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田原摩耶
田原摩耶

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【↑500】Nothing【3,800文字/菖蒲×愛佐/恋人未満if】

 生徒会で必要な備品を買いに行く、という名目で外出許可をもらったまではよかった。  昇降口で鉢合わせになった菖蒲さんが「僕も着いていこうかな。丁度買い物がしたかったんだ」と言い出したことにより、ただのお使いは『菖蒲さんと二人きりで出かける』という一大イベントとなってしまう。  冬の日没は早い。学園を離れ、最寄りの繁華街へとやってきた。クリスマスシーズンが近いということによりただでさえ騒々しい街中はチカチカと光る電光によってより猥雑に彩られている。  いつもならば人混みを避けることだけを考えていたのだが、今の俺は一人ではない。 「愛佐、行く店は決まってるの?」 「はい……大きめの文房具屋があるのでそこで備品を調達する予定です。あの、菖蒲さんの買い物は……」 「僕のは愛佐のが終わってからでいいよ」 「わ、分かりました……」  てっきりここで二手に分かれるのだと思っていただけに、俺の隣に並んで着いてくる菖蒲さんにより緊張する。寒さなんて、周りの煩い声も気にならないくらいに。  こんなことになるのだったらきちんとした格好で来るべきだったか。急ぎだったので鏡を確認せずに制服の上に上着だけを羽織って学園を出ようとしていた。もしかしたらこうも菖蒲さんと並んでる間も髪がぐちゃぐちゃになってるのではないかとかそんなことを気になってしまって気が気ではない。  それ以外にも、気になることはあるのだけれど。 「……」 「……」 「愛佐」 「……は、はい」 「そんなに急いで歩かなくてもいいよ。急ぎとはいえ明日の朝に間に合えばいいものだし」 「は、い」 「だから――」  と、菖蒲さんが言いかけたとき、そのまま菖蒲さんが立ち止まる。どうかしたのかと振り返れば、「愛佐」と手招きをする菖蒲さん。  どうかしたのだろうか。もしかして自分が道を間違えてしまったのだろうか。  不安になりながらも傍に寄れば、そのままそっと手を握られる。 「あ、菖蒲さ……」 「『今日は息抜きをしよう』、愛佐」  耳元に寄せられる唇。鼓膜へと直接染み渡るその柔らかな声に脳の奥に熱が走る。白い息が漏れる。そんな風に言われて俺が逆らえるわけがないと分かっていて、この人は悪戯っ子のような顔をして俺を覗き込むのだ。 「わ、わかり……ました」 「……ふふ、『いい子だ』」 「……っ! 菖蒲さん……」 「甘やかしたいんだ、君を」 「今日くらいはいいだろう?」と微笑みかけてくる人からの誘いを断れる人間などこの世に何人いると言うのか。  そう思うのはこの人がDomだからという理由だけではないはずだ。少なくともこの人は俺の扱いをよく知っている。  ――あの時もそうだった。 『愛佐、欲しいものはある?』  数日前の生徒会室。冬休み目前ということもあってか、学園内部はどこか浮ついた空気が支配していた。  今こうしてる間にも騒いでる生徒たちを窓から眺めながら、ふと菖蒲さんは問いかけてきた。 『え、ほ、欲しいもの……ですか』 『そう。欲しいもの。なんでもいいよ。……ああ、僕が手に入れられそうな物だと助かるけど』  そう、菖蒲さんはこちらを振り返る。あの時も菖蒲さんは悪戯っ子のように笑っていた。  十二月頭。今年もまたクリスマスに浮かれる人間が鬱陶しくなる時期だと陰鬱になっていた俺にとっては菖蒲さんの一言はそれらを吹き飛ばすものだった。  なぜ。どうしてそんなことを聞くのか。クリスマス、だから?菖蒲さんは俺に何かをくれるのか?  それを確認するだけでも烏滸がましいのではないかと軽くパニックになった末、『ないです』とみっともなく声を震わせてしまったのは今思い出しても恥ずかしい。  そんな俺を馬鹿にするわけでもなく、『そうか』と静かに微笑んだ。 『なら考えておいてくれ。期限は今月の第三週目の土曜日までに』  そのときの菖蒲さんの笑顔が今、目の前でこちらを見つめる菖蒲さんと重なった。  場所は変わって喫茶店。  大型商業施設の中にある文房具屋で目的のものを仕入れ、ゆっくりと他の店を回ったりしたその後。休憩しようという菖蒲さんの言葉でやってきたのは雰囲気のいい喫茶店だった。 「ケーキ、食べればよかったのに」 「いえ、夜ご飯が入らなくなるので……」 「夜ご飯、ね。愛佐らしいけど」  菖蒲さんと同じブラックコーヒーを頼んで、それを二人用のテーブルに座って冷ましながら飲む。  そういえばここにくるまでもずっと菖蒲さんは俺のことばかり気にしていた。もしかして付き合わせてしまったのではないか。 「それで? 愛佐、欲しいものは決まった?」  そんな中、ふと思い出したように続ける菖蒲さんにぎくりと固まる。  ――きた。  二人きりになる、という時点で菖蒲さんに聞かれる覚悟はしていた。