-某県某市 駅前商店街-
「ニニンニンニニ~ン♪ ニンニニ~ン♪」
時間は午後の5時を回った頃。
夏の空はまだまだ十分に日が高く、うだるような暑さもなんのそのと商店街は活発に人が行き来していた。
中でも暑苦しいのが、べとーっと少年の腕にしがみついて身体を預けている猫耳(なお、一般人には見えていない)の少女辺りだろうか。
「ウフッ! 楽しみでござるなぁ、ハルキ殿の特製か・ら・あ・げ。
今日は絶対からあげって朝から決めておりましたもの」
勝利の凱歌である。
「がぶっ! じゅわじゅわー……んー♪ 想像しただけでよだれが」
「食いしんぼだなぁ、ゆらは。いつもんなようなことばっかり言って」
「それだけハルキ殿の料理がおいしいということでござるな」
食の欲求に正直でスキンシップ好きな忍び達に、こうしてじゃれつかれながらのお買い物は、普通の四倍は時間がかかる。
「たま、からあげ百個食べよっと」
「何をぅ! 張り合ってくるか妹よ。だったら拙者は百十個食べるもんね」
「もうちょっと手加減してくれないとみんなの分がなくなっちゃうって」
少年・北条春希にとっても満更ではない時間だ。
「もんね、じゃねーにゃ……」
一方、食材が詰まったエコバックを持って離れたところからついていっている、忠義の忍・猫飼律は不満顔。
飛び込んでいけるタイプが得をし、いまいち踏み切れないタイプがその分だけ割を食う――
世の縮図とも言うべき相関図がそこにはあった。
なお、同胞の猫山マヤは暑いと体調を崩しがちなので、クーラーの効いた部屋で留守番だ。
「すっかり胃袋を掴まれてしまっている拙者でござる。無論? 掴まれているのは胃だけではござらぬが」
「わかったから! ちょ、こんなところですりすり……」
「にゃーんにゃーん」
風魔ゆら・たま姉妹にすりすりまとわりつかれて、少年がリアルな狼狽を見せる。
ここは天下の往来で、人目もある。
「いい加減に……あ、律どうかしたの? 重い? 持たせてごめんね」
律が一人で離れていることに気付いた春希が声をかける。
「ふにゃっ」
ずっと猫忍達の間に割って入りたかったのに、いざ、こうして主から水を向けられると尻込みしてしまう。
猫飼律はそういう猫だ。
「あの程度の重さに音を上げるとは! まったくなっちゃいないでござるな、ハルキ殿。
貸してみろ、格の差というものを……」
「そんなこと言ってねーにゃ! それよりお前はいつも分際もわきまえずに……」
ガランガランガラーン!
「ちょーっと待ってくださいねー? そう、そこのあなた! 僕? って顔をさしているあなたですよ」
「可愛らしい女の子をたくさん連れちゃって。モテモテですね!」
「はあ……え? なんですか」
強引とかそういう次元のやり口ですらない。
ハンドベルを鳴らしながら行く先を阻んできた謎の集団に、応対したのは春希少年のみ。
むしろ、一旦少年の背中に隠れている。
忍び達はこれで意外と人見知りなところがあるのだ。
「先程、スーパーから出ていらっしゃいましたね? 見てましたよー」
「はあ、買い物はしましたけど」
「実はこれ商店街の企画でして。ただ今、商店街でのお買い上げ金額2000円ごとに一回くじを引いていただけまーす」
「スーパーって商店街に入るんですか?」
「商店街の区画にあるんだから仲間ですとも! 広い意味で言えばみんな宇宙船地球号の乗組員ですし」
「ぷっはははぁ!? スケールでっけぇー」
完全に(テンション面で)置いてけぼりを食らっている少年が、義務感から相槌を打つ。
「くじとはツイておりましたな! あるいは、幸運が翼をはためかせて我らの前に舞い降りるやも」
「おっ、詩人ですね! お嬢さん。ではさっそくガランガランっとひと思いに」
あれよあれよ、である。
取り囲まれるようにして北条御一行は、トタン板のテーブルにくじの抽選機が置かれただけの、簡素な抽選会場に誘われる。
「ハルキ殿、拙者が引いてもいいでござるか!」
「待って待って。えっと、さっき2000円以上って言ってましたけど……レシートとかで確認するんですか?」
「しからば……ニンッ」
お聞きの通り、主は「いいよ」と言っていない。
それどころか「待って」と言っていたのだが、ゆらはそういうところがある。
「拙者が引くぞ。ところで、このくじでは何が当た……オオッ! すき焼き肉があるではないか」
目ざとく商品リストを見つけたゆらが目を輝かせる。
「メロンもいいよ、おねえちゃん」
「何が当たってもぼちぼちであるな! では、改めて……ぬんッ」
別にいいようなので春希少年はレシートを探すのをやめた。
そして……ゆらが気合を込めて抽選機を回すと、割合あっけなく、一粒の金色の玉がぽとりと落ちる。
金色の玉が!
