1
芸能界は『テレビの向こう側』なんて言い方がある。
別次元とかそういうニュアンスで。
ほとんどの人にとっては、それくらい縁のない場所ってことなのかなって思う。
あたしにとっても最初はそうだった。
ちょっとした憧れとか、興味とか、そういう感情はテレビのモニターという防波堤に阻まれて……。
その向こう側は、そちら側にいる人にしか見えない。
で、ほとんどの人は別にそれでいいの。
全然、構わない。
無理に防波堤を乗り越えてまで覗こうとする人なんて少数派。
あくまでテレビは暇潰しの相手で、芸能人はよくも悪くも私には関係のない人。
うちの親とかが、まさにそんな感じだったし。
でも、あたしは変わり者の側だった。
防波堤を乗り越えて、テレビのあっち側に飛び込んでやるって決めたの。
親にも内緒でオーディションに応募した。
だって、キラキラしてたんだもん。
あたしの居場所はあそこだ! って思ったの。
当時は中学生だったっけ。
世の中のことなんか何もわかってない子供だったからこそ、後先考えずに飛び込めたんだろう。
あたしがそうやってアイドルになったのは、ほんの数年前。
そのたった数年で、あたしの人生は完成しちゃったような気すら――
ううん、一度あたしは完成したんだ。
あたしは『I/DOLLY55』だったんだもん。
普通の青春に背を向けて、あたしはあたしの全部をアイドル活動に捧げてきた。
まっすぐ前だけを見て走ってきた。
なのに、今。
あたしは一人でここにいる。
エアコンすらついてない築40年の1k20㎡、家賃53000円のボロアパートの201号室。
アイドルだった頃に住んでた品川のタワーマンションとは天と地ほどにもかけ離れた、ここが今のあたしの居場所。
「誰のものでもない私だけのstage~♪」
今まさに、テレビの向こう側で歌ってるアイドル達……。
ほんのちょっと前まで『I/DOLLY55』の仲間だった、みんなの目に映ってるものを知ってる。
一員だったんだもん。
あの子達のステージはあたしのステージでもあったんだから。
サイリウムが星みたいに瞬いてる客席……。
ファンの笑顔。
スポットライトのシャワーを浴びながら、あたしだって負けないくらい輝いてた。
歓声は地鳴りみたいで。
大好きって気持ちが身体に直接ぶつかってくる。
あそこは現実と虚構の境界線。
あたしははねる。皇はねる。
でも、あの場所であたしは白鳥レナだった。
もう一人のあたしは、誰かの恋人で、憧れで、夢や希望の象徴みたいな存在だった。
あそこがあたしの世界なんだって信じ切ってた。
ここだけがあたしの居場所。
あたしは特別な存在なんだ、って。
2
もう、こうしてテレビを見ていることさえも限界だった。
逃げるようにして、あたしはテレビで流れ続けていた『I/DOLLY55スーパーライブ』に背を向ける。
「違う」
こんな僻み根性みたいなのはお呼びじゃない。
だって、あたしは負けてない。
(あたしは飛べるの……)
一度は飛べたもん。
『思い出作りだったと思って普通の生活に戻ればいいでしょ? いつまでも意地張ってないで』
ため息まじりのお母さんの声が、もう何度、頭の中でリフレインされただろう。
(黙ってよ、お母さん……)
あたしがアイドルだった時は鼻高々みたいな顔してたでしょ。
『アイドルなんていつまでも続けられるような仕事じゃないんだから。いいきっかけよ』
(わかったようなこと言わないで……)
『専門学校にでも通って資格のひとつでも取ったら? 元アイドルなんて肩書でやっていけるほど人生は……』
「うああああああうるさいうるさいうるさーーーい!!」
お母さんの幻影を追い出すために、あたしは銃で胸を打たれたみたいにゴロゴロと畳の上を転げ回った。
「なんにもわかってないくせに! あたしは……」
……わからないのは当たり前だ。
お母さんにとって、あたしが経験してきた全ては『テレビの向こう側』の出来事なんだもん。
それでも、親だ。
あたしのことを心配してくれてるのはわかってた。
あたしが耳を塞いだだけ。
(だって、このままじゃ終われない……)
諦めて、負けたまま終わるなんて。
「あたしは……」
ガンガンガンガンガン!
