ミンミンと頭の上、耳の裏っ側からセミの鳴き声が聞こえてくる。 亡霊になってからというもの、暑さを感じなくなるのなら便利なのかも知れない。そう考えていた時期が俺にもあった。が、実際はどうだ。 刷り込まれたイメージや記憶はまだ俺にとっては鮮明で、虫の声や木々の隙間から零れる日差しを浴びるとやはり夏を感じてしまう。 それを言うと、花鶏は「死んでからも尚、生を感じられるなんて幸せなことではありませんか」と笑っていたがそういうものだろうか。花鶏たちのように俺も何も感じなくなる日はくるのだろうか。 なにもすることがないと、そんないつかくる日のことなかり考えてよくない。 だから、今のうちに夏を堪能するか――そう、思い立たのがちょっと前の話だ。 ◆ ◆ ◆ 毎年夏になると仲吉に心霊スポット巡りと称して色々な場所へと連れて行かれていた。 その途中、旅行ついでに観光地を巡ったり、近くに山や川、海があったりするとアウトドア気分でテント張ったりして、大変だったが楽しかった思い出も多い。 そんなことを思い出しながらも樹海の中を歩いていく。やはり整地されたキャンプ場のようには行かないが、よくも悪くも人の手の入っていない緑の自然というのも風情なのかもしれない。 来たばかりのときは心霊スポットという印象が強かったため、あまりこうしてゆっくりと見て回ったり楽しむなんて考えに至らなかったが。 というわけでやってきた川辺、ゴツゴツとした岩に腰を下ろし、スニーカーを脱ぐ。 そのまま恐る恐るつま先を入れてみてみようとしたときだ。 「準一さん、何やってんの」 急に背後から聞こえてきた声に、驚きのあまり「おわ!!」と喉から声が漏れた。うっかり足を滑らせ、川に落ちそうになったところを岩にしがみついてなんとか耐える。 「と、藤也、びびらせるなよ……」 「勝手に準一さんがビビっただけ。……なにしてんの? ……水浴び?」 「まあ……そんな感じだな」 辺りに誰もいないことを再三確認してただけに、こんなところを見られるのは少し恥ずかしい。 かという藤也は茶化すわけでもなく、「ふーん」と相変わらず何考えてるかわからない目を向けてくるのだ。 「準一さん、泳げなさそうだけど」 「そ、そんなことは……ない、と思う」 「声小さ」 「ただちょっと足つけようと思ったんだ」 「なんで?」 「な、なんでって……涼しくなるかなって思って」 言ってから、ハッとする。花鶏の言葉を思い出したのだ。 亡霊は暑さや寒さ、気候を意識しなくなる。 けれど、藤也の反応は違った。 「それなら全身行った方がよくない?」 「え」 「ほら、」 そう言って、藤也はトン、と俺の背中を軽く叩く。ぐらつく視界、そのままばしゃんと川に突き落とされ、全身に水の感触に包み込まれた。 「ちょ、おい藤也!」 浅瀬だからよかったものの、危ないだろ、と言いかけたときだ。「ん」とだけ答えた藤也はそのまま俺の隣に飛び込む。ぼちゃんと大きな波が立ち、そのまま座り込んだ藤也は顔をあげる。 「準一さんは、これがしたかったんだ」 「あ、あのなあ……突き落とすなら先に一言言ってくれよ」 「なんで?」 「驚くからだよ」 「でも準一さん、笑ってるじゃん」 「…………」 言われて、はっと自分の頬に触れる。意識してなかったが、藤也が相手だからなのかもしれない。 なんて考えてると、手で水鉄砲を作った藤也はそのまま人の顔に向かって水の塊を飛ばしてくるのだ。 「お、おい! ……って、上手いな?!」 「練習した」 えい、ともう一度飛ばしてくる藤也にやり返そうとするが上手くできない。 「下手すぎ、準一さん」 「う、お前が上手いんだって……っていうか、練習したのか?」 