【予告編】『あの日の悶絶は思い出の中に〜大学編〜』
Added 2024-02-26 12:10:36 +0000 UTC毎日、朝から晩まで冷房の効いた部屋で過ごすのは健康面から考えていかがなものかと思ったので今日は朝から冷房を止めて窓を開け放っていた。 分かってはいたがそんなことをすればやはり、馬鹿に暑かった。 矢内ハクはこの、八帖ほどの広さの部屋の床の真ん中で大の字になってただマンションを出てすぐの植木から聞こえてくる蝉の声に耳を澄ませていた。 朝起きてすぐに身も心もさっぱりしようとシャワーを浴びてみたが、どうにも何もやる気が起きない。 いや、この夏休みにやることなど何もない。 大学の夏休みは、中学高校のように夏休みに課題があるわけではない。 課題は学期末に一気に押し寄せて来て長い休みに入る頃にはもう消化しきっているのだ。 だから長い休みは暇なのだ。 "喜山寮"に行こうかと思ったが、特に用事もないのに大学まで自転車を走らせる気にならない。 わざわざ汗だくになって行って、寮内に"キヨミ先輩"がいなければ骨折り損である。"八島先輩"がいれば相手をしてくれるだろうが、八島先輩も常にあの寮にいるとは限らない。 だいいち、この猛暑の中まともな冷房が完備されていないあの寮に行くのは、それこそ健康に良くない。 それに。どうせ近々、キヨミ先輩から招集が掛けられるのだ。わざわざ今日行く必要はない。 ハクは、力なく握っているスマートフォンをすうと顔の前まで持って来た。そして意味もなくインターネットを開いて興味もないニュース記事を閲覧する。 そして最後に、メッセージアプリを開いて、スマートフォンの画面を消す。 さっきからこれの繰り返しだった。 実を言えばハクは暇だが、暇ではない。やらないといけないことはないが、やった方が良いと思うことはあるのだ。 それは、"彼女"への連絡である。 当然、夏休みに入ってから彼女とは会えていない。もちろん、話せてもいない。 彼女としっかり話をしたのは、あの日の夜以来だ。 このままで良いのだろうかと思う。 このまま、何もしないままだと、なんだか彼女が遠くへ行ってしまう気がした。 でも。あの夜のあれ以上の出来事などハクには想像も出来ない。 それに、特に用もないのに連絡するのは迷惑に思う。ならば遊びにでも誘うか…と考えたが、どうやって誘えば良いのか分からない。 連絡するとして、そもそも最初の一言目は何を言えば良いのだろう。 "沙恵子"みたいな他の女友達に連絡するのは訳ないのに、どうしてか彼女のことになるとハクは行動に移せなくなる。 あれこれ余計なことばかり考えて結局、ハクはスマートフォンの画面を消してしまう。 また蝉の声が耳に流れ込んできた。 インターフォンが鳴った。 ハクはへろへろと起き上がって、インターフォンのモニターを覗き込んだ。 インターフォンのモニターにはいつもの面々が映っている。なんにも新鮮さがない。 誰が映っているかは分かっていたから、モニターを見るまでもないのは分かっていたが、それでも一応は確認するようにしている。 時刻は午前11時38分。 ここに連中が集まり始めるのはいつも大体これくらいの時間だ。 ハクがインターフォンの"開ボタン"を押すとすぐに、ハクの部屋のドアが勢いよく開いた。 青年二人が入ってくる。 「なんだこれ!?あっついな!せっかくアイス買って来たのに溶けちゃうぞ」 一人は心底不愉快そうな顔で手に引っ提げたビニール袋を掲げた。 「邪魔するぞ」 騒ぐ青年の後ろから、もう一人の男がすっと音も立てずに入ってくる。 「何だお前。今日もそんな格好か」 ハクが言うと、黒い和装のその青年はいつも通りの顰めっ面でハクを見て、 「仕事終えてそのまま来たんだよ。スーパーでコイツとばったり出くわしてな」 と言って、溶けかけのアイスにかぶりつく青年を指差した。 「あの時間なら俺があそこにいるの分かってたくせに」 青年はそう言ってケラケラ笑った。 またインターフォンが鳴った。 これも別に予想外ではない。 でもやっぱり、モニターは確認する。 モニターには、首元まで伸ばした髪をした女がフーセンガムを膨らませながら立っている。 これも、やっぱり予想外ではない。 三人目の訪問者は暑苦しい部屋に入ってくるなり不愉快さを全面に押し出した顔をした。 「なにこれ。ただでさえ男ばっかりで暑苦しいのになんで冷房なし?いきなり地球環境を守る気にでもなったん?」 「あっついわぁ」 太ももを大胆に露出させた涼しげな格好をしているにも関わらず、女は主人に了承も得ないまま窓を閉め、ぴっぴっとエアコンをつけてしまい、さらには扇風機まで回し始めた。 「おい。ここ俺の家なんだけど」 ハクが扇風機を止めると、女はたいそう嫌そうな顔をした。 「そーやけどさぁ、こんな暑い中この人数で集まったら死人出るって」 女は涼しげな声で暑苦しそうに言った。 今日も同じだ。 この言い合いも、この夏が来てもう何度目か分からない。 「なあ今日の晩御飯どうする?今日も私が作ったろか?」 女はまた扇風機をつけて風を浴びながら言った。綺麗な金色にピンク色のメッシュが入った髪がなびく。 「昨日の馬鹿みたいにデカいオムライスでまだ腹パンパンだ俺は」 溶けかけていたアイスクリームを食べ終えた男はそう言ってアイスのゴミをゴミ箱に捨てに台所の方に行った。 どいつもこいつも、まるで自分の家のように振る舞っている。 これも、いつものことであった。 「あっそー。今日もお酒呑むやろ?夕方になったら買い出しいこうや」 「良いけど、お前ら今日も夜中までいるつもりかよ」 ハクは腕組みをして三人を見渡した。割と広々としているはずの八帖の部屋が、あっという間に狭苦しくなっている。 夜中までこの連中がたむろしていくことが別に嫌なわけではない。もうとっくに慣れたが、それでも嫌そうにしていないとなんだかハクは落ち着かない。 「当たり前だろ」 台所から戻って来た青年がけろっと言った。 「そうそう。どうせ皆暇なんやからさぁ、お酒呑んで、喋って、ゲームしよ。あ、昨日やったゲームあれの続きやりたいねん。ハクあれどこにあるん」 「あのなぁお前ら、俺たちはそもそもまだ未成年だろ」 浴室で和装から着替えていた青年が戻って来てもっともなことを言った。 「まだそんなこと言ってんのか!お前はほんとお堅いなぁ」 「お前らが不真面目なだけだ」 「あんた下戸やしどうせ飲めへんやろ。美味しいジュース買ったるからそれで付き合うてよ」 「あのなぁ」 また昨日と同じ馬鹿騒ぎが始まる。 馬鹿なこと。くだらないこと。 くだらないことは、素晴らしい。 毎日同じと云うことは、幸せなことだ。 その時は、そんな当たり前のことに気づかなかった。 なぁ───あの世って、死後の世界って、あんのかな どうしてそんなこと俺に聞くんだよ。 お前そういうのの専門だろ。 何言ってんだ。神職は別に死の専門家じゃねえよ。 でも。まあ、そうだな── 『あの日の悶絶は思い出の中に〜大学編〜』 第一話 三月二日(土)連載開始です。