こんにちは、Apricot4です。
あけましておめでとうございます!
突然ですが皆さん、スパンキングはお好きですか?
私はお好きです。
知らない方のために説明すると、スパンキングとはお尻を叩く行為……いわば、お尻ペンペンです。
昔のクレヨンしんちゃんでよく登場していた、あれですね。
その場面だけで1000回は読みました。いや、10000回かも。
あの交差した斜線が、もう網膜に焼き付いています。
体感ここ数年で一気に知名度が上がった(※pixiv調べ)スパンキングですが、
私はまだまだこの癖について語り足りません。
皆さん、ご存知でしょうか。
スパンキングとは、罪業と寛恕なのです。
何を言っているんだ、と思われたかもしれませんが少しだけ聞いてください。
スパンキング、お尻叩き……その歴史は非常に長いです。
よく引き合いに出されるのは、紀元前18世紀頃のハンムラビ法典に記された鞭打ち。
この罰で打たれる部位はお尻に限りませんが、この時代にはすでに「罰として身体を打つ」という概念が存在していました。
また、古代エジプトの壁画にも、棒で尻を打たれる場面が遺されています。
古代ギリシャやローマでも同様で、
・少年教育
・奴隷の管理
・軍規
このあたりでは、尻を打つことは日常的で、特別な行為ではありませんでした。
……と、ここまで読むと、
「ただの歴史の授業じゃねえか」「エロはどこだ」「早く肉棒でも描け、この腐れケモナー」
と思われた方もいるかもしれません。落ち着いてください。本題はここからです。
現代において、性的な意味合いを多分に含むスパンキングは、
実はかなり後世になってから“変質”したものなのです。
中世末〜近代にかけて、
「恥」「支配」「痛み」「快感」が結びつき、
ようやく“嗜好”として言語化されていきました。
人類最古の癖は、最初は癖ですらなかった。
……というキャッチフレーズを使うと強い、とChatGPTが言っていました。
ちなみにここまでの歴史も大体ChatGPTが言っていたことを、
私がそれっぽく書き直しただけです。
そもそも、スパンキングに少し詳しい方はお気付きでしょう。
ここまで説明してきた内容は、いわゆるディシプリン・スパンキング(discipline-spanking)と呼ばれるお尻叩きです。
そしてここからが、私が本当に語りたかったやつ、
ラブ・スパンキング(love-spanking)のターンになります。
ちなみに昔から、スパ界(スパンキングが好きな人々の界隈をこう呼びます)には派閥が存在しており、
ディシスパ派とラブスパ派は、決して相容れないものだとよく言われがちです。
もしこの記事を公開したあと、私が何者かに暗殺されたら、
ディシスパ派を中心に犯人を探してください。
嘘です。
ディシスパ派の方々は基本的に温厚ですし、そんな物騒なことはしません。
ラブスパ派も同様です。
というか、そんなに派閥でバチバチしてもいません。適当に話しました。
ここまで読んで、界隈外の健全な皆さんは、たぶんこう思っているはずです。
「で、ラブスパンキングって何が違うの?」
安心してください。ちゃんと違います。びっくりするくらい違います。
ディシスパは与えられるものですが、ラブスパは選び取るものです。
それについて、少しだけ説明させてください。
大前提として、ディシスパは「罰」です。
悪いことをすれば必ず天罰が下る——いわゆる勧善懲悪をテーマにした作品が非常に多い。
今の現実世界で人の尻を叩けば、それは当然虐待になりますよね。
それと同じように、「何も悪いことをしていない人を叩くのは虐待だ」という共通認識が、ディシスパ派には存在します。
じゃあ、そもそも躾としての体罰も虐待だろ、という指摘については……
それを言い出すと話が別の方向に飛ぶので、今回は無粋ということにしておきましょう。
フィクションなんだよ。
一方で、ラブスパンキングは何か。
私はこれを、「罪」と認識しています。
人は、どうしても快楽を求めてしまう。
それが社会的に正しいかどうかとは、別の話として。
性的欲求も、暴力的衝動も、
「持ってしまったこと」そのものが罪になるわけではありません。
多くの場合、問題にされるのはそれをどう扱ったかです。
衝動は、勝手に湧く。
選べない。止められない。
だからこそ人は、それを「悪いもの」「汚いもの」として、長いあいだ隠してきました。
でも、衝動は消えません。
抑え込まれた衝動は、形を変えて滲み出るだけです。
ラブスパンキングは、その点で少しだけ正直です。
暴力的衝動を否定しない。
性的欲求を清めもしない。
ただ、「ここにある」と認める。
そして重要なのは、
それを選択として引き受けるという点です。
罰として与えられる痛みではなく、
欲望として選び取られる痛み。
そこには、責任と合意が必ず伴います。
私はこれを、「罪」だと思っています。
ただしそれは、断罪されるべき罪ではありません。
欲してしまったことを自覚し、それでも他者を尊重し、
互いに赦し合ったうえで選ばれる罪。
誰かを叩きたいという“衝動”、激しく壊されたいという“欲望”、どちらも等しく罪なのです。
しかしそれを赦す相手がいる。持ってしまった“ソレ”を否定せず、ただ優しく受け止める。
だからラブスパンキングは、
快楽であり、背徳であり、
そしてどこかとても人間的な行為なのです。
赦されるために叩かれるのではない。叩かれることを、赦している。
現代では、叩く側と叩かれる側で赦される立場が入れ替わっているのです。
スパンキングとは、罪業と寛恕。
かつては罰であり、
今は選択であり、
そして快楽という名の罪になった。
人類最古の癖は、
ようやく「癖」として、引き受けられるようになったのかもしれません。
それを「好きだ」と言えること自体が、
もう赦しなのかもしれません。
……ちなみにここまで真面目に語っておいてなんですが、私は全てのスパンキングが好きです。
ディシもラブも大歓迎のため、みんな、描こう!正月だしてめえらも羽子板をパドル代わりにした激エロ絵でも描いてはいかが?
以上、スパンキングが好きなケモナーの戯言でした。ご傾聴ありがとうございました。
あ、投稿ありがとうございます。お尻を叩く絵はなんぼあってもいいですからね。あ、ありがとうございます。ありがとうございます。ああそちらも投稿ありがとうございます。
では、また!