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【全体公開版】モンスターテイマーテイマー

 異世界につながる門が開いてから、世界は一変した。


 魔物が世界に現れて久しく、人々にとって異界のものが絵空事ではなくなった現代。

 それすなわち科学で証明できない力が跋扈するということであり、魔法という存在が科学と並び立つ巨頭として認知されていた。

 ドラゴンは体内で精製したブレスを吐き。

 ゴーストは物体を貫通して踊り狂う。

 はてには、自称神など不可視の力で車を浮かせて信仰を求めてくる始末。

 

 人の力など到底及ばぬ埒外の存在ではあるが、彼らにはひとつだけ共通した弱点がある。


 それは、人と契約が必要だということ。

 この世界に対する楔として、契約は存在証明を行う唯一の手段であった。無ければ世界に存在が認められず、すぐにでも追い出されてしまうのだ。


「柊(しゅう)はさ、誰か異界者と契約しねえの?」


 大学で次の授業を待つ間に、虎の男が問うてきた。話題作りのためか口調は軽く、何となく気になる程度のものだろう。


 柊と呼ばれた狼の青年は黒い毛皮に逡巡を張り付けて、レジュメを準備しながら口を開く。黙っていれば整った見た目なのだが、気弱そうに眉を下げるのがどうしても抜けないくせだった。


「うーん、ただ誰にも選ばれないだけだと思うよ。それに、選ばれたら大変じゃない? 申請とかしないといけないし、契約者を害する異界者もいるって話だし」

「まあな、オレのリネスは良い奴だけど、全員がそうとは限らないもんな」

「ひょっとして、自慢するための話題振りだった?」

「あはは、結果的にそうなっちまったな! 悪い悪い。でも、手続きが面倒なのはまじでそう。管理が大変とはいえ、オレも大変なんだわ」

「でも、実篤(さねあつ)は異界者管理局でバイトしてるんだし、そっちでやってくれないの?」

「やってくれるから多少は楽ではある。けど、書類が必要なのは変わらねえんだよー。いっつも締め切りぎりぎりになっちまって、リネスに怒られるんだわ」

「だからレポートも事前にやっておこうって何度も言ってるのに……ちなみに今日提出のやつは?」

「……今から写させて?」

「お昼おごりね」


 すでに異界者管理局での就職を考えている虎はそちらの仕事で忙しく、学業がおろそかになりがちだ。バイトとはいえかなり成績がいいらしく、スムーズに就職できるかもとは本人の談である。

 

 世にあふれる異界者たちが問題を起こさないように管理する国の部署であり、必要とあらば戦うこともあると柊は知っている。現代兵器が効かない異界者も多く、このたくましい友人が傷を負って登校するのも珍しくはない。

 その分給料はいいのだろうが、狼は時々心配になってしまう。


 だが、目下の憂い事を抱える柊にとって、この友人はありがたい存在だった。


「あのさ、実篤……」


 間に合わせようと必死に写す友人を見ながら、黒狼はためらいがちに口を開いた。


「ん?」

「もし、契約したけど届出を出さなかった場合って、どうなるの?」

「まあ届出は法律で決まってるから、まずは罰金だな。ただ管理を嫌う異界者もいるから、契約者を脅してる場合があってなあ。その場合はオレらが間を取り持つか、最悪退去させることになるな」

「じゃあ戦うこともあるんだ」

「場合によってはな。なんだ柊、隠し事かー?」

「そんなんじゃないよ。ただ最近ニュースであったから、気になっただけだよ」

「常ににぎわってる話題だからな。異界者も目的があってこっちの世界に来てるし、オレらも大変なんだわ」


 やれやれと肩をすくめながらも、手は全く止まっていない。お決まりの光景となったおかげで、この虎の執筆速度はだんだんと向上していた。


 そんな虎を横目で見る狼は、握った拳が手汗で湿っていることに気づいた。緊張が不快感を呼び込んで、それはやがて焦燥へと変わる。


 実篤に助けを求めることができたなら、どれだけ楽だろう。口封じの呪いは彼を孤立させ、生活に暗い影を落としている。無法な力を使う異界者はすでに黒狼を掌握していた。

 教室がどれほど賑わいを見せたところで、誰も柊の異変に気付く人はいない。

 まるで自分だけが別世界に来てしまったかのような不安が彼を襲い、SOSは喉を震わせる。


「実篤……」

「どうした?」

「…………」

 

 続きの言葉は当然のように出なかった。ただ、助けを求めるだけの言葉すら、今の狼には過ぎたものだ。


「お前、本当にどうした? 何か言いたい事でもあるのか?」

「…………」

「何かあったらすぐに言えよ。バイトだけど異界者管理局に相談くらいはできるんだからさ」

「うん、ありがとう……」


 結局、狼の言うことができた言葉はこれだけだった。


****


 終が家に帰れば、そこはすでに見知った我が家ではなくなっていた。

 入り口からすでに重い雰囲気が立ち込め、本能が警鐘を絶えず鳴らすような異界へと変わり果てている。見た目こそ慣れた光景なのだが、だからこそ変容が狼には恐ろしく感じられるのだ。


