(Every time)This blog is very long and my language skills are not good enough.
It is difficult to translate the whole text into English.
We apologize for the inconvenience, but if you are interested, we would appreciate it if you could read it using translation software.
I have transcribed the text with a concise sentence structure in mind so that it can be easily translated by machine.
Thank you for your cooperation.
「休刊したゲイ雑誌の想い出ぼろぼろ」な話
こんにちは。
久しぶりのブログになります。
今回書く内容はですね、前回の「ソープ爺、変身」のイラストを仕上げる過程の中で生まれた「架空のゲイ小説の表紙絵レイアウトバージョンを作成しよう」という案を実現するために参考資料として私が所有している昔の月刊「サムソン」誌を押入れから引っ張り出してきて読み返しているうちに、なんだか色々と思い出してしまい、当時の記憶を私自身の健忘録も兼ねてなんとなく書き起こしてみようと考えたので、ご興味のある方は読んでみて下さい・・・。
BGMのオススメは今回のブログタイトルでもあるこの曲です。
内藤やす子 - 想い出ぼろぼろ
https://www.youtube.com/watch?v=96R_tWMJ3B4
私がまだ10代だった頃、口から心臓が飛び出るんじゃないかと思う位の動悸と緊張の中、勇気を出して街の個人経営の本屋さんで初めて購入したゲイ雑誌がサムソンでした。
その時に購入した号を含んだ十数冊は今でも保管してあります。といっても人生何度目かの断捨離決意のたびに処分しようかと考えた事もあったのですが、近所のゴミ捨て場に捨てる勇気がなくて、なし崩し的に溜まっていっただけ、とも言えるのですが(笑)。でも、厄介な思春期の頃をこうしてなんとか生き延び、イラストを描くことを通じてゲイである自分を自己肯定できるようになった今、文化的な資料価値も含めてあの時捨てなくて良かったなぁ、としみじみ思います。
ここで唐突に思い出した <はなとゆめ> というバンドの「エロ本」という素敵な曲の詩を載せておきます。
エロ本 エロ本 置き場所に困る
エロ本 エロ本 だけど 捨てられないよ
今から思えば、まだあの頃(1993年頃になるんかな?)のサムソンは、というかゲイ雑誌業界全体に(以前、田亀源五郎さんがインタビュー等で言及されていたように)まだ髭フェチとか髭専という概念自体が一般化されていなかったように私は記憶しています。「薔薇族」や「さぶ」は勿論、サムソンのモデルさんの中にも濃い口髭や熊髭の人をあまり見かけなかった気がするし、冗談みたいな付け髭をつけて被写体になっていたモデルさん(1例を挙げるとざくろ氏など)なんかは多数いらっしゃいましたが、そんなニセの口髭姿のモデルさんを見ても個人的には全然興奮出来ませんでした。(勿論皆さんの顔立ちや体型的には私好みだったんですが、なんせ髭専なもんで・・・。)ただ、自分のように若い女性どころか若い男性にも全然性的興奮せず、決してハンサムとは言えない草臥れた年配の男性ばかりを目で追ってしまう私のような人間は異常者なのではないか、と孤立感を深めていた頃に「同性愛」と「老け専」という概念を視覚化したサムソンと出会う事が出来て、「ああ、自分1人だけじゃ無いんや・・・よかった」という精神的な安堵感を得た感触は今でもはっきりと憶えています。だけど、当時一緒に遊んでいたノンケの友達には自分がゲイでしかも老け専だ、なんてやはり口が裂けても言えませんでした。
では、なぜグラビアの髭無し年配モデルさんにもイマイチ興奮しなかったのに時々サムソンを購入していたのかというと、私の目当ては実在するモデルさんでは無く、読者が投稿するイラストや読者の体験を基にして書かれた小説といった「創作の世界」だったんですね。そのころの読者投稿のイラスト界隈では後に伝説の漫画となる「男どすこい!」を連載前のKUMAGOROさんや、今や大御所となった藤本郷さんがまだ「嵐山」というペンネームで頻繁にイラストを読者コーナーに投稿されていたし、さらに読み切り漫画を描く前の佐藤白熊さんの別名義での投稿もあったように記憶しております。それらの動きと並行するように雑誌の後半ページで「嬲り者」の単行本刊行の広告を通じて田亀源五郎さんの存在や雑誌G-menの立ち上げも知りました。
それからもう少し後年になって彗星のように現れた、国長さんという方の独特な筆使いで描かれる細身のお爺ちゃんの投稿イラストはもう本当に自分好みの描写でした。後は私のもうひとつの外せないフェティシズムである「汚れ専」ともリンクする小日向さんの漫画やPONTAROさんの描かれるやさぐれ親父キャラとか・・・、書き連ね出すとキリがないのでこの辺にしておきます。
勿論ほかにも年配の男性を題材としたすばらしいゲイ・イラストや漫画を描かれる作家さんは沢山いらっしゃるのですが、前出の方々に共通していると(私が勝手に)思う重要なポイントは「上唇が隠れるほどの口髭、或いは熊髭」といった作家さんご本人の確固たるフェティシズムに基づいて描かれた髭や体毛の濃厚な描写だったと思うのです。
私が今現在、こうして自分の口髭フェティシズムを全開にしたイラストを描いている動機のひとつとして、この頃のサムソンで執筆されていた尊敬する絵師さん達の存在が大きいことは間違いないのですが、さらに私のもうひとつの重要な文字情報を媒介としたフェティシズム「方言と老人語萌え」の発芽の影響としてやはり大きいと思われる、文章のみで読者の想像力と視覚を擽る不倒翁甚平さんの小説の魅力や、地方都市からの読者さん達による標準語ではない生々しい体験レポートなどが今の自分を形成する血や肉となっているのではないでしょうか。それまでは当時、古本屋さんで安価で購入出来た「性生活報告」といったノンケ熟年夫婦の(半分、というかほぼ全て旦那さんの頭の中の熱烈な願望を文章に濃縮還元した)読者体験レポートを纏めた本や基本的にはSM誌であった「奇譚クラブ」の中に時折掲載されていたホモセクシャルな内容の小説を、まるでサクマ式ドロップスの中からハッカ味だけを探して抜き取る感じで(笑)それらを使い変則的にオカズとしてせんずりを掻いていたのです。だからこそ、ゲイ雑誌であるサムソンに掲載されていた純粋に中年、老年の男性同士が土着的な方言を用いて粘着質に絡み合う様子が鮮明に表現されていた文章はダイレクトに私の股間と脳髄を刺激しました。
時を経て、その後のインターネットの促進とスマホの普及により、(淋しい事ですが)各ゲイ雑誌の情報媒体としての役割や存在意義も曖昧になり次々と休刊していき、今や誰でも世界中の無修正ゲイポルノ画像や動画に触れる事が可能になった情報過多とも言える現在、今回改めて文字情報だけで無限に想像力を掻き立てるゲイ小説の魅力と重要性を懐かしいページをめくりながら再確認したのでした・・・・と強引にまとめてみました。
こうやってつい長々と文章で語ってしまう自分を俯瞰してみると、やっぱり私にとって言葉ってイラストを描く上でも重要なウェイトを占めているんだな・・と今回改めて思いました。
いや、この文章も今現在作画しているイラストで身体を描く難しさからの現実逃避による産物なんですが・・・(笑)。
添付した画像はその作画過程の一部です。
というわけで無駄話はこの辺で止めて、そろそろ作画に戻ります。
それではまた後ほど・・・。