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pieces/揺り籠のカナリア SS「ありすのアイドル奮闘記」第四章(最終回)

4章


          1


 東京の心臓部、ここ新宿でもだいぶ目立つ大きなビルに、ありすが所属する『RO&N(ロックンロールな俺様と仲間達)プロモーション』の事務所はあります。

 その最上階、一番奥にあるのが社長室です。

 壁一面のショーケースには名だたる音楽賞のトロフィーや賞状とかが、大雑把に詰め込まれています。

 マニア垂涎といいますか、とんでもない景色です。

 今日まで、ありすがどんな場所にいたのかをこういうところからも痛感します。

 そう、今日まで。

「ああん? ありすベイベー、今なんつった」

 社長室の窓から町を見下ろしていたししょーが、初めて振り返りました。

 結構、びっくりした顔をしています。

「事務所辞めたいって……そりゃ、あれか? 芸能界は引退するって意味かよ」

「アイドルは続けたいと思ってるのですが」

 大丈夫。

 声は震えませんでした。

「元いた場所に……そりゃ、完全に元通りとはいかないでしょうけど」

「個人での活動に戻りたいってことか?」

「そういうことになります」

「やっと喉の調子が戻ったと思ったら、随分な爆弾を投げ込んできやがったな」

 ししょーの性格的に皮肉ではないのでしょうけど、ある意味では皮肉以上にグサッときました。

 デビューするまでも素人丸出しでたくさん迷惑をかけて、やっとデビューしたと思ったら喉のトラブル。

 迷惑ばかりかけてきて……。

 とどめとばかりに「事務所辞めます」ですからね。

 恩知らずもいいところで、ありすはもっと縮こまってないといけないんです。

「もう何もかも嫌になっちまった、ってツラには見えねぇが……」

 全然、怖くないことの方が変なんです。

「理由は? あるんだろ。ここじゃ芸能活動を続けられない理由だ」

 不思議ですね。変ですね。

 怒り狂ってるはずのししょーが、許して受け入れてくるって信じる根拠なんてないはずなのに。

 勝手にそう信じ込んじゃってる。

「フィーリング的なことにもなってくるんですけど」

「フィーリングっておめーよ」

 ししょーのへなへなしたツッコミに吹いちゃったくらい、余裕があります。

 開き直ってるのとは違うつもり。

「ありすはここが大好きです。ありすのことを認めて、ここまで引っ張ってきてくれたししょーにも感謝してます。

 ししょーの期待に応えたいって気持ちで今日までやってきました」

「期待に、ね」

 そう、この顔。

 今までもずっと、ししょーとありすの間には行き違いがあったんです。

「頑張らなきゃって思えば思うほど、少しずつ、ありすは自分を見失っていきました。

 ありすらしさとか、歌う意味とか……」

 鏡に映したみたいな、ありすの曇った顔が脳裏をよぎりました。

 なぜでしょうね? もうひとりの自分に問いかけられたような気分になりました。

 だから、ありすは答えるんです。

(大丈夫……!)

「ふむ。わからんでもねぇか」

 意外……ではありません。

 ししょーはずっと「それがありすの歌か?」って聞いてくれていましたから。

 その意味をありすが理解できていなかっただけで。

「わかんねーのは、おめーが『ここで乗り越えんのは無理』と決め込んじまった理由だ」

 ししょーの気遣いがわかるから、答え辛いです。

「多分、この決断……今日のことをこれから何回も後悔するだろうなって思います。

「何度も自分を嫌いになることだって、あるかもしれません。

 ししょーの期待を裏切ったこと。

 夢見た場所に、自分で背を向けてしまったことも」

「そういうことを言わせたいんじゃなくて……あー、いや、それが答えなのか。

 曲げる気はねぇって言いたいんだよな?」

 ありすは黙って頷きました。

 だって、もういっぱい迷った後ですから。

「バカだぜ。ようやくひとヤマ乗り越えたんだろ? すっきりした顔になったと思って見てたのによ」

「乗り越えた……というか、そうですね、どう言えばいいのかな」

 迷ってはいません。

 この気持ちが、どういう言葉になるのかがわからないだけ。

「これは乗り越えちゃいけないやつだって思ったんですよ。ありすがありすでいたいなら」

「染まりたくない、か?」

「かもですね」

 手探りみたいにだけど、やっと言葉になりました。

「もちろん、芸能界がそんなにひどい場所とは思ってません。

 ししょーや皆さんが守ってくれてたのもわかってて……感謝もしてますけど」

「やりたいことがここにはなかった、か?」

 多分、近づいてきてる。

 ししょーは先回りして、そこにありすを連れていこうしてくれてる?

