【全体公開版】スケベスキルで世界最強~やっぱ最強はちんぽっしょ!!~ 14
Added 2022-06-26 10:00:00 +0000 UTCいまだ戦火が燃え盛る王宮内にて、最強を狙う『鉄塊拳』、ゴライザは内心で舌を巻いていた。
ジェルの剣は素早く、押され気味なことを理解して忌々しく舌打ちをかます。異世界人によって強化された彼にとって、有象無象など恐れるに足らない。ジェルさえ出てこなければ、余裕で王宮から生還できていた。
しかし、その戦況を一人で変えてしまうからこそ、彼は最強なのだった。
時間をかけたせいで徐々に包囲網が形成され始めている。増援は止まず、兵たちは退路を塞ぐ。それを横目で確認し、ゴライザはうなった。
(くそ、勝てねぇわけじゃねえが、状況がまずい。そもそも敵地のど真ん中でこんなに時間がかかるとは想定外だっ……!)
触手を飛ばして戦うリンドンは移動しながら戦うタイプではない。そのため素早いジェル相手に不利であり、真っ先に狙われている。どれだけ触手で守ろうとしても、剣の一振りで切り裂かれてしまうのだ。ゴライザやトリドスは彼をかばいながら戦わざるを得ず、どうしても反応が遅れてしまう。
ウサギのリンドンはいくつもの触手を切られ疲弊しているはずだが、おくびにも出さずに長い耳を揺らしている。
「ふむ、どうやら私は足手まといのようだね。これはすまない」
「ま、お前だけご主人からのブーストがねえからな。しょうがねえ。それに、こんなん逆境でも何でもねえんだ。俺が最強ってことを、ご主人に知らしめるいいチャンスでしかねえ」
「おや、君がそんなに仲間思いだとは知らなかった。それなら私ももうちょっと頑張るとしよう。……ふふふふふふふ、これは一度使ってみたかったんだよねぇ❤」
にたりと笑うリンドンを見て、絶対ろくでもないことだろうなとゴライザはすぐに理解した。
だが、なにやら策があるというのなら守るしかない。一太刀で三本もの斬撃を飛ばすジェルから身を挺してかばい、成り行きを見守った。
リンドンのスキルは触手の操作を基本としている。本人は分析機能を突き詰めた結果だと公言しているが、そんな妄言を信じている人など誰もいない。
本体から伸びたそれが縦横無尽に張り廻れば、周りの雄をからめとっていく。それは口や尻、鼻の穴などを犯し、奥へと入り込む。リンドンのスキルは対象の奥へと入れば入るほど、より正確で強くなるのだ。
「――――『スキル改造』発動❤」
触手に絡めとられた者たちは、一様に自身の根幹を犯されることに恐怖した。
なぜなら自分たちが日夜鍛えて手に入れたスキルが、どんどんと淫靡なものに変わっていくからだ。
『技能泥棒』の二つ名が示す通り、彼らはスキルを奪われ、得たくもない技能を獲得していく。剣を握っていた手はもう同じようには振るえない。それよりも『オナニー』や『フェラ』などといった淫乱な技能だけが上達している。
彼らはもう、戦うこともできず呆然とへたり込むだけ。
「普段はここまでやらないんだけど、今は非常事態だからしょうがないなぁ❤あの異世界人のスキルを自分なりに再現してみたんだけど、どうかな、気に入ってくれたかな❤ああ、早く本物を解析したいなぁ❤❤」
『身体強化』や『剣技』などといった誰でも持っている基本的なスキルを淫乱なものへと書き換えていく。これなら個体差もなく、一律で処理できる。
個々の努力を否定し、一様な規格品を作り出す、まさに外道の所業。リンドンはそれでもあの異世界人には及ばないと、処理の最適化を脳内で計算していた。
もはや剣を振るうこともできなくなった兵たちにできるのは、盛ることだけ。彼らは周りの兵を襲い、乱交へと発展していった。
乱交している間にも、触手は他の獲物に狙いを定め改造していく。兵たちの鍛えた肉体は、すべてエロスキルのための下地にしかなっていなかった。
「んーっふっふ、バッドステータスに『発情』も付与しておくから、好きなだけ盛ってくれていいぞ❤よかったな、これで何の苦労もなく淫乱便器の完成だ❤」
「なんかお前、えげつないことしてないか?」
「忘れたのかい『鉄塊拳』。私は『技能泥棒』、彼らからスキルを奪うことなんて朝飯前なんだよ」
「お前とは敵対したくねえな」
「安心してくれ、異世界人によって強化されたスキルを私はいじれない。それに、レベルが高すぎるスキルも無理だ。多分君のスキルは難しいだろうね。調べたいから、終わったら見せてくれるかい?」
「断る」
戦闘向けではないが、当たれば即死級。これが化け物だらけの傭兵街で上位の実力保持者だ。
「だが、これで増援まで劣勢を気にしなくてもよくなったな。よっしゃ、俺は最強を奪い取るっ! てめえらは退路の確保を急げっ!」
「言われなくてもそうするよ。私の能力は『神風』と相性が悪くてね、捕まえることすらできない」
本来なら足止めさえできれば触手のほうが有利であるはずなのだが、その足止めすら不可能なのがジェイルラルという男だった。
リンドンとトリドスが距離を置くと、代わりにリブラがやってくる。周囲に回転する刃を従わせた暴君は、酷薄な笑みを浮かべていた。