「ひっ」
心霊現象? って感じに部屋の壁が激しく鳴り始めて、あたしはビクッと息を呑む。
「今、何時? 夜デショ! ウルサイトブッコロスヨ!!」
「す、すいません!」
隣人だった。
ちなみにここと同じ間取りの部屋に留学生(?)四人で住んでる。
「テレビモ下ゲテネ! ブッコロスヨ!!」
「異国の地で悪い言葉を覚えやがってぇー……」
愚痴は小声で。
ぶっ殺されたら嫌だからテレビは消した。
……それから、ため息。
「何してんだろ、あたし」
シンと静かになってしまった部屋に、あたしのつぶやきが虚しく響く。
(前に進んでるって言える? あたしが選んだ、あたしだけの未来に向かって……)
なら、こんなモヤモヤした気持ちを抱えてるわけない。
I/DOLLY55での活動にだんだん行き詰まりを感じるようになって……。
人気もそれに比例する感じで落ちていって。
自分が景色の一部に過ぎなくなってることに焦って。受け入れることなんかできなくて。
グループを去ると決めたのはあたしの意志であり、意地。
追い出されたわけじゃない。
引き止められたりもしなかったけど。
事務所を辞める時の契約で、昔の芸名とか昔の活動をネタにして新たな芸能活動を始めるのは禁止ってことになったし。
他の事務所に「採って」って応募してみても、全然、相手にされない。
状況はだんだん極まって……。
「いやいやいや! ど、動画配信……とか? できるし、まだ方法はいくらでも……」
ある、はず。
なかったら探し出す。
あたしはあたしを辞めたり、諦めたりしない。
絶対、前に進む。
じゃなきゃ、あたしは負けたままのつまんないあたしになっちゃう。
ガキなのかもしれない。
でも、あたしはこういうあたししか知らない。
こういうあたしでしかいられない。
今……ここにいるあたし、意地っ張りでガキのあたしは、「諦めたら死ぬのと同じ」って感じちゃってるんだもん。
-Interlude-
東京都足立区の区内でも、よく言えば昔ながらの風情を保っている……言い換えれば開発がだいぶ遅れている一帯。
車がすれ違うのも難しいような細い路地には家屋が密集しており、その多くは木造建築物だ。
全体的に背が低い。
そうした建物の中でもひと際くたびれたアパート『コーポ北極星』――
その201号室で元アイドルの少女……皇はねるが悔し涙をこぼしたちょうどその頃、部屋の窓の向こうに小さな動きがあった。
ぺたん、ぺたん。
それは三本爪の平べったい足が、ベランダの床を踏む音。
「ようやくビビッと届いたぜ。オレ好みの飢えたハートのシグナルってやつがな」
ギュオーーーーーン!
荒々しいギターの音色が、住宅街の静かな夜をはた迷惑に乱す。
ガンガンガン!
「ドウシテウルサイノ! ギタースルノヤメテ、ブッコロスヨ!」
「あたしそれ知らない!?」
壁一枚を隔てたケンカ(あるいは弁明)に必死な人間達は、ベランダで上がったニヒルな笑い声に気付かない。
「さて? 見極めさせてもらうぜ。このオレ……ヘンデスメル魔法王国最強ミュージシャン、ぺん様の相棒にふさわしいかをな」
3
その声がいつから届いていたのかわからない。
もどかしげな、苛立たしげな……。
「はねる……」
あたしを呼ぶ声。
(あんたは……?)
問いかけた瞬間、深い霧の中を彷徨ってるみたいだった視界がクリアになった。
白い空間?