ガランガランガラーーーーン!
「オオッ、出ました大当たり! 特賞の温泉旅行でーーーーす」
「温泉!」
蜂の巣を突いたような大騒ぎに、一人、また一人と騒動を聞きつけた人々が足を止め始める。
春希少年にしてみれば羞恥の極みで、耳まで赤い。
「参ったな~! 一発で引かれちゃうとは商売あがったりですよ。よっ、豪運」
「でへへ。拙者、やっぱり持ってるでござるな~」
「ではさっそくこちらをご進呈! 最近、売り出し中の隠れ湯。『竜の湯~三途巡り~』へのご招待となりまーす」
「は、はぁ、どうも……?」
有無を言わせない勢いでのし袋を押し付けられた春希少年は、目を白黒させながらも結局は何も言えない。
完全に飲まれている。
「これってペアチケットとかですか? 困ったな。ウチは大家族だから……」
「悩む必要などござらぬのでは? くじを当てた拙者と、運命の主様であるハルキ殿。
邪魔する者は誰もいない……
二人きりの静謐な夜はしっとりしめやかにくっはぁーー!」
「えー! たまも温泉行く」
「わきまえろ妹よ」
「やだ! たま知ってるもん。温泉はごちそうが出てくるんだよ」
「おやおやうふふ? ご安心ください。こちらの温泉旅行は人数無制限でお楽しみいただけますから」
「この手の商品で人数無制限ってあるんですか」
「商店街設立100周年記念ですからね。大盤振る舞いってわけですよ」
「……そ、そうなんですか、戦前からの歴史が……」
そんなはずはない。
ないのだが、この地域の歴史に明るいわけでもない春希は頷いて自分を納得させてしまう。
元来、押しに弱いのである。
「宿もお食事も全てご用意致しますので! 後日、チケットに記載の電話番号にご都合の日時と参加されるご人数をお知らせくださいね」
「あのぅ、このチケット温泉に関する詳しい情報が何も書いてないんてすけど……」
詳しい情報どころか、のし袋から出した手作り感満載のチケットには『温泉旅行』の四文字と電話番号しか記載されていない。
ちょっとよくできた肩たたき券にも劣る情報量だ。
「場所はちょっとシークレット? みたいなところがありますので。当日は送迎の車をご用意致します」
「……シークレットってあるんですか」
「秘湯、ということね! 雅! 実に雅やかですわ」
「わっ」
背後、それもかなり近いところから飛んできた声に、春希が首をすくめる。
どうやら野次馬の中に少年の知り合いが紛れていたらしい。
「参加人数は自由と聞こえましたが相違ございませんわね? 後になって撤回なんて許されませんわよ」
なんの呵責も感じていない顔で割り込んできた、この帽子の少女は雑賀陽葵――
忍び絡みの一大勢力である雑賀に属し、現在は北条春希とその麾下にある風魔と協定関係を築いている。
北条春希少年にとっては友達以上恋人未満的な存在だ。
「陽葵も買い物?」
「ええ、この子達がお肉の気分と言うので。今夜はステーキに致します」
「ふふん! 我が家はからあげなのだが?」
「……姫様? お嬢様方も。お話が弾むのは結構ですが、ひとまずは目の前のことに区切りをつけられた方がよろしいかと」
傍らのメイド、石川沙奈がおっとりと口を挟む。
陽葵を挟んで逆側に立つ犬耳の猫忍・猫塚シノは、いるにはいるが口を開く素振りはない。
いつものことだ。
「区切りも何も、無論! わたくし達も温泉には同行します。いけずを仰らないでね? だって、わ、わたくし達……」
「な、仲間?」
「……あなたがそう仰るのならそういう冷めた関係ということでも構いませんわ」
急にツンな空気を出されて、少年は露骨に取り乱す。
「僕達は協力関係……協力関係? 信頼で繋がる関係だし、そ、そうあれたらとは思ってるけど……」
「意地悪」
「ごめんなさい!?」
