病院内。 見舞いにきてくれた阿佐美とともに外の空気でも吸うかと病室を出てラウンジに移動したときだ。誰かがラウンジへとやってくる。 この病室に患者など限られている。 「――裕斗先輩」 「よ、齋藤。詩織と遊んでたのか?」 遊ぶというか、離していただけだが。わざわざ否定するのも変な気がしたので「はい」とだけ頷く。左隣のベンチに腰をかけていた阿佐美は小さく笑った。 「裕斗君、調子はどう?」 「うん、まあまあだな。まだちょっと指先は動かし辛いが――ほら」 言いながら空いている右隣にどかりと腰を掛けてきた裕斗は俺の手を取る。ごく自然に、当たり前のように手を握ってくる裕斗にぎょっとする暇もなかった。 「手を繋ぐことだってできる」 「――ゆ」 「裕斗君」 「あ、悪い。いきなり触ったらビックリすんのか」 「普通はね。……ほら、ゆうき君が固まってるから」 見兼ねた阿佐美は俺の肩を掴み、裕斗から引き離した。 ……まだ指先に裕斗の手の感触が残ってるようだ。 目が合えば、裕斗は「今度からは先に言うよ」と笑った。本当に悪いと思っているのか分かりづらいが、多分思ってないだろう。 ――阿佐美にあの学園から連れ出され、連れてこられたのは裕斗も入院していたこの病院だ。テナントビルの一室にある、小さく、寂れた病院内。俺たちはなにかから逃げ隠れするようにこの病院に隔離されていた。 それでもずっとではない、期限はある。俺の怪我が治り、そして阿佐美との約束通りに整形手術を行う日まで――その日は思ったよりも長く、尚かつやることも制限された入院生活で娯楽と呼ばれるものはほぼ無に等しい。 それに、阿佐美も阿佐美で俺に出歩いてほしくないということで実質軟禁されているようなものだ。学園にいたときよりも流れる時間は穏やかだが、だからこそ余計『本当にこのままでいいのか』と不安になる日もあった。 どちらにせよ、体調が万全に戻るまでは下手に動けない。 待つしかないのだ。……裕斗とこうして出会えただけでも喜ぶべきなのだ。 そう言い聞かせながら俺はその日も裕斗たちと軽く話し、そして阿佐美に与えられた睡眠薬を服用し、部屋へと戻った。 肉体的に疲れないと眠気というものはやってこない。だから、阿佐美に頼んだのは俺だ。 それでもその睡眠薬の効きはどんどん悪くなっている気がした。 ベッドに横になったとき、誰かが病室に入ってくる気配がした。 「齋藤、寝てるのか?」 ――裕斗だ。 重くなる瞼を持ち上げることは億劫だった。はい、と寝返りを打とうとしたとき、頬に何かが触れる。……指だ。 「っ、ん、ゆうと……先輩……?」 「聞いたぞ。また強い薬貰ったんだってな」 「……ん、はい……寝付きが悪くて……」 「体質によっては効きにくい人間もいると聞く。……あんまそういうのに頼るのは良くないぞ」 どうやら先程裕斗の目の前で薬のやり取りをしたのが悪かったらしい。心配そうな顔した裕斗に頬を撫でられ、その少し乾いた指の心地よさに身動いだ。 ――怒られてる、ような気がする。 「先輩……っ、ん、ご、めんなさい……」 「そんなに眠れないのか?」 「はい。……寝ようとしてもずっと、考え事してしまって、それで……」 それで、と言葉を探す。薬が効いてきたのか、どろりと溶け始めた思考では次の言葉を見つけ出すことはできなかった。 「そういうときは俺を呼べ。……お前が眠たくなるまで羊でも数えてやる」 「さ、流石に……それは……」 「ん? 嫌か?」 「先輩に、迷惑かけるのは……」 それに裕斗だって患者なのだ。おまけにその怪我の重さも知ってる。 布団越し、優しくぽむぽむとお腹を撫でられるだけでじんわりと体が熱くなってきた。 「……っ、せ、先輩……」 「迷惑ならいくらでも掛けていい。お前に掛けられる迷惑なら寧ろ大歓迎だ」 覗き込んできた裕斗に頬に軽くキスをされ、こそばゆさと恥ずかしさに震える。ただの友愛のキスのはずなのに、火照っていた体に甘い感覚が広がっていくのだ。 「っ、先輩……」 「齋藤、俺が添い寝してやろうか」 「えっ」 「詩織からも添い寝は禁止されてなかったしな」 他の何かは禁止されたような言い方に引っかかったが、言うや否や「邪魔するぞ」とベッドに上がってくる裕斗に驚いた。 「ゆ、裕斗先輩……怪我が……っ!」 「多少は問題ねえよ。それより、ほら、さっさと寝ろ齋藤」 「わ、ぷ……っ!」 「よーしよし、子守唄は必要か?」 俺のことを犬かなにかと思ってるのだろうか。俺を抱き締める裕斗に、「いえ、大丈夫です」と慌てて俺は答えた。 「ん、そか。……じゃあ、お前が眠れるまでここにいてやる」 そう耳元で囁かれる声に、俺は余計眠れなくなる気がしてならなかったが、とうとう裕斗をベッドから追い出すことはできなかった。 