ひゅうーひゅうーひゅうー 聞きなれない呼吸音が聞こえる。 まるで寝苦しさに喘ぐような音。 朧げな微睡みの中で、樹里はそれを知覚した。 そんなことはどうでもいい。 今は少しでも眠っていたい。 そんな欲求が樹里の中でじわりと沸き起こり、 染み入るように眠りの淵に滑り落ちていく。 (あれ?今何時だっけ?) そんな樹里の意識に、いつもの習慣が歯止めを掛ける。 (ヤバい!学校!今何時だ!?いや、今日は何曜だ?) 瞬時に樹里の脳が覚醒していく。 鳴らない目覚ましのアラームを呪いながらいつものように起き上がろうとする。だが身体が動かない。 ひゅうーひゅうーひゅうーひゅうー 樹里の焦りと共にあの聞きなれない呼吸音が同調して聞こえてきた。 (え?・・これってまさか・・) 樹里はそこで初めて、その聞きなれない呼吸音が自分のものだと認識した。 (風邪?夢?・・なんだこれ?) 樹里は一刻もはやく目を覚まそうと手足に力を込め藻掻いた。 視界は暗く目は開かないままだが、何とか身体を動かしその四肢に力を籠め立ち上がろうと試みる。 だがまるで踏ん張りが効かない。力を籠める度、ぬるりぬるりとなにかに滑りながら地面に突っ伏す。そしてそのまま這いつくばった状態で虚しく身を捩るだけだった。 (なんだこれ?金縛り・・ってヤツか?) 樹里は自身の置かれた特異な状況を、自分の知り得る限りの知識で何とか結論づけようとした。だが、どこかおかしいと内心気付きはじめてもいた。 樹里は自身の異常にも気付き始めていた。 ぬるりぬるりと滑るのは粘液のようなモノのせいで、それが自身や周囲に塗りたくられている為、宛らオイルマッサージでもされているかのようになっていたのだ。 そしてここはいつもの樹里のベッドではない。 些か柔らかくはあるが、明らかに違う場所だ。 そして何よりこの空間は狹い。 まるで粘液に満たされた浴槽に詰め込まれているかのように。 (なんなんだよ・・くそ!) 樹里は於かれた場所の壁らしき場所に向けて、力なく自身の拳を叩きこむ。 ぐにゃり。 脱力したままの拳なので効果は期待していなかったが、 予想外の手ごたえが帰って来た為樹里は困惑した。 (なんだ?いまの・・) その困惑には別の意味も含まれていた。 拳を握った感覚が何かおかしい。 握った拳に何かしら慣れないモノが有る。 慣れたはずのモノが無い。 ひゅうーひゅうーひゅうー 樹里は過呼吸気味になりながら、おそるおそる自身の手を顔に当ててみた。 べちゃりと生温い粘液が顔に散り、 いつもと違うモノの感覚が顔に張り付く。 指と思しき場所には全て大きなコブ状の膨らみが有った。 そしてその指は四本しかない。 どの指が無くなったのかわからないくらいに自然な感覚だった。 その不自然な自然の感覚が樹里の背筋をぞわりと走る。 ひゅうう!(ひっ!!) 想像していたモノと違う感覚が樹里を悲鳴と動搖で満たした。 ひゅうう!ひゅううう!?(なんなんだよこれ!夢だよな!?) 取り乱す樹里よそに、じんわりと樹里の視界が明るくなり始めた。 その瞳に差し込み始めた光に、樹里は夜明けを感じ取っていた。 (朝か?なんだよまったく!とんでもない夢だったな!) 樹里の顔が一瞬安堵で綻んだのも束の間、 それはすぐに新たな違和感へと変貌した。 (ちょっとまてよ・・なんでアタシ・・目を閉じてるのに明るいって分かるんだ・・?) 樹里はその違和感を拂拭しようと慌てて目を見開こうとする、だがうまく開けない。目が壊れた蝶番のように言う事を聞かない。 試行錯誤をしていると、ひゅっと瞼が上下に開いた。 その現象に思考停止してしまった樹里をよそに、一段と明瞭な視界が辺りに拡がる。 そこは樹里の触覚で想像していた通りの場所だった。 仄暗い水の底に沈んだ透明の風船のような球体のなか、 無色の粘液に満たされた状態で身体を丸めるような形で樹里は居た。 球体の上から、ほんのりと月明りのようなものが差し込んでいる。 その薄明かりを頼りに、樹里は己の手をおそるおそる確認した。 その手は人間のモノとはかけ離れていた。 四本の指。 コブのように膨らんだ指先。 人間のモノではない肌の色。 