そして、目の前にふよふよ漂っていたのは……。
(ボール……?)
「誰がボールだこの野郎が」
そう言われてもって困っちゃった。
「ボールじゃん」
むしろ、ツッコんだ。
「Oops! 寝ぼけてんのか? 目ェ凝らしてしっかり見ろよ」
(ボールが喋った……)
って言いかけたけど、なるほど、確かにぎゃいぎゃいうるさいその生き物には手足が生えていた。
あ、手じゃなくてヒレか。
謎に革ジャンみたいなのも羽織ってるし。
「ロックンロールペンギン……?」
「ペンギンねぇ。オレらの世界にそういう種族のくくりはねぇんだが、まあ、それでもいいさ」
ギュオーーーーーーン!
鼻を鳴らしたペンギンが何気なくギターを爪弾く(ヒレだけど)。
ていうか、あれどうやって音出してんの?
「オレはぺん! ヘンデスメル魔法王国のギターチャンプにして最強ミュージシャンだ」
(結局、名前からしてペンギンじゃん……)
なんで、もったいぶったんだろう。
「で、お前ははねるだろ? 迷子の飛べない鳥だ」
「迷子ってどういう意味よ」
こういう時、状況も忘れて食ってかかっちゃうのがあたしだ。
「負けん気が強いのは資質だがよ。時には自分を客観的に見るのも大切なこったぜ?」
「あんたなんかにあたしの何がわかるっていうのよ」
「全部『わかった』とも。今日までお前が歩んできた道のりも……挫折も、燻ってる今の思いもな」
(燻ってる、なんて……)
否定の言葉が上手く出ない。
だって、ズバリだもん。
喉が塞がったみたいな気分で……でも、それを認めたくないあたしは黙ってぺんを睨む。
「オレはお前みたいなヤツを探してたのさ。信頼しあえる相棒を、な」
「相棒……」
なんなのこれ? って、ようやく頭が働いた。
いや、夢は夢なんだろうけど。
「オレらの世界……ヘンデスメル魔法王国は、ちょっとした危機にさらされててよ。
ぶっちゃけ、おめーら人間の協力が必要なのよ」
なんかこれ、もしかしてあれじゃない?
子供の頃見たアニメみたいな……。
「魔法少女……」
「おお、話が早ぇな」
本当だった。
「なんてツラだよ。そりゃお前にとっては縁もゆかりもないことなんだし、だりーってのが本音かもだけどよ」
問題はもっと本質的なところにある。
というか、うん、まあ、わかってはいる。夢よね? 夢。
わかってる、けど……。
「さっきも言ったろ? オレ達はギブアンドテイクで繋がれるかもしれないってこった」
なんのこと? 言ってない……ような?
「……うん、絶対言ってないし」
「そうだっけ? まあ、いいだろそんなのどうでも」
大雑把にも程がある。
そのくせ妙に自信満々で、さっき自分でミュージシャンとか言ってたけど確かにそういうタイプかも。
「お前の心は訴えてるぜ。まだまだ、夢から醒めたくないんだよな」
「夢……」
「帰りたいんだろ? あの夢の場所に」
そうだ。
あのスポットライトが当たる場所があたしの夢……あたしの居場所だった。
一度は届いたの。
「それだけ強く願ってんのに叶わない理由は……ふむふむ、なるほどな。
白鳥レナの名義を使うのは禁止ってのは建前で……
根回しってやつな? 実質、よその事務所で再デビューすんのは無理ってことか」
「そんな話、どこで聞いて……」
「お前の心に聞いただけだ」
わけわかんないのに、不思議と怖さは感じなかった。
多分、声がちょっと優しかったからかも。
「で、だ。まさかとは思うけどよ? その重石を自分への言い訳にしてるんじゃねぇだろうな」
「っ!? あんたなんかに何が……」
「そもそもお前、元いたとこ……『I/DOLLY55』だかってとこで限界を感じて辞めたんだろ」
そうだった。
こいつは「わかってる」んだ。
あたしの胸の奥でモヤモヤしてるものを知ってる。
「だんだん人気も結果もついてこなくなって、後から入ってきた連中にも抜かれだして?
