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如妃
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若造人間ショカーン第一話【顔出し:Vtuber:偶像崇拝】

どうも、ショカーンです。

まとめ

声だけは神秘的極振り、顔出しは神、VTuberは大仏。

以下はおまけです。


前略

私、好きなYouTuberの人がいるんですよ。その人はね、顔出しなしのまぁ一般的な音声のみでのスタイルなんですね。

で、ふと考えてしまったんですよ。

「そういやこの人の声好きだなぁ、Vtuberとかやんないかなぁ」なんてね。

いやもうね気づいてしまったんだ、この世の真実。多分わたしはこの人がVTuberになったら離れる集団の一員だってことに。


私がその人に感じてるのは大人びた雰囲気や理知的な印象、だけどそこでこの人が受肉や顔出しをしてみたらどうか

人間顔じゃないなんて言うがそれはその人と深くかかわった人間が言うことであって初対面の人間をはかる思考ではない。

多分その人が顔出しやVを始めたら今まで自分がその人に抱いていた印象を一瞬で崩されるのだろうと瞬時に理解してしまい、公式に対するエア解釈違いを起こしてしまった。



以前好きで見ていたプラモデル塗装チャンネルがいきなり告知なしに顔出しをした、別に顔出し云々に文句をつけるほどセンチメンタリーな人間じゃないので何にも思わなかったが、今までちょっとかわいい感じの人だなぁなんて思ってたがその通りのちょっとかわいい感じのおじさんがひょこっと現れ、勝手に

「うわ、なんて解釈通り。」

と興奮していた。



だけど今まではその人の動画を見るときその人のチャンネルアイコンのゆるキャラっぽいのが脳裏に浮かんでいたのだが、顔出しをされたとたん。解釈通りのゆるいおじさんの顔しか浮かばないのだ。

深刻な汚染である、クリアランスレベルの引き上げを求むことも辞さない。


だが、その時はちゃんと解釈通りの人間が出てきたが今度はそうであるとも限らない、もしかしたらエア解釈違いが質量をもつ解釈違いに発展するかもしれない。



めちゃめちゃ話が脱線したが、そこである一つの概念と点と点がもうOFAの演出のようにビシビシビシッ!とつながってしまったんだよね。

「あー、偶像崇拝ってそういうことなのかな」って。


偶像崇拝、皆様ご存じ偶像崇拝でございます。

"脳で己が主を描け"

妄想で抜くみたいなもんですね、オカズを使用しないオナニーってことですね。

仏教やキリスト教のやつは神像崇拝って区別されるらしいです。オカズってことです。


さて話を戻しましょう、何回でも脱線しますよ、事故は起おこるさいつまでも

ずれたら戻すだけやから。


私が感じたのはね、声だけでその人に魅力を感じさらにいろいろな情報を自分の脳内で作り出し外形を固めていくその行為と、「主はこれこれこういうものである」という情報だけで信仰する偶像崇拝の近似。

声だけしか情報がないことがミソで、情報源が一つしかないので他の余計なノイズなどなしに己の主観だけで好きなように解釈ができ、情報源の少なさに神秘的なものを感じざるを得なくなる。



そんでもって「じゃあ顔出しはどうなるわけYO」という諸兄、

顔出しは声に顔という情報が付け足されるので、己の主観だけで妄想しまくれたのがしにくくなるんですよ。でもその代わり得るものがあるんです、二次創作

情報が付け足されることにより独りよがりな妄想ができなくなる代わりに、輪郭がしっかりと形成されるので他者との情報の共有がスムーズにいくんですよ。

でも先ほども言ったように顔という情報が付随することにより今まで持っていた神秘性が失われてしまう。逆に言えば近寄りがたさが失われ親しみやすさが生まれてしまうんです。


「で、VTuberとは何の関わり合いがあるんや?」という諸兄

Vはその人本人でなくても情報を付け足すことのできる存在、いわば大仏です。

そして大仏と本尊の違いはね、二次創作及び大衆化のしやすさなんですよ。

Vは曼荼羅であり、大仏であり、踏み絵でもあり、聖典でもあり、お土産でもあるんです。そして本尊ではないので別にどう扱おうが罰が当たる程度の間隔で弄べるんです。


というわけで、長々と何の話してるか全く自分でもわかんなくなってますけどそんなもんで。

正直声好きでいろいろやってほしいけど、やられたらやられたで自分の中でのその人の像が崩れてしまい解釈違いが起きるけど、顔出しすることによって情報の伝達がスムーズになり拡散が大きくなるよなぁということを思い、じゃあVは大仏か~という思考に至りましたよ~というショカーンでした。

以上。


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