 そんな気分にすらなりました。

「ししょーにとって歌はエゴで、自己表現なんですよね?」

「ああ、そうだ。スターは光り輝いてなんぼよ。その光が道に迷ったボーイ&ガールズの目印になるんだ。

 ロックの意味は曲げないこと、貫き通すこと。

 俺はいつだってそうやって俺の想いを乗せて、俺だけの歌を届けてきたぜ」

「……やっぱりししょーは格好いいです」

 ししょーに会えたことは、ありすのこれからも続いていく長い人生の中でも特別なことでした。

「ズルいですよ」

 会えてよかった。それだけでも、ここに来られてよかった。

 そう思いながら、ありすは別のことを伝えます。

「ししょーの体験からくる、ししょーの言葉でありすを縛ろうったってそうはいきません」

 決別のために。

「ししょーの言葉、ししょーがくれた場所……」

 すでに、ししょーが持ってる人生の答え。

「ごめんなさい。ししょーの光は強すぎて、ししょーの隣でありすはありすでいられません。

 ししょーがくれる言葉も思いも、居場所も曲も……全部が完璧すぎます。

 そんなすごいものをししょーはヒョイッと簡単にくれちゃう。

 もう、こうすればいいって答えを全部持ってるししょーが『ありすらしさをもっと出せ』なんて残酷ですよ」

「……残酷、か」

「ししょーが期待する、ししょーにとって理想のありすにはなれないです。

 なろうと思っちゃいけないって気がしちゃったんです。

 ありすは、ししょーみたいにもがいて、頑張って、自分が誇れる格好いいありすになりたい。

 これがありすだ! って胸を張って言えるような。

 時間がかかるかもしれないし、回り道になるかもしれませんけど」

「そりゃとんでもなく立派なエゴで、自己表現だぜ? ありすベイベー」

「そうなんですか?」

 ありすにはちょっと難しいです。

 ししょーもそれ以上、補足してくれる気はなさそうですし。

「ということで、すいませんししょー。解散の理由は方向性の違いということで……」

「プハッ」

 吹きました。

「簡単に言ってくれるぜ。ありすベイベーをここまで連れてくるのにいくらかかったと思ってんだよ」

 そこを言われると痛いです。

「全部これからのはずだったんだぜ」

「そうだと思います」

 この場所で懸命に踏みとどまってないと見えなかった景色はきっとあって……。

 そんな未来に向かう道標もちゃんと見えてた。

「こんな理由は聞いたことねぇよ。言いなりになりたくない、口出しされたくない……

 何を歌うか、誰のために歌うかは自分で決めるってこったろ?」

「そう、ですね……そうなんだと思います」

 むしろ、ししょーにその答えに誘ってもらった気すらしていました。

「たいした自信家だぜ」

 ししょーも不機嫌そうなままですけど、なんだか……。

「脅すわけじゃねぇけどよ? 形としちゃ俺に砂をかけて出ていくことになるんだ。

 そう簡単に芸能界には戻ってこられねぇからな。

 俺が口で認めるって言っても、周りが顔色を窺うだろうよ」

「仕方ないです」

「だろうな。言ってみただけだ」

「ありすってわがままなんですよ」

「……ハッ!」

 ハリウッド映画とかで見る感じのやつです。

 鼻息をもらしたししょーが、オイオイって感じに肩を竦めます。

「呆れたじゃじゃ馬だな」

 お話は終わりです。

 ししょーはクルッと、ありすに背を向けてしまいましたから。

「行けよ、行っちまえ」

「……お世話になりました」

 この場ではこれで終わり。

 ……その場では。


 もちろん、そんな簡単に万事が片付くはずありません。

 お辞儀で済むわけありません。

 最初からわかっていたことで、その夜も……日が変わってからも発作みたいに突き上げてくるものがありました。

 何度も泣いちゃいましたし、わがままな自分を嫌いになりかけました。

 ありすの事務所退所のニュースは一部で湾曲されて、事務所に見捨てられたみたいに言われてたりもして。

 頭がおかしくなっちゃうんじゃないか、ってくらいへこんだ時もありましたけど。

 もう決めたんです。

 ありすのシンデレラ・ストーリーはこれでおしまい。

 夢から醒めたありすは、バカでも、わがままでも、自分が選んだ道を突き進むのです。

 それがたくさんの人に繋がっていく、ありすが目指した道だって信じて。




          2


 ピピピピピ! ピピピピピッ……!!

「うるっ、しゃい……」

 まだ、目は開きません。

 開けたくありません。

 今は何よりも眠気を優先して、目を閉じたまま鳴り続けている枕元のスマートフォンを探します。

『こら、ありす! やる気と元気はどこいっちゃったの』

「違うから、これは……やる気の代償……」

 そうです。昨日はピザ屋のアルバイトも夜番で遅かったですし、帰ってきてからもやることいっぱいで……。

「むにゃ?」

 何かのはずみみたいに、パチッと目が開いてしまいました。

「……今、ありす誰かと話……んん? 何が言ってませんでした?」

 寝言みたいな? よくわかんないですけど。

 なんであれ、起きてしまった以上は仕方ありません。

 ベッドで大きく伸びをして、1日を始めるための準備に取り掛かります。

「ありゃ? ノート開きっぱなしだ」

 昨日の夜どうしたんだっけ?

