「渚、いっしょに帰ろー」 「麻衣ちゃん、ちょっと待って!私当番だから、黒板消していかないと」 「男子の当番に任せればよくない?今日は後藤でしょ?」 「あはは、渚真面目だもんね」 「ちょっと後藤、手伝いなさいよ~渚が困ってるんだから」 「ああ、園原、悪い。消しとくよ」 「いやいや、ありがと!助かるよ、後藤くん」 麻衣ちゃんに急かされて黒板を消し始めた後藤くんにお礼を言いつつ、私は汚れていた別の黒板消しをクリーナーにかける。白と黄色のチョークの粉が空気中に舞い、それを少し吸い込んでしまった私はけほけほと小さくむせた。 「それにしても、あと2週間で私たちも卒業かー」 「ほんと早すぎ、受験終わったんだからもう少しこのクラスで遊びたいよね~渚もそう思うでしょ?」 「あ、うん、えへへ…このクラス好きだから、もっと一緒にいたいね」 「もう、渚ったら可愛いな~!」 麻衣ちゃんが私のほっぺをぐに、ぐに、と手のひらで挟んで弄ぶ。少しひんやりとした柔らかな手の感触が気持ち良い。150cmの低身長である私の頭を、165cmという高身長の麻衣ちゃんの手がふわふわと優しく撫でる。いつものスキンシップだ。 受験に重きを置いた生活となった高校3年生だったが、私たち3-Dのクラスは雰囲気が良く、とても居心地の良い場所だった。親友の麻衣ちゃんに、いつもよく遊ぶグループの加羅ちゃん、恵奈ちゃん。女子は仲の良いグループの単位がいくつかあったけど、はっきりグループが分断されているわけでも無くて。グループの垣根を越えて、色んな子と仲良く話せる関係になれたのが嬉しかった。女子と男子の中も悪くなく、いつも軽口を叩いて女子から軽く怒られる村岡くんや、真面目で弄られがちな後藤くんをはじめとして、結構男子ともしゃべることができた記憶がある。 「渚はいい子だから、皆と仲良かったもんね」 「そんな、別にいい子とかじゃないけど…」 麻衣ちゃんのいつもの匂いに背後から包まれながら、やっぱりこのクラスがあと2週間で解散してしまうことがとっても寂しかった。まだ受験の結果はほとんどの子が分かっていないけど…同じ進路に進む子なんて、本当に限られている。麻衣ちゃんとだって、志望の段階で別の大学に進むことが決まっているのだ。 加羅ちゃんに弄られる後藤くんや、私の荷物を纏めてくれている優しい恵奈ちゃんの姿を見つめながら、私はこの1年の想い出を振り返り、ノスタルジックな気持ちになっていた。 寂しいような、でも寂しいこと自体が幸せなような、そんな甘酸っぱい気持ち。 ある意味平凡ともいえる私の高校生活の景色が一変したのは、その夜のことだった。 「…………へ?……私が、じょ、上位族……?」 夕食の後、お母さんから告げられた内容は、あまりに突然すぎて頭に入ってこなかった。 「そう。私も上位族の人間なのだけれど、私の子どもである渚も漏れなく、上位族なの。…お父さんは蒸発した、って今まで言っていたと思うけど…ごめんなさい。それは嘘。本当は、渚にお父さん自体最初からいないのよ」 「そ、そんな……え……?」 上位族、という言葉自体は知っていた。中学生の最初の方の授業で習う言葉だ。ほとんど同じ人間なのだが、体格が遥かに大きかったり、特別な力を持っていたりして、古来から人間に様々な影響を与えてきたと言われている存在。ただその存在はどこかふわふわと実感が無いもので、実際、人間側は上位族の存在を認知できたことは無い。この世のどこかには存在していて、しかしこちらから干渉することはできない、というオカルトチックなもの。しかし現実に、突然街の公園に巨大な足跡が残されていたりとか、突然学校の100人くらいの生徒がごっそり行方不明になってしまい、それが上位族の仕業だと言われているとか、そういった現象は起こっていて。 あまり現実感の無い天災、考えるだけ無駄な現象、というのが、私の上位族に対する曖昧なイメージだった。 「上位族は、人間でいうメスしか存在しないから…今まで黙っていてごめんね。