「旦那様も姫様もお可愛らしいですね、初々しいです」
「おい、お主。拙者は若い二人を見守りましょう? みたいな空気に賛同する気は微塵も――」
「「では! ご連絡お待ちしてまーす」」
沙奈の進言を無視してわいわいやっていた一同は、その声に向き直る。
その時にはもうすでに、抽選会場までが撤収されていた。
綺麗に、跡形もなく。
「残念ですわ。わたくしも2000円分のレシートを持っておりましたのに」
拗ねるように言って陽葵はさりげなく春希の腕を抱いたが、いつもの妨害は飛んでこない。
猫忍達の頭はすでに温泉でいっぱいになっていた。
「温泉はたまにテレビで見るね。お風呂に入っておいしいもの食べるんだよ」
「山か海かで見える景色が変わってくるな。拙者は一度、腹がはち切れるほど刺し身を食べてみたいの……その夢が叶うやも?」
気分は旅の空の下。
「……いや、あいつらなんか怪しくなかったにゃ?」
律が示した警戒心は、例によって誰の耳にも届くことはなかった。
-竜珠教本部ビル-
数日後――
「ふん、疑いもせず間抜けに連絡してきたか! 卑しい猫どもめ」
竜珠教本部、謁見の間。
赤絨毯や玉座風の偉そうな椅子など、およそ権力の具現化という感じでまとめられた一室にふんぞり返った声が響き渡る。
竜珠教教主・グレンテル(以下、ドラ美)だ。
「ただメシと湯につられてのこのこ出かけていった先は地獄の一丁目!
まさに悪魔的発想……!
キキキ、連中の泣き叫ぶ姿が目に浮かぶというものよ」
嘘の温泉旅行を餌に北条春希と仲間達を、人里離れた温泉宿(旅館ごと教団で買った)におびき出す。
そこに待つのは意趣返しとも言うべき、無慈悲な罠!
先の『復讐のアイディア求む会議』で誰かが口にしたどこかで見たようなこの提案に、ドラ美が意外な食いつきを見せたのが先週末。
相当なスピード感で実現にこぎ着けた辺り、竜珠教の勢いというかノリのよさというか……である。
「さて? どう事を運ぶ? どうやって連中を絶望の淵に叩き落とすというのだ。
献上しろクズども、悪魔的策を!」
「……最近、なんていうかそういう漫画でも読みました? グレンテル様」
竜珠教に身を置く数百人の信徒達にとって、ストレスフリーとは言えない境遇だ。
傲慢で頭が悪く、その上、プライドが高いと三重苦のドラゴンをトップに仰ぎ、理不尽なパワハラに耐える日々……。
だが、教徒達は頭巾の内側であれこれ考えている。
現実に目を向ければ竜珠教は政府や財界からも『お詣で』が絶えない昇り龍!
いっそうの拡大路線に舵を切るのなら、信徒の数も含めた教団の規模は容易く百倍にもなるだろう。
それは困るのだ。
そうなったらなったで旨味が薄まる。
より狡猾で権力のある新入りに既得権益を掠め取られたくないと考えれば、必然、神輿にドラ美(バカ)を載せて少人数で担いでいる現状が最も旨いということになる。
その分、理不尽なバワハラの被害を受ける確率も上がるのだが。
「どうした、献上しろ策を! 私からねぎらいの言葉を引き出して見せろ」
「はい! 温泉だと思って入ったら実は油! あ、これは普通に死にますね。やっぱり引っ込めます」
「世間話の相手でも探してるのか? 次は殺すぞ」
「では、シュークリームの中のひとつがわさび入り? 案外これくらいでいいのでは」
「案外とはなんだ。勝手に加減を決めるな」
「難しいこと言いますね……あ、ワライダケ? ワライダケはどうですか! 笑いが止まらない助けてー、なんちゃってね。
これには我らの指導者、偉大なる教主・グレンテル様もニッコリつられ笑いとなるのでは」
「あー、それくらいがちょうどいいかも。でも、ワライダケってどこで採れるんですか?」
「そこなんですよ問題は」
ボーーーーーーーーーーーーーッ!!
