■ 「ママ、まだかな?」 尋ねる声は、期待に満ち溢れている。 当然だろう。今度こそようやく、本当に母が帰ってくるのだ。この数ヶ月、息子の翔太がどれほど寂しい思いをしたか。雅史が想像するものは、間違いなく、実際のそれには及ばない。本当にすまないと思っている。しかし、それも今日でおわりを迎える。 今日はクリスマス。真央が――彼の妻が、翔太の母が、ようやく家に帰ってくるのだ。前回の帰宅は糠喜びにおわったが、今回こそは本当に、彼女はこの家に戻ってくる。元の彼女に戻ることができるのだ。自分のせいで、真央にはひどい苦労をかけた。どれほどつらい日々だったか。それもまた、雅史の想像の及ぶところではない。どう償えばいいのか。そもそも償いきれるものなのか。わからない。とにかく、今はこうして翔太とふたりで彼女を迎えられる喜びを噛み締めていたかった。 「きっともう少しだと思うよ」 笑顔で、雅史は言った。もう少し。そう言われても、翔太は落ち着かない。あちらこちらに視線をさまよわせる様子を見て、雅史は笑みを浮かべた。しかし、そんな雅史だって、ずっと掌の置きどころが定まらない。 壁を彩る色鮮やかなチェーンリング。イルミネーションがきらめくクリスマスツリー。テーブルに並べられているオードブルは、どれも、雅史と翔太が協力して作ったものだ。店売りのものに比べれば、多少見劣りはするが、込められた愛情はそれを補ってあまりある。それを口にした彼女がどんな表情を浮かべるか、想像するだけで口元が弛んでしまう。 「まだかな」 「もうすぐだよ。パパに何回聞いたって、時間が早く進んだりはしないぞ」 「わかってるけど――待ち遠しくて」 「わかるよ。パパだってそうだ」 雅史は壁に貼られた画用紙に目をやる。ケーキを囲んだ家族三人のイラスト。翔太が描いたものだ。筆致に拙さはあるものの、それぞれの特徴はしっかりと捉えられている。もしかして絵の才能があるのではないか。雅史が言うと、「好きなだけだよ」と照れていた。絵が好き、ということなのか、家族が好きということなのか、雅史はあえて問いを重ねなかった。 じりじりと時が積み重なっていく。 いくらなんでも遅すぎるのではないか、と思って時計を見やると、前に見た時から一分も経過していない。これでは翔太を笑えないな、と自嘲したところで、チャイムが鳴った。 「ママ!」 翔太が弾かれたように立ち上がり、リヴィングを飛び出していく。自分もそうしたい衝動を抑え、一歩一歩踏みしめるように玄関へと向かった。真央が帰ってきた。それはつまり、日常が帰ってきた、ということだ。つらく、苦しい日々は終わりを迎える。過去は過去。これからは、家族三人で、楽しい未来を紡いでいこう。 その足が、動きをとめる。雅史の視線の先で、翔太も硬直していた。 翔太が開いた玄関の扉――今年は暖冬だが、吹き込んでくる夜風はさすがに冷たい。しかし屋内に運ばれてくるのは寒さだけではない。鼻を衝く降水の匂いがふたりに向かって押し寄せる。淫靡な香りはかぐわしくはあっても、雅史が描く健全な未来にはふさわしくない。 彼らの視線の先、ひとりの女が玄関灯に照らされて立っている。 夜闇を孕んで妖しく艶めく豪奢な金髪。露出度の高すぎるサンタクロースの扮装。そして、あまりにも豊満すぎる肉体。その圧倒的な肉感は、暴れているようにすら感じられる。 信じられないほどの乳房の大きさは、見ているだけで目眩がしそうだ。巨乳。爆乳。そんな謳い文句のグラビアイドルでは到底太刀打ちできない。では、何と呼べばいいのか。超乳――そんな下品な表現はふたりの語彙にはない。ボディコン様の衣装は限界まで張り詰めてもなお、凄まじいボリュームをおさめていられず、胸部から柔らかな肉を盛大に溢れさせている。