 疲れ果ててたので、ところどころ記憶が曖昧です。

(アルバイトから帰ってきて、ごはん食べて、お風呂入って……)

 そうです。ちょっとだけでも頑張ろうって、ノートを開いたんでした。

『Returner』

 開いたページには、ありすの字で大きくそう書かれています。

 心のどこかから湧き上がってきた言葉でした。

 居場所に帰ってきたような? 今も漂ってるような。

 ありすの曖昧な気持ちがそんな言葉を導き出したんでしょうか。

 このノートは、これからありすの取り組むことの一部です。

 そう、ありすはこれから自分で自分のための曲を作っていくことに決めたのです。

 楽器はまだ練習中ですが。

 これからありすが進む道を考えた時、結局、ありすがやりたいこともできることも歌うことだけでした。

 なら、悔いのないようまっすぐ向き合おうって思ったんです。

 誰かの心に届くものを作り出せるように。

 できればですけど、迷ったり、何かに挑んだりしている誰かに届くような……。

(結局、帰ってきただけですよね……)

 ありすはずっとそう言ってたんですから。

「えっぷし!」

 せっかくの気高いムードが、このくしゃみで台無しです。

「あちゃー、窓開けっぱなしだ。風邪ひいちゃう……」

 もうすぐ秋ですからね。

 この春に始まったシンデレラ・ストーリーは、季節をふたつ越えて、この秋から第二章に突入です。

 一応ブログとトゥイッターで活動再開の告知もしてありますし。

 そういう意味でも後には引けません。

「まずは、歌詞を……」

 コンコンッ! と部屋のドアがノックされます。

「ありすー? もう8時よ」

「起きてるー」

「起きてるなら早く朝ごはん食べに来なさい」

 怒られちゃいました。

「焦ることないもんね」

 一歩、一歩です。

 ありすには、ありすのペースというものがあるのですから。


 火曜日の朝はトーストとサラダ。

 お気に入りのいちごジャムでべっとべとにしたトーストを、牛乳で流し込むのがありすのやり方です。

「ン~、おいひい……」

「あら……この子ったら、また口の回りがジャムでべとべと。小さな子供みたいよ」

「後で拭くからいいんだもん」

「たいした国民的アイドルねぇ」

 ありすが戻ってきた時は腫れ物扱いの空気を感じてましたが、お母さんもこんな冗談を言うようになってきました。

『少しホッとしてるわ。こんなこと言っていいのかわからないけど、テレビの中のありすは……』

(あまり楽しそうにじゃなかったから、か……)

 ありすが戻ってきてから……何日目くらいでしょう?

 いつだったかの夜、お母さんがぽつりと言っていたことです。

「まあまあ、顔にジャムつけてるアイドルがいてもいいじゃないか」

 なお、お父さんはお母さんに輪をかけてデレデレです。

 出勤前にひょいっと廊下から顔を出して、わざわざそんなことを言ってきました。

「ありすは人前でジャムつけてるわけじゃないよ? お父さん」

「個性の時代だもんな」

「それはそうだけどジャムはちゃんと拭くよ」

 もう拭きましたし。

「毎日頑張ってるありすがお父さんは誇らしいぞ。今日もアルバイトは遅くなるのか?」

「ううん、今日は早番だから。お味噌汁作っとくよ」

「……何から何まですっかり元通りね」

 やっぱり、お母さんの声はどこかホッとした響きを帯びていました。

 元通りってことはないんですけど。

 ししょーの元で過ごした日々も、学んだことも、ちゃんとありすの中には残っています。

 たとえば……。

「……む! 湧いてきた。ごめん、ちょっと部屋に戻るから」

「湧くって?」

「作詞ーーーーーー!!」

 ドタドタドタドタッ!


「一時はどうなることかと思ったけど、元気になってよかったな」

「……そうだといいんだけど」

「いいんだけど、って?」

「心配は心配よ。あの子は元気なふりをするのも上手だから」




          3


 ありすの復帰を記念する生放送は、なんとなくキリがいいので10月1日に決めました。

 これはもう、撤回なんか許されない決定事項です。

 ちなみに今日は9月10日です。


「でき……た、でき? できたぁーーー!」

 一番最後の一行、一文を書き終えた勢いでボールペンをポイッと捨てて、机の前で高々と両手を掲げました。

 勝利の雄叫びみたいななつです。

「間に合……っ、間に合?」

 ストレートに喜びを前面に持ってこられない事情もあるにはあるんですが。

 ふーむってちょっと悩んで、パソコンの音楽ソフトを起動します。

 作詞と平行して作っていた、曲の方です。

 ぺこぽこぺこぺこ。

 ありすの操作で、そんな感じでしか表現できない音楽が流れ始めます。

 パクリにならないように流行のあれこれは避けまくりましたが、その分、ありす自身イマイチよさがわからない仕上がりになりました。

 前衛的というか。センスのきらめきというか。

「イメージはちゃんと落とし込めたとは思ってるんですが」

 作曲自体、初めてという意味では上出来なのでは?

 こっちはパソコンで曲を作るソフトの使い方を覚えるところからスタートしたんです。

「ありすのデビュー曲はししょー作でしたからね……」

 あのハイエンドなクオリティと比べたら、ありすの曲がへっぽこ……もとい、うーん? って印象になるのは仕方ありません。

 でも、これがありすの選んだ道です。

 今のありすの精一杯です。

「ら……らー♪」

 ぺこぽこ、と流れ続けている音楽に自然と鼻歌が重ねていました。

 すると、どうでしょう。

 これはこれでいいかも? って気持ちになってきました。

「――解(ほど)けた夢のpiece 砕けたパズル

 描かれていたものはなんだっけ?

 思い出せないことが切なくて

 ここにいる自分 私すらも見失っていた

 未来はいつも意地悪で 進む先にしかないから

 覚悟を決めて 一番私らしい私で

 自由に向かって走る! まだ、ちっぽけなreturner」


「…………ふぅ」

 熱唱してました。

 もしかしたら、一階にいるお父さんやお母さんにも聞こえていたかもしれません。

 今頃、涙ながらに拍手喝采していることでしょう。

「……もしや、天才なのでは?」

 よいのでは?

