ある遠い未来の地球。
突如、この星に小さな隕石が降り注いだ。
摩擦で擦り切れることなく地上に落下したその隕石は、特に珍しい動きを見せる事なく土へと還り、衝撃で生まれたクレーターだけがその地に傷跡を付けただけのように見えた。まともに隕石が落下してくるのは珍しく、様々な学者が集い研究に勤しんでる姿がメディアを通じて世界中に拡散された。
情報社会を生きる人々の間では数刻を楽しむ余興のように扱われ、記憶から消え、10年も経つと口にする者さえいなくなった。情報統制などせずに自然と言葉の海へと消えてしまっていったのだ。海に生きる生物の様に、じわりじわりと深い闇の奥へと。見つからないように。
それはまるで、人類を侵食する準備であったと、後の者は語る。
その者の言葉の通り、隕石の落ちた地域では日が増すにつれ、とある変化が起こり始めた。
男性の性犯罪が後を絶たなくなり、知らず知らずの内に脳が肥大化、破裂、意識朦朧などの病が多発し始めた。世界保病機構は危険な流行病だと認定し、医師や研究者を送り込むが、原因究明には至らず。
日を追うごとに住民は狂気化し、鎮痛剤や急性のワクチンで対応しようとするも数が足りず。鎮火は困難を極めたその時、追い討ちをかけるように新たな問題が発生した。
女性の乳房から母乳が出始めたのだ。
通常、子供を作らない限り女性から母乳が出ることはない。だが、この地域では殆どの女性が乳房から母乳を出し始めた。
それだけで問題は治らなかった。その母乳を見た男達が、獣が狩りを行うかの様に女性を襲い始めたのだ。まるで、極限まで飢餓に苦しんだ狂犬の様に。
軍や機動隊が総動員して問題を解決させ事態を収集したが、それだけで病気はおさまらずさらなる広がりを見せ始めた。
人類の中にはその病気の危険さに気づき研究を重ねる者もいたが、まるで嘲笑うかの様に病気は蔓延に蔓延を重ね、そのウイルスは全世界へと広がっていった。
幾度となくワクチンを作り、男性の凶暴化は押さえ込んだものの、女性の乳房から母乳が出ることに対して打つ手がなくなった人類はその病気の名前を「MILKING SICK」と命名。全世界の学者を使いウイルスを除去する抗体を作り上げようとした。
時間が経つに連れ、病気に慣れていった人々はまるで生活の一部と言わんばかりに日々を過ごす。今までの歴史を振り返っても、疫病は沢山乗り越えてきた事から、楽観視する声が多くなっていった。学者達もこれ以上の実害は出ないと判断し、「MILKING SICK」に向き合う者は減り続ける。
だが、まだ人類は気づいていなかった。そのウイルスは生物を作り変え、生態系を変える恐ろしいものだということを。
2112年:感染爆発《ファーストパンデミック》発生。
それまで何気なく過ごしてきた人類は生活の全てを変えざるを得なくなった。
殆どの男はゾンビに変化してしまったのだ。
ゾンビといっても映画で見るような死肉を貪るものではなく、噛み付いたり感染したりするものではないのである。著しく脳が退化してしまったようなものだ。動物に成り下がってしまった。
ではただの獣でいいではないかと思うが、奴らは常に栄養源を欲していた。そう、母乳だ。
ゾンビになり脳は退化したが、その代わりに生命力は屈強になっていた。
本来ならばタンパク質やビタミン、炭水化物を取らねば人間は生きていけない。だが奴らは空気中の水分を摂取することで生命維持が出来る不死の特性も持ち、自らの飢餓を満たす為に女を襲い「MILKING SICK」にて出来上がった栄養豊富な母乳を咀嚼する。そのように作り変わってしまった。
もちろん女も作り変わってしまった。
何もしなくても、自然と母乳が出るようになってしまったのである。
パンデミック以前はウイルスに感染してしまった直後に出始めたが、その後の人類の努力により、年齢による成長と共に変化していく事が出来る様になった。
