だから嫌だった。巻き込みたくなかった。 この男の性格など嫌というほどわかっていたからこそ、余計。 「……スレイヴ殿、言ったはずだ。自分は、貴殿のためならなんでもすると」 夜も明けていない薄暗い部屋の中。抱き締められた腕に思わず身を攀じるが、がっちりと回された腕は離れない。 ナイト、と目の前の男の名前を呼び、その胸を叩いた。 「ナイト、俺は……いい。お前に助けてもらいたいと思ってない」 「何故だ、貴殿は言っただろう。……このパーティーから抜けたいと。それに、勇者殿は……イロアス殿は本気だ」 どれほど惨めな目に遭わされようが、憎かろうが、それでもあいつはあいつだと分かってしまった。産まれたときからずっと一緒にいたくせに、あいつ自身のことを何一つ理解できなかった俺にも非があった。 ……あいつは何も変わらない、村が燃えたあの日のままだ。いくら取り繕ったところで本質の部分はガキのままで、どうしようもないくらいの泣き虫で弱虫なイロアスなのだ。 ……なら、誰があいつの傍にいてやれる? メイジか?シーフか? ……無理だ、あいつには俺だけしかいない。 「……ッ、スレイヴ殿、貴殿は……貴殿が責任が感じるのはおかしい。イロアス殿も子供じゃない、何故スレイヴ殿がそこまでして……っ」 「ナイト……」 「っ、自分は……納得がいかない。貴殿が心の底からイロアス殿に着いていくというのなら自分もそれを優先したい。……しかし、貴殿は間違っている。今のイロアス殿は正常な判断ができない、あれは脅迫だ。貴殿を縛り付けるための」 「っ、そんなこと……そんなこと、分かってる……ッけど」 けど、こうでもしなければあんたがどうなるかは分からない。今のイロアスなら何をしでかすか俺にも分からない。それに、止めることもできないのだ。 ナイトだって弱くはないと分かってる、分かってるけど。 前日の光景が頭を蘇る。 三人の前で見世物のようにナイトに抱かれたときのことを。 「ナイト……っ、頼むからこのパーティーから抜けてくれ」 「っ、スレイヴ殿……」 「俺は、あんたまであいつらに玩具にされるのが嫌なんだ……っ」 本心だった。二度とあんな歯痒い思いしたくないし、させたくなかった。俺一人馬鹿にされるのならまだ耐えられた。けど、ナイトにだけは。 「……それが、貴殿の願いか?」 「……ああ」 「……、……自分が抜けたとして、貴殿はどうする。一人で、最後までイロアス殿に付き合うつもりか」 「………………ああ」 「本当にそれでいいのか、貴殿は……っ」 「いいわけ、ないだろ……ッ!」 絞り出した声は恥ずかしいほど震えていた。 今更格好つけることなどできない。こいつにだけは弱いところを見られたくなかった、見せたくなかった。 それでももう、全部手遅れなのだ。 「……っ、頼む、ナイト……俺のこと、考えてくれるならお前だけは……せめて……っ」 これ以上失望されたくない。ナイトだけは俺を一人の人間として扱ってくれた、だから、せめて人のままでいたかった。 ナイトは言葉を失っていた。納得したわけではないだろう。 怒りと困惑――悲しみが入り混じったようなその目を直視することはできなかった。大きな手が伸び、無骨な指先で目元の涙を拭われる。 「すまない……泣かないでくれ、スレイヴ殿。貴殿を泣かせたいわけではないのだ」 「っ、泣いて、ない……」 「……そうか」 それだけ呟いて、ナイトは俺を抱き締める。苦しい、けど心音が混ざり合うのが気持ちよくて、流れ込んでくる熱にささくれだっていた心が落ち着いていくのが分かった。 覚悟など決めたはずなのに、ナイトの優しさに甘えそうになる。縋り付きたくなる。……それだけはしてはいけない。分かっていた、それをしたら最悪の結果を迎えると。 だから俺はナイトの手を離した。ナイトの気持ちを突き放すことを選んだのだ。 ナイトと二人で過ごしているのに、これ程までに苦しい時間はなかった。 ◆ ◆ ◆ いつの間にかにナイトの部屋で寝落ちてしまっていたらしい。 はっと目を覚まし、体を起こす。ナイトが被せてくれたのだろう、体を包むシーツはまだほんのりと温かい。 辺りを見渡すが、部屋の中にナイトの姿はなかった。 なんとなく胸の奥がざわつき、俺は怠い体を動かしてベッドから降りる。 まだ日の昇っていない深夜、冷え込んだ宿屋の中を歩いてナイトの姿を探した。心当たりなどはない、目的地もない。ただ彷徨いて人の気配を探す。 まさかもういなくなったわけではないだろうとわかったが、無性に不安だったのだ。 暫く歩いたとき、異様な匂いがした。 嗅ぎ慣れたその錆びたような匂いがなんなのかすがに分かった。……血だ。血の匂いだ。 廊下が暗いお陰で気付かなかったが、よく見れば板目には何かを引き摺ったようなどす黒い染みがあった。 「……っ」 誰かが怪我をしたのか。分からない。 分からないが、あまりにも静かすぎる夜に余計不安は掻き立てられる。煩くなる心音を無理矢理抑え込みながら俺はその血痕を追い掛けた。 一歩、また一歩と足を進めるごとに心臓の音が大きくなる。 