XaiJu
toriaezu
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夏の終わりに空飛ぶ魚を捕まえて 下

「風、強くなってきたな」 「そうだね」  ヤマの家の縁側で、僕らはぼーっと空を見ていた。テレビによるとそろそろここも暴風域に入るようだ。それまでには僕も帰るつもりだけど、今はヤマを一人にできなかった。 「魚ってさ」ヤマが気の抜けたように言葉を投げる。「幽霊だったな」 「そうだね」  ホシゾラが残した子に新たな飼い主を探してやるために、今はみんなこの家でお世話になっている。いきさつを聞いたご両親も無下にできなかったようで、僕も手伝うからと一時的にお世話になることができた。  風鈴の鳴る間隔が短く、涼しげな音もこうまで頻回に鳴られたら耳障りだ。夏ももう終わりかけていて、それを知らせる無粋な警鐘のように感じてしまう。 「おれらはさ、幽霊を魚の形で見ていただけだったんだな」 「そうだね」  おそらくはそうなのだろう。僕らは夜の森でその核心に至った。 「そんなの捕まえてどーしろってんだよぉ」  ヤマがバタンと後ろに倒れ、大の字になる。目標がなくなって、困ってしまった顔だ。 「じいちゃんに見せてもなぁ」 「まあまあ。でも結局は自分の区切りなんだし、そのままでいいんじゃない?」 「そうなんだけどさ。なんか幽霊ってわかると捕まえるのはちょっと……」 「怖くなった?」 「それもある」  気持ちはわからなくもない。虫取りみたいな感覚で追いかけまわしていたものが、実は人の霊魂かもしれないのだ。そりゃ躊躇もする。  だけど、それだとヤマはいつまでたっても区切りをつけられない。夏休みも終わりに近づいているのに、まったく部活に参加できていないのだ。野球部のエースとして、ヤマには結構な期待がかかっている。  僕はヤマがマウントに立っているときの真剣な顔が嫌いではない。こんなに人懐っこい犬なのに、試合になると気配が変わるのだ。  女子にもてていることも知っている。ああ、夏が終わらなければいいのにと思ってる自分がいる。 「ヤマ」  名前を呼んで、近くにあった太ももに手を置いた。 「気持ちの整理ができたらでいいんだ。焦らなくたって、大丈夫」  このくらいなら親友の範囲内だ。大丈夫とは自分にも言い聞かせた言葉。  ホシゾラもいなくなって、ヤマはさぞかし気落ちしていることだろう。だけど、僕がいる。ずっとそばにいるから。 「リュウがいてくれてよかったわ」 「そう? なら嬉しいけど」  感謝の言葉を投げるけど、目線は僕に向けてはくれない。何かを考えこんでいるような顔だ。  長い付き合いだから、わかってしまった。ヤマは決意を固めたんだろう。 「おれさ」  風鈴の音が、嫌に大きく響いた。 「考えてたんだ。じいちゃんが死ぬ前に言ってた『好きな人ができたら、離したらいけないよ。ひとたび離れたら、ずっと後悔することになる』って言葉」  ヤマが立ち上がって僕の隣にやってくる。僕より小さいのに、まるで夏を曇らせる入道雲みたいに大きく、立ちはだかるように見えた。  その先の言葉を聞きたくない。僕には、だって、まだ、決心ができてない―――― 「おれは後悔したくない。だから、言おうと思う。本当は、魚を捕まえてひと段落したら言おうと思ってた」  やめてくれ。 「リュウのことが好きだ」  ちりんとなる風鈴の音が、こんなに空虚に感じたのは初めてだ。外に響く生き物の音が、風の音も、この部屋には入ってこない。 「す、きって……」 「もちろん、恋人にしたいってこと」  愕然とした表情を張り付ける僕のなんて情けない。僕がふたをした感情を、ヤマはとっくに見つめなおしていたんだ。  乾いた舌をはがして、震える声を投げる。