立ち上がろう。今度こそ立ち上がろう。
床に手をつき、体を持ち上げ、あの扉を開けて外に出よう。早く。一刻も早く。この寮の中から出なくては。
柳一郎はもう何度目かも分からない決意と共に、腕と膝に力を入れた。
二本の足で立ち上がり、冬の空気で冷えたドアノブを回し、外へ歩き出さねばならない。この警察独身寮から出なくては。
急がなくては。もういい加減終わりにしなくてはいけない。
このままでは本当に駄目になってしまう。そうだ、今こそ立ち上がろう。
「う、ハァ……なんで、だ、あぁ……重てえ……」
しかし、一郎の逞しい二の腕は溶けたプラスチックのようにくにゃりと肘から曲がってしまった。筋肉が重いのではない、立とうという意志が保てなかった。
尻もちをつくと、床に散らばったティッシュの塊がバラバラと風に転がった。酷いニオイがむわりと立ち昇る。イカ臭い。頭がくらくらする。
「……ハァ……ひでえ……こんな、ああ……、ゴミ箱に……」
一郎は眼球を動かしてゴミ箱を見つめた。箱の中は既に白いゴミが山のように積もっていた。とても入りそうにない。中から袋を出して、新しい殻の袋に詰め替えなくては。
「面倒……くせぇ……」
そんな手間を掛ける気にはとてもならなかった。どうせ取り替えても、また一杯になるのだ。そうも思った。
なにもする気が起きない。
立ち上がるのすら億劫で、息するだけが精一杯だ。口から出し、鼻から吸う。自分の竿から出た匂いを取り込み、脳の中で回し、吐息と共に出す。それしかできない。
「ハァ……ハァ、ああ、もう、ティッシュ、なくなっちまう、なくなっちまう……」
そう言いながらも、彼は『また』自分の竿を上下に擦り始めた。働き盛りの警察官が股を下品に開き、雄汁と先走りとティッシュカスまみれの竿を必死に扱いている。
「あっ、スゲ……ぁぁ……気持ち……いぃぃ………」
なにもする気が起きない。気持ちよくなること以外は、なにも。
あまりにもフヌケた姿だ。低能な猿のようだ。しかし、彼は元来このような人間ではなかった。この独身寮に住む他の警官達や、街で彼を見たことのある市民には、信じがたい光景、そのはずだった。
真面目な警察官。
柳一郎は、そんな飾り気のない評価が素直に褒め言葉になるような好青年だった。
日々運動とトレーニングを欠かさない体は、同年代の他の警察官に比べても一際逞しく立派だった。生活習慣にも日々気を使っているため年齢以上に肌も若々しい。眉や髪の毛は濃く黒々としているが、角張った顎には髭の一本もない。それは、朝と昼に二度、就寝前にも一度、念入りな手入れを行っていたからだ。
そんな彼が、濁った目で天井を見上げ、髭を生やし、下半身を丸出しにしてティッシュの沼に沈んでいる。
露出した肉棒にはティッシュのカスがこびりつき、扱く際にポロポロと崩れ、陰毛に絡みつき、そこから酷い臭いを発していた。
「……あぁ、オッォオオッ!!」
一郎は快感に仰け反ると、ブルブルと体を震わせた。ああ、出る。頭の中でその言葉を思い浮かべると同時に、快感が射精となって肉棒の外に飛び出した。