「なに一人でおいしいところを持っていこうとしてるんだ馬鹿犬」
「外野は引っ込んでろ。俺が最強の座をもらうには、サシでやらねえとだめなんだよ」
「引っ込むのは貴様だろうが。おれ様の獲物だぞ。馬鹿犬はおとなしく小屋に帰る支度をしとくがいい」
などとここが戦場であることも気にせずキャンキャン吠え続けていく。その間も体は動き、ジェル相手に善戦しているが、チームワークのなさが原因で押し負けるのも時間の問題のようだ。
「ええい、邪魔だ馬鹿猫!」
「貴様が邪魔だ馬鹿犬!」
そして、そんな二人にあきれた声がかかる。
「お前らなんでこんな状況になってまで喧嘩してんだよ……」
その人影は青く、『竜の爪』の正装である群青の軍服に身を包んでいる。とがったひれが特徴的なサメは手に持った剣を振るいながら、こんな緊迫した状況でも変わらない二人に嘆息を向けた。
サメが両手の蛇腹剣を振るえば、それは鞭のようにしなり、周囲にはびこる兵を一掃する。さらに傷口から入り込む媚薬によって兵たちはさらに興奮し、ゴライザたちを無視して乱交の盛り上げ役へと立候補していった。
一瞬にしてあたりの主導権を握ったヤードは自身の成果を誇るでもなく、ため息交じりで彼らを見つめている。
「あのなぁ、ジェル様相手に油断とかどんだけ余裕なんだよ。そりゃおれらはあいつに強化されてるからうぬぼれるのはわかるが、今はそんな場合じゃねえだろ」
まさかの人物の登場にリブラでさえ目を丸く見開いて、呆然と定型文を吐くことしかできないようだった。
「ヤード、お前、どうしてここに……?」
「おれもいるよー!」
ひょこっと虎のランドも後ろから顔を出す。
「いろいろあったんだよ、こっちも。説明は後でいいだろ。ランドはあっちを援護してくれ。あのでかい角は聞いたことくらいよな」
「了解ー。聞いたことあるって言うか、まさか本当に『戦勝鬼』がいるとはね。びっくり。んでも、もうだいたいジェル様以外は制圧できそうな感じあるよね。まさか四人でこれだけ戦えるなんて思ってなかったんだけど……おれらが来た意味あった?」
「そうかもしれねえが、コハク王子が来るんだからこっちからの手引きがないと合流がスムーズにいかねえだろ。事情を知ってるのは『竜の爪』くらいしかいねえし、お前は向こうと面識がある」
「わかってるって、言ってみただけ。じゃあご命令の通りに。今の隊長は君だ、ヤード」
「……なりたくてなったわけじゃねえんだけどな」
丸い虎がそそくさと離れれば、その後ろを狙って狼の剣先が飛ぶ。あまりの速さにランドの反応が遅れてしまうが、伸びた蛇腹がしっかりと守ってくれた。
そして返す刃で狼に向かうが難なくかわされてしまう。それでも周囲はヤードによって柵が作られている。いくら『神風』と言えど、ランドへの追撃は難しいようだった。
ローションでつながった蛇腹剣はヤードの手足となり、遠近問わず相手を追い詰めることを可能としている。リンドンの触手よりも耐久度が高いため、ジェルの行動を制限することに成功していた。
『ローション作成』のスキルを極めた結果、自身の武器にまで応用が可能になった。エロいことしかしていないが、それでも今のヤードは『神風』に引けを取らない力を手に入れた。
ジェルがうつろな目でサメを見返す。記憶の中にあるやさしい顔とはまるで違う幽鬼のような表情に、ヤードの顔がゆがむ。
「久しぶりだなジェル様。隠してて悪いが、これがおれの本気なんだ。あんた相手にどこまでできるのか、試してもいいよな?」
なんて格好つけたところ、犬と獅子が蛇腹剣で出来た包囲網をぶち破って突入をかましてきた。こういう時だけは息がぴったりな二人である。
これにはヤードも怒りのあまり牙をむいて吠えるのだった。
「――っておいっ! なに邪魔してんだよ!」
「俺からすれば、邪魔なのはてめぇなんだよ」
「そうだぞ。おれ様の活躍の場を整えた時点で、貴様の仕事は終わっている。とっとと消えろ」
「これでも助けに来たんだぞっ! もっと他に言いようがないのかっ!」
あまりに賑やかな三人の声は離れたランドにも届き、内心で「ここ敵陣なんだけどなぁ」と思っていた。もしジェルが正気だったら確実に怒られている。
一喝したゴライザだが、その後、しゅんと尻尾を丸めてサメを見る。彼にしては珍しく、恐る恐るといった様子だ。
「あのよ」それでも期待を込めて犬が問う。「お前がここにいるってことは、その、俺のご主人は……?」
「もちろん、無事だ。今コハク王子と共にここに向かっている」
「そうかっ! そうかそうかっ!」
喜びを抑えきれないと言わんばかりにゴライザの声が弾む。端で見ていた傭兵街所属のリンドンとトリドスは、あの狂犬とも評されるゴライザが満面の笑みで尻尾を振っているなんて、一瞬見間違いを疑ってしまった。
常に不機嫌面で、自暴自棄とすら取れるほど最強に固執していた彼が、誰かの無事に心底安どしている。人は変わるものなのだと、異世界人とかかわりのないリンドンが特に感じたことだった。