雨脚が強くなってきて帰れるかどうかを心配する余裕なんて、今の僕にはなかった。 「だって、僕らは男同士だし、お、幼馴染だし……あの」  望んでいたはずなのに、今更この感情を自覚してしまうのが怖かった。変わってしまうのが、怖かった。  だから僕は見ないことにしていたのに。どうしてヤマは僕に突きつけてくるのか。  困惑する僕を見るヤマは、とても悲しそうな顔をしていた。そんな顔をさせないためにそばにいたはずなのに、どうして僕は……。 「や、ヤマは、今寂しいから、だよ」  考えうる限り最悪の手。僕は、逃げたのだ。 「じいちゃんもいなくなって、誰か他の人を求めてるだけ。だ、大丈夫だよ、そんなこと言わなくても、僕はどこにもいかないから……」  本当はそんな事が言いたいわけじゃなかったのに。僕はただ、ヤマとずっと一緒にいたかっただけなのに。  これが一世一代の告白を振ったのだと気づくことに、そう時間はかからなかった。僕は我が身可愛さにヤマの決意を踏みにじったのだ。 「そっか……」  気丈に振舞おうとしても、うるんだ目からは涙を隠せない。薄く儚く君が笑うなんて、僕は今まで知らなかった。  違う、違うんだ。君を泣かせたいわけじゃないんだ。  どんなに胸が悲しみでかきむしられようとも、僕はこの感情を言葉にできない。ずっと見てみぬふりをし続けてきたから、表現のしかたを忘れてしまった。 「ごめんな」僕がうろたえている間に、ヤマは言う。「すっげぇ悩んだんだ。おれが告白なんてしなくても、リュウはずっとそばにいてくれるって思ってたけど、やっぱりおれは、好きな人を離したくない」  その言葉は耳に痛く突き刺さる。僕が無視し続けてきた時間の分だけ、鋭さを増していた。 「んでも、ふられちゃったかぁ」  明るく振舞って僕に背を向けるヤマ。  急な強がりなのはわかっていたけど、僕に言葉をかける権利なんてない。  吹きすさぶ風が僕らの間を通り抜けて、関係性をなぎ倒していく。僕は大事にしてきたつもりだったのに、結局は大事にしすぎて変化を恐れていただけなんだ。  わかってる。わかってるけど。  挽回の機会を浅ましくも求めてしまうんだ。 「ヤマ、僕は――」 「お、そろそろ雨も強くなってきたし、帰ったほうがいいんじゃねえの。自転車、表に置きっぱなしだろ。さび付いちまうぞ」  覆いかぶせるようにヤマは僕の言葉を遮った。言い訳を聞きたくないという、自己表現。 「ごめん」  そしてまた謝られる。君は何も悪くなんてないのに。 「今、ちょっとリュウの顔見れないや」  僕はもう、何も言葉を発せられなかった。  決定的に僕らの関係性が崩れた音が、落雷のように脳裏を駆け巡る。言葉にならない返答をして、夢遊病者のように歩き出す。  それからどこを歩いたか覚えてない。ヤマの家から逃げるように出ていって、自転車を押して、ここは、どこだろう。  外は暴風になっていて、雨で体はずぶ濡れだ。だけどそんな事全く気にならないくらい、僕は自分に失望していた。  この感情はきっと、死んでしまった。育児を放棄された雛が生きてはいけないように、無視し続けた感情もきっと死んでしまうのだろう。  どうして断ってしまったのか、僕は自分がわからない。  違う。僕がずっと自分をだましてきたからだ。  この感情が恋じゃないないなんて言い聞かせたから、告白なんて受けられるわけがない。だって僕はヤマを好きじゃないって思いこもうとしてたから。  ああ、なんだ、全部僕のせいじゃないか。  雨と涙で顔をぐしゃぐしゃにして、自分の愚かさにあきれてしまう。  気が付くと僕はこの前ヤマと自転車を飛ばした川べりにいた。あの時とは違って川は荒れ、避難勧告も出ているかもしれない。  川島石は荒れ狂う流れをものともせずその存在を見せつけており、結構遠くに来てしまったのだと知る。  帰ったほうがいいのだろう。