だが、作り変わってしまったその身体は人類の弱点の1つともなってしまう。その弱点とは、個体差はあるがこの母乳量が著しく無くなってしまうと絶命してしまうのだ。
そう、「MILKING SICK」により、母乳は人間の生命エネルギーと直結してしまった。
女はゾンビに襲われないように生きていかなければいけなくなったのだ。
それまでのデータでゾンビが一度にとる母乳摂取量では死なないことがわかっている。
これも個体差だが、母乳量が多い女性はそれなりに存在するのだ。
しかし、それは不幸なことかもしれない。ゾンビは巣に女を持って変える習性があるからだ。しかも性欲も旺盛、ひとたび巣に持って帰られれば二度と生きては出られないだろう。
それに母乳にはゾンビの性欲を増大させる効果があることが研究にて明らかになった。
とにかく捕まってはいけない。ゾンビは普段ノロマだが、獲物を見つけると途端に運動能力が上がることも確認されている。
個体によっては知能が高いものもいるらしい。倒す方法はあるのだろうか。ないかもしれない。
人類はこれまで、数々の対応策を打って出た。
水上での生活、空中での生活。そして地上や地下での生活。
数々の方法でゾンビを遠ざける者の、飢餓状態となったゾンビに太刀打ち出来ず、沢山の主要都市や施設が陥落。数々の女性がゾンビの餌となり命を燃やした。
このままでは滅んでしまうと危惧した人類は、クローン技術を使い子孫を繁栄。
自信のDNAや他者のDNAを混ぜ身体を作り、脳を移植させる人工製造と、ゾンビの餌用となる完全なるクローン体である「エディ」を作り出した。
特にエディは人類にとって叡智の発明で、大量生産してゾンビを他方へと追いやり、その間に完全なるコロニー型施設である「シェルター」を建設することに成功。エネルギー問題や資材問題を解決させ、なんとかこの星とゾンビとの共存へと漕ぎ着ける事が出来た。
これは、最初の感染爆発から数百年後の物語だ。
彼女達は逃げ続ける。
捕まったらそれで最後、死ぬまで彼らに絞り続けられるのだから。
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「お姉ちゃん、明日から入社式なんでしょ? もう準備はいいの?」
新調したばかりのスーツに身を包み、明日のデモンストレーションを執り行おうとした所に妹からの声が掛かった。
そう、明日は大事な入社式。
きちんと学校に行って勉強して、苦労しながらも博士号を取ったが、一般的な会社に入る事となった私。不安があるかないかと言えば「ある」と答えてしまうが、今回は昔からの親友と一緒だから安心と言えば安心だ。同じ学校の先輩であり教師である知り合いもいるし。
「パイナ、このネクタイ変じゃないかな」
「んー、お姉ちゃんおっぱい大きいから何しても浮いちゃうよ? 寒色系の色の方が落ち着いていいんじゃない?」
「そんな元も子もないじゃない〜! ああもう」
「お姉ちゃん……22歳にもなってネクタイひとつで動揺するなんて。もう私は悲しい」
むむむ、妹のなんたる生意気なことか。
昔はべったりで私がいないと泣き出してしまう子だったのに。時は残酷なのだ。
「んもう、メロさんって昔からビビりなんだからいじめたらダメだよパイちゃん。それに研究以外の事なんてなーんにもしてこなかったんだから、今更ファッションのなんたるかなんて分かる訳ないじゃない!」
「あ、アンコちゃん……一番ダメージが……グハァ」
妹の親友であるアンコからも甚大なる揺さぶりをかけられてしまい、その場に項垂れてしまった。もう立ち上がる事など出来ないし、心も立ち直れないだろう。私はこのまま床と一体になり、会社に行く事も出来ず路頭に迷ってしまうのだ。だが、私もやられたままでは終われない。終わる事など出来ない。
