EX010_クラスメイトをボコる長身転校生
「あいつ、マジで入院したらしいぜ?」
朝の教室で、前の席の義和がこの間また染め直したらしい金髪を揺らしながら軽く笑う。あいつというのは、今義和が目を向けている席に昨日まで座っていたやつだ。痛みに悶える顔を思い出して俺も自然に笑ってしまう。
「お前があのチビの足ひっかけたからだろ?」
「人聞きがわりーぞ菜月! あいつが勝手に引っかかったんだよ。それで階段から落ちて骨折とか、マジ笑える! 栄治もそう思わね?」
義和が笑うここにいないそいつの名は正也。身長が160もないチビで、おどおどしていて、まあ俺たちの絶好の暇つぶしだった。教科書隠したりわざとぶつかったりいろいろやっている。あいつも何か言いたそうな目をするけど、ちょっとすごめば慌てて顔をそむけるようなところがもうたまんなく気持ちいい。今回のもあいつが勝手に転んで落ちた、ってとこに落ち着いたから俺らには何の咎めもない。
「ま、あいつで遊ぶのもしばらくおあずけだけどな」
「だな~。ったく……あのぐらいで入院とか貧弱で困るわ~」
「ほーら席つけー」
担任が入ってきて、義和が前を向く。俺も入ってくる担任の方を見て――目を疑った。教室全体が一瞬ざわっと騒がしくなって、不気味なくらい静かになる。
(な……なんだあれ……)
担任が開いたままのドアの向こうは廊下なのだが、そこに脚が見える。いや、脚しか見えない。もっと正確に言うと、普段人の顔があるような高さにスラックスのベルトがあるのだ。何かの見間違いかと目を瞬いたが、見える景色は変わらない。よく見ればベルトの上には上半身が続いている。
(で、でかくないか……?)
どう考えてもでかすぎる。教室のドアは2mぐらいあるはずだが、それでもTシャツに包まれた腹の下の方までしか見えない。動揺しているとその巨大な脚がぐぐっと曲がりだす。しゃがんでいるのだろう。そうして上半身が下がってきて、胸、肩、首と見え、ついには顔が見えて、ようやくそれが人だと気づく。教室が再びざわめきに包まれる。
「えっ……」
「なに……?」
中腰になるくらいまでしゃがんだ男は逆手に鴨居をつかんで、さらに頭と背中をかがめながら身体を斜めにしてドアを潜る。まるで子供用のアトラクションに無理やり大人が入ろうとしているみたいだ。そうして教室に入った男が立ち上がってようやくその全貌が見えた。
「…………」
俺を含めて誰も声を出せなかった。その男は――もはや巨人と言っていいくらいでかかった。教室の天井は俺がまともにジャンプしても手が届かないくらいには高いのだが、なんとその男は立っているだけで逆立てた黒髪が天井に届いてしまいそうである。そして身長だけではない。ガタイもものすごかった。
なにせ斜めにならないとドアを通れないほどの肩幅だ。そこから突き出るまるっとした肩はメロンのようであり、大胸筋は着ているTシャツをビッチビチに引き延ばすほど膨らんでいる。肩から伸びる腕は、多分俺の太腿より太く長く、みっしりとついた筋肉が光の加減でボコボコといくつも影を作っている。締まった腰はシャツに隠れているが、その腹筋もすさまじいだろうことは何となくわかる。脚は長さもだが太さも尋常ではなく、ズボンが筋肉でパンパンに張っており、もはや小さな女子一人分ぐらいはありそうだった。いや、それ以上かもしれない。
(すげ……)
ものすごい身長と、ものすごいガタイ。鋭い目つきと鼻の頭の傷跡も相まって、たとえ格闘技の世界チャンピオンだろうと怖気づいてしまいそうなほどだ。そんな男がいることにもびっくりだが、今この教室にいることもびっくりだった。
「えー……て、んこうせいを紹介します」
