1 「素晴らしかったよ」 収録をおえて控え室に戻ってきた彼女をあなたが褒めたのは、これから食事に誘うことを考えてのお世辞ではない。 偽らざる本心だ。 人気の少女漫画を原作とし、業界でも選りすぐりのスタッフを集めて撮影される期待のドラマ――その主演に選ばれたのは、あなたがプロデューサーとして担当するアイドル、有栖川夏葉だった。 年齢は二十歳。瞳に輝く理知の光。凜と引き締まった顔貌。均整のとれたしなやかな体躯。上品でありながら剛健な質と実とを備えた夏葉は、数々の困難にも挫けず、一流の女優を目指す主人公にはぴったりだ。 人気作だけあって、キャスティングに不満の声がまったくないわけではない。しかし、クランクインの今日、夏葉の見せた演技は、そうした声を一掃してしまうに違いないほど優れたものだった。スタジオ入りしてからずっと緊張しているように見えたので心配していたのだが、それは杞憂に過ぎなかった。 夏葉はあくまでもアイドルであって、役者としてドラマに出演する機会は多くなかった。それを考えれば、今日の名演は驚嘆すべきだろう。場数をこなせば、夏葉はさらに活躍の場を広げられるだろう。 「本当に素晴らしかった。お疲れ様」 夏葉は、ありがとう、と柔らかく微笑んだ。 「でも、まだまだね。十分に準備したと思ったけれど、いざとなると自分の未熟さを痛感させられるわ」 「経験はこれから積んでいけばいいさ。俺も、できる限り、手伝いをさせてもらう。必要であれば、遠慮せず、何でも言ってくれ」 あら、と夏葉が悪戯っぽく眉をあげる。 「遠慮なんてするわけがないわ。高みを目指すためだもの。それに、何より、私とあなたの仲でしょう、プロデューサー」 この口ぶり――深まる確信に、あなたの口角は吊り上がりそうになる。間違いない。俺がそうであるように、夏葉も俺に好意を抱いてくれている。笑みを必死にこらえ、あくまでも普段どおりを装ってあなたは言った。 「このあと、仕事は入っていないだろう。よかったら、一緒に夕食に行かないか? このあいだ、営業先で、いい店を教えてもらったんだ」 「いいわよ。どんなお店なのかしら、楽しみね」 これから夏葉を連れて行こうとしている店は、誰かに教えてもらったものではない。アイドルであり、資産家の令嬢でもある女性への愛の告白に相応しい店を、ネットで血眼になって探したのだ。それなりの値段がする店ではあるが、そこで得られるものの価値を考えれば痛くも痒くもない。 今夜、自分たちはプロデューサーとアイドルという関係を越えて、恋人になる。その想像に、ごくり、と生唾を飲み込んだその時、控え室のドアがノックされた。どうぞ、と夏葉が返事をする。入室してきたのは、ひとりの少年だった。 背丈は夏葉の首元程度。華奢な体格をしていて、顔の造作は、ともすれば性別の認識を誤ってしまいそうなほどに繊細だ。身動きするたび、指通りのよさそうな髪がさらさらと揺れている。 少年の姿を認識した途端、 「――――っ!」 それまではリラックスしていた夏葉の体がこわばった。 「いきなり来ちゃってごめんなさい」 耳に心地いいソプラノの声で少年は言った。 「今日の有栖川さんの演技、とってもよかったです。僕、感動しちゃいました。それを伝えたくて」 にっこり、と屈託のない笑顔を見せる少年の名前は◯◯――今回のドラマで、夏葉の弟役をつとめている子役だ。年齢は夏葉より八つ年下だが、幼少時より芸能活動をしているため、芸歴はこちらのほうが圧倒的に長く、今日の撮影でも年の若さを感じさせない演技を見せていた。 愛くるしい容姿が若い女性を中心に人気を博し、近年の◯◯は、CM、バラエティ、ドラマ……様々な仕事に引っ張りだこだ。先々月にはメジャーレーベルからCDデビューも果たしており、花の妖精をイメージしたカラフルでキュートな衣装を着た少年が、甘く鼻にかかった声で歌い、ポップなダンスを披露するMVは、動画投稿サイトで凄まじい再生数を叩き出し、なお数字を伸ばしている。 