「むむむ、二人共私を敵にするとどうなるか思い知らせてやるんだから。覚悟しなさい!」
ネクタイを宙に投げ、二人の意識がそちらに移ったと同時に素早く移動する。
大きなソファーの前のローテーブルの上に置かれた3つのケーキ。その頂きにある真っ赤な果物をフォークで瞬時に奪い取り、口の中に入れて噛み砕いた。
酸味とクリームの甘みが絶妙に混ぜ合わさり、嗜好の芸術の域に達するそれはまさに天国。対照的に地獄を見るかのような二人の目線が非常に滑稽に見えたのである。
これぞ22歳になる私メロの究極奥義「妹達から苺を奪う」である。
「あーーーー!!! 楽しみにしていた私の真っ赤な頂き!!! なんてことするのおおおお!!」
「メロさんマジで!? マジでぇ!?」
あんぐりと口を大きく開き喚き散らす可愛い二人。
これでよかったのだ。年長者を敬わない者はどうなるか、その身を持って思い知ったのだから。
「ふ、またいくらでも買ってあげるわよ。でも覚えておくことね! 私のネクタイを真剣に決めなかったらこうなるってことを!!」
決め台詞を吐き、再び鏡に向き直し、彼女達に威厳のある背中を見せる。
最近は近所の子達とも距離感が近くなりすぎていた。お陰で先輩を敬うという古き良き価値観が消えかけていたが、これで思い出すだろう。あのメロに逆らえば苺を取られてしまうぞと。研究をすることは決して悪いことではないのだぞと。
「そ、そんな! あの店のケーキは物凄く人気で中々食べれない代物なのに!」
「アンちゃん冷静になって」
「ううう、う? どうしたのパイちゃん?」
「苺なんてどうでも良くない?」
「な!?」
「おっと、確かにそうだね。あんな一瞬の快楽に溺れるような歳でもないもんね。ささ、パイちゃん折角の紅茶が冷めちゃうよ。お茶を楽しもうよ」
絶望を体で体現する変な動きと共にもっとキャーキャーピーピー言うのかと思ったが、妹であるパイナとその親友は非常に冷静な口振りで自らの欲求と折り合いを付けてしまった。まるで私よりも大人である。
「ささっ、お姉ちゃんなんてほっといてお茶を楽しもうじゃないかアンちゃん。ねー見て見てこれ! この前散歩中に撮った犬の写真なんだけどさー」
「きゃーっ可愛い何これ! お目々ぱっちりしてるー!」
ま、まずい。このままじゃ二人は私に呆れて相手にしてくれなくなるぞ。かくなる上はこの方法でーー。と、急いで冷蔵庫に向かい秘密裏に取っておいたお高い大粒の苺を二個取り出し、二人のケーキの上にポンと乗せた。これできっと機嫌を治してくれるだろうと思ったが、二人はまさに軽蔑な眼差しとも言わんばかりに目を細めて私に視線を送ったのだ。
「えへへー。んもーちょっとした冗談ナノニナー」
お尻をフリフリし媚びる姿勢に移行する。
「はぁ〜。ほんとお姉ちゃんは……折角色んな人から好かれて信頼もあるのに、もっと威厳というものをね。これで自信を持ってくれれば良いんだけどな」
「へ? 何これ?」
「何って……言わせないでよ。プレゼントだよプレゼント。社会人になるんだから。そんな水玉模様の子供っぽいのじゃなくてさ、こうシュッとしたのでバチッと決めて欲しいの」
青色の小堤を開くと、そこには同じく青色のネクタイが1枚入っていた。
その隣に一枚の手紙が入っており、中には「おめでとう、頑張ってね」とだけ記されている。思わず泣きそうだ。
「へへへ、パイちゃん3時間くらい悩んでたんだよ? これお姉ちゃんに似合うかなーって困らせた眉毛をしてさ!」
「あーー!! アンちゃんそれを言うのは無しだよ無し! そんなことないもん! 2分で決めたもん!! お財布と長く相談してただけだもん!」
「えへへ……えへへへへへ。パイナったら……ウヘヘ」
パイナは昔っから素直に気持ちを出さない分、最近は反抗期ともあってツンツンばかりしていたが、こうも思いやりのある子に育っているのだ。
姉として、私は嬉しい。とってもとっても嬉しい!
