2024/06/02(日記)
Added 2024-06-02 14:19:13 +0000 UTCぶりのお寿司を昼、夜と食べた。
私はぶりが好きであり、その歯応えに心惹かれている。
ぶりについてあまりよく知らないので調べたい。魚。
鰤という魚。
数日前、人生で初めてかいづくしの寿司をごかんたべたことを鮮烈に覚えている。たべたごかん、ホッキ貝、赤貝、つぶ貝、ほたて、サザエ。貝たちの祝宴。貝たちは生きており、紛れもなく生き物であり、当たり前のことであるが生きていたものがご飯の上に乗っていて、それに醤油をかけて食べているのだということを改めて思った。美味しくいただいた後、腹の中におさまった貝たちのことを考えた。美味しく食べたから、彼らは時間をかけて私の体と同化してくれるだろう。『私』として一緒に生きてくれるだろう。
その次の日に、なぜか焼肉が食べたくなり、(一年前からジスキネジアで体がうまく動かないことがストレスで食欲がいつもなかったのだけれどこの日はなぜかすごく肉の気分だった)地産地消で地元の牛の肉を食べた。美味しかった。本当に久しぶりにご飯と焼肉をむしゃむしゃ食べた。食べ物をむしゃむしゃ食べる私は、動物(いい意味で)、生き物であるなと感じた。眠る時、食べる時、その本能的なところは生命の根幹である。一年以上も持病で体のコントロールがままならず、着替えや何かしらの動作などにストレスが発生する毎日であるが、毎日漫画を描いているのは現実逃避とかそういうものではなくて、『好きなことをしている自分は今生きている』ということを感じられる。そこにストレスはなく、本来コントロールが難しいはずの右腕で漫画を描き続けているとき、不思議とジスキネジアの痛みや辛さはなくなる。(ちゃんと休憩を取ったり静かに時間を過ごしているときも多いので無理して描いているわけではありません、ご心配なく)
最近は仏僧であった父から、仏教の話をよく聞いている。
父は僧侶であったがストイックな性格ゆえ、若き僧の時代に母に一目惚れし、「恋をしてしまったので僧侶は続けられない」と母と共に生きる道を選んだのだという。父はいまだに母を最も愛していて、娘の私に母への愛を伝えてくるので私が母に「パピーがマミーのこと大好きで愛してるって言ってたよ」、と報告などしている。父はシャイであり本人にはなかなかいわないのだとか(母談)父は、母が望むなら苦しいことも耐え、長く生きたいと話していた。父が母を愛していること、またそして子供を愛していること、彼が愛に溢れた人であることを最近とても感じる。(パピー、私の好きなパンを夜にいつも買ってきてくれてありがとう)
チョコメロンパンがめっちゃ美味しいんですよ、パン屋さんの。
今日は、作業でお疲れだった弟と半分こして食べました。そして弟と、藤子・F・不二雄先生の漫画を読みながら語り、F先生はすごいなあという話をしたのだった。