でも、僕は自暴自棄になっていて、どうでもいいやとばかりにただ川を眺めていた。  ここでホシゾラを見つけて、ヤマと一緒に走って、とてもきれいな思い出だった。  それが、どうしてこうも曇天になってしまったか。わかってる。僕のせいだ。  自分で捨てたくせに、涙が止まらないんだ。  どうしようもなく胸が痛いんだ。  ああ、こんなひどい天気でも魚は平気な顔で泳いでいる。  何匹もの魚はまるでそこが巣であるかのように川島石の周りに集まっており、口先でちょんちょんとつついていた。 「あれ……?」  群れに紛れているけれど、そのうちの一匹を僕は覚えている。  じいちゃんの葬式で見つけ、森で案内をしてくれた魚だ。 「じいちゃん……?」  きっとそうだと、確信がある。僕はふらふらと川べりを下りて行った。 「じいちゃん、ごめん。僕、離しちゃった……絶対離すなって言われてたのに……」  雨風の轟音で届いたりはしないだろうし、言葉を理解できているのかもわからない。  だけど、僕は懺悔したかった。どうしようもなく愚かな僕を、吐き出してしまいたかった。  亡くなった人に誘われて水辺に向かう愚かさを、普段の僕ならたしなめるだろう。  でも、今の僕にそんな常識はなく、胸中の重荷を下ろしたい一心だった。  引いてきた自転車を手放して川べりに放置するも、僕の意識を向けるには至らない。視界は魚をとらえ、足を進めていくだけ。  川の付近まで来て、僕は記憶を頼りに歩き出す。ここらへんで浅いところが続いていたはずだ。  もっとも、この荒れ狂う川のどこが浅かろうと誤差でしかないのだろうが。  それでも僕はじいちゃんに会いたかった。もうどうでもいいんだとばかりに、僕が足を踏み出そうとしたとの時だった。 「リュウーーーーっ!」  聞こえた。嵐の中でさえ、僕を呼ぶ声がはっきりと。  はじかれたように視線を向けると、少し川上にある橋の上でヤマが僕を呼んでいた。 「ヤマ……」 「お前っ! 何してんだ! まだ帰ってねえって、お前のかあちゃんが心配してたぞ!」  橋から身を乗り出して僕に叫び続けるヤマは必死な顔をしていた。振った相手にも関わらず、ヤマは僕を心配してくれていたのか。  その優しさにまた胸が痛くなる。君はこんなにもいい奴なのに、僕は逃げたのだ。  ああ、ああ、それでも君が来てくれただけで、僕はとても嬉しいんだ。やっぱりだめだ、この感情を僕はごまかしきれない。 「僕はまだ……」  今度は逃げずに向かいあえるかな。この感情にちゃんと名前を付けてあげるから。だから、もう一度だけ、僕にチャンスをください。 「ヤマ、僕は君のことが――――」 「ああ?! 何かしゃべってるかぁ? 風が強すぎて聞こえねえ! 今からそっち行くから、ぜってぇ動くなよ!」  ……きっと僕が罰せられるとしたら、この瞬間のことだったのだろう。一度ふいにしたチャンスが巡ってくるなんて楽観を打ちのめすに最適な機会。それこそがこの瞬間だった。  ひときわ強い風が一陣、橋上のヤマの背中を思いっきり押してしまった。身を乗り出しており、手すりも濡れて滑りやすくなっていたためか、ヤマの体は端から飛び落ちていく。 「やっべぇ……!」 「ヤマーーーーっ!」  ヤマが落ちていく光景がゆっくりと流れていく。水嵩の増した川にしぶきを上げて落ちていき、そのまま流される。暗い川に黒い毛皮が飲まれていき、その姿が小さくなっていくのがとても恐ろしかった。  僕の心は今にも崩れてしまいそうで、それでも喉が裂けんばかりにヤマを呼んでいた。  お願いします。僕はどうなってもいいから、ヤマだけは助けてください。悪いのは僕だから、こんなところに来た、僕なんだ。 「ヤマ……ヤマ、お願いだから……!」  このままいけばヤマは流されていき、決して助からないだろう。  だけど、ヤマはあきらめなかった。