現実はいつだって理不尽だ。 俺にとって優しかったことは一度もない。 「ユウキ君、テメェは誰の恋人だ?」 落ちてくる声、限界までこじ開けられた内臓の奥にぶつかる亀頭の感触に意識が途切れそうになりながらも、俺は声に応える。 縺れそうになる舌。吐き出される言葉に男は満足したらしい、応える代わりに乱暴に前髪を掴み上げられ、そして唇を塞がれた。 阿賀松伊織に抱かれることは最早日常であり、当たり前のことで、周りの人間も俺が阿賀松に何されていようが文句言ってくることはなかった。哀れみの混じったような視線を時折向けられることもあれば、侮蔑の色を滲ませる者もいた。 その視線にすら最早慣れきっていた頃だった。 ――学生寮四階、ラウンジにて。 「え、あ、阿賀松先輩がいない……?」 「いないっつっても、二、三日のことらしいけどね。良かったじゃん、齋藤君。ようやくあいつに解放してもらえてさ」 「……あ、いや、その……」 「大丈夫、もうこの学園から出ていってる頃だろうから悪口言ってもバレないよ」 そう教えてくれたのは縁だった。 縁曰く、実家の関係で数日阿賀松は学園を離れてるということのようだ。 確かに言われてみればここ最近毎日押しかけてきたのに今日は大人しいなと思ったが、なるほど。そういうことだったのか。 「わ、悪口なんて……」 「悩みや相談あったら聞こうか?」 「だ、大丈夫です。……ありがとうございます」 ドサクサに紛れて腰に回される縁の手を引き離しながら、俺はその場を離れた。 ……それにしても、阿賀松がいないなんて。 それも確定して二、三日はゆっくりできると思えば今すぐ小躍りしたい気分になったが、相手は阿賀松だ。 本人がいないとしてもどこに盗聴器が付けられてるかは分からない。身の振り方には気をつけなければ。 まあ、阿賀松の陰口を言わなければ少なくとも文句言われることはないはずだ。 今夜はなにして過ごそうか、そんなことを考えながら俺は一先ず自室へと帰る。 自室には阿佐美がいた。ソファーにぐで、と横たわった阿佐美は俺が帰って来るなり慌てて起き上がる。 「ゆうき君、おかえりなさい」 「詩織、ただいま」 「……? なんだか機嫌よさそうだね、なにか良いことあった?」 まさかそんなに顔に出てしまっていたのか。 緩みそうになる頬に触れ、はっとした俺は慌てて誤魔化した。 「えと、……まあ、そんな感じかな」 縁が知ってるのならば詩織も阿賀松のことを知ってるだろうが、念の為だ。俺は笑って流せば、阿佐美は不審がるわけでもなくどこか嬉しそうにつられて微笑む。 「それはよかったね。あ、そうだ……ゆうき君、あっちゃんのこと聞いた?」 「え?」 「……数日いないみたいだから、その、気をつけてね」 阿賀松の名前が出てきて一瞬心臓が停まりかけたが、どうやら阿佐美は俺のことを心配してくれたようだ。 「だ、大丈夫だよ。先輩がいないからって調子に乗ったりとかは……」 「あの、そうじゃなくて……身の回りとか、その辺」 そこまで言われてハッとする。言われてみれば確かに阿賀松は敵がいそうな人間だ、阿賀松がいない隙を狙って一応恋人という役割である俺に報復してくる可能性も捨てきれない。 「そうだね、……気をつけるよ。ありがとう、詩織」 そう応えれば、阿佐美はうん、と頷いた。やはりまだ心配そうな顔ではある。 が、正直俺からしてみれば阿賀松より恐ろしいものはない、というのが本音だ。 俺は一度着替え、食事を取るために食堂へと向かうことにした。 ――学生寮、食堂。 普段ならば不自然なくらい俺の周りに誰も寄り付かないのだが、今日は皆気にせず周りに座ってくる。 というか、……他にも空いてる席はあるのに何故か俺の隣を固めてくる周りになんだか嫌なものを覚え、俺は早く食べ終えて席を離れようと決意する。 