布地に締めつけられ、いびつな形に歪んだ乳肉。かろうじて乳首は隠れているが、乳輪の外周はあらわになっている。左乳房には天使の翼をつけたハートのタトゥーが刻まれていた。 超ミニ丈のスカート部から除くのはメスの脂をこれでもかと詰めこんだ太もも。その太さは、適度にくびれた腹回りとの比較で、より太く、肉々しく目に映る。そして、その太ももの連なる尻房は、正面から見ていてもなお、その絶大な肉量を見てとることができる。ただそこに立っているだけ――それなのに、みちみちと肉が軋む音が聞こえてきそうだ。 天然の肉体ではない。ありえない。間違いなく、整形手術によって作られたものだろう。しかし、人工的なものであるという事実は、女が濃厚に醸す魅力をいささかも損なわない。人工的なものであるからこそ、女の性的魅力は、生まれ持った体では絶対に届かない領域へと悠々と達している。 「おいーっす♡」 徹底的に目と唇を強調するメイクの施された女の表情筋が動く。内心の邪悪が裂け目から滲み出てきた。そんな笑い方だった。雅史と翔太が体を硬直させたのは、その笑いに怯えたから――というだけの理由ではない。 こんな女は知らない。知っているわけがない。しかし、彼女が発した声は、彼らにとって耳に馴染みのあるものだった。そんな。まさか。ありえない。混乱が彼らの思考を掻き乱している。こんな女が、妻なわけが、母なわけがない。絶対に違う。違っていなければならない。そうでなければいけない、はずなのに――。 「ママ……?」「君は……真央なのか?」 そうであってほしくはない。そんな願いを込めて、ふたりは問いかける。 女は左手を腰にあて、右手で作った横ピースで目を飾った。裂け目が広がり、邪悪が大量に押し寄せてくる。 「そうでーっす♡」 希望を完膚なきまでに破壊する返答。呻きを漏らしたのが翔太なのか自分なのか、雅史にはわからない。確かなのは、彼がつい先程まで能天気に描いていたような未来がやってくることはもうない、ということだ。 「いえーい♡ どーよ、めっちゃ可愛くなったと思わん? ぶっちゃけやばいっしょ♡ えぐいっしょ♡ ――はいはい。それじゃ、みんな、入って入って。盛り上がろ♡」 後ろを向いて、真央が言う。そこで初めて、彼女の後ろに数名の男女が控えていることに気がついた。ずかずがとあがりこんでくる真央に、その一団が続く。いちばん最後に家に入ってきたのは見覚えのある顔――裕貴だった。 「メリークリスマス♡」 真央と瓜二つの笑顔でそう言うと、裕貴は、早くも騒々しく沸き立つリヴィングへと消えていった。 ■ 次から次へと誰かが訪れた。 種崎邸はすでに若い男女で溢れている。合計で何人いるのかもわからない。家屋に入り込んだ彼らは、ところ構わず、好き勝手に騒いでいた。誰かが持ち込んだポータブルステレオから、クリスマスとは何の関係もない、ヒップホップミュージックが大音量で流れている。「トイレどこ?」「外ですれば」「いい家じゃん」「料理うっま」「てかもうほとんど残ってないし」……家族三人のささやかなクリスマスパーティは、早くも若者たちの乱痴気騒ぎに塗り替えられてしまっていた。近所迷惑が、と心配している場合ではない。彼の心は、妻の変貌がもたらした衝撃に今なお大きく揺れている。それは、翔太も同じだろう。 「みんな、真央っちの友達♡ 友達の友達もいるけど♡」 人でごった返すリヴィング。真央はソファーの中央に陣取っている。パーティのため、わざわざ交換した電球色の照明の下、サンタクロースの扮装は、その赤を色濃くしている。恥ずかしげもなく開かれた大股。ミニ丈の裾がまくれあがり、太腿が根本近くまでのぞいている。 雅史と翔太は、それぞれ、彼女の左右に座らされていた。ふたりは、真央の肉体が放つ強烈な存在感に圧倒され、萎縮している。