兄さんと社内で会うのはなかなかない。 多忙な兄は社長室にもいないこともざらにある。なので、社内で兄の姿を見つけた時はかなり貴重――なのだけれども。 社員食堂へと向かう途中、見覚えのある後ろ姿を見つけ、思わず兄さん、と声をかけそうになったのを堪える。 その隣に見慣れない人影を見かけたからだ。やけに露出が高いヴィランの女の人と兄が並んで何やら話しているのを見かけ、思わず俺は隠れてしまう。 なんとなく、なんとなかだが見てはいけないものを見てしまった気がしてならなかったのだ。普段見たことのない真剣な顔の兄とか、なんか絵になってるなとか、多分これ俺が身ちゃいけない場面な気がする、とか。 立ち去り際、一瞬兄がこちらを見たような気がしたがそれを確認することもできないまま俺は社員食堂へと飛び込んだ。 色んなヴィランの人たちで賑わう食堂内、ぼんやりとした頭の中で適当に目についた定食を頼み、それを受け取って隅っこの席で一人食事にありつく。 そりゃ、この会社には色んなヴィランの人たちが在籍している。女の人も多いし、別に珍しいことではないはずなのに……なんだろうか。 兄のああいうところを見るのは気まずい。 兄さんも早く結婚したらいいのにとか思っていたのに、いざ女の人と一緒にいる兄を見るとなんというか、知らない男の人の部分を見せられてるみたいでなんだか落ち着かない。 「はあ……」 「なに、どしたの~? 溜め息なんて吐いちゃって」 「いえ、なんでも……ってモルグさん?!」 「気付くの遅いねえ。いつになったら気付くんだろ~って僕待ってたのに」 「す、すみません……少し考え事をしてて……」 いつの間にかに隣でコーヒーを飲んでいるモルグにどぎまぎしつつ、俺は慌てて背筋を伸ばした。 羽織ったままの白衣を見るに、どうやらモルグも休憩中らしい。「考え事~?」とこちらを覗き込んでくるモルグに慌てて俺は首を横に振る。 「ええと、大したことじゃないんですけど……」 「あ、わかった。『お兄さん』のことでしょ?」 周りの目がある今、敢えてボスではなくお兄さんと呼ぶモルグに今度こそ俺はお箸を落としそうになる。 なんで分かるんだ。 「だって君、全部顔に出てるもん」 「こ、心読まないでください……! ……まあ、そうなんですけど……」 「あはっ、当たった~。君が悩んでるときって大抵お兄さんかナハトか仕事のことだもんねえ」 「う……」 「それでいて、前向きな君でも解決法が見つからず深刻化しやすいのがお兄さんのことかなって」 「……モルグさん、すごいです」 「惚れ直した?」 「……惚れ直しました」 観念して頷けば、「素直だね~」とモルグは楽しそうに目を細める。 たくさんのヴィランの人たちを相手にしてきたモルグ相手に隠し事ができるとは思わないが、相談するにはあまりにもしょうもない内容すぎて口にしづらい。 それでも、モルグは俺に寄り添ってくれる。 「どうしたの? ここで言いにくいなら場所移す?」 「あ、いえ……本当に大したことじゃないんです。……けど、その、少し気になることがあって」 「ん~?」 「……ここって、色んな方々がいるじゃないですか」 「いるねえ」 「その、中には扇状的な格好の方も……その……いらっしゃるではありませんか」 「そだねえ」 「……モルグさんは平気なんですか?」 「ん~なにが?」 「そ、その……ドキドキしたり……」 「ドキドキかあ。ワクワクならするけど」 「わ、ワクワク……?!」 「露出が高いってことはその分少ない布面積で高い能力を補ってるってことだからねえ、全身スーツもロマンだけど僕もどっちも好きだな~」 ……そうだった。この人は完全にヴィランの人たちをショーシステムの一部として見てる開発側の人だった。そもそも着眼点が違う。 「そ、それは確かに俺もワクワクしますけど……! その、異性として……」 「ないねえ。ここじゃあくまで彼らは僕らの実験体なんだから一々そんな意識してたらキリないよ」 「じ、実験体……」 「それは多分君のお兄さんも一緒なんじゃないかな。……ま、あの人の場合は実験体っていうより身内って感じだけど」 モルグの言葉はあまりにも赤裸々すぎるが、確かにと納得する部分もあった。 そうだ。兄が公私混同する人ではないということは俺が一番知ってるのに。 少しでも変な感じに考えてしまった自分が恥ずかしくなり、顔が熱くなってくる。 「もしかして、お兄さんがエロ売りの子に迫られてるところでも見たの?」 「え゛……っ、ち、違います、そこまでではないんですけど……! そ、その、俺が勝手に気まずくなってしまって……」 「お兄さんが女の人といるのを見るのが嫌?」 