ランダムで握手券が封入されたそのCDの売れ行きも圧倒的だった。先月実施された握手会には大勢のファンが詰めかけ、なかには◯◯と会話しただけで幸せのあまりに卒倒してしまう中年女性もいたらしい。◯◯は倒れた女性を率先して介抱し、快復後には体調を気遣う直筆の手紙まで送ったという。 ただし、圧倒的な女性人気の裏側では、ごく一部の男性から「あざとい」「ぶりっ子」「生理的に無理」「逮捕されてもいいから殺す」と極端に毛嫌いされている。表だっては決して言えないが、あなたも、また、そうした人間のうちのひとりだ。収録を見学しているあいだも、媚びを多分に孕んだ演技にこみあげる苛立ちを押さえつけるためには、関節が白むほど強く拳を握りしめなければいけなかった。ましてや、今、少年が馴れ馴れしく喋りかけているのは、あなたが思いを寄せる女性なのだ。苛立ちは頂点のさらにその上へと達している。 「有栖川さんの演技、本当にすごかったです。原作の主人公が漫画から抜け出してきたんじゃないか、って思っちゃいました」 ◯◯の口にする内容、声音、表情、仕草……すべてがわざとらしく、すべてがあなたの癪に障る。顔はどれだけ笑っていても、目が計算高く光っていることに、俺は気づいているんだぞ、と怒鳴りつけてやりたい。 世の女性たちが、この少年のどこにそれほどまでに惹かれるのか。皆目見当がつかない。いや、理解したくない、と言ったほうが正確だろうか。きっと夏葉もあなたの意見に同意してくれるはずだ。夏葉は、可愛らしく装われた外見や振る舞いに騙されるような低脳なミーハー女たちとは違う。夏葉は真実を見抜く目を持ち合わせている。 その証拠に、控え室に挨拶に行った時も、収録中も、夏葉は◯◯に対して言葉少なに距離をとっていた。あなた同様、◯◯を嫌っているのだ。 しかし――。 「ほ、本当ですかぁ♡」 と夏葉は言った。あなたと話す時には使ったことのない甲高い声音、媚びを多分に孕んだ喋り方だった。 「褒めてもらえて嬉しいですぅ♡♡♡」 な、夏葉……? あなたは言葉を失う。 「はい。本当ですよ。有栖川さんの演技を見て、僕も頑張らなきゃな、って思いました。僕なんて、芸歴が長いだけで、たいした取り柄もありませんから」 「そ、そんなっ――◯◯くんの歌も演技もトークも全部素敵ですっ」 「場慣れしてるだけですよ。どれも雰囲気で誤魔化してるんです。でも、それだけじゃいけないんだな、って有栖川さんのお芝居を見ていて痛感しました。やっぱり、すごく練習されたんですか?」 「練習はたくさんしましたけどぉ――わ、私がうまく演技できたのは、◯◯くんがいたからかも……なーんてっ♡」 夏葉は、えへへっ、と笑った。垂涎せんばかりに蕩けた表情。はへっ、はへっ、と吐かれる焦げた息。興奮がぐるぐると渦を巻く瞳――その中心に、浮かぶハートマークを、あなたは動揺のうちに幻視していた。 あまりの豹変ぶりに、理解が追いつかない。気高く誇り高いはずの女性は、◯◯がわざわざ自分を訪ねてきてくれた、という事実に滑稽なほど舞い上がっていた。心臓の高鳴りが、離れて立っているあなたの耳にも聞こえてきそうだ。 「あ、あのあのっ、実は私、ずっと前から◯◯くんの大ファンなんですっ。番組も雑誌も全部チェックしてて、このあいだのCDも、絶対握手会行きたい~って思って三百枚買いました。でも一枚も当たらなくて――」 いけないことだと理解はしている、と前置きした上で、夏葉は、転売屋に二桁万円に及ぶ金額を払って握手券を手に入れた、と告白した。当日は正体が露見しないよう、変装して参加したのだが、いざ握手をする段になると、緊張のあまりに何も喋ることができなかったそうだ。ステージでは何千人ものファンを前に堂々としたパフォーマンスを披露する夏葉が、憧れの◯◯の前では、一言も発することができなかったのだ。 