「うわわわわわわ!」
問答無用の炎から信徒達が我先にと逃げ回る。
「お前達はなんのためにこの世界に存在している? なぜ、お前らクズどもが存在を許されている? 答えろ」
「「偉大なる我らが教主・グレンテル様を懸命に崇め、奉り、来るドラゴンの世にふさわしい教えを世に広めるためでーっす」」
「ならば? 私に吠えかかる犬がいれば貴様らが追い払え。
私が苛立ちを見せればすぐさまその理由をつきとめ、言われなくても進んでそれを払拭するために動け。
お前達はこうしている今も試されていることを忘れるな。真剣になれ、真剣に」
「「了解でーす」」
もう誰も、あまり真面目に聞いていない。
空気はいつも通りグダっているが、人間の機微に疎いドラ美はいまいちその辺りに察しがつかない。
「それで、なんでしたっけ? 同志」
「温泉ですよ、温泉」
「あそこ今後は竜珠教の保養施設としても使いたいので、デッドな改装は最小限でお願いしたいんですが……」
「やいのやいの言うな、知らん。お前達がよいようにとりはかれと言っている。
今回の悪魔的温泉旅行で私を爆笑させればお前達の勝ち。できなかったらお前達は全員、地下送りだ」
「やっぱグレンテル様何かしら古めの影響を受けてるな。なら、どうしよう、鉄骨とか用意して……」
「大勢で集まって、なーに盛り上がってんの?」
「――――!!」
何気ない……。
その割にはっきりとよく通ったその声が会議の温度を急激に冷やした。
「はひえええぇ? い、イリス様……こ、このようなむさ苦しい場所にご足労を……そのー」
最も冷えたのも、慌てふためいたのもドラ美だ。
媚びに媚びたその姿に、もはや信徒達を震え上がらせていた(かは定かではないが)暴君としての振る舞いは微塵も残っていない。
それもそのはず。
「なんか相談?」
ドラ美がすぐさま譲った玉座に腰を下ろしたその少女は、紛れもない竜族最強の一角を担う存在。
虹の王イリス――
ドラ美が属する『水』派閥を含めた、全ての海竜達を統べる『海』の王だ。
「ぎ、疑問をお許しください。イリス様はどのようなご用で……」
「別に。やることなくて暇だから様子見に来ただけ」
「……左様でございますか! それはそれは、この身の誉れでございます。どうぞごゆっくり……えーと」
露骨に迷惑がっている。
隠しきれないものが顔に出ている。
「で、なんの話してたの?」
「はいいい?」
「何その態度。あたしに聞かれると困る話ってこと? じゃあ別に帰るけど」
「めっっっそうもございません! ほんのちょっぴりそのー、えー……不意を打たれてしまったといいますか……」
しどろもどろ。
だが、無様な教主の姿に教徒達が失望しているのかというとそうでもない。
そういうのはとっくに通ってきている。
「何? 邪魔? 空気変わっちゃってんのあたしのせい?」
「そのようなこと決して……えぷっ」
ものの数秒、ほんの数往復のやり取りでドラ美は胃にきている。
心優しいさんご……『水』の王とは毛色が違う、この『海』の王に対してドラ美は未だに適切な距離を見出せていないのだ。
言葉が通じるライオンと会話をしているような気分、とでもたとえるべきか。
普通に怖いのである。
「お、おいっ、お前達……!」
いよいよ白旗が挙がったのを受け、信徒達が頷きあう。
慣れた仕事だ。
「横からすいません。実はですね! その、この夏我々でちょっとした催しを企画してまして……
その相談中にイリス様がいらっしゃったので驚いてしまったというところで」
「催しって?」
反応があった。
これだけでだいぶ空気が和らぎ、ドラ美の心が救われる。
「これ本当はサプライズだったんですけど。もういいですか? グレンテル様、言っちゃいますよ。
実はこの地球には温泉というものがございまして。
先日、我々竜珠教でちょっといいロケーションの温泉旅館を入手――」
教徒ほぼ総出のちやほやが、『海』の王にどれだけの効果があったのか?