自らの主がここに来ると聞いて、ゴライザにがぜんやる気が満ちる。情けないところは見せられないと、拳に力をこめて凶悪に笑った。ただでさえでかい体が威圧感で膨張したような錯覚さえ覚える。一般兵程度なら、それだけで腰が抜けるほどの覇気だ。
「よっしゃ、ならご主人にいい子いい子してもらうためにも、ここは俺にやらせてもらおうか」
「馬鹿犬。そんなものは理由にならん。おれ様は雑魚ばかりで退屈なんだ。どうやらここには『騎士道走行』も『茜差す栄光』も『影に満ちた鏡』も誰もいない。二つ名持ちがことごとくいないなんて、馬鹿にしているのかまったく」
口では生意気を言っているが、獅子の口元はにやつきを隠しきれていない。どうやら異世界人の存命を確認できたのが、思いのほかうれしかったようだ。
しかし、これはヤードにとって聞き逃せない言葉だった。
「は? 二つ名持ちがジェル様しかいない?」
「のようだな。大方グリッジがそばに置いているのだろう。あいつは小心者だからな。おれ様としては、父である『竜の冠』は無理だとしても、せめて『騎士道走行』くらいは来てほしかったのだがな。まあ、『影に満ちた鏡』はひょっとしたらそこらへんにいるかもしれんが」
「――――やっべえぇっ!」
ヤードとしては、ジェルを投入してもゴライザたちが善戦していたために、二つ名持ちを投入しているものだと思っていたのだ。なまじ自らの力量が『神風』に近くなったことを感じていたため、そうすることが当然とさえ結論付けていた。事実、この場にはジェルくらいしか張り合える雄はいない。
しかし、平民であるサメが思っていた以上に、この国は『神風』にすがっていた。『神風』さえいれば、すべては解決できると上層部すらも信じている。
結果として、この場はジェル一人で対処できると考えられてしまい、他の二つ名持ちは別の場所に配属されているようだ。
それは、ヤードにとって致命的な計算ミスだった。
現場待機を命じられていた『竜の爪』に情報は入っていないからこそ起きたすれ違い。それが引き起こす結果を想定して、サメは慌てて踵を返す。
「どういうことだ、この惨状を誰も把握してないってのかよ。こいつらを逃がすことがどれだけ悪手かわかってるだろうが。強襲失敗の咎で元老院から引きずり降ろされる可能性だってあるのに」
「何を急いでいるのか知らんが……ふむ、なるほど、目的はグリッジの確保か。ランドを連れて奥から現れたので不思議に思っていたのだが、『竜の爪』を引き込んだな」
「相変わらず頭が切れることで。なら、おれが慌てる理由もわかるだろ」
「ああ、他の二つ名持ちが来ないのはグリッジの護衛である可能性が高い。『神風』に依存しすぎな我が国だ。どうやら、我らは取るに足らんと思われていたようだな」
「はいはい申し訳ありませんでしたー。ジェル様さえおれが押さえておけば何とかなると思ったんだがなぁ」
さすがに二つ名持ち複数名相手では、まだ『竜の爪』では荷が重い。ヤードがすべきことはすぐさま合流することだ。などと勢い良く揺れた尻尾に獅子もにこやかな顔で追従する。
「なら、おれ様もそっちに行こうか。グリッジを殴る方が絶対すっきりするだろうしな。というわけでだ馬鹿犬。ここはお前に任せるからあいつが来るまで何とか持ちこたえておけ」
「言われなくってもよぉ! ご主人が来るまでには全部終わらせて、俺が! いい子いい子してもらうんだよっ!」
サメと獅子が話している間嬉々としてジェルと拳を交えていたゴライザが、高らかに吠える。ぎらついた眼光は活気に満ちており、主から褒めてもらうために全身の筋肉を膨らませた。
「ランド、お前はここに残ってコハク王子を迎え入れてくれ。おれはノインたちに合流する」
「はーい。んでも、どこに行ったのかわかるの?」
「おそらくあいつの執務室だと思うんだが、確証はねえな」
「それなら」と触手によってあたりを索敵していたリンドンが割り込んで。「先ほど大体あっちの方角で、戦いがあったようだね。今ここの兵を無力化するのに触手を集結させたから現状はわからないが、まだいるんじゃないかな」
「恩に着る、名も知らねえ奴!」
「いやなに、後でそのスキルをたっぷり調べさせてくれればいいんだよ。どうせ君も異世界人によって特殊な強化をされたんだろうね。あー楽しみぃ!」
これはダメな人種だと一瞬で判断したサメは、返答を保留にして駆け出した。ああいうタイプにはなるべく関わらないほうがいい。変人ばかりの『竜の爪』で学んだヤードなりの処世術だった。
城の見取り図が脳内に入っている二人だ。方向さえわかれば問題ないと言わんばかりに、迷いない足取りで奥に消えていった。
残されたのは、最強の名を求めるゴライザと、増援を待つ三人。
戦況が変わったことを感じながら、トリドスは笑う。
「っは、楽しくなってきたじゃないか。戦いはこうでなければ! 私も面白そうだから向こうに行ってもいいだろうか?」
「だめに決まってるだろうがっ! 『神風』から離れることに成功はしたが、ただでさえ私は満身創痍で、護衛がいるんだ。はぁ、おとなしくなっても鬼は変わらずか。ヤカブのお守りから解放されたと思ったのになぁ」