そして、とても幸運だった。川島石がある小さな島にその身を打ち上げて、なんとか陸に上がることができたのだから。  だが、四方を荒れ狂う川に囲まれ、あの島だっていつ飲み込まれてもおかしくない。  早急に助けが必要なのだと、誰にだってわかることだった。 「ヤマ、大丈夫っ?!」 「ゲホッ……ゴホッ……なんとか……」  かすれそうな小さな声が暴風を縫って耳に届いた。声を張り上げようとしても、きっとむせてそれどころじゃないんだろう。  嵐がやむ気配は無い、このままだとヤマは助からない。 「リュウ、助けを呼んできてくれ! お前は絶対に来るなよ!」 「わ、わかった! すぐ戻ってくるから、だから、だから絶対待ってて……!」  僕は持てる全速力で踵を返すと、そこらへんに放置されていた自転車を引っ張り起こす。  川べりを駆け上がり、どこかに人がいないかとあたりを見渡した。  そこで僕はスマホの存在を思い出し、慌てて救助を呼んだ。 「……時間が、かかるんですか! だって、ヤマは今にも流されそうなんです!」  この天気の中、どうしたって時間がかかることを冷静に説明されても、僕は納得なんてできなかった。理性では仕方がないと諭しているが、感情はそれを良しとできない。 「お願いします、急いできてください! お願いします……!」  手短に場所を伝え、僕はすぐさま離れるように言われる。それでおしまい。  あとは救助の人が来るまで、ヤマが飲まれないように祈るだけ。  ……それでいいのか?  足が縫い付けられるように止まって、脳裏に言葉が反響した。 『好きな人ができたら、離したらいけないよ。ひとたび離れたら、ずっと後悔することになる』  じいちゃんの言葉が、僕の胸に響いている。ああでも、僕に何ができるって言うんだ。この嵐で、僕にできる事なんてたかが知れている。  でも、離したくはなかった。それを素直に認めたとき、感情が膨れ上がってくる。この感情を偽るのはもうおしまいにしなくちゃ。今ここで無視をしたら、僕は一生後悔する。  ああ、認めよう。僕はヤマが『好き』だ。大好きだ。  ずっとそばにいてほしい。僕は、ヤマとずっとそばにいたい。 「……だから、離しちゃ駄目なんだ」  きっとこれは愚かなことなんだろう。正気を疑われてしまいそうなほど、愚かしい事。  だけど僕にとっては、せっかく認めたこの感情をまた見捨てることの方が愚かに思えて、大事な君を手放してしまうことの方が怖かった。  それなら、迎えにいかなくちゃ。  いつの間にか僕の周りには数匹の魚が浮かんでいた。これが何を意味するのかなんて分からないけど、僕はじいちゃんを信じてる。決して水面に引きずり込む悪霊なんかじゃない。  自転車にまたがって、ハンドルをヤマの方に向ける。  そのまま一気に地面を蹴って、川べりを駆け下りろ! 「お前、何してんだ!」  怒号が飛んでくるけど、残念ながらもう止まれない。  飛べ! 思いっきり飛べ! ヤマの下へ!  風を切って進み、ギリギリのところで石にぶつけた。ホシゾラを見つけたときのように、加速をつけた自転車は重力に逆らって飛ぶ。  魚と一緒に、嵐の空へ漕ぎ出すんだ。  たどり着けるかなんて正直わからない。でも、島の少し上に落ちてくれれば、そのまま流れてたどり着けるはずだから。 「ヤマああああああああああああぁぁ!」  自転車を乗り捨てて、僕の体はヤマのところへ。浮遊感は恐怖を煽るけれど、励ますように魚が一緒に泳いでくれている。  この時ばかりはさすがに自分の体重が恨めしい。だけど、重力は想像より弱く、思ったより僕の落下速度は遅い。これならいける。確信と共に僕はヤマを見据えた。  追い風になっているのだろうか、僕の巨体は空を泳ぐ魚影の一員として、どうにか離れの島へたどり着くことができた。  