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仏インタビューの日本語回答

バタバタしていて更新ができずすいません・・・。

ここ半年ほど、修羅場が続いております・・・。



この間、フランスの媒体のインタビューを受けたのですが、ちょっと日本の読者さんにはフランス語のインタビューは読めないと思うので(私も読めない)日本語の返答をここにアップしますね。






L’internaute 三都慎司先生インタビュー

1/ 漫画家になるきっかけは何でしたか?


友人に勧められたことがきっかけでした。


子供の頃からずっと一人で絵を描いたりしていたのですが、漫画家になろうと思ったことはありませんでした。

それは学校を卒業しても同じで、仕事を終えて家に帰ると、寝るまでずっと絵を描いていました。ただそれは漫画ではなく、あくまで風景画や人物画をアートとして描いていたにすぎません。

描いたもののほとんどは誰に見せるでもなく、部屋のすみに積んでいました。

なので、漫画家になろうと意識したこともなく、「絵を描くのが好き」というだけの会社員でした。

当時のわたしは流行りの漫画も知らず、たまに昔の漫画(谷口ジロー先生の作品や、さくらももこ先生の作品)を読み返すくらいでした。恥ずかしながらワンピースや進撃の巨人ですら読んだことがありませんでした・・・。


知人から「それだけ絵が好きなら漫画家になったらどうか」とそそのかされ、2ヶ月ほどかけて80ページの短編漫画を描いてみました。漫画の原稿用紙や漫画用のインクもその時、会社帰りに初めて買いました。トーンなどもYoutubeで「トーンの貼り方」という動画を見ながら貼りました。

お昼は会社に行って、夜に家に帰ってから寝るまでの数時間のあいだに、スーツを着たまま漫画を描くという生活を2ヶ月続けて、なんとか最後まで描き終えました。


それを、どういうわけか日本の出版社である講談社が買い取ってくれて、アフタヌーンという雑誌に掲載してくれました。


それからはいつのまにか締切が生まれて、気づけば漫画家と呼ばれる業種に所属していました。

漫画のほうが忙しくて、勤めていた会社は辞めてしまいました。

アシスタント経験もないので、漫画に必要な知識は連載しながら独学で学んでいきました。

もともと人の多い場所が苦手で、一人で絵を描く静かな時間が好きだったので向いていたのだと思います。いざ漫画家になってみたら、自分には描きたいものがたくさんあることにも気づけました。

とても楽しいですよ。辛いときもたくさんありますけど(笑)

2/ 「アルマ」という作品はどのように生まれたのでしょうか。

子供の頃にぬいぐるみが好きで、よくままごとのようにぬいぐるみと話したりして遊んでいました。そこから「このぬいぐるみが喋ってくれたらいいのに」と思うことが多く、アルマの「人形と人間」という世界観につながったのだと思います。


その後、デビューしてすぐ「連載企画を出してほしい」とアフタヌーン編集部に言われ、最初に考えたのは「核戦争後の世界で人類は絶滅に瀕しており、ロボットたちが生き残った動物の世話をしている」という漫画でした。これがのちのアルマのベースとなるものでした。


ただそのとき「これは面白いマンガではないかもしれない」と思い、一旦机の引き出しにしまいました。謙遜ではなく、本当に退屈な作品だったと思います(笑)

その後、違う連載をしたあと、再度その企画を取り出して、集英社の編集者さんと一緒に作り変えました。


私はどうにも頭の回転が遅くて、一人で長考して頭でっかちで不器用な作品を作ってしまう癖があるのですが、担当さんが毎日のように根気強く作品を一緒に「エンターテイメント」に仕立ててくれました。


作品をより面白くしようと深夜まで根気強く一緒に考えてくれた集英社の編集者さんの情熱に感化されて、講談社から集英社に出版社を移して描いてみようと決意した感じですね。

それが「アルマ」という作品になり、週刊ヤングジャンプで連載することになったわけです。


3/ SF御三家の1人であるアイザック・アシモフのSF作品や、タチコマが出てくる「Ghost in the shell」の世界観に通じるものがあるのではと思いました。先生が影響を受けた作品、好きな作品などを教えてください。


アシモフの世界観は、その後の映画や漫画に大きく影響を与えていると思います。例に挙げられたゴースト・イン・ザ・シェルや、ハリウッドのSF映画などもその影響下にあると思いますし、私もすごい好きでした。

もちろんアシモフだけでなく、ヴェルヌやハインラインなど、多くの先人の作家たちの作品が絡まり合って現在のSF作品の土台を支えていると言っていいと思います。


私自身、特別意識したわけではありませんが、やはりアルマもその先人の作品が作った土壌の上にあると思います。

読者の人が「アシモフ」という人を知らないとしても、やはりハリウッド映画などを通じて違う形でその世界観を刷り込まれているわけですから、おかげで私が「ロボットの反逆」を描いたとしても、その発想を突飛に思わず、素直にストーリーを追ってくれます。

つまり彼らのおかげでこの作品が理解可能なものになっていると思います。



ただ、ロボットという立て付けはあれど、私はどちらかというと「自我とは」というものをテーマにしています。

正直、相手がロボットでも、言葉の通じないエイリアンでもどちらでも良かったのです。


そういう面では「ブレードランナー」の影響を受けていると思います。あとは映画の「A.I.」ですね。

どちらも何度見ても退屈な映画ですが(これは記事に書かないでください!)

でもやはりとてつもなく偉大な作品だと思います。

ブレードランナーではレプリカントが自我に悩みます。

A.I.でジョーが最期に「I am… I was…」と言って消えたシーンはロボットの「生の獲得」を表現していたと思います。


あとは、岩明均先生の「寄生獣」は影響を多大に受けています。

「寄生獣」とアルマは同じ問いを扱っていると思います。

人を食い殺すことに執着するパラサイトが「我々はなぜ生まれてきたのか」と自問自答するシーンは、やはりアルマのギジンと同じ「目的を持って生まれたことへのジレンマ」ですから。

人間などの生物は本来目的を持っていないので、我々が抱えていない悩みです。


まぁ正直に言うと、私が普段読む漫画や見る映画は、日常を舞台にしたものばかりなので、あんまりSFやアクション映画に詳しくはないので、これ以上しゃべると私の浅学が露呈します(笑)



4/ 人間は自然と機械(ロボット)の間で行き詰っています。この2つを利用し、痛めつけてきた人類。これは読者に対するメッセージでしょうか。

その対立構造はメッセージではありません。

あくまでただの設定にすぎません。世界を作る時に必ず生まれるヒズミです。

その証拠に、私は作品の中で「機械を痛めつけてはいけない」「自然を破壊してはいけない」とは言っていません。そこを中心とした衝突が発生するだけです。


そもそも、私自身「人類と自然」「人類と機械」という対比に、明快な答えを持っているわけではありません。

私の家の横には、東京の多摩川という大きな川が流れていますが、その川の周囲はアスファルトで固められ、完全に治水しています。その工事の過程で多くの湿地帯は埋め立てられ、そこにいた希少な虫や野鳥などの多くは住めなくなったでしょう。しかしおかげで我が家は洪水に襲われることなく、雨の日も家の中で安心して絵を描くことができます。


昔、日本では川沿いは貧困層が居住する区域も多かったのです。それは河川の反乱で家を失うリスクのある土地だからです。しかしその土地の格差も治水のおかげでなくなりました。


どこまで私たちは自然と折り合いをつけるのか、というところには「少なくとも子どもたちに危険が降りかかるリスクは、全て排除してほしい」というくらいのガイドラインしか見当たらないのが現実です。

しかし、そういった開発が積み重なり、日本のどの川にもいたタガメという昆虫は、いまや絶滅危惧種です。タガメがいなくなると、タガメを食していた鳥類にも影響を与え、人類にも影響を与えるでしょう。


機械に対しても同様のことが言えます。


私はスマートフォンが好きではありません。

真偽のわからない情報に、たくさんの人が右往左往しているのを見ると、私自身もパニックになってしまうのです。

また、いつでも私へ連絡をよこすことができるので、スマホを持っている限り隠れる場所がありません。便利を求めた結果、自由を奪われています。


しかし、もし私の友人が目の前で失神したとしたら、スマートフォンのありがたみを実感するわけです。すぐに救急車を呼ぶことができますし、応急処置を調べることも出来るでしょう。


つまりは、スマートフォンは「スマートフォンを作ろう」と思って発明されたものではなく、「より便利な道具を作ろう」と発明されたものがスマートフォンであり、それ以上でもそれ以下でもないのです。

よって私はスマホという工業製品に対し不快に思いながらもそれを手放すことはできないでしょうし、「スマホの印象や、そこから感じ取る意味は、自分の使い方に委ねられている」という当然の答えに回帰するわけです。


長くなりましたが、上記のように、私は「自然と人」「機械と人」を対立するものとして捉えていません。人にとってはすべてが必要な存在であり、その定義や受け取る意味は観測する人間の数だけ存在します。


ではその設定で何をあぶり出そうとしたのかというと、

「人間・キカイ・自然、それらの境界を超えた結末とは何か」っていうのを私が見たかったのだと思います。


主人公のレイは、機械に対して偏見やコンプレックスを抱いておりません。

彼にはスマートフォンはただの黒い板で、木材は暖を取るための貴重な資源に見えていると思います。(アルマの第二話で、AppleのMacProを台にして焚き火をしているように)


彼にとっては人もキカイも、同じ様に愛せると思いますし、大事な人であったらその人が人間であるかキカイであるかは関係ないのです。


昔から使っているラジオを買い替えもせずに今も修理して使っている気持ちに近いかもしれません。

他人から見たら量産された工業製品でしかなくても、本人にとってその壊れたラジオは特別なものなのです。私なんて10年も着ていたボロボロのジャージを捨てるだけで泣いてしまいました。

そこにモノの一生を見ると同時に、自分の半生を見るからです。


しかし、アルマの世界の人たちはそのようにできていない。キカイは人を憎み、人はキカイを憎んでいます。それはまるで、戦争が起こる直前、両国で互いのヘイトが噴出しているようです。


