XaiJu
詠里
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漫画 : 「くだらない話」






日本の歌謡曲、ポップスの歌詞にはとくに90年代以降「くだらない話で盛り上がって」とか「何年後もくだらない話をして…」みたいなフレーズが氾濫するようになりました。今、すごく良いこと言ってます!といったノリのことが多いです。いや、すごく良いことを言っているのは間違いないであろうから、ノリもなにもそういう趣の歌詞なんでしょうけども…。


「すごく良いことを言っているのは間違いないであろうから」という、他人行儀な言い回しを使いたくなってしまうのは、私自身は今まで生きてきて「くだらない話をする」という行為に一度として好感を覚えたことがないからです。その良さをご存じの方からすれば非常に残念なことですが、「くだらない話をして盛り上がる」という状況や「何年後もくだらない話をしている」という状況が良い状況だとはとても思うことができないので、曲自体がどんなに良い曲でもこういうフレーズがあると、とたんに歌詞の説得力を感じなくなってしまい、ちょっと微妙な気持ちになります。


しかし、視点を変えてみるとあることに気が付きます。

「くだらない話」を「くだらない」と言い切ることができるのはどうしてでしょうか?自分で実際にどういう話なのかわずかでも聞いてみて、自分の主観に照らし合わせて判断しているからです。


もし、話のおおまかな内容すらわからないのに、「あ、今のはくだらない話だからあなたは知らなくていいよ」と相手から一方的に遮られたらどんな気持ちになるでしょうか?「あ、そうなの?じゃあいいや」と思える時もあれば、「くだらない話でもどうも内容が知りたいから教えてほしい」と思うときもありますよね?よっぽど他人に聞かれたらまずい話じゃない限り、何度もお願いしてみると話してくれることがあります。そして、「なんだ、やっぱりくだらない話だった」とガッカリするのもよくある話です(笑)


でも、聴者と聾者のコミュニケーションになると、このような『あるある』は途端に成立しにくくなる気がします。とくに聴者から聾者への情報伝達の際に聴者が無意識に聾者へ伝える情報を勝手に取捨選択してから渡そうとしてしまい、聾者から「生の情報を、自分自身の主観を通して判断・評価する」という権利を取り上げてしまうという結果になってしまうことがあったり…。


もちろん、効率よく伝達するためにあえて情報を取捨選択するという伝えかたのほうが良いときもあります。でも、だからといって「聾者に情報を伝える時は、全ての場合において要約するべきである」という考え方だけが正しいのでしょうか?それは、体の構造上、生の情報に触れることが無限にできる聴者が主導権を握り、そうでない聾者が受け取る情報を操作するという「統制」にあたる行為ではないでしょうか?


「大事なことは僕がきくまえに教えてくれるけど、大事じゃないことは僕からきいても教えてくれない」という真白のモノローグはこうして生まれました。以前、とある聾者の医師の方のドキュメンタリーを見ていた時も「重要なトピックだけじゃなくて雑談の内容も知りたい」と仰っていたのが印象に残っています。音のない世界にいる人にとって、聴者が「大事じゃない話」をしている間は「空白の時間」なのだそうです。「話がつまらない」とか、そういう感想を抱く余地も与えられず、ただただ「無」でしかない…。


まあ、だからといって「みんな手話で逐一真白に説明できるようにならないといけない」とは私は全く思いませんし、そんなことはどう考えても不可能です。チーム全体がそうなることはできないからこそ、ノナのような「くだらない話が苦手な人」が思わぬ作用をもたらすことは充分考えられるんじゃないかと思います。


会話の中で空白の時間をなるべく作らないということが真白にとってどれくらい安心につながることなのか…ノナ自身は分かっていないかもしれませんが、自然とできているノナだからこそ真白のパートナーでいられるのかな。なんかそんな気がするんですよ。


語りすぎました。

8月も折り返しなのですが「松井さんはスーパー・ルーキー」の作業が思った以上にいろいろあってStaringの後編の作業はかなり低速です…。体を壊さない程度にやります。


今回の話は短かったのでこないだTwitterにアップした野球用語の手話のイラストもここに改めて掲載しますのでよかったら見てください。↓








取材に行ったときに「野球用語に詳しい手話通訳さんがなかなかいなくて困っている」という話を聾の選手の方から聞きましたが、なんとなく理由がわかる気がします…。野球関連の手話は体をキャンバスのようにして立体的・時系列的に説明するものが多いので、ルールやプレーの流れがしっかり頭に入っていないととっさに表現できなさそう。Youtubeで一般の父兄の方の手話とか見てると↑の図のような感じではなく、ポジションだとか「ゲッツー」などの和製英語は指文字で表しているパターンが多いですね。また次回取材に行けたら、ぜひこのあたりを、ネイティブの日本手話ではどう表現するのかきいてみたいです。



読んでくださってありがとうございました!


詠里

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Comments

私はいつも自分のコメントが重すぎるのではないかと心配しています。詠里先生が真剣に私と考えを交換してくれてありがとうございます。 この重さが好きです(笑)

Lan

追記:こんな話を知り合いの人たちに延々としたらまた、「話が重たい」と言われるでしょう(笑)恐れずに話ができる場と聴いてくださる人々がいる場があることに改めて感謝したいです。いつもありがとうございます!

