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倍々世界10



8月12日



 総理大臣執務室。一般家庭のリビングが二つは入りそうな室内に、重厚な木材で作られた執務机。その席に座っているのはこの部屋の主でありこの国のトップ。もう齢五十を超えたが総理としては若造の位置。むしろ若すぎるまである。その男はこれまた机とセットの柔らかなクッションであつらえられた椅子に座り、壁に据え付けられた大きなモニタに目を向けている。直近で起きた台風被害は甚大なものであり、総理もその対応に走り回っていたが、今総理の目に覇気がないのはそのせいではなかった。


『ご覧ください! 学校の校庭に――巨大な、巨大な人間が座り込んでいます。……あっ、こちらに手を振っています!』


 報道ヘリからの映像では学校を上から映している。郊外特有の敷地の広さ。ズームした先の校庭、体育館だったものの近くに、裸の男性が座り込んでいるのがわかる。ただその縮尺がおかしい。そばに停まっているジープがラジコンに見えてくる様なデカさ。粗い映像からでもわかるくらい筋肉質な身体に、申し訳程度に股間を隠している青いビニールシートの腰布。ヘリのカメラに向けて笑顔を見せる育人が画面いっぱいに映る。総理の遠慮ないため息が静かな室内に響く。


「こっちの気も知らずに好き勝手流してくれて……報道規制はかけられなかったのか?」

「屋外に出たらもうあっという間でした。大量の食糧を運び込んでいたので元々怪しまれてはいたようです」


 机を挟んで向かいに立つ三十代の男は、総理の側近だ。資料を手に持ちながら総理と同じようにモニタに目を向けている。救出した学生のうちの一人が、倍ほどに巨大化している、という報は「そんなわけないだろう」という当たり前の否定を写真や映像付きで何度も上申され何とか当日中に政府のトップまで届いた。巨大化の理由も原因も全く不明。方針が決定するまで育人は学校に留め置かれており、その日の夜、ようやく原因究明のため病院に搬送することが決まって次の日にさらに成長し身長560センチ。そもそも病院に運び込めなくなり搬送は中止。注目を避けるため体育館に留め置き、方針を再検討し生物学の研究チームをようやく送り込める、となったら、体育館をぶち破るほど巨大化して全世界にその姿をさらしている。


「今の身長は?」

「約18メートルです。昨日の時点で9.8メートルだったため、ほぼ倍に成長しています」

「……とんでもないな」


 総理がため息をつく。現代の科学で説明できない事態が起きていることは、二日前ひそかに行った有識者会議からわかっていたことだった。そもそも成長率がありえない、食事以上に成長している、どこから質量が増えているのか。すべてが謎。ほぼ寝ずに対処に当たっているのにもかかわらず事態はむしろ急拡大している。


「……今後の成長予測は」

「レスキューが接触してからの4日のサンプルしかありませんが、現状日ごとに「身長の伸び」が倍になっていることがわかっています」

「伸びが?」

「はい。前回がプラス約420センチ、今回がプラス840センチです。学校にいた友人達から聞き取ったそれ以前の数値も、大体この式に当てはまります」

「だとするとなんだ。明日は16メートル成長するというのか!?」

「予測身長は35メートルですね」

「……まて、その次はどうなる」

「2日後は約70メートル。3日後は135メートルですね。計算の上では1週間後には2000メートルを超えます」


 総理が目を見開く。眼球が不規則に揺れている。ありえない、とは現状からして言い切れない。画面の向こうの男は、身長が18メートルという、人間ではありえない大きさなのだ。


「……総理。一刻の猶予もありません」


 側近が声を潜める。総理も十分に理解していた。指数関数的に成長を続ける育人を、この国、いやこの世界で養い続けることはできない。今だって食料は一食に千人分を超えるが、これが明日になれば八千人、次の日は7万人分。すべて計算上のことだが、一週間後にはもう地球の食糧ではまかなえない。だとすると、どうするか。総理は机の天板に視線を固定する。


