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過去回想02-就職~フリーランス編

だらだら伸ばさず今回の掲載で過去回想は終わりになります。

駄目な話の方が多いかも知れません。

■20歳 パチンコの下請け制作会社へ就職

メインのキャラクターデザインをやらせてあげるよ、という

誘いもあって社員数十名ほどの小さめの下請け制作会社へと

就職することになります。

前も描きましたが母校の授業はさほど絵を描く役には立ちませんでしたが

就職支援はしっかりしていて8割超の人が就職できていました。

(広告系と印刷会社が多かったですが働きながらでも絵の勉強はできるので

就職をしっかりさせれるかどうかは専門学校としては重要かなと思ってます)

学校を卒業し4月より最初の社会人生活がスタート。

もらった最初の仕事は背景でした。

あれ!聞いてたのと違う!!

背景は得意というわけではなかったのでこの時点で焦ります。

なにより中小企業によくあることなのですが育成のための人材も居らず研修もありませんでした。

パチンコだからスクロールする背景が必要ということと

世界観など最低限の仕様を教えてもらい

そして放置。

そもそも自分はこの頃ペインターを主に使っていたのに

会社で使用していたのはphotoshopでした。

最初の日は何をどうすればいいのか分からず、岩をひとつだけ描いて帰ることに。

■最初の挫折

一応質問には先輩が答えてくれるのですが

研修的なものはないのでそもそも制作工程が不明です。

1ヶ月ほど経ち、ロクに進んでいない背景。

終わりはまったく見えず。

まったく役に立てていないと焦る自分、土日に休んで月曜日に出社するのが

どんどん憂鬱になってきました。

ある月曜日、電車から降りられずに会社の最寄り駅を乗り過ごしてしまいました。

あぁ、これで今日は会社に行かなくて済むとほっとした気持ちになりつつ、

どうしようか悩んでいた所で電車が橋を渡り川が目に入りました。

川を歩きたい。

やけっぱちというか「まじでこれからどうすればいいんだろう」

「会社にもう戻れない」「とにかくここに居たくない」

ともんもんとしながらそれから2日ほどあてもなく川沿いをふらふら歩いていました。

■マネージャーとばったり会う

電車を乗りすごして川を歩いた方向が海じゃなかったのは本当にラッキーでした。

川を歩きたいとは思ったけど海を見たいとか思わなくてよかった。

海に行ってたら僕の人生はここで終わってたかも知れません。

川上に向かって歩いてた所、そもそも電車のルートが川と近かったため

たまたま会社の近くの道へ進んでいました。

会社の近くまで来てしまったな…と思っていたらたまたま社外に出ていたマネージャーが目の前に立っているではないですか。

逃げられないと観念しました。

近くのヤクザ御用達らしいカフェでマネージャーと話し

『殺される…』と内心絶望してた所にマネージャーから

「これからどうする?やめるの続けるの?」と質問。

勝手に2日も休んだのだから相手は激怒していて、僕に会社を辞める以外の選択肢はないと思っていました。

ここで特に怒らず話を聞いてくれたマネージャーには感謝しています。

ただ、僕の翌年に入った新人もまったく同じように数ヶ月で失踪しその人は結局会社には戻ってこなかったのでやっぱり新人研修は必要だと思います。

■考え方の変化

ここで一度挫折して仕事に対するマインドに大きく変化がありました。

「完成」しないというのは「自分にとって」であって他者には関係ない。

与えられた時間内で自分ができる最高まで頑張って提出して

あとは「完成」か「完成じゃない」かは相手に委ねようと。

以後はいい方法ではないですが

残業・泊まり込み・休日出勤を厭わず仕事をしまくりました。

「自分でやれる限りのことをした!」と自分に対して納得させたかったからです。

時間はかかりましたが数ヶ月かけて与えられた背景の仕事をなんとか終えます。

その時出せるマックスのクオリティだったと自分に言い聞かせられる出来だったと思います。

しばらくは動画の編集やエフェクト作成など相変わらずキャラクターの仕事ではありませんでしたがソフトの使い方などは積極的に聞くようになり業務も円滑に進んできていました。

■アニメーションの仕事

半年ほど経ち、約束してたキャラクターデザインの仕事のプロジェクトが動き始めます。

「コンテとアニメーションの原画もお願い」

あれ!???聞いてたのと違う!!!!