カップを握り締めた手のひらにじんわりと熱が広がった。手汗が滲む。 「あの、すみません……一週間考えてみたんですが、俺はやっぱり菖蒲さんがくださるものならなんでも嬉しいです」 「本当に君は……僕の喜ばせるのが上手だね」  菖蒲さんが喜んでくれるのが嬉しい。それは本望だ。  けれど、本当に菖蒲さんに貰って嬉しいもの、と聞かれて脳裏に浮かんだものはもう一つあった。  ――首輪。菖蒲さんが選んだ、俺のためだけの首輪。  我ながら馬鹿げた話だと思った。口にするにはあまりにも愚かで、恥ずかしい。それでも首輪が頭から剥がれなかった。そのせいで他になにも思い浮かばなかったと言っても過言ではないだろう。  菖蒲さんはカップ口をつける。喫茶店の扉でベルが鳴る。クリスマスソングが流れる店内、俺たちの席にだけ小さな沈黙が流れた。  けど、この沈黙も緊張も嫌ではない。テーブルの下で菖蒲さんの爪先がぶつかり、慌てて足を退けようとしたとそのままするりと脛をなぞられる。 「愛佐。首、寒そうだね」 「……っ、ぁ……菖蒲さん」 「マフラー、巻くのを忘れるほど急いで出てきたのかな」  こちらを見つめていた菖蒲さんの視線が頬、唇、首筋へとゆっくりと落ちていく。そして再び昇ってくる視線が絡みつくようで、無意識の内に背筋が伸びた。  首、と言われてつい自分の首元に手をやる。よれていた制服の襟を正しそうとしたとき、それを邪魔するように菖蒲さんの指先が伸びてくる。真正面から見つめられ、息が詰まりそうになった。 「あ、暖かくなってきた」 「菖蒲さん、あ……あの」 「ああ、失礼。……あまりにも君が寒そうだったからつい、ね。そうだ、僕のマフラー使うかい? 僕はコートで充分だから」 「え? い、いえ、そんなわけには……!」 「まあ、帰りは電車だからね。そんなには移動しないけど……」  ほんの一瞬流れたプレイの時のような緊張感も程なくしてコーヒーの匂いと共に和らぎ、消えていく。  もし俺が“本当に欲しいと思ったもの”を口にしていたら菖蒲さんはどんな顔をしていたのか。それとも、菖蒲さんはそれを望んでいたのか。  なんて自惚れ甚だしい期待を押し流すようにコーヒーを一気に流し込んだ。砂糖が足りず、その苦味に少し舌が痺れる。けど、今はその苦味が丁度良かった。  来年の春には菖蒲さんは学園にはいない。側で支えることもできない。学年の壁がこんなにも分厚いなんて。 「愛佐、どうしたの?」 「……菖蒲さんが卒業された後のことを少し、考えてしまって」 「え? 今かい?」 「すみません……」 「実感は湧かないからね。けど、それでそんなに寂しそうな顔をしてたのか」  くすくすと笑いながら、菖蒲さんは頬杖をつく。楽しそうな笑顔だ。菖蒲さんの中では後輩の一人でしかないと分かっていても、何も思わないわけではない。 「卒業したからと言って二度と会えないわけではないよ。それに、僕の場合はエスカレーターだし、君もまた僕の後輩になろうと思えばなれるよ」 「……菖蒲さん」 「それよりも、僕と海陽がいなくなった後の生徒会も気になるけどね。小晴、あいつはなんだかんだ器用だから生徒会長もやれるだろうけど……」  そう言いながらじっと見つめてくる菖蒲さんの視線がなんだかこそばゆくて、つい体が硬くなっていく。この目はなんだろうか。咎められてるわけでもないのに、少しだけ空気が変わった気がした。が、それもほんの僅かな間だった。 「君が僕以外の会長補佐をやってるのを見るのは、少し嫌だな」 「え……」 「なんてね。少し大人気なかったかな」 「っ、あ、菖蒲さん……俺も、俺の会長は菖蒲さんだけです……っ!」  思わず椅子から立ち上がりそうになり、何事かと近くにいた客がこちらに目を向ける。思いの外大きな声が出てしまい、慌てて俺はすみませんと頭を下げて再び席についた。  ……しまった、やらかした。  けど、まだ心臓が煩い。菖蒲さんの言葉が頭の中で反芻しては嬉しさとこれが夢ではないのかと心配になってくる。 「ありがとう、愛佐。……そこまで僕を会長として慕ってくれるのは君だけだよ」  そんなことはありません、とは言えなかった。誰よりも俺は菖蒲さんの側で支えになろうと思っていたから、なりたかったから、今は菖蒲さんの言葉を独り占めすることくらいは許されるのではないか。 「はい」と俺は頷く。話し込んだおかげで次にカップに口をつけたときにはもうコーヒーは生温くなっていたが、お陰で飲みやすくなっていた。  首輪でなくとも、得た物は確かにあった。  菖蒲さんと同じ大学に通う――そんな数年後の未来を想像しては、胸を躍らせている自分にただ驚く。今までこの先の将来に夢を見たことなどなかった。  そうか、卒業で終わるわけではないのだ。DomとSubではなくただの先輩と後輩でもいい、それでも側に居続けられるのならどのような形でも良かった。  おしまい

【↑500】Nothing【3,800文字/菖蒲×愛佐/恋人未満if】

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