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ビデオゲームの中で生成される実家。

死印というホラーアドベンチャーゲームがある。日本が舞台で都市伝説などをモチーフにしたようなオカルティックなホラーである。主人公はある呪いのせいで記憶がなくなっていて自分が誰かさえもわからないまま、ある人物を頼り人里離れた豪奢な洋館にたどり着く所からゲームは始まる。


頼りにしていた館の主はすでに呪いかなんかで死んでいて、その静寂がしめる広く薄暗い館内にひとり残され途方に暮れることになる主人公。そんなおり館に飾られていたまるで生きてるように精巧なドールが本当に動き出し言葉を発し主人公の呪いの解明を協力してくれることになる。人形の主でもある、呪いの解明に尽力をそそいでいた館の主の意思を継ぐとのこと。この館内にひとり残されるよりマシとはいえ唯一の話し相手が生き人形というのは心細いと言うか、やや不気味である。


この館には主人公と同じく呪いにかかりこの洋館にたどり着く人間が存在する。小学生やヤンキーやオタクやニュースキャスターなどと章ごとの目的地を一緒に探索することになるゲストキャラという仕組みだ。


呪いの解明のために深夜の学校や深夜の樹海などをゲストキャラとふたり探索する。雰囲気があって非常に恐怖を感じながらのプレイになるのだが、ゲストキャラがひとりついてきてくれるおかげで恐怖を多少まぎらわせるのだ。人形ではなく生き生きとした人間だということにも救いを感じながら。


しかしその章をクリアすると呪いがとけたゲストキャラは館にとどまらず日常に帰っていってしまう。しかし主人公の呪いは全く解かれる気配もなく、また薄暗くどこまでも広い館に、生き人形と二人きりになる。このゲームでは常に深夜かつ室内が舞台にストーリーが進められて、開放的なエリアやシーンは極力描写が少なくされている。それがプレーヤーに休みを与えず精神に負担をかけつづけ、巧みにホラーの演出をひきたてている。


生活でもゲームでも一旦、家に帰らさせてという気持ちが湧くものだ。残業が深夜までおよび職場近くの漫喫などで寝泊まりしたほうがしっかり睡眠がとれるとしても、わざわざタクシーで一旦家まで帰りたくなる。RPGでもダンジョンで戦闘を繰り返し、多くのアイテムを入手したら一旦宿屋に帰らさせてくれと思うものだ。そしてその一旦帰る場所は、まるで実家のように安心感があって開放感があってもはや自分にとってのサンクチュアリに近い存在になっている。しかしこのゲームにはサンクチュアリが実家がないのだ。実家が用意されていないのだ。がらんどうの洋館に帰るしか無い。常に漫喫に相容れない人と寝泊まりをくりかえしているような居心地の悪さが残るのだ。


ドールは西洋人の幼女を模したような出で立ちで、流暢な敬語を操り常に落ち着きを払っている。主人公が探索に行っている間は館の留守を預かってくれ、呪いについても色々と知恵と記憶を巡らせてくれたりするのだが、その他の人間キャラのように感情的ではなく何処かよそよそしすら残る態度に、また薄暗い館内に人形と静かにふたりっきりか~。と章の終わりと始まりに疲れと不安と寂しさを感じてしまうのだ。

しかしこの後に、自分は人間の心理の妙さを自覚させられることになる。


毎章毎章人間のゲストキャラが訪れ探索にでかけてゲストキャラの呪いだけ解けまた人形と二人きりと繰り返し、少しその生活にも慣れてきたところで、今日もゲストキャラの呪いを解いてひとり洋館に帰るとあの不気味なドールが出迎えてくれない。いない。ドールが館内に見当たらないのだ。ドール?どこに行った?不安が激しくなりドールを館内中を探すが、ついにこの広い洋館に自分はただひとり残されてしまったのだ。これからは本当に一人きりで呪いを解くことを課せられてしまう。その時気づいてしまう。とっくにこの不気味な館は自分の実家になっていたのだ。ドールは実家にいつもいてくれる母なる存在になっていたのだ。ママどこ~?ってなってしまうのだ。失ってから気づかされてしまう。自分はないはずの実家をビデオゲームの中に生成していたことに。


こうしてゲームは終盤に向かっていくのだが、このゲームはこの実家性の心理を終始コントロールをしている。そして最後の最後までもその実家性の心理を弄んでくることになる。死印というゲームは実家性のゲームという側面もあると自分は所見を抱いている。反面、シリーズ続編のNGではその実家性演出は少なくなっていると感じた。このNGではゲストキャラが章ごとではなくゲーム序盤から最後まで側にいてくれるし、ゲームの中では昼や開放的なエリアの場面も多く生きた人間と会話するシーンもたくさんあって、ドールと薄暗い館内にふたりきりの世界なんて閉鎖された空間がなかった。するとかえって自分はこのNGには実家を見つけられなかったのだ。

精神的に負担が続く故に人は実家探しを始めると捉えられる。まるでストックホルム症候群の仕組みのようだ。不安が強いからこそ癒やしを無理やり探してしまうのだ。

職場近くの漫喫が実家のような安心感となるといよいよということではないだろうか。誠に身も心も疲れたら正当な実家性の有する自分だけのサンクチュアリに帰るように気をつけたいものである。




こうして今日もヨガいっこく堂。


ビデオゲームの中で生成される実家。 ビデオゲームの中で生成される実家。

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