あいにく着地の方法まで考えてはいなかったので全身を地面に打ち据えてしまったが、興奮が痛みをマスクしている。かまうことなく僕はヤマに駆け寄った。 「無事っ!?」 「このバカ! 何でお前までくるんだよ! お前に何かあったら――」  言い募ろうとしたヤマを思いっきり抱きしめて口をふさぐ。  ぎゅっと抱きしめて、もう離さないと言わんばかりに。 「ヤマぁ、ごめんよぉ……」 「なんで……お前が謝るんだよ……」  雨に打たれて冷たくなっていた体に、ヤマの熱が染み込んでくる。  僕が弱くて逃げたせいで、ヤマを悲しませてしまった。嵐が波を高くしようとも、僕はヤマを抱きしめ続けた。  言わなければならない。今度こそ逃げずに、僕が名付けた感情をヤマに伝えるんだ。 「本当は、僕も……ずっと好きでした」 「……」  僕をしかりつけようとしていたヤマの手が、止まった。 「でも僕は臆病で、嫌われるのが怖くて、近寄れなかったんだ……」 「そっか……わかるよ……おれもそうだった」 「うん、だから、ごめんね」 「別に謝ることじゃねえよ。薄々気づいてたし、リュウはおれに近寄ってはくれるけど、捕まえようとしたら逃げていくんだろうなって」  僕は臆病な魚だったから。悠々と近寄っても捕まえようとしたらすぐに逃げて行ってしまう。  それじゃあ駄目なんだってじいちゃんが教えてくれなかったら、僕はヤマとずっと一緒にいられなかった。 「好きだから、離さない。僕は、ずっとヤマを離さない!」  今まで持て余していた感情を発散するように、僕は叫んだ。どれだけ嵐が来ようとも、決して負けないくらいの声で。  そっと僕の背中に手が回されて、硬く抱き返される。ヤマと僕の体が密着して、世界が二人だけに閉じていく感覚。 「おれも、リュウが好きだ」  そして僕らは見つめ合い、自然と口を近づけていた。  キスの仕方なんてわからないけれど、心がどうしようもなく昂って、この感情を表現する方法を僕たちは探し求めていたんだ。  言葉にするだけじゃ足りない。僕らは一つになりたい。  熊と犬の口が互いを求めて、感情のはけ口としてぶつけ合う。  あたりに吹きすさぶ風や荒れ狂う波よりも激しい感情を持って。  僕らは柔らかい口づけをする。 「んっ……」  もどかし気な吐息が漏れるけれど、すぐに嵐が持っていってしまう。  夢心地から覚めた僕らが現状を理解するのに、そう時間はかからなかった。 「……じゃあ、あとは救助が来てくれるのを待つか」  少し照れをにじませて、ヤマが言う。体は離れてしまったけど、手をつないだまま。  何の考えなしに来てしまったけど、現状はあまりよくない。島が波にのまれた瞬間に、僕らは流されてしまうだろうから。  でも、僕に後悔なんてなかった。このまま心が離れたままよりも、ずっといい。  だけど、雨風は激しさを増して、僕らのいる島がちょっとずつ小さくなっているような気がする。 「……気のせいじゃない」  どうやらヤマも気づいたようだ。島が飲まれている。  つないだ手は震えていた。それでも、もうどうしようもない。  僕らにできることは早く救助が来るように祈って、あとは決して離さないように握ることだけ。 「なあ」ヤマが問いかけてくる。「なんか、魚が多くないか?」  言われてみてあたりを見渡せば、多くの魚が僕たちを囲んでいた。  ほのかに輝く霊魂のような体を浮かばせて、じっと僕らを見ている。  何か言いたいことでもあるんだろうか。僕の前にじいちゃんがやってきて、そのまますいっと川島岩に向かっていく。 「なんだ、どうしたんだ?」  ヤマはあの魚がじいちゃんだと気づいていないのだろう。不思議そうに首をひねった。  川島岩は大きく、僕よりもでかい。そんな岩に対して、じいちゃんは口でつんつんと啄む仕草をする。 「ひょっとして、動かせっていってる?」  