「今日もスタジオ入りからずっと緊張していて、そのせいで距離をとってしまって――」 そうなんですか、と◯◯は言った。 「僕の控え室に挨拶に来てくれた時も、収録中もなかなか目をあわせてくれないから、もしかして嫌われているのかな、と思っていました」 「そんなっ、嫌いなわけないですっ。大大大好きですっ! 今もどきどきしていて……ああ、やだもう。顔、すごく熱い♡」 広げた掌で火照った顔をぱたぱたとあおぐ夏葉――その頬に、◯◯が手を添える。異性に触れることに何のてらいもない、ごく自然な動きだった。 「本当だ。有栖川さんのほっぺ、すごく熱くなってますね」 ◯◯の掌が離れてからも、数秒間、夏葉は硬直していた。遅れてやってきた理解に、夏葉の顔から勢いよく火が吹き出す。「~~~~~~っ♡」という声にならない声が、夏葉の喉から絞り出された。羞恥のあまりに、両足が床を踏みならす。二十歳の立派な成人女性が、その半分ほどしか齢を重ねていない少年に、いともたやすく弄ばれていた。 何だ、これは。 何が起きているんだ。 ありえないはずのことが起きている。夢だと思い込もうとするには、目の前で起きていることは、あまりにも生々しすぎた。 呆然とするあなたが思い出すのは、以前耳にした、◯◯についての噂だ。その容姿を利用して、気に入った大人の女性に次々と手をつけている――それを聞いた時は、いくらなんでも、あんな年齢でそんなことをするわけがない、と思っていた。自分のように◯◯を嫌う人間が評判を下げるために行った捏造だろう、と。 その噂が真実だったことを、あなたは悟った。それだけなら、まだ救いがある。信じられないのは、そんな◯◯に自ら進んで転がされている夏葉だ。 好きな芸能人なら誰にでもいる。しかし、夏葉の目を見れば、彼女が◯◯にむける感情が、単なる「好き」におさまらないものであることは明らかだ。夏葉は完全に◯◯に対して発情し、あなたの一挙手一投足に至上のときめきを覚えていた。 嘘だ、といくら心に繰り返しても、現実は変わらない。 「有栖川さん。僕のお願い、聞いてくれますか?」 可愛らしく小首を傾げて、◯◯は言った。 「お、お願い? 何かしら?」 ◯◯に触れられた余韻に息の調子を乱しながら夏葉は尋ねる。 「これからは、お互い普通にお喋りしたいんです。芸能界の先輩後輩や年の上下はありますけど、敬語を使うとどうしても距離を感じてしまうでしょう。――あのね、僕、有栖川さん、ううん、夏葉さんともっと仲良くなりたいんだ。だめかなあ?」 上目遣いで◯◯に求められて、夏葉が断るわけもない。 夏葉は「もちろんよ!」と力強く頷いた。 「これからは敬語は使わないで喋らせてもらうわね!」 「うん。お願いを聞いてくれてありがとう。それにしても、夏葉さんが僕のファンだったなんて嬉しいなあ。でも、これからはもう転売屋なんて使っちゃだめだよ」 腰に両手をあてて、めっ、と眉を吊り上げる◯◯。その仕草は、◯◯を嫌う者が見れば、それだけで憤死してしまいかねないほどに苛立たしいものだ。しかし、夏葉は満面の笑みとともに「はーいっ♡」と知性の底が抜けたような返事をする。 「な、夏葉――」 あなたは言った。舌がうまく動かないにもかかわらず、無理矢理に発声したため、声は情けなく裏返っていた。愛する女性が、忌み嫌う少年に骨抜きにされている姿をこれ以上見てることに耐えられなかったのだ。 「そろそろ出発しよう」 そこで初めて、◯◯がこちらを見る。青ざめ、冷や汗に塗れたあなたの顔を見て、一瞬のうちにすべてを了解したのだろう、可愛らしい笑みはそのまま、目に嗜虐の色が浮かんだ。 「夏葉さんのプロデューサーさん、ですよね? 僕と夏葉さんが仲良くなって、嫉妬してます? むかむか、もやもやしちゃってます?」 「なっ――」 図星をつかれて動揺するあなたは、何を馬鹿なことを、と返すことすらできない。あなたの情けない狼狽が◯◯をますます調子づかせる。 