「お、お願いします……」 恐る恐る裕斗の方に体を寄せれば、触れ合った裕斗の体がほんの少し反応する。それから、「ああ」と少し低い声で応える裕斗。 それから間もなくして強烈な眠気が襲いかかってくる。せっかく裕斗が来てくれたのに、なんて思いながら俺は意識を手放した。 それから、俺は睡眠薬を頼るのをなるべくやめた。その代わり、毎晩裕斗が俺の病室にやってくるようになった。ある日は俺の手を握ったまま色んな話をしてくれたり、ある日は二人でしりとりしたりして、また別の日は特に会話をせずにずっと頭を撫でたり抱き締めくれてた日もあった。 入眠までにどれだけ時間がかかろうが寧ろ裕斗といることで満たされていく。一人悪いことばかり考えて、時間が経過するにつれて伴う焦燥感に苦しめられることもなかった。 リラックス、していたのかもしれない。 「……齋藤?」 「裕斗先輩は……眠れてるんですか?」 「ああ、俺は元々ショートスリーパーだからな」 「ショートスリーパー……?」 「少しだけ寝れたら十分だってことだ」 「それって……」 無理してるのではないか、と思ったが、裕斗の顔に疲れや不眠といった様子は見えない。けれど、それでも裕斗のことだ。俺に気を遣ってるのかもしれない、とまじまじと見上げてると、裕斗は少しだけ笑って俺の唇に軽くキスをした。 「っ、ん、……っ?」 「……見過ぎだ、齋藤」 「す、みませ……」 「俺のこと、痩我慢してると思ってただろ」 「……はい、少しだけ」 「だと思ったよ」 怒られるかと思ったが、こちらをじっと見詰める裕斗の目は優しい。頬を撫でられ、そのまま軽く顔を持ち上げられたと思えば、額がくっつきそうなほど顔が近付いた。 「せ、先輩……」 「寧ろ、その逆だ。……お前が眠ってるのを見て、俺も安心する。眠るまでこうして触れたり話してる時間も、俺にとっては精神安定剤みたいなものだ」 「……っ、……」 すり、と鼻先が擦れる。落ちてきた前髪でできた目元の影、その下で二つの目はただじっとこちらを見詰めていた。トクトクと脈打つ心音はきっと裕斗にまで聞こえてるだろう。 先輩、と答える前に、再び唇を塞がれた。予感はしていた。だから拒むことも驚くこともなく、触れる唇を受け入れる。 入院着越し、裕斗の体温の熱さを感じて震えた。 お互いに歯止めが効かなくなるということは分かっていた。だからこそ裕斗はキスをしたあと、唇を離すのだ。そして俺の手を取り、自分の胸に押し付ける。Tシャツ越し、鍛えられた裕斗の胸筋越しに伝わってくる鼓動とその速さに驚いた。 「聞こえるか、齋藤。……これ、お前のせい」 「……っ、ゆ、うと先輩」 「我慢するのってこんなにキツイんだな。……早く、もっとお前に触れたい」 触れるだけならいつでもできる。その言葉の奥に隠されてる裕斗の真意はすぐに気付いた。スラックス越しに押し上げてくる裕斗の下半身に、その下の様子を想像しては息が止まりそうになった。 普段だったら気にしないだろう。それでもこんなに苦しそうにしてまで堪えてる裕斗を前に、俺は目を逸すことができなかった。 裕斗の怪我のことを考えれば、無理な運動はすべきではない。それでも、無理な運動でなければ大丈夫なのではないか。 そんな邪な思考が働いた。きっと、裕斗と出会わなけらばこんなことを考えることはなかっただろう。 「……先輩」 恐る恐る、俺は裕斗を見上げる。「ん?」と大きな手に耳を撫でられ、小さく息を飲んだ。 「その、お手伝いくらいなら、できると思います」 「お手伝いって……」 「“これ”の、……処理くらいなら」 布団の下。下腹部に当たる裕斗のものに触れれば、裕斗の眉は潜められる。 「齋藤。お前、言ってる意味分かってるのか?」 「わ、わかってます……俺も、裕斗先輩に無理してほしくないので……」 「だから、手と口だけなら」そう恐る恐るスラックスの上から膨らんだそこを撫でれば、裕斗の体が震えた。 「先輩は……その、嫌ですか。こんな薬品臭い体じゃ……」 「んなわけないだろ。……余計悪いことしてる気分になるけどな」 けど、それは実際に悪いことをしてることに違いない。俺達のきっかけもそうだった。お互い分かってて、承知の上俺と裕斗は一線を超えた。 ――いや、“越えさせた”のだ。 「先輩、俺を使ってください。……今なら、麻酔も効いてるので」 「少しくらいなら大丈夫です」と、入院着の紐を外せば、大きく胸元が開ける。 裕斗の視線が俺に向けられ、その喉仏が上下するのを見て口の中に唾液が滲んだ。 その日は、蒸し暑い夜だった。 【続く】