渚が高校卒業するタイミングで言おうと思っていたから」 「じゃ、じゃあ…私はほんとは、もっと身体が大きいってこと?」 「そうよ。今は1/100の大きさに身体を縮めている状態。もちろん、お母さんもね」 「ひゃ、ひゃくぶんのいち…」 信じられないスケールを聞かされてアイデンティティが崩壊する。私は150cmの人間ではないの?100倍って、150メートル?そんな、怪獣みたいなスケールが、私の本当の身長…? 「そもそも、上位族ってなに…?今は普通に学校に通って、受験とかしてたけど…普通にこの世界で生きていく、ってだけの話?他の上位族の人たちも、実はこの社会の中にいっぱい紛れてるの?」 「ううん、今の渚の状況は特殊よ。…渚は高校を卒業したら、上位族の世界に戻らないといけない」 「え……」 上位族の世界。そんなものがあるということすら知らなかった。今まで、見えているこの世界が全てだと思っていたのに。 「実は、上位族にはある"決まり"があってね。…高校までは人間の世界に紛れこんで教育を受けさせるんだけど、卒業のタイミングで"人間の選別"をすることが許されているの」 聞きなれない単語が出てきて、全く頭が追い付かない。 「卒業の時点で5人の人間を選んで…その人間たちを、上位族の世界に持ち帰ることができるの。上位族1人につき5人。お金を払えばもっと持ち帰ることもできるんだけど、やりすぎるとこの世界から人間がいなくなっちゃうからね。基本的には5人までのルールなのよ」 「な、なに、持ち帰るって……この世界にいる、みんな、のことだよね…?」 「そう。持ち帰ったら労働力として使っても良いし、特に何もさせずにペットみたいに扱っても良い。…大体は、身の回りの色んな作業を行わせるための、まあ、使用人みたいな感じで使う人が多いかな。身体は小さいけれど、こまごまとした作業をやらせるのには便利なのよ」 犬とか猫のことを話しているかの内容が、まさか人間のことを指しているなんて、頭の処理が追い付かない。今まで接してきた世間の人が、友達が、自分と同じ立場では、ない。この世界は、本来私がいる場所ではない。 「そんな、こと、急に言われても……私は大学に行って、クラスのみんなとも時々遊んだりしたいし、麻衣ちゃんと……」 「渚は上位族の世界の大学に進学するのよ。…寂しいのは分かるけどね。これからその子たちを"選別"することになるんだから、気持ちを切り替えてね」 「え、どういう……」 「だから……」 お母さんは少し言葉を切り、続けた。 「高校3年生のときのクラスメートから、卒業時に5人を選んで持ち帰るルールなのよ」 ------- 「渚、おっはよー」 「ひゃんっ…!!お、おはよ……」 「どした、そんなにびっくりして…うわ、凄いクマじゃん?昨日寝れなかったの?」 「う、うん…深夜のドラマ見ちゃって…あはは……」 「もー、受験が終わったからって気が抜けてるな~」 「そ、そんなことないよ~…」 次の日、教室でいつものように話しかけてきた麻衣ちゃんに向かって、私は自然な笑顔を返せたか自身が無かった。今、すごく顔が引きつっているかもしれない。 "選別"。このクラスの皆の中から、5人を選んで、上位族の世界に持ち帰る。…持ち帰る、って…それは要するに、誘拐だ。たびたびニュースになっている、学生が集団で行方不明になる事件。明らかにそれは、上位族の選別によるものだったのだ。 皆、この世界でそれぞれの生活があって、家族がいて、未来があって…それを全て奪い取り、自分の身の回りの作業をこなさせる、いわば奴隷として、持ち帰るのだ。…そうとしか、聞こえなかった。明らかに人権を無視したルールなのに、しかしお母さんは特段それが普通だと言わんばかりの話し方で。 『わ、わたしそんなのいらないよ…!クラスの皆を持ち帰るなんて、そんな……一人も持ち帰らなければ、みんなはそのままこの世界で暮らせるんでしょ?』 『そういうわけではないのよ。