その双方を愛せるレイという少年が、キカイを殺す人間を見てどう感じるのか、逆に人を殺すキカイを見てどう感じるのか。

それを描きたかったにすぎません。

素直なレイが感じたことなら、私も納得して受け入れられると思ったのです。


アルマの世界の人類は、機械を差別します。そして同じ人間の中でも人種差別を繰り返し、牽制しあい、彼以上に生きづらい日常を送っています。


そこに放り込まれたレイが、ただ彼の率直な感想を言ってくれることで、きっと皆の凝り固まった価値観を変えてくれると思ったのです。


もしこの作品にメッセージがあるとしたら、「人間とキカイの問題」ではなく「自分と他人の問題」。

「生まれの異なるもの同士が分かり合うにはどうしたらいいのか」という問いかけだと思います。

それはどの時代にも、もちろん現代の2021年にも当てはまるものです。


私はあまり頭が良くないし、しゃべるのが得意ではないので「うーん、こっちの人の立場も分かるし、こっちの人の気持ちも分かる。どうしよう・・・」と押し黙ってしまうのですが、アルマというシミュレーションの中で、私の代わりに主人公のレイに考えてもらおうと思いました。



5/ アシモフの唱えたロボット工学3原則とは少し異なった3か条が出てきます。これはどのようにして考えられたのでしょう。


これはアシモフのロボット三原則を模倣した上で改変したのです(笑)

ただ、そこに「輪廻」の概念を加えています。


人には「老い」や「死」「治らない怪我」というロボットにはない欠点がありますが、それが逆に「生きる道筋」みたいな意味を人間に与えてくれます。

親しい人間の死や病気を看取ると、自分の今後の死生観に直結します。

自分の人生の鏡として他人の一生を捉えるわけです。

政治家も犯罪者もみな何もかも途中なまま死んでいくのですが、死という答えは絶対に待っています。


しかしロボットにはそれがない。輪廻から抜け出せない「煉獄にいる存在である」という意識を持って改変しました。人には寿命がありますが、老いや寿命のない彼らはどこにもゴールがないのです。


彼らは自分で求めてもいないのに、人間の姿に似せて作られ、顔も俳優のように美しく作られていますし、体型もスマートです。おかげでロボットはみな顔が似ています。個性が薄いのです。太ったおじさんもいないし、歯の抜けた女性もいません。ほくろもないのです。美しく見えますが、とても単調で退屈な外見をしていますし、悪趣味にも感じられます。


本来、作業用のロボットであるならば、二足歩行であることはデメリットであり、タイヤ駆動でロボットアームでもついていたほうが汎用性はあるのです。

なのに、わざわざ人間の見た目で作られている。


その宿命とは裏腹に、それでも「自分にしかないものがほしい」という自我の渇望が彼ら自身を傷つけ続けます。


彼らが人を殺すのは、人が神殺しをしているようなものですね。

人に反抗することで「私という存在の定義は、私が決めるのだ。あなたたちが決めることではない」

と宣言しているのです。人間がいると、彼らは自分という存在に自信を持てないのです。


6/ 兵器に変化する腕はとても象徴的だと思います。なぜこの腕なのでしょうか?


アルマの世界では一つのギャップを意識しています。

それは「人間は機械のように」「機械は人間のように」というギャップです。


アルマの世界の人間は兵士ばかりです。彼らは自分の感情を抑えて、組織に対して忠実に動きます。

それはまるで大きな機械の部品の一つのようです。

逆にアルマの世界のギジンたちは「プログラムを脱したい」「アイデンティティが欲しい」という願望を持っているので、人間より表情豊かに、たくさんの願望を積極的に表現します。


ルキアナというキャラクターが、同僚であるティーチャーが死んだ際「奴は命をかけて本国を守った」と表情を崩さずに言うのに対し、その直後メイドのギジンが「ピアノを弾きたい」と言います。

キカイのほうが感情表現が豊かで、そこに自分のアイデンティティを求めます。それが本物であるかは関係ありません。自分らしい何かを発したいのです。


同様に、ロボットの腕が変化するのは、第一巻の後半に出てくるルキアナというキャラクターの右腕と対比構造にあります。


ルキアナの腕はいびつです。それは科学技術が衰退し、それでもこの時代の無知な人類の製造した義腕を装着している姿が、美しく変形する機械の腕と対比構造にあるのです。

もちろん読者さんはそこまで意識して読む必要はありません。あくまで作者の論理です。


人の形をした偽物である機械は美しいが、感情やアイデンティティを切望する。

オリジナルの人類はいびつで汚く、感情を押し殺して生きる。

それぞれが欲しがっているものは、実は相手が持っていたりするのです。


そのギャップを描きたかったので、あの腕になりました。



ただ、もちろん設定もあります。

ロボットたちが作られた時代は科学技術が発展している時代なので、有機的な形状を構成しながら、内部に銃を埋め込むことが可能でした。エルゴノミクスデザイン、と言えばいいのでしょうか。

逆にアルマでレイの生きている2105年は、科学技術は廃れ、先人の残した遺産で食いつないでいるようなものです。

ロストテクノロジーになっているのですね。

スターウォーズでエピソード1の時代は機械が美しく、エピソード4ではソ連のロケットのような無骨なデザインが増えているのと同じです。(スターウォーズに詳しくないのに、適当に言ってしまいました。間違っていたらすいません。スターウォーズファンを敵に回すと怖い)


単気筒エンジンですら、この時代の人類が製造するのは容易ではありません。

その結果、ルキアナの右手は機械が露出したまま、とってつけたような不自然な形状をしています。

それはロボットの美しい変形とは真逆です。


ただ、本当に描きたかったのは、最初に言った「ギャップ」です。

人間と機械が、まるで相手の特徴を模倣しているようになっています。


7/ 第1巻から第4巻まで、表紙のイラストは登場人物の顔のアップの上に電子機器や生物の一部が散りばめられています。このような構成を選んだ理由は何でしょうか。


これは私が考えました。素晴らしいでしょう?

と言いたいのですが、本のデザイナーがデザインのラフを提出してくださったものですから、デザイナーさんとの共同作品ですね(笑)

もちろん絵に関しては私が描いています。


いくつかの素晴らしいラフ案をだしてくださったのですが、私が昔から写真を切り取って貼り付けたようなコラージュのデザインが好きでしたので、打ち合わせの結果、今の表紙のデザインにしていただきました。


物語が「人と思っていた存在が、機械だった」「では自分は何者だろうか?」という始まりなので、人と機械が混在し、まるでどっちがどっちかわからないようなデザインになっています。


また、実は1巻・2巻・3巻・4巻と、種族が異なるキャラクターが表紙を飾っています。

1巻はレイ、彼はこの時代に生き残った唯一の「人類」です。

2巻はルキアナ、物語後半にわかることですが彼女は「クローン」です。

3巻はシン・イェン、彼女は機械の体に人の記憶をインプットした「新人類」という存在です。

4巻はリチェ、彼女は心も体もキカイである「ギジン」ですね。

全部の表紙もCMYKの4色になっています。この4つの色が揃って、初めて全色が描けるわけです。

それは作品の世界も同様、全種族が揃うからこそ世界が成立しているわけです。


8/ 作品の中で、食べ物が重要な位置を占めている気がします。なぜでしょう。また先生の好きな食べ物を教えてください。


あまり意識して「食べ物」を重要な要素にしたわけではありませんが、物語が人間と機械の対立構造で構成されていてその境界線の上に立つのが主人公ですので、彼には「美味しいものが食べたい」くらいのシンプルな動機だけを持っていてほしかったのだと思います。

なので、連載を始める前から「物語の最後はリチェとハンバーガーを食べるシーンで終えよう」と決めていました。


主人公の目的から「大義名分」のようなものを取り去りたかったわけです。

彼は責任をもたず、彼には「国」の概念もなければ「種族」などもよくわからない。

人類の未来のことなど考えない。


「人と機械が進むべき道」は彼自身の経験だけが物語っていて、彼が言葉を使って誰かに伝えるものではない。そんな私の意図がありました。言葉では説得力はありませんからね。


相手が機械であろうと人間であろうと手を差し伸べて、それ以外にはシガラミやコンプレックスを抱いてほしくはありませんでした。


それが理由です。


もしかしたら、私自身が「家族で揃って食事をする」という経験がなかったので、リチェとレイの二人が家族のように一緒に食事をする、というシーンに憧れがあったのかもしれませんね。

我が家は父親がほとんど家におらず、母は運送会社のパートで夜まで帰ってこなくて、兄も幼少期に家出をしてしまったので、私はいつも一人で冷凍食品やカップ麺を食べていたので。



私の好きな食べ物は・・・なんだろう。

強いてあげるなら・・・日本料理の「うどん」ですね。

太いパスタに卵と醤油をかけて食べるようなものです。具はありません。ちょっと前まで京都に住んでいて、いまは東京に住んでいますが、京都でも東京でもウドンを食べています。


ただ、あの、すいません、私グルメではなくて、時間がないときは絵を描きながら安いパンを何も付けずにかじってるネズミみたいな人間なので、ほかに好きな食べ物が浮かびません。


うどんも「お店に行けばすぐに提供されて、5分で食べ終わる」というファストフードなので好きなのです。すぐに仕事に戻れます。

いまどき刑務所の囚人のほうが多様な料理を食べてると思います。

栄養士の人が見たら発狂するでしょうね(笑)



9/ ラムダはコミカルな役を演じていますが、この「人物」を作品に登場させた理由はありますか。


3巻以降の展開上、ラムダが必要でした。

レイは2巻で、人類の軍隊に同行します。しかしそれは本来のレイの意思ではありません。

レイは本来、機械も人も関係なく愛せる人物です。人類に肩入れするのは違和感があります。


その彼を最後の局面まで連れて行ってくれる存在が必要でした。


それが、レイとリチェが証明した「機械と人は共存できる」ということを物語ってくれる唯一の存在、ラムダです。


しかし、ラムダがあまりにレイに肩入れするようだと、説得力が落ちてしまいます。

ラムダは出来るだけ憎らしく自己中心的であってくれたほうが、彼がレイについて語るときに説得力があると思ったからです。

自分が感じたことをそのまま率直に言ってくれると思ったので。


私が子供の頃に飼っていたハムスターが、食事をあげようとすると私の指を噛み、ケージを掃除しようとすると私の指を噛み、なでようとすると私の指を噛み、とにかく噛み付いてきたので、そのことを思い出したりしながら描きました。

私の指をソーセージだと思っているフシがあったので、たぶんコイツと一緒に寝たら食われるなと思っていました。

そこがまた可愛かったですが。


10/ 物語は東ヨーロッパが舞台ですが、これはどうしてですか。

大局的な歴史と文化の混在が感じられたからです。


まず、作品の具体的な舞台を決める前から、背景は廃墟ばかりになることはわかっていました。

しかし、廃墟、と言っても、その風景にはメッセージがたくさん含まれます。

ある時代に、街の時間が止まり、そこからずっと風化が続いているのですから、時間が止まった瞬間にどれだけの歴史がその景色に含まれているのか、それを意識して選びました。


ヨーロッパにもアジアにも、素敵な街、歴史的な街はたくさんあります。

でも東欧は、歴史的な建造物がありながらも、旧ソ連の影響下にある無機質なコンクリートのアパートのような建築もたくさんあり、21世紀のいまでは西側の文化に属し、そこにガラス張りの近代建築もあります。ドイツ車や日本車も多く走っています。


彼らが自ら作り上げた歴史の上に、人類全体のパワーバランスなどに左右された結果のいろんな建築がパッチワークのように混在しているわけです。


レイたちの生きる2105年には、世界が半世紀前から時間の止まった状態で廃墟として存在します。

それはただの廃墟ではなく、私たちの悲劇的な歴史や、豊潤な文化、それらをすべて含んだ廃墟であってほしかったので、東ヨーロッパを選びました。


実際に漫画を描く前に、取材でトルコ、ルーマニア、ロシアと旅行しましたが、特にルーマニアで上記のことを実感しました。


おそらく世界的な大都市からするとブカレストはちぐはぐな街に見えると思いますが、その街の景色を一枚見せるだけで、人類の歴史のメタファーになり得るだと思ったわけです。





・・・おしまいですかね?

