・・・そう。この不自然な姿勢で座った状態で身動きひとつしない狐面の石像が、ご神体の従者にされた若者の成れの果てなのである。 この像には乳房も陰茎も備わっているが、採用されたのはれっきとした男性であった。 この石像は人間が何らかの方法で石にされてしまった状態なのだ。 しかも、後から知った話なのだがこの石像化された従者はこの状態でも生きているらしい。 正確には冬眠よりももっと生命活動を微弱にした仮死状態とでも言うのだろうか。 ここからは私の仮説になるが、この石像化された若者は常に絶頂寸前の状態を維持し続けながら身動きができない状態で固められているのではないだろうか。 その仮説を抱いた理由はこの像の股間の膨らみであった。 あたかも常時勃起状態であるかのような陰茎の膨らみ。そこに貼られている御札はその抑止力を働かせるリミッターのようなものかもしれない。 もし仮に貼られている御札が剥がれるような状態になると性的な変化が出てくるのではないだろうか。 その・・・射精したりとか・・・ 馬鹿げた話かもしれないが、この石像が生きているのならばそのような変化も多いにありえるだろう。 ・・・ここまでが私の潜入調査報告の範囲、のはずであった。 もうこの件には関わることも無いだろう。むしろ、この奇祭を続けているこの村とは関わりたくもない。これ以上嗅ぎまわるとそれこそ従者の候補にされかねないから。 そう割り切ろうと思っていたのだが、どうしてもこの石像の行く末が気になるようになってしまい、日々そのことが脳裏から離れなくなってしまったのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・・・そして数ヵ月後、秋が深まろうとしていた季節。 私はリスクを冒してまで再び彼に会いにいってしまった。 月日の経過で石像まわりの雑草は伸び放題になっていたが従者の石像は全く変わらない表情をしていた。 私はずっと抱いていた仮説を証明したい探究心が先走り、狐の石像の股間に貼られていた御札を剥がしてみることにしたのだ。 躊躇の気持ちはその時は微塵も感じていなかった。 御札を剥がすことでこの村の伝統を冒涜することになったとしても、剥がすとどうなるかをこの目で確かめたかった。 雨風に晒されていたはずの御札は想像していたよりもあっさりと剥がすことが出来た。 ここで私も仮説が正しければ・・・ しばらくすると、石像の御札が貼られていた場所を中心に少しずつ亀裂が走り始めていく。 そして、ついに・・・ 石化した表面が剥離した部分から現れたのは、現実の狐と同じような体色の身体をしており、その全身はラバーのような光沢を帯びたものであった。石の中に閉じ込められていたとはいえ、その身体のラインは一切崩れておらず、それはつまり「彼」がまだ生存している証拠だと私は確信した。 想像していたものを上回る結果に私は興奮を隠せなくなり、無意識のうちに台座に腰を下ろして露出した狐の陰茎の先端部に手を添えていた。 (ずっと1人でこの中で動くことも死ぬこともできずに、辛かっただろうに・・・) 哀れみの感情が湧きあがると同時に、私の興奮は最高潮に達していた。私自身の股間に血流が集まってきているのが実感できたからだ。こんな状況の彼を見てムラムラしている自分がいる。 不謹慎にもほどがあると思うが、今まで感じたことの無い未知の性欲が間欠泉のように吹き出てきている感覚だった。 その時・・・ 頭に鈍い衝撃音が走った。 音の方角を振り向くと、松明を持った人間がこちらを見下ろしている。 そして、二度目、三度目の衝撃と続き、私の意識は急速に失われていった・・・。 私は従者の下腹部に倒れこみ、朦朧とした消えかけの意識の中で最後に感じた感覚は、従者の陰茎から吹き出した大量の精液のぬくもりであった。 (イけたんだな・・・よか・・・っ・・・た・・・・・・)