 ちょっと曲がぺこぽこいってるのは気になりますが、どうすればクオリティが上がるのかわかりませんし(さらなる勉強が必要です)。

 歌でだいぶ挽回してると思います。

 満足です。

 もうこれで準備はほぼ万端なわけですが。

(再デビューに向けて、やり残したこと……)


-Interlude-


 東京都新宿区 RK(ロックンロールキングダム)ビル最上階――

 壁一面が栄光の軌跡によって飾り立てられた社長室。

「ありすベイベーから手紙? ハン…今どきのガキにしちゃ、回りくどいことしやがるな」

 その連絡を持ってきた黒服、ロバート=グリーン(愛称ボブ)は哀れなほどに震え上がっていた。

 ありすベイベー……。

 彼のボスがそう呼んだ少女が事務所を去ってから、事務所の空気はずっとピリピリとした緊張感をはらんでいる。

 誰一人としてボスに軽口のひとつも叩けないほどに。

 今だってボブはすぐさまUターンして逃げ出したいと内心では思っている。

 ボスの機嫌の悪さを肌が感じ取っている。

「……これは」

 そんなボブの気持ちを知ってか知らずか、50絡みのその男……彼らのボスはつまらなそうな顔で封筒の口を開く。

「これが今のありすベイベーの精一杯。最初に俺に聞いて欲しかった……ね。

 おい、ボブ。俺ァあんまりパソコンがよくわかんねーんだ。

 こっち来て対応頼むわ。なんかアドレスっぽいのが書いてあんだよ」

「ワッツ?」

 少女からの手紙に記されていたのは『オメガ宅急便』と呼ばれるファイル転送サービスのアドレスだった。

「パスワードは『wakuwakualice』です。ここに入力を……」

「へー」

 興味なさそうに彼のボスが鼻息を鳴らす。

 だが、実際はそうではない。

 視線が完全に「早くしろボブ」と急かしている。

 ボブは冷や汗をかきながら内心で首をひねる。

 すでにボスの中であの少女は裏切り者になったのではなかったのか? と。

 もちろん、直接問いかけることなどできるはずがない。

「音楽ファイルですネー」

「流せ」

 指示通り、ボブがその音源ファイルを音楽ソフトで起動する。

 前置きも何もなく、音楽はすぐにきた。

 ぺけぽこ、ぺけぺけ。

「……ひでぇイントロだな。ゴミだわこれ」

 ボブは愛想笑いで聞き流す。

 ボスの言葉に素直に乗って曲をけなしても殴られそうな気がしたし、その予感と判断はおそらく正解である。

 果たしてボスの中で少女への感情は愛憎、いずれに寄っているのか。

「――解(ほど)けた夢のpiece 砕けたパズル」

 ボブはただ黙って、PCから流れ始めたメロディに耳を傾ける。

「描かれていたものはなんだっけ?

 思い出せないことが切なくて

 ここにいる自分 私すらも見失っていた

 未来はいつも意地悪で 進む先にしかないから

 覚悟を決めて 一番私らしい私で

 自由に向かって走る! まだ、ちっぽけなreturner」

 4分半ほどの曲が余韻を残して終わるまで、ボブのボスは一言も口をきかなかった。

 ただ、むっつりと口をへの字に結んでいた。

「これが今のありすベイベーだぁ? 安っぽい曲だな。

 なんだよ、このションベンみたいな音は。ぺこぽこいいやがって……」

 鋭い舌打ちと、口元に浮かんだニヒルな笑みが不思議と調和していた。

 重苦しかった部屋の空気がふっと軽くなる。

「だが、まあ、悪かねぇ。ちっとは『らしさ』が出てきたんじゃねーの?」

「ボス……」

 言うな――

 自らに向かって示された手を、ボブはそう解釈した。

「ハシャいじまったんだよな。懐かしい仲間に再会したような、そんな気分だったんだ」

「ワッツ?」

「なんでもねーさ。こっちの話だよ」

 乱暴にノートPCのコンセントを引き抜いた男は、そのままPCを小脇に抱えて歩き出す。

 ここ数日は見ることのなかった、スタスタと力強い足取りで。

「ボス、フェアアーユーゴーイン?」

「急用ができた。ありすベイベーの個人活動再開は10月1日だろ?

