大切な問題には正解がない。
Added 2022-01-19 10:19:03 +0000 UTC最近読んだ本の内容が面白かったので、少しお話させてください。
皆様は生活を送っていてなにか問題が起こった時、どう解決しようとしますか?
例えば、お昼休みになに食べようか迷った時。
例えばウマ娘をプレイしていて、そういやエイシンフラッシュって史実で有馬勝ってたっけ?と、疑問に思った時。
例えば、転職するか悩んだ時。
この中で【正解がある問題】は著者のかたの感覚で言うと、ひとつしかありません。
そうです、エイシンフラッシュの成績だけですね。
あとの二つは、自分で考えて決めるしかありませんし、正しい答えなんて分かりません。
なにか問題が起こった時、正解がある問題かを見極めるのはひとつの基準があり、それは【調べたり専門家に聞いたら答えが分かる】ものは【正解がある】問題です。
ここからが私が興味深いな、と思ったのですが、【正解がある問題の答え】に、私が感想を持つことはできません。
例えば私がエイシンフラッシュの成績を調べていて、『勝ってないのか。でも確か有馬勝ってたような……』という感想を持っても、エイシンフラッシュの生涯成績は変わりませんよね。
正解がある問題にあるのは、合っているか間違っているのかのどちらかの答えだけです。
逆に正解がない問題に出した結論は、合っているのか間違っているのか?という基準は使えません。
昼飯になに食べようがそれに正解や間違いがあるわけがないし、転職するのが良いか悪いかなんで、究極やってみるまで分かりません。
もちろんあとから見れば転職してよかった、やっぱりやめときゃよかった、という【答え】が分かりますが、そんなことは転職前には分かりませんよね。
今だと【転職のプロ】みたいなエージェントがいるそうで、彼らは相談に乗ってくれたり、転職先のデータを揃えたりしてくれますが、【正しい転職先】を教えてくれるわけじゃないし、転職の決断をするのは【転職の素人】である自分です。
そうです。
正解がない問題にあるのは、あくまで個人の感覚と感想だけなんですね。
正解がない問題にどこかに絶対的な【正解】がある、と考えてしまうと、【答え】が見つかるまで延々とそれを探し続けることになってしまいます。
そうするといつまでたっても行動に移せませんし、最悪【他人の正解】に引っ張られてしまい、全然自分の望んだ生活が送れない、なんて悲劇に見舞われたりします。
さて世の中、特にネットを使っていると、正解のない個人の意見や感想にわざわざ『それは間違った意見だ!考え方だ!』と注意してくれるお節介……もとい、優しい人がいますよね。
すごい人だと『お前がそれをいうのは生意気だ』などと、あんたはジャイアンか……と思わず突っ込んでしまう人もいます。
例えば以前私が絵に対する取り組みかたや、考え方などをブログにアップしていると、『下手が語るな、うざったい』とお叱りを受けたものです。
我々は基本的にトップダウンの組織に適応できるよう、学校でかなりの長期間教育されていますから、自分の意見に対して上手い人や専門家に間違ってる!と言われたり、素人が知った口聞くな!と怒られるとつい『こちらが間違っているのかな?』と思いがちですが……。
色の塗り方やアタリの取り方など、絵のスキルに関することならともかく、イラストの取り組み方やそれに対する【絶対的に正しいマインドセット】なんて、どこを調べたって出てきません。
プロのイラストレーターや上手い人ならいくつかのマインドセットを提示することはできるでしょうが、結局それを選ぶのは教わる側ですから、【絵に対する考え方】という答えのない問題への私の意見に対して怒られても、『知らんがな』ぐらいしか言えないんですね。
まあその『間違いだ!』というのもひとつの感想なんですから、それはそれで尊重しなければいけないのでしょうけど、議論する価値も相手だったら、【それってあなたの感想ですよね?】でおしまいです。
あ、ちなみに『ウザい』とか『ムカつく!』とかは意見や感想ですらなくただの反応なので、見る価値も言葉を交わす価値もないです。
すみません、ちょっと話がずれましたね。
自分の生活や人生に関わるほどの大事な問題は、ほとんどがこの【正解のない問題】です。
調べたり専門家に聞いても分からないことは、人間の数だけの個人の感想しかないですし、それに正解も不正解もない、ということを意識しているとずいぶん生きやすくなりそうやなぁ、と私は感じたのです。