確かめる術はない。
気安く「ちゃんとわかってくれました? とか念押しできるような相手ではないのだ。
「なんか長引きそうだし、あたし帰る。そんじゃー」
「サプライズですからね! くれぐれも、ハル様や他の皆様にはご内密にお願いしますよ」
「んー」
聞こえているのだかいないのだか。
背中の羽根をはためかせて、イリスはビルの窓から去っていく。
「それで、グレンテル様……」
「……なんだかもう疲れた。親子丼でも入れに行ってくる」
「了解です。では、適当に進めときますねー」
適当も何もないものだが、『圧』を隠さないイリスと一対一で向き合うことの消耗とはドラゴンにとってそれほどのものだ。
四年くらい寝たいレベルである。
「――とか言っちゃいましたけど、明日にはまた何もかも忘れてギャーギャー言ってくるでしょうし。
どうします? 同志諸君」
「ワライダケなんですよ。それで物事がだいぶ簡単になります」
「ちょっとネットで調べてみますねー」
「その前に、時間も時間なんでピザでもとりましょうか」
「イエーイ!」
竜珠教の夜は長い――
-温泉旅館 竜の湯-
猫忍ゆらが商店街のくじびき(ということで本人達は信じている)で温泉旅行を当てたあの日から、一週間。
ちょうど夏休みだったというタイミングのよさや、猫達がレジャーに飢えていたことも「早く早く」の要因、事情となった格好だ。
「おおっ! ご覧くだされ、いかにもな佇まいでござるな」
「ふぐぐぐ、押しのけるな~~っ」
ということで温泉である。
春希少年の膝枕で寝ていたうさ耳の猫忍・マヤを(わざとらしく)押しのけて、真っ先にゆらが送迎のバスを降りる。
「はるき! あいつ叱って。わざと膝でぐりぐりしていったのを、ウチの超感覚は見逃さなかったぴょん」
「偶然だって偶然。ほら見てマヤ? いい景色だよ」
「山しかないぴょん。修行時代に見慣れた景色ぴょん」
毎日この調子でじゃれあっているのだから、怒りをはぐらかすのも上達する。
「山奥の秘湯という宣伝文句に偽りはないようですが。思いの外、整備されておりますのね」
今日も帽子で猫耳を隠している『亜人の特性をその身に宿した』少女・雑賀陽葵が、例によってさりげなく春希の腕を抱く。
お嬢様然とした佇まいとは裏腹に根性者なのである。
「温泉の匂いがするよ、おねえちゃん」
「くんくんくん!? まことであるな、妹よ。これは……硫黄か」
「シノ様、荷物を下ろすのを手伝っていただいてもよろしいでしょうか」
「うむ」
総勢八人の大所帯だ。
こう皆に好き勝手動かれると、さすがの春希少年もどう振る舞えばいいかわからなくなってしまう。
「案内の人が玄関で待ってるよ? みんな、ひとまず荷物を置かせてもらっ……」
「…………にゃ」
「律?」
「ふにゃ!? 申し訳ありませんにゃ」
正面の玄関を迂回するようにして奥の庭を気にしていた律が、足早に戻ってきて頭を下げる。
「なんか、動物さんでもいた? おやぶん」
「いや、妙な格好した連中が――」
「竜の湯へようこそ! バスでの長旅、お疲れでしょう。お荷物お預かりしますね」
「あ、お、お世話になります?」
「八名様でうかがっておりますが間違いございませんね? お部屋は二人用の客室を四部屋ご用意させていただきました」
「ま、まあ、二人で一組……そうですの。ちょっと露骨な気は致しますが」
「むっ」
「シノと沙奈か仮にペアを組むとして。その、ふ、布団は何組……」
「何を意識して頬を赤らめている、この泥棒猫が!」
ポカッ!