詠里

ありがとうございます✨ 私から見るとLanさんが例に挙げている「くだらない話」はかなり水準が高く、全然くだらなくないです!むしろ、十分に意味のある話だと私は感じます。芸術に触れること、空の星の名前、植物の名前…私が苦手と感じる「くだらない話」はそれらとはまた性質が違っていて、「無用の知識」でも「好奇心からくる行動」でもない、本当にその場の沈黙を一時的に、そして物理的に埋めるためだけにする会話のことです。そういう時、こちらが会話に少しでも意味を持たせようとすると、「話が重たい」と言われ、敬遠されてしまいます。(日本人はもともと議論を好まない傾向があるのでなおさらかもしれませんが)だから私は意味を持たせないように慎重に話さなければいけません。しかし、そんな態度でいくら話してもその後の何にも繋がっていかないという閉塞的な感じが本当に苦手です。今も気を抜くとよく「話が重たい」と言われます(笑) でも真白のようにそもそも会話の内容をすべて正しく知ることが困難な場面がある人にとっては、これは大変に贅沢な悩みであるとも思います。聴こえる私にはまだ「自分で聴いて、つまらないかどうかを判断する」という権利が残されていますが、真白はその権利すら取り上げられてしまう場面がしばしばある…今回の話はTwitterで公開したところ、幾人かの聾者・難聴者の方から「似たような経験や感覚がある」というコメントを頂きました。話の内容が分からなければ、どう感じてよいのかも分からないですね。会話のしようがない。円滑な人間関係を築く上で、これは重大な問題だと感じました。 ノナは口数が少ないですが、その分発言(手話も含む)にはなるべく意味を持たせるように気をつけています。今回の「俺も疲れた…」に関しては確かにちょっと発言の意味は薄いですが、これは単純にかわいい真白くんに「おつかれさま」と言って癒して欲しかったのかもしれません(笑)真白もその意図をくみ取って、ちゃんと「おつかれさま」の手話を返しています。テレパシー?ほんとにそうですね!聾・聴の組み合わせに限らず、異なる母語を持つ人たちの関係性には、言葉にならない部分の意図をどれくらいくみ取れるかという要素も大変重要だと感じます。

詠里

今回の内容を見て、とても感慨しました。 どう言えばいいですかね...今の人は、社会分業がますます細分化され、グローバル生産の大きな流れに巻き込まれています。人々は物事に対して、ますますその「役割」、「意義」、「効率」を重視しています。 でも考えてみれば、映画を見たり、音楽を聞いたり、小説を読んだりするような「つまらない」ことこそが、生きていく過程を「生活」と呼ぶことができる大切な要素です。 私がとても尊敬している人気の科学の労働者はかつて言った——植物の名前を知ることと、空の星の名前を知ることは、役に立たない知識です。多くの人がそう思っています。確かに、ほとんどの人にとって、これは「無用の知識」です。しかし、人間の好奇心はそれ自体が意味です。「無意味なことをしたい」というのは、人間の天性の一部です。 言語も同じですよね? 取るに足りないと無意味に見えるこれらの言葉は、人の感情の土台になるかもしれない。人と人の間で、「役に立つ」「必要な」情報だけを伝えるなら、機械の部品と同じではないですか? でも、真白とノナのような場合は、また違っているかもしれませんね?私の想像では、ノナはつまらない話が苦手ですが、彼の表情や動作からも多くの情報が伝わってきました。彼らはバッテリーとして長い時間を過ごしました。言語というメディアを通さなくても、暗黙の了解を通して様々な内容を共有することができます。 ちょっと「テレパシー」みたいな感じ?すみません、私の想像だけです。間違ったらご了承ください(笑) 実は、私から見れば、「私も疲れた」というのは意味がないですが、暖かい言葉ですねww 先生が言ったように、聴者にすべての会話を聾者に中継するように頼むことは不可能ですが...もっと一緒に過ごす時間があれば、言葉以外に情報を伝える方法があるかもしれません...家で言葉の壁がある猫や犬と同じように、お互いに良い仲間になることもできます(?) 申し訳ありませんが、また知らないうちに余談をたくさん書きました(笑) 改めて先生の作品が私に与えた思考に感謝します😊

Lan

ありがとうございます✨ あの後少し考えたんですが、雑談することを「楽しい」と感じるのは、雑談の内容というより、誰かとと話しているということ、その空気感そのものに対する喜びなのかもしれないですね。それならわかります…! 手話という言語はその構造上、「話したい内容」があやふやだと会話が成り立ちません。しかし聴者同士の雑談は、話している内容よりも”話しているということ”…声の調子や間など、音に依存している喜びの要素も大きいので、そこを共有できない聾者と全く同じ喜びを共有するのは難しいということなのかもしれません。 そういう聴者との小さなすれ違いをくり返してきた末に、ノナのような、聴者でありながら会話に対する価値観や感覚が近い人に出会ったと思うと真白にとってもいいことだったのかもと思います😊

詠里

ありがとうございます✨ 私もいつまでも書いてしまいそうでした…簡潔にまとめるのが難しいですね。。。

詠里

くだらない話について、雑談にせよ聾には無の時間なのですね ハッとさせられました くだらない話しで盛り上がるって有ったし、沢山場面があったはずだけど 思い出そうとしてもただの雑談よりも何だったのだろうと思い出せない わりとその場限りの一瞬泡が弾けたくらいなのだなと思いました ノナはくだらない話をするのが苦手ってのもノナっぽいなとも思いましたし 自然というか裏とか表とないというか だから真白といいパートナーであって また惹かれたのかなとか萌えましたw

まさとし

このお話、語りすぎるのもしかたないような深い話だと感じました。あー言葉がまとまらない!

kazu_jiji


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