 ……それまでにこのポンコツ、ちっとはマシに仕立て直してやらなきゃな」

「ごゆっくり」

 ボブが笑う。

 ぶつくさ言いながら立ち去るその背中は完全に、ボブが敬愛する偉大な背中に戻っていた。




          4


「ピザ~♪ ぴっぴぴ~~、わんわんわお~~ん」

 自分で鼻歌を奏でておいて言うことではないかもですが、なんでしょうね? この鼻歌。

 昨今の創作活動でアーティスト性が開花しつつあるのかも。

 将来が楽しみです(自画自賛)。

「ただいまー」

 玄関の鍵を開けて中に入っても、「おかえり」って声はありません。

 まあ、いつものことです。美城家は共働きなので。

 今日の晩ごはんは餃子(冷凍)にします。

 鶏ガラスープの素や醤油で大雑把に作った簡単な中華スープ(具はネギだけ)で、ありす的には十分なお供なのですが。

 両親に野菜を食べさせるため、わかめとたまねぎで中華サラダも作りました。

 自分の分の餃子をじゅっと焼いて、タイマーをセットしておいた炊飯器からほかほかごはんをよそったら……。

 いただきますは省略です。

「うん、おいひい……」

 カリカリでじゅわじゅわです。

「ぎょっぎょっ、ぎょ~~♪ うまくてぎゃお~~」

 天才かもしれません。


「さってっ、と! 今日は忙しいぞ」

 夜のお供のコーラ(ゼロカロリー)をテーブルに置いて、ありすはむんっと気合を入れます。

 記念すべき、ありすの再起一回目の生放送は明後日です。

 場当たりではなく、ある程度の段取りに添って進めたいので、自分宛ての台本的なものを作っておくのです。

「テレビやラジオでは、こういうの作家さんがやってくれてたっけ……」

 芸能界の裏話ってどの程度までOKなんでしょう?

「そういうので話題作りするのも嫌だなぁ」

 悩むところです。

 テキストエディタを開いて、さっそく迷子になってしまいました。

 うーんって唸ってる間も指はほとんど勝手にネットのブラウザを開いたり、メールソフトを触ったりしています。

 この辺りは現代人の条件反射ということで……。

「ん?」

 ふと、ありすの指が止まります。

 タイトルもなし、差出人だも誰だかよくわかりません。

 おまけに添付ファイル付きです。

 なかなか怪しげなメールに警戒心を刺激されましたが、すぐ、それに気付いてしまいました。

 ファイル名は『foralicebb』――

「ふぉー、ありす……びーびー? べいべー?」

 次の瞬間にはファイルを解凍していました。

(音楽ファイル……?)

 その軽はずみな行動でパソコンが吹っ飛んでたかもしれないのに、思うよりも早くってくらいそのファイルを再生していました。

 しゃらら、さらさらー♪

 そんな感じです。

 なんて綺麗なアルペジオでしょうか。小川のせせらぎです。天使の愛撫です。

(でも、このイントロどこかで……)

『――解(ほど)けた夢のpiece 砕けたパズル』

「おっは!?」

 仰け反りました。

 だって……いえ、合成した音声ですよね? それはわかりますけど。

「これは、ありすの曲です……」

 メールには一切何も書かれていません。

 署名すらありません。

 でも、他にいません。

「ししょーは格好つけですね」

 いえ、実際に格好いいんですけど。

 うっかり涙が出そうになったので、ズズーッ! と無理やり引っ込めます。

 泣いてる場合ではないので。

「ありがたいですが、こ、これなかなかの作業ですよ?

 どうやって音声と曲をバラすんですか。

 この素敵な音楽を自分で歌う用のカラオケ音源に変えるなら? 演奏し直して……

 このギターを? ありすが!?」

 うーっと頭を抱えます。

 まあ、でも? ありすが厚かましいのは今に始まったことではありませんし。

 思い立ったがってやつで、すぐにスマホを準備します。

 プルルル、プルルルッ……!

「あ、もしもし、ししょーですか? あ、デート中? そうですかすいません。

 駄目ですよそうやって凄んだって。

 実はですね、ええ、あの、いただいた音源のことで……

 身に覚えがないとかそういうのいいんですよ。いえ、このままだとですね? 使えないんですよ。

 ですから、カラオケで使わなきゃいけないのに初根ミコさんの声が重なってて……

 わけわからんじゃなくて。ええ、ええ……そうです。

 じゃあボブさんに……ですから、なんのことか知らんけどとかそういうのはいいんですよ。

 助けてくれないと知りませんよ。

 追い詰められたありすは、この素晴らしい曲を自分でへぼく演奏し直して……

 殺すぞってやめてくださいよ、もっと言い方があるでしょう?

 ですからー! カラオケ用の音源をですね……」

 夜は深々と更けていきます。

 明日も早くからバイトなのに、どうやら今日も寝るのは遅くなりそうです。




          5


 約束の! 運命の! 10月1日!

 花の金曜日!

 ……って言い方は古いんでしたっけ? 両親がよく使ってるんですが(働き者の両親は週末が大好きです。ずっと寝てます)。

 言葉のチョイスはなんであれ……今日です。

 祝! 再起。

 ありすの(セルフプロデュース)アイドル活動の再開を祝う生放送が、今日の9時に予定されています。

 ブログやトゥイッターで今日まで散々、告知はしてきました。

 だからこそ見えてきたものはあります。

 活動のスタイルが元に戻っただけで、本当の意味で元のありすになったわけではないんだって。

 だって、反応が前までとは桁違いですもん。

 芸能活動での貯金みたいなことです。

 もちろん、ししょーや事務所が売り出してくれたおかげですが。

 なんの爪痕も残せてなかったわけでは、きっとなかった。

 至らない部分は反省するとしても、そのことだけは素直に喜びたいなぁって思いました。

 ポジティブにね!


「さて、そろそろですね」

 時間は8時55分をとっくに回って、壁掛け時計の長針は一番てっぺんの『12』に差し掛かろうとしています。

 カメラもマイクも大丈夫。

(うん、可愛い……!)