渚のクラスメートは既に、"選別対象"に入ってしまってるから。渚が選ばなかった人間は、皆、上位族の公共機関預かりになって、重めの労働をずっとすることになるわ。…渚のクラスメートは、もうこの世界には残れないのよ。皆それを知らないけどね』 昨日、お母さんの話を聞いて、目の前が真っ暗になった。クラスのみんなはもう、上位族の世界に必ず連れ去られてしまう。それは上位族の世界のルールとして決まってしまったことで、私にはどうすることも出来ないと。 『逆に言うと、渚が選んだ5人の子は渚の自由に出来るんだから、情が移っている子がいたら、選んであげた方が良いわよ。麻衣ちゃんとか、仲良かったでしょ?』 そんな、選んであげる、なんて、そういう話じゃない。勝手にこの世界から切り離されてしまうという時点で、そんなひどい話…。 でも、私が選ばなかったら、どこかよく分からない公共施設で管理されて、無数にある労働力として雑に扱われる、と。そんなこと、私がさせない。私が選んだ人間は、少なくとも私の自由に管理することができて…。でも、それは5人までと決まっている。皆を救えるわけではない。いや、そもそも、私に選ばれたからといって救いになんて…強引に連れ去られていることには変わりがないのだ。 「…なにぼーっとしてんの?」 「うわっ…!?い、いや…何でも、ないよ……」 「朝からおかしくない?…顔色も悪そうだし、保健室行った方がいいよ」 心から心配した表情で、私の髪をさわさわと撫でる麻衣ちゃん。その優しさに、今は涙が出そうだった。泣きそうになった顔を隠しながら、取り繕う。 「ううん!ほんとに寝不足なだけだから…ありがと、麻衣ちゃん」 「そっか、それならいいんだけどね」 ギャルっぽく短く折ったスカートをひらひらさせながら去っていく麻衣ちゃんの後ろ姿を、複雑な気持ちで見送る。 麻衣ちゃんは絶対として、あと4人。加羅ちゃん、恵奈ちゃん…男子も、私とよく話してくれた後藤くんとか、…でも、それ以外の人は…。 (っ…!!わたし、何を、選んで……) 頭の中で"選び"始めている自分に気づき、猛烈な自己嫌悪が襲いかかる。いや、私は、できるだけ皆を救いたくて…。でもそれは、救えない人を選んでいるという行為にもつながっていて。自分が考えていることが既に人権を蔑ろにしていると思えてしまい、あまりにも後ろめたい気持ちになってくる。 "選別"。お母さんは、身の回りの作業をさせるのだから、頭が良くて、身体はある程度丈夫な方が良いと言っていた。愛でるだけの目的の人もたまにいて、その場合はただの好みで選ぶこともあって。他には、元々自分に好意を抱いている異性は面倒だから選ばない方が良いとか、自分を虐めていた人間を報復のために選ぶ場合もあるがそれはもったいないとか…。 そんな選別の"軸"を、大好きなクラスのみんなに対して、適用したくなかった。そんな目で評価したくない。出来るわけがない。でも、適当に選ぶことなんて、それも絶対に出来ない。みんなの人生がかかっていることなのに、ちゃんと考えないのは最低だ。 「私、どうすればいいの……」 席に突っ伏したまま、私は泣きそうになりながら、呟いた。 ------ そして、その日はやってきた。 「明日の卒業式の後だけどね」 「うん……」 夕食後、またお母さんが私に説明をする。それは、選別の進め方のルールについてだった。 「適当に選んでしまうのは良くないから、上位族の国自体が、選別のルールを決めているの。…明日、まずクラスメートの子たちを上位族の世界に転送するから、渚も上位族の世界に行って、元の姿で皆に会ってもらうわよ」 「え、元の姿って……」 「1/100サイズになっている今の身体を、元の大きさに戻すってこと」 「う………」 それは、想像するだけで恥ずかしく、嫌なことだった。元の身体の大きさがそうだとは言え、100倍になった姿をクラスのみんなに見られるだなんて。年頃の女子校生は、自分の大きい身体をクラスメートに見られるのなんて…おっきいのって恥ずかしいし、可愛くないし…。 