【登場人物】
○登坂慎介(32)……警視庁の刑事。元柔道部。正義感に溢れ、野心家。犯罪組織のリーダーである中山の行方を追う。
○稲本洸(23)……登坂の後輩。元サッカー部。登坂とバディを組む。
○中山篤人(42)……指名手配犯。密輸ディーラー。登坂とのある取引を企てる。
***
<湾岸・コンテナ埠頭>
次の日、登坂と稲本が張り込みに来たのは、都心部から少し離れた湾岸のコンテナ埠頭だった。
「おい、稲本。本当にこんなところに、中山篤人が来るってのか?」
「はい、組織関係者からの密告によるものです。当然、でっち上げって可能性もありですが......」
「まあ、待ってみるしかないな……」
コンテナに隠れて二人は張り込みを続けた。しかし、到着予想の時刻になっても中山らしい人物は現れない。2時間経っても姿を現さず、港に吹く冷たい風が彼らの体温をただ奪っていった。
「いやー、マジ寒いっすね」
「腹減ったなー」
「そういえばコンビニのマリトッツォ、食いました?」
「は?」
「いや、登坂先輩ってそんな雄臭い顔して、意外と甘いもん好きじゃないっすか」
登坂は顔を赤くして頭を掻いた。
「おい、先輩をからかんなよ!」
「わ、スイマセン! なんか食うもん買ってきます!!」
「ああ、一生帰ってくんな」
稲本はコートに手を入れて颯爽と張り込み場から離れた。一人になった登坂はため息を吐く。冷たい海の風が、登坂の肌を突き刺す。登坂はコートを着込み、襟を正した。
その時だった。フードを深く被った男が一人、姿を現したのだ。
「中山……ッ!?」
登坂は息を殺し、コンテナに身を隠した。わずかに見えるその男の顔つきや体型を注意深く確認してみる。自分よりもやや小さめの身長、細身の体型、重たそうな一重瞼……。
「んん……頬の切り傷は……よく見えんな……」
登坂は少し身を乗り出して男の顔を見極めようとした。
「んなッ……!?」
突如、登坂は勢いよく何者かに取り押さえられ、動きを封じ込められていた。あまりに一瞬の出来事で抵抗することができない。“これはプロの術だ”、そう考えたときにはすでに銃口をこめかみに突き付けられていた。
「中山さん、取り押さえました。捜してた刑事、コイツで合ってます?」
「銃口を……向けんな」
「あ? 誰に向かって口聞いてんのか、“登坂”?」
拳銃を持った男が登坂の腹を力強く蹴り上げると、登坂はうずくまったまま咳き込んだ。相手が銃を構えている以上、思うように抵抗できない。すると遠くからゆっくりと中山が、不敵な笑みを浮かべながら登坂のもとへ近寄ってきた。
「ああ、やっぱりお前だよ。登坂。お前のこと、ずっと捜してたんだ」
中山は登坂の目の前に立つと、被っていたフードを外してしゃがみ込み、登坂の顔を覗き込んだ。頬に刻まれた深い傷。中山は、登坂の角張った雄らしさを強調するフェイスラインをいやらしく、人差し指で撫でて微笑んだ。
「中山ァ……今度こそお前を絶対に……捕まえてやる」
「だからオメェ、どういう状況かわかってんのかッ!?」
銃を構えた男が登坂の髪を引っ張り上げると、中山はそれを制した。
「河田、あんまりコイツをいじめないでくれ。大事な大事な、取引のブツだからよぉ」
中山はそう言って、分厚く筋肉質な登坂の体を舐め回すように見つめた。登坂は、自分が冷や汗をかいているのを感じた。
「気持ち悪ぃんだよッ! なんなんだ、お前?!」
「覚えてない、とは言わせないぞ? 言っただろ、この間会ったとき。『次に取引するのは、お前の身体だ』ってな」
「だから、どういう……」
河田は、登坂を見下ろして言った。
「お前の望み通り、俺たちは密売から手を引く。もうこんなクソしょうもねぇ麻薬取引はしねぇ。その代わり、俺たちが望むのは、ただ一つ」
中山は港の向こう側を見つめた。
「俺はなぁ、いい加減、休みが欲しいんだ。もうこの組織から足を洗いてぇ。だがな、連中はなかなかそうはさせてくれねぇよ。確かに俺はリーダーだが、そううまくはいかねぇ。だからな、ずっと捜してたんだ。次の身体の、候補をな」
「……は?」
中山は続けた。
「そんな時に見つけたのが、お前、登坂慎介だ。刑事になれれば身の安全は完全に保証されるだろ。それに、その雄臭ぇ顔。デケぇ身体、筋肉。誰もが羨む男だ。最高じゃねえか、最高の“素材”じゃねえか」
登坂は目を閉じて考えていた。相手は精神異常者だ。何を言っているのか理解することは当然できない。だが、ここで一度中山の言う通りにすれば、解決の糸口につながるかもしれない。組織を根絶やしにできる重要な情報を掴むことができるかもしれない……と。
登坂はゆっくりと目を開けた。
「ああ、わかった。何でもいいが、俺はお前の取引に応じる。“俺の身体、くれてやるよ”。だがな、これは条件だ。俺以外には絶対に手を出すな。俺が最初で最後だ。……それでいいな?」
登坂が正義感の強い眼差しで言い終えると、中山の目がギラリと輝いた。河田は突き付けていた銃を下ろす。
「話が早いじゃねえか。大丈夫、すぐに終わるからなぁ……」
中山は咄嗟にポケットから小さな針を取り出し、登坂の首の後ろにそれを突き刺した。
「あ」
登坂は首筋に一瞬ちくりと痛みを感じ、直感的に「まずい」と感じたがすでに時は遅すぎた。針が皮膚を貫通した瞬間、パンッと大きな破裂音が鳴り、登坂の身体はまるで空気の抜けた風船のように萎んでいってしまう。同時に、登坂は自分の記憶が弾け飛ぶのを悟った。柔道に打ち込んできた学生生活。憧れていた警察官になり、刑事になれたこと。愛する人と結ばれ、可愛い娘を授かった記憶。そのすべてが、破裂音とともに勢いよく弾け飛んでしまった。そして登坂が着ていたコートやジャケット、パンツはすべて地面に脱げ落ちる。柔道やトレーニングで鍛えた分厚い体躯は、一瞬にして薄っぺらい“皮”一枚になってしまった。
中山は皮になってしまった登坂慎介を、親指と人差指でつまみ上げる。皮に張り付いた登坂のキリッとした目が、中山の顔をじっと見つめ何かを訴えかけているようだった。
「さあて、いよいよ始めるか」
登坂の感情を逆撫でするように中山は笑った。
<続く>