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オメガバースでいじめっ子×いじめられっ子3(その2)

 結局その日、屋敷は聡司に何も説明をすることはなかった。聡司はモヤモヤとしたものを心に抱えながら登校して授業を受け、昼休みになった。

 いつもならば一緒に昼食を摂るため屋敷に呼ばれるが、今日は声がかからない。彼とは朝に話したきり、登校時も休み時間も、一度も話すことはなかった。番の男にそんな態度を取られ、聡司の心はキリキリと痛む。口を聞いてもらえなくなってから数時間。たった数時間のことだ。しかしそれは、βならば全く気にならないことだったが、今の聡司にはひどく負担だった。

 Ωが番のαに見捨てられれば生きていけない。

 それが世間での共通の認識だ。経済的にもそうだし、実質的にもそうだ。頸を噛まれたΩは一生番以外のフェロモンを感じることがないうえ、番以外とのセックスに嫌悪を覚える。しかし発情期は関係なく訪れるので、αに捨てられたΩは一生地獄のような発情期を送るしかない。

 その不安に加え、聡司は自分の胸にポッカリと空いた寂しさのようなものを感じていた。

 聡司は屋敷が好きではない。しかし、好きだと言ってくれるその言葉の温かさをどうしようもなく必要としていた。


「……僕が……」


 もっと物分かり良く頷けば良かったのだろうか。そうすれば今日もまた昨日と変わらない一日を過ごせたのだろうか。

 しかし、結婚をするのに自分とも関係を続けるつもりらしい屋敷の認識にはついていけない。関係は自分が先だが、結婚をしてしまえば、こちらが浮気相手ということになってしまう。自分達はまだ十代だと言うのに、それを許容するような常識が金持ち界隈では罷り通るということなのだろうか。

 疑問と憤りが心の中に渦巻く。けれど聡司には屋敷しかいなかった。いくら納得できない状況でも受け入れるしかない。


「我慢するしか……」


 昼休みは始まったばかりだったが、屋敷の席へ目を向けると、彼は友人たちと連れ立って食堂へと向かうところだった。少しは気にしていたのか、こちらをチラリと見はしたものの、すぐに目を逸らしてしまう。それは聡司の心を酷く傷付けた。


「す、昴くんっ」


 居ても立ってもいられず、とうとう聡司は席を立ち、屋敷のほうへと走り寄った。友人の輪の中心にいた屋敷は聡司の声を聞き、ゆっくりと振り返る。無視をされなかった、ただそれだけのことで聡司の胸は喜びに打ち震えた。

 屋敷のことを名前で呼ぶことなど、クラスメイトの誰一人許されていない。親しさを強調しようと冗談めかして呼ぶものが現れても屋敷にやんわりと咎められ、バツが悪そうに名字呼びへと戻すのが常だった。それが番とは言え、Ωなどに名前を呼ばれても訂正せず、なに? と返事を返す屋敷に、彼の周囲を取り囲むクラスメイトたちは驚いた。


「あ、あのっ、僕……」

「俺に用事?」

「うんっ、……えっと、話、話したいことが、あって」


 正面から顔を見ることができず、聡司はうつむいてモジモジと組んだ自分の両手を見つめながら必死に言葉を紡ぐ。その様子に、朝から剣呑だった屋敷の周りの空気は和らいだ。気を遣い、原因が分からないながらも機嫌を損ねないように屋敷と接していたクラスメイト達は一様に胸を撫で下ろす。


「分かった。場所変えよう。……悪いな、昼、先行っといて」

「あ、ああ、俺らのことは気にしなくて良いから」


 屋敷が聡司の肩を抱いてそう言うと、クラスメイトの一人がそう言い、周囲の友人達も揃って頷いた。悪い、と屋敷はもう一度言ってそのまま聡司を連れ、教室を出る。屋敷は無言のままだったが、肩を掴んだままの手から温かさを感じた聡司は不安が少し薄れるのを感じていた。


 一階まで降り、人気の無い中庭の外れまで来て屋敷はようやく聡司の肩から手を離した。そしてゆっくりと口を開く。


「朝のことだろ? お前、まだ何か文句あんのかよ」


 クラスメイトたちの前ではしない口調で屋敷は言う。上から見下ろされ、聡司はビクリと肩を震わせたが、拳を握って何とか耐えた。たった数時間しか経験していないが、あの孤独や寂しさに比べれば、これくらいの威圧など何でもない、と自分を奮い立たせる。


「も、文句じゃなくて、その、あ、謝ろうと……」

「は?」

「か、勝手に出て行くなんて言って、ご、ごめんなさい」


 つっかえながらも言うべきことは言えた。結婚しても聡司を手放さないと宣言したことは理解出来ないが、考えに考えた末、了承も得ずに出ていくつもりだと言ってしまったのは自分が悪いと思ったのだ。Ωはαのものだという認識が上流階級にはある。その思い込みを覆されて屋敷は怒ったのかもしれない。聡司はそう考え、その点について屋敷に謝罪した。