「元のサイズの渚と会って、どう振る舞うかとか、どれくらい従順だとか、怖がり過ぎないかとか、そういう所を観察するのよ」 「そ、そんなの…」 「渚とクラスの子で、小さな部屋に入ってもらうわ。そこで何日間か生活して…どの子が持っていくのにふさわしいのか、ちゃんと観察してね。渚が選別してるってことは言っちゃだめよ?クラスの子の素の反応が見れなくなるからね。自分も一緒に部屋に閉じ込められた、ってことにして、皆がどういう行動を取るか、しっかり見極めるのよ」 「見極めるだなんて、やだよ…そんなひどいこと出来ないし…」 「大変なのは分かるけど、上位族のルールだからね。ちゃんとやらないと国の人から怒られちゃうから、本気で真面目に取り組まなきゃダメよ?まじめにやらないと、クラスの子たちも可哀そうでしょ?」 「う……それは……」 どうしようも無いジレンマの中、確かに、クラスの皆に対して適当な"選別"を行うことこそが一番良くない気がして。少なくとも、ちゃんと考えたうえで、5人を選ばなくちゃダメだ。今私にできることは、それだけなのだから。 ぐるぐる思考が渦巻く中、無理やり自分を納得させて。 私は卒業の日を迎えたのだった。 ------ 「………ここは……」 少しだけ、意識を失ってたみたいだった。 いや、さっきまでのことはハッキリと覚えている。卒業式は無事終了して、クラスのみんな、特に女子はわんわん泣いていて。麻衣ちゃんも珍しく涙目になっていて、そんな中、私は複雑な心境で泣くことすら出来なかった。 そして家に帰ると、見ず知らずの、上位族の役員みたいな人が家でお母さんと一緒にいて。 『今から渚さんを、上位族の世界へ転送します。ルールにのっとって、小さな部屋の中に転送するので、そのつもりでいて下さい。渚さんが転送後に目が覚める頃には、"選別対象"の人間たちも転送が完了しているはずです。その後は、上手くコミュニケーションを取りながら、どの5人を選ぶか考えてください』 『3日以内に決めてくださいね。…ちなみに、夜になったら小さな部屋の外に出ることができるので、身体を伸ばしたりしてください。転送した人間たちは夜になったら強制的に眠りにつくように"書き換えて"いるので、気にせず休憩して大丈夫ですよ』 …色々なことを言われたけど、もう頭がパンクしそうだった。突然、自分の認識していた世界の構造が違っていたことが分かって、2週間後には別の世界へ転送されて…。さらに色んなルールを詰め込まれて、もう脳の処理は限界を超えていた。 …ふと、目が覚めた自分が、制服のまま女の子座りで床に座っていることに気づき、ふと目線を床の方にやると。 「ひゃっ……!!」 そこには。2cmにも満たない、小さな小さな人間たちが、床の上で横になって眠っていたのだった。その数、30人は超えている。いや、その数ははっきり知っている。33人。私を抜いた、3-Dのクラスメートの人数。みんなが小さくなって、いや、そのままの大きさで、私の足元でバタバタと横になっているのだ。 「み、みんな…」 信じられない光景だった。この、1~2センチほどの大きさの人間が、今まで私が接していたクラスメートの皆だなんて。人形のような大きさの生き物が、これから目が覚めて動き出すなんて。私より背が高かった男子も女子も、いまや紺色の靴下で女の子座りをしている私の親指よりも、小さいのだ。身体が小さくて、皆の顔を見上げることが多かった私が、この空間では一番背が高い。それも、絶望的なほどに。 「て、ていうか…この部屋、ちっちゃすぎ……」 今自分が閉じ込められている部屋は、部屋というにはあまりに小さくて、せいぜい一辺が1メートルくらいしかない。脚を伸ばして座ることなんて当然出来なくて、女の子座りをしている今の体勢で、既に空間の半分をやや超えるくらい、占領してしまっている。こんな距離感だなんて、聞いてない…。こんなにもおっきな身体を、今からクラスのみんなに見られるの…? (……っっ…っっ……) 微かに。