 窓に向かってパチッとウインクもしてみます。

『大丈夫、大丈夫。私がついてるから! 二人の再スタートだよ』

 んっ? て回りを見回して……。

 何が気になったのか、わからなくなってしまいました。

「おっとと、時間」

 もう準備はあらかた整ってるので、『ライブ配信』ってとこをマウスでクリックするだけです。

 すぅ、はぁ、と深呼吸。

『しっかり!』

 カチッとマウスをクリックします。

「はーい! お久しぶりですこんばんは。ありすとみんなで作る夢の王国、『ありすinワンダーランド』……

 お届けするのはみんなのありすです」

 待ち構えていたファンの皆さんの声で、ぶわーっ! て、コメント欄が盛り上がります。

 お帰り、とか……久しぶりとか。元気そうとか。

 人数なんて関係ありません。

 ひとつひとつが、ありすとまっすぐ向き合ったメッセージであり……声です。

(マズいです。もうちょっと泣いちゃいそうなんですが……)

 それじゃあ放送にならないので、太ももをギューッとつねります。

「数奇な運命のあれこれみたいなやつですかね? 今年の春に芸能事務所さんから声がかかって……

 ちょっとトップアイドルやってきたりもしたわけですが。

 今日からの『ありすinワンダーランド』は仕切り直しというか再出発というか。

 とにかく祝いましょう! かんぱーい」

 当然、ファンの皆さんはノリをあわせてくれます。

 いい滑り出しです。

「最初の一回なので今日はあまり細かいことは決めずに、みんなと大いに語らいたいなって思ってます。

 質問とかテーマにして欲しいこととか、話題があったらどんどんください」

 結婚してください! とか飛んできましたが、普通に無視します。

 ありすは非情にもなれる女なのです。

 おっと、無難にこの辺りのコメントから拾ってみましょう。

「事務所を辞めた経緯ですか? そうですね、色んな憶測は出てると思うんですけど……

 週刊誌か何かで見た事務所と大揉めとかはないですよ。

 もしあったら、こんな個人活動とかできてないような気もしますし」

 一応、事務所とのことについてはあまりおおっぴらに話さないように釘を差されています。

 多分、関係者とか見てそうですし。

「結局のところ、ありすがワガママだからなんですよ。

 事務所はありすを思いやって、ありすのためにたくさんのことをしてくれました。

 特に療養中はそのことを痛感してましたね。

 こんなによくしてくれてるのに、ありすは何をやってるんだろうって」

 ここに集まってくれた人達に対しては誠実でありたいので、全く触れないわけにもいきませんが。

「……声が出なくなっちゃったんですよ」

 遠い昔のことみたいって、言いながらどうしても感じてしまいました。

「あーとかうーくらいですかね? 日常会話もままならないレベルで。

 お医者さんは『精神的なもの』って言ってました。

 こんなこと言うと精神的に追い詰められてたとかのイメージ持たれちゃいそうですね……

 追い詰められてなかったことはないんですけど……どう言えばいいのかな」

 本当はわかってる。

「ありすを追い詰めてたのはありすなんですよ。自分とケンカするみたいに」

 そうだったね、って誰かの声が聞こえた。

 そんな気がした。

「なんのためにアイドルになりたかったのか? どうして歌うのか。

 あー、もう読めてます。わかってます。

 なんか生意気なこと言い出しそうだなこいつ、って思ってるでしょ?」

 正解! って、ありすは明るい声で続けます。

「近づいてみてわかりました。ありすは別に武道館のステージに立ちたかったわけじゃないんです。

 ……うん、なかったんですよ。

 そういう大きな目標に向かうためのエネルギーって、ありすの中には全然なくて」

 そう、だったの。

 ありすはいつも『誰か』のために歌ってた。

 曖昧な『誰か』ではなくて、その顔を思い浮かべて、届いて欲しいって願いを込めて。

「どんなに期待をかけてもらっても、それ……なんでしょ? 義務感を理由には頑張れないというか。

 やらなきゃっていうのを意識すると潰れちゃいそうになるし。

 むしろ、潰れちゃったまであって。

 あー、違いますよ? だから挫けたとか逃げたとか、そういう……」

 そこは否定しちゃ駄目なのかな?

 そう見られることだって、ありすは受け入れなきゃ。

「……まあ、期待に応えられなかったという意味では力不足だったんですよ。それは事実です」

 ありすは自分を強い子だとも、いい子だとも思っていない。

 もし、自分に「そうじゃなきゃ駄目だよ」って言い聞かせていたら、ありすはここにいない気がする。

「たとえばししょー……社長さんは教祖ですよ。ほとんどそういうランクの人です。

 導く力というか、覚悟というか、カリスマみたいな……

 本人も俺は100万人とタイマン張れる、って言ってましたし」

 言葉がすでにおかしいんですが。

「それだってひとつの形です。ししょーや事務所が与えてくれた立場でも、伝えられたものはきっとあったんです。

 あの時……事務所を辞めさせて欲しいって言ったことを、全然、後悔してないわけでもないんですよ。

 ありすはアイドルですけど、ただの人間ですから。

 後悔したり、迷ったり……自分の決断を疑うことだってありました」

 ししょーは聞いててくれてるでしょうか?