隣に座っていた何だか柄の悪そうなグループはこっちを時折見てはニヤニヤと笑ってた。上級生なのだろう、なんだか嫌な感じだ。 身振り手振りが大きくて、なんだかさっきからちょいちょい肩がぶつかるし、というか近いな。 せめて椅子を少し離そうと思ったとき。いきなりテーブルの下から太腿を撫でられ驚いた。 いや、寧ろ掴まれてると言った方が近いかもしれない。 「……っ!」 肩がぶつかるとは理由が違う。周りからは見えないように、グループのうちの一人の男は間違いなく俺の体に触れていた。 これって、痴漢……だよな。というか、こんな場所で? 周りにも普通に生徒はいて賑わってる中、あまりにも大胆すぎる行動に戸惑う暇もなかった。 「ぁ……っ、あの……」 必死に隣の席の男に声をかけようとするが、ガヤに掻き消されてしまう。その代わり何度も掌で擦るように太腿を擦られ、息を飲んだ。 「……っ、……」 腿と腿の間に差し込まれた指が股の奥へと伸びたとき、流石に驚いた。やめてください、と声を出そうとするが、大胆な動きで制服の上から股間を揉まれ、奥を布の上からぐりぐりと穿られる。 「……っ、ん、ぅ……っぁ、あの……」 もう駄目だ、逃げなければ。 慌てて手を振り払い、立ち上がろうと腰を浮かせたとき、そのまま椅子に押し付けるように股間を揉まれる。圧迫される下半身に驚き、思わず俺は男の腕にしがみついた。 「っ、ゃ、やめて……ください……っ、ん、ぅ……っ!」 しつこく絡みついてくる手に服越しに性器を弄られ、最悪なことに反応しそうになってるそこに気付いたのだろう。追い打ちをかけるようベルトを緩められ、下着の上から扱いてくる手に体が跳ね上がった。 まずい、駄目なのに。痛くされた方がまだずっとマシだ。 明らかにイカせようとしてるのが分かって血の気が引く。気付ば連中の周りにいた仲間たちもとっくに気付いてるのだろう、会話は止まり、全員の視線がこちらに向いていた。 「っ、ぅ、ふ……っ、ぅ、んん……っ!」 下着の中、ちゅくちゅくと音を立てて絡みついてくる水音は次第に大きくなる。 もしかしたら周りに聞こえてるのではないか。 そんな恐怖の中、気付けば左隣の席から伸びてきた手に足を開かれる。 勃起を強調するような格好のままテーブルの下いたずらに弄ばれ、あっという間に限界へと上り詰めた。 ぶるりと背筋が震え、俯いたまま顔を上げられなく俺を見て誰かが「かわい」と呟いた。それ以外の声も雑音も全て耳に入らなくて、手が離れたその一瞬を狙って俺は立ち上がる。乱れた下半身を隠すように裾を引っ張りながら、俺は逃げ出したのだ。 「……っ、はあ、……ふ……っ」 ――最悪だ。 阿佐美に注意されていたことを思い出す。 いくらなんでもまさかここで、こんな風に大胆な真似されるとは思ってなかっただけに体が震えた。 「……」 着替え、なきゃな。風呂も入りたい……。 ――男子便所個室。 自分の体液で濡れた下着を今すぐに脱ぎたかったが、部屋に戻るまでの我慢だ。 それよりも、中途半端に触られたせいで収まらない熱をどうにかする方が先決だ。……不本意ではあるが、半勃ちのこの気持ち悪い状態でアルいてるところを知人に見られたくなかった。 俺は無心で自己処理を済ませ、汚れたティッシュを水に流す。そして人がいないタイミングを見計らって手を洗っていたときだった。 顔を上げたとき、鏡に先程まではなかった人影が写り込んでいた。 「……っ?!」 「あ、ようやく気付いてくれた。よかった、このまま気付かれなかったらどうしようかと思ったんだ」 そう、鏡越しにこちらへと微笑みかけてくる青髪の男――縁方人。 壁に凭れかかっていた縁は立ち直し、「酷い顔だね」と心配そうに眉尻を下げた。 