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田原摩耶
田原摩耶

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雨後【↑100/3,600文字/南波×準一】

 樹海の天候は移ろいやすい。場所が場所ということもあるだろうが、それでもまあまあ晴れていると思いきや目を離した隙に土砂降りになっていることなんてしょっちゅうだ。  そんなとき、いままでだったら「また雨か」と流していたが今は違う。無意識にあの人の姿を探してしまうのだ。  土砂降りの中、一人あの墓場に佇む南波を見てしまったあの日から、今も。  心配性。お節介。余計なお世話。そんな藤也の声が頭の中に響く。そんなこと言われたってこれは俺の性分なのでどうしようもない。  それに、南波の精神世界から帰ってきた直後に忽然と南波が姿を消したとき覚えた感覚が未だ離れないのだ。恐怖とも違う。寂しさとも言い難い、あのいいようのない胸騒ぎが。  気付けば俺は南波の部屋までやってきていた。  窓の外では相変わらず雷が鳴り響いている。ここまできてなんだが、俺はいまさらどう声をかけようか迷っていた。  食堂に寄って南波の好きそうな手土産でも持ってくるべきだったか。手ぶらできて「南波さんの顔を見に来ました」なんて言っても相手は南波だ、引かれても言い訳できない。  今だけは仲吉の恐ろしいほどのフットワークの軽さが羨ましく思えた。  考えれば考えるほど腰が重くなっていくのが分かった。  呆れられてもいい、ちゃんと南波がいるかどうか確認するだけだ。変に取り繕うのもかえって不自然だし、と半ばやけくそになりながら俺は扉をノックする。  ……反応がない。  まさかと思い、念のためもう一度ノックしたときだった。  勢いよく目の前の扉が開いた。そして。 「だぁぁ! ドンドンドンドンうるせえんだよ!」  額に青筋を立てた南波が現れた。  南波が部屋にいたという安心感と、そんなに煩かったのだろうかという申し訳なさ。そして南波の大声に普通に驚いて固まる俺を見て、南波の顔から一瞬にして怒気は抜け落ちる。 「準一……さん……ッ?!」 「す、すみません。煩くしてしまって」 「いや、ちが。今のはあんたに言ったんじゃなくて……ッ雷がうるせぇなって」  確かに雷も煩いが、明らかに今のうるせぇは俺に向けられたもの間違いないだろう。 「あの、別に用はないんすけど、ちょっと会いに来ただけだったんで。……お邪魔しました」  流石に虫の居所が悪い南波相手にどうこうできるほど俺もコミュニケーション能力が高いわけではない。そう頭を下げ、部屋の前から立ち去ろうとしたときだ。 「……っ、待てよ」  南波に腕を掴まれる。あの南波が俺に触れていることにも驚いたが、それは南波も同じらしい。けれどもそれもほんの一瞬。南波はこちらへと視線を向ける。 「せっかくだし……上がっていけよ」  大したもてなしもできねえけど、なんて小さく付け足す南波。俺には断る理由がなかった。 「……じゃあ、お言葉に甘えて」  南波は変わった、とは思わない。今ここにいるのは生前と死後、両方の記憶を持ち合わせた南波だ。以前の、まともに話すことも困難な南波のことを考えると本当に同一人物かとも思えるが、時折以前の片鱗のようなものを感じる度に既になんだか懐かしい気持ちになってしまう。  例えば今、ああやって人の腕を掴んで引き止めたというのに今度はこちらに目を向けようともしない南波とかだ。 「……」 「……」  そわそわと何度か足を組み直しながらも胡座を掻く南波。先程まで煙草を吸っていたのだろう、換気すらされていない部屋の中に紫煙が充満していた。  そして、相変わらず良く言えばどこか生活感のある部屋だ。床へと放り出されたよれた雑誌を一瞥し、俺は「えーと、その」と言葉を探す。 「雨……暫く止みそうにないっすね」 「今夜はずっと鳴りっぱなしだろうな」 「南波さんは雷平気なんですか?」 「……好きなやつなんているのか? ゆっくり寝る気にもなんねえよ」  他愛のない会話。なんだこの空気は、なんて思うが、こうして南波と再びゆっくりと話せることは素直に喜ばしく思えた。 「そうっすよね」と答えたあと、暫く沈黙が流れる。  なにか話題ないだろうか、と部屋の中に目を向けたとき。以前はなかった線香立てを見つける。  あ、と思ったときだった。南波が口を開いた。 「なんで俺のとこに来たんだ、お前」  ぶっきらぼうな物言いだが、怒ってるわけではなさそうだ。