自分の作品を語ることなど滅多にないので、とても疲れました・・・。

漫画を描く方が100倍も楽ですね。

内容に矛盾しているところがあったら許してください。

質問に対して、思いついたことを必死に書いただけですので。


でも、今回のようなインタビューを受けられて、とても光栄に思っています。

作品自体も、このインタビューへの返答も、つたないところもあったと思いますが、最後まで付き合っていただいて本当にありがとうございました。

いつも言っていることなのですが、誰かがわざわざ自分の時間をさいて私の作品を読んでくれただけで私は嬉しいですし、いつもそれで満足してしまうのですが、ほぼ1年ものあいだ自分の部屋から出ずにチマチマと描いたものが、まさかフランスまで届くとは思いませんでした。びっくり!


最後になりますが、日本もフランスも昨年から新型コロナウイルスとの戦いが続いていますが、どうか世界中のどの国も欠けることなく、この困難を一緒に乗り切ることを願ってやみません。



三都慎司



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新作について

自覚しております。

更新が少ない。。。


これはただ私のスケジュール管理能力不足というか、もともとマルチタスクが出来ないタイプの人間であることが理由です。


はっきり言って仕事にかまけておりました。

どうにも休みが取れない・・・。落書きを描く時間を取れない・・・。

連載準備が本格化して、かなりハードな時間が増えてきました。


今後は頑張って少しずつ時間を作って、ここでしか見れないものを更新していきたいと思っています(いつも言ってる)


・・・・・


次回作の作画は進めております。

たぶんコアな読者さんは、アルマの連載中に「次はこういうの書きたいなー」って私が言っているのを目にしたと思うのですが、だいたい全部やろうとしています。


1つは集英社さんで描かせていただく予定です。

「連載開始時期はこのあたりかなー」っていうのは決まっているのですが、実はこれ、なかなかおいそれと言えないのです。

どんな漫画がいつ始まるのかっていうのは、おそらく出版社さんにとってかなりシビアに扱うものだと思います。

なのですいませんが、夏ごろ、としか言えません。


なんだか曖昧な話しばかりで申し訳ありませんが、少々お待ち下さい。


もう一つは、ちょっとまだ本格的に喋れる段階ではなく(ストーリーが大きく変わる可能性がある)

すいませんが、そちらも少々お待ち下さい。


あぁ・・・おそろしく内容がない。

すいませんが、少々お待ち下さいませ・・・。


おそらく2021年の後半には、また月産70ページくらいになってると思うので、いまはただ週刊で弱った身体を治して、さらに次の連載を乗り切る体力をつけるべく毎日仕事の合間に筋トレとランニングを繰り返したりしています。


・・・月内にあと3回更新する予定です。

少々お待ちあれ!!!

すまん!!!本当に!!

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現実との距離感について

漫画を描いていると、恐ろしい勢いで五感が鈍っていきます。


まず仕事のスタイルとして、座り仕事、っていうのもあるのですが、他者のリアクションが仕事中にほとんどないのです。ずっと一人で考えて手を動かしています。


卓球を描いていても、脳みその中では全力で身体が動いているのだけど、それを必死でイメージとして焼き付けて、絵にしていきます。

例えば学校を描いていても、「学校でキレイな景色ってどんなのがあっただろう」と自分の記憶の中のイメージを掘り起こして、必死にそれを忘れないように絵にします。

「並んだ蛇口が光にあたっている景色」「廊下に舞うホコリ」「体育館の前に脱ぎ捨てられている運動靴」そういった記憶の中でウロウロ漂って、作品のシーンに見合ったものを探します。


そうやって記憶の景色の中で動き回るせいで、脳みその中で暮らし始めてしまうのです。


そんなことが続くと、遅かれ早かれどうしても自律神経がやられてしまいます。


なので、漫画を描いている人は何かしら自分なりの現実との接点を持っている気がします。


例えば料理をするっていうのもすごい現実的な行為です。

素材を揃えて、冷たい水で野菜を洗って、色んな匂いをかぎながら作って、食べる。

すごい現実的。

料理が趣味の漫画家さんが多いのも納得です。

そのときは、ただ五感で受信しながら、現実を構成し、最後は食事として体感します。


他にも、猫ちゃん、ワンちゃんと暮らしている方、植物を育てている方、旅をする方など、やはり漫画家の人はみんなそれぞれ現実との接点を持っているように感じるのです


私は食事に興味がない(・・・酷い)のと、むかしハムスターが死んでしまったことがトラウマでペットを飼えない(そろそろ克服したい)ので、それらは諦めています。

私にとって、それはほとんど「散歩」で補っています。


散歩をする時はできるだけイヤホンを外して、環境音だけに集中して、歩きます。

植物を触ってニギニギしてみたり、あえてボコボコの道を歩いてみたりします。


たったこれだけですが、散歩から帰ると「ペンで描く」っていう行為が、ちゃんと現実的に認識できるようになります。


家にずっといるとそれすら本能的にこなしてしまい、全部の作業、全部の道具が脊髄につながっている感じになってしまって、客観性がなくなり、最後は疲れ果ててしまったり、自分がよくわからなくなってしまうのです。


私は毎日30分は散歩に行くようにしています。多いときはそれを1日で3回くらいしたりします。


写真は散歩中に見た景色です。


仕事中のことはほとんど忘れてしまいますが、散歩でみた景色はだいたい忘れません。

たぶんこの日の景色も「この日の唯一の覚えている現実」としてずっと残ると思います。

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チェンジエンド もう一つの終わり方

今回描いたチェンジエンドという読切には、実は5パターンくらいの終わり方を考えていました。


そのうちの1つを紹介します。

まぁこういうのは作品を濁す、というか、「誰かが作った物語にすぎない」みたいな感覚を覚えてしまうこともあると思います。(私は結構そのタイプです)


なので、ある程度「制作の裏側を知りたい」という人だけ見ていただけたらと思います。


・・・・・


本編の後半から分岐する内容なのですが、一度「飛鳥は卓球をやめない」という終わり方に決めかけていました。


でも、やはり「なにかが終わるということ」を本編の軸にしていたので、最後に物語が違う方向に走るのも軸からブレるし、ある意味残酷な話になってしまうのではないか、と担当氏と半月ほどウンウン唸って、現在の形になりました。


下記がもう1つの終わり方です。ネームだから見づらいかもですね。







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チェンジエンド カラーオリジナルイラスト

今回、ヤングジャンプの増刊号にチェンジエンドという読切を描かせていただきました。

内容としては、前にファンボックスでもお話した「読切のための読切」という内容になっています。

主人公が卓球を辞めるところで終わっているので、もうつづきようがないのです。

これは意図して「この50ページで終わりにする漫画を」と描き始めました。


去年の秋頃、担当さんが何度か私のところにいらしてくれました。

実はアルマの終盤に、当時のヤングジャンプの担当さんがウルトラジャンプに異動するという事件があり、今回チェンジエンドは新しい担当氏との仕事になるのですが、新担当氏は以前から私がスポーツ漫画を描きたいと言っていたことを知ってくれていたので、ゆっくり数ヶ月かけて興味を掘り起こしてくれて、ネームを提出することができました。


楽しんでもらえたら嬉しいですm(_ _)m




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海辺の子 差分


知ってますよ。「差分」という文化があるのは。

なので習ってみました。


こういう絵って、個人的には練習の感覚で描いています。


普段漫画を描く時も、基本的には裸体から描いて、服を着せます(じゃないとシワの力学が掴みづらくて)

なので毎日裸体を描いてはいるのですが、いつもはその上に服を乗せてしまうのです。

なので裸体だけで成立する絵っていうのをたまに描かないと少し「大丈夫かな。変な方向に突き進んでないかな」って心配になります。


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海辺の子

なんだか勢いで半日で描きました。


商業誌だとこういう「キャラ1人、背景(薄め)」っていう絵は「1.5日」くらいかけます。

雑誌の扉絵とかで「キャラが全面に出ているもの」は1日くらいですね。

背景がキャラと関わりあっている絵(キャラがソファに腰掛けていたり、街を歩いているようなもの)だと、3,4日は必要って感覚です。


今回、半日で描いたっていうのは、はっきりいって短すぎるのですが、なんか勢いで描きたくなったので、描いただけです。おかげで楽しかったっす笑


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葬列の子

以前、線画をアップしたものをなんとなく着色しました。


葬式って、面白いですよね(不謹慎)

特に海外の映画などで葬式のシーンは興味深くてまじまじと見てしまいます。


黒澤明の「夢」という映画が、地味に好きなのですが(もちろん他の作品もすごい好きです)

「夢」では随所随所、美しいカットがあって、たまに見返してしまいます。

たしか最後は葬式のお話だったと思うのですが、あれもすごい素敵でした。


まだ見ていない人がいらっしゃったら、ぜひ見ていただきたいのですが、「夢」はオムニバス映画です。

ショートムービーみたいなものが「こんな夢を見た」という前フリから始まって、何個かまとめたものが一本の映画になっています。


小学生の時に初めて見たのですが、私の美的感覚みたいなものに大きな影響を与えてくれた映画です。

「内容としては・・・取り立てて面白いところは」と言われてしまいがちなタイプの映画ですし、晩年の黒澤映画の評判がよろしくないことは知っていますが、間違いなく私の好きな映画の一つです。


ではちょいと、明日あさってにでも、あと1,2個更新すると思います。

(いましか時間がない!)

