東河寮の弓削(ゆげ)は、滋賀での仕事を終えた帰り、挨拶がてら境越祓所に顔を出した。長官の奥田に挨拶を済ませ、休憩室を覗くとそこに見知った顔がいた。 「三善!久しぶりだな」 難し気な顔で手元のタブレット画面を見ていた三善は、名前を呼ばれて弾かれたように顔を上げる。 「弓削?なんだ、こっち来てたのか」 懐かしい旧友の顔を見て、三善は嬉しそうに目を細める。 「なんか、悩みごとか?」 弓削は、先程まで三善が睨むように見つめていたタブレットを指さしながら、その向かいの椅子に腰を掛けた。 時間が経ってオフになった画面を再度立ち上げながら、「あー…聞いてくれるか?」と、三善は今自分が抱えている案件について語り始めた。 -------- 俺が最初にそのマンションに行ったのは、去年の春先だったな。前の日に、城南宮に梅を見に行ったからよく覚えてるよ。お前まだ行ったことないの?勿体ねぇ…。今か?今はまだちょっと早いな。あそこの梅は遅咲きだから、今だと北野の天神さんが見頃か。この後行ってみるか。いや、夜がいいんだよ。ライトアップが綺麗だし。男二人でとか言うな。じゃあ、憧れの由良さんにでも声掛けたら?さっき会っただろ。ほらなー、無理だろ?やめとけ、無駄に傷付くだけだって。 おい、話戻すぞ。 新しいトコだった。築何年も経ってないって聞いたな。曰くもなにもない。マンションが建つ前は何もない空き地というか、空白地帯だったそうだぜ。もっと前は道路だったらしい。区画整理が進んで、住宅街ができてきたっていう地区だ。最近多いだろ。 だから前にそこで住んでいた人が不幸な目に遭ったとか、だれそれが死んだとか、大昔に何かを封じてたとか、そういう場所じゃないんだよ。 そんなまっさらなマンションなんだがな、…住人が入った途端、色々な苦情が管理人に寄せられるようになったんだと。そうだ、1人、2人の話じゃない。入居者の半数以上が「事故物件じゃないのか」って、問い合わせてきたらしい。 どんなことが起きたかって?ああ、全部これに纏めてある。例えばこれ…。 103号室に住む女子大生の話によるとこうだ。 『廊下に誰かいる』と言うんだ。 あるとき、夜中に目が覚めてトイレに行こうとしたらしい。そのとき、誰かに廊下でぶつかった。こう、歩いてたら肩が誰かの身体を押しのける感覚があったそうだ。単身用マンションだし、彼女以外に住んでいる人は当然いない。 最初は気のせいかと思うことにしたそうだが…何度かこれが不規則的に起こるようになった。彼女はすぐにマンションから引っ越すことにしたが、退去の時にそれとなく事故物件なのかどうかを聞いたらしい。でも当然、管理人にも心当たりはない。その子も揉めるのが嫌だったんだろうな。納得してない感じだったそうだが、話はそれで終わった。 それが管理人の耳に入った最初の話だ。次は、205号室に住む会社員の男性からの問い合わせだったらしい。 曰く、『日曜日の夜に金縛りにあう』。 ある晩、それは突然だったらしい。うとうとと眠りに落ちそうな瞬間、腹から胸にかけて圧迫感を感じて覚醒した。身体がうまく動かせず、視線だけでどうにか確認すると、焼け爛れた顔の女が自分の腹の上でお辞儀をしていて、顔だけを上げて自分の顔をじっと見つめていたという。 思わず絶叫したが、声にはならなかった。 だけど、この男性、肝が据わってるのか何なのか…、頭の中では”明日も朝早いのに!仕事なのに!”って…、睡眠時間が削られてることに段々と不満を覚え始めた。それで、なんかこう、おばけに対する罵詈雑言を叫ぶとその女は消えたらしい。時間は深夜の1時過ぎだった。 それから、思い出した頃に同じような金縛りにあうようになった。決まって、日曜日の深夜1時過ぎ…それで、以前このマンションで女の人が亡くなってないか、管理人に問い合わせたそうだ。 時期的には同じ頃、301号室に住む会社員の女性からの話だ。 