増大する労働関係法令違反を取り締まるため、潜入調査を含む強力な調査権限が与えられた不当労働監視局が、各都道府県に設置されたのが10年前。 当初、監視局本体が潜入調査を行なっていた。 しかし、調査対象は膨大なうえ、多岐にわたる。相手先の社風によっては、いかにも公務員然とした調査官では、潜入に向かないケースもある。 そこで5年前、法改正が行なわれ、民間の調査会社に潜入調査を委託できるようになった。 そんな民間調査会社に、藍崎兎妃美《あいさき ときみ》が就職したのは、高校を卒業した3年前。 以来兎、妃美は学生アルバイトに扮して、潜入調査の実績を積んできた。 そして先日、ついに長期潜入調査の大役を任せられた。 嶺湖久《れいこく》商事。上場こそされていないが、このところ業績を伸ばしている中堅商社である。 その会社のワンマン社長の令嬢にして、人事担当役員の嶺湖久絹恵《れいこく きぬえ》が、女子就活生や若手女子社員に性的なハラスメント――書類上は表現をぼかしていたが、それはハラスメントの域を超え、陵辱と呼ぶべきだ――を繰り返しているという疑惑が浮上した。 兎妃美は就活生に扮して、嶺湖久商事の就職試験を受け、内定を獲得。内定者インターンに参加することになった。 肩にかかる黒髪を後ろで束ね、リクルートスーツに身を包んで訪れた嶺湖久商事本社。 そこで兎妃美は、内定者インターン担当の社員に呼び止められた。 「藍崎さん、こちらに来てください」 そう言われ、ほかの内定者と分けられて役員室に案内されると、そこで嶺湖久絹恵が待っていた。 尊大な態度で椅子に座る絹恵に、吊り上がりぎみのきつい目で見すえられ、わずかに怯む。 その気持ちを、兎妃美はあえて表情に出した。 いち内定者が人事担当役員と対峙したとき、堂々としていては不自然だと判断したのである。 それだけではない。 潜入調査官の務めは、自ら不当労働行為を体験し、それをもって罪を告発すること。兎妃美は気が弱い面のある内定者を演じることで、絹恵によるハラスメントを誘発しようとしていた。 だが、その思惑は、絹恵に見抜かれていた。 あまつさえ――。 「おかけください」 内定者インターン担当社員に促され、巨大な執務机を挟んで絹恵の前に座ると、嶺湖久商事の人事担当役員が、1枚の樹脂製カードを机の上に置いた。 「これは、何かしら?」 それは、所属する調査会社が発行した、潜入調査官としての兎妃美の身分証だった。 (ど、どうして……) 嶺湖久絹恵が、潜入調査官の身分証を持っているのか。 調査のため就活生として潜入するにあたり、身分証は会社に預けてきたのに。 驚き、とまどい、窮地を切り抜けるための言葉を紡ぎ出せないでいる兎妃美に、妖しく嗤って絹恵が口を開いた。 「昨年、わが社が買収したばかりの会社が経営する飲食店が、監視局の摘発を受けたわ。これからさらに成長する新規事業と期待していたのだけれど、事件が明るみに出て、業績がいくぶん悪化した」 それは、兎妃美が学生アルバイトに扮して潜入した店舗だった。 「幸い、店長の独断による違法行為と判断され、運営会社への処分は免れたけれども……」 実のところ、兎妃美は運営会社幹部も違法行為に関わっていた証拠も入手していた。しかし、不当労働行為があったのは当該店舗のみとされ、処分されたのは女店長ひとりだった。 その理由を、上司は証拠不十分と説明していたが――。 机に置かれた、潜入調査官の身分証を見て、兎妃美は考える。 (もしかしたら……) 直属の上司が、嶺湖久絹恵に絡め取られたかもしれない。 あるいは、調査会社の上層部と絹恵に、つながりがあったのか。 監視局本体に、嶺湖久商事が食い込んでいる可能性だってある。 ともあれ当時、そうした裏事情で、兎妃美が集めた証拠はもみ消された。 さらに今回、身分を偽って嶺湖久商事の入社試験を受けたことは、はじめから筒抜けだった。 (いえ、それだけじゃない……) 嶺湖久絹恵が手を回し、兎妃美が潜入調査にあたるよう仕向けたのかもしれない。 買収した会社で始めようととしていた新規事業を、いきなりつまずかせた兎妃美に復讐するために。 いずれにせよ、このたびの潜入調査は罠だった。 目的はわからないが、絹恵がしかけた罠に、兎妃美は嵌められてしまった。 一聴すると荒唐無稽な推理だが、嶺湖久絹恵の嗜虐的で粘着質な視線で見すえられていると、あながち的はずれとも思えない。 コクリ、と兎妃美が喉を鳴らす。 ニヤリ、と絹恵が唇の端を吊り上げる。 次の瞬間、首すじにチクリと痛みを覚えた。 「……ッ!?」 後ろから容器一体の注射器を突き立てられたのだと気づき、声を上げかけたときには、薬液を注入されていた。 「な、なに……を……?」 打ったのかと訊ねる途中で意識が薄れ、兎妃美は机の天板に突っ伏して倒れた。 