改めて聞かれるとなんだか気恥ずかしい。 「……南波さんが、またいなくなってないか気になって」 「あ?」 「すみません、変なこと言ってるってわかってるんすけど……」  こんなこと俺に言われたって気持ち悪いだけじゃないか。バカ正直に言ってから後悔したが遅い。  南波は心当たりがあったようだ。「あー……」と少しだけ視線を彷徨わせる。 「別に、簡単に居なくなんねえよ……もう」 「でも、この前……」 「あれは…………悪かった」 「お前がそこまで気にするなんて思わなかった」なんてばつが悪そうに南波は続ける。 「気にしますよ、今だって南波さんの姿見かけなかったら今度こそ成仏したんじゃないかって……」  言いながら、自分が何故こんなにムキになっているのか分からなくなる。  成仏することはいいことなのだ、本来ならば。悔いなんてない方がいいのに、これじゃまるで『成仏しないでくれ』と言ってるみたいで俺は途中で言葉を飲む。 「……すみません、俺」 「なんで謝るんだよ」 「生意気なこと言ってしまって。……南波さんに成仏してほしくないわけじゃないんすけど」 「……」  南波はなにも言わない。その沈黙が余計いたたまれなくなる。  叩きつけるような雨音に包まれる室内。冷や汗が滲む。 「暫くは成仏する予定はねえから安心しろ」  そんなとき、南波はそっぽ向いたままぽつりと口にするのだ。それは柔らかく、優しい声だった。  思わず南波の方を向けば、視線がぶつかった。 「つうか、お前の方こそどうなんだよ」 「俺も……暫くここのお世話になるかもしれないです」  そう応えれば、南波は「どうだかな」と笑った。なんとなく皮肉げな笑みだが、悪い気はしない。  それどころかなんだか精神世界での南波とのやり取りを思い出して懐かしくなる。昔の話でもないはずなのに、おかしなものだ。南波のことを知ってしまったからだろう、余計この人のことを今までの赤の他人のようには思えないのだ。 「南波さんは成仏したいと思わないんですか?」 「思わねえ」  即答だった。  その一言に南波の汎ゆる感情が詰まってる気がして、俺はそれ以上なにも言えなくなってしまう。 「お前はしたいのか?」  静かに尋ねられ、頷き返した。 「死んでからずっと、そう思ってたんですけど……」 「今は違うのか?」 「……たまに分からなくなるんです。天国が本当にあるのかって」 「あるんじゃねえの」  少しだけ驚いた。南波は天国や地獄など、そういった話を信じるようなタイプに見えなかったからだ。 「少なくとも、お前は地獄にはいかねえよ。……間違いなくな」 「俺が保証してやる」そう笑う南波。先程の誂うような笑顔ではない、普段ぶっきらぼうな南波からは想像できないほど優しい笑顔に思わず内心どきりとした。 「……なんだよ、その面は」 「いや、南波さんもそういうのって信じるんすね。……てっきり『あるわけねえだろ』って言われると思ったので」 「俺達みたいのがいるんだ。信じてるやつにはちゃんとあってもいいだろ。……じゃねえと、報われねえ」 「……南波さんって、結構優しいですよね」 「…………結構は余計だ」  そっぽ向く南波。そんな南波を見て、つられて俺も口元が緩む。 「……ありがとうございます、南波さん」  胸の奥、すっと軽くなるのを感じた。  報われない、その言葉が俺ではない別の誰かに向けられてることは分かっていた。きっと、南波も。  南波さんも、きっと天国に行けると思います。なんて軽々しく口にすることはできなかった。  南波のしてきたことも知っている。だからこそ、南波は自分が天国にいけるような清廉潔白な人間ではないという自覚もあるのだろう。地獄があるのならば、地獄行きだと。  ――そして、あの男も。 「南波さん、またこうして用がなくても会いに来ていいですか」 「一々許可とんなくていいだろ、それ。駄目なら部屋にあげねえよ」 「……ありがとうございます」  もう、俺にできることなど限られている。南波がここにいる間――成仏できるまでの間、少しでも気が紛らわせられればいい。  そして、その最期を見届けることができればいい。そう考えてしまうのは我儘なのかもしれない。  思いながら俺は一人で自嘲する。  そして暫く、雷が鳴り止むまで俺は南波の部屋で他愛ない会話をして過ごした。  雨が上がる頃には窓の外はすっかり明るくなっており、晴れた空に虹が架かっていた。


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