楽しむことしか頭にない人間たちが群れた屋内で、彼らだけが異質だった。 「まおっち、飯は?」「それよりも酒」不満もあらわに訴える男女に、真央は「がっつり頼んであるからもうちょっと待ってろって♡」と朗らかに答えた。その対応は、彼女がこの催しの主催であることを意味している。 「もしそれでも足りなかったら、まおっちが作ってあげる」 「まおっち料理できんの?」「黒焦げ料理出てきそう」「そうそう。それか生ゴミとか」 男女の言葉に、真央は「ひど」と唇を尖らせる。 「まおっちこれでも料理めっちゃ得意なんですけど? ねー、そうだよねー?」 いきなり話を向けられても、父子は何の反応もできない。現実離れした現実が、彼らを打ちのめしている。今、何が起きているのか。なぜ、こんなことになっているのか。わからない。わからないことが、あまりにも多すぎる、と雅史は思う。 「あいつら、ほんと失礼すぎー♡」 話しかけてきた男女がどこかへ去る。まったく、と真央が手櫛で髪を掻き上げた。香水、シャンプー、汗……さまざまなものが絡まりあった匂いが鼻腔を通して脳を直撃する。母や妻がさせていていい匂いではない。女の匂いだ。あるいは、牝獣か。とにかくそれは、彼の知る真央からはから最もかけ離れた香りだった。 この香りを嗅ぐのは初めてではない。以前、裕貴の命令で真央と性行為をさせられた時にも、彼女はこの香りをさせていた。あの時に彼女が晒していた姿は、あくまでも仮装――かりそめのものに過ぎなかった。しかし、今回は違う。この生々しさは、仮装で生み出せるものではない。 「ま、真央……その体は……いや、そもそもこれはどういうことなんだ」 どうにか、雅史は問いを発する。 それを耳にした真央は「そりゃ気になるよね」と笑う。 「翔太も気になる? 大好きなママがどうしてこんなに可愛くなっちゃったのか、知りたい? 知りてーよな♡」 真央に尋ねられ、翔太は頷いた。いや、頷かされた。その反応に、真央の笑みが深まる。溢れる黒々とした感情が、翔太の顔を引きつらせ、体をこわばらせるのがわかった。 「でも、ごめんね♡ ここから先は翔太には刺激が強すぎるから、教えるのはパパだけ♡ 別のところで待っててね♡」 真央は「めぐめぐ、しーぽん!」と声を張った。 ふたりの少女が人を掻き分けて近づいてくる。「それじゃ、お願い」と言われたふたりは、前かがみになり、怯えている翔太と視線の高さをあわせる。それぞれ、胸の大きさはさほどでもないが、そんな姿勢をしていると、襟元から女の色香が強烈に漂った。 「君が翔太くん?」「うっわパパそっくり」「まおっちに似てなさすぎ」「本当にまおっちの遺伝子入ってんの?」「てか、めっちゃビビってる」「大丈夫だよー怖くないよー」「そうそう。安心して」「お姉ちゃんたちの優しさ、ビビるくらいやばいから」「ビビらせちゃあかんでしょ」次々と言葉を浴びせられるが、翔太はまともに返事ができない。顔を限界まで赤くして、「あの」「その」「えっと」と吃るのが精一杯だ。 少女たちは、そんな少年の腕を取り、有無を言わせず立ち上がらせた。「パパとママの話がおわるまで、お姉ちゃんたちと楽しくお喋りして待ってよっか♡」「翔太くんの部屋どこ?」「こっち? あっち?」 「しょ、翔太っ」と伸ばした手の向こう側、翔太は少女たちに引きずられていき、人群れに紛れてしまう。立ち上がろうとしたが、服の裾を捕まれ、ソファーに引き戻された。乱暴な動き。やったのは、もちろん真央だ。 「ま、真央――」 彼女は流れている音楽にあわせて鼻歌を歌いながらポーチを探った。煙草を咥え、ライターで火をつける。手慣れた様子は、彼女が日常的に喫煙に耽っていることを物語っている。裕貴の元から帰ってきた時も、喫煙の気配を察することはあった。