あまりの存在感に教卓にいる担任のことをすっかり忘れていた。担任は教壇に立っているが、それでも横にいる男の胸の高さにも届いていない。カッ、カッとチョークで黒板に文字が書かれていく。それを書き終わって、担任が男を見上げて、自己紹介を、と小さく呼びかけた。
「須藤 万里。……どうぞ、よろしく」
表情一つなく言いきられた声は、その見た目にそぐわず地を震わすほど低かった。申し訳程度の拍手が上がり、須藤は窓側の一番後ろの席をあてがわれる。普通なら一番いい席を……となるところだが、もし須藤が一番前になろうものなら後ろの人間はすべての視界をふさがれてしまう。ずし、ずし、と重量感たっぷりに床を踏みしめながら須藤が席へ向かうと、両横の生徒がぶつからないように自分の机をががっと遠ざける。まるでモーセのようだ。そしてみんなが通り過ぎた須藤を振り返る。そうして席まで来た須藤だが、須藤に対してあまりにも小さい机と椅子。須藤は椅子を引くと、その座面には確実に収まらないだろう尻をゆっくりと下ろして、200キロは超えていそうな体重を椅子に預けた。メギメギメギと音を立てながらも、金属で補強された椅子はなんとか須藤の重さに耐えている。当然机の中に椅子の座面より高く突き出る須藤の脚が収まるわけないので、須藤はその長く太い脚を両端に投げ出す。長すぎて前の席の奴の椅子に当たってしまい、慌ててそいつらは椅子を引いた。
「…………そ、それじゃあ、授業はじめるぞ~……」
それからあっという間に三日が過ぎた。意外にも須藤は意外にも真面目に授業を受けていた。休み時間になると須藤本人は腕を組みじっと目をつぶっているのだが、休み時間の度に学年、いや学校中から須藤を見るため教室のドアや窓に人だかりができ、外に出るのも一苦労な状況が続いている。だが皆示し合わせたかのように須藤に話しかけることはせず、遠巻きに見るだけだ。まあ何せあのデカさなうえに不愛想。ちょっと腕がぶつかっただけで吹っ飛びそうなのに、もし何かやって機嫌を損ねたかと思うと距離を置く気持ちはわかる。俺もクラスメイトもそんな感じだ。
「なーんかストレス溜まるなー」
「だな~」
昼休み、飯を食った後義和と校舎裏でだべる。最近は教室に人が集まりすぎな上、須藤にどういう態度を取っていいかわからず好きに動けない。
「早く正也こねーかなー」
「あいつ殴ってストレス解消したいよな」
「むしろ須藤に喧嘩売らせようぜ」
「それいいな! さすが菜月!」
「やっぱりお前らか」
突然聞こえた低い声に、びくっと肩を震わせながら声の聞こえた方を向く。そこにいたのは、今まさに話題にしていた須藤だった。須藤サイズの制服がない、という理由で、初日と同じTシャツとスラックスの服装で、靴箱に入らない40センチのシューズを踏みしめながら俺達を見下ろしこちらに歩いてくる。俺と義和は慌てて立ち上がり、近づいてくる須藤に向かい合う。
「お、す、須藤か」
「ど………うしたんだよ。こんなとこまで」
ただ歩いてくる須藤だが、身長270センチ、250キロは軽く超えている筋肉の塊が近づいてくる迫力は尋常ではない。クマの方がましかと思うぐらいだ。一メートルほど距離を置いて須藤が立ち止まる。ちらっと義和を見る。今すぐ逃げ出したいが、ここで逃げたら一生臆病者と笑われる気がする。
(一人だったら絶対逃げてんのに……)
「な、なんだよ」
義和が声を張るが、須藤は俺達を見下ろすばかりだ。その膠着が数秒続いた後、須藤がおもむろに口を開く。
「いや、面白そうだと思ってな」
「…………は?」
「今休んでる奴使って”暇つぶし”を、やってんだろ? 俺も暇なんだ」
そこまで聞いたら流石にわかった。それと同時に一気に緊張が解ける。この感じなら俺らが正也に何をしたかは知っていそうだが、面白そう、というなら、須藤は「こっち」なのだ。義和と目を見合わせる。