 ガキだなって思ってるかも。

「でも、進みます」

 これは誓いです。

「アイドルになるんだ! ビックになるんだ、武道館に行くんだって息巻いてた頃は見えてなかったものがありました。

 それを、今のありすには見通せてるわけでは、もちろんないんですけど。

 でも、ほんのちょっと、浮かれるばっかりの……頑張ってるつもりだっただけのありすからは進んだはずです」

 ファンの皆さんがくれるコメントを目で追うことも、いつの間にか忘れていました。

 自分の心、自分の願いだけを見つめます。

「ありすの覚悟を聞いてください。ありすは旅に……いいえ、世界に打って出ます!」

 変なこと言ってますかね?

 ちょっとコメント欄がざわついてますが。

「お金もないですし今すぐってわけではないですけど、ひとつの目標として? というか……

 アルバイトを頑張って、お金を貯めて。英語も勉強して」

 あのちっぽけな丘の上で歌っていた時間はとても幸せだった。

 何度だって振り返りたい。

 何度だって繰り返したい夢みたいな夢だったけど。

(ん? 丘? あのってどこの……)

 ……いけない。言葉が止まっちゃってました。

「ありすはもっと世界を見たいし……たくさんの人と接して、ありす自身の心にも水をあげたい。

 まだちっぽけなありすの世界を大きく広げて、たくさんの人と繋がりたい。

 もうわかりましたね? 正解! ありすの新しい夢は世界の歌姫になることです」

 誰にも心配なんかさせたくありません。

 ありすを見ている時はみんな笑顔でいなきゃいけないルールです。

「そしていつか、この青い星をありすのワンダーランドにしてみませす!!

 ありすを世界の合言葉に! オーッ!!」

 おお、いい反応です。

 中には「わたくしへのライバル宣言ね!」とか「応援してるよ~」みたいな声や、「サイコーにロックだぜ」とか……。

 ん? なんだろう? デジャブですかね、これ。

 コメントしてくれてる人達の顔が浮かんでくるような。

「はい、あとはもう論より証拠でこれを聞けー! これからも歌い続けていくありすの……この曲が所信表明です」

 結果として、ちょっと手伝ってもらいましたけど。

 ししょーが送り直してきてくれたカラオケ音源をかけて、ゆったりと流れ始めたギターにその一瞬、耳と心を委ねます。

 ……ああ、いい気持ち。

「――解(ほど)けた夢のpiece 砕けたパズル

 描かれていたものはなんだっけ?

 思い出せないことが切なくて

 ここにいる自分 私すらも見失っていた

 未来はいつも意地悪で 進む先にしかないから

 覚悟を決めて 一番私らしい私で

 自由に向かって走る! まだ、ちっぽけなreturner」

 ありすは世界一幸せな女の子です。


 最初から放送は2時間と決めていました。

 ブランクもありましたし、そこまでトークに自信があるわけではないので、持つかな? って不安もありましたが。

(もう時間だ……)

 あっという間すぎて、ちょっと名残惜しいような。

 素敵な映画を見た後のような興奮で、胸がくすぐったくなってます。

「はい、そろそろよき時間ですね。なんだかいっぱいスパチャももらっちゃって……

 すいませんね? ありす一晩で大金持ちですよ。

 お寿司……ではなく、目標に向かうための資金として大切に使わせていただきます」

 締めにちょうどいい感じのネタを探して、トゥイッターやブログに寄せられているメッセージを確認していきます。

「あ、女の人ですかね? 女性のファンさん嬉しいです。ええと……」

 結構、長文です。

 ありすも気合を入れて、ブログに寄せられていたコメントを発表します。

「Y……U……A? ユアさん? 変わった名前で……ああ、ハンドルネームとかかな」

 ユアさん。

 不思議な響きを舌の上で反芻します。

「こんばんは、ありすさん。こういう投稿は初めててで変な書き方になっていたらごめんなさい。

 私はありすさんの大ファンです。

 ありすさんの放送は第一回から聞いていますし、そこらのにわかとは違います。

 ……って、なんでいきなり挑発的なんですか」

 うーん、取り上げちゃいけないメッセージだったかもしれません。

 ファン間のマウントが絡むようなのはちょっと。

「越えてはいけない一線をちゃんと理解して、今日まではわきまえたファンを貫いてきました」

 なんの念押しなんですか。

 というか、今日からは違うんですか? 引き続き、わきまえてくださいよ。

「ありすさんがメジャーに行ってしまった時は正直に言って寂しさはありましたが、

 ようやく世間が気付いた、ありすちゃんが夢への一歩を踏み出せたんだと思うことで自分を納得させました」

 納得とは?

「テレビの中でもありすちゃんはありすちゃんです。

 変わらないありすちゃんの姿に、変わらず励まされました? ……ですか。

 どうもありがとうございます」

 やっぱり、こういうまっすぐな応援は嬉しいですね。

 ただ夢中なばかりで、手応えも何もなかったあの日々を……たくさんの人が見てくれてたんだって実感できますから。

「どんなに苦しくても挫けないありすちゃん、頑張ってるありすちゃんを見ていました」

 ところでこの人、いつの間にか呼び方が『ありすちゃん』になってますね。

 別にいいですけど。

「だから、活動中止のニュースを見た時は心臓が潰れそうになりました。

 ありすちゃんは頑張りすぎる子だからです……?」

 そんな、ありすのことを長年見てきたような。

「ありすちゃんの不調に気付けなかったスタッフさん、特にロックンロールおじさんを蹴飛ばしたい気分でした。

 あの人は本当に配慮が足りな……って!?