しかし、いずれは中毒症状から脱し、元の彼女に戻ってくれるはずだ、と気づかないふりをしていた。 ふー、と真央は烟を吐く。そして、雅史に向けられる顔――派手な化粧以上に、左右非対称の表情が、真央を真央でなくしている。香水の匂いが強くなった気がした。 真央は煙草を吸い込んだ。堂々たる喫煙は、凄まじい肉感をさらに増幅していた。 「なんつー顔してんの。楽しまなきゃ。せっかくのクリスマスだよ?」 くすくすと口に笑いを含みながら、真央は足を組み替えた。熟れに熟れた腿肉の蠢きに、目を強奪される。何をしているのだ、自分は。慌てて視線を引き剥がしても、その肉々しさは脳裏に灼きついて離れない。 「お♡ 例のやつ、もう始めんの?」 裕貴がやってきて、それまで翔太が座っていた場所に腰を落とす。その腕が真央の肩に回された。そうするのが当然、という、堂々とした動きだった。それどころか、その掌は、サンタコスチュームの内側にもぐりこみ、信じられないほどのボリュームを誇る乳房を揉みしだきはじめる。 「もー。おっぱい揉むなっつーの。集中できねーじゃん」 やめろ、と口にしつつも、真央はその手を払いのけない。雅史に視線を戻した真央は、男に触れられているのが嘘のように平然としている。彼女が性的な接触をどのように考えているのか。それだけでわかってしまう。 揉まれている真央と同じく、揉んでいる裕貴にも、まったく興奮している気配はない。たまたまそこにあったから弄んでいるだけ。そんなふうに見えた。このふたりは、そんなことができるような関係になっている、ということだ。 「『これはどういうことなんだ』――だっけ?」 煙草の烟をくゆらせながら、真央が雅史の質問を復唱する。 「いいよ。どうしてこうなったか、これから説明してやんよ♡ しっかり聞いとけ♡」 ■ 「――ってわけ♡」 最後の烟を吐き、真央が携帯灰皿に火を揉み消す。 大量に届けられた酒と料理のおかげで、種崎家は匂いに満ちている。酒。煙草。脂。……パーティーの匂いだ。乱痴気騒ぎの犠牲となって、チェーンリングは見るも無惨に千切られ、クリスマスツリーは倒されている。壁に飾られていた翔太の絵は何者かによって剥がされて、そこに描かれた家族団欒は無数の男女に踏みつけにされていた。翔太がここにいなくてよかった――と思うことすら、今の雅史にはできない。 なぜ、ふたたび家を出ていったのか。なぜ、こんな体になったのか。 ぞんざいな口調で打ち明けられたハロウィンから今日に至るまでの赤裸々な真実は、一言一句が雅史を打ちのめした。 「すまない……すまない……すまない、真央……」 頭を落とした雅史は、涙に滲んだ声で謝罪を重ねる。リヴィングにいる男女の多くがこちらに好奇の目を向けている。それがわかっていても、啜り泣きを止めることはできなかった。 真央がこうなったのは自分の責任だ、と思う。自分が不甲斐なかったから、真央はハロウィンの日に家族を裏切ってしまったのだ。どれだけ悔いても、すべてはもう手遅れだ。 あのさー、と真央の溜息が降ってくる。 「ガチ泣きとか、盛り下がるからやめてくんない? せっかくのクリパ、しかも幹事はまおっちなんだからもっと楽しめや♡ ――まあ、これから嫌でも楽しんでもらうんだけど♡」 「楽しんでもらうって――」 雅史は伏せていた顔を上げる。 真央は新しい煙草に火をつけた。 「電話で『愛してりゅ♡』とか言ってたけど、あれ嘘。まおっち的には、もうおめーには興味ないわけ。男として見てないわけ。まおっちが興味あるのは、こういう――つよーいイケメンだけ♡」 真央は、隣に座る裕貴を一瞥する。確かに、今の真央には、雅史よりも裕貴のような男のほうが似つかわしいだろう。顔が整っているだけではない。頑強な肉体。押しの強い性格。