何を馬鹿なことをと、ウサギが吠える。触手で囲い安全地帯を確保したとはいえ、予断は許さない状況なのだ。
残った兵をメイスで薙ぎ払いながら、トリドスは不服そうに鼻息を鳴らした。久しぶりの前線だがその力は衰えを感じさせず、どれだけの人数がいても関係ないようだ。鎧すらものともしない剛腕に生半可な武器では傷一つ付かない角を併せ持つ『戦勝鬼』にとって、『神風』なしの戦場は退屈なようだった。
「ならばしょうがない。おい『鉄塊拳』。お前が負けたら次は私が出よう。それまでに周りは片づけておく」
「はんっ! てめえの出番なんざねえよロートル! おとなしくゴミ掃除でもしてな!」
メイスと拳で阿鼻叫喚を作る勇士二人のやり取りに、ランドはただただ感嘆を漏らすだけだった。
ランドは自身がリブラほど戦えないと自負しているため、ヤードとリブラが消えたせいでこの場の戦力が減ったことをわかっている。
今は落ち着いていても増援によってたやすく覆る戦力差であり、そのことを思えば、なぜ彼らはこんなひょうひょうとしていられるのか、虎にはわからなかった。
「あれー、ひょっとして、緊張してるのっておれくらいなのかな」
「いや、私も現状はまずいと思っているのだが、あいつらは逆境ほど燃えるバーサーカーだからな。心の底から楽しそうじゃないか」
「そういうタイプかぁ。うちにはあんまりいないから珍しいな。ところで初めまして。『竜の爪』所属のランドです」
「私はリンドンだ。『技能泥棒』と言えば通じるか……本当に緊張してるのかお前?」
マイペースな虎にリンドンは頭痛を抑えるようなしぐさでため息を吐いた。バブみ趣味と研究馬鹿であることにさえ目をつむれば、リンドンは比較的まともな方だ。
そんなウサギの悩みの種などいざ知らず、ランドはにこにこと、丸々とした腹を叩いて言う。
「おれをよこしたのはみんなの補給の意味もあるんだよね。こんなこともあろうかと、『吸精』でたくさん魔力を補給しておいたから、使ってね」
ランドの指先から光る糸がのびて、リンドンとトリドスとつながった。
ザーメンから魔力を補給できる『吸精』のスキルでため込んだものを、疲れた体に注ぎ込む。特に疲れていたリンドンに効果は抜群のようだ。先ほど使った大掛かりな『スキル改造』の消費が回復していくのを感じている。
「本当はゴライザにもできたらいいんだけど、そんな余裕もなさそうだしね」
「助かった。先ほどから消費がひどかったところだ。これで、まだ戦える」
「疲れたらいつでも言ってね。強制的に吸収もできるから」
とか言いながらそこらの兵に糸をつなげれば、一瞬にして兵士が崩れ落ちる。他人に魔力を供給、あるいは吸収することにかけて、ランドの右に出る者はいない。
「さて、さて、それじゃあここに巣を張ろうかな」
にこやかな表情を変えることなく、虎の足元から糸が広がった。
そのまま糸はめぐり、床を埋め尽くす。それはクモの巣のようであり、敵はこの上にいるだけで魔力を吸収されてしまう。そしてランドは補給役として無尽蔵の魔力を操ることができるのだった。
「これで、数の差はある程度埋められるよ。とはいっても、敵の増援が来るまでおれの出番はなさそうだけどね」
「すごいな君は!」先ほどよりはつらつとしたトリドスが叫ぶ。「これでいくらでも戦える! まるで若いころのようじゃないか!」
自身の年もあり、傭兵街で最強の名をゴライザに奪われたトリドスだ。今なら負けないとメイスを振り、文字通り一騎当千の働きを見せていく。
リンドンは触手を操りながら同時にランドのスキルを解析し、その特異性に舌を巻く。あの異世界人が絡みだしてから、この学者は見たこともないスキルを発見できて胸が高鳴っていた。フォグやリブラだけでなく、『竜の爪』全体がこのレベルのスキルを有しているのなら、それだけで国家規模の力量だ。
「やはり、あの異世界人の影響か。ここまで固有スキルのオンパレードだと、二つ名持ちのありがたみが減るな。どうやら『竜の爪』は相当の戦力を保有しているようだ」
「そうかもねー。おれらはあいつのおかげでかなり強くなってるから。でも、それってセックスの回数が関わってるし、今だとヤードあたりが一番強いんだよね」
傭兵街に同行した面々は、異世界人の恩恵を多分に受けている。そのため、彼ら一人とっても、最高級の戦力と数えられるだろう。自身のスキルで目立つことを嫌う異世界人の思惑がなければ、全員が二つ名を与えられているはずだ。
それは、一度だけしかセックスをしていないトリドスも気づいており、頭打ちだったはずのスキルが成長しかけていることに、確かな喜びを感じているのだった。
だとするならば、あの異世界人にペットとして飼われることを望み、何度も体を重ねたゴライザはどれほど強くなっているのか。
その結果が、今現れようとしていた。
ゴライザはジェル目掛け思いっきり拳を叩きつけた。
「うらぁ!」
剛腕を振るえば、床などたやすく打ち砕かれる。当たればひとたまりもない攻撃だが、ジェルにはかすりもしない。
