母親からよく「小学生のときまでは陽気だったのに」と言われる そのときは自分が浮いていることなんて知らずに、ただ絵を描くことだけを楽しんでいたからだと思う。 集団行動や運動は昔から苦手だったが、本格的におかしくなったのは多分小学六年生とかそのくらいな気がしている。 なぜか学校に行けない。今になってよく考えるといくつかの原因を思いつくことはあるが、当時は本当に訳が分からなかった。いきなり、行けなくなった。クラスメイトから「気持ち悪い」と言われたり、友達と思っていた人から好きと言われたり、勉強に追いつけなくなったりしたのが良くなかったのかな 分からない。 中学になると、制服の壁にぶつかった。男女別の制服を着たくなかったので、体操服を着て登校した時期もあったが担任にやんわりと「やめた方がいい」と言われた。 わざとお昼から登校したり、学校に着いてもすぐ帰ったりした。 勉強にも追いつけず、追いつけないくせにやっと授業に出ても一人で絵を描いたりしていた。 気分の浮き沈みも激しくなってきて、自分が病気なんじゃないかと思っていた。ただそれが認められることは無かったし、周りが私を心底馬鹿にしているようなのが透けて見えた。母親には鼻で笑われたし、姉にはうるさいと言われた。でも、甘えていたのは事実だと思う 高校は単位制の所へ行って、小中よりかは楽しかったのになぜか精神状態は悪化していき、毎日えずきながら登校していた。腕と脚を沢山切った。単位がギリギリになるまで休んだ。私のよいところは単位をほぼ落とさなかったところだと思う。唯一落とした単位は体育で、私は本当に運動ができなかった。どれくらい出来ないかと言うと、歩くのが下手で転ける・自転車を漕ぐのも下手でこれもまたすぐに転ける。そんな私は体育で良い点を取ったことは無くチームプレーでも足を引っ張ったことしかないので、せめて人に嫌われたくなくてひたすら休んでいた。 神聖かまってちゃんに出会ったのはこの頃で、好きな絵描きがかまってちゃんの曲を題材に描いていたのを見たのがきっかけになった。神聖かまってちゃんを聴いて、やっと自分と世界が馴染んだ気がした。フワフワプカプカ浮いていた自分の足が地に着いた気がした。自分のからだが、脳味噌がやっと重みを持つ。感動した。 高校を卒業して、通信制の大学に入った。しばらくして、なんの絵も描けなくなった。そして、無性にイライラして八つ当たりをしまくっていた。何もやる気が起きず、大学の課題も先延ばしにしていくつも単位を落とした。私のいいところが一つ消えたのである!大変なことだ。 怖くなって、休学することにした。 私が一番困っていたのは絵が描けないことで、死活問題だったので病院に行くことにした。医師にはADHDか双極の可能性があると言われ、それを姉に話したら一気に表情が変わったのが忘れられない。 お薬はエビリファイとデエビゴを処方してもらった。エビリファイは合っていたようで、イライラは軽減した。やる気も少し出た。デエビゴはあまり効かず、何度も眠剤を変えてもらっている。 眠れないのは昔からで、幼いころから母親がスナックで働いていたので夜遅くになっても起きていた。先に寝ようとする父親に電気を消されるのがこわくて、泣きながら働いている母親に電話したこともあった。今でも一緒に居る人が先に寝るのがこわくて耐えられない。 抗うつ薬も貰って飲んでいる。でもどうしても死にたい日がある。首を吊る場所を想像し、首を吊る道具を想像する。その後、死んだあとの想像をすると怖くなって出来ない。これの繰り返しである。 気持ちが落ち込む理由は様々だが、上手く話せず白い目で見られたり、マルチタスクができず怒られたり、物をすぐ忘れたり、ADHDのような症状も目立ってきたというのがある。近々知能検査を受ける予定だ。傾向が分かるだけでも受け入れられるかもしれない。 私は未だにフワフワ浮いていて(具体的には地面から3cmくらい浮いている気分)、それで辛くなることがとても多い。多いが、それでも死ねない。死ねないので死なないでいる。 そしてこれは備忘録です。 支離滅裂な文ですみません。ありがとうございました。