ひゅううううう!!(うわああああああ!!) 樹里己の姿にはすっかり取り乱してしまい、球体の中で力の限り暴れた。 ひゅう!!ひゅううひゅううううう!!(やだ!!アタシこんなのやだあああ!!) 声にならない声を上げ、樹里は球体の壁をすっかり変質してしまった手で殴りつけ続けた。球体は異常な弾力で跳ね除け続けていたが、やがて樹里の力に根負けしたかのようにぐにゃりと拳大の穴を開けた。 すると穴が穿たれたと同時に、穴から大量の水が流れ込んできた。 樹里は一瞬大量の水に成す術も無いと觀念したが、無我夢中で動かした脚が容易く球体の壁を破壞した。その呆気なさに気を取られると同時に、樹里は下半身に漲る力を感じた。バスケをしていた頃から下半身のバネには自身が有ったが、いまの力はそれらを遥に凌ぐ。 樹里は慌てて球体の壁を取り除き、水を掻き分け光の差し込む頭上へと必死に泳いだ。ここでも下半身の超人的な力は遺憾なく発揮された。あっと言う間に水面が近付いてくる。 樹里が水面に顔を出すと、月明かりが煌々と辺りを照らしていた。 そこはどこかの森の中の大きな沼地のようだった。 ひゅう!ひゅう!ひゅう! 樹里は呼吸を乱しながらずるずると身を引き摺り沼地の岸へと上がった。 危機を乗り越えた事に安堵し一息ついた後、 再び樹里の心に動搖が甦り始めた。 月明かりに照らされた樹里の身体は裸だった。 しかしそれ以上に人間のていを成していなかったのだ。 長く伸び、自分でも余裕で確認出来るほどになった舌。 四本と化し吸盤と水かきの付いた手。 大きく太く肥大化した下半身。 同じく大きく筋力が発達し、関節が増えた両脚。 ダイビングスーツのフィンが如く変質した両足。 そして絶えずぬらぬらと粘液を分泌し続ける緑の斑模様となった肌。 ひゅうう・・ひゅうううう!(アタシ・・なにがどうなってんだよ!) 樹里は大粒の涙を流しながら、声にならない声で泣いた。 「我が伴侶よ。これは何事か。」 悲嘆にくれる樹里の背後から、不意に野太い男の声がした。 樹里が反射的に振り返ると、沼地の畔に人間大ほどはあろうかという大蛙が佇んでいた。今しがた水の中から上がって来たのか、その身体は沼の澱んだ水と粘液に塗れていた。大柄という以外は全くの蛙だったので、樹里はその言葉が蛙から発せられたものとは俄かに信じ難かった。だがそれは続けて発せられた言葉で払拭される。 「其方の身体はまだ成熟しておらぬ。今一度宮へ戻れ」 樹里の頭はすっかり混乱していた。 己を拐し変質させた人語を解する人間大の蛙が己を沼へと連れ戻そうとしている。 樹里は思考をなんとか整理して、蛙へと声にならない声で反論した。 ひゅうう!!ひゅううう!!ひゅひゅひゅううううう!!(アンタなんだよ!!アタシになんの恨みがあるんだよ!!アタシを元に戻してくれよ!!) 樹里の声を理解したのか、蛙は僅かに顔を横に振った。 「順に答えよう。余はしがないこの地土着の神よ。妖とも呼ばれる。長きに渡る人間たちの自然崇拝という念から生まれた存在よ。今は忘れ去られているがな。我が伴侶よ。其方には恨みなど無い。それどころか大きな恩が有る。それと共に余は未だ嘗て得た事の無い心に腐心しておる。そして最後の問、それは出来ぬ。やらぬではなく出来ぬ。諦める事だ。」 蛙の一方的な回答を聞き、樹里は即座に抗議した。 ひゅうううう!!ひゅひゅひゅううううう!!(ふざけんな!!アタシはお前なんか知らないぞ!!) 樹里は激昂したまま声にならない声を上げ続けたせいか、息も絶え絶えになり蛙のように両手を地面に付き突っ伏した。不思議とその体勢が一番楽だったのだ。 蛙は樹里を哀しみに満ちた瞳で見つめ、ふむと相槌を打った。 「哀しい事を云うな我が伴侶よ。ではこれを見ても思い出さないか」 蛙はそう言うと徐にのそりと身体を捩り、背中を樹里の方に向けた。 そこには刃物で斬られたような大きい古傷が有った。 ひゅ!(あ!) 樹里は無意識に声にならない声を上げた。 その傷には見覚えが有ったのだ。 何日か前の事、樹里は夕刻の下校途中にアスファルトの上でぴくぴくと藻掻いている蛙を見つけた。