「ぅ、あ……」 低くうめいて、兎妃美は目覚めた。 とはいえ、目を開けてもなにも見えない。 焦って手足に力を込めても、身体を動かすことはできない。 「あぅあ(誰か)……」 出した声は、言葉にならない。 「あっ、あうッ!?」 パニックに陥って暴れようとするが、なにごとも起きない。 「はっ、はっ、はっ……」 やがて呼吸が苦しくなり、身体から力を抜いて肩で息をする。そこで、少しずつ冷静さが戻ってきた。 頭全体をなにか――おそらく、革製の全頭マスク――で覆われて、軽く締めつけられている。 目を開けてもなにも見えないのは、全頭マスクに視界確保用の開口がないせいか。あるいは小さな穴は開けられているものの、明かりがない場所に閉じ込められているせいで、なにも見えないのかもしれない。 鼻は鼻孔の中にゴムチューブが挿入され、それを介してしか鼻呼吸ができないようだ。 口になにかを押し込まれ、『あ』の形に開口を強制されたまま閉じることができない。 口呼吸ができることからして、口中の異物は筒状。舌が下顎側に押しつけられて動かせないということは、口腔のかなり深い位置まで筒に占拠されている。舌触りは、それが金属製であることを示している。 にもかかわらず、歯に硬いものが当たっている感触がないのは、筒にマウスピースのようなものが設えられているのか。 筒を吐き出せないよう、押さえつけているのだろう。鼻周りから頬を経て後頭部に至る顔の下半分と、額から頭頂部、頭の後ろまで、全頭マスクの上から口の枷を嵌められ、ベルトをきつく締められている。 お腹の前で組んだ状態から腕をまったく動かせないのは、拘束衣を着せられているから。肌に触れる感触からして、全頭マスク同様、拘束衣も革製。 下半身用の拘束衣も革製。脛から太ももをベルトで締められて、正座した状態から立ち上がれない。 脚に強い痺れを感じないのは、高校時代に弓道部に所属していた兎妃美が、正座することに慣れているから。加えて潜入調査官になってからも、あらゆる職場環境に対応するための作法を身につける目的で、茶道の研修を受けていたから。 首にネックコルセットを嵌められて、顔を下に向けることはできない。横にも、軽く揺する程度にしか動かせない。 立ち上がれないだけでなく、上半身を傾けることもできないのは、拘束衣の肩をあたりを、ベルトかなにかで吊られているから。 身体感覚でそこまで探って、兎妃美はハッとした。 肌に直接、革が触れている。つまりパンストや下着に至るまで、衣服をすべて脱がされ、全裸に剥かれたたうえで、拘束衣を着つけられている。 それだけではなかった。 膣内に、ゴツゴツした感触の物体を挿入されている。 窄まりが異物でこじ開けられ、強烈な圧迫感を肛門に覚える。 それらよりずっと細いが、尿道にも管のようなものを挿入されている。 体内から追い出そうといきんでも、3穴を占拠する異物が抜け落ちることはなかった。 それは、拘束衣の股間ベルトで押さえつけられているからか。それとも、異物そのものがなんらかの方法で固定されているのか。 おそらく、いきむことでわずかに動いた膣内の物体は前者。いきんでも微動だにしなかった尿道の肛門のものは後者。 (な、なぜ……) 3穴に異物を挿入固定されているのか。 尿道のものは、導尿カテーテルだろう。身体を覆いつくす拘束衣を着せたまま監禁するための処置だ。 膣への挿入は、性的な意味合いだ。嶺湖久絹恵は、こういう行為を繰り返してきた。 肛門の異物は、どちらが目的なのか判断がつかない。 拘束衣を着せたまま長く監禁し続けるなら、導尿カテーテルのような処置が肛門にも必要になる。 同時に、肛門を性行為で使用する倒錯の性指向があることも、兎妃美は知っている。絹恵の性的ハラスメントを受けた被害者のなかには、肛門を苛められたと供述している女性もいる。 ともあれ、現在兎妃美が受けている仕打ちは、絹恵の悪行の動かぬ証拠となる。ことが明るみになれば、嶺湖久商事も絹恵もおしまいだ。 兎妃美がこの窮地を脱し、報告することができれば。 報告が握りつぶされず、証拠に基づいて正しい処分が下されるなら。 (だけど……) 現状では、そのどちらも難しい。 施された超厳重拘束は、緩む気配すらない。 仮に拘束が解けても、監禁場所から脱出できるかどうかわからない。 嶺湖久商事とつながりを持っている人物が誰なのかによっては、脱出して報告を上げても意味がない。 そこまで考えたところで、膣を中心に、異物を挿入固定された3つの穴に、ほのかな性の悦びが生まれていることに気づいた。 いや、気づいたのが今というだけで、眠らされていたあいだもずっと続いていた悦びが、目覚めきったため認知されたと言うべきだ。 (ど、どうして……) こんな悲惨きわまりない状態で、自分は悦びを覚えていたのか。 