耳に、人間の話し声が届いた。外から何の音も届かないこの空間では、少しの音であっても割とはっきり耳に届く。音のした足元を見ると、そこでは。 倒れていた33人のクラスメートたちが、続々と目を覚まして起き上がっていた。 「え……なに……ここ……?」 「頭痛い…私、家にいたんだけど…」 「え、クラスのみんないない?どうなってるの?」 「そういう企画?ドッキリ?」 「いや、何か気持ち悪いんだけど…誘拐とか…?」 「怖いこと言わないでよ!」 次々に話し始めた、2cmサイズのクラスメートの声は、存外良く耳に届いた。聞きなれているはずのみんなの声は、しかしありえないくらいか細かった。それは同じ人の声だとは思えなくて、まるでペットや玩具に意思が宿って喋り始めたかのような。ちっちゃくて高い、可愛らしい声々。 「これなに…?大きい壁みたいなの」 「なんかこの部屋暑くない?」 (え…私、気づかれてないの…?) お人形サイズのクラスメート達は、そのすぐ傍で女の子座りをしている私の存在に、まだ気づいていなかった。制服のスカートから覗いている私の膝小僧は、しっかりとみんなの前に投げ出されている。それが視界に入っているはずなのに、それが人間の物だとは認識されてない。 (そっか、そうだよね) 2cmにも満たないみんなからすれば、横倒しになった私の膝の高さはその4、5倍くらいはある。そんな巨大なものが、人間の膝であるなんてすぐに認識できるはずもない。肌色の大きな壁にしか見えないだろう。 そんな巨大な物体が急に動いたら、絶対にみんなをびっくりさせてしまう。だって、この膝を少し持ち上げて動かしたら…もしその下に誰かがいたら、きっと怪我をするだけでは済まないだろう。 自分の脚が凶器のように感じ、とても怖く、そして恥ずかしくなってくる。 (で、できるだけ怖がらせないように…) 私は心臓をドキドキさせながら、軽く息を吸い込む。そして、なるべく大きな声にならないように、小声で、ちょうどみんなに聞こえる程度の音量で。 「「み、みんな…私、ここにいるよ」」 そう、発声した瞬間。 「きゃあっ!!?」 「な、なに…!?」 「耳が痛いっ…!!」 「…っ!!み、みんな、あれっ!!上っ!!」 「ひゃあっっ!!に、人間なの…??」 「え、あれって……」 蜂の巣をつついたように騒ぎ出す、2cmサイズのクラスメートたち。細心の注意を払って小声で話しかけたつもりだったのに、みんなにとっては空間にとどろく大声になってしまったようで。驚いて悲鳴を上げる子、しりもちをついちゃう子、動揺して友達の影に隠れてしまう子。 私がちょっと小声を出しただけで、なんという反応なのだろうか。 「な、渚……?」 そんな中。私の名前を呼びながら、上空に向かって、私の顔を見上げてくれる子が一人。小さな声、小さな身体であっても、それが私の大好きな友達であることはすぐに分かった。 「「そ、そうだよ、麻衣ちゃん」」 「ぐっ……!…ど、どうしちゃったの、渚…?」 明らかに私の声の大きさにびっくりしてるけど、たぶん私に気を遣って平気な振りをしながら、聞き返してくる麻衣ちゃん。私の指の長さにも満たないその子が、この前までずっと見上げていたあの麻衣ちゃんであることが信じられなかった。 「「わ、わかんない……目が覚めたら、こんなになってて……」」 とてつもない罪悪感と共に、私は嘘をつく。いや、まるっきり嘘ではないのだけれど。私だってよく分からない。この前まで自分がみんなと同じ人間だと思っていたのに、いきなり上位族であることを知らされて。何故こんなことになっているのか、私だって付いていけていない。 「なにそれ…渚がおっきくなったってこと…?」 「いや、私たちが小さくなったんじゃ…」 「やだ、よく分かんない…帰りたい……」 「ちょっと、渚は何か知らないの?先に目が覚めてたんでしょ?」 再び火が付いたように騒ぎが大きくなる。