「……っ、……」 どうしてモルグさんはここまで俺の心を読めるのだろうか。俺もナハトさんに倣って仮面を着用すべきなのかもしれない。 小さく頷き返せば、モルグさんに「可愛いねえ」と頭を撫でられる。完全なる子供扱いである。 「も、モルグさん……っ、わ、笑わないでください……!」 「ふふ、ごめんごめん……いやあ、いいなあ。僕も君みたいな弟いたら可愛がってたのになぁ」 「う……いい年してブラコンみたいですよね、俺。……兄さんはただ仕事の話してただけかもしれないし」 「実際あの人はいい男だからね、モテるのも普通だと思うけど」 「も――」 さらっと飛び出したモルグの言葉に俺は丁度掴みかけていたミートの塊を落としかける。なんとかキャッチしたが、代わりに言葉に詰まった。 「も、ててる……んですか、兄さん……」 「……」 「なんで黙るんですか、モルグさん……っ!」 「いやー……本人が言ってないなら僕がいうべきでもないのかなって」 「お、教えてください……! あ、いえ、やっぱいいです……う、でも、……そう……ですよね、兄さんかっこいいし……」 身内贔屓を抜きにしても、俺でも兄さんに惚れ込んでしまうだろう。そううんうん頷いていたが、そこでふと気付いた。 そもそも俺は身内としての、兄としての兄さんのことしか知らない。だからこそ社長でありヴィランの兄を見て戸惑ってしまったのではないかと。 「善家君、さっきからすごいことになってるよ。顔」 「ありがとうございます、モルグさん。お陰様で活路が見出せました」 「あ、そうなの? よく分かんないけど、君がスッキリしたんなら良かったよ」 「はいっ!」 はい、と大きく頷き、俺は再び食事を再開させる。 「よく噛まないと詰まっちゃうよ~」というモルグの言葉通り途中喉にミートが詰まりつつ、なんとか食事を終えた俺は再び営業部へと戻った。 ――そして夜。 ノクシャスさんに自室まで送り届けられたあと、暫く自室でゆっくりしていた頃だった。 夜半に意外な来客がやってくる。 「良平」 「兄さん……?! どうしたの、こんな時間に」 「ちょっと顔が見たくなってな」 「邪魔するぞ」と部屋の中にあがってくる兄を招き入れ、部屋に施錠をする。 兄さんは外回りから戻ってきてすぐ俺のところへ来てくれたらしい。兄の着ていた上着を受け取ろうとすれば、「お前はそんなことをしなくていい」と逆に止められる。 そして、ソファーに腰をかける兄は『こっちにこい』と言うようにそっと隣を叩いた。そのまま吸い寄せられるように隣に座れば、「良平」と顔を覗き込まれる。 「昼間、何か俺に用があったんじゃないのか?」 え?と首を傾げたあと、すぐに兄が他のヴィランの人といるのを見た時のことを思い出した。 やはり気付かれていたらしい。今更恥ずかしくなって、俺は「やっぱり気付いていたんだね」と俯く。 「そりゃ、気付くさ。……悪かったな、すぐに会いに行けなくて」 「仕方ないよ、兄さんは忙しいんだし。……それに、大したことはなかったんだ。ただ、兄さんだって思って……それだけ」 「……良平、怒ってるのか?」 「お、怒ってないよ。その、……今になって恥ずかしくなって来て」 「恥ずかしい?」と兄が目を丸くする。 こんな戯けた表情、他の人たちにも見せるのかな。そんなことを思いながらじっと兄を見つめ返せば、「どうした?」と伸びてきた兄の手は心配そうに俺の頬を撫でた。手袋越し、それでも兄の暖かい体温が伝わってくるようでついうつらうつらしてしまいそうになる。 だめだ、ここで甘えてしまってはいつもの流れになってしまう。 「俺、兄さんのこと……兄さんなところしか見てこなかったんだなって思って」 「それは……どういう?」 「……なんか、あの時兄さんが別人みたいで……その……」 いざ口にしてみるとますます子供じみたことを言ってる気がして首の周りに熱が集まってくる。 「……お、大人の男の人と女の人だって……」 「……」 「ひ、引かないでね? 俺も、変なこと言ってるって自覚はあるんだ。けど……その、それで気まずくなっちゃって……」 「それで……あの後楽しそうにモルグと話してたのか?」 「え?」と顔を上げた時、兄に優しく目尻を撫でられる。「に、にいさん」と止めても兄は構わず優しく頬に唇を寄せた。くすぐったい、というよりも誤魔化すようなキスに驚いて「もう」と兄さんの肩を掴んで離そうとすれば、兄は寂しそうな顔をする。 「……嫌なのか? 良平」 「い、嫌じゃないけど……なんか誤魔化されてるみたいで」 「お前に寂しい思いをさせて悪かったと思ってる。けど、言っておくが良平、お前が気にするようなことは何もない。