「暇だったから」 こくりと頷く藤也。相変わらず涼し気な顔をしているが、なんとなく意外だった。いや、意外でもないのか?カブトムシを見つけると捕まえに行く藤也だからな。 「夏が好きなのか?」 なんとなく気になって尋ねれば、藤也はこちらを見た。 「……なにその質問」 「そ、そんな変なこと言ったか? 俺」 「うん、変。……季節に好きも嫌いもない」 藤也らしいといえば藤也らしい返答ではあるが。 「俺は、結構夏好きだぞ」 冬期休暇も仲吉と心霊スポットに行くことはあったが、あいつが寒いのは苦手というのもあって屋内で映画みたりすることは多かった。 インドアも楽しいが、やはり記憶に残っている思い出は夏が多い。 そんな俺の言葉に、藤也は無言で再び水鉄砲を飛ばしてくる。「なんだよ」とそれを慌てて手で塞いだとき。 「わからない」 そう、広げた掌の向こうで、藤也はぽつりと口にした。 「わからない……?」 「けど、冬はつまらない。……虫もいないし、動物もいない」 静かに紡がれる藤也の言葉になるほど、と思った。 藤也の生い立ちを考えるとなにも言えなくなる。うまい言葉が見つからないが、言いたいことは分かった。 「確かに、夏はお前の好きな虫もたくさんいるからな」 「……別に虫好きじゃないし」 「え……」 「暇だから集めてるだけ。それ以上でも以下でもない」 いくら暇でも俺は虫を好んで集めようとは思わないけどな。それが好きなんじゃないのか?と思ったが、藤也のことだ。認めないだろう。 藤也らしいといえば藤也らしい。「なるほどな」と頷き返せば、また水鉄砲を飛ばされた。今度はガードを忘れて直接顔面に水を浴びてしまう。 「わぷっ! お前またやったな……!」 「準一さんが変な顔してるから悪い」 「へ、変な顔は言い過ぎだろ……!」 「おまけに下手くそ」 「お、お前な……」 あまりの言われようだが、不思議と怒りは湧いてこない。藤也自身は気付いてないのだろうが、そう口にする藤也の表情も心なしか楽しそうに見えてしまったからだ。 そこから暫く俺と藤也は川で遊ぶことになる。 あまりにも熱戦になってしま気付けば日は傾き始めていた。 ◆ ◆ ◆ 日が落ちるのは遅い夏場でもやはり場所が場所だからだろうか、天へと伸びた木々たちに多いかぶされた辺りはあっという間に暗くなっていた。 この暗さにもだいぶ慣れていたし、夜目もある程度利くようになっていたので戸惑うことはない。 けど。 「なあ、藤也……」 「なに?」 「なにしてんだ、いきなり立ち止まって」 先程まで前を歩いていたと思えば、気付けば離れたところにいる藤也にはまた慣れそうにない。声をかければ、地面にしゃがみ込んでなにかガサガサと漁っていた藤也が立ち上がる。 「これ、見つけた」 そう、藤也が見せてくるのはプールバッグのようなビニール製の袋だった。放り投げてくる藤也にあわててそれを受け取る。土で汚れたそれをじっと目を拵えて見る。中にはいくらかの棒や筒状のものが入っていた。 「これは……花火か?」 なんでこんなものがここに落ちているのか、この本来の持ち主はどこに行ったのか。あまり深く考えたくはなかったけども気にせずにはいられない。 そのまま口を開き、中の花火を確認しようとしたが、どうやら結構年季が入ってるらしい。雨にやられたのか底に溜まった雨水のお陰で駄目に花火が駄目になってるのをそのまま藤也に伝えれば、藤也は「貸して」と俺から袋ごとひったくる。 「なあ、そもそも火もないんじゃ……」 ないのか、そう言いかけたときだった。 しおれた線香花火を手にした藤也、その手にした線香花火の先端が灯り出す。