アイコン
Added 2019-06-24 08:08:33 +0000 UTCアイコン 「・・・アイコンが見える」 夏の朝日を浴びながら俺、木村仁徳はボソリと自分の部屋でつぶやいた。 手にしたスマートフォンの上、ちょうどカメラがあるあたりから緑色の円のようなものが浮いている。それはうっすらと光り、まるでゲームでよくあるキャラクターの真上に表示されるアイコンを思わせた。 「・・・なんだ・・・これ」 困惑しながらふと目を上げると 「・・・は?」 テレビ、パソコン、テーブル、終いには俺の借りているボロアパートの壁や天井にまでそれが表示されていた。色や形がそれぞれ違い、ゲージのようになっているものやステータスのように数字が細かに記されているものまである。 「い、いったい何だってんだ?」 倍増した目から入って来る情報に困惑しながらも、俺は事態を分析しようと記憶をめぐらした。かといって心あたるものは浮かんでこない。昨日はいつものように一時間ほど残業し、帰りにコンビニに寄って夕食を買った。帰路の途中で雨に降られ、折り畳み傘を持っていなかった俺は家に帰るころにはずぶ濡れのチワワのようにしんなりしていたので先にシャワーにすることにしたのだった。そのあとは買ってきた弁当をたいらげた後、一時間ほどネットサーフィンを楽しみ、ベッドに入った。それだけだ。 「特に・・・ないな」 余計に頭を抱えながらもだえていると ピコン 「! なんだ?」 聞いたことのないサウンドである。少なくともいつもセットしている時計のアラームではない。・・・と スマートホンの上に浮いていたアイコンから更に大量の情報があふれだしているのが見えた。 「ちょちょちょ これどうやったら止まるんだよ?」 まるでウイルスに感染してしまったパソコンの画面のように、円の上に名刺ほどの大きさのウィンドウが現れては消えていく。待つことおよそ十数秒後・・・。 ピコン 「・・・あ」 円の上に7:30の数字が大きく表示されていた。 「やっべ もう行かねぇと」 わけがわからないことが多すぎて今すぐにでも眼科か精神科に駆け込みたいとは思うのだが、俺の体は着替えと仕事用のバッグを手に取りリビングへ向かっていた。別に俺は怖い上司がいるわけでもブラックな会社に勤めているわけでもない。ただ、この時の俺は、自分に起きていることを直視しないように、事なかれ主義に乗っ取ろうとしていただけなのである。 「すー・・・・・・・・・・げぇ」 東京・新宿。そのど真ん中で俺は一人唸った。 大量の人と車。立ち並ぶビル。ひっきりなしに行き来する電車。その全てに朝見たようなアイコンが表示され、眩暈がするような情報を頭の中に叩き込んでくる。 サングラスをしてみようかと思ったが、おそらくこれは視覚ではなく脳内で処理されているのだろうということはなんとなくわかった。その証拠にガラスに映った背景にはアイコンは表示されず、ただガラスの上にアイコンが一つ鎮座するのみである。 つまりは実際に視覚から入った情報を脳に送る途中で、ガラスに映った背景にアイコンを表示しないという処理をしていることになる。サングラスで多少視界を暗くしたところで目から入ってくる情報の種類が変わらなければ意味が無いらしい。 「なんなんだろうなぁ・・・これ」 情報の海に溺れながらも、俺は不思議と不快感を感じてはいなかった。慣れたというよりは情報量が多すぎて反応しきれないのだ。 一生このままなのだろうか・・・後々重篤な副作用とかおこらないよな?などと別方向で心配をしながら職場へ歩を進める。見上げれば夏の晴天に雲が一つ浮かんでおり、その上にもアイコンが一つ表示されていた。その周りの文字列はおそらく、雲の進んでいる方向や速度がどうたらとか、含まれている水分の量が云々などといった情報だろう。 「まぁ・・・目を瞑って仕事するわけにもいかんしな」 ぼんやりと遠くの空を見上げながらとりあえず今日一日を乗り切ることを考える。半ば諦めの境地だ。 そして俺はすれ違った。 ここは通勤ラッシュ時の新宿。誰かとすれ違っていない状況の方が珍しい。 しかし俺は気が付かなかったのだ。その人の上に浮かぶアイコンが その場にいる全ての人間とは決定的に異なる色と形をしていることに。 