だが、狼が剣を振るえば手甲にはじかれ懐に潜り込まれてしまう。そのあとに繰り出された拳が当たることはなかったが、常人では防ぐことすら不可能だ。
剣の軌跡すら見えず、振るったことすらも悟られない。ジェルの剣技はだれの目から見ても最強を名乗るにふさわしい力を持っている。
対して、ゴライザは圧倒的な腕力と防御力ですべてをなぎ倒して進む破壊の化身だ。生半可な攻撃では傷一つ付けられない鉄塊。しかも、決して鈍足というわけでもなく、ジェルの動きに合わせられるだけの瞬発力も兼ね備えている。
「くそが、とっとと当たりやがれっ!」
狂犬が踏み込んで、右に二発、左に一発のジャブをかます。残像が見えるほどの拳は大砲に匹敵するほどの威力を持つが、狼はそれを簡単にいなす。
「……………っ!」
今度はジェルの腕が『ぶれる』。
誰の目にも止まらなかったが、ゴライザの服が裂けた結果を見るに剣を振るったようだ。
「ちぃ! 一発かすっちまった。ここにきて速度を上げるとはな。洗脳もなじんできたってかっ!」
ゴライザが捕らえたのは三回。あの一瞬でジェルはそれだけの回数を切りつけていた。
三発殴った意趣返しだろうか。洗脳中のくせにと、ゴライザがいらだちのまま舌打ちをする。
だが、防御力ではゴライザが圧倒的に有利だ。もとから持つ頑強さに加えて、異世界人とのセックスで鍛えたスキルがある。
一撃。それさえ当てればいい。そうすれば勝てるとゴライザは計算していた。
だが『神風』を前に、それは途方もないほどに遠い。
(ご主人……っ! 俺が全部、全部、なんとかしてやるから! だから、俺をたーっくさんほめてくれよっ!)
やさしく撫でてくれる手が好きだ。
ツッコミながらもわがままを聞いてくれるところが好きだ。
抱きやすい小ささなのも好きだ。
狂犬と揶揄されるほどささくれていた日々が、あれほど幸せになるとは思わなかった。
ゴライザが求めていたのは地位でもお金でもなく、ただ自分を認めてくれる主の存在だったのだ。
『腰振り射精』の性癖によって引きずり出された奥底の願望は、ゴライザを満たしていた。狂犬時代の何をしても満たされなかった飢えによる原動力では、ジェルと対峙するには力不足だっただろう。今だからこそ、ゴライザは最強とタイマンをはれているのだ。
これを恋だの愛だの言うつもりは彼にはない。ただそばに置いてくれればそれでいい。忠犬として、彼は職務を全うするつもりだ。
(一発でいいんだ。そうすりゃ、あいつを止められるっ!)
渾身のストレートはもちろん当たらない。余波で空気を振動させてわずかに動きを封じても、次の瞬間には体勢が整っているのだ。これはゴライザお得意の戦法で、どんな相手でもコンマ数秒の動きは確実に止められるはずだった。
しかし、ジェルには効かない。動きが鈍るそぶりすら見せない。こんなことは、ゴライザにとって初めてのことだ。
鉄壁ともいえるほどに隙がなく、無敵にすら思える存在。最強の頂は、ゴライザが思っているよりもはるかに高い。
「くそがよぉ!」
大きくかぶりを振るのは汗がにじんできたからだ。もし目にでも入れば、その隙をこの狼は絶対に逃さない。
歯を食いしばり、標的を見定め、忠犬は吠える。
「俺は負けねえ! てめえをぶちのめして、俺がご主人にいい子いい子してもらうんだ!」
そして山のように盛り上がった肉体を持つゴライザが、拳を振り上げる。
「――――ぶっ飛べくそ野郎!」
そのまま虚空に向かって打ち付け――否、彼は確実に殴った。
轟音と共に、何かが飛んでいく。
「…………っ!!」
洗脳中のジェルは本能の叫び声を確かに聞いた。
幾度の戦争の中で磨かれた第六感の命じるまま狼が身をひるがえせば、その場所を何かが押しつぶす。目には見えない何かが王宮を壊し、あたりをがれきへと変貌させる。
その正体を、歴戦の猛者はすぐに見抜いた。
「…………『空気』か」
「ようやくしゃべったかくそ狼っ! ああそうだ! これが俺のご主人からもらったスキル『空気抵抗』だ! わかったらおとなしくぶっ飛びやがれ――――おらぁ!」
さらに何度も拳を振るえば、空気の塊が飛んでくる。それ一発一発が大砲を超えるほどの力を持ち、当たればひとたまりもないことは背後のがれきが証明している。
あたりの空気を味方につけるスキル。遠距離を不得手としていた彼にとって、自身の腕力が使える最も適したスキルをもって、最強を追い詰める。
今のゴライザは遠近共に隙が無い化け物だ。デコピン一発の空気でさえ、常人にとっては銃弾と変わらない。
「だが、なぜそれをわざわざ言う?」
ジェルはそれが理解できない。洗脳下にあるとはいえ、最強の頭脳は健在だ。
おそらく何か策があるのだろうと狼は考える。嘘かもしれない。だが、あの狂犬がそんな知恵を回すだろうか。
「わからんが、切るしかない」
遠距離攻撃が不得手なジェルにとって、この間合いは不利だ。斬撃を飛ばすことはできるが、ゴライザが掌をかざせばそれだけで空気の壁に霧散してしまう。
圧倒的な攻撃力と防御力。狂犬は一つのスキルでそれを両立させている。
(さあこい、ジェイルラル! このままだと埒が明かねえよな?)