『クローゼットの中から声がする』という訴えがあった。 ある休日の昼間に部屋の中でテレビを見ていると、ふと子供のような声で「もういいかい」って、かくれんぼの時みたいな掛け声が聞こえたらしい。 部屋の外で子供が遊んでいるのかと思って、そのときは気にしなかったそうだ。 だが、その日の夜ベッドで眠っていると何故か急に目が覚めた。部屋の中は真っ暗で、朝が来る前に目が覚めたというのが分かったそうだ。 そのとき、頭の上辺りから「もういいかい」って、昼間と同じ声が聞こえた。寝ている頭の上の位置には、クローゼットがある。だけど、起きてそれを確認する勇気はなかったという。まあ、普通はそうだろうな。 それで、次の日。一人でその部屋にいるのが怖くて、会社の先輩に相談して泊りに来てもらったそうだ。その日の夜は何も声は聞こえなかった。気のせいだったのかもしれないと、朝起きて先輩に泊まってくれたお礼を言ったところ、こう返ってきたそうだ。 『上の部屋から子供の走り回る音がして、なかなか寝付けなかった』 このマンション、3階建てなんだよ。だから、その部屋の上は屋上しかないはずだし、屋上への扉はカギがかかってて管理人しか入れないようにしてある。事故とか起きたら困るからな。 とまあ、こんな具合に1つ1つに関連のなさそうな怪奇現象が短期間で立て続けに起きている。しかも、そんな現象が起きるような理由も分からない。管理人が寺の住職に相談して、回りまわって此処に案件がきた、という顛末だ。 それで、俺が担当になってそのマンションに行ったんだが、怪しい気配は何もなかった。いくつか空室があって、その中には怪奇現象が起きて住人が出て行った部屋もあったんだが、特に何も痕跡らしきものは無いんだよな。 念の為、禊の儀式をやっておいたが、その後も誰かが入居すると部屋の中で怪奇現象は起きる。あ?そう、部屋の中だけだな。マンションの駐輪場やその付近では怪奇現象は全く確認されてない。 記録に残ってないだけで、何かこの土地に問題があるんじゃねぇかと俺も色々調べてはいるんだが…そうこうしている内に、もう1年経とうとしている。 -------- そう語って溜息を吐いた三善からタブレットを受け取ると、弓削は地図アプリを立ち上げて例のマンションの位置を確認した。東河寮に所属する弓削は、怪異への専門的知識より土地関係に造詣が深い。 地図を縮小したり拡大したりして、周辺情報を調べていた弓削が、何かに気付いたように瞠目する。 「このマンション、参道を塞いでいる…」 「え、どこ…」 弓削に指摘され、三善も地図を覗き込む。だが、周辺に神社の名称は表示されていない。 「ここ、昭和初期まで厩神(うまやがみ)を祀った小さな社があったはずだ」 弓削にそう言われても思い当たる所がないのか、三善は怪訝な様子で首を軽く傾げている。地図上にもそれを示すものはなく、「野田精米店」と個人商店の名前が示されているだけだ。 とはいえ、今は現存しない神社仏閣や道祖神の場所まで把握している東河寮の人間が言うのだから間違いはないだろう。そう考えた三善は、タブレットを閉じると「今から行ってみる」と椅子から立ち上がった。 「俺も行くよ」 「え、いいのか?」 「今日はこっちで飯食ってから帰るつもりだったし。ほら、お前との北野天満宮ライトアップデートもあるじゃん」 「デートとか言うな、気持ち悪い通り越して物悲しくなるだろ」 弓削の軽口に返すと、三善は「ちょっと待ってろ」と言って、自分のロッカーから装備を取りに行った。 -------- 弓削と会った翌日、三善は事の顛末を、自身の上長である奥田長官に報告した。 「へー…それで弓削さんの言った通り、そこは昔、社があったのかぁ」 「社が”あった”というよりも、民家の中にまだ社としての機能を残している、というのが正しい表現ですね」 「そっかそっか!」 