駅からバスと歩きで二十分。都会の中心部からほんの少し外れた所にある特別養護老人ホームが俺の職場だ。もんもんと自分に起きた超常現象の事を考えながらロッカールームから出てくると 「おはようございます 木村さん」 静かだが明るくて元気な挨拶が飛んできた。 「あぁ 朝比奈さん。おはよう」 「今日も大きいですねー」 「朝比奈さんが小さいんだよ」 俺の胸の位置よりさらに下から見上げるように彼女、朝比奈優希が話しかけてくる。 彼女は俺の後輩で、彼女がこの職場に入社した時から俺は何かと世話を焼いてあげていた。もっとも、初めてできた後輩にいいところを見せてやろうと意気込んでいた結果なのだが。 ちなみに俺の身長は180cm弱。彼女はそれより30cm以上低く非常に小柄だった。何かと力仕事があるこの職業はきつくないかと何度か相談したことがあるが、彼女自身は非常に真面目に、そして献身的に働く良い子なのである。 「昨日は大丈夫でしたか?先輩の住んでる方大雨だったらしいですけど・・・」 先輩思いでもある理想の後輩朝比奈さんは俺の事まで気遣ってくれるのだ。 「あーうん、ちょっと濡れたけど別に・・・そんな大した雨じゃなかったし」 「そうですか・・・私の代わりに残業したせいで迷惑かけちゃったかと心配で・・・」 なんて良い子なんだと目頭を押さえながらなだめていると、ふと彼女の頭上に目が留まる。 さかさまになったオレンジ色の円錐。アイコンだ。 どうやら「人」にはこの形状のアイコンが割り振られているらしく、満員電車で見た人ごみはまるで収穫を待った麦畑のようにオレンジ色に埋め尽くされていた。 じっとアイコンに目を凝らすとさらにウィンドウが開き情報が文字列として表示されていく。 身長146cm、体重45.5kg、誕生日6月3日、二十二歳、髪型・ブロンドのボブカット、 「あの・・・先輩?」 撫で肩、趣味・読書とゲーム、好きなアイドルグループ・ブラシ、好きな人― そこで俺は目を閉じた。 別に彼女は俺の後輩であって恋愛対象として見ているわけではない。つまり好きな人が俺でなくても少しも悔しいと思うなどということはあり得ないのだが、これ以上後輩のプライベートを除くなどという行為は許されないと俺の良心がとがめたのだ。本当にそれだけである。 しかしこの職場に年の近い同僚は彼女しかおらず、周りの職員や入居者さんたちも 「お似合いじゃないか」 みたいな空気を作って来るので意識していないと言えばウソかもしれない。いやしかし・・・ 「あ、朝礼始まるみたいですね」 朝比奈さんが慌てたように踵を返し職員の部屋に駆けていく。 どういうわけか顔が少し高揚していたように見えたが気のせいだろうか。 しかし俺はここで一つ学びを得た。このアイコンは注視するとさらに多くの情報を吐き出すということである。便利ではあるがデメリットは無いのだろうか。今はただ乱雑に並ぶだけのアイコンを上手く使うことができたのなら俺の生活はどう変わるんだろう。朝礼の間も俺はぼんやりとそんなことを考えていた。 俺はその日、図らずも手に入れてしまったこの視界の使い方を理解しようと努めた。 コップに入ったミルクの残量。 洗濯物から蒸発していく水分。 手すりにかかる体重の増減。 車椅子の車輪の回転速度。 それらすべてが物の上に浮かぶアイコンを注視することで情報として入って来る。 正直、俺の仕事で役立ちそうなものは無いと言っていい。確かに情報は正確ではあるのだろう。しかし、詳しすぎるのだ。そんなことを知った所で別に何がどうこう変わるわけでもない。 「思ったより・・・使いにくいな」 唯一利便性を感じたのは「人」の上に表示されるオレンジ色のアイコンだ。注視すればその人の体温や脈拍、血圧まで知ることができる。万が一体調が急変するような入居者がいた場合、いち早くそれに気が付ける可能性はあった。医学を専攻したわけでもない俺は血圧の平均値もあやふやなため実際役に立つかは不明だったが。 「・・・ん?」 休憩時間に缶コーヒーでも飲もうと自販機の前に立つ俺は財布の中を見下ろして呟いた。 ぼんやりとアイコンが放つ光の強さが違うことに気が付いたのである。 