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近況

すいません・・・熾烈な時期を過ごしていました・・・。


年末から今日まで、机に座ってハッと顔を上げたら時間が過ぎていた感じです・・・。


何をしていたかというと、

・連載企画の準備

・読み切りの作画

です。


「読み切り作画」に関してはTwitterでもちょくちょくとアップしましたが、卓球の漫画になります。

私がアルマの連載中に「次はスポーツと学園恋愛漫画が描きたい」と言っていたことを覚えている人がもしかしたら1人2人いるかもしれませんが、その「スポーツ」の方です。


卓球は好きで、番組はよく作画中に流していました。少しでも卓球っていいなと思ってもらえたら嬉しいです。


これはたぶん、2月か3月くらいのヤングジャンプの増刊に載る・・・はずです。

一応カラーももらっているので、カラーイラストも楽しんでもらえたら嬉しいです。



そして連載企画の方ですが、編集長さんなどをまじえて、いろいろ微修正して、みたいなことをし続けていたらこんなに時間が経ってしまいました。

そちらはしばしお待ちを・・・。



絵を描きながらラジオを聞くのが好きなのですが、ここ1年くらいずっと「ミルクボーイの煩悩の塊」という番組と「佐倉としたい大西」という番組を追っかけて聞いています。


「ミルクボーイの煩悩の塊」というラジオは、普通におもしろいのでずっと聞いています。毎週笑ってしまうので大好きです。やっぱり芸人さんのラジオは面白いですね。


「佐倉としたい大西」は、声優さんのお二人のラジオなのですが、私があまり声優さんに詳しくないので、番組を知ってからご両人のことを知った、という感じです。

普段、番組からニュースや情報を得るのが嫌だなと思っていたのですが、このラジオはただ2人の女の子がキャッキャと日常のことや声優のことを話しているだけのラジオで聞いててとても精神的に楽になります。こういう毒にも薬にもならない会話は聞いてて最高です。

あまりアニメに詳しくないので、多分私はラジオの内容を全然理解しきれていないのだろうとは思いますが、「化粧のこと」「ファッションのこと」「最近の出来事」などをダラダラと話しているラジオは、こちらも楽しく聞けていいです。


あかん・・・すごい淡々と話してしまった。



あまり私はエンタメを普段見るタイプではないのです。映画も漫画も、自分が好きで好きでどうしようもない作品を繰り返し見ます。なのでなかなか新しいものに手を出す暇がありません。

毎週やるタイプのアニメやドラマなどは、もう何年も見ていない気がします。追いかけるのが私には難しい笑

3話目くらいから見逃してしまって「まぁいっか」ってなってお蔵入りすることが多いです。


そういう私なので、こういう「追っかけている番組」は極めて貴重。大事に聞いていきたいと思います。


・・・なんの話だったんだろう。


今月、あと2回は更新します!!!!!(必ず!)

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最近・・・

すいません。


週イチで本当は更新したいのですが、どうにもこうにも。

忙しくて上手く行きません。。。


11月の頭から、漫画家復帰して、毎日ネームを描いたり原稿を描いたりとしていたら、気づいたら一瞬で年末です・・・。


で、いつ新作は見れるのか、という話しですが、多分2月くらいに一個読み切りを見せれます。

あと連載企画も複数個ちゃんと(?)進んでますが、それはどうにも時期がまだ未定です。すいませぬ・・・。


・・・・・


読み切りに関してですが、これはマンガを描く人しかわからないことかもしれませんが、世の読み切り作品にはいくつかのパターンがございます。


主流が「連載を意識した読み切り作品」です。

これは、その作品を連載化することを意識した読み切りです。

アルマの読み切り版とかは、思いっきり連載を意識したものです。


それともう一つが「読み切りのための読み切り」です。

四季賞などがそうなのですが、たまにある「読み終わったけど、え、終わった?見事なまでに作品自体が終わった!」っていうタイプの読み切りです。


連載を既にやった作家はほとんど前者を求められるのですが、最近その読み切りの作り方に飽きてしまっていたので、また一度「絶対に連載にならない読み切り」を描きたくなります。


今回の読み切りは一応それです。


なんで「連載を意識した読み切り」が主流になるかといえば、すごい明快ですが「出版社さんは読み切りだけではお金にならない」という理由と、作家側も「読み切りは赤字」っていうことが理由としてあります。

読み切りは一から舞台・キャラ・設定を全部練って作るので、製作期間は数ヶ月に及ぶので製作コストは莫大なのですが、お金はそこからほとんど生まれないのです。


読み切りは経済的には関係者全員が赤字なのです。


なので、発展性のない読み切りは避ける傾向にあります。(主人公が死ぬとか)

読み切りを描いてもらうからには、その後その設定を利用して連載にして、単行本収入を上げたいというのが一応経済的には大事なポイントです。


(もちろん出版社さんも「読み切りも連載も面白いマンガを出すだけ、それだけだ」という気概はみなあわせ持っているので、けして経済だけでみんなの動きが決まるわけじゃないです)



でも、作家側にも「映画みたいにしっかりと完結する首尾一貫した読み切りを描きたい」という欲求はつきまとうわけです。

今回は自分の中のその気持に答えようと思って読み切りを描いています。


おかげで赤字ですが、全然まぁ気持ちは良いです笑

それだけじゃマズイんですけどね。

私はどうにも作品へのコスト意識がないので、毎回そんな感じで、赤字を垂れ流して生きてます。




という、なんとも言えない近況報告でした。


年内にちゃんと、絵もアップしますので・・・すいませんが少々お待ちを・・・。

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なにかを諦めるということ


正直これから書く内容はたいした話しじゃないし、勘違いかもしれないです。

またこれを読むことで「明日から役立つぜ!」とか「漫画がもっと面白く読める!」みたいな記事ではありません。

あくまで自分が忘れる前に書きたいと思っていた文章です。


・・・・・・・・


私の人生で何かを諦めたことは本当にたくさんありました。

やりたいこと、と思っていたけど実は違った。なんてことも多かったです。

親への体裁として「自分はこれがやりたいんだ」「自分はこういう人間なんだ」と思い込んでいただけのこと、周りの友達が言っていたから自分もそうだと思いこんでいたこと、「なにか憧れがほしい」という気持ちだけで近くにあった適当な何かを掴んでしまったこと、いろいろありました。


10代には「いつか大きなことをしたいな」「キャーキャー言われたいぜ」みたいなことも考えたりしていました。ちょっと好戦的な気持ちもあったと思います。


でも20くらいのときに、鬱になってしまいました。


たぶん忙しかったのと、その結果 色々自分を見失ってしまったのだと思います。

そのタイミングで、ものの見え方が180度変わってしまいました。



・・・・・・・


10年前くらい、当時は京都大学で物理工学の研究をしていました。


ただ、ある日、なんかぷっつりと切れた感覚があって、その日に退学して、1ヶ月ほど薬を飲みながら家で寝ていました。


人との関わりが本当に嫌になったんでしょうね。

そのときに一度人生を捨てた感覚になったことをしっかりと覚えています。

自分を傷つけたりもしてた時期はありましたが、そのときはそんな気力もありませんでした。

食事も取れずに、ただ体中がしんどくて、何も出来ませんでした。


ただ、薬のおかげで、少しずつ歩いたり散歩したりできるようになったとき、近所の旅館の求人を偶然目にしました。


急展開なのですが、それから親と縁を切って、旅館で住み込みで働きはじめました。

急な理由はありません。もう何も考えていないのです。


ただ旅館を選んだわけは明快で

「一生誰とも会いたくない」というのと

「貯金はできないけど衣食住が保証された場所で一生同じ仕事を毎日やって、何も考えない人生になりたい」

という理由でした。


たぶん若い頃にいろんなことに悩んでしまったのか、もう脳みそがショートしちゃったんでしょうね。


悩んでいた内容はよくあることです。

「人生で自分にしか出来ない何かがあるはずだ」

とか

「自分と他人とは何なのか」

とか

「生きるとは」

みたいなことです。

若いですね。


・・・・・


上の写真は働いていた旅館の正面門です。


働いていた旅館は本当に大きな旅館で、京都でも有名なところでした。

客室は100部屋以上あって、庭には重要文化財などもありました。


旅館には「女将」の下に「仲居」という女性集団がいます。

私のいた旅館では30人から40人ほどの仲居さんが働いていました。

そして仲居さんの下に5人の「中番」とよばれる連中がいます。中番は仲居さんの下っ端みたいなものです。


「千と千尋の神隠し」を思い出すと、旅館の内部構造がとてもリアルに描かれています。

浴衣や着物のようなものを着て働いている女性が「仲居」です。(千尋に対して「ひと臭うてたまらんわ」と言った人たちです)

それに対し、千尋やりんのように、作務衣を着て走り回っている人たち、あれが中番です。



私は中番でした。


(ジブリ提供 フリー素材より)


従業員は50人ほど。ほとんどの人は自宅か寮に住んでいますが、寮は満杯ということで、旅館の庭にある蔵に住ませてもらいました。


蔵、といっても、本当に世間の人が想像する蔵です。

外から見ると、なまこ壁と呼ばれる白い格子状の模様があって、窓は高いところにあるだけ。

でも20年前くらいにも、一度その蔵に住み込みをさせたことがあるらしく、トイレと電気、布団はありました。






毎朝4時に起き、作務衣を着て蔵から出ます。


10人ほどの板場の人と一緒に料理の支度をし、布団を上げにいきます。(中番一人あたり50人のお客さんを相手します)


その後、料理を下げ、食器を引いて、厨房の業務用食洗機(6畳くらいのサイズのプールです)に食器を投げ込んでいき、最後に旅館の隅から隅まで掃除機をかけます。

気づいたら10時になり、朝のしごとが終わりです。


午後は16時から、同じことをします。料理の支度、料理を運び、布団をしく。

気づいたら22時になっています。


これで1日のしごとが終わりです。


毎日12時間労働、何か重いものを持って運び続ける仕事です。毎日3万歩ほど小走りを続けます。休みは週に1日ですので、月に4日。

おかげで太った人はいなく、健康的を通り越して全員ヘルニアに苦しんでいます。


しかも休日の単位は旅館の1日の区切りです。


どういうことかと言うと、朝4時から働いて、そのあとお客様がチェックアウトする午前11時から休日が始まります。

そして、翌日、お客様がチェックインする午後4時で休みが終わります。

丸一日休むことはできませんので、だいたいみんな近所でパチンコをしたりしている人が多かったです。(私はパチンコをしたことありませんが・・・)