 玄関に立ちすくんだまま、心臓だけがやけに早鐘を打ち鳴らしている。短い廊下の先にあるワンルームがどうなっているのか、確認することが怖かった。

 狼の嗅覚はすでに異変を訴えており、先の光景がどうなっているのかの予測は立つ。あの闖入者はまた、この世界のものを餌食にしているはずだ。


「……おかえり、柊。入っておいで、今日はごちそうだよ」


 少しかすれた低い声に呼ばれると、狼の脚は勝手に動き出す。汚泥に絡みつかれていたかのような怯えが嘘みたいに、体はすんなり部屋へと入り込む。


 とたん鼻を突く濃い雄の匂いに、狼は吐き気すら催しそうだった。


 一人暮らし用の小さなワンルームには数人の雄がひしめき合い、部屋の空間を圧迫していた。彼らはすべからく屈強な体を汗や精でコーティングし、安っぽい蛍光灯の光を淫靡に反射している。こもった匂いを考えれば、柊が大学に行っている間ずっと盛っていたことは疑いようもないことだった。


 そんな雄たちは中心にいる彼に抱き着き、すがりつき、舌や性器をこすりつけては媚びを投げている。まるで宗教画に描かれた地獄のようだと、柊はめまいを覚えた。少し前まで憩いの地であった我が家が、地獄と化している。許されるのなら今すぐにでも逃げ出したかった。


「遅かったね。宿題でもしていたのかい?」


 中心にいる黒い男は獅子の顔に柔和な笑みを浮かべている。だが、その奥底からにじむ醜悪な性根は隠すつもりもないようで、捕食者の眼光が三日月を描いて相対者を委縮させた。

 蛇の尻尾がまとわりつく雄を撫でると、先端についた淫液が軌跡を残す。クモの糸に捕らえられた雄は、濁った瞳で腰をカクつかせるだけ。

 このねじれた角を持つ異界の存在こそ、柊の日常に現れた混沌だった。


「うん、今日はたくさんレポートが出されたからね」

「そうかい、ご苦労様。学生の本文は勉強だ。しっかり励むといい」

「エルレキノンはずっと……こんなことしてたの?」

「ああ、この世界の雄を味わいたくてね。やはり世界が変わっても雄の味は変わらない。こっちに来てよかったよ」


 ヤギの体は筋肉をまとい、まさに雄の頂点ともいえる肉体美で雄をはべらせている。周りの雄も十分デカくたくましい部類なのだが、このキメラには及ばない。

 すでに積載量を超えたベッドには、誰とも知らない雄の匂いがこびりついていることだろうが、キメラにはどうでもいいことだった。


「ご飯は食べて来たのかい?」

「ううん、まだだけど」

「なら準備しよう。何が食べたい?」

「え、エルレキノンが作るの……!」

「もちろん。今日はこいつらから食べ物を献上させて、この世界の食物事情を把握していたんだ。ラーメンだろうがカレーだろうが、なんでも魔法で出せるよ」


 抱き寄せた雄にキスを降らせながらなんてことないように言ってのけるが、質量保存の法則を無視したふるまいは畏怖すら抱かせる。柊には柔和な態度を取っているが、このキメラはまぎれもなくひとつの世界を食らった化け物なのだ。


「じゃあ、お寿司とか……?」

「いいとも。柊は何が好きかな。大トロとか?」

「想像以上に詳しい……」


 鼻歌交じりでテーブルに寿司を生み出すキメラはかなりご機嫌のようだ。その原因がはべらせている雄にあることは自明で、狼はこの悪行がいつばれるのかと冷や汗を垂らし、ネタの味に構う余裕はなかった。

 そもそもエルレキノンから立ち上がる巨根を見ながら食事をするというのも息が詰まる。赤黒い一物は絶えず雄の舌が這い、あふれ出る蜜を我先にと奪い合っている光景は食卓にはまるでふさわしくない。


 そんな柊の苦悩を知ってか知らずか、もはや理性が蒸発した獣を愛おしそうに撫でながら、キメラは悠然と笑みを深めた。


「結構いい雄を取ってきたんだ。やはり戦い慣れた雄の体はいつ食べてもおいしいね」

「……こんなことして、異界者管理局にばれたらどうするの」

「ばれないように細心の注意を払っているつもりだよ。彼らだってこの世界で言うなら……たしかそう、堅気じゃないんだ。異界者を違法に使い、悪行を重ねているものたちだよ」


 だから彼らには傷が多いのだと、ようやく狼は合点がいった。異界者管理局で働く友人が正義の味方なら、彼らは悪と言っていいだろう。


「そんな彼らも登録はしていないのだから、ばれないよ。登録していない異界者を手籠めにしたところで、世界は何も変わらない」


 そんな悪の中に混じる狼は顔立ちこそ柊に似ているが、骨格はまさしく人狼のそれだ。快楽に蕩けてさえいなかったら、さぞこわもてだったに違いない。


「忌部 柊(いむべ しゅう)」

「……なに?」

「君は私の契約者だ。契約とは誰とでもできるものではない。最も近しい存在こそ、世界に対する楔として機能するんだ」


 何度も聞いた言葉が狼の頭蓋に響く。いくら柊が否定しても、現実は依然として黒いキメラの形をとって鎮座している。


「私はこの世界に来る際、契約者として申し分ない者へと飛ぶように呪式を組んだ。その結果が君だ。だというのに君と来たら、セックスはおろか、男にすら興味がないときた」

「呪式を間違えたんじゃないの」

「私に限ってそれはない。そして、実際君との契約はとても有効に働いている。ここにいる人狼はそれができなかったせいで、力を十全に発揮できないのだ。それに比べれば、私は実に恵まれているよ。確かに全力にはまったく及ばないが、想定より力を振るえている」