奥田のデスクの右側の位置から言葉を挟むのは、長官補佐の由良だ。彼女は、三善の報告を聞きながら内容をパソコンに打ち込む作業をしている。 奥田はある才能ゆえに境越祓所の長官に任命されたものの、19歳という若さのため、長官に必要な知識がまだ十分に備わっていなかった。そこで、同所属であり三善の先輩にあたる由良が、長官の補佐として任に就いているというのが現状であった。 境越祓所は主に怪異対処に関する実戦部隊だ。のんびりと報告書に纏めている暇はなく、全国で起こる怪異対処の任に当たっている。任務が完了すれば長官に報告し、その内容を由良が聞きながら報告書に仕上げるのが一連の流れだった。 由良は、入力を終えた報告ファイルを眺めながら、「もう一度内容をさらうから、補足があればよろしく」と言うと、視線を向けられた三善は、「了解ッス」と軽く頷く。 「例のマンション――『イル・チェーロ』から南西1km先に位置する『野田精米店』。ここには、昭和16年まで厩神を祀った『新高瀬神社』があった」 「ごめん、由良さん。今更だけど、厩神って何でしたっけ」 「厩とは、馬を飼っている小屋のことです。昔、農家の人にとって馬というのは大切な労働力として財産と同じように大切な存在でした。そんな馬を守護する神として信仰を集めたのが厩神ですよ」 「なるほど、分かりました」 奥田の疑問が解消されたのを確認すると、由良はひと呼吸おき、「続けますよ」と口を開いた。 「この神社が建物として存在しなくなったのは昭和16年ですが、翌年にその場所で野田精米店を開店した初代店主が、敷地内の坪庭に鳥居と小さな社を立てて厩神を祀っています。これは、現在の店主にも引き継がれています」 「あ、そこ補足すると、初代店主は元々農家の人間だったけど商才があってお店を開いたらしいっす。農家だったことも関係あるのか、幼い頃から近所の新高瀬神社には参拝に行っていて、神社がなくなって石碑だけになるのを惜しんで自分の店の中でも祀ることにしたというのが背景ですね」 「なるほどね…」と言いながら、由良はタイピングしていく。 由良は入力作業をしながら、奥田が手持ち無沙汰にならないように声をかけた。 「奥田長官」 「はい?」 「長官は、神社の参道に面するように家を建ててはいけないことをご存じですか?」 「あー…確か、神様の通り道を塞ぐってことで、よくないんでしたっけ」 奥田の言葉に「そうです。参道に面した家に住むと、その住人は狂う、と言われています」と由良が返す。 「狂う…、ですか」 「まあ、要するに神様の怒りを買うってことっすね。だから、参道から直線に伸びる道は途中で方向をずらすか、他の道を垂直に当てて区切るんっすよ。じゃないと、周りに何も建てられないっすからね」と、三善は補足する。 入力を終えた由良は、文章を読み返しながら小さく頷く。 「ええ。ところが、マンションが建てられる以前に行われた、この地区での区画整備の折、この神社は既に無いものとして扱われていました。精米店内の社は、あくまで個人所有ですからね。よって、参道から一直線に伸びた先にあった空白地帯に、なにも知らず家…マンションが建てられた。ところが厩神としては、社が変わっただけで変わらず同じ場所で祀られているわけです。参道を塞ぐそのマンションは、不敬そのものだったんでしょうね。結果、住人が次々と怪奇現象に遭遇した。…ということで良かった?」 由良の読み上げた内容に「それで間違いないっす」と返すと、三善は「それにしても…」と窓の外に視線を向けて、呆れたように息を吐く。 「その場所にマンションを建てた人間じゃなくて、住人を呪おうとするところが…なんつーか、理不尽というか、事務的というか……」 奥田はその言葉に同意するように困ったような笑みを浮かべ、「でもまあ、まだ誰も死んでなくて良かったよな」と事も無げに言った。