「千円より一万円の方がやたら黄色く光ってるな」 そう、俺の財布の中の一万円札はまるで物のレア度を示すかのように煌々と光を放っているのである。 「これは・・・物の価値によって変わるってことか?」 一円玉も取り出してみたがアイコンはほとんど光っていない。五円、十円、五十円と貨幣の価値が上がっていくのに比例してアイコンはより黄色く、そして強く輝いている。今の俺が一等の宝くじなど見た日には目が潰れんるんじゃなかろうか。 「鏡には映らないから自分のアイコンは見れないんだよなぁ」 もし自分のアイコンを見ることができたのならどれくらいの価値で光っているのだろうかと若干気になったが、周りの職員や入居者を見てもそれほど違いは見受けられない。ただ、年配であるほど光が薄くなっているようだ。 「まぁ、そんな簡単に決められたりしたらたまったもんじゃないよな」 三十を目前にしてデイサービスの派遣社員、同年代から見ればある意味フリーターのような生活で今をしのいでいる俺にとってはその方がありがたいと心から思った。 その夜の帰り、昨日と同じようにコンビニで夕食を買い帰路を進んでいた俺は、自分に起きたことをぼんやりと頭の中で整理していた。 大分視覚から入る情報量にも慣れ、取捨選択までできるようなってきている。もしこの状態が残りの人生ずっと続くとしたらどうやって活かせるだろう。 目に入ってさえいれば、見た物の本当の情報を得ることができる。ただ、自分にそう見えているだけであって証明できるかは別問題だ。 「鑑定屋とかいいかなとか思ったけど、そういう知識俺にはないもんな」 どれだけ考えても、俺の頭は良いアイデアを吐き出すことは無かった。 人気のない細い街路。そういえば昨日はこの辺で雨に降られて・・・ 「・・・?」 一人の人がこちらを向いて道路の真ん中に立っている。俺の肩あたりまである背丈の、華奢な体躯をした少女である。夏だというのに黒いロングコートに身を包み、傍らには本人の腰の高さほどにもあるキャリーケースが置いてある。本能的に俺は歩を進めるのを躊躇してしまった。顔は街灯の明かりを真上から受けた陰で見ることができない。しかし、明らかにその眼はこちらを貫くように睨んでいた。 「・・・見つけた」 処女が口を開く。風が流れると同時に膝下まであろうかという少女の髪が揺れる。 「・・・は?」 少女が顔を上げ、顔の全貌が明らかになる。ケガでもしているのか、左目を包帯で覆っており、十代後半の幼げが残る表情がそこにあった。 「返してもう」 年下の少女とは思えない威圧感のようなものを感じ、俺は数歩後ずさった。 「昨日の今日で見つかったのは僥倖。あなたには申し訳ないけれどここで私に合ったことは忘れてもらうことになる」 少女がこちらに向かって歩き出す。背筋に悪寒のようなもの感じ俺はせめてもの抵抗として言葉をひねり出した。 「いやちょっと待て、何のことだ?」 俺は根源的な恐怖を感じていた。必死に今日の朝からの記憶を思いめぐらし必死に探す。 「あなたには関係ない」 「だよなァ!俺も心当たりねーもの!」 少女は止まらない。十数メートルあった距離はみるみる縮まっていく。なんとか制止しようと俺は矢継ぎ早に言葉を繰り出した。処女が何者かなんてもはやどうでもよかったのだ。 いない。 朝の人ごみの中にも 同僚も全部同じだったはずだ。 「お互い関係ないならさ、そもそもここで会ったことそのものをなかったことにしないか?」 額に脂汗を浮かばせながら無茶な提案をしてみる。その間も頭は必死に記憶の桶をかき回すように探していた。だが 「結果的にそういうことになる。あなたはここで起きたことを記憶できない。」 やはりいない。 「オーケー、忘れた。もう俺忘れたわ。」 全てオレンジ色だったはずだ。 「だから頼むからそれ以上」 それが「人」に割り当てられていたはずなのだ。 「近づかないでくれ!」 容姿や背格好、身につけている物に違和感は一切ない。 どこからどう見ても普通の少女である。 だからこそ俺は心の底から恐怖を感じていた。 ただ、恐らくこの地球上で俺だけがわかるのだ。 彼女は人間ではない。 息を切らしながら俺は彼女の頭上に浮かぶ 【黒い】アイコンを睨みつけた。 (学生時代に適当に書いた小説らしきもののプロローグ) (続きは気が向いたら)