「……冴島育人の両親は」

「偶然にも、先週の台風で起きた土砂崩れに巻き込まれて行方不明。本人はまだ知りません。兄弟も近しい親戚もいません」

「方法は」

「総合的に考えると、毒かと」

「効くのか?」

「そこは未知数ですが、すでに全世界に知られている以上、最も穏便です。効かなければ、物理的にどうにかするしかありません」


 総理はしばらく黙っていたが。不意に背もたれに体を預けのけ反り、天井を向いて細く息を吐いた。そして側近と目を合わせる。


「わかった。やってくれ」

「かしこまりました」


 側近が部屋を出ていく。一国のトップが、秘密裏に国民の処分を決断した瞬間だった。




***





「おーっ! 夜はカレーっすか!」


 夕方を過ぎ周りが薄暗くなる中、胡坐をかいた育人の大きな声が響く。体育館という狭い檻から解放されて、育人は今まで以上に元気だった。身体を思いっきり伸ばしたり、隊員やジープを持ち上げてみたり、校庭を歩き回ってしゃがんで校舎を覗き込んでみたり……山を下りたいという要望はさすがに軍総出で止めたが、ある程度育人もストレス発散できていたようで、なぜかまだ主責任者の立場になっている篠田は少しばかりほっとしていたのだ。夕方には政府によりプライバシー確保の名目で周辺は飛行制限区域となり、マスコミのヘリももうとんでいない。


「あ、ああ……たくさんあるから、思う存分食べてくれ」


 座っても下手すると一軒家の屋根より高い位置にある顔から見下ろされながら、篠田が拡声器で上に声を放つ。千人分の食事を用意するというのは言うほど簡単ではない。野外炊飯車でも5台でギリギリの量。その上すでに育人は18メートルの巨人。人間の身長より大きな分厚い手のひらでは普通の食器などミニチュアもいいところだ。災害派遣等で使う大型鍋にごはんとカレーを山と盛り、スプーン代わりのスコップを用意したが、それでも育人の前では子供用の食器のようだった。鍋はまず5つほど用意されており、その最初の1つに、シアン化系の毒が2kg程盛られていた。


(こんな……こんな……)


 毒殺については限られた人員にしか知らされず、篠田はその数少ない一人だった。今殺すしかない。いろんな事情でそれは理解しているものの、特に暴れもしないまだ未成年の子供に毒入りカレーを食べさせるのはさすがに堪えるものがあった。そんな事情も知らず、嬉しそうに育人は鍋へと腕を伸ばす。もはや長さはトラック以上、太さもそれに迫りそうな腕は近くを動くだけでも押しつぶされそうなプレッシャーを振りまいている。人間より大きな手が中身含めて80㎏はある業務用鍋を小鉢のように片手で軽々持ち上げると、9メートル近い上空でそれをすするように掻き込んでいった。体重換算で致死量の10倍以上の毒とともに。


「あ~……? すげーうまいっす! カレーとか久しぶりだ~」


 カレーにしたのは毒のにおいや風味をごまかすためだ。それを見つめながら篠田はゆっくりと育人から距離を取る。通常、シアン化系毒物は摂取してから数分で効果が出始める。マスコミに知れ渡ってから警備と称して人員も増強しており、多少の苦しみで悶え暴れても、学校外まで被害は出ない想定だ。育人はすでに3つ目の鍋に手を付け始めていた。何も知らない補給班は、空になった鍋を二人がかりで運び、お代わりのカレーを盛っている。そうして――20分もしないで育人は用意した千人分のカレーをすべて空にし、「ごちそうさまでした!」と、こぶが岩のように盛り上がる腹筋を手で軽くたたき、周囲に重苦しい打撃音が響いた。


 そうして数時間後、育人が校庭に横になってようやく寝静まったころ、篠田は校舎内の作戦本部から出た。校庭に横たわる育人は、遠くからでも十分視認ができる。スマホが震える。篠田の上の上の――その上には数えるほどしかいないぐらいの人間の電話番号が光るディスプレイに表示されている。