つんつんと、繰り返す。  いったいこの岩がどうしたっていうんだろうか。やっぱり魚に意志なんて残ってないのかな。 『――――にゃあ』  違う。僕らはホシゾラが鳴いたのを聞いた。幻聴かもしれないけど、確かに満足そうに鳴いたんだ。  ……これをどかせって言うんだね、じいちゃん。 「おい、リュウ!」  僕が決意を固めた背後で、焦った声。振り向くと、さらに激しくなった波が島を飲み込もうとしているのが見えた。 「勢いが増して止まらねえ! このままだと、島が飲まれる……!」  ああ、川が僕らを飲み込もうとしている。今はまだ島を削っていくだけだけど、勢いづいた高波でも来ようものなら終わりだ。  絶望が僕らに染み込んでいく。だけど、僕たちにはじいちゃんがいる。  つんつん、つんつん。  さっきからずっと、いや、どんどん激しく岩をつついている魚。周りの魚も僕らの背中を押して、岩へ行くよう急いている。 「なんだ、この魚! さっきからおれのこと押して……!」 「ヤマ!」  それが正しいのかわからないけれど、他に選択肢はない。 「……岩を、押そう!」 「はぁ?! 何でそんなことしなくちゃいけないんだよ!」 「だって、じいちゃんがそう言ってるんだ!」 「…………っ!」  僕がそういうと、ハッとした顔で岩をつつく魚を見る。 「やっぱり、それ、じいちゃんなのか……?」 「たぶん。僕は信じてる」 「……わかった。じゃあおれも信じる。どのみち他にすることもないしな」  おそらく魚が幽霊だと知って、ひょっとしてとどこかで考えていたのだろう。案外素直にヤマは僕の言葉を受け入れ、隣に並んで岩を押してくれた。  風を受けながら二人分の全力で、僕らは岩を押す。 「せーのぉ!」 「ふんぅ!」  島が削られているからだろう、思ったより簡単に岩は傾いでくれる。  だけど、やっぱりどかすには力が足りない。僕らがどれだけ全力を尽くそうとも、岩は動かない。 「まだまだぁ!」 「おりゃあぁ!」  それでも僕らはあきらめなかった。背後で島が飲まれていくことから逃げるように、僕らは岩を押す。  一縷の望みにすがって、ようやくわずかながらに動かしていくことができた。  気が付くと魚たちも僕と一緒になって岩を押してくれていて、あたりには幻想的な光景が出来上がっていた。 「ふぅ、ふぅ……あと、ちょっとぉぉ!」  もう少し、もう少しで岩がどいてくれる。  だけど―― 「駄目だぁ、動かない!」  そのもう少しが遠い。  どれだけ押しても岩はびくともしなくて、僕らをあざ笑ってくる。  島はもう半分以上が沈んでいて、時間もないことを悟る。無理かもしれない。なんて諦観に襲われそうになった僕を救ってくれたのは、肩に置かれたヤマの手だった。 「あきらめるな! まだ、まだいける!」 「うん。……こういう時スポーツマンは強いな」 「違うって。じいちゃん孝行したいし、そしてやっぱさ」  嵐の中でもヤマの笑顔はまぶしいくらいに輝いていて。 「好きな人の前では、いい恰好したいじゃん?」  ああもう、本当にヤマはまぶしいな。  そんなことを言われてしまえば、あきらめるなんてできるはずもない。  僕らはまた岩に向かって力を振り絞り、微々たる距離でも稼ごうと必死になって押した。   「おりゃああああああぁっ!」  あと少し、あと少し。  じりじり、じりじりと動いていく岩にもどかしさを感じつつ。せめて川に飲まれてしまう前にと、僕らは努めた。  これが僕らを救ってくれるなんて思ってない。だけど、どうしてだろう。  止まれない僕がいる。   「動いてきたぞ、リュウ! もうちょっとだ!」 「わかったぁ!」  風も雨もやかましく、夏なのに体は冷え切ってる。  それでも僕らが持つ熱はあきらめることを許してくれないんだ。  持てる力のすべてをぶつけていこう。