自分のせいにしたくねぇから、周りのせいにしたんだよな」
こいつが言ってるのは全部、あたしの中にあった焦燥だもん。
あたしの後悔。
「一度はこんなのバカバカしい、辞めてやるって決めたつもりでいたのによ。
結局はそうやって過去の栄光にすがりついてる。
正直に言え、心を見せろよはねる。それが本当のお前……お?」
あたしを取り巻く全部と……あたし自身への、途方もない怒り。
自分の胸が焦げちゃいそうなくらいの。
「ヒューッ」
「何よその口笛。バカにしてんの?」
「いいや、むしろ逆だ。そうこなきゃって思っただけだよ」
憎たらしい笑い方。
「意地悪な言い方をしたのは悪かったな。お前を怒らせようとして、わざと煽ったんだ」
こいつ、ぶっ飛ばしてやろうか。
「今もぶち切れてオレのことを睨んじゃいるが、揺らいじゃいない。
お前が抱えてる願いは後悔とは繋がってないってこった。
つまり、『あの場所に帰りたい』『なかったことにしたい』とは思ってねぇ」
「当然でしょ! あたしは……」
「見返したいんだよな? お前が最強のアイドルで、あいつらが間違ってたことを証明したいんだろ」
「そうよ!」
「お前のいいところは、それを本気で思ってるってこった」
肩(?)をすくめたペンギン……ぺんが、ふよふよとあたしの顔の前を漂う。
「『チャンスさえあればそれが絶対できる』と、自分を信じきってるからイラついてるんだよな」
ぺちん、とヒレに頭を叩かれた。
それか、もしかしたら撫でたつもりだったのかも。
「やっぱし、お前なかなかおもしれーよ」
「……ありがと」
オウヨ! って、ペンギンがニヒルに笑う。
ちょっと可愛いかも、とか思っちゃった。
「合格! と言ってやりたいところだが……違うんだよな、選ぶのはお前だ」
「選ぶって?」
「おいおい、言ったろ? オレ達はギブアンドテイクで繋がれるかもしれない関係ってこった。
お前がオレごと運命を受け入れるかどうかって話だよ」
ふよんって……変な音と共に、ボール状の身体が浮かび上がった。
あたしから離れた?
「もうちっとか? 時間なり覚悟が要るならチャッと済ませな。
お前がオレを呼んだらもう後には引けないぜ」
「待ちなさいよ。てか、一方的すぎ! 人の心を好き勝手覗いて……」
ああ、あたし……焦ってる。
すがりつくみたいに。
「あたしに何をさせたいの? それをしたらあんたはあたしに何をくれんのよ」
「弱い弱い。ビクってんのか? そういうのじゃねーんだよなぁー」
「おい、こら!」
「ま、しばらくは待ってやるよ。またな」
待っ……!
「待て! 革ジャンペンギーーーーーーーーン!!」
ガバッ! と布団を跳ね飛ばして……。
「あれ?」
飛び起きた姿勢のまま首を傾げた。
「夢……」
うん、夢。
夢を見てたってことだけは、おぼろげに覚えてる。
「なんか、ペンギン……」
そう、ペンギンが出てきた。
「動物園の夢?」
そんなほんわかとした夢を見てたにしては、胸の奥がムズムズしてる。
もどかしいっていうか、なんていうか。
「……いけない。支度しなきゃ」
実家とはケンカ状態で支援は期待できないし、アイドル時代はロクに給料もらってなかったから、生活はかなり厳しい。
昨日は居酒屋、今日はこれから近所の漫画喫茶でアルバイトだ。
「こんなことしてたって……」
あたしは無理やり独り言を打ち切って、パジャマを脱ぐ。
全部、あたしが決めたこと。
あたしは一人だって前に進むんだ。