「な、なんだよ。そうなら早く言えよ!」
「休み時間目つぶって寝てっからさ~……まあつまんねえよな!」
「いつもどうやって遊んでんだ?」
するともう完全にいつも通りの義和が、ぺらぺらと話し出す。小突いたり、殴ったり、モノを隠したり。それから入院するに至った足のひっかけまで。面白おかしく。俺はそれを隣で聞いていたが、急に背筋がゾクッとした。まさか、と顔を上げる。須藤は変わらず俺達を見下ろしているが、須藤の腕に力が入り、シャツの袖がミチミチと裂けそうなほど筋肉が盛り上がっている。俺のより二回り以上でかい拳は……岩のように、強く、固く、握られている。
「おい、よしか……」
「そうか」
恐ろしいほど低い、冷たい、声が上から降ってくる。それとともにぬっ、と人の腿より太い腕が重機のように動き、人の顔よりでかい手がぽん、と義和の頭の上に置かれる。それだけでも相当な重量なのか義和がバランスを一瞬崩す。
「え、あ」
「そうかよ」
「え、すどう、な、あがああああ!!!」
義和が悲鳴を上げる。須藤は義和の頭をすっぽりとその巨大な手でつかみ、まるでビニール人形かの如く軽々と持ち上げたのだ。須藤の握力は相当なもののようで、義和は悲鳴を上げ続けながら須藤の手をはずそうと暴れるが、まるで鋼鉄でできているかのように須藤の腕はびくともしない。地面より一メートル以上上で義和の脚が宙を掻いている。
「軽いな、お前」
「ぎっ、が……」
須藤は義和をつかんだまま、軽々と腕を上下させる。その度に腕の筋肉が恐ろしいほどに盛り上がり、義和はぼろきれのように振り回される。ちら、と須藤が校舎の壁に目を向ける。そうして義和を釣り上げたまま、一歩、二歩と壁に近づく。
「こういうこともやったのか?」
須藤は頭をつかんだ義和をそのまま振りかぶり、勢いよく壁にたたきつけた。ドゴォっ!! とすさまじい轟音がして、地面が一瞬揺れる。義和がたたきつけられた壁はあまりのパワーに義和の頭を中心に大きなひびがビシビシと入り、上の方から降ってきた土埃が義和を汚していく。
「あ……あ……」
義和はもううめき声すら上げずに四肢をだらんとさせていた。須藤が揺するが、目を覚ます気配はない。須藤はチッと舌打ちをするとそのまま義和から手を離した。ずだっと地面にずり落ちて、ぐったりと壁にもたれかかっている。
「弱っちいな……」
「ひっ!」
パン、パンと大きな手をはたきながら、須藤が俺の方を向いたので、小さく悲鳴を上げてしまった。義和が持ち上げられた時から腰を抜かしてしまって座り込んでいたが、そこから見上げる須藤はさらに巨大に見える。須藤が大きな歩幅で近づいてくる。情けなくも力が入らず後ずさることもできない。須藤の40センチの靴が、俺の足元に踏みしめられる。須藤が俺を覆うようにして冷たい視線を向ける。
「おら、立てよ」
「ひ……ごめ……」
「立てよ。踏み潰されたいか?」
須藤が脚を動かす。あんな巨大な足で須藤の300キロ以上の体重をかけられたら間違いなく体が潰れる。俺は震える膝を殴り、泣きそうになって這いつくばりながらなんとか立ち上がる。ここまで近くで須藤と向かい合うのは初めてだ。いや、向かい合うと言っていいのだろうか。なにせ一応平均身長はあるのに、俺の頭は須藤のベルトのちょっと上までしか届かないのだ。須藤の股下はほぼ俺の肩の位置で、つまり須藤の脚の長さは俺の胴体と同じぐらいある。そして太さは圧倒的に須藤の脚の方が上なので、この須藤の脚は、俺よりも重いかもしれない。こんな脚で蹴られでもしたら、骨折どころじゃすまない。反射的に下がろうとするが、須藤の手が俺の胸倉をむんずとつかむ。
「ひっ、やめ……」