経済的な豊かさは言わずもがなだ。男として、何もかもが雅史より優れている。雅史のほうが勝っていると言える部分はひとつとしてない。 だから、と真央は続けた。 「だから――てめーにはまおっちの好みどストライクの激強イケメンマッチョくんになってもらいまーす♡」 真央は何言っているのか。言葉はわかっても、意味がわからない。 固まってしまった雅史を眺めながら、真央は言った。 「わかんない? まおっちがだっさいてめーのことマジのイケメンにしてやるって言ってんの。整形させまくって、筋トレさせまくって、そうそう、タトゥーも入れまくり決定♡ 性格も、今とは反対の超オラオラ系にしてやんよ♡」 「もし、そうなったら今の仕事は続けらんなくなるだろうけど、安心しなよ」 真央の向こう側から裕貴が言う。 「俺の友達がやってる会社があるから、そこで働かせてやるよ。すこーし危ないこともやってるんだけど、そのぶん、稼ぎはやばいから。お礼に飯でも奢ってくれればいいから。――その時は、俺たち、友達になろ。いいだろ、雅史♡」 まおっちの好みどストライク。激強イケメンマッチョ。マジのイケメン。整形。筋トレ。タトゥー。オラオラ系。俺の友達の会社。稼ぎ。友達。雅史。……それら単語の意味が、時間差で心に染み込んでくる。それにつれて、呼吸がままならなくなった。全身の毛穴から粘り気のある汗が流れる。 必死に酸素を喘ぎながら、雅史はあらためて真央を見る。 派手すぎる金色の髪。けばけばしいメイク。大玉のスイカのような乳房。爆発的に実った下肢。全身から滲み出る邪悪な雰囲気。……彼の知る真央は、もうどこにも残されていない。この女は、真央であって真央ではない。 それほどまでに変わり果てた真央が、今度は自分を同じように変えようとしているのだ。ぞくり、と体表を走った悪寒は、恐怖のせいばかりではない。変わってしまうことがどれほど楽しいか、想像してしまったのだ。自己を捨て去り生まれ変わる愉悦の凄まじさ――その何よりの証拠が、今、彼のすぐ近くにある。裂け目のような笑いを浮かべている。 「お金は結構かかりそうなんだけど、それは翔太に稼いでもらおうかな、って」 「しょ……翔太に稼いでもらう……?」 そうだよん、と真央は頷いた。 「ゆー君――裕貴の知り合いに中国人がいんの。中国と日本行ったり来たりして、怪しい商品売ってるすげーデブのおっさん。そいつが翔太のこと高く買ってくれる、って。まおっちには指一本触れないくせに、翔太の写真見せたらすっげー興奮してた。物好きもいるもんだよねー。世界ってひろーい♡」 「なっ――」 「本当はあいつのこともイケメンとして生まれ変わらせてあげたいんだけどね……あの年じゃ手術は難しいし。だから、イケメンの代わりにお金になってもらうことにしたってわけ♡ 大好きなパパとママの役に立てるんだから本望っしょ。最後にいい思いもできてるし♡ とっておきのクリスマスプレゼント、喜んでくれてるといいな~♡ まあ、あのふたりが相手なら心配ないか♡」 翔太の部屋のほうへと視線を向けて真央は言った。 そこでようやく、翔太が部屋で何をされているのか、雅史は悟る。その可能性を考えなかったわけではない。しかし、いくら何でもそこまではしないだろう、と思っていたのだ。現在の真央の倫理観を高く見積もりすぎていた。今すぐ助けに行かなければ。ふたりで、この家から、いや、真央から逃げ出さなければ。腰を浮かせたところで、服の裾を掴まれ、引き戻される。 「待てやコラ」 前髪を捕まれ、至近距離から巻き舌で凄まれる。視線を通して、真央の心に満ちる汚泥が流れ込んでくる。そんな錯覚に襲われた。 「何馬鹿なことしようとしてんの。女の子とのお楽しみ、邪魔したら恨まれるよ? てか、ひとの話は最後まで聞けっつーの。