 おずおずと屋敷を見上げると、彼は唖然とした表情で聡司を見下ろしていた。そして数秒の後、ハハッと笑い声を上げる。


「自分が悪いって思ったのかよ、聡司。……ハハッ。お前、ほんと良いよ。最高」


 そう言って屋敷は聡司を抱きしめた。


「俺も悪かったよ。説明が足りなかったよな」

「…………」

「俺から離れるって言われて頭に血が上った」


 軽く謝罪した屋敷に聡司は大層驚いた。αが、それもこの傲慢な屋敷がΩの聡司に謝るだなんて。

 屋敷の腕は聡司の背に回り、愛おしそうに撫でている。学校で抱きしめるなんて誰かに見られたら、と聡司の頭は拒否を示していたが、心は既に温かさに溶け、屋敷に許されたことを至上の喜びだと感じていた。


「お前は俺のもんだろ?」

「うん」

「一生離すつもりねぇけど良いよな?」

「う……」


 馬鹿にしたような半笑いで囁かれた問いかけに返事をしようとしたが、甘さに溶けきれなかった理性が聡司を止める。大学を卒業すれば結婚するという屋敷の言葉が耳に蘇る。それを聞いたのは今朝のことだったが、とても前の出来事のように感じた。

 Ωがαの結婚を阻止できるはずもない。

 Ωになって三ヶ月しか生きていない聡司でも、Ωの社会的な地位の低さを嫌と言うほど実感していた。番になってしまった今となっては、独身のΩよりも決定権は無い。αから与えられる経済力と引き換えに自己決定権を番のαへ明け渡す、というのがこの世間の常識だった。

 だから屋敷のような将来有望なαが番を幾人も持ったところで、珍しがられることはあっても批判されるようなことはない。αはαで優秀な子孫を出来るだけ多く残す義務があるからだ。


 聡司は意を決して屋敷の問いかけに答える。


「……う、うん、良いよ。ぼ、僕は二番目でも三番目でも、もっと下でも、す、昴くんの番だから」


 心を痛めながら告げた必死の誓いの言葉を、しかし屋敷は一笑にふした。


「何言ってんだよお前。自分のこと卑下しすぎだろ」

「で、でも」

「好きだって言ってんじゃん」


 屋敷は聡司の頬に手を添え、上を向かせた。聡司よりも二十センチ近く高い屋敷の顔を見上げるには首が痛くなる。

 見上げた屋敷は嬉しそうに笑っていた。その笑顔を見て、格好良いと聡司は素直に思う。αで、こんなに見た目が良くて、体格も優れている。そんな彼が結婚相手として聡司以外を選ぶなど当たり前だ。自分では到底屋敷とは釣り合わない。


「昴くん」


 呟いた唇は屋敷に塞がれた。

 いつものように薄く唇を開けると、当然のように屋敷の舌が入ってくる。これを拒んではいけない。聡司はおずおずと自分の舌をそれに絡め、優しく撫でた。すると屋敷の腕が聡司をきつく抱きしめ、奥深くまで舌を差し込まれる。咳き込みそうになるのを堪えながら、聡司は必死に屋敷の舌をねぶり続けた。


「…………っ」


 唇が離れると、垂れ落ちそうな唾液を聡司は右手の甲で拭う。そんな聡司の様子を屋敷は愛おしそうな目で見つめ、再び強く抱きしめた。聡司は屋敷の胸に頬を押しつけられる形になり、アッと戸惑いの声を上げる。


「俺ら、性格も体の相性も最高じゃん? だからずっと傍に置いてやるっつってんだよ。嬉しいだろ?」

「う……うん」

「なに? 不満?」

「ち、違うよ。で、でも……昴くんが、その、け、結婚したら、僕……僕は浮気相手、になるのかな、って」

「ハハハッ」


 倫理的な疑問を投げかけた聡司に対し、屋敷は思わず、と言った風に大きく笑った。意図しない番の様子に聡司は戸惑うが、彼に抱きしめられたままの姿勢では何もできない。

 屋敷は大人しく自分の胸に収まる番の髪を優しく撫でた。


「その辺も含めて相手を選んであるから、お前は心配すんな」

「心配なんて……」

「じゃあ嫉妬か? ハハ、お前、俺と結婚したいの?」


 話はおかしな方向へ転がり始める。

 聡司が屋敷と結婚したいはずがない。聡司は彼が好きではないからだ。しかし現実として聡司は屋敷と番になってしまい、離れられない関係になってしまった。

 番を解消出来たなら、迷わずそうしただろう。そうして、金輪際屋敷とは関わらない生活を選んだだろう。

 この学校にはαが大勢いるというのに、何故、よりにもよって彼と番になってしまったのか。あの日、初めて発情を迎えた日、付き添いなど頼んでしまったのだろう。あのとき選択を間違えなければ、もっと違う道があったはずなのに。


「ちが……」

「俺もお前と結婚してやりたいんだけどさ」


 もう一度軽くキスをされる。


「俺の家のこととか、まあ色々あんだよ」

「…………」

「でも俺が好きなのは聡司だからさ、そこは安心しとけ」


 屋敷の言葉は聡司に平穏をもたらさなかった。人気の無い中庭の外れで抱きしめられながら、聡司の心は重く、底のない沼にズブズブと沈んでいくような錯覚に陥っていた。


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