tell me something good
Added 2024-05-07 17:37:29 +0000 UTC「なにもしない」を実行する、というのは案外難しいと、私はさまざまな媒体で隙あらば主張している。遂行せねばならぬ、回避され得べからざる課題や問題を抱えているほうが、人は楽なのかもしれない、と。
いろんな占い師がどんな時代にも言うのを聞くので、鑑定でのあるあるだと思うが、「想い人からの連絡が欲しい」と願うあまり、占断も「待つが吉」と示しているのに、相手をせっつくようなアプローチ(現代風に言うと追いLINEだろうか)を仕掛けてしまう。そういうクライアントには慣れっこだし、自らわざわざ遠回りを選び、鑑定のたびにその進展のない痴話をリフレインしてくれるのはこちらの業務的負担としては楽であるので大変助かる、というか、古典的な占い師にとってはクライアントをいかにその状態へ留めておくかに努めるのが彼らの手腕の見せ所であるため、ミレニアル世代の私個人としては焦れったい思いを禁じ得ないのが正直な感想だが、相対的な時間という概念をどう扱うかなど、私の口出しできるところではない。ただ、「黙殺された」という明確な反応を認め次の手を練るのか、「彼は今私をどう思っているのか」などとタロットカードに訊ねるのか、その違いがあるだけなのだから。
私はいまこの文章を新宿三丁目のバルで、ハッピーアワーにかこつけビールを引っかけながら入力している。一人上手は、ある程度なら、どんな不可能をも可能にする。隣の卓の、おそらく初対面であろう、そしてまたおそらくマッチングアプリで知り合ったであろう、気まずさを上ずった声色で取り繕っている二人組を一瞥しながら、その確信がより強固になるのを感じる。この茶番で肴代が少し浮くようだ。ハイブランドまではいかない、ひとつふたつ下のランクのブランド品で身を固めた女と、仕事用とデート用に眼鏡を使い分けない薄毛で猫背の男。座が作り出す雰囲気に身を委ねてただ楽しめばいいものを、いかに自らが相手にとって価値のある存在であるか、その証明に孤軍奮闘している。二人でいるのに、ひとりぼっち。だいたい、ロマンスに新宿三丁目を選ぶセンス、そしてそれに了承してほいほい現れるセンス、ハッピーアワーのバルを選ぶセンス、どれをとっても洗練されていないとは思わないのだろうか。まあ、だからこそ、彼らは孤独を恥じ、そしてそれを埋め合せる相手を求めるのだろう。上手くいきっこない。同性愛者の私が見ても分かる。いや、だからこそ分かるのか。「男同士の語らい」にも「女の子にだけわかるトーク」にも、「恋のカマ騒ぎ」にも、私は馴染めない。私は、どこへいっても余所者なのだ。余所者であることと、孤独であることは、同じだろうか。少なくともこのちぐはぐな二人組は、疎外感と孤独が奇妙なダンスをしているように見える。転ばないためだけの、歪なリズムとステップで。
一人上手が可能にしたことの一つに、生存あるいはQOL向上の、ちょっとした裏ワザの習得がある。まるで、富裕層が優秀な税理士を雇うかのように、したたかな生き方を孤独が教えてくれる。だからといって、他者との協調を否定したいわけではない。息の合う友人と企てる計画には、いつも心が躍る。私にとっては、互いに干渉し合う波動を感じ取ることと、自らの静寂に耳を澄ませることは、等価値なのだ。
時間の流れにおいて、静観が生み出す効果は、場合によっては、思っているより意味を持つ。相手の反応によって自分を知ろうとするより、他人を試す自分を俯瞰できる視点を持っていても、損にはならないのではないか。
私は、そう思う。
Shine on you.