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田原摩耶
田原摩耶

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日常話【迷妄栫井×齋藤後日談】

 青空より雨空、赤よりも黒、夏よりも秋が似合う男だと思っていた。  瞬きをした瞬間、ふらりと視界から消えてしまいそうなほどの不安定さに目を離すことができなかった。  だからこそ、その姿を見つけると心底ほっとする自分がいたのだ。  自室のベッドの上、シーツも着ずそのまま丸くなっているその姿を見て深く息を吐く。  前まではソファーで寝たり、酷いときは玄関先で力尽きて寝落ちていることもあったので今こうして柔らかなクッションの上で眠ってる栫井の姿を見てほっとした。けれど、夏場とはいえこのままじゃ風邪をひかねない。  そっと蹴落されていたシーツを拾い上げ、栫井に被せようとした瞬間、眠っていた栫井の身体がびくりと反応する。あっと慌てて手を引っ込めるが、それよりも栫井が目を開く方が早かった。 「……なんだよ」  寝起きの低い声。水分が不足してるようだ、その声は酷く辛そうだ。 「あ……起こしてごめん。寒いかと思って……」 「……」  そうシーツを掲げれば、眩しそうに目を細めたまま栫井はそれを奪って包まる。やっぱり少し寒かったようだ。  そんな栫井に内心安堵しつつ、「おやすみ」と声を掛け寝室から出る。音を立てないように扉をそっと閉めた。  学校卒業後、栫井と再会して一年弱。こうして栫井と半同棲のような形で暮らすようになってどれくらい経っただろうか。  再会したときは栫井の雰囲気が少し変わってて戸惑ったが、今こうして無防備な栫井を見てるとあの学園にいたときのことを思い出す。  ……寝てるところを邪魔されて機嫌が悪かっただけだろうけど、あの感じの栫井がなんだか懐かしくなってしまうのだ。  今の栫井が不満なわけじゃないし、寧ろ毒が抜けたような栫井を見てると安心する反面、栫井と過ごす時間が多くなればなるほど記憶が蘇ってしまう。 「……お風呂入ろう」  なんだか今日は変な感じだ。ここ最近学校やバイトで忙しく、あまりゆっくりと栫井と話せていないから余計なこと考えてしまうのかもしれない。  シャワーでも浴びたら少しはすっきりするかもしれない。俺はそのまま浴室へと向かった。  ◆ ◆ ◆  今日一日の疲れを洗い流し、ほっとしながら風呂を出ればリビングの方からテレビの音が聞こえてくる。  あれ、俺テレビつけてたっけ。  そんなことを思いながらリビングの扉を開けば、ソファーの上で胡座を掻く栫井がいた。猫のように背中を曲げ、その手にはミネラルウォーターのボトルが握られている。 「栫井? 起きたの?」 「……別に、最初から仮眠だし」 「そっか……お腹は減ってない?」 「いらない」 「……うん、わかった」  なんのテレビを見てるのかと思えば、栫井はニュース番組をただ見ていた。  仮眠とは言ってるもののやはりまだその目は眠たそうだ。  もしかして俺が帰ってきたから起きてくれたのかな、なんて。自惚れではあるが、栫井はたまにそういうことを平気でやってくるから分からない。  でもそんなことを言うと絶対嫌そうな顔をして寝室に戻られかねないのでなにも言わないでおく。  帰宅途中、お気に入りの定食屋でテイクアウトした料理をレンジで温めているとふと視線を感じた。ソファーの背もたれ越しに栫井がこちらを見ていた。 「……どうしたの?」 「最近、いつもそれだな」 「それって……」 「その袋、駅前のところだろ」  まさか栫井も知ってるのかと驚いた。というか、袋で気付くのか。 「よく分かったね。……うん、帰宅途中にあるし、ここの卵焼きすごい美味しいんだよ。栫井も一口食べてみる?」 「いらねえ」  ばっさりと切り捨てられる。珍しく栫井の方から食いついてきたのでようやく栫井の偏食が治る第一歩を踏み出すことになるのか、と思ったがどうやらまだ先になりそうだ。 「そうだよね」と言いながら、レンジから弁当を取り出した。そのまま栫井の隣に腰を降ろし、弁当箱をテーブルにそっと置けば、僅かに栫井の目が細められた。  しまった、今ここ時間帯に食べ物の匂い嗅ぎたくなかったのだろうか。と「ごめん、席変えるね」と立ち上がろうとしたときだった。伸びてきた手に手首を掴まれる。 「……っえ」 「…………」  ごく当たり前の動作で手を握られ、思わず栫井を見上げた。普段は部屋の隅か宙を彷徨っている視線が、今はこちらをしっかりと捉えていた。 「か、栫井……? どうしたの……?」 「……もう、あの店行くなよ」 「――……え?」  それは予想してなかった言葉だった。  とくとくと脈打っていた心臓が、今度は別の意味で騒ぎ出すのだ。 「え、どうして……? なんで? そ、そんなに苦手な匂いだった……?」 「……お前が」 「お、俺……?」 「……お前が毎日通うせいで、店のやつがめでたい勘違いすんだろ」  それは、喉の奥から絞り出したような小さな声だった。  ぽそ、と吐き出されるその言葉とともに栫井は俺から視線を逸らす。俺はというと、手にしていた箸を思わず落としそうになっていた。  定食屋の店員さんを思い浮かべる。