「お前達ーーー!!!」
二人を両腕でいっぱいに抱きしめると、埋もれる息が出来ないと声を荒げ始めたが、一切抵抗する気配を見せなかった。
私は幸せ者だ。こうして愛しの妹と、家族同然である妹の親友とこうして暮らしているのだから。
「所でミカンさんはまだですか?」
「ミカン? あーそういえばミカンは今日近所の子達の授業の日だから遅くなるって言ってーーあ」
腕の力を弱めると、二人は勢いよく私から離れ息を整える。
う、くそーでけぇと汚い言葉が溢れる。いつもなら注意する所だが、それよりも別の件を思い出すと同時に、背中から変な汗が滲み始めるのを感じた。
「あああ! しまったー! 今日は私も一緒に授業の日じゃないかってひいいいいい!? 完全遅刻確定だああああああ!!」
「ああもうお姉ちゃんったら……。タクシーでも使ってすぐに行って来なよ。晩御飯は適当に用意しておくからさ」
「わーん、ごめんねええええ!! じゃあいってくるねえええ!!!」
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「セーフ?」
「どうしてそう思ったのかな? アウトだよアウト。空振り三振」
「ひいいいいいめっちゃ怒ってるうううう……あれ? ミカンそのネクタイは?」
「ん? ああ、これはアンコから貰ったの。ってお揃いじゃん。全くあいつら」
まさかのミカンとお揃いにしてくれたみたいだ。
それもそのはず。パイナにとってアンコが大の親友なら、私にとってミカンは大の親友だからだ。それはもう家族とも言って差し支えない程に。
「でもお揃いでよかったね。同じ学校に行って同じ会社に入る。生まれてからこの方ずっと運命共同体じゃない」
そう、ミカンとは同じ時期の培養機で生まれたから当然年齢も同じ。しかも割り当てられた家が隣同士だったこともあり、仲良くなるのは時間の問題だった。もちろん地区も同じだから同じ学校に行って、クラスは違ったりしたけど、学校が終われば帰宅道は一緒。たまに喧嘩もしたりしたけど、そのお陰で私達の間に壁というものは殆ど存在しない。
「あの、せんせー。イチャイチャしてないで授業始めてくださいよー」
「そうだね。じゃあメロ先生、今日は歴史の授業。要約しながらこれまでの人類の歴史を思う存分語ってくれ。私は後ろで見てるから」
「えええええええ私!?」
およそ30人の前でただただ説明をし続けるなんて私にはできっこない!
「セーフになりたいんでしょ?」
「はううううう……わかりましたぁ」
部屋の照明が暗くなると同時に、スクリーンがゆっくりと下降し始める。
後ろにあるプロジェクターの光が私の視界を奪ったと思ったら、スクリーンに簡易的な年表が映し出された。詳細は少なめな、講演する人の知識に頼る前提の作りだ。
「メロ、最近の生まれたばかりの子達は歴史に興味を示さないみたい。どうして生まれたのか。役目は、人類がこれまでどうして来たのか。シェルターとは何か、外の世界とは。そして――ゾンビとは何か。まぁゾンビくらいは知ってるかな? でもここずっと平和な日常が続いているからのおかげか、平和ボケして歴史を学ぼうとしない者の増えてる見たいよ」
「ええ? じゃあ生態系が変わる辺りもまだ?」
「うん、まだ。老いも――ってそれはメロも知らないか。まぁこの世界に老いは殆どないし、昔の文献でしか見たことないもんね。でもそこから話してもいいかも」
ミカンは我関せずを決め込んだのか、椅子に座り込み携帯電話を取り出し何かをいじり始めた。完全に丸投げだ。が、遅刻した自分が悪いのだ。ここは責務を全うしなければ。
「えっと、はいじゃあーーまずは……何から話そうかな」
すると、手前にいた元気そうな子が即座に手を上げてきた。よかった。こういう子がいると間が持ちやすくてやりやすいのだ。
「せんせー! 先生は確かゾンビの研究をしてた人なんですよね? 私、私達は見たこともなくてどんなのか想像が出来ないんですけど、そんなに危険な生物なのですか?」
「お、よく知っているね。偉い偉い! そうね……じゃあゾンビの事から話しはじめましょうか。その後で質問を受け付けますね! まず、奴らは地球外から来たウイルスが元になって」