・・・・・


一緒に働いている中番さんや仲居さんは平均年齢が60歳くらい。でもみんなバリバリ働きます。敷き布団を5枚重ねて抱えて走っていくなんて、男女問わず70ちかくの人でも普通にこなします。

すごいなぁと関心したのは最初だけ、すぐにお互いの扱いが雑になります。

70歳の女性相手でも「私こっち半分運ぶから、あんたはそっちの半分いま運んで。すぐに」と普通に言えるようになります。

そういうものなのです。


そしてみんな、私と同じ給料。時給730円でした。


つまりは私がこのままこの旅館の敷地から出ずに、今後50年、変わらない給料で毎日同じ作業をし続けた結果の姿が、周囲の人たちなわけです。


「一生誰とも会いたくない」

「貯金はできないけど衣食住が保証された場所で一生同じ仕事を毎日やって、何も考えない人生になりたい」

という当時の私には、うってつけの職場でした。


けして仲の良い職場ではありません。

基本ほとんどしゃべりません。


年配の女性陣は、数人の重鎮の方たち以外は極めて居心地が悪かったろうと思います。

映画などで見る昔の花魁の世界のイジメみたいなものがたくさんあります。

旅館、という仕事柄、昔ながらの人も多く、男子が料理をしようとするとバッシングを受けます。逆に男子がやるべきことも明確で、絶対に女子は手伝いません。


私はほとんど喋らずに1年そこで働きました。

誰とも喋らなかった日ばかりだったと思います。


どこからともなくやってきた誰とも喋らずに仕事を延々とやっている私は、最初はいじめられたりもしましたが、1年経つ頃には完全に身内の扱いになっていました。

まだ20そこそこなのも、少し可愛がられる理由だったのかもしれません。

私の次に若い人は45歳でしたから。


・・・・・


1年半くらい、旅館で布団と料理を運び続けるアンドロイドと化した私は、まったくなんの悩みもありませんでした。


複雑なことを考える暇はありませんし、蔵に帰ったら、子供の頃からなんとなく趣味で続けていた絵を描いて、すぐに疲れて寝てしまっていました。


毎日、汗だくで働いて、帰ったら絵を書いて、倒れるように寝る。


そんな生活を1年半やりました。


・・・・・


1年半たったころ、やっと「残りの人生、いろいろやりたいことがあるかも」って思いました。

大したことじゃないです。

「絵を描きたいな」とか「海外旅行したいな」とか「バイクを組んでみたい」とか、そういうことです。


旅館で延々と働いて、疲れて寝て、を繰り返していたせいで、脳みそがシンプルになりました。悩みが悩みじゃなくなって、そもそも人間の持ってる生命力みたいなものがウダウダと勝手に悩みを作っては苦しみ続ける脳みそを振り切ったんだと思います。


逆に言うと、苦しみから脱出するのに、1年半かかったのです。


そのとき、旅館を辞めました。


・・・・・


それからはやりたいことが明確でした。

海外旅行に行って、絵を描いて、バイクに乗りました。


すると「もっと絵を描いていたいな」と思って、漫画を描いたら漫画家になれました。


最初は「気づくのがおそすぎる」と自分のアホさに絶望しましたが、いまでは逆に考えています。


そこまで生命力を回復できたのは、完全に旅館で1年半も働いていたおかげです。

人生としては完全に横道で、自分の目標などとは1ミリも関係ない肉体労働を1年半したからこそ、やっと心が体においついて来た感じでした。


そう思ったときに、やっと気づいたのですが、人生に目標はないんですよね。多分。

やりたいことだけがあるわけです。


やりたいことのために辛いことをしてもいいけど、それをやらなかったらダメかと言うと、けしてそんなことはなく、また横にあるやりたいことをやればいいだけ。


人生のことを考えると、映画やテレビのドキュメンタリーみたいに「一本筋とおったまっすぐなもの」を考えてしまうけれど、結局は自分の気持ちと状態を記憶という形にかえて、積み上げていくだけです。


そこに「けっきょくおまえ何したかったの?」という問いは必要ないと思うのです。


だって私は多分、旅館で1年半も働いていなかったら、たぶんあのとき死んでいたと思うからです。

あのとき近所の旅館の求人を見なかったら、きっと私はあのまま一人で死んでいたと思います。


それくらい追い込まれていましたし、それくらい旅館で過ごした無駄な1年半に、とてつもない感謝の気持ちがあります。


・・・・・


言いたいことは何もないのですが、もしなにか1つ、ここまで読んでくださった方にお伝えできる教訓があるとしたら、「どう転んでも、財産になる経験しか人生にはないと思うよ」っていうことです。


もし夢叶わなくても、失恋しても、追い出されても、仕事がなくても、それらすべてがかけがえのない大事なことだと思います。


それから「諦める」とは、ただその時の状態のことを示すだけで、あくまで人生においてかけがえのない1場面でしかないのだと思っています。


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三都日記 第10話

これは、この前のコミティアで販売したものになります。

ちょっと描き直したいのですが、ちょいとまだ忙しくて・・・。


もし書き直したら、またここでアップいたしますね!m(_ _)m





















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日々で思うこと


と言ってみたが、別段なにかいま契機があって「よし書くぞ!」となったわけではありません。

衝動に任せて日記を書くなんて、全然まだまだ。

私くらい衝動的な人間になれば、別にキッカケなどなくても衝動的に日記を書くのです。


では、なにを書くのか。

それをいま考えているわけです。


・・・(沈黙)


そうだ!

そういえば11月から漫画家業務を再開しています。

9月に前作の最終巻が出て、それから1ヶ月ちょい、ボンヤリボンヤリと寝っ転がりながら窓の外を見るという入院患者感たっぷりの生活をしていたのですが、少しずつ色んなものに興味を持ったり、色んなドラマを考えたりと、脳みそのエンジンが温まってきたところだぜ的な状態になってきました。


これは、始められる!


そう思うやいなや、関係各所から催促が来ました。


まず、アルマの担当氏(現ウルジャン担当氏)、ヤンジャン担当氏(元ウルジャン担当氏)っていうウルジャン・ヤンジャンの社内トレードを行ったお二人がいます。


このお二方は連載終了時から、ちょいちょい気にかけていただいていて、たまにご飯などをおごっていただいたり、なぜかシガーバーに連れて行っていただいたりしながら、やんわりと「次は何が描きたいか」というお話をしていただいておりました。


私が体調回復したことをいち早く察知したお二人が早速ケツに火をつけに来ました。


復帰そうそう、まず2つの火種がケツにつきました。

復帰早々、2つの企画を進め始めました。


どちらの担当氏にも恩義がありまして、まぁ特にアルマの担当をしていた現ウルジャン担当氏は、私が集英社で仕事をしようと決めた理由と言っていいほど、親身に寄り添って作品を研ぎ澄まそうとずっと並走してくださった方です。今後、色々と恩を返したい気持ちも強いので、声をかけられたら黙ってるわけにも行きません。


ケツについた火はとても熱く、走り出さざるをえません。

復帰早々、三都はカチカチ山的な感じになってしまいました。

(参考 カチカチ山より)



その後、以前からご連絡をいただいていた少年Mの担当氏とK談社さんで打ち合わせなどをして、そちらも企画が少しずつ広がり始めました。

こちらも連載中から延々と世間話のようなものを電話でしていた方です。

企画自体も私の描きたいものを模索してくださって、とても恩義があります。


結論から言うと、3つめの火種がケツにつきました。


他にも諸々ケツに火がついているのですが、プラスして自分がつけた「コミティア」という火種もケツについています。


「さあて、休んだし、出発するかー!」ってなって半月しか経っていないのに、私のケツは火だるまになりました。


はっきり言って連絡を返せていない人も多々おり、自己管理はさっそくぶっ壊れました。

恥ずかしいし、申し訳ないです。


復帰早々、もう私はカチカチ山を超えて、西部警察みたいになっています。

(参考資料 西部警察より)


この半月、つまりはこういうことをしていました。

打ち合わせ、そしてネームを描き、また違う打ち合わせ、という繰り返しです。

はっきり言って半月で一気に疲れました。

返信できていない連絡もたくさんあります。さっそく不義理を繰り返しています。


恩義を返そうと常に全力を尽くすことに定評のある三都ですが、全力を尽くしすぎて自己管理がおろそかになり、最終的に不義理を繰り返すことにも定評はあります。


しかしまぁ、おかげで少しずつ企画が決まって、掲載が決まったりとしっかり動いています。


ちなみにどれもが連載企画というわけではないので、ご心配なく(?)



ただ、私は毎年の目標を決めるタイプではなく、来年も今年くらい楽しい年になればいいなぁ程度には思っているのですが、どうにもまた無理をしないか不安です。


まぁやるからには本気で。

でも無理しすぎないように、来年も描きたいものをかけたらいいなぁと思っています。色々挑戦しながらね。


上手いこと近況報告を出来たような気がするし、いわんでええことを言っただけな気がします。まぁでも、漫画家の近況なんてこんなもんしかないんです。

許してください。


ではまた近いうちに!絵とかあげます!