 それは実篤からも聞かされていたため、真実だと狼は知っていた。異界者の楔になる契約者は相性がとても大事だと。

 だとするならば、柊の本質はこのキメラと同じということになる。

 雄を食らい、むさぼり続け、挙句の果てに世界を一つ滅ぼした巨悪と。


「君はまだ芽吹いていないだけなのだ。その心に潜むどす黒く美しい願望に」

「僕にそんなものはないよ……」

「くすっ、今までの君は力がなかったから、気づかなかったに過ぎない。だがこれからは私がいる」


 エルレキノンが指先を動かすだけで、柊の体はふよふよとその腕の中まで移動する。雄臭さが鼻につくのだが、抗いがたい魅力が香っているような気がして、狼は必死に自分を繋ぎとめようと苦心した。

 しかし、子どもの胴体ほどもある腕が甘やかしてくると、身の心もゆだねたくなってしまう。どれほど牙を光らせようと、エルレキノンは優しい。破滅に導くうたい文句を、子守唄のように聞かせてくれる。


「ああ、柊。私の可愛い柊。私の手にかかれば、君の本質を引きずり出してしまうことなど容易なんだ。だがそれではつまらない。私の契約者にふさわしい存在になるまで、私は君を育てよう」


 エルレキノンが柊に向ける感情はペットに向けるものに近い。少なくとも、柊はそう思っている。

 圧倒的上位存在が持つ余裕からくる愛情は、柔らかい傲慢に他ならない。無意識に他人を格付けするのは自信の裏返しだ。

 雄臭い腕で成人男性を赤子のようにあやしながら、キメラは歌う。


「ふふふっ、新しい雄を食らいに来ただけの世界だったが、思わぬ収穫だったよ。まさかこの私が、終末のエルレキノンと呼ばれたこの私が、子育てをするなんて。」

「別に育ててほしいわけじゃない。僕はエルレキノンのようにはなれないよ」

「ああ……この私の腕の中にいて、なお不遜な態度を吐くと言うのか君は。どうせ今は下地を整えている段階で、あまり目立って動けはしないんだ。時間はたくさんある、ゆっくりと愛をはぐくんでいこうじゃないか」


 これほど薄っぺらい愛もない。狼はこの異形が語る言葉を何一つ信じられず、おびえて身を縮こまらせるだけだった。

 

「さあ、食事も済んだことだから、これからセックスをしよう。好きなものを使いなさい」


 人や異界者を物として扱い、狼へと差し出すキメラに罪悪感などみじんもない。まるで食事の時間が終わったから次は勉強の時間だとでもいうかのように、母を思わせる声音で語る。


 大きな手が狼から衣服をはぎ取る仕草すら優しく、甲斐甲斐しさすらうかがえる。だが実際は有無を言わさぬ圧が常に漂っており、柊には拒否権などないのだ。


「エルレキノン……僕は疲れてるから……」

「おや、お気に召さなかったかな。君はグルメだから、やはりそこらで捕まえた雄は口に合わないようだ。これでもまともなものを選んできたつもりなのだけどね」

「そういう意味じゃなくって……!」

「ははっ、わかってるとも。でもね、柊。彼らはすでにちんぽなしでは生きられない哀れな存在なんだ。君に使ってもらうことこそが、彼らの幸せなんだ」


 萎えた狼ちんぽをしごきながらキメラが目線で合図を送ると、雄たちが柊へと群がっていく。誰もかれもが狼に使ってもらおうと人としての尊厳を投げ捨てて、下手に出ることでお恵みをもらおうと自棄になっていた。


「ああ、柊様♡♡おれにちんぽくださいいぃ♡♡♡」

「もっとおマンコしてぇ♡アクメしだいぃっ♡♡」

「エルレキノン様にめちゃくちゃにされたトロマンがうずぐうぅ♡♡」


 ああ、と狼は恐怖を感じずにはいられない。地獄絵図はここに極まれり、理性が死んだゾンビのような雄が我先にと狂った笑みを投げる。

 そんな子猫のような態度をわかっているはずなのに、キメラは崖から突き落とす。優しいのは口調だけで、エルレキノンの言うことは絶対だった。


「安心してくれ。私が躾けたんだ、味は保証する。明日は学校が休みだろう? 終が退屈しないように、たくさん持ってきたんだ」

「あ、明日一日中するってこと……?」

「もちろんさ。たくさんしようじゃないか。君が望むなら、私を使ってもいいとも。ふふっ、私のマンコを使えるのは特別な雄だけなんだ。元の世界にいる数多の雄の中でさえ、両手の指にも満たない。だから光栄に思うといい」