僕らは言わずとも意志をつなげている。  そしてようやく。  岩が、動いていく。  削られた島を滑るように、僕らと魚の力を合わせて、岩が動く。 「とどめだっぁ!」  ヤマが叫ぶ。僕も。 「いっけええぇえぇぇぇっ!」  全力で押した!  ややあって、岩が地面とこすれる音が聞こえてくる。  ずっと昔からこの島で鎮座してきた岩は、今日この日をもって立ち退くことになった。僕らが小さい時からあった思い出とともに、ゆっくりと川に沈んでいく。 「や、やった――――」  これでようやくじいちゃんも満足してくれる。そう思いヤマと喜びを分かち合おうと一息ついた時だった。  ――――地面から光の奔流がほとばしった。 「え、えええぇ?!」  まばゆい光の柱が立ち上り、勢いよく天を突く。まるでゲームかなにかのような光景に、僕らはあんぐりと口を開けてしまう。  逆流する滝のように、間欠泉さながらの強さで光は立ち上り、僕らを眩く照らす。  あれは、魚だ。  何百という魚が一斉に空を目指しているんだ。  まるで群れをなして回遊するかのように、魚の大群は止まらない。きっと下から岩を押してくれていたのだろう、勢いそのままに空へと打ちあがっている。  こんなにたくさんの霊魂がさまよっている場所で、じいちゃんがずっと探していたであろう場所なんて、僕は一つしか思い浮かばなかった。 「……そっか」  ここが防空壕のもう一つの出口だったんだ。  何でこんなところに出口があるかなんてわからないけど、確かにここに何百という人がいた。  魚たちは出口を失くして、ずっとここでさまよっていたのだろう。ようやく出れた外に喜んでいるようにも見える。  そういえば、魂には質量があるなんて聞いたことがある気がする。だとしたら、あの魚の塊はどのくらいの重さなのだろう。  僕が非現実の光に照らされながらもそんなことを考えてしまうのは、魚の群れが雲を突き破っていくせいだ。その上なんと、隙間から日光が差しているではないか。 「うっそだろ……」  これにはヤマも驚きすぎて目を真ん丸にしている。かくいう僕も似たような顔をしていると思うけど。  雲を蹴散らして雨を防ぐとかは聞いたことあるけれど、まさかそれを幽霊でするなんて思いもよらなかった。  心なしか風も弱くなっているようで、一体全体どうなってるんだと首をかしげるばかりだ。  でも、一つだけ言えることがあるとすれば。 「……助かったのかな」 「そうみたいだな」  ずぶ濡れの体で僕らは身を寄せ合って、座り込む。もうどっと疲れてしまった。  そんな僕らの前に、二匹の魚がやってくる。片方が見慣れたじいちゃんと……きっと、もう片方が。 「ばあちゃんにあえて、良かったね」  僕がそう言うと、魚は少しだけ頭の角度を上げた後、すぅっと消えていってしまった。  満足してもらえたなら、僕らの恩返しは大成功だ。期せずして、僕らは一番の恩返しをじいちゃんにお返しすることができた。それがとても嬉しい。    ひと段落ついた僕らに残されたのは、どうしようもない倦怠感と、雲間から見えるような澄み切った空のような充足感。 「はぁー」  ヤマが僕の肩に頭を置いて、ため息を吐いた。雨にまみれた僕らはひどい有様で、早く救助が来ないと風邪をひいてしまいそうだ。  まあ、命があるだけましなんだけど。  晴れが広がり始めた空を見て、僕らは昇った魚に思いをはせた。  雲を裂いた後、きっとみんな消えてしまったんだろう。たぶん、僕らへの恩返しなのかもしれない。  ありがとう、僕はそっとつぶやいた。  座り込んだまま、僕らは手を重ねて指を絡める。  大丈夫、じいちゃんが教えてくれたことは忘れないから。 「離さないからな」ヤマもきっと、同じ感情だ。 「うん。僕も離さないよ」だから僕も素直に返せる。  この感情は恋だ。