人が大きくなる、または小さくなるという超常的な現実に付いていけず、混乱するクラスメートたち。小さな、しかし大量の声がキーキーと発せられ、少し高い所にある私の耳に集合体となって届いてくる。その中には当然、男子たちの声も混ざっていて、 「おい、なんとかできないのか…?」 「藤川、何か知ってるなら教えろよ!」 「「え……」」 私の苗字を呼び、詰め寄ろうとしてくる男子たち。混乱しているのか、怖がっている女子たちを安心させようという使命感なのか。多分、その両方だ。何か情報を持っているのは明らかに一人だけ状況が違う私なのだと決めつけ、問いただそうとしてくる。 そんなの、私だって、最近で知らなかったのに…。 「…なんで黙ってるんだよ」 「本当は何か知ってるんじゃ…」 「「し、知らないよっ…!」」 思っていたよりも、大きめの声が出てしまった。と、気づいたときには、 「きゃっ………」 「っ…………」 私の脚元で、小さなクラスメートたちは耳を塞ぎ、女子たちは身体を震わせていた。詰め寄ってきていた男子たちも、口をつぐんで後ずさってしまっている。 (え…そんなに……?) 従来、私よりも体格が大きいはずの男子たちが、あれだけ強めの口調で問いただしてきてたのに。少し私が大きい声を出しただけで、全員が黙り込んでしまった。そんなにも、私の声は巨大に聞こえるのだろうか。ただ、それだけで…? 「「あ、いや……ごめん……私も、何も分からなくて……」」 気を遣って、囁くような声で再度、脚元に向かって話しかける。しかし、鎮まった空気はすぐには戻らなくて。女子も男子も、上空から囁く私の顔を見上げながら、何も言い出せず固まってしまっている。 そんなに、怖かったのかな。 私、普通に会話したいだけなのに…。 「ごめん、渚!」 そんな空気の中、麻衣ちゃんが話しかけてきてくれた。 「…渚も私たちと一緒なんだよね。ほら、男子たちも、動揺してるからって一方的に詰めよっちゃダメでしょ」 腰に手を当てながら、良く通る声でクラスメート全体に向かってハキハキと話しかける姿は、この1年間よく見てきた光景そのままだった。責任感が強くて、優しくて、ちっちゃい私をいつも気にかけてくれる、背が高い頼もしい親友。 2cm以下のサイズになっても、私が大好きな親友の姿はそこにあった。 「そ、そうだな…ごめん、藤川」 「みんな、誰かに連れ去られたってことなのかな」 「全員で考えよっか」 人望のある麻衣ちゃんの呼びかけによって、クラスメートたちの雰囲気はがらりと変わり。私を問いただそうとする空気はとうに消え、全員で解決策を考えようとする方向に向かっていた。 「「あ、ありがとう…麻衣ちゃん」」 「渚、一人だけ大きくなって不安だよね。大丈夫だよ」 さすが、麻衣ちゃんだな。そう思うと同時に、本当は何も知らないわけではない自分に、とてつもなく罪悪感を覚えてしまう。被害者のような顔をしてしまったけど、私は全部知っているのだ。それどころか、このクラスメートたちを私は"選別"しなければいけない。自分の意思がどうであれ、そういう立場なのだ。嘘をついて、みんなと同じ時間を過ごして、勝手に選ばなければいけない。 「どうなっても、渚は親友だからね」 麻衣ちゃんは、床に置かれていた私の手の人差し指に向かって歩いていくと。いつもちっちゃい私の頭を撫で撫でしてくれていたのと同じように、撫で、撫でと。巨大な私の指を、小さな小さな手でさすってくれた。 (あ………) なんて、微かな感触なのだろう。面ではなく点でしか感触を確かめられないほど、か細い麻衣ちゃんの手。何せ、今の麻衣ちゃんは私の人差し指の長さにも満たないほどちっちゃい存在なのだ。全身で抱き着いて初めて、ある程度の感触が得られるだろう。 不意に指を動かさないように集中し、やや緊張する。 これが、普通の人間と上位族との体格差。一時的に体格差が生まれているわけではなく、本来、私と麻衣ちゃんの間にはこの圧倒的な体格差があったのだ。