「あ、あの……いつから」 「君が手を洗うのに夢中になってるときからかな。どうしたの? 具合でも悪いの?」 「え、いや……そういうわけでは……」 「ならいいんだけど、心配だなぁ。……何かあった?」 もしかして食堂での出来事を目撃されていたのではないだろうか。 あまりにも馴れ馴れしく肩に触れてくる縁に驚き、「大丈夫です」と少しだけ早口になってしまう。 「そう?」と縁はあっさりと俺から手を離した。 「無理しちゃ駄目だよ。ただでさえ目をつけられてる君が弱ったところを見せちゃったら、悪い人たちに付け込まれちゃうからね」 「……」 「驚いた顔してるね」 「目を、つけられてるっていうのは……」 「邪魔な伊織がいないってことだよ、隙あらば君と仲良くしたいと思ってる子は結構いるからね」 「もちろん、俺も含めて」と冗談めいた口調で続ける縁だが、俺にとっては全く笑えない話だった。 「その顔……もしかして遅かったかな」 ふと、視線を合わせるようにこちらを覗き込んでくる縁。眼前まで迫るその鼻先に驚き、慌てて俺は縁の肩を掴んで押し退けた。 「忠告、ありがとうございます」 縁の視線に嫌なものを感じ、俺はそのまま逃げるようにその脇をすり抜けた。 トイレから出ていってもまだ背中には縁の視線を感じるようだ。 阿賀松の存在が抑止になっていたなんて認めたくはない。けれど、身を以て知らされたのだからどうしょうもない。 しかも、俺が注意をしてなんとかなる話なのか。さっきのなんて、不可抗力だった。 まだバクバクと煩い心臓を必死に落ち着かせ、なるべく人目を――特にグループを避けながら部屋へと戻る。 エレベーター前までやってきたとき、肩を掴まれてぎょっとした。 やめてください、と慌てて振り払おうとしたとき、背後に立ってるのがよく知った顔だと気付く。 「うおわ、びっくりした……」 「……と、十勝君? あ、ご、ごめん……」 「いや、こっちこそいきなり驚かせたよな。……って、驚かせようとしたのは事実なんだけど。……怒った?」 「怒ってないよ。……その、ちょっと……」 そこにいたのが十勝で良かったと安堵する反面、こんな状態の自分を見られたくなかったという気持ちがせめぎ合う。 うまく説明できずにそのまま押し黙れば、なにかを察したのかもしれない。少しだけ心配そうな顔をしたのも一瞬、十勝はそのまま手を伸ばしてエレベーターを呼んだ。 「佑樹、今帰り? 俺もなんだよね。……久し振りに俺の部屋来ねえ?」 「……え?」 「今日、亮太のやつもいねえから静かだぞ。なんならイタズラし放題」 気遣ってくれてるのだろうか。 十勝の呼んだエレベーターはすぐに着き、扉が開く。俺達はそれに乗り込んだ。 「……誘ってくれてありがとう、十勝君。けど、今日はちょっと……部屋で大人しくしてるよ」 「ま、それもありだな。また今度気が向いたときでいいから来たくなったらいつでも頼ってくれよな」 「うん、ありがとう」 それから他愛ない雑談を交えながら、気づけば俺の部屋まで着いてきた十勝は「んじゃな」と手を大きく振り、そのまま帰っていく。 ……もしかして俺を部屋まで送り届けてくれたのか。 話に答えるのでいっぱいいっぱいになってたので、その事に気づいたのは部屋に戻ってからだった。 それに、十勝のお陰で周りの視線も気にせずに済んだ。……また明日、ちゃんとお礼を言おう。 そんなことを思いながら俺は玄関を進んでいく。阿佐美はどこかへと出かけたらしい。 とにかく風呂に入りたかった俺はそのまま真っすぐに脱衣室へと向かった。 阿賀松が帰ってくるまで……あと二日か。 明日は何事もありませんように、と願うことしかできない自分が嫌になりながらも俺はシャワーを頭から被った。 【続く】