ゴライザの誘いに狼が動く。こちらの思惑に気づいているだろうに、その足取りに迷いなどなかった。
足腰に力を込め、間合いを一足でゼロへ。瞬間移動を疑うほどの素早さで、ジェルはゴライザに詰め寄った。
「来てくれてうれしいぜ!」
「誘いをもらったからな」
狂犬は凶暴な笑みを浮かべたまま、拳を打ち付ける。すでに何度も振るった技。ジェルにとって造作もない、止まって見える技。
しかし、ジェルは拳が当たるよりもより早く、回避に転じた。すると、その残像を壊すかのようにスイング音が響き、虚空へと消えていく。
まさかの光景に、狂犬が驚きに目をむいた。
「はあぁっ?!」
ゴライザも、まさか回避されるとは思ってもいなかったようで、追撃するつもりで構えた腕で防御を余儀なくされてしまった。その後再度肉体を狙ったものの、当然相手の方が早い。
悔しさに、犬の歯がギリリと音を鳴らした。
「てっめぇ、気づいたうえで……っ?!」
「当然。空気を打てるのなら、『間合いは見た目にそぐわなくなる』。それくらい想定済みだ」
「なら、なんでわざわざ来たんだよっ!」
「知れたこと。そうだとしても拳の方向を見てかわせばいいだけの話。今の一撃で大体の間合いは把握した」
「……まじかよ」
空気をはさむことでゴライザのリーチを底上げする作戦は、ジェルにとって何ら驚くに値しないようだった。不意を打って一撃かますために取っておいたスキルは、その一撃すら最強に届かない。
だが、狂犬は不敵に口角を歪めるのだ。
「――――なぁんて言うと思ったか?」
とたん、空気の壁が二人の周囲に立ち込める。目には見えなくとも、先ほど斬撃を防いだ壁は確かに存在している。
強制的な間合いの短縮。剣を使うジェルにとって、それはかなりの痛手だ。
「……なるほど、こちらが本当の目的か」
「その大層な剣を振り回したかったら構わねえぜ。もっとも、どこに当たるかは知らねえけどな!」
透明な壁に囲まれた空間を把握しているのはゴライザだけ。ただでさえ室内で剣を扱うには柱などに気を使う必要があるというのに、これではまともに振ることさえできなくなった。
その隙をついて、ゴライザは殴る。殴る。容赦なく拳を連発していく。
そもそも圧倒的素早さでのヒットアンドアウェイを得意とするジェルに対し、タイマン殴りあい戦法を取っているゴライザでは相性が悪い。主からもたらされたスキルは、その相性不利を埋める命綱だ。
「おらぁ! おらおらおらっ!」
本来であれば一撃必殺の拳が、何度も狼を襲う。
これにはさしものジェルも顔をしかめ、回避に専念せざるを得ない。
もし振るった剣が空気の壁に当たれば、確実に隙ができる。そうなればあの馬鹿力をもろに食らっておしまいだ。どうにか解決の糸口を探ろうと、あたりにくまなく視線をさまよさせた。
ジェルは洗脳された頭脳を必死に回す。どれだけ価値観をゆがめられても、彼には負けられない理由があるのだから。
(ここで私が負けたら『あの子』はどうなる。だれがあの子の後見人になろうとも、我が主(グリッジ)の……はて?)
そもそも、自分がとらわれたのは異世界人を喪失したことによる監督不行き届きではなかったか。国に対して有望な人材の育成を怠った、ダメな父親として非難されていたはずだ。
ならばなぜ、自分はこんなところで戦っているのだろう。
(さ、探しにいかねば……あの子が、困っているかもしれない。私が探さなければ誰が探す。誰が、天涯孤独になったあの子にそばにいてあげられるというのだっ!)