それに私も麻衣ちゃんも気づかず、10センチ以上の身長差があった私たちは、その身長差に見合うような関係性を気づいてきた。気が強くてハキハキしている麻衣ちゃんは、ちっこくて最初は遠慮がちだった私に話しかけてきてくれて、手を引いてくれて、時には子供どもみたいになでなでしてくれて。子ども扱いされるのは恥ずかしいけど、決して嫌ではなくて。 そんな私たちの関係が、私の心の中で崩れかけようとしている。 ただ、圧倒的な体格差があるというだけで。 だって。あの頼もしかった麻衣ちゃんは、今や私が指を少し動かしただけで怪我してしまうような、そんな弱い存在になっているのだから。 「「…………」」 愛おしい。可愛らしい。初めて親友にそんな感情を抱いた。人差し指に触れてきている麻衣ちゃんの背中に、私は中指の腹を優しく密着させる。 「ひゃんっ……」 小さな悲鳴が麻衣ちゃんから漏れたのが聞こえた。そっか、怖いよね。ちっこい私のただの指なのに、それが自分の身体よりも遥かに大きいんだから。…やんわり温かな小人の背中。それが少し震えていて、指先に伝わってくる。本当に小動物みたいだ。このまま指で挟んで、全身よしよししてあげたい。そんなことをしたら危険だからやらないけど…。 ただ、とりあえず。麻衣ちゃんのおかげで、クラスメートのみんなの私に対する態度は、今まで同じクラスで暮らしてきたときと変わらないものに戻ったのだった。 そして。 「みんなスマホ、持ってないの?」 「ポケットに入れてたけど…無くなってるよ」 「うそ…連絡取れないじゃん」 「ほんとに誰かに監禁されてるの…?」 「この部屋、出入口とかないのか」 何もない密室に連れ込まれたクラスメートたちは、今の状況を整理したり、部屋から出る方法を探したり。口々に話し合っては、しかし連絡手段も出入口も存在しないこの空間で活路を見出せるはずも無く。 そのうち口数も少なくなっていき、座り込んでぼーっとし始める子や、落ち着かず歩き回っている子、固い床に寝そべって寝ようとする子もいれば、体育座りで塞ぎこんでしまう子もいて。 「「…………」」 みんなの力でこの密室から脱出する手段は無いことを、私は知っている。私が"選別"しないと、この時間は終わらない。私が躊躇すればするほど、みんなを無意味にこの空間に閉じ込めてしまうことになる。…みんなが元の世界に戻れることはもう無いんだけれど…それでも、私が責任を持って、ちゃんとした理由を持って選んであげることが、クラスのみんなへの敬意であるように思った。 (…大きな身体を怖がりすぎないこと。ただ、全く怖がらないのもNG。適度に上位族の大きさを怖がる人間の方が、従順で良い働きをしてくれるから) 母親に教えられた、選別の基準。それをちゃんと試して見定めないと。そう思った。 見れば、クラスメートのほとんどが眠そうに瞼をこすったり、既に床に転がっていたりしている。それも仕方がない。卒業式が終わってから夕方くらいの時間に上位族の世界に連れてこられ、そこからもう5,6時間は経っているのだ。1日の疲労と、床に直接座り込むしかないこの状況で、みんな限界を迎えていた。その状況でこの固い床に寝転ぶのはかなりしんどいだろう。 そんな姿を見て。私は唾を飲み込み、息を吸い込む。出来るだけ自然なように、皆を怖がらせない小さな優しい声で。 「「みんな……」」 発声した瞬間、みんなが一斉に私の顔の方を見上げる。小声でもこの空間に響き渡る私の声は、全員の注目を瞬時に集めるのに十分だった。元の世界では経験しなかった状況に、少しだけうろたえる。 そして。 「「…床、固いと思うから、良かったら……私の膝の上、乗ってもいいよ」」 私は、1年間学校生活を共にしたクラスメートたちに、そんな提案をした。 ---続く---
konan
2024-10-26 13:14:05 +0000 UTCkonan
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