聴者の一般的な感覚では物を叩くという行為は「怒り」や「横柄さ」など相手を攻撃する意思から起因したものという印象を受けがちですが、聴こえない人にとっては聴者が「あのー、すみません」と呼びかける声の代わりに音を出して相手に気づいてもらう一番手っ取り早い方法なのでそうしているというだけの場合があるようです(※すべての聴覚障がい者がそうだというわけではありません)。
真白は生まれてからこれまで音というものを聴いたことがありませんので、どんな物をどれくらいの強さで叩いたらどれくらいの大きさの音が出るか、というのがわかりません。感覚と理論の両面ではっきりと理解できるのは「物を叩くと音が出て、少し距離があるところにいる聴者が自分のほうに注目してくれるようになる」ということだけです。
おそらく、1コマ目の描き文字みたいな大きな音が鳴ってるとは思っていないんですよね。ノナのお母さんはびっくりしてましたけど…。
こういうことですね。
以前、「音のある世界へ」というエピソードで真白のお母さんについては少し触れました。真白にとっての母親は自分と同じくらい重度の難聴者であり、日本手話ネイティブのろう者でありながら音のある世界を生きてきた先人でもあります。親である以前にまず同じ境遇の先人として、真白に『聴こえない人』としての生き方を教え育ててきた人なのです。
かたやノナと母の関係は…あんまりそういうのではないなと。ノナのお母さんは自分もまだ大人になりきれていなかったごく若い時期、しかも想定外のタイミングで親になった経緯が現在の人となりにも多少影響しており、ノナとは正直な話、親子というより年の離れた姉と弟のような間柄なのではと思います。たぶん真白のお母さんより一回りくらい若いです。
今回は、「無知からくる偏見」という部分について私なりに描いてみました。聴覚障がいに限った話ではないですが、悪気は全くないんだけど結果的に差別や偏見になってしまっているという状況はあらゆる場面でありますよね。たとえば作中に出てきた「聴覚障がい者が硬式野球をやるのは危険だ」という見解も、特に日本では安全面の観点からということで長らく当然のように言われてきたことだったようですが(ろう学校に硬式野球部がないのも、危ないから、ではなくて、認可する側が現状に反してその見解を改めようとしてこなかったことによる影響が大きいようです)、無知からくる偏見であることは実際のろう野球の練習風景などを見れば一目瞭然です。でもほとんど知られていない。
真白も日常レベルでいろいろと無知からの偏見にさらされる瞬間があるでしょう。本人はもういちいち傷つくことはないでしょうが、そばにいる時間が長くなってきたノナがそれ(無知からの偏見)を感じ取る場面は増えるかもしれないですね。
真白の母サイドの話も長くなりそうですがもうちょい掘り下げてみたくなったので、また気長に待ってもらえたらと思います…!
ここまで読んでくださってありがとうございました。
詠里
詠里
2021-10-07 11:33:34 +0000 UTCumisio
2021-10-07 10:41:01 +0000 UTC詠里
2021-04-13 09:50:24 +0000 UTCLan
2021-04-13 00:19:25 +0000 UTCLan
2021-04-13 00:12:30 +0000 UTC詠里
2021-04-12 15:52:32 +0000 UTCKey
2021-04-12 13:40:07 +0000 UTC詠里
2021-04-10 15:13:40 +0000 UTC彦太朗
2021-04-10 10:42:44 +0000 UTC