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キミがきこえる を描いて

『キミがきこえる』という4P漫画をTwitterの同人誌である『COMIC GIFT』に掲載されました。


運営されている講談社の山中さんという方は、実は私が初連載のときから誰よりも先に感想を送ってくれていた方でした。

なんどか企画の話しをしていたのですが、タイミング的に実現することが叶わず、ただの友人みたいな関係になってしまった方です。


その山中さんから連載が終わる直前にお声がけいただき、今回『キミがきこえる』を描くに至ったわけです。



実は最初『4P漫画を』という話を受けた時、私はもうSFを描きたくはありませんでした。

なんでかっていうと若干説明しづらいのですが、いま、2作連続でSFを描いてしまったことで、私の中の『デザインの引き出し』『ストーリーの引き出し』が完全に在庫一掃処分をされてしまって、いまこれ以上描いても『これまで描いたものを再構成して、キャラと見出しコピーだけが違う漫画』になってしまいそうだったからです。

既存の漫画の亜種ですね。


もちろん私の引き出しの中のものも、私が赤ちゃんのときから脳内に授かっていたものではありません。

いろんな好きな映画、漫画などを読んで、それを長いこと脳内で『素敵だなぁ』と感じながら消化して、その要素をデザインに活かしているに過ぎないのですが、その引き出し自体が空っぽになっちゃった感じです。全部に手垢がついてしまいました。


なので今回、執筆するに当たって『日常物を描きたいなぁ』と思ったのですが、山中さんから『SFでお願いします』と先手を打たれてしまったので、やむなくSFを描くに至りました。


SFで4ページ漫画を構成するめんどくささは筆舌に尽くしがたいものです。

これは漫画を描いたことある人にしか分からないような悩みだと思います。

漫画とは、読者との感覚のキャッチボールです。

共感可能な部分をつなぎ合わせてストーリーになります。


もし日常漫画だったら『夕暮れ』を描くだけで読者の『哀愁』を引き出せます。

制服でタバコを吸っているやつがいるだけで『あぁこいつは不良の高校生なんだ』とわかります。

家の玄関に汚く靴が脱ぎ捨てられていたら『あぁ、この家は色々雑だぞ。なんか事情があるのかな?』って気づけます。

もっというと、黒板消しが1つだけしょぼんと誰もいない教室でおいてあるだけでノスタルジーな感覚を呼び起こせます。


SFではそのことが出来ないのです。

最初に読者さんが気になるところは、ここは地球なのか、別の惑星なのか。現在なのか、未来なのか。のような『設定』になってしまいます。


SFでは絵面や設定を自由に出来る『飛び道具』はあれど、使える『必須アイテム』が圧倒的に少ないのです。


4Pというボリュームで『キャラを見せる』以外のことは、なかなか難しいものです。



気付いたら愚痴みたいになってたけど、そうじゃなくてw

えっと、ちょっと大変だったということがいいたかった!笑


でも出来上がった漫画は、とても好きな感じになりました。

なんとか上に描いたデメリットは払拭出来たと思います。



この漫画は現代のメタファーでもあります。


私も何十日も事務所に籠もって誰にも会わず徹夜を繰り返して、一人で仕事をしていて『なにやってんだろ・・・』って思っちゃう時が極稀にあります。

そんなとき、友人の漫画家さんが徹夜して描いている姿などをTwitterなどで知ると、『コーンコーン』と聞こえたように感じます。


でもそれって、いま現代では一次産業でも二次三次産業でも同じことですよね。誰しも同じ感覚を得る瞬間があると思います。


相手の本当の気持ちもわからない、人生のあるポイントで点と点でつながっただけの関係ばかりですが、たまにきこえるコーンコーンという音で、真髄みたいなものを感じたりします。


とても寂しいし、お互いのことは何もわかりません。もしかしたら自分を利用しようとして近づいてきただけかも!

誰も自分とずっと一緒にいてくれる人なんていないかも!


でもね、たまにきこえるコーンコーンという音で、なんか『ふへへ』って笑ってしまったり、『私もがんばろうかなー』って思えたりします。


そんなコーンコーンな話でした。


読んでくださって、本当にありがとうございました。



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ファッションと漫画


・・・すごい実になる話し、面白い話しが聞けそうなタイトルでしょう?


しかし実のところ、なにを書くかは、いまタイピングしながら考えているのです。

そんな見切り発車で大丈夫か!?私!



私には定期的に『このジャンルの勉強をしよう!』と、いろんなマイブームが入れ代わり立ち代わり現れます。


具体的には、一昨年くらいは『中国史を勉強しよう!』と思って、本を読んだり、ネットサーフィンをしたり、ネットで見れる講座を流したりと3ヶ月ほどやりました。

その3ヶ月間は中国史づくしです。トイレでもイヤホンで講座を聞いて、謎に急に湧き上がった中国への興味を満足させようと一生懸命暗記します。


3ヶ月後になにが起きるかというと、『飽き』です。


これまた急激に飽きます。

自分で自分が怖くなるくらい急激に飽きます。


それまで中国の民族の名前をすべて覚えようとご飯を食べながら復唱したりしていたのに、ある日急に『よく考えたら、中国史、あんま興味ないかも』ってなっちゃいます。怖い!そんなやつと結婚したくない!3ヶ月後に飽きられる!


しかし無情にもその頃には次のブームが来ます。

『アメリカ映画のプロデューサーを100人覚えよう!』って急に欲求が湧き上がってきます。



そんな私ですが、ここ3ヶ月ほどのブームが『ファッション』でした。

私はファッション適当族の歴代総長の一人です。

ファッション適当族における宇梶さんです(わかりづらいな)。


昔から『パーカー』『ワイシャツ』『Tシャツ』を適当に着てました。

そこに理屈はない!洗濯してあるものからノールックでピックアップします。

洗濯物も適当に積んであったり、適当にケースに突っ込んであったりするんで、もうテレビでよくある箱の中身当てゲームみたいに手を突っ込んで、引っこ抜きます。


しかし、ファッションになんとなく興味を持って、ようやく気づいたのです。

私はファッションの理屈をまったく知らないと(30年生きてやっと気づいた)。


そこから勉強が始まりました。

そもそも服のジャンルの歴史が気になる。

パーカーって一体どこから来たファッションなのか。

スーツって、いつから着始めたのか。


アホみたいに調べ始めます。


それと同時に、『オシャレ』の理屈も気になります。

なぜ私はダサいのか。誰がどう見ても『適当な服装』に見えるのか。


そこでやっと気づいたのです。


ファッションと絵は似ている!!!!!!

(奇跡的にタイトルとつながった!この調子だ私!うなれ!キーボード!)



服装って、シルエット、素材、文化、ロゴ、いろんな要素で出来上がっているじゃないですか。

でもその捉え方って、完全に絵と同じなのです。


絵を描くときに、私が重要視する順番、というか多分世間一般に重要視するのって、

・明暗シルエット

・外形シルエット

が一番大きいわけです。

シルエットで魅力のない絵は、細部の魅力に頼らざるを得ないわけですが、細部の魅力で全体のクオリティを持ち上げることって出来ないんです。


どういうことかというと、

漫画の絵などを描く際に、例えばキャラクターのポージングがあまりに快感的な曲線(コントラポストなど)から逸脱していたら、そこから描き込んでも『表情が魅力的ですね』という話しとかに収束するだけなのです。

『いいね!』と思われるには、まずシルエットが魅力的、その後、細部、とたどっていくわけです。


その細部に関しても、もちろん重要な順番がありますよね。

『顔だけ濃い絵』っていうのはまだ人体を描くのになれていないとよくある傾向だと思うんですが、それもその重要度がたぶんひっくり返っているまま描いているせいですよね。


シルエットが決まると、その後、どこに重心を持ってくるか。

目を細目でうっすらとあけて絵を見ると『なんか、ここだけごちゃごちゃしてるっぽいな。濃いな』とわかったりする方法論があるんですが、そのハナシです。


絵の重心は一部に寄っていては変なのです。かと言って、服のシワや細部を描き込んで、絵全体がメチャクチャ密度の高い、線の多いものになると、今度はヌケがなくなります。

重心をしっかりと決めて、かつ全体においてメリハリをもたせつつ、書き込みをコントロールする。

そしたら明暗のシルエットが魅力的なものになるわけですよ。

私は困ったら、重心を低くします。

つまりは下に行くほど線が多かったり、ベタが多かったりするようにします。

(もちろんそれだけだとつまらないので、色々なパターンを出すのですが)


そこから、魅力的な表情を描き込んだり、髪の毛をセクシーな曲線で描いたりするわけですよね。



これが完全にファッションの捉え方と同じなのだと!!!!

そう言いたいのだと思う!私は!


ファッションも、まずシルエットなわけですよね。

下半身、上半身のシルエット。

下半身がピチピチの場合、股上をあげないと重心が低くなってしまう。

ピチピチのパンツを履いている女性が、服をズボンにインして腰の位置を上げるのには理由があったわけですよ!

そんなことも気づいてなかった!!!!


上半身も下半身もピチピチだと、とてもシルエットに魅力がなくなりますよね。

どこに遊びを作るか、シルエットとしてどうバランスを取るかが服のモードに影響するわけですよ!!!

まずそこだ!


そしてまた、明暗のバランスを決めるわけです。

全身真っ黒だと『オシャレ』って思われにくい!

しかし、スニーカーが真っ白だったらどうか。

シャツだけ黒をグレーにしたらどうか。

今度は明暗の重心、明暗のシルエットが決まるわけですよ!


そこから、細部に移りますよね。素材にテカリがあるか、それとも繊維が太く、荒めのものにするか。

スニーカーにするか、革靴にするか。

フォーマルかカジュアルか。それもバランスで決めていくわけです。

一辺倒にならず、着崩し、着こなしをアピるためにも、フォーマルを一部混ぜたりするじゃないですか。


そして、アクセ、もっというと、シャツのステッチがどうかとか言うハナシになったりするわけじゃないですか!!!!!!


これもう完全に人物の絵を描く思考と一緒だ!!!!!


・・・・


偶然にもタイトルのフレーズを回収できた喜びで、ビックリマークだらけになってしまった。


いや、本当の事を言うと、実は少しファッションにコンプレックスを持っていたのです。

別に普段着ている服が適当なのはいいんですけど、作者がファッションに興味を持っているのかって漫画に思いっきり出てしまうのです。


キャラがオシャレな人は、ちゃんとその引き出しが脳内にあるのです。

私はびっくりするくらいそこの引き出しがなくて、このままじゃまずいと勉強を始めたというのもありました。


3ヶ月と言わず、漫画のためにも、ちょっとこのままファッションの勉強を続けられたらと思います。


見切り発車で適当に書き始めたのに、意外とちゃんとした記事になったと自負しております。すげぇぜ私。


・・・失礼します笑


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アルマ第4巻発売 カウントダウンイラスト

アルマ第4巻が発売される1週間前、なんとなく『発売まであと6日』と描いてイラストを1枚Twitterにアップした瞬間、やっと『あ・・・これカウントダウンしなくちゃいけなくなったな』ってやっと気づきました。

それから毎日30分ほど描いてはアップしてを繰り返したのですが、意外や意外。みんないい表情に描かせてくれました。


実はアルマはキャラの描き方・背景の描き方は、かなり手癖からSF仕様にカスタムしてます。ちょっと線数を増やしつつ、顔の立体感を強くしています。リアル目にしてる感じですね。

ゆえに、いまこうやって連載が終わって改めて描いてみたら、けっこう手癖に近い作画になっちゃいましたね。

『え?キャラの顔かわってない!?』って思われた方がいらっしゃったかもしれませんが、私の脳内では変わってません。脳内イメージから絵にするときの回路が少し変わっただけです。


個人的にはやはり、ルッチとシン・イェンは良い表情に描けた、気がします。






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近況 (とおまけの落書き)

とタイトルを描いてみたものの、恐ろしく何も言葉が出てこない。


なにをしているか、と言えば、基本的には前から描いてみたかった漫画の草案をネームにしていっているのですが、それってあまり記憶に残らないのですよね。

原稿になって初めて記憶になったりします。いや、わからん。言いたいだけかも。


この1年半、連載の作画を延々とやってきたわけですが、その記憶もびっくりするくらい残っていません。

たしか事務所を借りて、ずっとそこに籠もって描いていたはずなんですが、残ったのは描き終わった原稿だけで、そのとき何をしていたかを何も覚えていない・・・。


人生どうなってやがるんだ。

熱中したら記憶が残らない。どうでもいいことばかり覚えている。

すべてを手に入れることは出来ないトレードオフな人生ですね(これも言いたいだけ)


えっとね、ちょっとまってね。考えてる。


そうだ!