……彼女は広報部部長だ」 「え、あ……そう、なんだ……確かに、綺麗な人だったな……」 あとすごい格好してたけど、人前に出るのが仕事なら確かにと思わずにはいられない。 そんな俺を見て、兄は再び額を押し付けてくる。そのまま犬猫にするみたいにキスをしてきて、唇のふちに兄の唇が触れそうになったとき。 「……っ、兄さん」 くすぐったさに耐えきれずに逃げようとすれば、兄はじっと俺を見ていた。 「……俺にこうされるのは嫌なのか? 良平」 「ん……違う、けど……」 「けど?」 「ん……その……」 いざ本人を前に言葉にしようとすると途端にこそばゆくなってしまう。 ――兄さんの、『兄さん』じゃないところも知りたい。なんて。 「……良平?」 「あのね、兄さん。俺……確かに兄さんの言う通りかもしれない。寂しかった……かも」 「……っ、良平……」 「わ、く、苦しいよ兄さん……っ!」 いきなり抱き締められ、そのまま兄の腕の中から抜け出せなくなってしまう。 けれど、その息苦しさも心地がいい。なんて。 「……俺って、ブラコン……なのかな」 「――何か言われたのか?」 「ち、違うよ。その……『俺の兄さん』である兄さんも、『ボス』な兄さんも……もっと知りたいなって思って」 「…………良平、お前――」 「俺の知らない兄さんがいるのが……嫌なんだって」 名前の知らない広報部の部長さんは知ってて、俺は知らない兄がいる。 それが嫌なんだって思うと、相当我儘なことを言ってるという自覚はあった。兄は俺を見つめたまま、それから深く息を吐いた。 「……弱ったな」 「わ、我儘言ってごめんなさい……」 「いや、違う。……もっと我儘を言ってくれ。良平」 「でも、兄さん困ってる……?」 「ああ、そうだな。……お前の我儘も嬉しい。可能な限り応えたいと思っているが、これは……どうしたものか」 やっぱり困らせてしまった。 こめかみを揉む兄を見て、「ごめんなさい、兄さん」と慌てて離れようとした時、「待つんだ、良平」と手首を取られる。 「兄さん……?」 「……俺にとってお前はかけがえのない存在だ。それは理解してるな?」 「う、うん……」 「……ならいい」 そうあっさりと手を離し、兄はそのまま立ち上がる。 もしかしてもう帰るのだろうか。そう不安になって後を追うように立ち上がれば、兄に止められた。 「あ、兄さん……」 「今日はお暇させてもらう。……お前もしっかり休息を取れ」 なんだか途端に突き放された気がして寂しくなったとき、抱き締められる。完全に油断していたところ、あっさりと腕の中に囚われてしまったのも束の間、唇に柔らかい感触が触れて目を見開いた。 「……っ、ん……」 「……」 「……っ、ぁ、に、いさん……?」 ちゅ、と音を立てて離れる唇。そこに残った熱を辿るように視線を漂わせれば、見つめてくる兄と目があって胸の奥がざわついた。 普段の優しい兄の目とは違う、目が逸らせないほどの引力に吸い寄せられるみたいに体が動かなくなって、頭がぼーっとしてきた。なんだか、変だ。 「……ぁ、あの……」 なんか、なんか変な気がする。 明確に言語化できないけど、確かに知らない兄の顔も知りたいと言ったけど。 いつものキスとは違うキスと触れ方に戸惑う。それ以上にあまりにも優しい触れ方に体が反応してしまいそうになり、余計頭がこんがらがってしまった。 「に、いさん……っ、ん、……っ」 また、キス。 おやすみのキスよりも長くて、感触を確かめるように下唇を喰まれ、もぞりと腰を引いてしまいそうになったところをさらに抱き寄せられる。 こ、腰の手が、なんかすごい……いやらしい気がする……。いや、兄相手にそんなことを感じてしまう自分の心が汚れているのかもしれない。 「ん、……っ、は……っ、ぁ……」 リップ音が生々しくて、恋人みたいなキスに戸惑うのに……嫌ではない。兄はこんな風にキスをするのか、とかそんなことをぼんやりと熱に浮かされた頭の中で考えながら這わされる舌を受け入れようと思わず口をひらけば、兄の目がすうっと細められる。 「……良平」 「……っん、ぇ……?」 「お前は、なんでも受け入れようとするのは悪い癖だ」 口調は変わらないが、その目から兄が怒ってるのは分かった。 兄からしてきたのになんで怒ってるのか。兄なら分かっていると思っていたのに。 「に、いさん……だからだよ……」 兄さんじゃなかったら、暴れていたよ。 そう、今度はこちらからその唇にキスをする。爪先を伸ばし、その胸にしがみついたまま顔を持ち上げれば、兄に再び唇を塞がれた。
推古
2025-04-27 12:24:28 +0000 UTC