もちろん僕はどちらの経験もありません。

学科もアニメーション専攻ではありません。

これまた研修などないので、今はなきFRASHというソフトを使ってみたりして何とかそれっぽいものをこさえます。

指示等の仕方は社内に一人だけいたアニメの原画をかける先輩に教えてもらいました。

前回の挫折で「完成しない」という考えは捨て去っていたので

とにかく失敗しようが何だろうが描いて覚えていくことにしました。

やればなんとかなるもので見様見真似で始めたアニメーション作業でしたが

1年もすると「自分はアニメーター」という自我が芽生え始めました。

仕事に没頭していてイラストレーターを目指していたことなど忘れていたし

考え方が更に変化して「自分を痛めつけさえすれば望んだ通りになれる」みたいな思考に突入していました。

弱かった自分は過去のもので今は自分を律することができる人間になったのだと自信に満ちあふれていました。

自分がアニメーターであると認識してくると徐々にパチンコ業界より元々好きだったアニメ業界へ目が向き始めます。

就職して1年半でアニメ業界へと転職することに決めます。

文字ばかりになってしまったのでここで転職の時期ごろに描いてた絵をいくつか載せておきます。



練習に作っていたGIF動画たち。easytoonを使ってました。


ラグナロクオンラインのキャラ


コミケ=2次創作漫画を発表する場だと勘違いしていて友達のアニメーターと一緒に出した人生初の同人誌。つけペンを初めて使ってみて2度と使わないと心に決めた。


当時の作業環境。仕事が完全にアニメ塗りになっていたので専門学校卒業以降は色塗りは停滞していて1ミリも上手くなりませんでした。

■アニメ業界へ転職

1社落ち、2社受かりおかげで希望の会社へ行くことができました。

それがGAINAXでした。

「フリクリ」「トップをねらえ2」などにずぶずぶにハマっていた若者だったので

合格通知を受け取った事は人生でもトップクラスで嬉しかった瞬間だと記憶しています。

原画でなく動画から入りたいと希望していたので年収は下がるし厳しい世界だと

いうのは重々釘をさされました。

ただ、関わったことを口外できないパチンコの仕事と違い世に名前も出せるのと、何より本場で自分の一番好きな会社に入れたというのが嬉しすぎて収入のことなど全く気になりませんでした。

今はどうだか知りませんが当時のアニメ会社では数ヶ月の研修や原画にあがるためには試験があるのが基本でした。

パチンコ会社の就職は思考の変化をもたらしましたが、アニメ会社での体験は今の自分の技術的基礎を築くことになります。

■動画研修

アニメーターとして会社にはいるとまず最初に「動画マン」というのになります。

「動画マン」は「原画マン」が描いたキーフレームを清書し、間のフレームを埋めていく作業をする人のことですね。

求められるのは「線をきれいに早く描く」これだけです。

なぞるだけなのではっきり言って絵を描く仕事でないのですが、これをすごく高いレベルで求められます。

研修中は原画を渡され上から紙を重ねて鉛筆でなぞりますが0.数ミリもずれるとやり直しです。

やり直しが多すぎて最初のうちは線を数枚分なぞるだけで1日が過ぎていました。

しかし海外にも大量に絵心のない動画マンが居ることを考えると、きれいな線を引くことは才能ではなく訓練で必ず習得できるものと断言できます。

動画の研修でも心が折れて辞める人は居ても線が汚くて辞める人は居ませんでした。

線画がふらつく、思った所に線が引けないという人はトレースでいいので

とにかく1ミリのずれもなく線を引く訓練を繰り返してみてください。

厳しい研修が続く中でどんどんと自信がなくなっていきます。

夜、家に帰る道端で歩いていると

「上手く描けないし、似ない、綺麗に線が引けない、遅い……」

そんなことを考えてたらふとそれらのイニシャルをとると

U(makukakenai)  N(inai)  K(ireinisengahikenai)  O(soi)

