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詠里
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漫画 : 助けてあげてる?































①今回の漫画の中に出てきたこのシーンについて↓

 聴者の一般的な感覚では物を叩くという行為は「怒り」や「横柄さ」など相手を攻撃する意思から起因したものという印象を受けがちですが、聴こえない人にとっては聴者が「あのー、すみません」と呼びかける声の代わりに音を出して相手に気づいてもらう一番手っ取り早い方法なのでそうしているというだけの場合があるようです(※すべての聴覚障がい者がそうだというわけではありません)。


真白は生まれてからこれまで音というものを聴いたことがありませんので、どんな物をどれくらいの強さで叩いたらどれくらいの大きさの音が出るか、というのがわかりません。感覚と理論の両面ではっきりと理解できるのは「物を叩くと音が出て、少し距離があるところにいる聴者が自分のほうに注目してくれるようになる」ということだけです。


おそらく、1コマ目の描き文字みたいな大きな音が鳴ってるとは思っていないんですよね。ノナのお母さんはびっくりしてましたけど…。

こういうことですね。


②ノナの親子関係

 以前、「音のある世界へ」というエピソードで真白のお母さんについては少し触れました。真白にとっての母親は自分と同じくらい重度の難聴者であり、日本手話ネイティブのろう者でありながら音のある世界を生きてきた先人でもあります。親である以前にまず同じ境遇の先人として、真白に『聴こえない人』としての生き方を教え育ててきた人なのです。

 かたやノナと母の関係は…あんまりそういうのではないなと。ノナのお母さんは自分もまだ大人になりきれていなかったごく若い時期、しかも想定外のタイミングで親になった経緯が現在の人となりにも多少影響しており、ノナとは正直な話、親子というより年の離れた姉と弟のような間柄なのではと思います。たぶん真白のお母さんより一回りくらい若いです。


③雑記

 今回は、「無知からくる偏見」という部分について私なりに描いてみました。聴覚障がいに限った話ではないですが、悪気は全くないんだけど結果的に差別や偏見になってしまっているという状況はあらゆる場面でありますよね。たとえば作中に出てきた「聴覚障がい者が硬式野球をやるのは危険だ」という見解も、特に日本では安全面の観点からということで長らく当然のように言われてきたことだったようですが(ろう学校に硬式野球部がないのも、危ないから、ではなくて、認可する側が現状に反してその見解を改めようとしてこなかったことによる影響が大きいようです)、無知からくる偏見であることは実際のろう野球の練習風景などを見れば一目瞭然です。でもほとんど知られていない。


真白も日常レベルでいろいろと無知からの偏見にさらされる瞬間があるでしょう。本人はもういちいち傷つくことはないでしょうが、そばにいる時間が長くなってきたノナがそれ(無知からの偏見)を感じ取る場面は増えるかもしれないですね。


真白の母サイドの話も長くなりそうですがもうちょい掘り下げてみたくなったので、また気長に待ってもらえたらと思います…!


ここまで読んでくださってありがとうございました。


詠里

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Comments

ありがとうございます✨ 私も思い入れの深いエピソードなので、気に入っていただけて嬉しいです!周りと違うことに対する葛藤が深いのは、もしかしたら世間一般には「健常者」(私は作中では意図的にこの言葉は使っていませんが)と呼ばれるノナのほうなのかもしれないですね。

詠里

ノナ君の母親の話。pixiv版で読んでた頃から好きです。FAMBOXで野中家のお父さんが居ない設定を知ったあとで、改めて読むと、ノナママの心情とか、苦労とかもなんとなく察してきちゃって、改めて好きなお話だなっておもいました

umisio

Lanさんこんにちは、今回は文字が多かったですよね…!💦 たぶん、日本語が普通に読める人でも少し多くて読むのが大変な量だと思います。丁寧に読んでくださり、本当にありがとうございます…!私が表現したかったことが、全部コメントの中に的確に書いてありました! この題材を探求していて改めて思うのは、「思いやり」と呼ばれる感情の正体は「優しさ」などではなく、実は「無神経さ」「傲慢さ」と非常に近しい場所にあるのではないかということです。とくに障がい者福祉という観点から見ると、「言われなくても察する、先回りして考える」という行為が、場合によってはどれほど危険で、無神経で、傲慢な行為であるかということを本当はもっとよく考えなければいけないのではないかと思うのです。学校などでは、「思いやり」は良い子の条件、絶対正義のように教えられ、これが上手くできない子は出来損ないのように言われますが(私もそうでしたが)…本当にそうなのだろうか、やりかたは上手くなくても、いつでも相手をしっかりと見て、直接言葉を交わすことで理解を深めて合っていく真白やノナのことを考えていると疑問に思います。私がここまでこの題材に執着するのは、こういった「思いやり」と呼ばれる感情、立ち振る舞いに対する違和感を私自身がずっと抱えてきたからなのかもしれません。やはり、創作物というのはどこか自分の分身なのでしょうね。 子供の頃のノナが可愛いといってくれて、これも嬉しいです!そう、ちょっとバカなんですよね(笑)お母さんの中でなんとなくノナは今でも、この、何も知らなくてちょっとバカだった時の印象のままなところがあるんだと思います(笑)