最近生まれて初めてちゃんとした整体に行きました。


実は京都にいたときに、近所の商店街に整体が出来て一度行ってみたことがあったのですが、そこはマッチョの人たちがとにかく揉みまくってくれるタイプの整体で(すごい安い)、気持ちいいのですが、その翌日に体中が痛くなってしまったりして、整体はそれっきり行かなくなってしまったのです。(揉み返し、というやつかしら)


しかしまぁ連載中に、明らかに体がギクシャクしていると感じたので、このタイミングで一度整体に行ったのです。


その整体は筋肉ではなく、リンパ(?)を触るやつで(語彙力なさすぎる)、最初足にオイルを塗られたときは『なんかエロいぜ』と余裕な思考をかましていたんですが、整体士のおじさまの親指で骨と骨の間にグイーって押してスライドさせて行くと、私は悶え苦しんでしまいました。筋肉を触らないんですね。


全身、そうやって骨に沿ってグイーって指をスライドさせるような作業を経て(全部すごい痛い)、ようやく1時間経って終わったわけですが、その後は変な痛みもなく、元来低めの体温が少し上がったのを実感しています。冷え性にも効くのかもしれない。


もともと私は自分の体調に関してめちゃくちゃ無頓着で、なにも意識せずに生きてきたのですが、今後は少しずつ色々自分の体を知っていきたいです。とよくわからない締めになってすいませんが、その話はそれでおしまいです。



最後にお口直しに昨日描いていた落書きを。

ヨーロッパの葬式で女子もハットをかぶってそこに花を沢山つけたりしているのを見たことがあるんですが、それを描こうと休憩がてら落書きしていました。

もしこのまま完成させたらまた見せますね。


長々、読んでくださってありがとうございます。



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第5層のゲート

アルマの第5層、ゲートの構造は、連載開始前から決めていました。

基本的にはカメラレンズの絞りと同じ、7枚の羽根が閉じたり開いたりをします。


表面に描いてある模様は、昔の易学の易卦というものです。

3本の線で、途切れているものと続いているものが混在しており、2進法3桁の数字を表しています。

つまり記号ごとに0~7までを表しています。


前のゼロ(と思われていた女性)ヘルカが、手を付き、表面に大きく表示されている三本の直線が『ゼロ』を表していて、その上に『拒否』と表示されたので、ゼロではない、という意味ですね。



なぜ数字ではなく、記号なのか、というお話ですが、

基本的にこの施設、いつまで地球にあるのかわからないまま建築されたのです。

なので、もしかしたら地球上の言語が大きく変化しているかもしれない。

そんなときにローマ数字を使うよりは、二進法表示で表現したほうが言語を問わず理解可能であるように作られているわけです。


けっこう小さな話ですが、アルマの設定でした。

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アルマの連載について


いまから4年前、アルマという作品を描く前に、実は同じ世界観の漫画をすでに描いておりました。といってもネーム段階なのですが。


それはギジンの主人公が毎日記憶を失いながらも、過去の自分のメッセージを受け取りながら進んでいく話でした。


アフタヌーン四季賞というものをいただいたときに『なにか次のネームを』という話になり、その読切(といっても150ページもあったのですが)のネームを一人で描いて提出しました。

例のごとく、私はまだ漫画を1つしか描いたことがないペーペーで、人生で初めて描いたネームなので、いまでは読み返すのも恥ずかしい出来ですが。


それを当時の編集長が気に入ってくださり『この読切ネームを連載用に仕立て直してください』という話になって、今度はそれを連載用ネームにして、という作業を1年ほどかけてやっていたのですが、そのタイミングで編集長が変わってしまい、結果企画は潰れてしまいました。SFは売れないからやらないという方針になったというお話でした。

ネームの出来に関係なくこの企画は絶対やらない、ということです。


その1年間のネーム期間があまりに多忙で、実は勤めていた会社もやめてしまい、企画ごとボツになったときは『・・・前の会社に頭をさげてまた働かせてもらおう』ってボンヤリと思っていたことを覚えています。


当時は『まぁしょうがないかぁ』と思っていたのですが、たぶん心のどこかにこの世界観がへばりついていたんだと思います。

ボツになったとは言え、アフタさんは特に不誠実なこともなかったため、編集部へのネガティブな印象もなかったので、ボツになったことはあまり気にしていなかったのですが、どちらかというと作品自体への懺悔の気持ちが強かったのを覚えています。


漫画、に限らず、人の創造物はだいたいそうだと思うのですが、一度頭の中で世界が動き出すと、それを中断することって難しいんですよね。

あぁ、あのキャラ達はあの後どうなったんだろう。ボツになった企画は一体そのあとどうなる話だったのだろう。とずっと気になっていました。


なにより、とにかく寂しい気持ちがあったことは覚えています。



そのあと、違う作品でアフタで連載をした後、いまのヤンジャンの担当氏から連絡があって『なんでもいいので読切を描きませんか?』というお話になりました。


こんなことを言うのもなんですが、漫画を描いていると本当に沢山の『編集者』から連絡が来ます。そしてこちらの作品を実は読んでいない人、噂だけ聞きつけて適当にスカウトしている人、もちろんそういう人も沢山いるわけです。

そんな中でお会いしたヤンジャンの担当氏なので、少しまだ警戒心が抜けていなかったのを覚えています。


ただ、とりあえずお会いしようと思ってお話したとき、担当さんは私のデビュー作から全部読んできてくれていました。そして担当氏だけでなくヤンジャンの編集長さんも同じく、私のデビュー作からすべて読んでくれていました。

基本的なことなのですが、そこに何より驚いたのです。


その時『もともとバトル・アクションの人ではありませんよね?』と言われ、私は開放されたような気持ちになったことを覚えています。


私はデビュー作から現代を舞台にしたヒューマンドラマの読切だけを描いていて、ダレカノセカイでバトル漫画(とほとんどの人は思っている)で初連載をしてしまったがために『アクション漫画の人』というレッテルを貼られていることが本当に辛かったのです。

いまでもとても複雑な気持ちになります。


どの編集さんとお会いして企画を話していても『三都さんならもっとアクション要素満載で』というお話を受け(それはそれでありがたいことなのですが)、でも私は少し『あぁもうこういう話は嫌だな』という気持ちがあったのです。


私はここぞとばかりにアルマのベースになる世界観の読切を出しました。

ヤングジャンプGOLDという雑誌になります。(結局アクションを描いたのですけどね)


幸い読切の反応もよく、連載に、というお話になったのですが、そのときに担当さんに一つ相談したことを覚えています。


『前作のダレカノセカイは自我に関する漫画という裏テーマがありました。実はこのキカイの話も同じテーマになっています。似たものになってしまう可能性があります』というものでした。

そしたら担当氏が『それはもうそのテーマを一度突き詰めろということだと思います。やってみましょうよ』と後押ししてくれました。


こういう人と一緒に作品を作ったらどうなるだろうとワクワクしたことを覚えています。



結果、アルマが生まれたわけですが、担当氏は作品の局面局面で私と一緒に悩んで、時にはアドバイスもたくさんくれました。必要なものはすぐに準備してくださいました。


私は多分、アルマで初めて『誰かと一緒に作る』ということをしたのです。

そしてその人はこちらの描きたいものを常に探りながら、作品がどうなるべきかを常に私とは違う目線で、でも同じ熱量で考えてくれました。


アルマの執筆を始めたのが連載4ヶ月前。今から1年半前くらいです。


その時から、スケジュール的にとてもつらい時期が続きました。

アシスタントも見つからず、延々と一人で描いて、体調も崩しました。

主人公たちのことを放り投げて、もう辞めてしまおうと思うくらいしんどかった。


でも担当氏はいつも粘り強く、最後の最後まで作品、そして私のことを第一に考えてくださいました。細部まで手を抜かず、間違いなくプロの仕事をしてくれたのです。



アルマ、作品としてはもちろん、私が出来ることはすべてやったし、個人的にすごい好きな漫画になりました。


ただ何より担当さんを始めとする編集部さんとの出会いが何より印象的でした。

ありがたい経験をさせてもらえたと、心から思えました。



担当氏に最終回を提出したときに、

『すごい良い漫画だと思います』と言ってくれました。

私はそれがとても嬉しかったです。


私はこの経験ができただけで、漫画家になってよかったなと思いました。

そんなアルマの連載でした。




こんな長い文章を読んでくださってありがとうございますm(_ _)m

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Twitterでは見せられない絵の供養


なぜだ。良い感じにセクシーな絵を描こうとしたのに、なぜただエッチしてる絵を描いてしまうんだ。


供養です。

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ゼロ(ヘルカ)

レイの前のゼロ(とされていた女性)。

名前はヘルカと言います。


北欧のクローンなのですが、クローンなので本当はゼロではありません。



このキャラ、キャラクターデザインを連載前に準備できずにバタバタしながら2019年の末あたりに急いで作り上げたものです。

急いで作り上げたものの傾向として、だいたい作者の好きな感じになっちゃうものですが、そのとおりビジュアル的にすごい作者の好みが入っています。


私はショートカットが好きなのですね(どうでもいい)


口元についているのはマスクですね。

クローンの中には肺の能力に差があります。一応物語内でも教授が言っていることなのですが、ルキアナ達ドイツのクローンは肺が強いです。ただこの北欧のクローンは肺の能力は人間並みなので、あまり外気を吸い込むとよろしくないのです。