 やめてください、なんですかロックンロールおじさんって」

 知り合い気取りですか? 相手はロックンロール界隈のドンですよ。

 ハラハラしますが、結構ファンの皆さんにウケてるので読むのを止めるわけにもいきません。

「活動休止中は……また、ありすちゃんに会えるのかずっと不安でした。

 だから、今夜はとっても嬉しいです。

 ありすちゃんが変わらないありすちゃんでいてくれたこと。

 ありすちゃんが笑顔でいること。

 ありすちゃんが、また新しい……思ってもみなかった大きな夢を語ってくれたこと」

 ――そういう風に見てくれてる人がいたんだ。

 顔をあわせることはなくても。

 日頃、触れ合うことができなくても。

「これからもずっと、ありすちゃんのファンです。終わり? ……ですかね。

 やー、どうもありがとうございま……」

 言いかけて、ありすは見落としかけた『PS』に気付きました。

「PS.私は今、大好きな人と一緒にいます」

 そうですか。

 ノロケですか、って唇が動きそうになりました。

 動くはずでした。

(ユアさん……?)

 スクリーンみたいに……。

 いつか見た情景みたいに、その時、ありすの脳裏にはイメージが浮かんでいました。

 森をくり抜いたみたいなお屋敷の、広いお庭。

 テーブルを囲んでいる人の輪の中にはありすがいて……。

 みんな笑顔で。

「ら……らー♪」

 口をついていたメロディがありました。

 その旋律を意識した瞬間……嘘みたいに、ぼろぼろぼろぼろと涙がこぼれました。

「わわ、な、なんでしょう……泣いちゃった。ありすの感受性ときたら……

 違うんですよ? これはそういうのじゃなくて」

 どういうのでしょう?

「大切な方と一緒、ですか。羨ましいです……おめでとうございます。

 では……ずずーっ、お二人の幸せな門出を祝して」

 本当にって、噛み締めるみたいに言葉が続きました。

 涙もずっと溢れて止まりません。

「ら……らー♪ らー♪」

 これは誰が歌ってるんでしょうか?

 確かにありすの声。

 動いてるのは、ありすの口。

 でも……。

 そっと肩を抱かれてるような、誰かと声を揃えてるような、そんな感じです。

 とっても温かな気持ちです。

 いつまでもこうしていたい。

 どこから生まれてくるのかわからない、この優しい……子守唄みたいな旋律に心を委ねていたい。

 時計は11時を差して「予定の時間だよ」とありすに教えます。

 でも、それでも。

 ありすは歌い続けました。

 おぼろげな誰かの面影を心の中で探すようにして。




          6


 ここは……。

 懐かしさで胸がぎゅうって塞がります。

 いつか見た空の色。

 町の中心からはちょっと離れた小高い丘の上。

「ら……らー♪」

 優しい旋律が、丘のふもとに立つありすの元に運ばれてくる。

 そこは天使が眠る町。

 ありすや、たくさんの人が……幸せに微睡む。

 夢みたいに幸せな、夢の場所。

 そのメロディは町に7時を教えるものです。

 だから、ありすは時計台に背中を向けました。

 ありすの幸せな思い出が、あの日のまま……安らかに眠ってるこの場所にお別れを告げるために。

 もう朝だから。

 ありすは目覚めなきゃ。

『大丈夫だよ。また、いつだって戻ってきていいの……ここはありすの故郷みたいなものなんだから』

「そうだね」

『ここでの時間は何も消えてない。だから、ずっと繋がってるよ』

 隣に並びかけてくる気配がある。

『昨日は泣いちゃったね。泣かないって決めてたのに』

「あれは不意打ちだよー」

 一番の親友と笑いあってる時みたいな心安い幸せな空気が、自然と生まれていました。

 ありすが覚えていないだけで、これまでもそうだったのでしょう。

 これまでも、これからも。

 ありすは二人で一人だから。

 ――悩むのも、苦しむのも、歩き出すのも一緒。


「こーらー、ありすー?」

 ドンドンドンッ!

「……むにゃ?」

 いつもよりもだいぶ乱暴なノックに、無意識が反応しました。

 ガバッと顔は上がりましたが、何がなんだかわかりません。

「アルバイト早番って言ってたでしょ? 早く支度しちゃいなさい」

「……わかったー」

「声が寝てる」

 ちょっと緩んでただけです。

 その証拠に、ほら! ホワーッと拳法の構えとかしちゃいますしね。

「さすがはありす。ホワーッてしてても可愛いです……はだけたパジャマが、モアセクシー」

「ありす……」

「なんで開けるの!? ていうか、そんな目で見ないで! すぐ行くから」

 えいっとありすはベッドから降ります。

 それは、未来に向けた確かな一歩。

 美城ありす、職業・みんなのアイドル!

 まだまだ全力超全開で突っ走るので、応援よろしくお願いしますね。



pieces/揺り籠のカナリア SS「ありすのアイドル奮闘記」第四章(最終回)

Comments

計6回の投稿、全て見させていただきました。 私の人生の中で1番好きな作品なので、終わってしまうのはとても名残惜しいですが、いつかまたこの世界の新しいお話が見られるのを楽しみ待っています。

お疲れ様でした。 piecesの世界をまた見れて良かったです。三章は特に泣ける。 次回作も待ってます


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