 狼の一物をしごきながら、キメラはあくまで慈母の仮面を外さない。剛腕のゆりかごであやしながら、堕落へと導いていく。

 締め切った部屋にひしめく雄の臭気が興奮しろと発破をかけ、それに応えそうになる自分が、柊には特に恐ろしかった。慣れは確実に良心を侵食し、常識を欲望が覆い隠そうとしている。


 こんな部屋にずっといれば、誰であれ狂ってしまうだろう。だけれども、柊には逃げる手段などあるはずもなく、このキメラの言う通りに知識や経験を与えられていくだけ。


 伸ばした手が触れるのはたくましい胸板で、黒い毛皮から立派な乳首がのぞいている。何度もしゃぶらされたその突起の記憶が欲情を引き出し、狼から気弱な影が少し薄まった。

 それは本人も知らない変化ではあったが、エルレキノンは喜ばしいとにんまり笑う。彼からすればこの狼が才能豊かであることは明白で、その成長を見守ることもまた楽しみの一つなのだから。


「ふふふっ、そんなに私のおっぱいが気に入ったのかい。可愛い柊。なら今日は授乳してあげるから、しゃぶりながらこれらを使うといい。おマンコの感覚だけでどの雄か当てられるくらいには、たっぷり使わせてあげるよ♡」


 悪辣で淫靡、他人を食い物かオナホぐらいにしか思っていない諸悪の根源。このキメラは元の世界では魔王と呼ばれ、快楽に貪欲な黒い災害として世界を崩壊させた存在だ。

 だがこの世界には多数の異界者がいる。その中にはこのキメラに匹敵する者もいるはずなのだ。


(だから、僕が助けさえ求められれば……)


 口封じの魔法をかいくぐり、あの友人を頼ることさえできれば、きっとすべてうまくいく。異界者管理局はこのような存在と何度も対峙してきた経験がある。異界の門が開いてから、この世界は何度も窮地をくぐり抜けてきた。その実績を、柊は信じていた。


 肉欲に溺れる寸前まで自我を保とうとする気概は眩く、キメラが焦がれるのはそういう性質なのだと、本人はまだ知らない。

 今はただ、与えられた快楽を咀嚼するだけで精いっぱいだった。


****


「急に外に出たいなんて、どういう風の吹き回し?」

「いやなに、たまには外の空気を吸うのも健康に大事だと思ってね。根を詰めて勉強するのもいいが、やはり息抜きは大事だ」


 どこまでが本心なのか全く読めない微笑を浮かべたまま、キメラは狼の肩を抱き寄せる。そもそも部屋に閉じ込めて雄を与え続けたのはエルレキノンであるというのに、その意図がつかめず、狼は困惑するしかなかった。


 外行きになっているキメラは現代社会への適応も十分そつなくこなしており、簡単なジーンズとシャツだけの恰好だ。しかし、その簡素な服装も恵まれすぎた肢体を際立たせるだけになっており、ただ立っているだけで類まれなる魅力があった


「柊、あっちにカフェテラスがある。良ければお茶でもしないかい?」

「お金持ってたの?」

「ん? この前の雄たちからね」

「ああ、そういう……」


 微笑む姿だけを見ていれば、さぞかし好青年に見えることだろう。角を隠した姿は柊から見ても美丈夫としか言いようがない。

 胸筋が分厚すぎるせいで締まらない胸元は少しだけ空いており、谷間から色気が零れ落ちている。そしてさらに、飾り付けられたシンプルなネックレスも相まって、フェロモンの間欠泉が衆目を誘蛾灯のように吸い寄せてしまっていた。


「大学生というものは金銭のやりくりがたいへんなのだと聞く。ここは私が出そう」


 他人からの貢物を振りかざしながらいけしゃあしゃあと言い切って、キメラはさっと注文を済ませていた。現代社会への溶け込み方が半端ではなく、狼が大学に行っている間、この世界について十分に学んでいたようだ。

 それからコーヒーと軽食をトレーで持ってきたエルレキノンは、テラス席へと狼を誘う。


「どうぞ、柊。ここからなら町がよく見えるだろう」


 椅子を引いてエスコートする姿が堂に入りすぎていて、周囲の客からの羨望が狼を貫いた。自身が魅力的であると信じて疑わない仕草は優雅の一言に尽きる。しかも、キメラは自覚的だ。自分がいかに素晴らしいか、彼は十分すぎるほど理解している。

 周囲の視線に内心辟易する柊は、尻尾の先がしおれないように注意しながら座る。嫌がっているようなそぶりを見せれば、このキメラは大仰にくっついて口説いてくるに決まっていた。


「ありがとう」


 簡単にお礼だけ述べて、すぐさま視線を町へと移す。向かい合ったキメラの暖かい目がむずがゆく、できれば視界に入れたくなかった。


 雑踏は往来が激しく、様々な人が、そして人以外もコンクリートの道を歩いている。楽しそうな人もいれば急いでいる人も、そこには様々な人生があるのだろうなと、コーヒーを飲みながらぼんやりと狼は眺めていた。


