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Shinji Mito
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なにかを諦めるということ


正直これから書く内容はたいした話しじゃないし、勘違いかもしれないです。

またこれを読むことで「明日から役立つぜ!」とか「漫画がもっと面白く読める!」みたいな記事ではありません。

あくまで自分が忘れる前に書きたいと思っていた文章です。


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私の人生で何かを諦めたことは本当にたくさんありました。

やりたいこと、と思っていたけど実は違った。なんてことも多かったです。

親への体裁として「自分はこれがやりたいんだ」「自分はこういう人間なんだ」と思い込んでいただけのこと、周りの友達が言っていたから自分もそうだと思いこんでいたこと、「なにか憧れがほしい」という気持ちだけで近くにあった適当な何かを掴んでしまったこと、いろいろありました。


10代には「いつか大きなことをしたいな」「キャーキャー言われたいぜ」みたいなことも考えたりしていました。ちょっと好戦的な気持ちもあったと思います。


でも20くらいのときに、鬱になってしまいました。


たぶん忙しかったのと、その結果 色々自分を見失ってしまったのだと思います。

そのタイミングで、ものの見え方が180度変わってしまいました。



・・・・・・・


10年前くらい、当時は京都大学で物理工学の研究をしていました。


ただ、ある日、なんかぷっつりと切れた感覚があって、その日に退学して、1ヶ月ほど薬を飲みながら家で寝ていました。


人との関わりが本当に嫌になったんでしょうね。

そのときに一度人生を捨てた感覚になったことをしっかりと覚えています。

自分を傷つけたりもしてた時期はありましたが、そのときはそんな気力もありませんでした。

食事も取れずに、ただ体中がしんどくて、何も出来ませんでした。


ただ、薬のおかげで、少しずつ歩いたり散歩したりできるようになったとき、近所の旅館の求人を偶然目にしました。


急展開なのですが、それから親と縁を切って、旅館で住み込みで働きはじめました。

急な理由はありません。もう何も考えていないのです。


ただ旅館を選んだわけは明快で

「一生誰とも会いたくない」というのと

「貯金はできないけど衣食住が保証された場所で一生同じ仕事を毎日やって、何も考えない人生になりたい」

という理由でした。


たぶん若い頃にいろんなことに悩んでしまったのか、もう脳みそがショートしちゃったんでしょうね。


悩んでいた内容はよくあることです。

「人生で自分にしか出来ない何かがあるはずだ」

とか

「自分と他人とは何なのか」

とか

「生きるとは」

みたいなことです。

若いですね。


・・・・・


上の写真は働いていた旅館の正面門です。


働いていた旅館は本当に大きな旅館で、京都でも有名なところでした。

客室は100部屋以上あって、庭には重要文化財などもありました。


旅館には「女将」の下に「仲居」という女性集団がいます。

私のいた旅館では30人から40人ほどの仲居さんが働いていました。

そして仲居さんの下に5人の「中番」とよばれる連中がいます。中番は仲居さんの下っ端みたいなものです。


「千と千尋の神隠し」を思い出すと、旅館の内部構造がとてもリアルに描かれています。

浴衣や着物のようなものを着て働いている女性が「仲居」です。(千尋に対して「ひと臭うてたまらんわ」と言った人たちです)

それに対し、千尋やりんのように、作務衣を着て走り回っている人たち、あれが中番です。



私は中番でした。


(ジブリ提供 フリー素材より)


従業員は50人ほど。ほとんどの人は自宅か寮に住んでいますが、寮は満杯ということで、旅館の庭にある蔵に住ませてもらいました。


蔵、といっても、本当に世間の人が想像する蔵です。

外から見ると、なまこ壁と呼ばれる白い格子状の模様があって、窓は高いところにあるだけ。

でも20年前くらいにも、一度その蔵に住み込みをさせたことがあるらしく、トイレと電気、布団はありました。






毎朝4時に起き、作務衣を着て蔵から出ます。


10人ほどの板場の人と一緒に料理の支度をし、布団を上げにいきます。(中番一人あたり50人のお客さんを相手します)


その後、料理を下げ、食器を引いて、厨房の業務用食洗機(6畳くらいのサイズのプールです)に食器を投げ込んでいき、最後に旅館の隅から隅まで掃除機をかけます。

気づいたら10時になり、朝のしごとが終わりです。


午後は16時から、同じことをします。料理の支度、料理を運び、布団をしく。

気づいたら22時になっています。


これで1日のしごとが終わりです。


毎日12時間労働、何か重いものを持って運び続ける仕事です。毎日3万歩ほど小走りを続けます。休みは週に1日ですので、月に4日。

おかげで太った人はいなく、健康的を通り越して全員ヘルニアに苦しんでいます。


しかも休日の単位は旅館の1日の区切りです。


どういうことかと言うと、朝4時から働いて、そのあとお客様がチェックアウトする午前11時から休日が始まります。

そして、翌日、お客様がチェックインする午後4時で休みが終わります。

丸一日休むことはできませんので、だいたいみんな近所でパチンコをしたりしている人が多かったです。(私はパチンコをしたことありませんが・・・)