バイト始めたての高校生の子と、おばちゃんと、旦那さんらしいおじちゃんと、それから……俺と同じ歳ぐらいの女の人。  確かにみんな俺のことを覚えてくれてるらしく、「いつもありがとうございます」と受け渡し時に口にしてくれる。こいついつも自炊しないなとか、いつも焼き魚定食とサイドメニューの卵焼きを買っていく常連さんと思われてるだろうが、しかし、栫井が言ってるのはそういうことではない。 「め、めでたいって……流石にそれは……」 「…………」 「栫井、もしかして……」  ――嫉妬してるの?  そう言いかけるが、その言葉の先は続かなかった。 「……とにかく、もう行くなよ」 「え、そ……そんなこと……言われても……卵焼き……」 「卵焼きくらい自分で作ればいいだろ」 「……か、栫井……」  栫井が嫉妬してくれるのは嬉しい、嬉しいが――俺にも譲れないものがあった。 「この卵焼き、もう食べるなってこと……?」 「……卵焼き卵焼きうるせえな、それくらい……」 「なら、栫井……俺にも条件がある」  百歩譲って、最悪栫井の言葉を聞き入れることにしよう。俺はこのことによりなにが引き起こるかはわかっていた。意見を聞き入れることは簡単だ、言いなりになることもできる。  栫井の手をやんわりと握り返せば、栫井の目が僅かに開かれる。その眼球に俺の姿が確かに映っていた。 「……なんだよ、条件って」 「煙草の本数減らして。せめて、一日一箱にすること」 「――は?」 「……栫井が煙草切れたときに行くコンビニで、前女の子に連絡先もらったよね」 「…………」  なんで知ってるんだという顔だ。 「……知ってるよ。俺も、たまたま寄ったときに栫井といるの見られてたらしくて『カコイさんに連絡くださいって伝えてください』って言われてさ……ちゃんと、連絡しないでくれたのは嬉しいけど……」 「……あれは捨てた」 「……分かってるよ。けど、めでたい勘違いされたら栫井も困るよね」 「…………」  ここまで言うつもりはなかったし、本当は嫉妬はしていないけども。意趣返しのつもりが、どうやら俺は無意識のうちに気にしていたようだ。  けど、栫井の喫煙本数は気になっていたのも事実だ。栫井に詰めれば、栫井ははあと息を吐いた。 「……分かったよ。好きに食えよ、その卵焼き」 「そんなに煙草やめたくないの?」 「…………」  なにも言わないままそっぽ向く栫井。……しまった、やりすぎたようだ。ごめんね、という意味を込めて栫井の手をそっともう片方の手で握れば、栫井が恨めしそうにこちらを睨む。 「……ごめん、言い過ぎたね」 「お前、全然変わってないな」 「そんなことないよ。……それに、栫井が嫌なら店も変えるけど……それじゃあ栫井の気が済まなくなりそうだから」  束縛し合うことで互いの首を締め合うこともあったからこそ、分かっていた。その結果お互いがどうなるかも安易に想像つく。  栫井は元々依存性が強い、それは俺も同じだ。経緯は違えど、お互いに裏切られて捨てられた。だからこそ余計、目に見えないものに不安を覚えるのだ。 「……俺は……っ、ん」  栫井が口を開くよりも先に、そっとその唇に己の唇を押し付ける。ちゅ、と小さなリップ音とともに、目の前の栫井の目が見開かれた。 「……不安にさせてごめんね、栫井」 「……っ、……」  本当は、食後までとっておこうと思ったのだが。  伸びてきた手に指を絡め、今度は栫井の方から塞がれる唇を開き、その舌を招き入れる。  また後で温め直せばいいか、なんて思いながら俺は栫井の後頭部、背中に手を回した。  嫉妬されることに心地よさを感じないわけではない。独占欲すらも、あの栫井が自分を選んでくれた故だと思うとただ嬉しくなる。  それでも、それは栫井が傷付くことと同意なのだ。  強くなれなんて無責任なことを言うつもりはない、それでもほんの少しずつでもいい。俺のことを信用してもらえるくらい、少しずつ、少しずつ大事にこの関係を育んでいきたいと思うのだ。  いつなにが起きても壊れないように、栫井が傷付いてしまわないように。  色々あったものの、結局定食屋に通うことは許される。栫井の喫煙本数もそのまま。  が、一つだけ変わったことがあった。 「栫井、本当にそれだけでいいの?」 「……いらねえ」 「まあ、栫井がそれでいいならいいけど。……あ、すみません、焼き魚定食と……卵焼き二つ、お持ち帰りでお願いします」  帰宅時、時間が合えば毎回迎えに来る栫井とともに定食屋に立ち寄り、二人分の晩飯片手に帰り道を歩いていく。  栫井は自分が一緒ならば俺がなにしてようが安心、ということでなにやら納得いってるようだが――精算時、隣に並ぶ栫井を見て頬を赤らめてたおばちゃんを見て俺は気が気でない。あとこうして帰ってる間も何人かこっち見てるし。 「……やっぱり、今度から宅配かな」 「……は?」 「いや、なんでもない。……独り言だよ」  俺も大概、栫井のことを言えないのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えながら二人並んで帰路を歩いていく。  おしまい

日常話【迷妄栫井×齋藤後日談】

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