その疑問は、快楽を得ていること自体に対するものではない。 膣はオンナの悦びの源泉だ。そこに異物を挿入されて快感を覚えてしまうのは、人体の仕組みに由来するものである。 同時に、肛門にも少なからず性感帯が存在している。 陰核《クリトリス》の至近距離にある尿道への刺激は、オンナの快楽器官にも影響を及ぼす。 加えていずれの穴も、悦びの源泉たるオンナの肉壺に、薄い肉1枚を隔てて接している。特に膣が異物で満たされている状況では、膣の快感は容易に伝搬する。 兎妃美がとまどい、疑問を抱いたのは、この状況で悦びを得てしまったことだ。 学生アルバイトに扮しての潜入調査のなかでも、性的なハラスメントを受けたことはあるが、けっして快感を覚えたことはなかった。 しかも今は、きわめて絶望的な状況だ。本来なら恐怖が先に立ち、悦びが生まれることはありえない。 (たぶん、それも……) 異物の挿入に気づかなかったのと同様に、兎妃美が今しがたまで眠らされていたからである。 意識のない状態では心の防御が機能せず、理性に拒否されることなく、オンナの本能が快楽を受け入れていたのだ。 とまどいながらも考え、自分のなかで答えを見い出したところで、どうすることもできない。 体内の異物を排除することはできないうえ、兎妃美は自身の肉体に生まれる悦びを意識してしまった。 「はっ、はぅ、はぁ……」 生まれ続ける緩い快感に、開口を強制された口から、甘みを帯びた吐息を漏らしてしまう。 「はぁ、はぁ……はぅう」 無意識に肉壺内の物体を食い締めてしまい、異物のゴツゴツに膣壁を刺激され、より大きな悦びを覚えてしまう。 「はぅ、はっ、あぁ……」 膣の快感が伝搬するうえ、膣口周りの筋肉に連動して動く括約筋で肛門内の異物を食い締めて、そこにも倒錯の悦びが生まれる。 尿道にも、はっきりした快感が生まれていると意識してしまう。 「ぅ、あぅう……」 それで、身をよじらせ。 「ぅあ、あぁあ……」 膣壁をゴツゴツで擦られて、悦びが駆け抜けた。 そのときである。 ガチャリ。 金属部品が動く重い音が、全頭マスクごしに耳に届いた。 「……ッ!?」 これまで闇に閉ざされていた視界に、光が差し込む。 とはいえ、眩しくて目を開けていられないほどではない。 全頭マスクの目にあたる位置に、針で突いたような小さな穴が穿たれていて、そこから光が差している感じ。 閉じ込められていた場所の扉が開けられ、外の光が届いているのだと察したところで、明るさに目が慣れた。 「くくく……」 全頭マスクの小さな穴ごしの、暗くぼやけた狭い視界のなかで、嶺湖久絹恵がいじわるく嗤う。 「寝覚めのご機嫌はいかがかしら?」 いいわけがない。 その気持ちを込めて絹恵を睨むが、最低限の視界を確保するための小さい穴しかない全頭マスクごしでは、兎妃美の意思は伝わらないのだろう。 まったく意に介さず、絹恵は言葉を続けた。 「拘束そのものののつらさは、まだ感じていないかしら。ふつうならきつい正座の姿勢も、おまえならまだまだ耐えられるでしょう?」 つまり、兎妃美の経歴を、絹恵は知っている。 「それに、拘束衣を着せる前に、血栓を予防する薬を投与してあるから、安心して拘束監禁暮らしを愉しんでね」 言われて、絹恵がかつて医師であったことを思い出した。 猛烈な加虐心を持つ悪辣な女は、立場を利用して若い女性を苛めるため、医師としてキャリアより嶺湖久商事の役員になる道を選んだ。 そのことを思い出したところで、絹恵の斜め後ろで、見覚えのある女が憎しみを込めた目で兎妃美を睨んでいることに気づいた。 (あ、あれは……あの女は……) かつて兎妃美が学生アルバイトに扮して潜入した、飲食店の店長だった女だ。 たしか名前は、黒藤麻子《こくとう あさこ》。 絹恵の裏工作により、ひとり罪を押しつけられた元女店長が、今はスーツ姿で囚われの兎妃美を見ている。 「覚えてる? おまえのせいで罪を着せられて職を失った、かわいそうな麻子さん」 違う、かわいそうじゃない。黒藤麻子が処罰され、失職したのは自業自得だ。 「彼女に同情して、私の下で働いてもらっているのよ」 おそらく、それも違う。絹恵が麻子を部下にしているのは、彼女に同情したからではない。言い含められて、ひとりで罪を被ったことに対する、一種の報恩人事に違いない。 しかし、『あ』の形に開口を強制された口では、そうと言い返すことはできない。 そして、麻子は兎妃美に対し、理不尽な恨みを持っていた。 兎妃美に復讐する機会を、虎視眈々と狙っていた。 だからこそ、黒い炎を灯した暗い瞳で、兎妃美を睨みつけている。 「さあ、このディルドを口枷の開口部に挿入して、憎い女への拘束を、おまえの手で完成させなさい」 そう言った絹恵から、金属製の土台がついた黒いシリコーンゴム製の物体を受け取ると、麻子が身動きできない兎妃美の前に立った。