「ねえ、夏葉さん。もしかして、プロデューサーさんと夏葉さんって、お付き合いしてる? 恋人同士? だったら悪いことしちゃったかな。僕みたいな子供とはいえ、恋人に他の男が馴れ馴れしくしてたら、それは嫌だよね。――やっぱりこれからも敬語を使ったほうがいいかな。ごめんなさい。すみませんでした」 ◯◯の言葉に、夏葉が「ち、違うわ!」と声をあげる。 「私とプロデューサーはそういう関係じゃないわ! 誤解しないで!」 「誤魔化さなくてもいいですよ。週刊誌に密告したりはしませんから。アイドルにとって恋人の存在がどういうものか、僕にだってわかります」 「誤魔化しているわけではないわ。本当に違うの! 私とプロデューサーは恋人なんかじゃないから! 違うから! ありえないから!」 プロデューサーはいい人だし、仕事のパートナーとしては尊敬しているけれど、恋愛関係になるつもりはない――せっかく近づいた距離を離すまいと、疑惑を否定する言葉を信じられないほどの早口で次々とまくしたてる夏葉は、◯◯が笑いを噛み殺していることにも、あなたが屈辱に奥歯を噛みしめて震えていることにも気がついていない。 「そうか。プロデューサーさんは夏葉さんの恋人じゃないんですね」 よかったー、という言葉の棒読み具合に気づかないのは夏葉だけだ。 「ええ。そうよ。だから、敬語なんて使わないで……お願い……」 胸の前に両手を組み合わせて言う夏葉の声は悲しみに輪郭を揺らしている。 「うん。わかったよ。誤解してごめんね? でも、それなら、僕が夏葉さんの彼氏に立候補しちゃおうかな」 「か、彼氏って――」 「恋人にするなら、夏葉さんみたいな美人のお姉さんがいいなって、ずっと思ってたんだ。いつも大人のひとといっしょにいるからかな、同年代の女の子はどうしても子供っぽく思えちゃって」 好みのタイプだ、と直接的に言われ、夏葉の表情が蕩ける。 「も~っ♡ ◯◯くんったら、も~~~~っ♡」 息も荒く、夏葉は軽く握った拳でぽかぽかと◯◯を優しく殴る。 「大人をからかわないで。そんなことを言われたら、私、本気にしてしまうわよ?」 ぷぅ、と片頬を膨らませるわざとらしい仕草も、夏葉のような容姿ならば見事な絵になる。成人女性にそこまでして媚びられ、◯◯は白い歯を見せた。 「冗談じゃなくて、本気で言ってるよ。夏葉さんは美人だし、スタイルもすごくよくて、恋人として理想的だよ。――よかったらスリーサイズを教えてくれない? 体重も知りたいな。もちろん、無理にとは言わないけど」 ◯◯くんじゃなかったらこの時点で弁護士に相談しているところよ、と夏葉は苦笑いした。冷静なように振る舞ってはいるが、◯◯が自分の肉体に興味をもってくれていることが嬉しくてたまらないのは、その目を見ればわかった。 「バスト89、ウエスト55、ヒップ80。体重は45キロよ♡」 そうではない。そうではないことを、あなたは知っている。 先日、283プロダクションの全体ライブの衣装作りために、所属するアイドル全員に身体計測が実施された。その際に計測された夏葉のスリーサイズは、上から85、58、84。体重は49キロ。 夏葉が口にした数字はどれもこれも偽りに他ならない。◯◯に少しでもよく見られたいばかりに、胸を大きく、ウエストを細く、尻を小さく、そして体重を軽く偽ったのだ。 数値の詐称――サバ読み。 その姑息さが、あなたを愕然とさせた。 それほどまでして、夏葉は◯◯に気に入られようとしている。真実を知るあなたが聞いていようと関係はないのだ。 「それだけのスタイルを維持するの、大変そうだね。やっぱり食事には気をつかってるのかな? 芸能人だと、どうしても不摂生になりがちだけど――」 「ええ。栄養バランスのとれた食事のたまものね」 「すごいね。でも、たまには自分にご褒美をあげたほうがいいんじゃないかな。