桜の香りがふわりと広がり、季節の彩を感じさせる朝。
バスに乗るまでまだ時間があるから、柄にもなく庭で準備体操を始める。普段やらない日課を始めるなんて、自分は自分が思っている以上に緊張しているのだなと改めて自覚させられた。
「いっちにー……さんしっ」
今日は入社式が終わった後は、各部署に挨拶周りと色々な書類を処理し、明日の段取りを整えるまでとなっている。
昔からある大きな会社だから「挨拶」文化は強く、郷に入っては郷に従えであるのだ。
「お姉ちゃんおはよっ。何してるの? お茶淹れたから飲もうよ」
「うん! あはは、なんか緊張しちゃって」
早速ソファーに座り紅茶を一口含む。パイナの淹れる紅茶はどうしてこう香りが立つのか。私の淹れるお茶はまったくそんな事ないのに。同じ茶葉を使っているとは到底思えない。まぁ私は質より量派だからかな。
「今日の代表者挨拶は大丈夫なの? 昨日ぐっすり眠ってたけど」
「いやーもうなんかなるようになれって感じでさ。もしかしたら明日から表を歩けないくらい赤っ恥をかくかもしれないけど、パイナは私の味方でいてね!」
「諦めてんじゃん! めちゃくちゃ諦めてんじゃん! 頑張ってよそこは! がんばれがんばれ!!」
「いやごめんね本当に。情けない姉ですまないね」
「諦めちゃだめだよお姉ちゃん! ねぇちょっとどんなのか聞かせてよ」
「う、うん。そうだね、まずはパイナに聞いてもらおうかな」
みなさま、おはようございます。生物課に配属になりましたメロと申します。
本日は私たち新入社員のため、素敵な式を開催していただき、ありがとうございます。
今日この日を迎えることができたこと、また、インフラン社に入社できたこと、大変嬉しく思います。
初めての出社で緊張もあり、新社会人として右も左も分からない状態ではありますが、会社発展のために全力で業務に取り組むこと、困難に負けず努力することを胸に、一生懸命頑張らせていただきます。
色々とご迷惑をおかけすることがあるかと思いますが、厳しくご指導のほど、よろしくお願いいたします。
あ、でも厳しいのは辛いので、程よい甘さ加減を加えてくれると嬉しいです。私達の世代は色々と甘い世代との声もありますし、少なくとも私自身は甘い人間なので、辛いと逃げてしまいます。
まるで駅前のドーナツ屋さんのように、香ばしい甘さで……。
ここで礼をし、席に戻るのだ。
「最後の文いらないよ!!! え!!! まじで!?」
「でも、ここで宣言しておくのは大事だと思うんだ。だって辛いのは嫌だし」
「大丈夫だよ!!! ねぇ大丈夫だから最後の文は消して!!! 頼む!!!」
「えーそーかなー」
「ミカンさんに見せた?」
「まだ見せてない」
「ほっ……。それならミカンさんに見せてからがいいかな」
「なんだよぉ」
「拗ねないの。ってほら、早めに出ないとバスに送れちゃうぞ?」
ーーーーーーーーー
「うおおおおおおギリギリだああああああ!!!」
全力疾走の甲斐あって、何とかバスの中に飛び込めた私。額をハンカチで拭い、荒れた呼吸を落ち着かせる。
「間に合ってよかった~」
周りも同じようにスーツを着ている人ばかりだ。きっと皆新社会人生活に身を投じようとしているのだろう。その中で私だけこの荒息。
「メロ、電話しても出ないと思ったら……まったくもう」
奥の方から私めがけて知ってる声が聞こえてきた。
人混みを搔き分けて私の元へとやってくる。
「ミカン! うーなんかぼーっとしちゃっててさ」
「いつもの事じゃない。メロは昔からそういうとこあるからねー、はいこれ、そうだと思って用意しておいたんだ」
流石私のズっ友、全てはお見通しという訳ですか。
「そんな小さなハンカチじゃ駄目よ。後、バス着いたら少し時間あるからメイク直しね。それと、代表者挨拶考えてきた?」
「うんもうばっちりよ! パイナはだめって叫んでたけど、まぁいいかな」
「よくない」
まさかの即答である。
なんだね、私の事がそんなに信用出来ないというのかね!?
「見せなさい」
「やーだよぉーっ! へへ!」
「見せろ」
「ああはいすいません調子乗りました」
「ったく。えーっとなになにー……………………」
「ドキドキするね!」
「…………」
「深呼吸ぅ~♪」
「最後消せ」
「そ、そんなぁ! ドーナツ嫌い?」
「好き」
「でしょ!」
「分かった、分かった。私の想定外だった。君さ、異常に緊張しているね? 大丈夫、大丈夫だから。インターンを思い出してごらんよ? 和気あいあいとしてたでしょ? 何も怖いものなんてないからそう不安がらないの。それにメロは成績トップで優秀なんだから仕事なんて簡単よ! 厳しい人なんていないから、ね?」
「ううううううだってミカンいないんだもおおおおおおおん!!! 私一人じゃ何も出来ないよおおおおおお!!!」
「おいまてバスの中だぞ静かに静かにね」