血の跡は大きくなり、そして、その血痕はとある部屋の前で止まっていた。 開いたその扉はあいつの――イロアスの部屋だった。 考えるよりも先に体が動いていた。 扉を開いたときだった、視界が何者かによって遮られた。 「……っ!」 「お前は見ない方がいいだろうな、スレイヴちゃん」 何故お前がここに、という声は出なかった。手で目元を覆い隠され、視界を奪われたこの状況でも分かった。肌が感じた。部屋の中の残状を。 「め、いじ……っ、イロアスは……」 「何故勇者サマの心配をする?……それとも、あいつが襲われる理由に心当たりでもあるのか?」 「っ、ここは、あいつの部屋だ」 「でも血痕は外からここへと繋がっていた。……手負いの何者かがここへ逃げ込んだと考えられるんじゃないか」 こんな問答してる場合ではないはずなのに。 メイジの腕を振払おうとするが、片手で両腕まで掴まれれば身動きが取れなくなる。 「メイジ……っ」 「窓は開いてる。……あいつは逃げたんだろうな。それでもまあ、無事ではないはずだ。それもこの出血量だ」 あいつ。その単語に堪らずメイジの腕から抜け出した、そのとき、視界が月明かりに照らされる。 開いた窓から覗く大きな月、ベッドの上に横たわるそれに血の気が引いた。 「……見るなって言っただろ」 赤黒い血溜まりの上。夥しい量の血で汚れたベッド、それに凭れるように座った幼馴染。その心臓に鉄杭のように付き立てられたのは、見覚えのある剣だ。――ナイトが使っていた大剣。 ナイトが大事に手入れをしていたことを俺は知ってる、見ていた。だからこそ、見間違えようがなかった。 「……っ、ぃ、ろあす……」 震える。恐る恐る座るイロアスに呼び掛ける。けれど、返事はない。閉じた目は開かない。肩を掴み、イロアス、イロアスと何度も繰り返し揺する。けれど、ぐらりと傾いたイロアスの体はそのまま音もなく床の上の血だまりに落ちた。 「……ッ、……」 これは、夢なのか。俺が現実から目を逸らそうとしたから、罰なのか。声も出ない、頭の中が真っ白になる。イロアス、と体を抱き起こそうとして、メイジに止めらられた。 「メイジ……イロアスが……っ」 「ああ、そうだな」 「っ、なに、落ち着いてるんだよ。早く、治癒……治癒魔法を……」 「…………」 「メイジ、何黙って……っ」 「一度死んだ人間を蘇生させることは不能だ、神でもない限りな」 一瞬、何を言ってるのかわからなかった。 顔を見上げる。影になったメイジの表情は見えない。 「……まさか、あいつがここまでスレイヴちゃんに執心していたとはな」 「待て、何言ってるんだメイジ、イロアスは……」 「勇者サマは死んだ。……ナイトに殺されたんだよ、スレイヴちゃん」 そんなわけがない。そう、言いたいのに声が出なかった。頭で理解したくなくて、それでも、イロアスに致命傷を与えたそれは紛うことなき――。 「なあ、スレイヴちゃん。なんであいつが大事にしてた剣も置いていったのかわかるか?」 「……、……」 「お前に伝えたかったんだろ、こいつを殺したのは俺だってね。……熱烈な愛の告白だと思わないか」 メイジの戯言など頭に入ってこなかった。 ただ、腕の中でどんどん熱を失っていくイロアスに全身から力が抜け落ちる。怒りも、悲しみも追いつかない。大きな喪失感だけがなまなましくて。 俺が、俺のせいだっていうのか。全部。これも。 「ああ、お前のためだろうな」 音が遠くなる。 色が、熱が失せていく。 「……あいつは少なくともお前のためだと思って行動した。お前が望んでなくても、己のエゴのために、お前を幸せにしたいというエゴのためにな」 イロアスの心臓に突き刺さった大剣を引き抜き、そして俺に手渡した。ずしりとのし掛かるそれは柄まで血で汚れていた。 「あいつに返してやれ」 真っ暗になる視界の中、月明かりに照らされたメイジの言葉だけがやけに頭に残った。 イロアスがナイトに殺されて、それなのに俺はそれに悲しむどころかナイトに怒りを覚えることができなかった。腕の中、大剣の重みを感じながら俺は「そうだな」とだけ呟いた。 ナイトBADEAND【また会いましょう】 「これはまた随分と派手な真似をしたな」 「……っ、……メイジ殿」 「おっと。……そう殺気立つな。俺は別にお前を捕まえるつもりはない。けど、その怪我じゃ朝を迎えることはできないだろ。手当が必要じゃないか?」 「……貴殿は、何を考えてる」 「さあな、気まぐれだ。……まあ正直言えばお前には親近感を覚えてな。……またスレイヴちゃんに会いたいんだろ?なら、俺の言うことは聞いておいた方がいい」 「メイジ殿っ、何を……」 「何、心配するな。……傷は治してやる。ただ、少々頭の中を弄らせてもらうだけだ。 ……あいつには、まだ腑抜けてもらうわけにはいかないからな。お前には俺の“兵隊”として動いてもらうとしようか。……また愛しのスレイヴちゃんと会えるんだ、死ぬより安いと思わないか?……なあ、ナイト」
パイ生地製作委員会
2023-08-01 07:06:56 +0000 UTC