「じゃあ柊。誰が欲しい?」

「はあ?!」


 思わず吹き出しそうになった狼が首を回せど、エルレキノンの表情は何一つ変わらない。晩の献立を聞くかのような気軽さで、誰かの人生を台無しにしようと持ち掛けていた。


「もしかして、わざわざ外に出たのはそのため……?」

「そうさ。毎日毎日私の用意したものだと飽きが来るだろうと思って、今日は柊に選んでほしいのさ。私も柊の好みが気になるところだしね」


 捕食者は優しい仮面をつけたままで、周りにそれを悟らせない。このキメラは狡猾に雄を食らう算段を立てていた。


「選ばなかったら……?」

「そしたら、今日は十人持って帰って、その中から選んでもらおうかな。でも、君が選べば一人か二人で済むね」


 それは脅しだ。狼が持つ善性に訴えかけるような手段であり、選ぶことを余儀なくする手段。おかげで柊は良心の呵責に苦しみ、コーヒーの味がまるで分らなくなってしまった。


「あれなんていいんじゃないかい? 見てごらんよ、あのたくましい腕を。私ほどではないが、かなり鍛えられているよ」

「あ、うん……そうだ、ね……」

「それならあっちはどうだい? 見たところ仲睦まじいカップルのようだね。ああいう愛を欲情に置き換えるのも好きなんだ。私らのちんぽ欲しさに競い合わせるのも楽しそうじゃないか」

「…………」

「柊」


 カップを持つ手に、黒く大きな手が重なる。顔だけはいつも通り柔らかく、けど、捕食者特有のぎらついた眼光を忍ばせて、キメラはささやく。


「選びなさい。何も恐れることなんてないんだ。君には私がいるだろう。どんな悪逆も、どんな淫行も、私が是と言えばそれが法となる。世界が変わっても、これだけは普遍のルールだ」


 逃げ道などないと言われれば、狼はしぶしぶ雄を選ばされる。これ以上エルレキノンを待たせては、何をするのかわかったものではない。前のようにあのワンルームで乱交されるのは、絶対に避けたいと狼は思っていた。

 往来に視線を向けると、嫌でも屈強な雄が目についてしまう。これまでの教育の成果が如実に表れた結果であり、柊にとっては自身の変容を突きつけられる形になる。


 分厚い体を思う存分貪りたい。柊とて性欲くらいは人並みにある男だ。

 だがそれでも、こんな方法は間違っている。そう思えるくらいの良心は持ち合わせていた。


 良心の警告を抑え込みながら、どうしようかと思考の渦に呑まれているとき。

 ふと、見知った顔と視線がかち合った。


「あれ、柊じゃん。こんなところで何やってんだ?」

「……実篤」


 大柄な虎が人懐っこい笑顔で狼へと近づいて来る。その背後には、大量の食糧が入った袋を抱えたドラゴンが、ハンバーガーを食べながら渋い顔をしていた。


「あ、リネスと買い物?」

「そういうこと。こいつ、本当に大飯ぐらいでさ、買い溜めしとかないとあっという間にオレの食べるものもなくなっちまう」

「その分働いているだろうが。我にこんな人混みを歩かせて……早く帰りたいのだが?」


 大きな翼にどっしりした下半身を持つ竜は鍛えた虎よりも高い場所から、げんなりとした視線を注いでいる。深緑の鱗に覆われた偉大な空の王者だが、人混みを歩くのは嫌いなようだ。

 トカゲに羽が生えたような見た目を持つ正統派ドラゴンであるリネスは、実篤が契約している異界者だ。本人曰く、美味しいものが食べたくて来たと言ってはばからないあたり、健啖家である虎と近いのは間違いない。

 だからこそエルレキノンと自分は近しいのだと、突きつけられた気分になるのだが、いったん目をつむり、友人へと気さくな声をかけた。


「リネスは疲れてるみたいだね。飛んでいけばいいのに」

「オレも欲しいものがあってな。飛べば楽でいいけど、降りれるところがないんだ」

「ああ、この辺りは繁華街で込み合ってるからね」

「そうそう……んで、そいつは誰だよ。見たところ異界者だろ?」


 角も隠して擬態しているキメラを一発で見抜いた虎は、警戒を露骨にあらわしながら獅子の相貌を睥睨する。だが、エルレキノンはあくまで優雅さを崩すことなく、微笑みを返すだけだった。


「よくわかったね。これでも溶け込もうと努力しているのだけど」

「どれだけ見た目を取り繕っても、雰囲気は隠し切れねえよ。後はまあ、勘ってところか」

「さすがだね。でも、そう警戒しないでほしい。私はただ契約者を探しているだけなんだ」

「野良の異界者か……? どうやってこの世界に存在してる」

「私はもともと魔法が得意いで、ある程度なら世界の目をごまかすことができるのさ。もっとも、さすがに長期間は難しいがね」


 しれっと嘘を突きとおそうとするキメラに、不信感をぶつける虎。柊はこれをチャンスだととらえ、なんとか友人にこの異界者の凶悪性を知らせる方法がないか頭をひねる。

 だが、エルレキノンの不利になるようなことは封じられており、それは言葉だけでなく動作も含まれている。狼にできることは、気弱そうな表情を一層曇らせることだけだった。


「管理局はそういうやつのためにも、契約者を探したりもしてるぞ。お前が望めば、ある程度の条件は聞いてやれる。それに、そこまで魔法がうまいのなら、うちで働いてみてもいいかもな」