『――現在も変化はないか?』

「はい。ご報告した通り、呼吸、心拍が乱れた様子もなく……」

『そうか。まあ、まともに効くとは思っていなかったが、こうも効果がないとは……』

「この後は? ほかの毒を?」

『もうほかの毒を試している時間もない。火器の使用を調整中だ。追って知らせる』


 そこで通話はブツリと切れた。篠田ははぁ、とため息をついて、育人の方を見る。そこで違和感に気づいた。先ほどまで聞こえていた寝息が、呼吸が――違う。


「へえ……」


 地を這うような声に篠田はびくっと肩を揺らす。寝ているはずの育人が動き出し、その重さに地面が震える。あっという間に育人が起き上がり、篠田は月明りをさえぎる育人の顔を見上げる。


「あのカレー、なんか変わった味だな~って思ってたら、毒入ってたんだ」

「っ……!!」


 通話を、いやでも聞こえるはずがない、という篠田の疑問に対して育人はトントンと自分の耳を指さす。


「でっかくなってからさあ、小さい音とかもよく聞こえるようになったんだよね。だから篠田さんたちと話すのもラクだし……こういうのも聞いちゃったりさ」


 ぐあ、と育人が篠田に手を伸ばす。とっさに走ろうとしたがあっさりと育人の手にとらえられた篠田は、そのままジェットコースターよりも早く育人の顔の前に運ばれる。胴を丸ごと締め付けられた篠田はろくに身じろぎすらできない。


「ぐあ……やめ……」

「ひどいじゃん。俺なんもしてないのに殺そうとするなんてさ」

「ち、ちが……」

「何が?」


 育人の声色はいつもと変わりないように聞こえたが、その目には怒りや失望が見え隠れしていた。育人が篠田をつかむ手の握りを強める。


「ぐ、ああ……!!」

「殺そうとするならさあ、殺される覚悟もあるんだよな?」



「おいっ! 何してる!!」


 その時、騒ぎを聞きつけた隊員たちがバタバタと集まってくる。じろっと見下ろす育人に向けて投光器がつけられ、篠田を握りしめる育人の姿がライトアップされた。巨人が人間を襲っているとも取れる姿に、隊員の敵意が強くなる。


「篠田隊長を放しなさい!」

「…………」

「どうした、早く!」


 黙って育人が下を見下ろしている間にも、隊員たちはどんどん増えていく。そしてついに小銃を携えてくる部隊まで集まった。もう育人が敵とみなされるギリギリのところまで来ている。


「や、やめ……」


 篠田の声は小さすぎて下の隊員たちまで届かない。銃を持つ隊員はどんどん増えるが、まだ構えるまでいかずに留まっている。――が、その均衡は不意に崩れる。


「おっ?」


 育人の声。少し戸惑ったような声だったが、育人はすぐに笑みを浮かべなおした。そしてその理由は篠田にもすぐにわかった。育人は指を動かしていないのに、握られている手がむぐむぐとうごめいている。育人がぐい、と篠田をつかむ手を顔に近づける。


「そっちがその気ならさ……俺も、やるだけやってやんよ」


 ズズ、と地面が揺れだした。




続く

倍々世界10

Comments

コメントありがとうございます! いよいよ次の展開です…!ここで決断できちゃうお偉いさんは色々考えると英断だったんですが効かなかった上にバレちゃったので……大変なことになります……

ichiya

ついにその姿が報道されちゃったりして、 いよいよ隠し切れないというか、大事になってきちゃいましたね~。 倍々で大きくなっていることも国のお偉いさん達にも予測は出来ちゃってるだろうけど、 いきなりなかなかに剣呑な処置が行われようとしちゃいましたね…! 今回は育人君が先に感づいて未遂に終わりましたけど、 このまま育人君が自衛隊に反目すると、対抗できるだけの力は持っちゃってるんで まぁ大変なことになってしまいそうですね~^q^

曹達(ソーダ)


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