あぁ自分UNKOじゃん、と思ったのがきっかけで💩が自画像になり

それからもう15年くらい経ちます。

余談でした。

■動画マン開始

1ヶ月くらいだったでしょうか、自信消失動画研修を乗り越え使い物になる線が引けるようになりました。

ここからは実際のTV用の動画を描く仕事に就きます。

単価は1枚200円。

最初の日に描けたのは数枚。

大量のモブが動いてるシーンに至っては1枚しか描けず思わず家に帰ってからこの絵を描きました。


1日で稼いだのが緑茶パック1個とおにぎり1個分

原画の試験を受けるためには月300枚半年の間に3ヶ月達成しないとなりません。

昔は絵が単純だったので月500枚くらいいけたそうですが、ひとまず1人前の速度は300枚とされていました。

1枚200円なので1人前の動画マンで月給6万円~10万円ほどということになります。

最初の半年間は研修などもあるのでとても月300枚をコンスタントに描くことはできなませんでした。

しかし前述の「自分を痛めつければ望みが叶う」思考は健在だったので

それから半年以内に原画にあがるために絶対に月産300枚を切らないよう

会社に1週間泊まるようになっていました。

1週間の唯一の楽しみは日曜の夜に家に帰って

海外ドラマの「デスパレートな妻たち」を観ることのみ。

もちろん300枚いけるな、と思った時点で普通の出勤に切り替えるのですが

それでも月の半分くらいは会社に泊まっていたと思います。

この頃が人生で一番労働時間が長く5時間睡眠でやっていたので

長い時は一日15時間ほど働いていたと思います。

とにかく自分の望みを叶えるためなら全てを捨てようという感じになっていました。

ただ、これは逆説的に言えば私生活と仕事の両立ができないのを認めず

労働時間でごまかしていたに過ぎません。

土日に休むと会社に行きたくなくなるならそもそも土日に休まなければいい、そういう考え方です。

当時のやる気はすごかったと今でも思いますが、結局はそのうち壊れる日が来るので…

ちなみに会社に住んでる人も居たくらいなので泊まり込みは珍しくありませんでした。

床で寝るのに痛くないようにお風呂マットを引くといいと言う情報を聞いて

買ってる人も多かったですね。

■原画試験

予定どおりというか頑張り通りに1年で原画試験を受けることができました。

試験は原画マンに最も必要とされる「原図」と「レイアウト」の試験でした。

「原図」とは画面の設計図みたいなものです。構図というか。

この時点で空間が正しく描けないと、描いた動きごと全て修正する必要があるため

一番重要視されています。

「レイアウト」とは動きの設計図、またはラフのようなものです。

原図で決めた空間に合わせて何枚も動きをいれます。ラフ原画とも言いますね。

アニメは基本的に背景があり、カメラ越しの映像として描かれます。

なので漫画に比べて空間に嘘はつきづらいしパースも精度が求められます。

望遠や広角の使い分けも必須です。

僕が画角についてよく口にするのは、このアニメ特有の「カメラから見た視点」の考え方から来ています。

しかしそれまで広角だの望遠だのは建築のパースペグティブの本には

書いていなかったことなので理解ができません。

「空間の圧縮って何??望遠で真正面を撮ったらどうなるんだ??」

考えても分からなかったので父の持っていた一眼レフを借りて

ズームレンズでたくさん写真を撮るようになりました。

考えるより行うが易し。

画角の意味はよくわかっていませんでしたがたくさん写真を撮ってるうちに

被写体との距離感などが体に身に付いてきました。

望遠の絵を描いてる時に「この絵ではどのくらいの位置に自分が居てこう撮ってる」