「ありがたい申し出だけど、でも、私は自分の手で探したいんだ。やはり契約する以上、運命的な出会いが欲しくてね。自分で探すことに意味があると思っているよ」

「……お前、名前は?」

「エルレキノン。どうかよろしくしてくれ」


 見る者を魅了する蠱惑的な笑みを浮かべるキメラだが、虎の警戒心は強まるばかりだった。多くの異界者と対峙して磨かれた勘が、この男を見逃すなと言っている。

 虎は手に持った端末を操作しながらも、エルレキノンの一挙手一投足に気を配っていた。


「エルレキノンね……うちに登録はないな」

「まだ契約者を見つけていないからね。そんな余裕はないんだ。急がないと世界からはじかれてしまう」

「柊と話していたのは、契約者探しの一環か?」

「そうとも。町を歩いていたら素敵な人を見つけてね、もしかしたらと思って声をかけたんだ。今はお互いを知るところから始めている最中さ」

「……そうなのか、柊?」


 ここで違うと、この魔王に脅されているのだと言えたらどれほど楽だろう。

 しかし、狼がしたことといえば、黙ってうなずくだけ。それしか許可されず、行動のすべてはキメラに掌握されていた。


「ふふふっ、どうやら照れてるみたいだね。逢引を知り合いに見られたのだから、しょうがないかもしれないね」

「…………リネス」

「ふむ、我の所感によれば、こいつは危険だ。野放しにしていい奴とは思えん」

「だよな。ちょっと管理局まで来てもらおうか。どの世界から来たのか、目的は何か。色々聞かせてくれ」

「おやおや、困ったな。あと少ししかこの世界に滞在できないというのに」

「その場合は、今度来たら契約者の斡旋をしてやるよ。どうせあまり時間をかけずにこれるんだろ?」

「それも勘かい? なかなかどうして、鋭いじゃないか」

「そんだけ余裕があれば、誰でも気づくだろ」

 

 エルレキノンは狼に困ったような視線をわざとらしく向けて、肩をすくめて返す。このまま異界者管理局に連行されてしまえば、いくらエルレキノンとはいえただでは済まないかもしれない。


「柊、そんな不安そうな顔をしないでいいよ。私は別に悪いことなどしていないんだ。また後で会ってくれると嬉しいな」


 狼の顎下を撫でながら、キメラは整ったスマイルを向ける。あくまでも余裕を崩さないその態度に、むしろ狼の不安は膨れ上がる一方だった。


「安心しろ、柊。もしこいつが危ない奴なら、お前には指一本触れさせねえから。……ちょっと写真を撮らせてもらうぞ」


 実篤が端末を操作している間も、リネスが警戒を怠らない。おそらく画像を管理局に送っているのだろう、これでエルレキノンの顔は管理局の知るところとなった。


「よし、面談予定は空いてるな。管理局で面接官が対応してくれるから、おとなしくついてこい」

「……はあ、わかったよ。せっかくのデートだったのに、残念だね。またね柊」

「…………」


 キメラが席を立ち、虎の後ろをついて行く。そして、最後尾を歩く竜はじっと狼へと視線を向けていた。

 柊が知る限り、リネスは口調こそ物々しいが、契約者の実篤に似て話せばとっつきやすいところがある。常に何かものを食べているイメージがあり、実際会うたびにいろんなものを頬張っていた。

 そんな竜が険しい顔を柊へと向けるのは珍しく、思わず尻尾が委縮してしまう。


「…………もぐ」


 何か言いかけたようだがそれをハンバーガーでごまかして、ふいっと虎に続いて歩き出す。


 先ほどから行動を制限されている狼だったが、それが解除されたのはキメラの背中が遠ざかってからだった。


「……ぷはぁ!」


 言葉をせき止めていたものは何もなくなり、ようやく狼は自由を取り戻す。

 だがすべては遅く、柊の言葉は誰にも届かない。

 飲みかけのコーヒーに浮かぶ不安そうな面持ちだけが、風で揺れていた。その顔は今にも泣きそうで、自分の無力さに涙が出そうだった。


「大丈夫かな……」


 狼にできることは祈ることだけ。

 願わくば、ひどいことがおきませんように、と。


****


「ただいま、柊」

「え、エルレキノン……!」


 だが、狼の心配事をよそに、あっさりとキメラは再び前に現れた。

 落ち着かないまま日は沈み、暗くなった部屋に夜より黒い巨体が優しく微笑みを浮かべ、異質な雰囲気をまき散らす。


 しっかり鍵を閉めたはずのワンルームに戻ってきたキメラは、当たり前のように狼へと距離を詰める。獅子の顔は安らぎに満ちており、あのハプニングを何とも思っていないのが浮き彫りになっていた。


「何もなかったの……?」

「もちろん、これでも外面は良いからね。それに、ここは法治国家だ。おとなしくしていれば、ひどいことにはならないさ。お友達は私を管理局に拘留したがっていたようだけど、さすがにこんな礼儀正しい異界者を閉じ込めておく余裕はないよ」