こっからが重要なんだから。――もしイケメンになんてなりたくありません、翔太も守りたいです、って言うなら、てめーにもチャンスやるよ♡」 「チャンス……?」 「そう。だって、そっちのほうが面白いでしょ? ――もしも、これからするゲームでまおっちに勝てたら、てめーのこと改造すんのやめてやんよ。もちろん翔太もこれまで通り。まおっちはもうあんたらには二度と関わらないから、離婚届書いたあとは好きに生きてって。でも、もし負けちゃったら、その時はまおっちに大人しく従うこと♡」 楽しみだなー、と真央は言った。 「隅から隅まで、子宮がどきどきしっぱなしになっちゃうガチイケメンにしてあげるね♡ そうなったら、また新しく子ども作ろ♡ 今度は、あんなブっサいのじゃなくて、まおっちの激カワDNAぶっ濃く遺伝させた超絶可愛い傑作産んでやっから期待しろ~♡」 倫理を置き去りにした台詞。これが、雅史が愛した種崎真央という女性の本性だったのか。それともこれは裕貴に歪められた結果なのか。どちらにしろ、今の真央は、それを戯れや挑発ではなく、本気で言っている。濁りきった瞳がそう語っていた。 「どんなことをすればいいんだ……」 精一杯の気力を振り絞り、雅史は尋ねる。 そこで、真央は雅史の前髪を離した。その掌で、サンタクロースの扮装からほとんどこぼれだしている乳房を鷲掴みにする。無造作にこねまわすと、指と指のあいだから肉が溢れ、人造とは思わない抜群の柔らかさをアピールした。 にしし、と真央は笑う。 「エッチして、まおっちを1回でもイかせられたら勝ち、っていうゲーム♡ まおっちはてめーのこと徹底的に抜きまくるから、ちんぽ勃たなくなったらそこでゲーム終了♡ イケメン改造&海外発送確定♡ どーよ、面白そうっしょ♡」 真央の言葉に、聞き耳を立てていた男女が声をあげる。「おー」「面白そう」「いいね」「いいじゃん」「がんばれーおっさん」「せっかくだから賭けしよ、賭け」「じゃあ、あたし、まおっちが勝つほうに1万円」「俺はまおっちに3万円」「俺も」「俺もまおっち」「いやいや。それじゃ賭け成立しねーだろ」「おっさんが何発でダウンするかで賭ければよくね?」「さすが」「天才」「東大卒」「ハーバード大卒」雅史にとっては大切なものを守るための渾身の賭け――それも、彼らにとってはパーティの座興に過ぎないのだ。 本当なら、今すぐにでも翔太を助けに行きたい。絶対に助けに行くべきだろう。しかし、それはかなわない。このような状況では、間違いなく、観客たちがそれを阻む。彼らを跳ね除けるだけの力は、雅史にはない。己の非力がひたすらに憎らしかった。自分がもっと強い男だったのなら、という願いの先にあるものは、最悪なことに、真央に提示された呪わしい未来の自分と重なっている。 「わかった……」 雅史は答えた。決然と答えたつもりなのに、声は弱々しく震えていた。 自分はどうなってもかまわない。だが、翔太を守るためには、自分がそのゲームに勝つしかない。果たして、勝ったところで、真央が約束を守ってくれるのか。それはわからない。けれども、真央のゲームで勝ちを目指すこと以外、今の雅史にできることはなかった。 「そんじゃ、始めよっか♡」 煙草をもみ消して、真央は立ち上がった。勢いよく立ち上がったおかげで、全身の熟肉がぶるんっ♡ と音をたてかねない勢いで揺れ、観衆の男たちをどよめかせる。それから、彼女は雅史を――獲物を見下ろした。ぺろり、と下唇が舐められる。 ソファーから見上げる彼女の姿は、凄まじい迫力だ。豊満な女体ではなく、巨大な城塞がそこにそびえているように感じられる。このまま押し潰されてしまいそうだ、と怯える雅史は、きっともうすでに勝負に負けてしまっている。 (続) ―――――― ※残り2回で完結予定です。