そのままぐん、と須藤と同じ目線にまで持ち上げられる。掴まれているのは服だけだが、自分の体重がかかっているため苦しいには変わりない。須藤の腕はびくともせず脚は完全に宙に浮いていて、否応なしに須藤と目を合わせさせられる。
「ご、……ごめっ……なんか怒……怒らせ……たよなっ」
「……お前、なんで俺が怒ってるかわかってんの?」
須藤が軽く腕をゆする。が、俺にとってはガクガクと頭が振り回される強さ。まともに呼吸すらできない。
「ごめ……わかっ……わかんっ……ないです……!」
「さっき自分で言ってただろうが。お前らがいじめてた正也は、俺の友達なんだよ」
それで、すべて理解した。面白そう、も俺も暇、も全部俺達から証拠を引き出すための嘘だったのだと。まさかあいつにこんなダチがいたなんて。でももう後悔しても遅い。義和は全然動く気配がないし、このままじゃ俺も殺されてしまう。
「すっ! すみません!!!! もうしません!! もう絶対正也に手出しません!!!」
恥も外聞もなく、身体が自由だったら土下座する勢いで謝罪をまくしたてる。須藤は俺をつかむ手は離しはしないものの揺するのをやめて言い聞かせるように重苦しい声を出す。
「……二度と正也の前に顔を見せるな。次は本気で潰すぞ。あっちのやつにも言っとけ」
「はっ、はいっ!!すみません!」
助かった。その思いで口が勝手に喜びの形を作ってしまう。だが、いつまでたっても須藤は俺を下ろしてくれない。それどころか、胸倉をつかむ手はその力を強くし、シャツがブチブチとちぎれ始めている。
「あの……す、須藤?」
「それはそれとして、正也がやられた分だ」
「えっ……」
須藤が子供の頭くらいありそうな拳を握る。ゴキュッ! と腕の筋肉が膨れ上がり、ビキビキと太い血管が浮き上がっていく。
(あんなもんで殴られたら死ぬっ!)
「いやっ……ごめん! もうしない! もうしない! あいつと会わないから!!!」
「軽く一発で勘弁してやる」
必死に暴れるが、須藤の腕はコンクリで固められたようにびくともしない。軽くといったって、それで校舎の壁にひびを作るようなパワーを持つ男だ。そのまま貫通したって全くおかしくない。須藤が拳を握った腕を引くとググッと服の上からでもわかるほど上半身の筋肉が躍動する。どこが軽くなのか。
「死ぬっ……死ぬって……!」
「黙って腹に込めとけ……いくぞ」
もう涙でぐずぐずの俺は、覚悟を決めて腹に力を入れた。だが、そんなもの薄紙よりも意味がなかった。ドゴォ!! と、まるで横薙ぎにハンマーでもぶち込まれたかのような衝撃。須藤の拳が腹筋を軽々と貫通し内臓が殴りつぶされる。
「がっ……」
俺はそのまま吹っ飛ばされる。須藤がつかんでいた俺の服はパンチの威力に耐えられずちぎれ、多分数メートルぐらい吹っ飛んだ俺はその勢いで地面に転がった。
「がふっ……げぼっ……」
痛みに地面をのたうち回る。胃の中のものを吐いたがそんなのを気にする余裕もないほどの激痛。目がチカチカして意識が途切れそうになる。息すら痛い中転がる地面が小刻みに揺れる。必死に顔を動かすと、視界に入ったのは、巨大な靴の裏で―――
ズドンッ!!!!
俺の顔の倍もある巨大な靴。須藤の体重が込められたひと踏みが勢いよく……俺の頭の隣に、落とされた。地面が揺れ、土くれが飛び散る。今俺の真横にあるのは須藤の巨大なシューズ。重すぎて地面にめり込んでいるその靴が、もし、もし俺の頭に落とされていたら――というところで恐怖が無限にせり上がってきて身体が勝手に震えだす。
「ひっ……あ……」
「次はねえからな」
俺は須藤の顔を見ることもできず、必死に首を縦に振った。声は恐怖で出なかった。須藤が去っていくのを耳だけで感じ、まだ続く激痛と恐怖に浅く息をする。助かった安堵で何とか保っていた精神が限界になり、そこで俺はぶつっと意識を手放した。
END