その蛙はウシガエルのように大きく、背中に大きな斜めの古傷が入っていた。蛙はすっかり皮膚が乾燥しきっていて、生きているのが不思議な位だった。水気の無いアスファルトの道路端に何故こんな蛙が居るのかは全く疑問で何より不気味だったが、樹里はどうしてもその蛙が哀れで放っておけなかった。とはいえ素手で大きな蛙を触る事には抵抗を覚えたので何か道具は無いかと探した結果、近くに落ちていたベニヤの板切れで掬い上げようと蛙に板をそっと差し出した。 「ほら・・お前、そんなとこに居たら死んじまうぞ・・助けてやるから早くこの板に乗れよ。」 蛙が言葉を理解するとは思えないが、樹里は無意識に蛙にそう話しかけた。すると蛙は樹里をじっとみつめた後、のそりのそりと震えながら動き出した。そして殘った力を振り絞るように板の上に移動したのだ。 「うわ、マジか・・」 樹里は言葉に反応したが如く動いた蛙を見て、思わず口から毀れた。 「まあ良し!えっと・・どこか水気のある場所は・・と」 板に乗った蛙をゆっくりと持ち上げ、樹里は救出先を思案した。 そして近くに大きな池の有る公園が有った事を思い出した。 「よし、あそこなら大丈夫か。おい、お前を助けてやるから間違ってもこっちに向かって飛び掛かってるなよな!」 流石に蛙には触れたくないので、樹里は無駄だと分かっていながら蛙に向かって念を押し、池に向かって走り出した。 樹里の言葉を理解したのか、将又動く力が残っていなかったのかは分からないが、蛙は池に着くまでの間微動だにしなかった。 空も暗くなりかけた無人の公園に着くと、樹里は真っ先に池に向かった。そして池に着くとコンクリートで出来た縁から板をそっと水面に向かって差し込んだ。蛙は水気を察知したのか、さっきまでの瀕死具合が嘘のような跳躍を見せ、ぼちゃりと池の中に飛び込んでいった。 「ふう・・なんとか間に合ったか?・・よいしょっ・・と。」 樹里は蛙の様子に安堵して、一仕事終えた余韻に浸るかの様にコンクリートの縁に座り込んだ。するとちゃぽりという小さな音が静寂の公園に響いた。先刻の蛙が水面から顔を出し、樹里のほうをじっと見つめていたのだ。 樹里はその蛙の顔が樹里に礼を述べに来たかのように思えた。 樹里はへへっとはにかんで蛙に向かって手を振った。 「おい、もうあんなとこに出てくるなよな!次は知らねーからな!」 そう照れくさそうに言うと、樹里は立ち上がって家路に向かって急いだ。公園を去る間、蛙の視線が樹里の背中にずっと感じられていた。 ひゅひゅひゅ、ひゅひゅひゅーひゅ!(おまえ、あの時の蛙か!) 樹里の反応に、蛙はにっこりと微笑んだ。 「如何にも。思い出してくれて嬉しいぞ。そうともなれば、昔退魔の輩に付けられたこの古傷も愛おしく思える。余はあれほどの想いを人間から受けた事は今までただの一度も無かった。余は今嘗て無い形容し難い想いに満ちておる。長きに渡り、下々の者たちのように番を求め、子を成すなぞ有り得ぬと思っておった。余はこの地を治める神。かような睦言なぞとは無縁の存在だった。だが其方の想いでなにもかもが変わった。余は其方が欲しい。」 蛙の思いの丈をぶつけられ、樹里はこれから自分がどうなってしまうのかを察した。 つまり、これから自分はこの蛙のお嫁さんになるのだ。 樹里はぞくっとした。 あの時の自分の思い付きが、 こんな形で返されるとはと酷く後悔した。 「永らくこの宮に留まっておったが故、今を生きる人間の営みに興味を抱いた。それ故の御忍びだった。それが斯様な形で終わりを迎えそうになるとはな。然しそれも其方という存在に巡り逢えたとなれば、全て僥倖という事よ。」 蛙は喉を鳴らしてごろごろと笑った。 樹里は蛙のその態度に酷く憤慨し、ひゅうひゅうと抗議の声を上げた。 怒りの為か、声なき声も定まらない。 蛙が樹里の様子を察し、労るような声を向けてきた。 「声の源が無い雌の身では人間と同じように喋るのは辛かろう。無理をせずとも余には其方の言葉が理解出来ておる。我らが雄は違い、この声袋が無いのだからな。」 そう言うと、蛙は喉の袋を大きく膨らませた。はち切れんばかりのその大きさに、樹里はたまらなく雄々しいと感じてしまった。 