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一緒に働いている中番さんや仲居さんは平均年齢が60歳くらい。でもみんなバリバリ働きます。敷き布団を5枚重ねて抱えて走っていくなんて、男女問わず70ちかくの人でも普通にこなします。

すごいなぁと関心したのは最初だけ、すぐにお互いの扱いが雑になります。

70歳の女性相手でも「私こっち半分運ぶから、あんたはそっちの半分いま運んで。すぐに」と普通に言えるようになります。

そういうものなのです。


そしてみんな、私と同じ給料。時給730円でした。


つまりは私がこのままこの旅館の敷地から出ずに、今後50年、変わらない給料で毎日同じ作業をし続けた結果の姿が、周囲の人たちなわけです。


「一生誰とも会いたくない」

「貯金はできないけど衣食住が保証された場所で一生同じ仕事を毎日やって、何も考えない人生になりたい」

という当時の私には、うってつけの職場でした。


けして仲の良い職場ではありません。

基本ほとんどしゃべりません。


年配の女性陣は、数人の重鎮の方たち以外は極めて居心地が悪かったろうと思います。

映画などで見る昔の花魁の世界のイジメみたいなものがたくさんあります。

旅館、という仕事柄、昔ながらの人も多く、男子が料理をしようとするとバッシングを受けます。逆に男子がやるべきことも明確で、絶対に女子は手伝いません。


私はほとんど喋らずに1年そこで働きました。

誰とも喋らなかった日ばかりだったと思います。


どこからともなくやってきた誰とも喋らずに仕事を延々とやっている私は、最初はいじめられたりもしましたが、1年経つ頃には完全に身内の扱いになっていました。

まだ20そこそこなのも、少し可愛がられる理由だったのかもしれません。

私の次に若い人は45歳でしたから。


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1年半くらい、旅館で布団と料理を運び続けるアンドロイドと化した私は、まったくなんの悩みもありませんでした。


複雑なことを考える暇はありませんし、蔵に帰ったら、子供の頃からなんとなく趣味で続けていた絵を描いて、すぐに疲れて寝てしまっていました。


毎日、汗だくで働いて、帰ったら絵を書いて、倒れるように寝る。


そんな生活を1年半やりました。


・・・・・


1年半たったころ、やっと「残りの人生、いろいろやりたいことがあるかも」って思いました。

大したことじゃないです。

「絵を描きたいな」とか「海外旅行したいな」とか「バイクを組んでみたい」とか、そういうことです。


旅館で延々と働いて、疲れて寝て、を繰り返していたせいで、脳みそがシンプルになりました。悩みが悩みじゃなくなって、そもそも人間の持ってる生命力みたいなものがウダウダと勝手に悩みを作っては苦しみ続ける脳みそを振り切ったんだと思います。


逆に言うと、苦しみから脱出するのに、1年半かかったのです。


そのとき、旅館を辞めました。


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それからはやりたいことが明確でした。

海外旅行に行って、絵を描いて、バイクに乗りました。


すると「もっと絵を描いていたいな」と思って、漫画を描いたら漫画家になれました。


最初は「気づくのがおそすぎる」と自分のアホさに絶望しましたが、いまでは逆に考えています。


そこまで生命力を回復できたのは、完全に旅館で1年半も働いていたおかげです。

人生としては完全に横道で、自分の目標などとは1ミリも関係ない肉体労働を1年半したからこそ、やっと心が体においついて来た感じでした。


そう思ったときに、やっと気づいたのですが、人生に目標はないんですよね。多分。

やりたいことだけがあるわけです。


やりたいことのために辛いことをしてもいいけど、それをやらなかったらダメかと言うと、けしてそんなことはなく、また横にあるやりたいことをやればいいだけ。


人生のことを考えると、映画やテレビのドキュメンタリーみたいに「一本筋とおったまっすぐなもの」を考えてしまうけれど、結局は自分の気持ちと状態を記憶という形にかえて、積み上げていくだけです。


そこに「けっきょくおまえ何したかったの?」という問いは必要ないと思うのです。


だって私は多分、旅館で1年半も働いていなかったら、たぶんあのとき死んでいたと思うからです。

あのとき近所の旅館の求人を見なかったら、きっと私はあのまま一人で死んでいたと思います。


それくらい追い込まれていましたし、それくらい旅館で過ごした無駄な1年半に、とてつもない感謝の気持ちがあります。


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言いたいことは何もないのですが、もしなにか1つ、ここまで読んでくださった方にお伝えできる教訓があるとしたら、「どう転んでも、財産になる経験しか人生にはないと思うよ」っていうことです。


もし夢叶わなくても、失恋しても、追い出されても、仕事がなくても、それらすべてがかけがえのない大事なことだと思います。


それから「諦める」とは、ただその時の状態のことを示すだけで、あくまで人生においてかけがえのない1場面でしかないのだと思っています。


なにかを諦めるということ なにかを諦めるということ なにかを諦めるということ

Comments

今、院進を前に、いろいろと考えています ひとつ補われた気がします 応援してます : )

りょ


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