というのが想像できる事が増えてきてそういった時は上手く描けていたと思います。

こんな構図が描きたいというのがあったら

ぜひ一度は自分で撮るか似た写真を探して見て下さい。

肝心の試験ですが

数時間内で実際にアニメに使われた絵コンテを元に

数カットの原図とラフ原画を描くという内容でした。

結果は 昇格せず

動画1年で試験を受けるのは早い方だったので

先輩も同時に試験を受けていて自分の原図もまだまだだったので

さすがに受からず…

悔しさをバネにもう半年動画を頑張り、次の原画試験でようやく原画マンになることができました。

1年半動画をやって月平均300枚として18×300=5400枚分の線を引いたことになります。

もっとやってる人もいますが線が綺麗になるには十分だったかなと思います。

また文章ばかりなので

当時の原画のマネごとや試験のための練習イラストなどアップしておきます。





身近な場所を描くのは練習に適してます。スケールの間違いとか違和感がわかりやすいし答えがすぐ近くにあるので。


時をかける少女で練習


見たアニメで好きなのはだいたい練習で描いてました。アニメーターになってからは絵柄を似せるのは苦じゃなくなりましたが自分の絵柄がないような思いもあります。


TV放送当時は原画に上がれなくて悔しかったので「俺だって描けるんだ!!!」という思いでらくがきを描いていた。

グレンラガンは劇場版をすこし原画をやった程度なので動画しかTV版に参加できなかたのはちょっと残念でした。

■原画マンになる

晴れて原画マンになりましたがここでもしばらくは研修として

師匠がつくことになりました。

これはどこの会社もあるわけじゃないですね。ガイナもたまたまこの時期はあったってだけな気がします。

いきなり仕事で使えない原画をあげると作監の人が大変なので

作監や演出に提出する前に師匠が修正をいれてフィードバックをくれていました。

前の会社では仕事を覚えるのに苦労したので人を育てるのに研修はやっぱりあるべきだな~と動画・原画を経て実感しました。

原画マンとは、演出やコンテマンが描いた絵コンテを元に

原図と動きのキーフレームを描いていくのが仕事になります。

絵コンテには大体の構図と演技の方向性など描いてあるだけですし

絵が描けない演出もいるのでどう動かすかは原画マン次第ということになります。

とはいえ使えない原画を描くと全部上から描き直されます。

原画はTVが4000円~、劇場が8000円~くらいが相場でした。

1人前で月30カットと言われるので原画の収入は12万円~くらいと言いたい所ですが

僕は月30カットやれた試しがないので原画の収入は月10万円程度だったと思います。

手が早いわけではなかったのですが何よりこりすぎるのがよくありませんでした。

原図も設定画かというくらい書き込んでいたり、少しでもかっこいいカットが描きたくて自分から大変なカットをやったりしていました。

周りはとても評価してくれていたし仕事もたくさんもらえましたが、これが落とし穴だったと思います。

アニメーターで潰れやすいのは中途半端に上手くて丁寧な人だといいます。

上手い人はどこも欲しがるので需要はありますがアニメの場合カットごとの単価はほぼ変動しません。

5日かかるカットなら本来5倍のお金をもらわないといけないですが5倍でるかというと出ないので手が早くない限りは月収が下がることになります。

初めてのフリーランス、WEBから依頼もくる、みんなが評価してくれる、結果を残したい、お金を少しでも欲しい、そうした思いが募って手が早いわけでもないのに仕事を自分の上限まで入れ初めてしまいます。