「でも、異界者は契約しないと住所がないから、その場合は管理局で暮らすんじゃ?」

「ああ、だから前もって私の身元引受人を作っておいた。この前ここで犯した……誰だったか忘れたけど、オナホの一人だよ」


 異界者は契約しないと世界からはじかれるが、そのわずかな間、保護する仕事やボランティアをしている人たちがいる。この世界について何も知らない異界者たちを社会になじませる大事な役割であり、管理局から委託される場合もあった。

 エルレキノンはこういう事態を前もって想定していたようで、名前すら憶えていないその哀れな人を仕立て上げて難を逃れたようだ。


「私は別にずっと雄と遊んでいたわけじゃない。この世界について学んで、様々な対策を立てていたんだよ」

「さすが、だね……」

「ふふ、本当は君にボランティアをしてもらうのが一番ではあるんだろうけど、君は私の魔法によって困ったことは話せないからこういう時に不便だね」


 言葉を奪った張本人が不便とのたまう、その図太さに狼は閉口する。何をしても許されると信じて疑わない傲慢さを持つキメラが、蛇の尻尾を得意気に振った。


「さて、デートをふいにして悪かったね。これから夜景を見に行こうか」


 角を戻したキメラは悠然とした態度で、狼を腕に抱きしめる。

 太い腕とたくましい胸板、それに柔らかい毛皮は狼の胸を高鳴らせた。すでにその裸体の味を知っているため、本能が喜んでしまうのだ。

 腕を回せば指先が届かないほど分厚い体は身長も高い。自然と谷間に顔をうずめてしまった柊は、とっさに首を上げる。


 するとそこはすでに見慣れた部屋ではなく、知らない場所だった。


「……え? どこ、ここ……?」


 外灯もないため確認しづらいが、そこは工事現場のようで、虫の声すらしない無音が闇を際立たせていた。

 宇宙空間に放り出されたかのような孤独と恐怖が狼の心に忍びより、たくましいキメラを自然と抱きしめてしまった。


「大丈夫、私がいるから怖くないよ。今日はここで友人と会う予定だから、一緒にどうだろうと思ってね」

「友人……?」


 いまいちびんと来ない狼に嬉しそうな顔を向けるキメラ。サプライズを仕込んで悦に浸る手にひかれ、柊は奥へと足を進ませる。

 進入禁止の告知程度で止まるキメラではない。文字が読めないわけではないだろうが、エルレキノンの歩みを止める者は何人たりとも存在していないのだ。


 やがて奥に進むと、そこには竜の男がいた。暗がりであっても目立つ赤い鱗は衣服を着ておらず、筋肉の隆起が明け透けになっている。エルレキノンが持ってくる屈強な雄を見慣れた狼でさえ、たくましいと形容する肉体美だ。

 だが、柊の目を引いたのはその表情、おびえすくみ逃げ惑う竜は二人の元へと駆けつける。


「た、助けてくれっ! 異界者に追われてるんだ!」

「どうしたんですか……?!」

「わからないっ! 気が付いたらここにいて、あの化け物が……!」


 何が何だかわからないのは狼も同じ。どうしようとキメラを見上げれば、爛々と輝く捕食者の瞳が視界に映る。

 その瞬間、すべてはこのキメラが仕組んだことなのだと、柊は理解してしまった。


「なんだ、まだ契約していなかったのかい。君らの相性は抜群だから、心配しなくていいのに」

「け、契約だと! お前はおれをあの化け物と契約させるつもりなのか!」

「当然。だからこそ、わざわざ君をここまで招待したんだ。リカディネター、獲物をいたぶるのが楽しいのはわかるけど、私も暇じゃないんだ。そろそろ進めてくれ」

『――――っ!!』


 暗闇の奥底で、何かが呻いた。

 それは言葉とは到底認識できないノイズの集合体でありながら、本能的な不快感を想起させる呪詛のような声だった。金属同士をこすり合わせてもこんな不愉快な音は出ない。そこにいる何かが、不気味な風格を垂れ流す。


「あ、あ、あ……!」


 直視してはいけない。早く逃げるべきだ。そう狼の本能が叫んでいる。

 これほどまでにやかましい警鐘を鳴らしたことがあっただろうか。エルレキノンと出会った時でさえ、ここまで委縮したことはなかった。

 耳は伏せ、尻尾は丸まり、子犬のようにキメラの手を握る。エルレキノンがどれほど醜悪だとしても、今頼れるのが彼だけなのも事実だ。


「大丈夫、柊に危害は加えないさ。ふふっ、こういうのをこの世界ではつり橋効果というんだったね」


 狼を抱き寄せて、キメラは甘くささやいた。

 暗闇はこんなに恐ろしく、恐怖がうごめいているというのに、その言葉だけで安心してしまう狼がいる。それが躾のせいだと分かっていても、吹きすさぶ恐怖から逃れるためならプライドなど不要だ。