「きゃん!?」
「仕様など知るものか! ハルキ殿のお側には我ら風魔……コホン。風間姉妹が常に控えておらねばならぬ」
「ならぬならぬー」
「叩かなくたっていいじゃない!」
「黙れ。ハルキ殿も接者と一緒の方がよろしいですよね? はっきり言ってやってくださ……ひぎ!」
猫忍・律の鋭いローキックを膝の裏にもらったゆらか、言い切れずにひっくり返る。
「この律が! 下忍の分際でわきまえろ!」
「誰が下忍だ! 頭の中お花畑で警戒心のかけらも備わってない、お前みたいなのこそ天井で寝るのがお似合いにゃ!」
「上官への不敬に次ぐ不敬! もはや許せぬ」
「お前を敬ったことなんか一度もないにゃーーーー!!」
どすん、ばたん。
「やっちゃえ、おやぶん! そう、そこっ! ゆらの膝を払えばそのまま抑え込めるぴょん」
「セコンドはずるいよ。負けるなおねえちゃーん」
「……あなたもセコンドしてあげるという形にはなりませんのね」
「あのぅ、お客様?」
バスから降りて5分も経たないうちから始まったとっくみあいに、はっぴ姿の仲居が頬を引き攣らせる。
「……すいません。初めての家族旅行でテンションが上がってるみたいで」
「区切りがどこかわからないこちらとしては、若干ヒヤヒヤはしてしまいますが……」
「にゃんにゃにゃんにゃにゃ~~ん♪」
「ええい気が散る! 視界に入るところでドスドス踊るな、この太め!」
「おやぶん、そいつの首を狙うぴょん!」
「なんというか、その、にぎやかで楽しそうっすねー……」
「まあ、日によっては……今は迷惑ですけど」
-竜の湯客室 牡丹の間-
「くそっ、あいつ……思いっきり引っかきやがって」
「お風呂で染みるぴょん。痛そうだぴょん」
同じ頃、ケンカ相手のゆらも「尻が痛い」と布団で泣いているので両成敗というところだ。
「これは……ほうじ茶でしょうか。皆様、お茶をご用意致しますね」
「ウチ、冷たいのの方がいい」
忍びの正しい在り方と言うべきか。『ほうれんそう』がしっかりしている忍び達は、ひと息つく間も惜しんで輪を作っていた。
『お前らも気付いたにゃ? ……さっき、頭巾かぶった怪しげな連中が物陰からこそこそ覗いてやがったにゃ』
『全ての部屋に盗聴器とカメラもありましたしねぇ。外すとかえって警戒されそうなので、放置しておきましたが』
律もシノも表情ひとつ変えない。
態度には出さない。
これらの会話は声を介さない、読唇術でのやり取りだ。
「ねー、おまんじゅうウチが食べていい? ちょうど小腹が空いてたところだったぴょん」
「おう、食え食え」
何もわかっていないマヤはちょうどいいクッション役。
『企みの中心にいる方々がどこの誰で、何を目的としているのかわからない気持ちの悪さはありますねぇ』
『経緯を考えれば雑賀衆の介入とは思えぬ。陽葵や我らが混ざったのは、たまたまであるからな』
『では、旦那様を。何者でしょうか』
『警戒は解くにゃ。だが、今のうちからは何も決めつけるにゃ』
『そう仰る律お嬢様は、何かしら心当たりがありそうなお顔ですが』
『……あの頭巾、見たことあるんだよにゃ』
そう。今や竜珠教はこの日本社会においてちょっとした地位を築いている。
ドラ美も余裕でメディアに顔出ししているのだ。
忍者がその気になれば、その情報網に引っかからない方がおかしい。
「この温泉、『竜の湯』とか言ってたにゃ?」
「三途巡りがどうとか」
当たり障りのない会話を装って、律が『確認』を声にする。
「えー、おやぶんもうお風呂行きたいのー? ウチはどうしよっかなー。
お庭も見てきたいぴょん」
「散歩か。いいと思うぞ? 春希様に声をかけてくるといいにゃ」
「うん、はるきも誘ってあげるぴょん」
(一泊二日の温泉旅行。何かしら仕掛けてくるなら、すぐのはずにゃ……)
表情を引き締める忠義の忍び達。
思惑渦巻く一泊二日が、今、幕を上げようとしていた。
〇々〇々
2021-08-31 18:05:38 +0000 UTC