詠里

また、親子の関係について、一言を見たことがあります。「親子関係の難しさの多くは、親が自分も子供から学ぶことができるということに気づかないからです。」 ノナと母の間にもいくつかの関係上の難点がありますが、少なくとも母はすぐにノナからものを学びました。母は傲慢ではありません。この点から見て、彼らの関係はますます順調になると思います。 最初に母がノナを野球に投げたのは、自分を解放するためだったが、息子の野球を全力で応援してくれたのは、とても素晴らしいことでした。私もシングルファミリーで育った。私の母もこのようないい母です。今ではなくても、未来のある日、ノナはきっと自分のお母さんに感謝し、お母さんのことを誇りに思います。私はそう信じています。 いつの間にかたくさん話しました。気にしないでください... 先生の作品はいつも多くの共感をくれます。これは一種の縁ですか?時々そう思います。 先生の漫画に出会えてよかったです😊 しかも、子供の頃のノナが可愛いですね...ちょっとバカに見えますが、相変わらず可愛いです!彼の親なら、私も彼を愛します(笑)

Lan

今回のコメントが遅くなりました...この話は字が多くて、日本語があまり上手ではなくて、長い時間をかけて読みに来ましたT_T結果は大体のことがわかったにすぎないて、なんかすみません... それでも、「そう...そう!!」私は読みながら感嘆します。 偏見は実際にもいくつかの段階に分けられています。 「聴覚障害者は野球をするのは危険です。」は皆さんがよく知っている偏見です。これは主に傲慢と無知によるものです。このような偏見は普遍的に存在しています、削除するのは難しいですが、知識の普及を通じて、認知の盲点をなくすことによって、問題はよく解決されます。 実は、もう一つの深い偏見が隠されていて、非常に見つけられにくいです。それは「不平等な関係」です。 多くの人が障害者を見て、「ああ、かわいそう」とか「何か手伝いましょうか?」という態度を示しています。その反応は善意かもしれないが、障害者には欲しい関係ではない。このような態度の背後には、本質的には「健全者」という優越感があるからです。 障害者がちょうど助けが必要な場合を除いて、聴覚がいいにつけ、悪いにつけ、みんな平等な人です。これこそ偏見のない関係です。 ノナのお母さんは第一種類の偏見はないですが、息子が障害者の助けを受けていることを知った時に、「障害者は助けられるべきだ」と一方的に考えていたのが間違っていたことにやっと気づきました。 このことから分かるように、このような偏見をなくすことは、本当に難しいことです... そうですね...ノナと真白の関係の中で一番感動的なのはパートナー、親友、カップルとしての平等性ではないですか? 詠里先生がこの点を深く描写してくださるのを見て、とても感動しました。

Lan

こちらこそ、ご感想ありがとうございます…!私も決して偉そうなことを言える立場ではなくて、制作を通して、自分の中に横たわる偏見の存在に日々気づかされています。このシリーズが、読者の皆さまと共にいろいろと考えていくきっかけになれば幸いです✨

詠里

ありがとうございます。うまく言葉には出来ないのですが、考えさせられました。私はいわゆる健常者のコミュニティでのみ生きてきた(それ以外を避けていたかも、です)中で偏見を抱いてしまっていると思います。これをきっかけに色々見直します。

Key

コメントありがとうございます!そうですね、本当に…自分自身ではないし、かといって赤の他人でもないというのは冷静に考えるとなかなか複雑な間柄ですよね。ひとくちに親子といってもその関係性が多様性に富んでいるのはある意味当然のことなのかも…。 パラスポーツの件、私も違和感を感じることがあります。違和感なくそういう感じの言葉が出てくる人は、自分は健常者、相手は障害者…と0か1かで線引きしてしまっているのかもしれませんね。これもまた無知からくる偏見の一種だと思います。

詠里

自分のことでもなければ、第三者のことでもない、親子って関係は難しいですよね。 ところで、よくパラスポーツを見た人が「勇気をもらった」とか言うのが、個人的にものすごく抵抗があって…。なんか障害を持ってる人たちに対しての上から目線を感じるんですよね。

彦太朗


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