僕はヤマが好きで、ずっと一緒にいたくて。  だから、これからも離さないと決めた。  夏が終わっても、僕たちはずっと一緒だ。 **** 「大会優勝おめでとう!」  相も変わらずな日本家屋で、僕は声を張り上げた。  僕らが付き合い始めて一年目の今日は素晴らしい記念日となったのだ。 「さんきゅー! まあこれから甲子園なんだけどな!」  とか言いながらもまんざらじゃない顔をしてヤマは笑う。  この一年でヤマはちょっとだけ大きくなった。肩幅も広くなったし、大人の男って感じになった。かわいげのあった犬の顔から、精悍さが増した。元の素材はよかったから、イケメンと呼んで差し支えないと思う。  対して僕は、まあ、体重が増えたってことだけは確かだ。そろそろ本気で痩せたほうがいいんじゃないかな。  あれから僕らは魚を見ていない。じいちゃんもいなくなって、石をつける意味もなくなったから。大切なものとして大事に保管してあるけど、当分日の目を見ることはないだろう。    ホシゾラの残した子供たちも、全員飼い主を見つけることができた。そのうちの一匹がヤマの下に残り、アオゾラって名前を付けて可愛がっている。  澄み渡るような青空が広がって、明暗のコントラストがはっきりと描かれているのは夏の特徴だろう。涼し気な風鈴も、去年と変わらず僕を迎えてくれた。  テーブルの上には僕が買ってきたケーキが並んでいて、隣に座ったヤマが口を大きく開けて待っている。 「マジで言ってる?」 「あーんってしてくれよ」 「女子が見たら幻滅しそう……」 「お前の包容力が悪い」 「とか言いながら腹を揉むな。腹を」 「このまま成長したらやばいことになりそう」 「ふ、冬が終わればちょっとはやせるから」 「今が一番やせてなきゃいけない時期なんだよなぁ」  ぐうの音も出ないのでこの話題を打ち切ろう。僕はケーキを掬い取ると、犬の口に押し込んだ。  ヤマはおいしそうな顔で頬張っており、喜んでくれて安心した。この暑い空の下で自転車を頑張ってこいだかいがあったというものだ。 「甲子園も頑張ってね」 「もちろん。お前にいいところ見せないとな」 「このきざ野郎。でも、楽しみにしてる」 「任せとけって」  熱気がこもるのにもかかわらず、僕らは寄り添ったまま。  そしてケーキを食べ終わったヤマがまだ物欲しそうな顔をしている。そういうことならと僕は顔を近づけて、甘いキスを一つ。  口をつけたまま世界は停止して、セミや風鈴がはやし立てる夏の世界で互いを確かめ合った。  影が濃い季節だから、なんだか悪いことをしているような気になってしまうのはなんでなんだろう。とか、どうでもいいことを考える。  ああそうだ、ヤマの部屋にもうすぐクーラーが導入されることになったんだ。世間は温暖化の懸念を強めている昨今、さすがにそこは時代の波に乗ってほしい。  ……そうじゃないと、脱いだ僕がいつだって汗臭くなる。  世界は変わっていくし、夏は終わっていくけれど。この気持ちがあるかぎり、僕らはずっと一緒だ。  二人して畳に倒れながら、早くクーラーが来ないかな、なんて考える。きっとまた汗だくになってしまうんだろうからさ。  でもまあ、それもいいだろう。ヤマの匂いは嫌いじゃない。汗と蚊取り線香と太陽の匂いはいつだって僕を満たしてくれる。  ヤマを抱き寄せて、もっと深い口づけを。僕らの関係を示す、二人だけのつながりを作ろう。  ――――僕らの熱い夏はまだ終わりそうもない。

Comments

ありがとうございます!エロなし作品に全力投球したのは久しぶりですが、楽しんでもらえて本当に嬉しいです!

とりあえず

ナニコレ尊い まるで短編映画を観ているようで面白かったです!!


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