そしてじんわりと腹部が熱くなるのを感じた。 (なんだ?・・なんか変だ) 樹里がその身に訪れた違和感を感じ取ると同時に、蛙が膨らませた喉の空気を大きく吐き出し雄叫びのような鳴き声を発した。 「ゲコ!!ゲコ!!ゲコ!!ゲコ!!」 大気を震わせんばかりのその鳴き声は、樹里の身体も激しく震わせた。声に呼応するかのように樹里の身体が激しい熱に見舞われた。 (熱い!!身体中がなんか熱い!!) まるで火を近づけられたかのような熱が樹里を襲った。 樹里は溜まらず身を捩り、無意識に仰向けになっていた。 すると自分の身体がよく見えた。蛙の化け物になりかけた緑色の醜い身体。その緑色の面積がどんどんと広がってゆく。 身体からにじみ出る粘液はその量を増し、肌の質も変化してゆく。 それなのに、樹里にとってはその変化が得難い快感になっていた。 蛙の身体になり、伴侶として神を受け入れる準備が出来た快感。 乖離した身体と心の反応が溜まらず悲鳴を上げた。 ひゅうーーー!!(いやあああああ!!) 樹里は秘所から盛大に潮を吹いた。それが快感からなのか、極度のストレスからなのかは樹里にもわからなかった。 ふと樹里が周りを見やると、夥しい量の小さな蛙が沼から這い出てきていた。そしてじっと樹里と主である蛙を見つめていた。 ひゅ!(ひっ!) 樹里が驚きの悲鳴を上げたと同時に、樹里の眼前で鎮座したままだった蛙が鳴き声をぴたりと止めた。そしてのそりと樹里のほうにむけて近寄り始めた。 ひゅひゅひゅ!(くるな!) 樹里の虚しい声は空を切るばかりだった。蛙は完全に樹里に近寄り、徐に前足ともいうべき手で樹里に触れた。 べちゃり。 樹里はその不快な音とは裏腹に、愛おしい感覚に襲われていた。 触れられる度に、不思議と樹里の身体に安心が拡がってゆく。 蛙はそのまま仰向けになった状態の樹里にのしかかった。 樹里は、不思議な事に蛙の重さがとても心地よかった。 そんな樹里を感じ取ったのか、蛙はぽつりとその体勢のまま一言樹里に耳打ちした。 「ゆくぞ。」 樹里がその言葉の意味に苦しんでいると、樹里の秘所の入口に強い圧迫感が有った。 (え?これってまさか・・) 樹里の懸念が過ったのと同時だった。 樹里の秘所を突き開いて、途轍もない大きさの異物が樹里の胎内に挿しこまれたのだ。 ひゅううううううううう!!!(んあああああああ!!!!) 樹里は突然大量の快感物質を脳内に流し込まれたような感覚に襲われた。激しく身体がのたうつ。ばたばたと手足の鰭を動かし激しく抵抗した。 (なんだよこれ!!こんなの知らない!!いい!!すごい!!) 抵抗したのも束の間、経験したことの無い快感を注ぎ込まれ、樹里は反射的に蛙の巨体を手足で抱き締めた。特に下半身は蛙の跳躍力を得て強靭な脚となった事も有って、少しでも緩まぬようにとガッチリと蛙をホールドしていた。 蛙は樹里の身体にのしかかったまま長い舌を伸ばし、すっかり長くなってしまった樹里の舌と絡み合わせた。 「ゲコ、ゲコ、ゲコ、ゲコ」 先ほどの人語はすっかり失われてしまったかの様に、蛙はしきりに樹里を鳴きながら求め続けていた。 主の乱れる姿に中てられたのか、小さな蛙たちもあちこちで主と同じような行為に及び始めた。そしていつしか、そこかしこで蛙たちの嬌声が盛大に鳴り響いていた。 「ゲコ、我が伴侶!ゲコ!ゲコ!ゆくぞ!!」 蛙が樹里に向かって合図を促した。 しかしその声が樹里に届いていたのかはわからない。 樹里は既に、ひゅうひゅうと喘ぎながら快楽を貪る一匹の雌蛙と化していた。 「ゲコォォ!!」 蛙の合図から寸刻置いて、樹里の胎内に熱いものが大量に注ぎ込まれた。 ぶゅううううううううう!!!(イグゥゥゥゥゥゥゥ!!!) それと同時に、樹里の身体が再び大きく仰け反った。そしてほどなくして腹部を妊婦のように大きく膨らませ、痙攣したままだらりと手足の力が抜けた。 最早樹里には考える力と理性は残っていなかった。 これからどうなるかなど考える余力も無かった。 今はただこの得難い快感に浸っていたかった。 戻る場所も姿も無くした樹里にとって、 いまこの快楽だけが確かな現実となっていた。