「まじか」と慌てて藤也の手元を覗き込めば、その花火の先端はぱちぱちと小さな音を立てながら小さな火花を散らしていく。 「ど、どうやったんだ……?! 火もないのに」 「準一さん、頭固すぎ」 言われて気付いた。なるほど、これは藤也の力か。 「……俺もできるかな」 「準一さんには無理」 「き、決めつけなくてもいいだろ……」 「じゃあ、やってみる?」 そう、線香花火に照らされた藤也の表情は少しだけ柔らかく見えた。袋からいくつかの花火を手渡してくる藤也からそれを受け取る。 藤也の横に並ぶように俺は記憶の中の花火を思い描く。眩しくて、煩くて、バチバチと吹き出すような光の雨。 瞬間、手にしていた花火から勢いよく煙とともに火花が吹き出し、「うおっ!」と尻もち付きそうになった。 「藤也! 見ろよ、できたぞ!」 「……言わなくても見えてる」 「あ、そうか……」 「……やるじゃん」 俺の花火を見ながらそうぽつりと口にする藤也に、なんだろうか。何故かすごく嬉しくなった。 元々こいつがあまり褒めないタイプということもあったが、そう言いながら花火を見つめる藤也が楽しそうだったから。 気を抜けば、あっという間に花火は終える。俺たちは次の湿気た花火を手に取り、点火した。 俺はなんとなく、海で仲吉と花火をしたときのことを思い出していた。花火を両手に持ち、走り回っているあいつのことを。危ねえだろと何度も注意したことを。 隣にいるのは仲吉ではないが、とちらりと藤也の方を見る。 また線香花火を楽しんでいるようだ。俺が視線を向けたとき、藤也がこちらを見た。 「なに」 「……あ、や……綺麗だなって思って」 「そうだね」 「お前は花火やったことあったのか?」 「俺はない」 「そうなのか」 「……けど、見たことはあった。テレビの知識だけど」 「はは、だからか。お前の線香花火、持ちいいよな」 「…………それ、バカにしてる?」 「ち、違う。いいなって言ってるんだよ。……俺の花火は消化早いから。……花火ってすぐ終わるもんだと思ってるからかな」 「想像力がないから」 「……まあ、それは否定できないな」 上る白い煙とともに、辺りを照らす火花を眺めながら俺たちは暫く黙り込んでいた。 まるで夢のような時間だった。それは揶揄ではない。幻のようなものではあるが、こうしてまだ自分の記憶が残っていると思うとなんだか不思議な感覚だった。 現実だったらきっと辺りに木があるところで花火なんて、と思っていただろうに。とそこまで考え、思考を振り払う。危ない。現実思考はこの世界では命取りになってしまうのだ。 そんな穏やかな時間を過ごし、花火を消化した俺達。「そんなの放っておけば自然に還る」という藤也の横、後片付けだけして俺たちは屋敷へと帰る。 「これで帰ったら素麺とか出たら最高なんだけどな」 「それならスイカがいい」 「それもいいな。……海が近かったらまたよかったのにな」 「川で十分」 「まあ、たしかにな」 「次は釣り竿でも作って川釣りいくか」なんて冗談混じりに言えば、隣を歩いていた藤也がぴたりと止まった。 「……作れるの?」 食いついてきた。 「まあ、ざっとだけどな。親父――父親がそういうの好きだったから」 「……やる」 「え?」 「明日も、行こ」 そうぽそりと口にする藤也の目があまりにも輝いて見えて、つい頬が緩む。 「ああ、そうだな」 この先未来なんてないものと思っていたが、どうやらそれは杞憂だったのかもしれない。 死んでもまだ、明日が楽しみに思える日が来るのだ。不思議なものだと思う。 取り敢えず、明日までにもう一度記憶を掘り返しとかないとな。そんなことを思いながら俺たちは屋敷へと帰った。 おしまい