「自分を痛めつければ望みが叶う!」とすり込まれてる僕は常にフル回転で仕事を

していました。

それでも最初の1年はそれで回ってたんですね。

ただフル回転で仕事をするということはイレギュラーや不調があった時にリカバリーが一切効かないということに他なりません。

1年経ち自分の経験も増え、また、PC上で作画のラフを描くことで自分の実力以上のものが時間をかければ作れるようになってことで仕事量の上限を見誤ります。

原画にあがって1年半ほどでとうとう心が折れてしまいました。

元々僕が仕事に向かうときの原動力は「怒り」みたいなものです。

文句を言いながら、やりたくないことも、イライラも

その気持を原動力に全部仕事にぶつけて毎日舌打ちしながら仕事をこなしていっていたのでストレスで唐突に原画が描けなくなってしまいました。

そのタイミングが一番仕事を受けまくっていたので

当然スケジュールは崩壊。

今まで自分で何とかしてこれたという自負もあり誰にも相談できませんでした。

心が折れたことよりもここが一番悪かったと今なら思います。

■2度目の挫折

またも挫折した自分はまたも連絡をとらずに今度は家に引きこもります。

結局何日も連絡がとれないので制作さんがカットを回収に。

僕はしばらく家で引きこもってから何を考えてたのかよく覚えてないですが

ここではまだアニメーター自体を諦めるという決断はできなかったのでとりあえず

頭を丸めて会社に謝りに言ってフリーになることにすると伝えました。

それからはしばらくアニメの仕事は控えめにして

ちょこちょこと来ていたイラストの仕事をメインにやっていました。

戦国大戦とかバトスピですね。

この頃からカードイラストの依頼が増えていた時期でした。

迷惑をかけたくなかったのでアニメの仕事はたまに手伝う程度に自転車を買って今度はほうぼうを走り回って写真など撮っていました。

1年ほどはゆるゆると仕事をして徐々に精神状態が戻ってきたのでアニメの仕事を本格的に始めましたが……

■3度目の挫折

これは言い訳の仕様がなく、2度目とまったく同じ状態になってしまいました。

いえもっと悪いです。

大きい仕事のスケジュールがかち合ってしまい1本は終わらせることができましたが

もう一本はほぼ手つかず状態…こんな状態で連絡はできないと思い手をつけ始めるも

どう考えても終わらない上に人生で一番むずかしいカット。

結局また引きこもっていましたが完全にフリーランスになっていたのでそのまま連絡不能に…

その後に完成作は見てませんが1カットラフ原をあげただけで自分の名前がクレジットされていたのを見て死にたくなりました。

流石にこれだけ迷惑をかけてアニメーターはやっていけないと判断してそこでアニメーターの仕事は辞めてイラストのみに絞りました。

それ以降はカードイラストレーター→漫画家→ゲーム系のイラストレーター兼漫画家

といった感じで暮らしています。

あれ以来さすがにスケジュール管理は厳しくなり変更をお願いする場合はなるべく早く連絡をいれるようにしています。

■どうすればよかったのか

間に合わないとわかった時点ですぐに連絡できてれば

仲間を頼って手伝ってもらうなどできてれば

自分ができないことを認めていれば

ここまで多大な迷惑をかけて生きてこないで済んだだろうと思うので読んでる方は僕の恥部を反面教師として頂ければと思います。

大抵の末端の仕事は自分じゃなければ絶対に駄目な仕事などなくて

時間さえあれば他の誰かで代用できる仕事がほとんどなので…

そこで

クビを切るのか

スケジュールを伸ばすか

ヘルプを入れるのか

等々は先方が決めるべきことなのでとにもかくにも連絡が第一です。

それに気づいて実行するのに僕は5~6年もかかり色々な人達の信頼も失うこととなりました。

絵の技術的な話のはずが

最後は大分方向性が変わってしまいました…

ここから絵の話に戻れる気がしないので読後感が非常に悪いですがここでおしまいとさせていただきます。

文章は普段かかないので読みやすい文でもないし

結局なんだったのかよくわからない内容になってしまいましたが

今の自分の技術・考え方等は突如現れたわけではなく

こういったマイナスな経験からも成り立っているというのが伝わっていれば幸いです。

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