他にも装備がまだハイテクな時代なので、ルキアナ達よりスマートなビジュアルになっているとかいろいろ設定はあるのですが。それはまた別の話ということで。


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モスクワ

アルマの世界において、レイに同行するクローンたちの本拠地モスクワは実は連載開始の半年以上前からずっと悩みの種でした。

『街』と言っても色んな要素が絡まりあって成立します。

人が住むには水が必要です。水はどこから調達しているのか。下水はどこへ流れていくのか。

また寒冷地に住むには電力が必要です。一体彼らはどのように発電し、それを利用しているのか。

もし鉄塔を建てるとした場合、鉄を準備しなくてはいけません。鉄鉱石は出土するのか。そしてどのように運搬するのか。


モスクワという場所を選んだ理由はその3つが兼ね備えられている場所だったからでした。

しかしモスクワの建築は元来とてもオリジナリティがあり、かつ歴史的な系譜をたどっています。

その確認をするために作者も(無一文で)ロシアに行きました。



レイがテンションアゲアゲだった球根のような建物。これも私の頭の中で全く建築の細部のイメージが湧きませんでした。

これでは描けません・・・。

なので実際のものを見に行きました。

このような実物を見て、やっと建築の構成要素、そしてデザイン性を知ることができました。


モスクワを歩き、地図を確認し、クローンたちの住む場所を決めていきます。

一体どこに塔を建築するのか。

その結果、最初のモスクワの遠景の絵が出来上がりました。


・・・まぁいろいろ計算してみたらレイとルキアナがモスクワに到着したのが夜になっちゃったので、ほとんど黒く塗りつぶしたんですけどね笑


こういった積み上げが、少しでも物語のリアリティにつながればと思い、連載前にとにかく準備を尽くしました。


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ルッチとイーナ

描いたキャラクターはだいたいすべて好きなのですが、アルマで特に個人的に好きなキャラが何人かいます。

その中のひとりがルッチ、そしてイーナでした。


ふたりともかなりストレス無く短時間でキャラデザを決めたのですが、それが功を奏したのか、その後も作画コストが著しく低い、とても描きやすいキャラになりました。

ルッチは3分くらいで描けるので、次がルッチのコマの作画だとわかると、ありがたくて泣きそうでした。


話は変わりますが、漫画の中でキャラクターを描く際、考えておくべきこととして『この人達はどこまで自分のことを知っていて、自分の過去をどう捉えて、消化し、いまこのように生きているのだろうか』ということがあります。

作品を作る側として、このキャラについて、多くのことを定義しておく必要があるんです。



少しだけそのお話をします。



ルッチは幼少期より、頭の良い子、早熟な子でした。

いちおう(これでも)今でもとても冷静で頭の良い子なのですが、子供のころはそのことが原因で周囲から浮き、口数の少ない子でした。

頭が回りすぎ、周囲のことが見えすぎたために、常に乗り切れずに少し白けた状態になってしまったようです。


彼は親しい友人を作ることもなく、物静かで、とにかく勉強に打ち込んできたのですが、その結果、軍学校(小学校と中学校をあわせたもの)を飛び級で卒業、14歳にしてフィンのアシスタントとなります。彼は群を抜いて優秀だったのです。



そこで初めてルッチは仕事という『役割』と『居場所』を与えられます。

役割を得た彼は、心が軽くなり、どんどん明るくなりました。

初めての仕事なので、大変だったりうまく行かなかったりすることも多かったでしょうが、仕事を通じて誰かの役に立てることで彼の感受性はやっと花開いていきました。


学校において彼は人間関係に悩んでいましたが、周囲の輪に入ることができないのは、それがあまりに曖昧な空間だったからだと知りました。

空気を読むこと、みんなで盛り上がること、それはかなり曖昧な行為です。

その分かりづらい環境に苦しんでいたのだと知ります。


しかし仕事を頑張れば、自分を活かすことが出来る。必要とされる。誰かに親切にすることが純粋に『善行』となったいま、彼は持ち前の『優しさ』や『頭の良さ』をすべて開放することができました。つまり良い子が良い子として振る舞うことが許されたのです。


頑張ったらねぎらってくれる。深く考えれば仕事がうまくいく。人に親切にしたら喜んでくれる。彼にとってそれは本来の彼がすべて許された、ということでした。


仕事を通じて、彼はどんどん活力を取り戻しました。

変な四字熟語を使ってしまう癖、変なポーズをしてしまう癖も、この頃から開花していきます。おそらく誰かを笑わせたいと思って始めたことなのでしょう。


そしてルッチが生命力を取り戻し、自分の人生を取り戻していった14歳の時に自分の中にあるイーナへの恋心に気づきます。

しかしまぁ、なかなかそのことを打ち明けられません。

ルッチはエロ本すら読んだこともないシャイボーイ・ピュアガイなので、もう自分の気持ちを押さえつけることしかできなかったわけです。(勉強ばっかりしてるからだ!)


そしてレイと出会うことで、彼はついに一歩を踏み出すことができました。

それが第11話の最後のシーンです。


アルマの作品の時代の前段階、そして作品の中で、一番自分自身の人生にたくさんの色を加えていったキャラクターがルッチでした。

優しい彼がどんどん色んな気持ちを知ることが、私も楽しかったのかもしれません。

だから私は彼がとても好きでした。


一応モスクワでは16歳から結婚できるので、来年結婚するんでしょうかね。わかりません。何が起こるかは。



文章だらけになっちゃいましたが、ルッチの過去、そしてイーナの話でした。

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Twitterにはあげにくい絵



先月は更新ができず・・・すいませんでした!

今月はだいぶ絵がたまってきたので、できれば週刊で何かしら載せていけたらと思います。


とりあえず・・・あの、

私でもなんで描いたのかわからないのですが、アルマ最終話あたりで休憩時間に描いた子の絵をあげます。


もうすこしちゃんと描きなおしたら綺麗な絵になるかもしれませんが、とりあえず一旦これで。

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R18漫画用の落書き

その下書きの1枚です。

成人向け、とはいいつつ、プロットは36ページ分くらいあって、エロシーンは数ページという『R18というより、ちょっとエッチな青年誌の漫画だな』っていう感じになってしまったのを覚えています。


普通に一般紙の仕事が忙しくて、結局いったん棚の上に置いています。

また少し時間があいたら、描こうと思います。

性行為におっかなびっくりの高校生の漫画だった。


たぶん今月、もう1つ、ちゃんと描いたのをアップします。

まだバタバタしてるので、ちょいちょいスケジュールが危ういですが。


こういう漫画は人体とカメラワークだけなので、描いていて純粋に楽しかったりします。

いつも裸を描いてから服を着せるので、下書きさえ出来てしまえば少し楽だったりもします。

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設定画 ブカレスト編1

アルマという漫画を描く時に一番たいへんだと感じているのが『設計』でした。


これがどういう作業かというと『主人公たちのいる場所がどういう場所か、どういう歴史があって、どういう建築、装飾がなされているのか。そしてそこに何が置いてあるのか』というものをシーンごとに決めなくてはいけないということです。


それを決めて、始めてその中でどういう絵を撮るか、主人公たちはどこに立っていて、照明がどう当たっているか、が描けるようになります。



すべてのシーンに設計があるのですが、今回はブカレストのレストランです。


私はアールデコだったり、スチームパンクだったりのデザインが好きです。

しかし、あまりに装飾的すぎると、崩壊後の世界という世界観にマッチしなくなります。世界は貧しくなればなるほど、コモディティなものが増えると思っているからです。


ブカレストのレストランのデザインは、その中間を頑張って取ろうとした結果、こんなデザインになりました。


ライトも統一サれたデザインになってます。

日本でいう『七宝』というのですかね。マルを組み合わせています。

ステンレス製という設定です。


せっかくのレストランなので、曲線の多いものになっています。


逆にミリタリーな空間だったりすると、おそらく建築することにそう時間も予算もかけられないので、極めて無機質なものになっていきます。



設計に関しても結構大量にありますので、週1くらいの頻度でアップしていきますね。

ブカレストの設計図。あと少しシリーズとして続けます。

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Twitterにアップしたイラスト

一応高精細版です。


ダレカノセカイの奈緒というキャラです。

もしかしたら気が向いたらもう少し加筆修正するかもしれませんが、一旦これにて。

スク水って初めて描きました笑


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Twitterにあげにくい絵

Twitterにアップした画像の差分です。



基本的には裸から描くので、これはどちらかというと、完成絵から少しもとに戻したような感覚。

たまに全裸を描かないと、色々な感覚を忘れてしまうので、復習の意味もあるのです(多分)


ご査収ください。


出来れば、隔週でもう一つR18コンテンツをアップしたいのですが、ちょっとこれはスケジュール次第。

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有料プランを作りました


かたくなに拒んでいた有料プランを作りました。

拒んでいた理由は『責任』からです。

有料プランを作るからには、最低月に1度はアップをしなくてはいけない。

なので週刊連載と同時にやるには、ちょいとハードル高いなと思っていたのです。


ただ、アダルトコンテンツをアップする場所がないのも事実なので、せっかくだし作ってみようと『えいや』と作ってしまいました。


とある知り合いの作家さんのプランづくりをかなりパクったんですが、内容は下記のとおりになります。


・おうえんぷらん(500円のもの)

月に最低1度のペースで、連載作品の情報をアップします。

基本的にはTwitterでアップしていないもの、もしくはアップしたけれど高解像度にしたものです。

目新しいものにするようにがんばります。

イラスト・漫画を描く人にとっても、有意義な内容に出来ればと考えています。



・もっとおうえんプラン(1000円のもの)

月に最低1度のペースで、連載とは関係のない画像をアップします。

Twitterでは載せづらい絵をアップします。

500円のプランの記事とあわせて、最低月2回は新記事を見れることになります。


・ガチでおうえんプラン(3000円のもの)

「もっとおうえんプラン」と全く一緒です。

なので、支援してくださる方のお気持ちの差でしかありません。



以上が用意した3プランになります。

半年とか、継続して支援してくださった方には、何かおまけを差し上げるつもりです。

といっても、その年に出した同人誌と、ステッカーくらいになってしまうかもしれませんが、なにかしらの形で感謝をお伝えします。


また、もちろん、ご無理をなさらず、いつ解約してくださっても構いません。



ご自由に、楽しくご利用くださいm(_ _)m



下の画像は、内容とは全く関係がないのですが、なんか寂しいので貼り付けただけのものです。過去に読者さんに描いた色紙のイラストです。





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単行本カバー

単行本第3巻がありがたいことに発売される。

といっても6月のことです。


表紙は結構前からこの子と決めていたのですが、担当さんに伝えることなく、担当さんがどのキャラで行きたいかを聞こうと思っていたのですが、すんなりと『シン・イェンで行きましょうか』となりました。


ここからデザイナーさんがコラージュ素材を配置して、色をつけてくださいます。



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