何度味わっても気持ちがいい。多幸感に脳がふわふわと浮いてしまう。
「あ、っふぅ……!」
一郎は天井を見上げて射精の余韻に浸っていた。鍛え抜かれた太い腕と脚を投げ出し、大の字になって倒れ込んだ。
よし、これでいい。もう出し切った。これでもう…………いや、あと一回くらいは残っているかもしれない。ああ、いや駄目だ。立ち上がるんだ。もうティッシュもない。立ち上がって、助けを呼ぶんだ。俺はこんな下品な男じゃないんだ。センズリしかできないような男じゃないんだ。なにかがおかしいんだ。報告だ。先輩方になんとしても伝えなくては。あと、一回抜いたら。
一郎は心のなかで呟くと、股を開いて玉と竿を揉みしだいた。
「あぅ、お、おぅぅ……」
瞬間、再び口角は歪み、呆けた顔は笑みへと変わった。欲望に負け、肉棒を触る、その快感に心の底から酔いしれた。
萎えた肉棒には精液が乾いて張り付いていた。ほんの僅かに硬い外皮が、ゆっくりゆっくり押し広げられていく。
「ハァ……ハァ……亀頭、亀頭……さわ、ちまお……おっぉぉ」
皮がズルリと捲りあがると、肉棒がその凶暴なオス性を剥き出す。肉の穴に潜り込む為のガチガチな硬度、ぬめりけのあるカウパー、快感をより多く感じ取るためのカリ首、それらの欲望が太く、強く、そして雄々しく、堂々たる勃起チンポという姿になって現れる。
「あっ、あぁぁあッ、ガッチガチだ……俺の、俺のチンポッ、それにッ、くせぇっ、チンポくっせぇぇっ」
一郎は唇を引き締めると、鼻の穴を広げて深く、肺の隅々にまで染み渡らせるように息を吸い込んだ。
気絶しそうなほどの生臭さだ。
亀頭と皮の間でぶち撒けた雄汁、スケベな事を考えるだけで溢れる先走り、じっとり湿ったティッシュの切れ端、白と黄色で濁ったチンカス、その全てから強烈な青臭さがこみ上げる。
「あ、あっふッ、たっまんねぇ、んっほぉぉ」
一郎のよがり声は、なんとも情けないものだった。自分で育てた臭いに体をビクビクと痙攣させながら、しかしそれでも笑い声を混じえた喘ぎ声を出していた。
眼光の鋭さはなくなり、顔は緩む。全身でセンズリに陶酔していた。
決して強くは扱かない。その必要がない。ゆっくりと、やさしく、ただ撫でるだけ。それだけで十分に、甘い快感が全身に響く。もう何十回も繰り返したのだ、今の自分の体のことは完全に把握している。
自分の右手の快感にすら負けるような無様な姿で、一郎は酔いしれていた。
仰け反りが強くなる。天井を見ていた視界がぐるりと上下逆さに進んでいく。
時計とカレンダーが見えた。
生真面目だった自分が、毎日丁寧に赤いバツ印を書いていたカレンダーだ。楽しげに毎日チェックを付けていた。あと何日か待てば、遠方に住む許嫁と会える日がやってくる。そんな印だった。
当然、そんな日は過ぎている。
「…………」
あの印を最後に付けたのはいつだったろうか。
今日は非番だったか。
何日経った。
この部屋の中で、射精の気持ちよさに何度気を失った。目覚めて再び竿をシゴイて、よだれを垂らして、また射精して、眠って、起きて……。
どれほど経った?