唐突に知らない世界へ放りだされ、心細そうにしていた顔が狼の脳裏に思い浮かんだ。ようやく慣れてくれたのに。これから、家族になれるはずだったのに。
すると、狼の頭蓋の奥がずきりと痛み出した。
「あ、が……っ!」
「なんだ?」
明らかに様子がおかしくなったジェルを前にゴライザはいぶかるものの、拳を止めることはない。情けをかけて勝てる相手ではないのだ。それに、洗脳の影響で苦しんでいるのなら気絶させることが救いになる。
意識を刈り取るために放った拳は空気を切り裂き、鉄をも砕く勢いでジェルに迫った。
だが、それは鋭い一閃で防がれしまう。
「――――っ!」
この狭い間合いで最小限の動きで剣を振るったことに、ゴライザは驚きを隠せない。そして、そんな狂犬を見逃すジェルではない。
ジェルは前へ。剣を振るうには肉薄しすぎている距離で、彼は剣の柄を構えた。
刃の部分が使えないのなら、柄で殴ればいい。『神風』の速度をもってすれば、その一撃はゴライザにも劣らないものとなる。
「――――ちぃ!」
その狙いに気づいたゴライザが体をひねるが、当然ジェルのほうが早い。
忌々し気に舌打ちをしたゴライザは気づいていた。追い込んだつもりで、追い詰められていたのは自分だったのだ。
居合のような構えで放たれた柄は、ゴライザの腹に直撃した。
筋肉と脂肪で膨れ上がった肉厚な腹部がめり込んで、内臓に衝撃を与える。
「……ぐはぁっ!」
それでも、ゴライザは折れなかった。すぐさま背後の壁を消し、後ろへ飛ぶ。その間合いは不利だと知っていても、それしか手はなかった。
もちろんジェルは追撃のために加速して前へ。滑走路を得た『神風』を止められるものなど誰もいない。ゴライザが撃ち落とそうと何度か空気を打ちこむも、最速は難なくかわして距離を詰めてくる。
このままではゴライザの敗北が見えていた。犬は胃液の味がする歯をかみしめて、決意を固めて腰を下ろす。
見据えるは眼光鋭い最強の男。幽鬼のような顔から一転して、今は研いだ刃のような気配で迫る狼。
押し負けてなるものかと、ゴライザは吠えた。
「来いよ最強っ! てめえの目を覚まさせてやるっ!」
「カウンターか」
傭兵街で会ったときと同じ戦法で、ゴライザは勝負を決めようとしている。
誰よりも早い剣をとらえるその目に、恐れなどみじんもない。自分が勝つのだと、彼はすべてで叫んでいる。
「その心意気はよし。だが、私にも負けられない理由がある」
「んなもん誰だって一緒だろうが。気にする必要もねえ!」
勝敗が決する瞬間に、それぞれの思い描いた顔が同じだというのは皮肉な話だ。どちらが勝っても、それを捧げる相手は変わらない。
そして、剣と拳が交わって――――
「――――見事だ」
先に口を開いたのは狼の方。
「まさか、あの狂犬が……」
ここにきてその蔑称は失礼だと思いなおし、ジェルは言う。
「まさか、『鉄塊拳』がこんな手を使うとは思わなかった。私は認めよう。お前のことを見くびっていたと」
ほとばしる鮮血に染められて、ジェルは、笑った。それは相手をたたえるためであり、負けを認める合図。
深々と切り裂かれたゴライザは、口から血を吐きながらも笑みを作った。
「……ざまぁねえな最強。こんな下らねえ手に、お、どらされてんじゃ……ねえぞ……」
その拳は確かに届いていた。ゴライザは、自分の身を犠牲にジェルに一撃を食らわせたのだ。
「それで……気分は、ど、ぅだ……」
「最悪だよ。全く、我がことながら恥ずかしい限りだ」
ジェルの様子に先ほどの面影はない。完全に自分の意志で、狼は答えてみせたのだ。
肉体には何のダメージも与えていない拳だが、ジェルにかけられた洗脳を破壊していた。これこそがゴライザの狙いだった。彼は一発、それさえ当てることができればジェルを戻せると確信していた。
だからこそ、肉を切らせて骨をたつ精神でゴライザはわざとジェルの剣を受けたのだ。『空気抵抗』の宣言もすべて、この技を隠すためのブラフに過ぎなかった。
「『効果無効』か。バフやデバフを問答無用で打ち消す、いやな技だな」
「一発も、当たらなかったくせに……よく、いう……ごはぁ」
「無理に話すな。怪我が深いんだ。すぐに治癒師のところに連れていく」
「ばかがっ……んな余裕があるわけねえだろ……! てめぇが、しっかりしねえと……俺の、ご主人が……悲しむだろうが……っ!」
すでにゴライザにとって、最強の名など意味をなさない。それは主に会う前の自分が固執していたものだ。今は大局を見据える方が大事だと彼は気づいていた。
このままでは共倒れになると踏んだ忠犬は、せめてジェルだけでも解放しようと決めた。主が無事だったということを聞いた時点で、彼の目的は変わったのだ。
支えようとする狼の手を振り切って、忠犬は笑う。吐血していても、満身創痍でも、気持ちの上で負けたつもりはなかった。
「貸しだ……。協力してもらうぜ……『神風』」
「もちろん。さすがにこれ以上グリッジの暴挙を看過することはできん」
捕まっていたジェルはグリッジの作戦を知ってしまった。愛しの子を害した犯人がグリッジだということも、その後第二王子を担ぎ上げて国を掌握しようとしていたことも、すべてだ。
王家にあだなす不届き者を註することこそが、ジェルの使命だ。狼は剣を振って血を払い、踵を返す。
