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獅子鬼君と虎おじのお話

獅子鬼君と虎おじ


大学生でありながら、既にプロレスラーとして活動している獅子鬼君。


興行を終え、団体所有のワンボックスバンで送ってもらい自宅マンションへと戻った日曜午後8時過ぎ。

既に口癖と化している『死にたい』を呪詛のごとく口ずさみながら、一階部分に設えられた各自の車庫前で今年初の雪かきに勤しむ。


よもや、水道管の異常で断水に見舞われるとは思ってもみなかった。

飲料水はコンビニで買ってくるとしても、風呂はどうにもならない。 湯冷めしてはと、シャワーを借りずに帰って来たことを酷く後悔する。


公衆浴場的なものは近場に無く、郊外に一軒だけある銭湯へ赴くのに車は必須だ。

自身の小さな小さなヒヨコのような可愛らしいチンコに巨大なコンプレックスを抱いている彼は本来そういった他人とご一緒するような風呂には決して入らないのだが、脇や胸から香ってくる汗の匂いには逆らえない。


大きく溜息を吐くと白いモヤが黒い空へと昇っていく、しんしんと降りてくる雪に彼は昨年の出来事を思い出していた。



──その日も、朝から静かに、だが大量に雪が降りしきり山のように積もっていた。

実家が超富豪かつ三男坊で甘やかされてきた、と言うより現在進行系で甘やかされ続けている獅子鬼君だが、小学校低学年時に友人と思っていた者たちがことごとく金目当ておこぼれ目当てと気付いて以降はスーパーネガティブマンとなってしまっている。


声も小さいコミュニケーションも苦手で笑顔なんて十数年ご無沙汰、そんな彼が唯一ガタイの良さのみで採用されたアルバイトの初出勤日。 全く気付かなかった積雪に慌てながら車を出すも、車庫から出てすぐに轍(わだち)の深い溝に前輪がハマり動けなくなってしまった。


このままでは遅刻確定だがアクセルをどんなに踏んでもタイヤが空回りの音を立てるばかり、自分一人ではもうどうにもできない。

業者を呼ぶことも頭に浮かんだが、到着を待ってから車を引いてもらい支払いまであるのだからアルバイトには到底間に合わない。


わざわざ自分の実家を誰も知らない土地まで引っ越してきて、マンション代も車さえも買い与えられたが生活費くらいはちゃんと稼いで少しずつでも自立したい。 そう考えてのアルバイトだったのに初日の出勤でこの有り様、なぜ自分はこうなのだろうと「死にたい」をつぶやき続け大粒の涙をボロボロとこぼした。


そんな時である。

突然、マンションから一人の男性が飛び出してきた。


「押します!」


そうひと言だけこちらへ告げると車庫内へ入り、「せーの!」の掛け声と共に車の後部を押してくれた。

獅子鬼君もハッとし、声に合わせてアクセルを踏む。 グンッと前方へ押し出されるのを感じるも、あと一歩のところで抜け出せずまた元の位置へと戻ってしまう。

数度繰り返すも状況は変わらず、涙もまた止まらなくなる。


まるで子供のように嗚咽を漏らし泣いていると、運転席の窓をコンコンとノックされる。

見ると、少し息の上がったその男性が「何かタイヤに噛ませるものはありませんか!?」と聞いてきた。

よく意味が分からずフルフルと首を横に振ると、少し考える素振りを見せたその男性はおもむろに上着を脱いだ。

暖かそうな白いセーターに黒のアンダーシャツまで脱ぐと、上半身裸のままそれぞれを前輪の下に突っ込んでしまう。


「今度はアクセルをゆっくり踏んでみて下さい!」


呆然とする獅子鬼君にそう告げると、彼は再び後ろへ回り車体を押す準備を整える。


「せーの!!」


掛け声に合わせ、言われたとおりに今度は静かにアクセルを踏む。

再び後方よりグンッと押し出される感覚、同時にタイヤが男性の服を上手く巻き込んだのかようやく前進する力も加わり車は溝を抜け出せた。


だが安心にはまだ遠い、時間はどんどん過ぎてゆく。

未だ涙を流し焦るばかりの獅子鬼君であったが、「車庫は閉めておくんで行って下さい! 急いでいるんですよね!?」と男性に声をかけられようやく我に返った。


小刻みに何度も頭を下げ、アルバイト先へ向けて車を走らせる。

バックミラーに映るその男性は、裸の上半身から湯気を上げながらも笑顔で腕を振ってくれていた。


その姿が、心の底から格好良いと獅子鬼君には思えた。



遅れそうだが車でそちらへ向かっている旨を携帯電話でアルバイト先であるプロレス団体へと伝えると、採用してくれた会長が今日は地元での興行だから会場へ直接向かってくれと指示をくれた。


場所は知っている、ここからならジム併設の団体事務所へ向かうより遥かに近い。


時間的に余裕ができ、ようやく獅子鬼君は心の平穏を取り戻す。

そこで今になって、先程の男性の服を雪とタイヤでグッシャグシャにしてしまったことに思い至る。


バイトが終わって大学にも寄って、帰ったらすぐに謝りに行こう。

自分のお金で弁償したいから、最初に入ったバイト代はあの人への服代に使おう。


そう考えて、その男性の名前も部屋番号も何も聞いていないことに今さら気付いて車内で咆哮する。

心底落ち込み「死にたい」を無限につぶやきながら、彼の姿を思い描く。



自身にも劣らぬ大柄な身体


鍛えられた逞しい筋肉


湯気を昇らせる上半身に幾本も伝う、虎縞



俺も、あの人のようになれるだろうか?

俺にも虎縞があったら、虎縞を装備したらあの人みたいに男らしくなれるだろうか?



この日、コスチュームの随所に虎縞モチーフの意匠を組み込まれた『トライオーガ』がデビューへ向けての第一歩を踏み出したのであった。



──それから一年。


理想の自分であるトライオーガとして(まぁマスクを外すとアレ? これって俺の理想と何か違わない?と毎回思うのだが)一部地域のみではあるが活躍し、遂に異種格闘技祭に殴り込みをかけ全国デビューまで果たした獅子鬼君であったが、未だにあの日の恩人である虎獣人の男性とは再会できていない。


同じマンションなのだしすぐに会えるだろうと甘く考えていたが、おそらく生活時間が全く噛み合っていないのだろう。

雪かきを終え真っ白な溜息を吐くと、思い出の車に乗り込んだ。



到着した銭湯はまさかの激混みで、隣りあったカゴふたつしか空いていないという獅子鬼君にとって地獄のような有様に死にたさは急加速である。

誰にも見られぬよう可愛らしいチンコをタオルでガードしつつ脱衣し、心の中で深い深い溜息をついていると、唯一の空きとなったお隣に誰かが来て手早く服を脱ぎ始める。



『そのこと』に気付くまで、残り5秒。

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