たとえば、今日みたいに、仕事がうまくいった日には」 そこまで言って、◯◯が掌を打ち合わせた。 「そうだ。夏葉さん、これから予定はある? 僕と一緒に食事しない? お気に入りの料理屋さんがあるんだ。とても美味しいお店なんだよ」 ◯◯が挙げた店名は、あなたが夏葉を連れて行こうと――そこで愛の告白をしようと考えていた店だった。最悪の偶然、というしかない。日々必死に労働にいそしむあなたの財布がすぐに悲鳴をあげてしまう高級店に、この少年はこの年齢にして当たり前のように通っているのだ。 彼我の格差に、目眩がした。 「どうかな?」 いくら目を潤ませてそんなことを言われても、夏葉は絶対に行かない。行くわけがない。 なぜなら、夏葉はすでにあなたと夕食の約束をしているからだ。 そうでなければならないはずなのに――。 「行く♡ 行く♡ 絶対行くぅ♡♡♡」 約束を交わしたあなたに一瞥すらくれず、夏葉は◯◯の誘いにのっていた。ほんの一瞬も悩んだ様子はない、完全な即答だった。あまりにも露骨な優先度の違いを見せつけられ、あなたの喉から「ああ……」と絶望の息が漏れた。 「どんなお店なのかしら。とっても楽しみっ♡」 あなたが食事に誘った時との差はあまりにも明らかだ。楽しみとは言いつつ、あくまでも落ち着いていたあの時とは違い。今の夏葉は喜色を全開にして、飛び跳ねんばかりにはしゃいでいる。 そういえば、と◯◯は言った。 「雑誌のインタビューで読んだんだけど、夏葉さん、大きな犬を飼ってるんだよね。ゴールデンレトリバーのカトレアだっけ。僕、犬が大好きなんだ。食事のあと、少しのあいだだけ、お部屋にお邪魔させてもいい?」 「それって、つまり――♡」 ◯◯が何を狙っているのかは明らかだ。それは、もちろん、犬とのつかの間のたわむれではない。 やめてくれ、とあなたは心の中で絶叫する。 しかし、そんな悲鳴が届くわけもなく、夏葉はふたたび「もちろんよ!」と即答してしまう。夏葉とて、◯◯の狙いがわかっていないわけではない。わかった上で、夏葉はそれを望んでいるのだ。それが、あなたの絶望をさらに深める。 「ぜ、ぜひ来てっ。少しと言わずに、気のすむまでいてくれて大丈夫よ♡」 「楽しみだなあ。それじゃ、着替えたら、迎えにくるよ。またあとでね」 手を振って、◯◯は控え室を出て行く。すれ違いざま、少年はあなたのそばに低い囁きを置き去りにしていった。「ちょっろ~(笑)」――愛する者を小馬鹿にされても、あなたには否定ができない。なぜならば、それは紛れもない真実だからだ。 扉が閉まると同時にやってくる、あまりにも気まずい沈黙。 立ち尽くすあなたに、夏葉が、目を伏せつつ、「ごめんなさい」と言った。 「聞いていたわよね。夕食は◯◯くんと行くことにしたから、プロデューサーと行くのはまた今度、ということでいいかしら?」 どうにか申し訳なく響くように繕っているが、浮かれる内心は隠しきれてはいない。早く◯◯くんと食事をしたい。早く◯◯を家に入れたい。そして、それから――。そんな心の声が、耳をそばたてる必要もなく聞こえてくる。 「ああ。構わないさ」 あなたは答えた。そう答えるしかないではないか。 「本当にごめんなさいね。次は必ずつきあうわ。そうだ。私におごらせてちょうだい。確実に行けるように、予約もしておくわ。教えて。なんていうお店に行くつもりだったの?」 「いいんだ。気にしないでくれ」 夏葉の着替えのため、控え室を出たあなたは、ドアを後ろ手に閉める。苦悶の息を胸の前に落とすのと同時に、室内から「よっしゃあああ」「やっべまじやっべ」「ああもう最高っ♡」という歓声が立て続けに漏れ聞こえてきた。 はは、とあなたは渇いた笑い声をあげる。 これからどうやって夏葉に接すればいいのか、あなたにはもうわからなくなっていた。 ―――――― 続きはBOOTHにて頒布中です → https://ringokidjp.booth.pm/items/4016261