「感謝する。死ぬなよ、『鉄塊拳』」
「はん、余計なお世話だよ……次は……ぜってぇ、ま……けねぇからな……」
このままジェルは消えるかと思われたが、慌てて制したランドによって魔力が補給される。
「ジェル様、戻ってきてくれてうれしいです」
「助かる。ランド、ゴライザを頼む」
「かしこまりました」
そして、狼は目にもとまらぬ速さでこの場を後にした。
それを確認して、巨大な犬の体がかしぐ。
「……ぐっ」
すでに気力のみで体を支えていたゴライザは血だまりの中に倒れ、消えていく命の灯を見つめていた。これから来る主のために、やれることはやった。
満足げなゴライザに駆け寄ったランドがすぐさま糸で絡めとるが、肉体の回復とは違うスキル系統のため、うまく止血できていない。
「へへっ……ご主人、俺のこと……絶対、いい子いい子、してくれるな……」
「ああもう、おれは精力とか魔力とかの補給が得意で肉体回復はちょっと専門外なんだよっ! モウダンが来てくれてれば……っ!」
すぐさまゴライザの周りを触手が囲い、防衛の構えに入る。トリドスもメイスを振り回し、誰一人近づけさせまいと剛腕に力を込めた。
「まさか、君が自己犠牲の精神を発揮するなんて思ってもみなかった。その異世界人、がぜん興味が出てきたな。……まだお前を研究してないんだ、死なれたら目覚めが悪い」
「やはり人は成長するものなのだな。いいものを見せてもらった。後のことは私に任せてくれ」
戦場経験での差だろう。気持ちが引っ張られがちなリンドンと違い、トリドスはしっかりと敵を見据えている。それでも、悔しさが気迫となり、立ち上る圧で兵たちの足を縫い付けていた。
敵兵の対処は二人に任せ、ランドは持てるスキルのすべてを使ってゴライザの回復に努める。指先から伸びる糸で傷口を縫い付け、医者の真似事を繰り返す。騎士団員として応急処置の知識くらいはあるが、ここまでの大怪我に対して行ったことはない。普通であれば、介錯をしてもおかしくないくらいの深手だ。
「俺の、ことなんかほっとけ……まだ、周りにゃ敵がいるだろうが……」
「普段ならそうするけどね。君にはジェル様が世話になったんだ、やれるだけのことはしないと、申し訳がたたない」
騎士として、目先の命に終始することの愚かさはランドとて知っている。だが、ジェルに頼まれたのだ。それに、ジェルの離反によって周りの士気が下がっている今、このタイミングを逃せば確実に助けられないこともわかっていた。
リンドンとトリドスはゴライザをかばって身動きが効かない。ランドは治療に集中している。不測の事態が起きたとしても、その対処には時間がかかる。
それは、不意打ちには恰好のタイミング。もし防衛網の中心に敵が来れば、ランドとゴライザはなすすべなくやられるだろう。
だから、ゆらりと、陽炎が立ち上るかのように漆黒に身を包んだ騎士がランドのそばに姿を現したのだ。全身鎧の巨体が誰にも見つからずにここまで肉薄していたことに、トリドスたちは驚きを隠せなかった。
ランドは自身の不幸を呪いながら、確かに彼ならこの時期を逃さないだろうと歯噛みする。こと暗殺において、彼以上の適任はこの国にはいない。
「『影に満ちた鏡』……いつも最悪なタイミングだよね」
「それが我の務めだからな」
黒の刀身を振りかざし、騎士は言う。暗殺者に近い彼は、確実なタイミングをずっと狙っていた。誰か一人削れれば、ゴライザたちは総崩れになることを知っていたのだ。
どれだけ強くても、不意を打たれれば脆い。それを実践するのがこの神出鬼没な騎士、『影に満ちた鏡』であった。
裏切り者のランド共々葬り去ろうとする剣は勢いよく振り下ろされる。
リンドンの触手も、トリドスのメイスも間に合わない。
ランドも糸を出すがもとから吸収などに使うためのものだ、物理的強度は望めない。ゴライザもにらみつけるばかりで、体が言うことを聞かないようだった。
どうしようもなく現状、彼らにできるのは無慈悲な刃先を見るだけ。
それが肉を裂こうとしたその時。
怒りを孕んだ声がした。
「――――『止まれ』っ!」
その命令に従うかのように、黒の剣は寸でのところで刃先を止めた。
「なんだ……?」
黒の騎士も予想外とばかりに困惑が漏らすだけで、体を動かすことができていない。何度も腕に力を込めているのだが、剣先はピクリともしなかった。
こんなことができる存在を、彼らは一人しか知らない。
青白くなるゴライザの顔に、うっすらと笑みが咲く。血の海にあってさえわかる焦がれた匂いに、力なく尻尾が揺れた。
誰もが目を丸くして、闖入者を見つめていた。それはどう見ても唐突に表れたようにしか見えなかったからだ。身を潜ませていた『影に満ちた鏡』とは違う。空間転移をしてきたとしか思えない一行が、戦場を沈黙で支配した。
大きな熊と牛と龍を従えた、彼こそが大将だ。彼は漆黒の騎士を鋭くにらみつけており、転生後からの付き合いであるランドすら見たこともない感情で表情を満たしている。
言葉一つで戦況を変えるスキルホルダーにして、転生チートをまとう爆弾。
怒りに燃える異世界人がそこにいた。
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