なぜ、誰も訪問してこないのだ。
この独身寮には、口うるさい先輩方が何人も暮らしているはずだ。
警察官が一人、連絡の一つもなく部屋にこもっているのに、どうして誰も助けに来ない。
一郎は右手で竿を扱きながら、ついに片足を床につけた。
「う――おっぉお……おっほ……おぉ」
ゴリラのようなガニ股になりながらも、必死になって立ち上がる。気持ちよさで今にも崩れ落ちてしまいそうだ。だがもう、ことは自分一人の問題ではない。なにかが起きている。確かめなくてはいけない。市民と平和を守るために警察官になったのだ、今こそ使命を果たすべきだ。
その覚悟が彼を無理やり動かしていた。
欲望には依然としてとりつかれたままなので、肉棒はガチガチに勃起したままで、手はその竿を扱き続け、服装はタンクトップ一枚しか身に着けていない。完全に不審者そのものの姿で、警察官の一郎はドアノブを回した。
密閉されていた雄の空気が、外の新鮮な空気に割って入られる。
はずだった。
「――うッ……!?」
一郎は声を失った。鼻をついた臭いは、自分の部屋に負けずとも劣らぬ異臭だった。男の臭いだ。男が肉棒から絞り出す、精液や先走りの濃い臭い。それが長い廊下二十万している。
「な、なにが、起きているんだ……ここで……」
ここは警察官たちが住む独身寮のはずだ。そこそこの家賃も払っているのだから、管理は行き届いているはずだ。
一体どうして、こんな悪臭がする。
悪臭だけではない。臭いに混じって、何かが聞こえてくる。
「ハァ、ハァ、駄目だ、駄目、も、もうダメだ、ああぁイッちまう……」
「気持ちぃい……凄え、気持ちぃい……幸せぇえ……」
「も、もうどうでもいぃぃやぁ……なんもかんも、どうでもいぃいい」
扉から恐る恐る首を出すと、締め切った扉の中に、いくつか開いた扉があった。
自分のように顔を出した男が、……先輩、後輩、同僚、何人もの男が、裸に近い格好で腰を振り、竿を扱き、乳首を刺激し、よだれを垂らし、無様な姿で喘いでいた。
「あ、ああ、こ、んな……」
誰も呼びに来ない、助けに来ない、そのはずだ。
この寮のなかの警察官がみんな、自分とおなじ有様になっているのだから。なぜか扉を開いたところで足を止めて、みんなみんな……センズリ狂いの猿になっている。
「ああ、た、助け、を、救援を……」
一郎はついに肉棒に張り付いていた手を話した。恐怖と怒りが体を突き動かしていた。
「なんとか、……して、そうだ……電話でも、なんでもいい、どうしてこんな、簡単なことを……」
部屋の中に戻って連絡を取るか。いや、こうして出るまで何日も掛かったのだ、それは危険だ。強引にでも外に出よう。そうだ、一歩一歩進めばいい。怠惰に負けず、興奮もせず、這ってでも進めばきっと自分のような警察官に出会える。励まし合いながら外に出れば、きっと、きっと事態の全体図が見えてくる。
「よし、いける、いける……俺は、大丈夫だ、俺は……」
そうして一郎は一歩、前に足を踏み出した。
「………」
ただ一歩進んだ先に、桃色の柔らかいなにかが見えた。
それは男の性器を模した物体だった。勃起した肉棒。吸盤がついていて、床に張り付いたまま天高くそそり立っている。
知識では知っている。あの上に跨ると、刺激できない性感帯をガンガンに突けるのだ。それはそれは気持ちのいいものだと、頭の奥で声がした。
「あぁ……すげえ、こんないつまでも、気持ちよくなれる……」
「最高……こ、こっち、ケツ、ケツの奥、最高……」
「お、男の俺がこんな、ああ、でもとめらんねぇ……すまねぇ……すまねぇえもう俺コレじゃなきゃぁ……」
耳に警官たちの無様な声が聞こえてくる。扉の前には一つ残らず『コレ』が置かれていた。なぜ誰も扉から先に行けないのかがわかった。みんな、欲望に負けたのだ。負け続けているのだ。
「お、俺は、違う、俺が……こんな、興味ねえ、こんなもん……こんなもん……」
一郎は許嫁の顔を頭に浮かべて一歩踏み出した。報告せねば。対策を練り、作戦を立案し、救援を要請しなくては。
