさ、みんな男女関係なく遊んだり、喋ったりしてたし、勉強ばっかりしてるやつも運動好きなやつも読書しかしないやつもみんな仲良かったんだよ。それが今年になってピリピリした空気が出てきて、急にまるで他人みたいになってさ…いろんなグループに分かれちゃった感じだ」 ハクが必死に説明している間、しずかはすごく深刻そうな顔をしていた。その顔を見て、ハクは自分のつたない説明でもしずかがその内容を理解してくれていることが分かった。 しずか「やだね、それ…」 しずかはぽつりと言った。いつもの彼女らしくない悲しげな声だった。 ハク「うるさい女子たちは同じような男子とばっなり固まってさ、おとなしかったやつは前より大人しくなっちゃうし、みんなバラバラでいようとするからさ…なんか、つまんねぇよ」 ハクは、溜まりに溜まっていた不満をぶちまけた。こんなことは地元の友人たちには打ち明けたことさえなかった。 しずか「ねえ。楽しいことはないの?」 しずかが無理につくった明るい顔でハクを見た。 ハクはぼーっと開かずの屋敷の方を見ていた。 しずか「おいっ。聞こえてんの?」 しずかがハクの脇腹をちょんっとつついた。 ハク「うぉっ!?」 不意をつかれたハクは声を上げてどてっと尻もちをついた。 ハクがあわてて起きあがろうとするが、時すでに遅し。しずかが意地悪な笑みを浮かべていた。 しずか「へぇ…ハク…コレ効くんだ」 しずかはニヤリと笑って両手をずいっと前に突き出してきた。


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