「ひぃ……!」


 竜の男がついに腰を抜かし、情けない顔で後ずさる。根源的な恐怖を前に筋肉など何の役にも立たないようで、足腰すら満足に動かせないでいた。


「なんで……」ようやく乾いた舌を引きはがし、狼は問う。「こんなことを……?」

「ん、ああ、あのリカディネターはかわいそうな子でね。この世界でお腹いっぱいになりたいのに、誰も契約してくれないんだ。私が見つけた時にはもうはじかれかかっていてね、そこで私が一肌脱ぐことにしたのさ」


 あの邪悪な存在が可哀そうなものか、叫べたなら柊はそう言っていただろう。歯の根がかみ合わない現状、キメラの庇護下に甘んじることしかできない。

 人に害をなす異界者の存在は実篤から柊も聞いていた。そういう存在が契約者を得ることはまれだが、もしこの世界に留まれたなら、力づくで追い出さなければならないとも。

 このキメラは、それを意図的に行おうとしていた。


「リカディネターに会う人を探すのに手間取ってしまったが、今日偶然、町で見つけたんだ。少しトラブルがあって遅れたけれど、間に合ってよかったよ」


 つまり、あのカフェには柊の獲物を探すと同時に、この化け物の契約者を探す意味もあったのだ。そして哀れな生贄はこうして望みもしない契約を結ばされようとしている。


「契約者は異界者と似ているに越したことはないけれど、そうでなくても相性が良ければ何とかなる場合もある。今回がそうだね。だから、壊してしまっても構わないよ」

「……え、どういうこと?」

「私が君と似ているからこそ楔として強く作用する、って話は前にしただろう。だけれども、逆に全く似ていないからこそ作用する場合があるのさ。最も、それはまれな話で、だからこそ探すのに時間がかかったのだけどね。どうせ壊してしまうのだから、似た人を探す意味がない」

「壊すって……!」


 柊が言い募ろうと口を開いた時、暗闇から『それ』が現れた。


 それはぬらめく肉の蔦だった。ピンクと赤の中心に位置するかのような生々しい肉の色を持ち、血管らしきものが絶え間なく脈打っていた。粘液にまみれているためひたひたと雫が落ち、甘くもあり生臭い、形容しがたい匂いを振りまいていく。

 一目見たとたんに、狼は吐きそうになる。存在感に圧倒され、胃が悲鳴を上げていた。

 様々な形を持つ異界者の中でも異端だと、詳しくない狼でさえそう断言できる。

 それほどまでに、あれは邪悪だった。


 嫌悪を催す造形がさらに一本、また一本と現れ、竜へと絡みついていく。男は剛腕で振り払おうとするのだが、蔦にはまるで利いていない。鱗の上で滴る不快な粘液が、被食者に最悪の未来を想起させて止まなかった。


「ひっ……嫌だ、嫌だっ! 頼む、助けてくれ! お願いだ!」

「くすっ、おびえることはない。あれはそんなに悪い奴じゃないんだよ。ただ、男の性をたらふく食べたいというだけ。君が契約者になってくれれば、私にとっても何かと便利でね。どうか快く食べられておくれ」


 冷たい獅子の相貌が竜を無下にする。縋り付こうとする手を踏みつけながらも、その微笑が崩れることはなかった。


「嫌だ……たす、けてくれ……!」

「おやおや、床に爪を立てて……割れてしまったら痛いだろうに。リカディネター、あまり大事な契約者を傷つけないでくれ。これでも頑張って探したんだからね」

『――――っ!!』


 おぞましい声を響かせながら、触手は竜を持ち上げる。言葉は通じるようだが、意思疎通が図れるなんて柊は全く思わなかった。


「いやだああああぁぁぁっ!!」


 触手が引き下がれば、泣き叫ぶ声も闇の中へ。そしてすぐに、汚らわしい水音と悲痛な嬌声の演奏会が始まる。


「助け……ごえっ♡あぎゃ♡」


 まるで脳をかき混ぜるかのような音に人の壊れる声が加わって、夜は陰惨を極めていく。


「うげえぇ……は、入らないっ!♡そんなの入るわけねえ!♡やめ、やめろぉ♡お願いしますお願いしますお願いしま――――ぐえええぇえぇぇ♡♡♡♡」


 演奏はあまりに恐ろしく、柊は耳をふさいでうつむいた。卒倒してしまえばどれだけ楽だろうと思っても、エルレキノンが許すはずもない。

 ガタガタ震える子犬の肩を、キメラは愛おしそうに抱きかかえて前に進ませる。どれだけ狼が拒否を示したところで、単純な筋力でも勝てるわけがなかった。


「さあ、せっかくマッチングをしてあげたのだから、見に行こうじゃないか。柊ともいい友人になれるはずさ」

「なんで、なんで……こんなことを……」

「言っただろう、下地を整えていると。これはその一環。契約者を求める異界者に、最適なものをあてがう。そして私は対価として彼らの協力を得る。こうして、勢力を増やしていくつもりなのさ。柊、私はね――」


 キメラは笑う。妖艶に、凄惨に、毒々しい華を思わせるほどに綺麗な顔で。


「異界者たちのマッチング業をしようと思っているんだ」


 それが言葉よりもずっと悪どい意味を持っているなんて、確認せずともわかることだった。


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