見るな、あんなものを見るな。想像するな。肉棒の射精だけで狂い続けていたのだ、この上もう一つ気持ちいいもののことなんて考えるだけで涎が出るきっと駄目になってしまう死ぬほど気持ちいいに決まっている跨って腰を振ってチンポ触ってケツの奥ケツに深くもっとまたがりたい一回だけちょっとだけそしたらきっとスッキリするそうしたら助けを呼びに――
はい独身でムラムラしている警官の皆さん、栄養剤とティッシュ、ちゃんと皆さん足りてますかー? はいはい、ちゃんと報告……なんてできないか、楽しいオナニーライフのために、手を挙げるくらいのことはしてくださいね。
「誰かあ、だ、誰かあ、ああ、助け……あっぁああ、止めてくれえッ……こんなん、やめられねえんだよお、抜いてくれえ、抜いてくれえ………」
いやあ楽しんでいますねえ、イヤイヤ言っているのがまた気持ちいいものでしょう。性欲の溜まった警察の独身寮だけあって、もっと閉じこもって猿のようにオナってる割合が多いと思ったら、思った以上にたくさん合格者が出ていて嬉しいですね、やっぱり警察官の使命感っていいですね、これなら改造後はいい部隊になりますよ。
「あ、あ、あ、何を言っているんだ、なにを、き、キミは、まさか、キミが、俺たちを、こんな、警察官に、こ、こ、公務執行ッ、ぼうがッ、はひッ、はひッ……!」
まあ、まあそう怒らない怒らない。せっかく合格ラインに入ったんだから、もっとそう、楽しんで、こうやって、ね。
廊下に現れた男はそう言って、一郎の逞しい肩に手を置いた。
ズ……。
ゆっくりと腰が沈められる。一郎が跨っていた男の極太の魔羅の玩具が、深く一郎の中に沈んでいく。
「――はッ、おぉおおンンンッッ!!!」
ほらほら、リラックスリラックス。
「はぁ……はぁッ! あぁぁ……す、す………すげえ………」
さっきまでの目の光が消え、顔に歓喜の笑みが浮かぶ。
「あぁ、奥、奥が、ヤバ……凄え、あああ気持ちイィ……」
そうそう、いまはそれでいいから。ほら後ろだけで勃ってきたじゃないか、すごいすごい……。
「お、俺、ああ、いい、イイ……たって……きた、ああ、気持ち良すぎて……こんな……ああ、俺、ケツで……ケツだけで勃起、チンポ、ケツにも、チンポ、ちんぽ………おぉ、おぉぉ……」
じゃあ三日後に回収に来るから。そこにおいておいた栄養剤ちゃんと取るんだよ。ほら、ティッシュも置いていって上げるから、いくらでも出せるだろ。
「あぁ……あ、ありがとう、ございます……ありがとうございます……あぁ気持ちいい、幸せ……俺、幸せ……も、もう、全部、全部幸せ……全部入った……入った………」
気持ちがいい。ケツの中をブツがズリズリ這っている。奥も手前も感じる場所も、腰を揺らすだけで刺激される。
ああ面倒くさい。もうなにもかも面倒くさい。これだけしていたい。
仕事も、女も、誠実さも、すべてティッシュで包んで捨てた。
頭のなかは、もう射精の快感でいっぱいだ。これ以上余計なものは何も入らない。俺の頭は射精で満員。そうだ、射精、気持よく射精することだけ考えたい。足を開き、尻を引き締め、ケツの奥をもっともっと開発しよう。
さあ、でる。
もうすぐ白いのが出る。気持ちいいのが出る。男汁でる。
「でる、しろいのでる、でる、でるでるっ!」
一郎は丸まったティッシュを亀頭に押し付け、何度目か数え切れない射精をした。またあの濃い臭いが体中で濃くなる。頭の中の真っ白い霞が強くなる。それがたまらなく気持ちがいい。
――また一つ、横の扉が開くのがわかった。
誰かが使命感に導かれて扉を開けたのだ。その先にあるのはさらなる快感だとも知らずに。
隣……ああ、そうだ、コイツは後輩だった。俺の後輩。格好つけて色々教えてやったやつだった。
「はひっ、はひっ、あっぁ、でもぉぉカンケェねええ、チンポきもちぃぃひぃい、あっ、あっ、もう、もうずっと、好き、好き、たまねえ……よぉぉ………」
一郎は確かに思いだした。だがその記憶は、脳を揺らす射精の快感にすぐに流され、消えてしまった。
どうせすぐに『同じ』になるのだから、恥ずかしいもなにもない。
この新しい快感を覚えさせられ、病みつきになり、一生でも続けたくなるのだ。自分のように。
独身寮中の男たちは、皆幸せに喘ぎ続けた。
与えられた新たな伴侶を体の奥に飲み込んで、いつまでも。